goo blog サービス終了のお知らせ 

ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

もう一つの小田原

2010-05-09 | visit/drive

西湘バイパスが邪魔しているので、歩きだと海に出るにはその下をくぐらなくてはなりません。当然のことながら、くぐって初めて海が出現するわけです。車を優先すると、とんでもない光景になることは、日本橋などと同じ。車窓からの眺めの素晴らしい海沿いのバイパスを走るのは気持ちいいものですが、住んでいる人にとっては 結構迷惑なものかもしれないな、と思いました。

     

連休にしては人出の少なすぎる静かな海岸の風景です。この辺の海は、途中から急に深くなり危険なので遊泳禁止だそうですが、自分達は慣れているから、ヘッチャラでよく泳いだもんだ、と昔の地元の子供たちが話していました。

波打ち際に大きな魚の屍が・・・

夫が昔住んでいた家の辺りにも連れて行ってもらいました。同級生の、地元への定着率が割と高いらしく、ここは〇〇ちゃんの家だ、と私に教えてくれながら歩き回り、町内会の神酒所でも同級生の一人と会い、缶ビールを頂いちゃいました。
そこで幼なじみ男衆4人をパチリ。ウフフ・・・それぞれ様々な年の重ね方で面白い。
出世した誰々は線路の反対側のお屋敷町へ引っ越した、と話していましたが、ちょっと寂びれた海側も私の目には、味わいがある、と映りました。

ドアではなく、引き戸をガラガラと開けてから「こんにちわ~」って言っていた時代、ありましたよね。鍵を掛けないで住める家って、もはやダンボールハウスしかないのでしょうか。

魚屋さんの看板がいいカンジ。下の写真の家などは、隣が空き地になっていたので、奥行きの木造部分が全部見れました。中へ入って階段を昇ってみたくなります。

某天皇陛下が小田原を訪れた時腹痛におそわれ、この(画像上)内科医院で診療を受けたと知り得たのは、私が写真を撮っていたから。門構えと洋風な窓が対照的だし、表札に内科医院の字がなければ、個人宅にしか見えませんものね。

あれっ、ここ新宿って地名なのね、と言うと地元の一人が、「シンシュク」と読むんだ、と教えてくれました。箱根駅伝のときの通過地点なんです。紙垂の付いた榊を持って、急ぎ足で歩いていた男性。信号待ちのときがシャッターチャンス!と同時に青に変わりました。本当は「新宿」を撮りたかったんですけどね。

 

小田原のお祭りも、昔のような活気はすでになく、映画館などがあった国際通り(左下)など、今は「シャッター通り」と呼ばれているとか。
国道一号沿いの小さな蒲鉾屋(右下)の前を通ったとき、地元の一人が、ここのは全部手作りで、結構美味しいんだよね、と言うので入ってみました。お勧めの商品が売り切れだったので、別の袋入りさつま揚げを自宅と土産用に購入。手頃な値段で美味しかったですが、とっくに食べちゃったから画像なし。佐倉蒲鉾店だったと思います。

   


ここは何の店だと思う?と聞かれ、雑貨屋かなぁ、と思ったけど・・

                 「本屋」さんでした!

「御感の藤」は小田原城址公園の南入口のところにあります。昔、大正天皇を感嘆させたということからこの名前がついたとのこと。花房が一メートルにもなるそうですが、枝振りのわりには華奢な印象を受けました。
   

   

お堀のむこうに見えるのは郷土文化館と別館の松永記念館。城内には他にも歴史見聞館や小田原城ミューゼ、報徳二宮神社、そして小田原城などがあり、見どころいっぱいです。約20年ほど前に家族全員で遊びに来たときは、小学校がまだこの城内にありました。木造二階建てが印象的な、今思えばレトロで実に格好いい学校でした。  

   全国的にも珍しく、その校舎が小田原城址二の丸にあったことで、
   歴史保存区域内での建設許可が下りなかった事から、1992年本町
   小学校との合併まで木造校舎(1928年新築)のままで利用されて
   いた。
(webより)

   

城内にあった小学校に通学するには「学橋」を渡ります。卒業生の一人曰く、
「学橋を毎日渡って登校していたけど、学んだって記憶はないなぁ・・・」
今になって、通った学校がお城の敷地内だったことを、たとえ学んだ記憶がなかろうと、少し誇らしく思えるのかもしれませんね。

学橋を渡ると二の丸広場。その先には歴史見聞館があり、そこが小学校講堂を利用したことを知りました。植え込みに咲いていた花は牡丹?とてもきれいだったのでパチリ。


     

バス停も、ういろう本店も、こんな風なんですけど、本当のお城(小田原城)は、以前行っているので今回はパス。


小田原を離れるその時まで、4人ずっと一緒だったので、地元の人しか知り得ない色々な話しを聞きながら散策することが出来ました。事前に調べておいたカフェとかなどには全く行ける気配ではなかったし(笑)言い出せなかったです!が、ひとあじ違った滞在のしかたは、滅多にあることではないので面白かったかも、と思いましょう。
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田原のお祭り

2010-05-08 | visit/drive
                          


小田原城址公園

ゴールデンウィーク中は、施設にいる義母のところにも行きました。たった今、話したことをを何回も繰り返し話すことにはすっかり慣れっこですが、私の実母以上の頻度です。そして訪れる都度、それに拍車がかかっています。まるで幼児が、瞬く間に成長すると同じような速さで物忘れが進んでいるみたい。話が尽きないほど話題豊富な方だったし、今までそれを何回も聞かされていたので、義母の記憶がしだいに曖昧になり、勘違いが増えてきているのがよくわかります。
義母は結婚後、小田原に住んでいたので、その頃の話題も多く出てくるのですが かなり記憶が混乱気味。そんなとき、「小田原で恒例のお祭りがあるので行って見ないか?」と夫が言いだしたのです。

