ビアンカの  GOING MY WAY ♪

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   人生は ・・・ダバダバダ・・・

ホイッスラー展へ

2015-02-11 | art/exhibit/museum

 

500去年のうちから購入していた「ホイッスラー展」のチケットでした。
横浜が年々遠くに感じるのは母が施設に入居してからでしょうか?

今年もあっという間に二月の到来。展覧会の会期も一か月を切ったので、ゆっくりと見に行けるチャンスを日々探っていました。

わざわざ横浜まで行くのなら、横浜の友達に連絡しなくちゃ~と、電話一本で即、会うことに決定。一緒に美術展に行きたいけど、一人で見るほうがいいわよね、と彼女が言うので、無理しないで、と言い、見終わった頃合いを見計らい、一緒にランチをする約束をする。この辺が、どうすべきか、ちょっと難しいのよね。一緒に、と言われれば、そうなっただろうし、楽しいかもしれない。けど、その展覧会を彼女が、本当に見たいかどうか、良くわからないので余計な推察をする。それが感じ取られてしまうのか、彼女も一人で美術鑑賞する習慣があるからか、いちいち正していられない。なので、お言葉通りに済ましてしまう。気を使いすぎたり、変に思いこんだりしてチャンスを潰してしまうことだって大いにあり得る。特に私は。

など・・言葉をあれこれ並べるよりも、実際は極めて単純明快即決です。

 

久しぶりにみなとみらいで下車して美術館に向かおうとしましたが、美術館方面と書かれた表示を頼りながら出たところが「MARK IS」という初めて聞く名前の商業施設でした。オープンしてから一年半以上が経っていました。そこを突っ切った先が横浜美術館。デジカメを出して撮ろうとしたら、最初からバッテリー切れ!あ~ぁ、せっかくバッグに入れて持ち歩いたのに、役立たずだ!もう撮るまい、と思ったけど、美術館の入口ぐらいは、と、ケータイで一枚パチリ。

この展覧会は、ホイッスラーの初期から晩年にいたるまでの約130点を日本に紹介する初の大規模な回顧展です。心をときめかして会場に入っていき、初めて音声ガイドを借りてみました。ナビゲーターはリリー・フランキーさん♪

タイトルからして、まるで音楽が聴こえてきそうなホイッスラーのいくつかの作品は、音楽付きの音声ガイドで、うっとり聴きながら鑑賞しました。

たとえば、《プロローグ》ではショパンの「バラード第3番変イ長調作品47」
《灰色と黒のアレンジメントNo.2》 では、バッハの「ソナタ第2番イ短調」
そして、下の作品《ノクターン:青と金色ーオールド・バターシー・ブリッジ》ではショパンの「夜想曲第3番ロ長調作品9-3」というふうに。

           

↑これは、ロンドンのテムズ川に架かるバターシー橋を描いたもので、構図に浮世絵の影響が見られるとされる1枚です。

 

音楽が音の詩であるように、
絵画は視覚の詩である
そして主題は
音や色彩のハーモニーとは
何のかかわりもないのである

(ホイッスラーのことば)



ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(1834-1903)320

アメリカ・マサチューセッツ州に生まれ、幼少期をロシアで過ごした後、1855年、21歳の時に画家になることを志しパリに渡りました。
パリでは、シャルル・グレールのアトリエに通う一方で、ギュスターヴ・クールベと出会い、レアリスム(写実主義)に感銘を受けます。
そのため、ホイッスラーの初期の油彩画やエッチングなどの主題の選択や表現には、クールベの影響が色濃く表れています。
1859年には、彼の初期代表作のモデルともなった異母姉のデボラ・ヘイデンと彼女の家族が住むロンドンへ移住しますが、移住後もパリとロンドンを主な拠点として活躍し、当時印象派の画家たちとも親しく交流。

ロンドン移住後は、ラファエル前派の画家たちとも親交を深め、芸術は芸術のために存在するべきであるという理念に従い、唯美主義のリーダー的存在として英国の画壇において重要な役割を果たしました。また、日本美術との出会いは、彼の唯美主義者としての信条をもっともよく表している一連の風景画「ノクターン」を描くうえでも重要でした。ホイッスラーは、ジャポニスムの代表的画家として世界的に知られています。


