幼なじみと行く、初めての一泊旅行。
来月 彼女に初孫が生まれる予定なので、その前に一緒に旅行にいかない?と声を掛けてくれたのです。
東京駅のJR東海に二人して申し込みにいったら、希望していたプランより更にお安い「期間限定!サプライズプラン」を見つけ、それに決めました。
岡山まで一泊限定、往復新幹線+ホテルで2.3万円。朝食なしですが、それでも激安でしょ?
どれだけ久しぶりの新幹線でしょう!結婚して以来、家族旅行ならありますが、友人とお泊まりをするなんてこと、いままであり得ないことでした。・・・と、記憶をさまよい、本当かどうか考えましたが、今までのブログ記事でも確かなかったですよね?(汗)
宿泊には岡山駅から直結の、利便性のあるホテルを選びましたが、岡山を下車せず、差額を車内で支払って広島まで行ってしまいました。生まれて初めて訪れる中国地方です。そうそう次回は期待できないので欲張りました。
広島では市電に乗り、まず「ひろしま美術館」へ向かいましたが、市電の中で、さも観光客然の会話をしていたら、隣りに居合わせた素敵な男性が、そこに行くには幾つ目の駅を下車するといいですよ、と話しかけてくれたのです。そこで色々お喋りしているなかで私たちの観光目的を尋ねられました。市の観光課の方のようでした!ひろしま美術館と、原爆ドーム、広島平和記念資料館、お好み焼き、そして時間が許せば厳島神社まで行く事を話しましたら、それは良い選択だと頷いておられました。イケメンって言葉を使いたくない雰囲気をもつ男性と、まさかの会話ができ、挨拶をして紙屋町(かみやちょう)西で下車。
昭和53年に開館したひろしま美術館は広島県庁やリーガロイヤルホテルなどのある広々した通りに面している、気持ちの良い美術館でした。開館年に創立100年を迎えた広島銀行が地域とともに歩んだ歴史の記念事業として設立したものだそうです。
ちょうど「絵画と写真の交差~印象派誕生の軌跡~」開催中で、絵画と写真の深い関わりを実際の作品を通して紹介、展示されてあり、興味深いものでした。
フランスで公式に写真術が公表されてから30年後に生まれた印象派にとって、写真が絵を描く基となっていたことがよくわかります。作品をみていて写真と絵画との差が微妙に感じられるのは、そのころの写真技術によるものなのでしょう。クールベも、モネも、写真をメディアとして利用していたのでしょうか。
エミリオ・グレコ「ラウラ」 舟越保武「りんどう」 清水多嘉示「さわやか」
敷地中央の白いドーム型の建物が常設展会場で、4つの展示室から成り立っています。人がぼつぼつとしかいないので、心置きなく鑑賞できました。内容も充実し、存分に楽しめる美術館でした。第二展示室にある、ゴッホの「ドービニーの庭」がここの目玉でしょうか。美術館のパンフレットにも使われているんです。ピカソの「酒場の二人の女」やモネの「セーヌ川の朝」など沢山良い絵がありました。美術館のHPの中でも色々とご覧になれますよ!
オディロン・ルドンの「ペガサス、岩上の馬」 (第二展示室)
美術館から、歩いて「みっちゃん」というお好み焼き屋へ行きました。お好み焼きのお店だけは、前日ネットで検索して3店舗をメモして来ましたが、その中で美術館に最も近いのがここだったのです。派手な店構えにびっくり!どう見てもbiancaなら遠慮するタイプの店なのですが、友人は「お好み焼きやってみんなこんな風なのよ!」と、私を、さも呆れたという目で見るではないですか。広島焼きは中にやきそばが入っているんですね。野菜もたっぷりで、お腹が空いていたとは言え、とっても美味しかったです!食べ切れない程大きい、と思っていたけど、残さずいただきました。
今度は八丁堀から市電で原爆ドーム前に向かいました。とうとうやって来ました。人類史上、初めて原子爆弾が落とされたことを、言葉なくその姿を通して語り続けているドーム前に!2009-1945=64年の歳月が流れ、初めて目にする痛ましいドームのすがたに、悲惨な歴史の重要な原告を見る思いでした。投下目標だった広島、小倉、新潟、長崎の各都市の中で唯一、連合国軍の捕虜収容所がないと思い、第一目標地にされてしまった広島。この原爆ドームの元は広島県産業奨励館だったとのこと。
学徒動員慰霊塔の下部には円鍔勝三(えんつばかつぞう)作の平和の女神像と無数の千羽鶴の束が。
被爆当日、市内で建物疎開作業を行っていた国民学校高等科以上の生徒約8,400人のうち、約6,300人が犠牲となり、また市内の各事業所に出ていた多くの学徒も犠牲者となったそうです。(webより)
元安川沿いに少し歩き、元安橋を渡ったところが平和記念公園です。遠足や修学旅行で訪れている学生たちが多く、外国人の若者の姿も目だちました。
禎子さんがモデルの「原爆の子」像 原爆死没者慰霊碑
慰霊碑の前で祈りを捧げ、広島平和記念資料館を見学。当時の惨たらしい写真や遺品の数々、8時15分を指したままの時計、闘病生活の中で回復を祈りながら折り続けた禎子さんの折鶴などなど、どれもが強烈な平和へのメッセージとなって見るものの心を揺さぶります。市民ボランティアと見られる方が、一枚の写真の前で熱っぽく怒りをこめて語っていたのがとても印象に残りました。
もっとゆっくり見学したかったのですが、平和公園から「広島世界遺産航路」を利用して宮島まで渡る出航時刻が迫っていたので、又、元安橋のたもとにある乗り場まで戻りました。
原爆ドームを通り過ぎ、一路宮島へ。(続く)