家族揃っての旅行の予定が立てにくくなった昨今、二人で気ままに行動できる喜びに浸れるはずが、現実は すれ違いばっかり。というか、とっくに「子はかすがい」的な間柄なのを知らぬふりしている間に・・・その「かすがい」達が影を潜めはじめた今、(いや、息を潜め・・か?笑)二人の脳裏には、”こんな筈じゃなかった”数々の言葉に出せない思いが渦巻き、今更とは知りながら、理想のカタチを勝手に描いては現実とのギャップに愕然とし、前にも進めず後にも戻れずの状態。これって、熟年離婚の一歩手前の状態ですか?現実から目を少し逸らして優しい言葉を積み重ねるか、事実を直視してとことん話し合うべきかで、全く様相が変るんですね~。相手は自分の鏡だ、と感じてしまうことも多々あるし・・。やだ、こんな話しちゃって!

映画だろうとドライブだろうと、今まで ほぼ私が言い出しっぺでしたので、今回夫からの申し出に、即、乗ることにしました。
余計な事を書いちゃったので何のことだかわからなくなっちゃいますよね。前置きが長すぎてご免なさい。もう、すっ飛ばして見て下さるだけでいいですよ。

そんなわけで、二人東海道線アクティーに乗って、小田原のお祭りを見に行ってきました。

       
      

 駅を一歩外に出たところからもうお神輿ワッショイでしたが、私の見慣れたお祭りと違い、汗臭さを感じないクールで静かな大人の雰囲気が漂っているんです。城下町の歴史を感じさせる風というんでしょうか。お神輿を担ぎながら歌っているのですが、普通の歌ではないのでよく聞き取れない。隣で見ていた人が、「ほれ、あそこで歌っているのは甥っ子よ」といってシャッターを切っていましたが、お祭りの中心となる歌い手がどうも神輿をリードしているようです。
しかし、あ、と思った途端、神輿を担ぎながら、勢いよくこっちをめがけて走り出すのには吃驚。なんだ、なんだ、なんだ~、これって! おもしろ~い!

      

このお祭りは、小田原市内の4神社(松原神社・山王神社・大稲荷神社・居神神社)の例大祭とのことで、山車・御輿数十基が市内を静かに、時に勇いよく渡御。

この例大祭とは別に、前日は小田原市最大の観光イベント「北條五代祭り」が行われたので、あちこちでその白い旗が風に翻っていました。webで調べたところ、「総勢約1,800名の武者隊・音楽隊・まち衆隊の大パレードが市内を勇壮に練り歩きます。」とのこと。

私にとっては物珍しいお祭りだけど、夫には幼いときから慣れ親しんだものなので、とても懐かしそうに見ていました。市内には、彼の旧友が何人もいるので、年一回ほどは一人で遊びに行っていますが、お祭りという行事にぶつけて行くのはどの位ぶりでしょう。

     

 子供神輿が駅の左側の方に見えたので近寄ってみました。神輿という神輿はどれも店舗の前で横を向き、走りこみをしてお祝儀をもらうのが特徴のようです。お店の人から祝儀袋をゲットし、次はUターンして反対側の商店に向かいます。店の人も心得えたもので、ちゃんと用意して待っています。あとで夫の友人から聞いたのですが、売り上げよりご祝儀の額のが多いところはお店を閉めてしまうようです。なにせ神輿の数が数基ではなく数十基ですものね。

      
                          幸せの鈴
     

      

路地で見つけたこの壁画は、夫曰くチェコの画家が描いたそうです。
何でこんなところにあるかの説明が曖昧だったのでwebで調べたけどわかりませんでした。

 

街中のいたるところで神輿や山車とすれ違いました。駅や神社の周辺以外は閑散としていますが、見る人がいようがいなかろうが神輿は練り歩きます。

                        

ツツジのきれいな城址公園の桜並木の下を歩いていると長閑な気分になります。
ベンチに座って、洗濯バサミからネコを作っているおばさんに出くわし、一つ売ってもらい、手書きの型紙もあるよ、というので分けてもらいました。有料でした!私、作る気ですかね?

知らぬ間に夫の幼なじみが現れ、散策のお供兼案内役となり、思ってもない展開に。

昔住んでいた家の跡地前では、池があって鯉が泳いでいたんだよな、とか、神社の境内にある無縁仏の上によじ登ってよく遊んだよな、などなど、初めて聞く話はとても新鮮で愉快。年賀状や電話での取り次ぎ位でしか知らなかった方でしたし、近年はケータイ電話が主流になっているので、電話の取次ぎも少なくなり、夫でも子供でも、相手が話してくれないと何にもわからなくなりがちなご時世です。その上、夫婦の会話が少なくなると尚更のこと。

そのうち幼なじみがもう一人、手を振りながらやってきました。年の取り方はそれぞれの生き方が反映されるのかもしれないな~と思いながら、この三人が同い年なんだと思うとちょっと可笑しい。

結局 私は男三人の後を、あちこち写真撮りながら、慌てて後を追いかけるはめに。それも、最後まで!こんなの想定外でした~。 

 お喋りや お祭りの雰囲気を楽しむと同時に、街中の老舗の店構えなども楽しみました。

漁師町に本店を構えるかまぼこの老舗「籠清」、
お城のような
ういろう本店と「薬」という字が彫ってある看板が目を引く駅前の支店、
昼食を予定していた
だるま料理店
旧網問屋を観光案内所兼休憩所として開放している「小田原宿
なりわい交流館」、
江戸時代から続いている薬局「
済生堂小西薬局」、
駅前の「守谷」と並んで
あんぱんで有名な、大賞0年創業の「柳屋ベーカリー」などなど。