◆開催場所:横浜美術館
◆開催期間:開催中 ─ 2015年3月1日(日)
◆開館時間:10:00-18:00 ※入館は17:30まで
◆休館日:木曜日

◆観覧料:一般 1,500円 高校・大学生 1,100円 中学生 600円
◆お問い合わせ:横浜美術館
ハローダイヤル:03-5777-8600
 

チケットに使われた作品は《白のシンフォニー No.2:小さなホワイト・ガール》(部分)テート美術館  。モデルは愛人のジョアンナ・ファヒーナン。ちょっと物憂げで淋しい表情ですが、この作品が描かれた後の、ホイッスラ-ーとの別れを意識していたのでしょうか。

 

       

下の絵も、第三章「ジャポニズム」に展示されていた「紫とバラ色;6つのマークのランゲ・ライゼ」。上と同様、「ジョー」ことジョアンナ・ファヒーナンがモデルです。

            

エッチング集なども多く手がけ、そのどれもが作品としては小さいのですが、味わい深く、センスのよさを感じてしまいます。

       
  《デュエット》: ホイッスラー夫人ビアトリスと妹とのピアノ連弾。


《バルコニーの傍で》: 末期癌のビアトリクス(ホイッスラー夫人)

 

ちょっと皮肉屋だけど、粋でダンディーなこの画家が、モデルの衣装をデザインしたり、作品のタイトルに凝ったり、日本の浮世絵などからの影響を受けて作品の中に取り入れたりしている姿を想像しながら、「芸術のための芸術」をスローガンとした唯美主義者の美しい作品の数々に、ぞっこん惚れまくり、しばし心を奪われました。

パトロンであった富豪レイランドのロンドンの邸宅の室内装飾を完成させたときのエピソード(←net上で見付けたブログです)等、映像やパネルを通して知り、非常に興味深かったです。後に部屋ごとピーコックルームとして、ワシントンDCのフリーアギャラリーに移転。(このリンク先では、ピーコックルームのPanorama Viewも見れます)

ホイッスラーは、同じく画家である妻 ビアトリクスを尊敬しこよなく愛し、彼女の死後は、その事実が全く受け入れられない程の深い悲しみに陥ったほどの愛妻家だったことを知り胸がジーンと。、増々彼の魅力の虜になってしまいました。

 
この、踊るようなイラストは何でしょう?
実はホイッスラーのサインとして、今回の出品作品にも多く使われていました。
日本の家紋から着想を得たとのことですが、彼のイニシャルのJWを蝶の形に図案化しています。
どこがJでどこがW?と聞きたいほど楽しげに浮遊したサインです♪

 

 見終ったあと、もう一度会場を回ってから、友人の待っているランドマークタワーへ向かいました。ケータイがあるから、見終わったあとの連絡でも問題なく、待つ側も自由に動けます。便利だな~と思う反面、持ち忘れたが最後、一体どうなっちゃうのでしょうね!
丸ビルにもある、モスグループの「Chef’sV」がランドマークタワー5階にもあったので、そこでランチをすることに。
~日本丸を目の前に、みなとみらいを一望できるレストラン~というだけあり、眺めが広がり気持ちいいです。食後は、タリーズに場所を変え、夕方までお喋りが続きました。

何年も何年も前に、彼女の知り合いの画家の個展に行き、そのあとその画家も交え、銀座でランチした話が出ました。あの時、食後に彼は「ご馳走さま!じゃ僕はこれで・・」といってドロンした話になり、「ああいうことって、よくあることだそうよ。画家は売れてなんぼの世界だから・・・・」ということだそうで、思い出しながらおかしくなりました。そういう彼女も、在パリのアーティストを息子に持っているので、心配は絶えないようです。一年に一度は会いに行けるよう頑張っているようですが、持って来てほしいものは?には、画材以外ないようで、服にも食にも目をくれないとのこと。売れなければ、食べていけなくなる厳しい世界なのですね。そういう若者の話しが実に新鮮に感じたことでした。

食後は横浜をあちこち散策したい、と思っていたのですが、久しぶりにストレス発散できるほど深くお喋りが出来、散策より実り多い一日でした。

・・・って、このブログ記事、書き始めてから、途中で挫折し、二週間も経っちゃっています。次も、もう終わってしまった話題が控えているのに、、、。
日にちは書き出した時のままにしておきます。


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