ビアンカの  GOING MY WAY ♪

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大岩オスカール:夢見る世界展

2008-07-08 | art/exhibit/museum




オスカール・大岩は1965年ブラジル生まれの日系二世。
サンパウロ大学建築学部を卒業後、活動の場をサンパウロから日本へ、
そして2001年9月の米国同時多発テロによる
世界貿易センタービル崩壊の時期の前後にNYへ、と移動した。

初めて見る彼の作品の数々だったが、ブラジル日系二世が東京都の大きな
美術館での展覧会開催にこぎつけているんだから、きっと何か
強烈なアピールがあるんじゃないか、と、最終日の2日前に出かけた。
会場に入るなり、巨大な絵に圧倒されっ放し。
二番目の部屋にあった、クジラⅠ・Ⅱ!(雑誌より) 大学時代の作品だという。
お金はなかったが大きいものを作りたい気持から、
大学の夏休み中に、教室をスタジオ代わりにして制作したという、彼が
23才の時のこの作品は、2年後のサンパウロ・ビエンナーレに展示されたという。
(※上のリンク先にある写真がサンパウロ・ビエンナーレでの光景)

建築出身だからか、建物の描写をもとに、オスカールのファンタスティックな
イマジネーションが加わった作品が多く、それぞれのスケールの大きさに目を見張る
ばかりだった。目の光った犬が描かれた「野良犬」も227 x 666 cm と大きいし、

 

チケットやパンフレットに使用された、“ガーデニング” シリーズの一つ「Manhattan」も
227x 555 cm という大きさだ。彼のHP内の「works」では、この絵を含め、沢山の
作品を見る事が出来るけど、やはり現物の持つ迫力は、実際に会場に来て絵の前に
立って見なくてはきっと判らないだろうな。



「カラスの巣」という、工事現場を巣にみたてたような左の作品でも、227 x 222 cmの大きさだ。大きさ以上に、彼の尽きない豊かな発想力とか、社会を見る目が作品を見ていて伝わって来る。
人のいない絵でも、そこに身近に存在する生活や環境などが感じとれるし、第一、見ていて楽しい。
学生時代や貧乏をしていた頃、広告代理店で働いて、早く金持になりたい、と一瞬迷った時期もあったというが、最終的に、大変な画家の道を選んだそうだ。
ニューヨークを生活の場として選んだのは、どうやら広くて大きなアトリエが手に入り易く、作業し易い環境だったからのようだ。

「シャドウキャットとライトラビット」というキャラクターは、とても面白かった。実際の模型のキャラクターも展示されていた。TakさんのHPで写真を見つけたので是非見て下さい!最初は何これ、ただのキャラクターグッズじゃん、と思ったけど、見ている内に次第に可愛くなり、連れて帰りたくなった。

         この作品は、ある夕方、パリの空港についた時に数十匹の兎が、滑走路
         横の草原を走っていて、夕方のきれいな光に照らされていた印象から生ま
         れました。後で 
この作品をもとにして、彫刻をつくり、今回始めてこの作品
         の前に彫刻を一緒に展示することにしました。(作品解説より)

4月29日から開催されていたこの展覧会も7月6日で終わってしまった。
興味おありの方には、いつもながら、遅い投稿で、というより、終わっちゃうよ~と、
慌ててかけこむ悪い習慣があり、申し訳ないけど、8月9日からは、
福島県立美術館で展覧会が巡回されるとのこと。
製作過程のメモやラフスケッチもあり、2階ではドキュメンタリービデオを通して、
オスカール自身がこれまでの彼の道程を語っていた。私にとっては懐かしい
二世の話す日本語。淡々とした語り口の中にも、しっかりとしたヴィションと経済力を
垣間見た。
彼は絶対的にブラジル生まれの日系二世であって、
日本に育った日本人ではない。純粋さと負けん気、そしてしたたかさを
兼ね備えている。と思う。心の中で思っていてもそれを口に出さない人もいる。
が、思っていたことをそのまま率直に言葉で表現出来る人もいる。
言葉は受け取り側により、誤解される場合も多々あるが、その辺が、
「何を考えているかわからない」と言われやすい日本人との差
なのかな、と、ビデオを見て感じた。
 

戦前の日本から送られるダンボール箱」

 

供の頃、日本にいたおばあちゃんから、たまに小包を送ってもらいました。いつも印象的だったのは、そのダンボール箱を開けた瞬間の日本の臭いでした。
箱の中には、椎茸、お茶、ふりかけ、お菓子などが入っていましたので、その臭いはそこから来るるのではないかと、長年思っていました。
 
ブラジルで日系人と言えば、おとなしくて、よく勉強して、まじめなのが一般的です。
このイメージが大嫌いだったので、長年日本という国に興味を持てませんでした。
かし、初めて日本に来た時、このイメージは大きく崩れました。バブルの直前、若者はとにかくよく遊び、あの自分の中の日系社会から読み取った“日本”は戦前の日本だったのに気付きました。
正直言って、ショックでした。
でも、一つだけ自分のイメージの日本がありました。
それははじめて電車に乗った時でした。
あの臭いは昔ダンボールを開けた時のと同じものでした。まるで、椎茸やふりかけが回りに座っていたように見えました。    
         
              1998年国際協力事業団『海外移住』より

  kちゃん、毎度チケットを有難うね!


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2 Comments

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彼の将来が楽しみ (netton)
2008-07-09 10:00:11
大岩オスカールさんのホームページから沢山の作品を拝見しました。
暗い絵が多いなぁと思ったけど、現実感の無い絵から地球の見苦しい裏側を訴えていいるような作品が多かったように見えました。私だけの印象なのかしら?
ニューヨークには素晴らしい芸術家が沢山住んでいる魅力的な街ですね
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空想の世界 (bianca)
2008-07-10 11:52:50
仰るとおり、暗い色調の、重いテーマの作品が多いかもしれません。
でも不思議と現物を見ていて、その重さを感じないんですよ。
世界貿易センタービル破壊の現場を目の当たりにすると、
人生の考え方が変わって来るかもしれません。
昨日あったものが粉々になる。それも、同じく息をしている
人間の手で、、の恐怖ですね。それでも希望を失っては
生きていけない。恐怖と希望が混じっているからかな。
オスカールの絵は家に飾りたい(スペースありっこないけど)絵では
ありませんが、これからどう変わっていくかな、と
ちょっと気になる
画家の一人になりましたよ。NY、行きたいなぁ。
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