     

建物散策大好き人間としては、とても魅力的な街です。小西薬局前で、この提灯こそが
世に言う「小田原提灯」だ、と説明を受けました。


山車も立派で、格納庫?も立派ですね。夜になると提灯に明かりが灯り、更にお祭りらしくなる、とのことです。

     

もっとも荒くれの神輿は漁師町のそれだそうですが、漁師町にいる漁師の数も少なくなり、以前のような勢いはなくなっているようです。大工町のお神輿ともすれ違いましたが、もはや名前だけになっているとのこと。

まだまだ撮った写真を消化しきれないので、いつものように勝手に続きを投稿しますね。今更GWの話題が終わらないとは、トホホホ・・。

    

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池と山と美術館

2010-04-12 | visit/drive

春も半ばとなったのに、いったい本当の春らしい春はどうしちゃったのでしょう?ダウンやオーバーコート類を、「半額キャンペーン」に釣られてクリーニングに出した翌日から又、寒さがぶり返し、処分しようか、と思っていた上着を取り出して着たりしています。

上野に行った当日は、ほどよい陽気たったので、満開のピークを過ぎた桜でも、名残惜しんで楽しむお花見客や鳥たちは 見るからにウキウキ気分。

  

不忍池のほとりは何度も歩いたことがありますが、池の中央を長く伸びる桜並木の遊歩提を歩いたのは初めて。そこにたどり着くまでは神社や露店があったりで、それなりに面白かったです。トルコのケバブ、韓国のトッポッキの売り手がとても個性的!
まず、池に面した食事処でうどんを注文して腹ごしらえ。景色のよいところって、一般的に食事はたいした事ない、と友人が言っていたとおり。こんなに素敵な池のほとりなんだから、もっとシャレた店があっても良さそうなのに、ない!

不忍池の地形;中央に弁才天を祀る弁天島(中之島)を配し、遊歩のための堤で
       3つの部分に分かれている。一面が
で覆われる蓮池
       ボートを漕いで楽しむことのできるボート池、上野動物園の中に
       位置しカワウ
が繁殖している鵜の池の3つである。(Wikiより) 

 

 

お線香って、こんなに色とりどりでしたっけ?
ここ数年、ついていないことが多いので、一応弁天堂でお参りしました。
御釈迦さまだろうとイエスさまだろうと構わずに、お参りや祈りの場所があると、つい祈願してしまう私。これって不謹慎なのでしょうか。

 



池の衝立棒のてっぺんには、入れ替わり
立ち代り様々な種類の鳥が止りに来ては
ポーズを決めてくれますが、なかなかこ
っちを向いてくれない。そばのベンチに
坐っていたオジサングループの一人が、
よ~し、こっち向かしてやるからな、と
言って、持っていた食べ物を放り投げて
くれましたが、向くどころか、エサを目
がけて動き回るので難しかった~。




  鳥類:不忍池では渡り鳥、留鳥あわせて数十種類の鳥類が見られ多い時には
    1万羽を超えることもある。その中でも特に多いのが
キンクロハジロ
    
ホシハジロオナガガモである。(Wikiより)


 

 


 

 

 

 

 

     

美術館に行く前に、池の周辺でゆっくりしすぎました。長い階段を昇って歩いて行くと、散り始めたにもかかわらず、ブルーシートの上にお弁当などをセットし、宴会準備をしているグループもいました。外国人にとっては面白い光景なのでしょう。立ち止まって興味津々に覗き込んだり写真を撮ったりしていましたね。分別ゴミ箱もどんなにお洒落にしても、こんなにドデカイと、ブルーシート同様、景観を損ないます。各々が持ち帰って欲しいところです。が、自分が幹事だったらゴミ箱は有難い。勝手なものだ。

        
       


大噴水の先まで進み、芸大方面へ足をのばしました。そこでアートプラザを発見。芸大教職員等の作品を中心に書籍なども展示販売しており、くつろげる椅子もあったので、自販機でコーヒーを買い、ゆっくりといただきました。ショップには「東京芸大クッキー」なるものも販売されていましたよ。


奏楽堂の前にはすでに何人もが列をなしていたので、掲示板を見たら、あと一時間ほどで始まるようでした。そばにいた人も券があれば入りたいと言って、どこかに訊ねに行ったようです。私が歩き出すと、追いかけてきて親切にも当日券が買えるようだから聴いていきませんか、と言われました。聴きたいのは山々でしたが、そうすると絵を見る時間がかなり慌しくなりそうなので断念。

 

芸大奏楽堂の前の“芸術の散歩道”には、芸大生の卒業制作の作品が一年ごとに入れ替わり展示されています。今年度選ばれた4点の作品のうち二点だけ写真に収めました。

 
             石川直也「アメダマ傘」

 
               熊谷貴明「Sofa]  

  
        アデウス奏楽堂!またゆっくり来るからね。

   
     通りの向こう側は、重要文化財である 国立博物館の黒門  
         
 
   菜の花のすぐ手前では、森の住民?が数人で酒盛りをしていました。

国博の「春の庭園開放」が4月18日(日)までなので、本当はそっちにも寄りたかったのですが、着いたのが遅かった上、不忍池でゆっくりしすぎて10時~16時の開園時間に間に合いませんでした。

最後は、国立西洋美術館で開催中の「フランク・ブラングィン展」。すでに6時を回っていましたが、この日の開館時間は夜8時まで。夕食の支度が遅くても良い日って嬉しいな。展覧会については後日、或いはパスするかも、です。

母の記憶力が日々危うくて、一週間のうちの数日、
夕食を共にしてお泊まりしています。
ボケを少しでも食い止められますように。
                   

むこうにパソコンがあったらいいんですけどね。
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上野公園の春

2010-04-11 | visit/drive
上野不忍池でまず驚かされたのが、人慣れした鳥たちです。



★次のブログに追記しました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日比谷公園の紅葉

2009-12-01 | visit/drive



日曜日の午後、久々に母、姉と3人で日比谷公園まで行ってきました。

日比谷花壇がリニューアルオープンしたばかりで、建物の横でちょうど
TARO かまやつのミニコンサートが始まるところでした。そこで温かい紅茶を
頂き、手を温めるようにカップを握り、TAROさんがピアノを弾きながら
甘い声で歌う、ムッシュー作曲の歌などを聴いてきました。
彼って、サラリーマンシンガーソングライターだったのですね。
観客はといえば、ほぼ中高年!最前列に陣取った5人ほどが途中、
一斉に席を立って出て行ったりしたのは失礼だなぁ、と思いました。

最後にCDが用意されていたけど、相手は年配ですから、、皆が皆、
さっさと散って行ったのです。私もそんな一人でしたが、・・・。
(コンサート中の撮影は禁止でしたので、ありませ~ん。)



その日は一時と三時半の2回、先着400名(だったか?)にバラの
無料配布をしていましたが、行列に一時間も並ぶのは無理。
残念ですがタダより時間を選びました。
店内には一メートルもある薔薇とか巨大な薔薇の花など、珍しいものも
あり、ガラス張りの明るい店内は、見ているだけでウキウキ気分。

 

予期せぬミニコンサートを屋外で30分間も聴いていたら手足が冷えました。
早くあそこへ、と、園内にあるレストランへ直行。とは行かず、
あっちの紅葉、こっちの紅葉に目が奪われっぱなし。





有名なこの大銀杏だけはかなり落葉し、地面が分厚い黄色の絨毯と化していました。
そんな中で咲いている黄色のつわぶきの花は、可憐で清楚。
紅葉浴で目の保養をタップリしたあとは、松本楼でのティータイム。
というか、誰かさんはカレーオムライスなど、食事しちゃったりしていましたね~。
お隣りのテーブルと接近していたので、食事の画像もなしです。

屋内からも、色づく紅葉を堪能出来、近場もいいもんだ、と思ったことでした。

 
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巾着田の彼岸花

2009-09-21 | visit/drive

初めて巾着田に行き、満開の曼珠沙華を見てきました。
大渋滞に巻き込まれた最悪のドライブ日和!

家を10時半ごろ出たのですが、美女木JCTから関越自動車道に入る手前の
電光掲示板によると、鶴ヶ島まで110分かかるようではないですか。
どうしよう、と迷ったけど高速道路の役目を果たさない有料道路は
ご免被りますから、一般道路に下りてしまいました。
さぁ~ここからが大変。道を知らないし、ナビはないし
頼りになるのは道路地図だけ。私は運転手で、人間ナビは夫の役目。
東久留米、所沢、入間など、初めて通る道はどこも渋滞でのろのろ。
結局、目的地に着いた時は、家を出てから5時間以上たっていたんです!
もうぅ~っ、信じられないでしょう?

太陽が強烈にジリジリと差し込んでくるというのに、私は紫外線除けの
手袋を忘れるし、「こうなったらジタバタしてもしょうがないだろう」
と言って、隣でのんきに構えて好きなCDを引っかえ取っかえ聴いている
人はいるし、
反対車線はすでに帰る車が列をなしていたし、巾着田の駐車場は
西日を遮る木立が一つもなく埃っぽい上、車であふれていたし・・・。
つかれたぁ~

 

部分的にですが地面がすっかり干上がっていたハス畑?は、
駐車場からすぐのところにありました。

西日が当たり、朱色に輝く曼珠沙華

高麗川のほとりには、種が飛んだのでしょうか、
一本また一本と、散らばって咲いていました。

 



曼珠沙華の群生地を抜けると、コスモス畑が広がっていました。

 

腕は下手でも一応被写体を撮るときは、美しく見えるものに
狙いを定めて撮りますから、時にはその場所の雰囲気を正直に切り取る
ことにはならないんですよね。ただ綺麗に見える写真ばかりでは、
つまらないかな、と画像upしながら、思いました。



シルバーウィーク二日目は、疲れて散々な一日でしたが、
花に圧倒され、また癒され、帰る頃には私のご機嫌も
斜めからまっすぐに戻っていました。ただ、巾着田のほかに、
「新しき村」という所と、高坂の「彫刻通り」に寄るつもりだったのに
行けなかったのがとても心残りでした。

巾着田 のHPに、その名の由来などが書かれています。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今夏の家族ドライブは・・

2009-08-16 | visit/drive



初めて経験するボーナスなしの夏休み!
それなのに普段より4日も長い盆休でした。
つまり
仕事が暇なので、休みにしちゃえ~ってことなんです。
昨年のリーマンショック以来、どの企業も大変なようですが、
ウチでもその影響をモロに受けています。

息子の方はというと、リーマンショックとは無関係な職種ですが、
仕事の関係上、お盆の時期でも特にまとまった休みがないので、
家族バラバラのスケジュールを調整しても、
4人揃って行けるのは日帰りドライブが精一杯でした。

家族で出かけた先は、
三年前に子供抜きで行ったことのある、武蔵五日市の「黒茶屋」。
当日は真夏日和だったので、すぐ下を流れている秋川では、
親子連れやカップルが水遊びに興じていたし、川岸近くに
テントを張ってバーベキューをしている人たちもいました。
「水着を持って来れば良かった!」と、娘は盛んに悔しがっていました。





黒茶屋の広い敷地内には、以前のブログにも書いたように、お土産処
などが点在しています。そこの窓からの眺めも又、素晴らしいんです。
お昼の予約の時間が来るまで、庭を散策したり、ショップを
覗いたり、川のほとりまで降りて行ったりしていました。

 

泳いでいる鮎を、水槽から出してその場で焼いて売っている傍らで、
おやきやブルーベリーも売っていたので、帰りに受け取れるよう、
ブルーベリーのお取り置きをお願いしました。


今回案内されたのは、庭の緑がガラス入りの障子から見える、
畳敷きの個室でした。畳の和室ですが座卓でなく、椅子とテーブル席
なのです。個室って周りの人を見回せないので詰まらないのですが、
家族で遠慮なく馬鹿を言えるところがいいですね。

炉端焼きの魚は鮎と、もう一種類なんだっけ・・。絶対忘れるから
メモッたのに、どこにメモったか忘れちゃうんだから、もう!
娘と息子は魚と鶏のミックスを選びました。
御献立

 
 

滅多に外食しないわが家ですが、いくらボーナスなしといえども、
思い出に残る、印象的な一日を子供たちに残したいと思うのですよね。
お会計の時の時刻はご覧のとおり。

 このあと、同敷地内を再度散歩。子がお土産を買っているあいだ、
下のようなお休み処でゆっくりしたりして・・・

  

揃ったところで別棟のカフェに入りました。木の温もりがうれしい
私好みのカフェ。黒茶屋はいつ来ても期待を裏切らないところです。
って、まだ3回目ですけどね。

 

 

これで一日が終わったわけではありません。
ここからは運転を息子にバトンタッチ。

時間が予定より遅くなり焦りましたが、このあいだ夫とお墓参りの
帰りに寄った、青梅の澤乃井園などのある多摩川沿いを再度ドライブしました。
娘たちに見せたかったのです。


 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めての岡山・広島 その4

2009-06-29 | visit/drive

明治22年に倉敷紡績の最初の工場が建設された場所を再開発したのが「倉敷アイビースクエア」。
小樽や函館もそうですが、昔の工場や倉庫の跡地がその土地の観光に再利用されているケースがよくあるので、そういったものなんだろう、と、少し興味がありました。外見はご覧のように蔦がびっしり絡まり、赤れんがが目立たないほど。初夏ならでは、ですね。この建物はアイビー学館という名称です。ほかの建物はホテルとして利用されているほか、倉紡記念館、児島虎次郎記念館、オルゴールミュゼなどとして利用されています。どう見ても新しい観光名所然としており、それぞれに入館料が必要なので、ちょっと見だけは出来ないのがつまらない。倉紡記念館ぐらいは見たかったのですが、友人がちっとも興味を示さないのでパス。敷地内に「これって何かしら?」と思うような《作品》が点在していました。岡山県立大学のテキスタイルデザインコースによる作品展「Gate to TEXTILE~テキスタイルがつくりだすアート空間へ~」の最終日のようでした。作品があたかもこの敷地内の一部のように、しっくり溶け込んでいるのが見事だと思いました。

  
                                       

倉敷では、町の散策とお勧めカフェのほか、倉敷美術館とここを見ればいいか、と思っていた倉敷民芸館。
ここは江戸時代後期に建てられた米倉を活用して昭和23年に開館。駒場にある日本民芸館に次ぐ、日本で2番目に出来た民芸館だそうです。所蔵品は陶磁器、ガラス、染織品、木工品など、一万点以上。その殆どが、初代館長の外村吉之介氏が蒐集したものとのこと。

門をくぐってすぐの所に飾られた下のような展示品を、地面に這いつくばって撮りました。

            
        
                    

右上の「いろりの部屋」では、床の間の手織の掛け物を真下から見上げるように撮ろうと近寄り、畳に寝そべった途端、「中に入らないで下さい!」の音声が何処かから聞こえてきて、慌ててしまいました。私のその醜態を、防犯カメラがばっちり捉えたのかしら?恥ずかしい~~!決して中には入らなかったのに、カメラの位置により、入ったかのようにみえたのかな。

    
   

倉敷ガラスや焼き物、織物に民芸家具など、使われてこそ美しい民芸品の数々は、いつ見ても飽きません。旅行記念にグラスのひとつ位は買うつもりでしたが、値段をみて止めました。我が家は飾り棚がないし、普段使いに相応しい気軽なモノでなくては、このご時世、わたしゃ~魅力を感じません。(これって、私にとって、ということで、人によっては安い、と感じるかもしれません。その程度です。)
どこからか心地よい音楽が聴こえてきました。階下を覗くと、そこはオカリナ教室として使われているではありませんか。地元の主婦の方でしょうか、美しい先生の指導のもと、練習に励んでおりました。展示室を利用した音楽教室で学べるだなんて素敵!

民芸館のパンフレットに、こんなことがかかれていました。

品物は一つ一つが単語である。
単語は連なって散文となり、選ばれ、整えられて詩となる。

陳列は品物による詩である。
陳列は一つの美の創造である。

倉敷民芸館の陳列は単なる地域別、時代別、用途別の陳列ではなく、選ばれた美しい品物が唱和し、建物にこだまする詩歌である。

(外村吉之介初代館長)

     


民芸館を出てから、その先の高砂橋まで行って、そこでUターンして反対側を川沿いに歩くつもりでしたが、友人に「私は例の珈琲館で待っているから、一人で歩いてきて。」と言われました。疲れが足に来たようです。「じゃ、あとでね。なるべく早く戻るからね。」と、そこからは一人でのプチ散策となりました。

 
友人が一人カフェしているので、散策も普段より急ぎ足になります。郷土玩具館は、奥に入ると入館料が必要なのでパス。橋を渡ったところには吉備団子で有名な廣榮堂本店がありましたが、駅の近くでも見つけていたので、帰り際にそっちでお土産を買おうとパス。(中を覗きたかったけど・・)
大きなキャンバスを立てかけて絵を描いているおじさんが一人。
とても上手い!おじさん、なんて言っちゃったけど、プロだったらどうしよう・・?


    
     
    
 
倉敷川沿いのお店はどこも観光化されているので、友人はそれが嫌いなので見たくなかったのかも。でも私は一応、これは、という店は、せっかく来たのだから見たくなります。
絵を描いているおじさんがもう一人。どなたかと、ご自分の画集を見せながらお話しをなさっていたので、私も写真を撮らせてください、と言いながら覗き込みました。 どのスケッチも上手で軽く水彩で着色。今、スケッチしているも撮らせていただいちゃいました。


昼下がりの、本当に気持ちの良い川べりで、ゆっくり佇む人びと。川舟が観光客を乗せて行き来していますが、人出が多くないので長閑な風物詩のようです。
ハトまで日陰で涼をとっていますよ。

                 
               

 きっと、待ちくたびれているだろうな、と、友人の待つカフェへ向かいました。

       

案の定、彼女は手持ち無沙汰でカウンター席にいました。私たちが昼食をした旅館の娘さんが始めたカフェなのだけど、と話し、ウン十年前に来た時と様子が違う、と、少し落胆気味。オーナーチェンジかもしれません。それでも珈琲館のコーヒーのお味は最高でした!

      
 
最後に中橋を又向かい側に渡り、今は観光案内所になっている「倉敷館」に寄ってみました。
(上の画像は倉敷館の窓からの眺め)

1917(大正6)年に倉敷町役場として建てられた洋風木造建築。現在は観光案内所として観光ガイドや宿泊施設の紹介を行うほか、無料休憩所として自動販売機やコインロッカー、トイレを備えています。観光の起点や情報収集に便利なスポットです。建物は、国登録有形文化財に指定されています。(倉敷観光webより)

中はガランとして勿体ない使い方だな、と感じましたが、軽井沢でも古い洋館が同じように使われていたことを思い出しました。

ここから駅方面へと少し歩いていくと、古い町並みの一角に、えっ、と驚くような黒板を見つけました。株式の相場などが綺麗に手書きされているんです。地元の北田証券ということが判明。 郷土色豊かな証券会社ですよね。ふむふむ・・とじっくり読みたかったけど、さっさと先を歩く友ありき。立ち止まっては走り、の繰り返しなり。

最後に一つだけでいいから公開されている旧家を見たい、と、主張し、大橋家住宅を見学することに。自分はいいから、と、友人は入り口のところで待っていました。ここでも入館料が必要ですが、払ってまで見たくない人もいるのです。

大原家と同じく倉敷の財閥、大橋家が1796(寛政8)年に建てた建物です。
倉敷の代表的な町家のひとつで、長屋門や倉敷窓・倉敷格子などを備えた往時の商家の姿を現在に残す重厚な造りが印象的。国の重要文化財にも指定されています。(webより)

     

こんなかまどを見ていると、ふと、「おしん」を思い出してしまいます。どれだけの使用人を使っていたのでしょうね。炊き上がったご飯からの湯気が、女中たちが慌しく立ち回っている姿が、なんだか、見えてきそう。中庭からはホテル日航倉敷の高層ビルが聳え立ち、江戸時代と平成が一挙に現れた風。

友人を待たせているのでパッパ、と見て玄関にもどると、彼女は受付の男性と、この町について色々よもやま話をしていました。


それから倉敷銘菓を買って、岡山駅まで行き、そこで夕食用のお弁当を買ってから、6時台の新幹線に乗り込み、幼馴染との一泊旅行が無事おわりました。旅行のしかたはいろいろでも、言いたいことをお互いが言える仲だし、気心が分かっているぶん、なんのわだかまりも生じません。

楽しかった一泊旅行に長々とお付き合いいただき有難うございました。PCの調子が超トロくて最悪状態でしたし、目によくないので、長文ブログ(写真が多いだけ、か。)は控えようと思っています。(本当!?)

画像で申し訳ありませんが、お土産の「むらすずめ」をどうぞ!
日本橋のデパートでも売っているよ、と、言われちゃいましたが、写真を撮りたい時はお腹に収まっていましたので、その日本橋のデパートの、何かの冊子に載っていた、橘香堂の「むらすずめ」の画像を使わせていただきました。

            

         

  

Comments (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めての岡山・広島 その3

2009-06-24 | visit/drive



二日目は前日同様、お天気に恵まれすぎ、真夏の陽気でした。
駅ビル内のヴィドフランスで焼きたてのパンとサラダ、コーヒーで朝食を済ませ、バスに乗って岡山後楽園へと向かいました。平日の朝なので訪れる人の姿も数えるほどで、ほぼ独占状態。敷地に入ってすぐの所にある清水多嘉示氏作の「みどりのリズム」像は、江戸時代を代表する静なる「大名庭園」とは対照的で、軽やかな躍動感溢れています。
これと同じものが大阪や上野公園など、日本のあちこちにあるようです。

         
      
↑藩主が後楽園にきたときの居間として使われた「延養亭」は、後楽園の中心的建物
            

     
      ↑園内で一番大きい「沢の池」 その彼方に見えるのが岡山城 
          

       
                     ノウゼンカズラ 

       

約4万坪の園内には広い範囲で野芝が使われています。その為、とても見通しがよく広々した印象を受けます。こうして朝から庭師が入って日々手入れを行っているのですね。欠伸が出るほど(失礼!)のどかで静か~。園内に幾つかある茶屋を通る度に、いらっしゃ~い、美味しいお茶はいかがですかぁ~と声をかけられますが、朝食後なのでどれもパス。今朝5時ごろから、一人がゴソゴソと起き出したので少し寝不足気味でした。
朝寝坊の宵っ張りと早寝早起きのコンビだったようで・・!
     

         
           

「花葉の池」では白く小ぶりの可憐なハスの花が咲いていました。
正門から、時計回りでざっと一回りしてから鶴舎に寄り、ここで飼育されているタンチョウをケージ越しに見て来ました。お正月には数羽が放鳥されるそうです。タンチョウの研究員が訓練させるようですが、鳥類とコミュニケーション出来る人たちってなんだか素敵だな~。

後楽園でのんびりした後、ホテルをチェックアウトし、一路 倉敷へ。

倉敷を訪れる事は長年の夢でした。下車した駅の周辺からは例の古い街並みは一つも見えません。友人は数十年前の若かりしころ、一度この町を訪れているのですが、どうも方向音痴のようで危なっかしい。なので一緒に地図を見ながら歩いて行くと、倉敷川が、そして左右を町屋や土蔵の建物が並ぶ有名な美観地区が目の前にパッと現れ、思わず歓声を挙げていました。

      

まずはそこからすぐ右側にある、建物全体が蔦で覆われたカフェ エル・グレコに入る事に。友人お勧めのカフェのうちの一つでしたが、その佇まいを見ただけで心が躍りドキドキしてドアを開けました。

         
         

高い天井にどっしりと大きなテーブルの置かれた店内は当初から変わらないようです。どのテーブルにも、朝、野山から摘んできたばかりにみえるフレッシュなお花たちが飾られ、来客の目をさらに楽しませてくれます。 

   

この店の由来はHPに書いてありますが、やはり大原家が関わっていたのですね。大原美術館の設立者が、小作農地の管理、経営のための管理会社を設立し、その事務所として使用されていたとのことです。
入口右手の小部屋にはオーナーが趣味で集めたアクセサリーやガラスなど、古い小ものが置いてあり、値札も付いていました。下のガラスのようなボタンのようなものは何でしょうね?

      

もっともっと、ゆっくりカフェの中で過したかったのですが、あと何時間かで岡山駅に戻らなきゃ、という考えが常にあるので、早々に腰を上げ移動。次の目的場所である、お隣りの大原美術館へ移動しました。川向いには旧大原邸があり、大原家がどれほど大財閥だったか、調べなくても想像できます。

     

日本最初の西洋美術中心の私立美術館は地元の事業家、大原孫三郎氏が画家児島虎次郎を記念して昭和5年に設立。そのコレクションは実に素晴らしいものでした。HP内のweb展示室で作品の一部をご覧になれますよ。

       
        エル・グレコ 「受胎告知」     モディリアーニ 「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」

       
                    分館の前庭に立つ ロダンの「歩く人}

館内は中庭をはさんで本館、分館、東洋観・工芸館と、3つの建物から成り立っており、広くて実に見応えがあります。じっくり見ようものなら時間がかかりそうなので、ほどほどのスピードで見て回ったのですが、ひろしま美術館の絵画とごっちゃになりそう!ナビ派のエドゥワール・ヴュイヤールという画家に興味を持てたし、大好きなウジェーヌ・カリエールの絵を、一枚だけですが見つけました。工芸館も泥臭い空間がよかった。友人は図録を購入していましたが、私は上のエル・グレコの絵はがき一枚だけを求めました。
 
やっとお昼ごはんの時間で~す。場所は友人が昔、宿泊したという旅館くらしき内のレストランで、花咲き海鮮寿司をいただきました。岡山名物ままかり(サッパというニシン科の魚)も入っているし、何よりお手頃価格のお手軽ランチです。

旅館は以前のイメージとだいぶ違っていたようで、レストランなどなかったし、旅館としての入口がもっと広かった、など、遠い記憶を辿りながら、その変化と自分の記憶とを比べていました。

 



窓の外は中庭に面してよく手入れされていますし、レストラン奥の部屋から外にも出れるんです。

食後は倉敷アイビースクエア方面へ向かって散策。裏通りの古い旅館や町屋の並びも良い感じ。

  

 あと一回続きます

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めての岡山・広島 その2

2009-06-22 | visit/drive


和記念公園発宮島行きの船のことは、前もって知っていたのではなく、市電で出会った例の方からお聞きした情報でした。値段は割高だけど気持ちいいですよ、と。
それよりも嬉しかったのは、駅まで引き返すことなく、時間に余裕があれば行きたい、と思っていた宮島へ直行出来たということ。「あのかた」の仰ったように、水しぶきを感じながらの快適な45分間の船旅でした。と言っても、パッとしない、と言ったほうがぴったりの小さな船の窓から、やっとこさ見えた水しぶきでしたけど。

代より神の島として崇められてきたという宮島に到着です。
桟橋だけをみると、何の変哲もないのですが、ここは松島、天橋立と並んで日本三景の一つなのです。宮島の予備知識はそれ位でしたが、意外なお出迎えがありました!

愛いのでおいでおいでをしたら近寄ってきて、いきなり手に持っていた(宮島の地図の書かれた)一枚の紙をムシャムシャと食べ始めたんです。びっくりしてすぐに取り返しましたがゲンコツ大ほどはかじられました!お腹が空いているのかしら。それにしてもあちこち鹿だらけ。で、地面をよく見るとコロコロした糞がいっぱい。

   

ッソ~フンじゃったかな・・。車道を堂々とゆっくりと歩いているので車に轢かれないか心配でしたが、そういえば走っている車、全然見かけなかったな。気付かなかっただけかしら。
しばらく行くと厳島神社のシンボル、朱塗りの大鳥居が見えてきました。写真でなくて本物です!満潮時には海中に浮かんだように立ち、引き潮時は砂浜に立つという大鳥居。ちょうど4時過ぎごろでしたか、海中に立ち、優美な姿を見せてくれました。同時に、潮の満ち加減によって海に沈むモンサンミッシェルのバス発着所を思い出しました。


        

        

島神社は神殿造りの技の極意、といわれるだけあり、海に面したそのスケールの大きさを目の当たりにして、いにしえの優雅な平安朝の面影が凝縮して浮かんでくるようでした。集合写真を撮るのに整列している子供たちを背景に、私たちも一人ずつ写真の撮りっこをしましたよ。

  

古元年(593年)に創建されたといわれ、仁安3年(1168年)平清盛により現在のように造営されたという厳島神社。鮮やかな朱塗りと檜皮葺きの荘厳な屋根、そしていくつもの建造物が延長108間にもおよぶ回廊や橋でつながれ、満潮時には海側から見ると、海面に浮かぶ幻想的な平安の宮廷世界を垣間見るような風情のようです。

朱印をいただくとき、値段が表示されてなく、お志でけっこうです、と言われ困った!いつもなら窓口に300円とか書かれているのに、志となると300円はケチくさいかな、それとも気持ちだけでいいなら100円でもいいのかな、と一瞬あたまの中を忙しくセコい考えが一巡。財布をのぞくと小銭がなく、千円を渡して、じゃ500円でお願いします、と言っている私。
ハハハ・・・人の目の前で「お気持ち」を手渡すのって、即行だし焦りますね。
若い方が書いたのでしょうか、こんなの比べてしまいました。

くいただいたのでこれを差し上げます・・・と、しゃもじを頂いちゃいましたけど!宮島ってしゃもじが有名だと、その時、知りました。桟橋から神社に来る途中の表参道商店街内に、そう言えば長さ7.7mの大杓字が展示されていましたっけ。そのとき友人と言い合ったのです、「ウチではしゃもじって言わず、ヘラっていうけど!」「ヘラなんて言わないわよ、しゃもじよ!」「じゃぁ、西がしゃもじで、東はヘラじゃない?」と、両親が名古屋出身だった東京人の友人にさらに迫りましたが、結論は出ませんでした。帰ってきて辞書をみると、しゃもじの方に、ご飯(及び汁物)をよそうときに使うもの、と書いてあるではないですか。ヘラって、わが家(私)だけの言い方だったのかしら?

 宮島杓子の由来
  寛政の頃
(1800年頃)、神泉寺の僧に慈悲深き誓真という人がおりました。
  ある夜弁財天の夢を見て、その琵琶の形の美しい線から杓子を考察し
  御山の神木をもって作る
ことを島の人々に教えました。この神木の杓子で
  御飯をいただけば、ご神徳を蒙り福運を招くという誓真上人の高徳と共に、
  宮島杓子の名声は世に広く宣伝されています。なお現在では、その伝統を
  生かして、各種の調理杓子・お玉杓子などが考察されています。
 


    
   
りに建っている国重文の五重塔も千畳閣も、時間が過ぎていたので入れませんでした。名所旧跡を見るには時間を気にしなくてはならないんですよね。厳島神社へは東回廊から入りましたが、帰りは西回廊からとなっています。そこを出た所が、日本三大弁財天として有名な(神奈川県の江ノ島と、滋賀県の竹生島とここ)真言宗の古刹、大願寺だったので寄り、御参りしました。この日は朝から「厳島弁財天大祭」が行われていたようです。男衆たちが縁側で休んでいました。夜には宴会でもあるのでしょう。
のあと私としては、町屋通りなどをもっともっと歩きたかったのですが、そこが一人旅と違うところ。お互いのやりたいことを上手く譲り合わなくてはね。もしかしたら彼女の方は、足が疲れていたのかもしれません。あるいは夕食の時間を計算にいれていたのかもしれません。で、相棒の希望通り、桟橋に向かうことにしました。

        
      
       
      
       
  
 
ようなら、宮島! 短い時間でしたが、次回があるとすれば自然歩道を歩き、島中を散策したいです。帰りは行きとは異なり、宮島口行きのフェリーに乗り約10分で対岸の宮島口桟橋に到着。

 
食は、宮島口駅前にある「うえの」で穴子飯を食べよう、ということになっていたので直行したのですが、この日に限って食堂は6時まででした。しかたなく穴子飯弁当を二つ注文し、岡山までの山陰本線の車内で食すことに。店内にいろいろなものが置いてあるので興味津々で写真に収めました。時計だと思ってよく見ると、中に昔のタバコのパッケージがはいっていたり、へんてこな手作り品があったり・・・。面白~い!



  
  
たちがお店を出たときには、もう店の暖簾は取り外されていたのですよ。
なんてラッキーなんでしょう!明治34年創業以来、一世紀に渡って先代から守り継がれた味を提供している老舗というだけあり、とても美味しかったです。

 

山に到着し、やっとホテルでチェックイン。「安いチケットだから部屋もそれなりかしら?それとも良い部屋を用意してくれるのかしらぁ?」と、カウンターで友人が聞こえよがしに喋ったら、1000円プラスすれば高層階のエグゼクティブツインをご用意できます、というので、そうしました。なかなか快適な広々した部屋に大喜びの二人。
      さぁ明日は倉敷です。

 

Comments (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする