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ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

東京ビッグサイトへ

2010-09-10 | visit/drive

ビッグサイトで開催中のイベントに行って来ました。
長かった猛暑から、土砂降りの日を境に一気に秋の気配が感じられる日でしたが、日中はそれでもまだ暑い。ビッグサイトって、電車でも車でも、どちらで行こうと会場までテクテク歩かなきゃならないんですよね。歩く人の身になって建てていない、と同行者に文句を言いながら会場に向かいました。

東展示棟の奥の駐車場を利用しましたが、その前は海。遠くに見える建設中の橋は臨海大橋です。来年開通予定のようですが、第二湾岸としてわが市まで繋がるようになるのでしょうか?早く繋がってくれないと、加齢で更に視力も衰え、運転出来なくなるんですけどね~。

この日はグルメ&ダイニングスタイルショーとギフトショーが目当てでしたが、バイヤーなど、その職種の関係者が多いなかで、私は一体何しに来たんだろう~?って気分にさせられました。

それでもグルメ会場では色々試食・試飲したり、開発中の食品もあったりと、それなりに面白かったです。祖父江町の銀杏コロッケ、土佐の鰹カツとか、青森のリンゴサブレー、山形の柿酢など、いったいどれほど試食したかしら?圧巻だったのは日本全国美酒鑑評会での日本酒の試飲でした!ずらりと並んだ日本酒(冷酒、お燗、個性派の3部門)の中から選んで付属のスポイトで吸い上げ、カップに入れて試飲します。人気のお酒(というか値段の高いもの)はスポイトの先がお酒に届かない。試飲後に用紙に書き込んで鑑評するわけですが、飲み逃げしました。(笑)あ、車で来たんだっけ。きゃっ!と思ったけどあとの祭り。まぁ、何時間もいたから問題なかったけど。
会場は撮影禁止となっていましたが、写真を撮らないとこんなに忘れるもんだ、と、自分の記憶力低下にショックを覚えました。そんな中でも、金平糖入りのカラフルなジェムシュガーが、なぜかとても印象に残りました。私、コーヒーはシュガーレスなんですけどね。

次はギフトショーの会場へ。私がショップを持つとしたら、を頭に描きながら、バイヤーになったつもりで見ている自分。だって会場内ではすぐに、小売店のかたですか?など訊ねられるんですもの。晴海が見本市の会場として使われていた時代から、時々親と一緒に来ていました。こういう場所、好きな方なんですね、きっと。
上代の〇〇掛けで・・など、あちこちから聞こえ、ますますバイヤー気分。お店やさん(ごっこ)、楽しいぃ~!って小学生じゃあるまいし。雑貨、アンティーク風、ハワイアン、玩具、アクセサリー、布、クラフトなど、試作品も含めてみれるのが見本市の楽しさかもしれません。試作のものはアンケートなど書くと何かもらえたり、でしたけど、思考錯誤しながら新商品を創り出しているんだな~、と、良くわかりました。

10日が最終日となりますが・・・もうその日になってしまいました!

会場が広く、東棟を見るだけで精一杯。西棟まで足をのばせませんでした。歩き疲れて筋肉痛に・・。いや、まてよ、そんなわけないよね、と良く考えた結果、前日の体操が原因だ、と気が付きました。
暑すぎた夏の日々、家にいる事が多く運動不足=体重増加、だったのでラジオ体操でもやってみようか、と12時のNHK第二のラジオ放送に併せて体を動かしたからのようでした。ラジオ体操で筋肉痛だなんて恥ずかしすぎですね。けど、少し続けてみようかな。恐怖の「食欲の秋」到来ですもん。

 


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棚田と海と夕焼け空

2010-08-31 | visit/drive

鴨川市にある大山千枚田
日本の棚田百選の一つで、東京から一番近い棚田に行って来ました。
木更津南から一時間、と書いてあったので、山道を進むに連れ、
今か今かとその光景の出現が待ち通しくてたまりませんでした。
棚田が目の前に広がった時は、その美しさに感激!

 急な斜面に田んぼが階段状に連なっている棚田。
ここでは大小375枚の田んぼが4ヘクタールの農地に広がっています。
日本で唯一雨水のみで耕作を行っている天水田だそうです。
道路と田の境には、色々なキャラクターの案山子が勢ぞろい。
下のカカシは「でか女」ですって。



この日は「酒作りオーナー」の田んぼで稲刈りが行われたのですが、
棚田に到着したとき、ちょうど作業が終わって引き上げてくる所でした。
会費を払ってオーナーになると、オリジナル純米酒1.8ℓを3本貰えたり、
各作業やイベントに参加出来るとのこと。日本酒大好きだから、オーナーに
なれたらいいな~と思いました。が、棚田オーナーの応募資格の一つが
「たんぼへ足を入れて稲を作る意欲があること」。これって
基本中の基本でしょうけど、ミミズなどが怖い人はダメかなぁ。

「棚田倶楽部」の建物内では地元の農家の方が、野菜や漬物を
販売していました。イベントのあるときなどに店を出すそうです。
ミニトマトとナスのピリカラ粕漬けなどを購入しました。

次に向かったのは、ここから近い「鴨川自然王国」。加藤登紀子さんの夫、
故・藤本敏夫氏が築き、今は農事組合法人鴨川自然王国が主体となって
運営する多目的農場です。 狭い山道を上へと走って行きましたが、
凸凹道の上、脇に溝があるので、そこに車輪がはまらないか怖かったです。

田畑を進んだ奥に藤本敏夫記念館があり、その中のCafeで一息つきました。
外のテラス席が気持ち良さそうでしたが、ギンギラ太陽がパラソルでは
さえぎれないほど強烈なので室内で。記念館では蔵書と資料、写真などが
展示され、手に取って見れます。カフェには次女で歌手のYaeさんの
CDが飾ってありましたが、共に王国運営に携わっているのですね。
登紀子さんもたまに見えるそうですが、年に二回、この場所で
あわのわコミュニティーカフェ&マーケットというイベントが行われ、
そのときに他の人と共に歌うようです。今年は9月23日とのこと。

 

庭の木に紐で括られただけのブランコに乗ると、自分の別荘に居る気分。
不便な場所だからこそ、自然がまるまる手に入るんですね。

次に向かったのはもちろん海。鴨川の海です。



夏休み最後の日曜日の海はこんなでした。



~~~ 青くて広~い海と空 ~~~
どこまでも伸びるヒコーキ雲。この上を、サーカスのように
綱渡りの名人が歩いたら面白いのにな。

お昼もとっくに過ぎたけど、一応鴨川の町なかをドライブし、あの有名な病院の
場所を確認しました。海のまん前に建つ、カラフルで明るい建物を見て、
一瞬ドモギを抜かれました。1階にタリーズがあり なかなかお洒落。
いつだったか、私が気になる体のことで訴えたとき、
娘に「ママ、入院するなら亀田病院がいいよ」と言われました。
なんで入院?まだ何もわからないのに。それにそんな名前聞いたことない、と、
そのときは答えたけど、初めてネットで調べて見ましたが、
鴨川にある病院でした。どんなに良い病院だって遠すぎる!無理です。
ところが後日「日本でいちばん大切にしたい会社」と言う本に
その病院が選ばれているということがわかり、そのあと何度も病院の
名前を耳にすることになりました。私の症状はよくあることのようで、
ほったらかしたままです。(何でも加齢のせいにされそうで頭に来る
お年頃が迫ってきた、というか、もうその入口を跨いだか!嗚呼)

お腹がグーグー鳴りっぱなし、なのに、見たい寄りたいところだらけ。一昔前、両親とその親族の全15名で御宿に二泊した際、立ち寄って遊んだ鴨川シーワールドの前を通ったときは懐かしかったです。それは父が計画した初めての大家族旅行でした。今は亡き父の にこやかな姿が、つい浮かんできてしまいます。
更にかんぽの宿やホテル前を過ぎ、パンフレットで見つけた食事処で、簡単なランチをとりました。新鮮な
マグロと鯵などの丼はとても美味しかったです。

三時をとっくに過ぎ、もう一ヶ所寄るには時間がなくなりそうなので早々に引き上げました。

千倉に向かって海沿いを走り、迷いに迷い、こんな細い道走ったことない、ような、恐ろしく細い裏道を入ってやっと探し当てたギャラリーにたどり着いたら、閉館になったばかりでした!あぁ残念。海岸美術館も閉館だったし、ってよりか、私たちが欲張りすぎかもしれません。海に沿って帰ろう、と走り出し、千倉潮風王国で一たん下車。すでに西日が山の後ろに傾くころでしたが、岩場に下りて波を見つめ空と雲を仰ぎ、夏の終りに相応しい一日だったことに感謝したい気持ちになりました。

これでおしまい、ではなく、このあとの館山付近で見た夕焼けが
余りに見事で感動的だったので、車を端に寄せ、夫と二人して写真を
取り捲りました。コンデジだし腕もよくなく、何枚撮っても見たようには
撮れませんでしたが、こんな美しい夕焼けに出合うなんて、もう、
何と表現して良いやら・・・・幸運です。



おぅ~~遠くに富士山が見える~!と絶叫する私。

富士山の手前は海なのです。海に浮かんだ幻想的な富士山のシルエット。
波間が見えるでしょう?


 
翌日、この方も同じ夕焼けを見て感動したんだ、と知り、嬉しくなりました。
房総半島から富士山方面を見たときの夕焼けも、都内からの夕焼けも、
同じく見えるんだ、と感心しきりなbiancaでした。

  


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芦ノ湖ちょこっとドライブ

2010-08-16 | visit/drive

13日の金曜日、母や息子たちと共に墓地公園までお参りに行ったあと、若者は約束があるからと、渋谷へ向かい、熟年組は、箱根に向かって走りました。首都高、東名、小田原厚木道路、箱根新道と、スイスイでしたが、元箱根に近づくに従い、徐々に渋滞が。海老名PAでトイレ&ストレッチタイムをとって正解でした。
だいたい、母が箱根へのドライブを了解するとは、内心びっくりしました。が、
当日はもう、どこに行くのかさえ忘れ「余り遠くには行かないでね。」と・・・。

わが街を出たのが11時過ぎだったので、向こうに着くころはランチタイムのピーク過ぎている筈。が、これ誤算でした。

予定していた場所 家族連れや老若のカップルなどでごった返しており、少なくとも一時間待つと言われる。仕方なくその向かいにある大衆食堂的な店へ行くが、入った途端赤ちゃんの泣き声が!しかも、そこも約20分待ち。母と一緒だし、もう移動したくないので、渋々そこに決めました。ロケーションはいいんですけど、あちこち入りたい店を思い描いて、はるばるやって来た身にとって想定外の結果でした。

食後は玉村豊男ライフアートミュージアムを覗きましたが、なんでここが美術館?外からも見える一室だけで、作品すべてに値段が付いています。これってギャラリーですよね。ま、入場無料だったのでどうでもいいですけど、玉村氏のライフワークは素敵だと常々思っていました。

次は遊覧船に乗船しよう
と発着所に行くも出航したばかり。もう待ちたくない。そこですぐ近くの美術館に入ることに。この美術館は有名作家のみならず、無名でも将来性のある芸術家を発掘し、精力的に収集、展示してきた個性的な美術館です。現代日本画を中心としたコレクションの数は4000点を越えるとのこと。

四つある展示室で開催されていたのは、下記の通りです。

     1「今日の巨匠展~文化勲章受賞作家を中心に~」 及び
      
      「未来の巨匠三人展」と題して、
     2
柳沢 正人 「地の鼓動~世界遺産を描く」
     3 黒光 茂明  「花の移ろい」
     4 芳澤 一夫  「心の色・心の像(かたち)」


中でも高山辰雄氏の絵や、黒光茂明氏の花の絵などに引かれるものがありました。


山辰雄「花と」


 黒光茂明 (上下j



一階テラスからの眺めが素晴らしく、窓の前に置かれた椅子に腰掛け、時間が止ったように静かな、至福のひとときを過しました。

 

庭に出てゆっくりしていたら、併設カフェのラストオーダーの時間が終わっていました。お盆休みに関係なく、美術館の閉館時間は決まっているのですね。

玄関の~以前お会いしたことがあるような~この女性に再会の約束をして車に乗り込み、向かったのは、山のホテルの「サロン・ド・テ ロザージュ」。せっかくの箱根ドライブです。一ヶ所位は洒落たカフェに入りたいと、必死なbianca。なのに悲しいかなここも閉店の時間でした!夏場なのに5時までとは、早過ぎますよね。ヤケのヤンパチでプリンスホテルまで突っ走りましたが、中が広すぎたことを思い出しUターン。近くの箱根園に立ち寄るも面白くない。強羅花壇までは遠すぎるし・・・で、来る時、気になっていたところへ行くことに。

私以外は、コーヒーなんかどこだっていいじゃない、と言います。でも特に今日はランチが冴えなかったから、どうしても場所にこだわりたいのでした。ようやくコーヒーにありつけたころ、ウェルカムドリンクを片手に、大勢の宿泊客が湖畔に繰り出しました。あぁ、泊まっちゃえばよかったな~。

帰路はわざと宮ノ下経由にしたら大渋滞に巻き込まれました。私馬鹿よね~♪
ガソリンが四分の一しかなく心配になったので、途中のガソリンスタンドで初めてセルフを体験。親切に教えていただきましたが、一人じゃちょっと怖いデス。

もっと寄りたい所だらけだった芦ノ湖周辺でしたが、時間的にこれが精一杯でした。
疲れたにもかかわらず、母がとても喜んでくれたので、そのことが一番嬉しかったチョイドラ箱根版でした。(この日行ったことを忘れていないよね?お母さん。)

 


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都内ぶらり~見て撮って♪

2010-08-01 | visit/drive

高~~い!
2010年7月30日の時点で、高さが408メートルに達したそうです。

日曜日に姉とスカイツリーを間近で見てきました。先月、偶然、テレビで現場の様子を見てから、がぜん興味が湧いてきました。それまでは、こんなの作らなくたっていいのに、と思っていたんですけど。想像していたより迫力ありましたが、業平駅ホームのまん前の、それほど広くない場所に建設しているんですね。土地が狭いので、東京タワーのように4本足にすることができず、三本足で組まれているそうです。大林組のこのHPに詳しく紹介されています。また、なぜこれほど高いタワーにしたか、ですが、スカイツリーの高さは当初610.58mの予定でしたが、中国の「広州テレビ観光塔」が610mとなったため、自立式電波塔世界一を狙って634mに変更したとのこと。
東京=武蔵の国、の語呂合わせからムサシ→634mに決定したとは、テキトーなもんですね。

橋のたもとに車を一時停止し、数枚写真をとったのですが、高過ぎて全部入りません。もっと被写体に近づいてから、地面に寝転んで撮ればよかったのでしょう。ネット上でいくらでもいい写真が見れますから、そこまではちょっと、ね。  

すぐそばにさくらCafe 向島という小さな店があったので、ソフトクリームを買って、車の中で食べました。カフェといっても中は全然お洒落ではない(笑)。珍しいかな、ここを見ただけでわが街に引き返してきたおばさん姉妹でした。

次はこちら、銀座版高層ビルです。とは言え銀座は建物の高さに制限があります。
見慣れた銀座通りにある建物でも、夜になるとこうなんだ~、と、感心して見上げたビルの一つはここ、ティファニービル。ピンボケでブログに載せるにはひどすぎる画像でご免なさい。ガラス面が平らでないことに気が付きました。中央部分のライティングが上下にキラキラと移動し、しばし見とれてしまいました。

目を引く外装デザインを特徴づけるのは、2枚のアルミハニカム(ハチの巣型のパネル)がはめ込まれた292枚のファセットパネル。内外の光を美しく反射し、ダイヤモンドのファセットが多彩な光を生み出せるような効果を与えるほか、1枚1枚に計算された傾きが加えられることにより、昼間は銀座のにぎやかな街並み、夜間は背後にセットされたLED照明が美しい光を演出し、「ドラマティックな夜を映し出す」(webより)。

向かい側で、若い人たちが長蛇の列を作っていたので、なんだろう、と訊ねたら、「アサヒスーパードライ エクストラ コールドBAR」に入るための行列とのことでした。期間限定ビールのアンテナショップというところでしょうか。冷えたビール550円也。会社帰りの若者には魅力でしょうね。おばさんだって、並びたかった・・。

銀座4丁目の交差点を有楽町方面に曲ったところで、こんどはアルマーニのビルが、ライティングでこんな夜の顔に変身していました!夜の銀座は歩いたことありますが、気が付かないことって結構多いんだ、ということに気が付きました。はい。

ジョルジオ・アルマーニの依頼で、イタリアの一級建築家ドリアーナ&マッシミリアーノ・フクサスが内外装を手掛けた。タワーはブランドの感性を表現する独自性を保ちながらも、東京に見事に調和させた雰囲気を持つ。また、耐久性や繊細さを性質とする「竹」を日本を象徴するものとしてモチーフを使用し、かつてない新しさを演出すると同時に昔ながらの礼節と伝統も表現する。(webより)




この日銀座に来たのは、ポーラ銀座のミュージアムアネックス
で開催中の「桐島洋子 骨董物語」が目的でした。人生の残り時間を意識し始めた50才過ぎあたりから、骨董にのめりこんでいったといいます。

彼女のすぐれた美的感覚で集めた骨董の数々は、ブラッと立ち寄って見るだけでも楽しく、特に女性にとってはヨダレがでる陶器や美術工芸品ばかり。

桐島さんには、昔、とても抵抗がありました。
「自分のプラスになる人としか付き合わない」と、雑誌かなにかに書いてあったのを読み、えらくプライド高い人だ、と若いころからずっと思っていたし、全然すてきだ、と思わなかった。(ニュース源はすべて雑誌から、だった!)それが、苦労して育てた子供たちがみな、素敵に大人になっているんですよね。この親ありて・・・と思った途端、見る目が変わりました。へへ・・・
ちなみに、18年前にわが街の明治生命ビルで講演会が行われたとき、私、聴きに行っているんです。横目で見ながらも、気に掛かる方だったんですね。ちょうど著書「林住期が始まる」を出版されたときと重なり、会場で本を買ってサインをしていただきました。誰かと喋りながらサインされ、はい、次、次、って感じで、お互いの目を見合うこともなかった、という思いが残りました。が、きれいごともご機嫌取りもない、こんな一面を、個性の一つだと思えるようになった今の自分は、彼女がオープンに公開してくれるご自身の思い出に溢れた骨董の数々を感嘆の目で眺めながら、桐島さんが歩んでこられた力強い足跡を想像しつつ、心の中で拍手を贈っていました。
(下のプロフィールはパンフレットより)

 

別の日のことですが、麻布十番からすぐ近くにあるお寺に、母と姉の三人で知人のお墓を訪れ、そのあと、パティオ十番広場の見えるカフェに寄りました。ロケなどがよく行われるというだけあり、いい雰囲気のパティオ通りですが、ウン十年前の十番界隈は、お洒落な場所ではなく、とても庶民的な普通の商店街でしたし、当時はパティオ通りてな名前などなく、静かな住民のための通りでしたね。 

確かこの辺は映画館があった所だったんじゃない、と話しながら席につき、アイスコーヒーとケーキを注文。注文を取りに来た人が金髪の外人女性で、カウンターにも外人の店員が目立つので、なんだ~なんだこれは、と思っちゃいました。

ケヤキが正面に見えるこのカフェの、一番道路側に坐っていたワンちゃん連れの先客が帰ったので、やっと写真を撮りました!
飲物だけは、じきに運ばれましたが、ケーキはどれほど待たされたでしょうか。一体どうしたんだろう、と思いながらも、尋ねずにひたすら待っていました。やっとケーキが運ばれたとき、人数分の飲物もテーブルに置かれたのでびっくり。遅くなったお詫び、とのことでした!何てラッキーなんでしょう。こんなことって、あるんですね。

 

 


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続 2010年ブックフェアにて 

2010-07-27 | visit/drive

東京国際ブックフェアの追記をしていたら、本文が多すぎて投稿できませんでした。それで 内容を二つに分けることにしました。年中、「今更!ブログ」で恥かしいけど、開き直っての投稿で~す。

児童書フェアの会場では、奥野かるた店のとなりに佼成出版社ブースがあり、葉 祥明氏のサイン会が行われていました。サイン会といえば、翌日の日曜日に来ていたなら「名も知らぬ遠き島より」を出版された山口智子さんや、谷川俊太郎さんの詩を英訳した「A FRIEND」のアーサー・ビナード氏に会えたかもしれません。私のミーハーぶりには呆れましたかぁ?でもでも、知っている人?に会えるのって楽しいですよね。

児童書フェアの中には、小スペースですがブラジルの出版社ブースもあったので、懐かしく見回してしまいました。私がブラジルで子育てした期間は上の子が約8才、下が5才8ヶ月まででしたが、その間に読み聞かせた絵本は皆、日本から送られてきた、または友人から譲り受けた日本の絵本でしたね。だって現地校に通っていたから、家庭内で日本語を使わせるのは親の役目、というか、ねばならぬ、のです。そうしていても、日常会話にドンドン現地語が入ってきますからね。(えっ、親が現地語が下手だからですって?へへ・・)

西一ホールの入口を入ると、外国のパビリオンが幾つか並んでいました。今年のブックフェアのテーマ国はサウジアラビアとのこと。そのブースたるや、広い会場内でも目を見張るほどの巨大なスペースを陣取っていて、周辺はアラビア人だらけ。民族衣装を撮りたい、と、この方にカメラを向けました。

資源のない東南アジアの小さな島国 日本の対極にあたる、リッチな石油王国、というイメージしか持ち合わせていませんでしたが、サウジアラビア駐日大使のこのインタビューを読むと、急に親しみがわいてくるんですよね。その中で、これから出版したい本について次のようなことを言っていたのが印象的でした。

    今度、私は日本とアラブのことわざの比較をするという本を出したい
    と思っています。面白いでしょ?ことわざを勉強すると、日本の文化
    も分かってくるし、考え方が分かりますよね。アラブにもいいことわざ
    がたくさんあります。 
    「人は亡くなると土に返り消えてしまうが、本は永遠に生き続ける」
    いい言葉でしょう?

洋書バーゲンコーナーや造本装幀コンクールのコーナーもありますが、すべてざっと見でした。やはり、ゲストなどがトークしているブースが面白い。
農山漁村文化協会(農文協)って所でも面白そうな本を沢山出版しているんですね。
 

ここで「男前ぼうろとシンデレラビスコッティ」の按田優子さんがお話しているところに出くわしました。ラッキーなことに間もなく試食用のぼうろが配られたのです!そこでちゃっかり手をのばし、お口に入れたbiancaでした。按田(あんだ)さんはタカコ・ナカムラに師事し工房長として商品開発に務め、現在は代々木上原の人気マクロビオティックカフェ・デリ「Kanbutsu Café」のマネージャーとして活躍中とのこと。

こちらは京都の禅文化研究所のブースです。お坊さんのお話があり、椅子に座りながらのミニ座禅も行われていました。ブログ禅の中で、東京に「Zen Cafe」があることを知り、興味が湧いてきました。ここで本を一冊ご購入です。

版元ドットコムでは、「本が好き!」スペシャルイベントとして、人気書評ブログわたしが知ら ないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のDainさんと、スゴ本オフ会メンバーが“本好き”と“本”との出会いについてのトークショー開催中でした。
って、あとで調べてわかったわけですが、本に関わる色々なコミュニティーやブログがあるってことがよくわかりました。検索しながらいちいち立ち止まって読んでいたりしたら、自分のブログ更新がどんどん遅れました。

集英社ブースは屋根?のカーブがきれいでしたね。姜氏の本はここでご購入。

同題の姜氏の著書とは当然別物ですが、みすず書房でも「悩む力」を発見。斉藤道雄氏のノンフィクションで副題が「べてるの家の人々」。

未來社のブースでは、姜氏が影響を受けたという丸山眞男やマックス・ヴェーバーの本が置かれていました。哲学、思想などの専門書が多い未來社。木に人が二人ぶら下がっている「來」という字を使うところが憎い~。  

借りぐらしのアリエッティのポスターが目立つ「書物復権8社の会」。
リクエストによって書物の復権が可能になるんですね。

    出会いそこねたモノとしての本、出会いは難しくなる一方、
    (たとえば復刊でも)会うことができると、かつて読んだ人の時間と、
    今の自分の時間が呼応するかのように、思いを巡らしうる。
    自分の体も時間も有限なのに、本が、その限界を揺さぶってくれる。

リンク先に書かれた上の文章から、サウジアラビアのことわざを思い出しました。
    「人は亡くなると土に返り消えてしまうが、本は永遠に生き続ける」

雑誌で作られたタワーがひと際目立つのは、文芸春秋社のブースです。

Numberというスポーツグラフィック誌が刊行されてから、今年で30周年を迎えたとのこと。買ったことはないけど、ワールドカップなど、興味あるスポーツの祭典があるときは(特に、お熱な選手のいるときにゃ、)本屋で若者やオジサンに混じって立ち読みをしたりしますが、迫力ある写真が満載の雑誌ですね。
別の雑誌の500円コーナーもありました。
  
     

松下幸之助氏の写真と共に迎えてくれたのは言わずと知れたPHP研究所。探していた文庫本を見つけて購入。家のPCではPHPのHPで「一番じゃなきゃダメですか」をちょっと立ち読みしたりして。

だいたい回ったかな、というところでUターン。
イランパビリオンに座っていた女性たちの美しさについカメラを向けました。


読書グッズゾーンで見つけた栞コーナーには、ロシアの民族衣装を着せたこんなブックマークもありました。壁一面が栞だらけのロシアの「Nevsky Znak」、このサイトで更に沢山の栞を見ることが出来ますよ。

 

イタリア文化会館が受け持つイタリアパビリオン。真っ赤なカーペットに白と緑のアクセントが目を引きます。カラフルな絵本の数々に、つい手が伸びてしまいます。

最後は、デジタル パブリッシング フェア方面へ。 アナログ人間には最もわけのわからぬセクションですが、少なくともパソコン、ブログ、ケータイ、デジカメを利用しているんだから、もっとわかって然るべき部門にしていかなくてはね。っていうか、いままで学習したことを維持するだけで精一杯、が本音で、これ以上は、何かを捨てなきゃ入っていかないかも~。

Google はさすが、覗いて見たくなるようにすっきりしたブースです。各ブースを作るのは専門のデザイン会社でしょうが、内容よりも視覚に左右されるのが、こういったフェアとか見本市。遠くからでもその洗練さが目立つと、集客力も伸びるんでしょうね~。

次はセルシス・ボイジャーブースです。
ボイジャーの代表取締役 萩野 正昭氏が壇上でお話しているところでした。

後日、You tube上で講演映像、見つけましたが、ボイジャーHPトップで幾つもの講演映像が見れるようになっています。 電子出版かぁ。要は“眼”なんだよね。電子出版物を本として見るには年とりすぎちゃったかも。ツイッターもしかり。ブログだけはどうにかしがみ付いて、我が脳トレの一環としなくちゃな。 

お向かいのTOPPANさんです。興味は内容よりもこんな場面。 

台北コンピューター協会のブースでは、閉館間近の気配が。
受付嬢が写真を撮り合っていました。

もう半月も前のことの投稿、ったく呆れてしまいますね。
忘れそうな情景をほんの少しずつ思い出しながら、書くというより、ほぼ画像紹介となりました。やはりすぐに書かないとまずいな、という思いを抱きながら終わらせた、というのが正直なところです。
今年のブックフェアは、今まで行った中でも活気があったように思いましたが、入場者の数が過去最高だった、と聞き、頷けました。

書籍の電子化や「ブックオフ」のような古本屋が全国規模に広まっても、本屋さんが街から姿を消すことのないように願いたいです。それには購買者がいないとまずいんですよね。私、ブックオフで買うから、あなた書店で買ってよ、と言うのは虫が良すぎるかぁ。

 

追記:
今朝の朝刊に、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(もしドラ)という本に対する記事が載っていました。野球部の女子マネがその本を先輩OBに勧められて読み、実践してみたら、野球部の雰囲気が変わってきた、ということが書かれていましたが、本のちからってすごいですね。こんな親しみの持てる話題から、読書離れの若者が 本に対して興味を持つようになれば何よりですね。


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2010年ブックフェアにて 

2010-07-15 | visit/drive

先土曜日にブックフェアに行った時のことをなかなか書けず、今ごろになってしまいました。一昨年は五木寛之氏の講演会に参加しましたが、今年は姜尚中氏の話が聞きたくてnet上で申し込みました。
強い日差しの照りつける昼過ぎ。最寄駅から東京ビッグサイトまで、日傘をさしながら大勢の人の流れと共に、講演会のある会議棟までテクテク歩く。
すでに前半分が埋まっていましたが、真ん中より少し前の一番端っこに空席を見つけ一安心。会場内には1400ほどの席が設けられているのですが、申込者多数の為、今回も場外で視聴できるスペースを設けたようです。姜さんはTVに雑誌に、と引っ張りだこだから、その人気のほどが窺われますが、タレント化する姿には賛否両論あるようですね。お話の中で、それは成り行きとしてそうなった、ということを仰っていましたし、書き手と読み手の対話は、電波を介してでは、カメラワークが気になったりすることもあり、伝わりにくい、ということも話されました。

内容を大雑把に、覚えている範囲でご紹介したいのに、5日も過ぎると(過ぎなくても!)少しメモったとは言え、メモとメモの間をかなり忘れているし、メモった字が読めない!(笑)前回同様、
私の頭では絶対に上手い具合にまとめるなんて、出来っこないけど、ぽつぽつと綴ってみることにします。

読書推進セミナーの一環としての、姜尚中氏の講演会タイトルは
        
・・・・・・読書の力ー「自己内対話」が開く世界・・・・・・

姜氏の生まれ育ったのは熊本の駅裏で、糞や豚の臭いにまみれた、まるでゴーリキの「どん底」のようなところだったという。昔の実家跡は、50年でこうも変わるのか、と思うほど、昔の面影は何もなく、現在はコンクリートのかたまりのような街並みに。県の発展の為とはいえ現実にあったものが無残に無くなったとき、人々は虚構の中に生きるのか、と思ったそうで、それが母親(オモニ)のことを書くキッカケの一つとなる。
自分があってこそ他者があり、物を書くという行為を通して、自分自身を、新しい自分の姿を発見する。つまり、自分のために書いている(いた)のだ、ということを、後々に感じたという。丸山眞男氏の「自己内対話」の内容にも触れながら、同感の気持ちを表す。

読書に目覚めたのは自分のことがわからなくなってから。小学校から高校までの間、いわゆる野球少年として活発だった彼は16-7才で挫折を体験。吃音にもなってしまう。自己をずっと見つめていくと不安になり、「生きる」上での自分の根拠をなんとか探そうとしても上手くいかなかった。後に河合隼雄氏と話した時、それが、大人になる、ということだ、と言われたそうだ。大人への橋をスッと渡ってしまう人もいるけど、渡れない子は深い谷間ー死ーを見てしまう。彼もその一人だった。
野球をやめると元々の引っ込み思案の性格から内向的になり、何かにすがりたい、との思いから読書するようになった。大人への過渡期の年頃では、橋を渡り損ねて事件を起こす、ということがとても多い、と、97年に起きた酒鬼薔薇事件などを例に挙げる。
読書とは、自分と対話できること。自分と対話を出来ない人が他人と対話できるわけがない。その辺が自分に欠けていたことだ、と気がついた。

人間が自分の中に城を築いたときに、他者とのコミュニケーションが断絶する、とどこかで聞いたが、自己内対話が出来ず、又、他者との関係を築けないと、自分の城を築いてその中に籠城てしまう。これは様々な少年事件を見ているとよくわかる。
外からの情報や知識は「自己内対話」というフィルターにかけられ、それを通して自分の中で咀嚼され、対話が出来るようになる。これが今最も大切なことだと思う。

自己内対話を知り、自分は救われた。ドイツのヨーゼフ・ゲッベルスが自殺後油をかけられたことなど、古本を通して読んだ戦争の歴史を知りギョッとしたのが20才前後。世界の中で、こんなに人が死んでいるんだと言うことを知る。そのころは様々なジャンルの本をランダムに読んだが、人に勧められなかったことがよかった。このような本が良い、と言う必要はない。色々な本を読むことで、様々な世界を知ることができる。年と共に小ざかしくなり、リアリストになっていくから、若いころを忘れがちになるが、そのころ読んだ本をもう一度読み直し、あのとき感じたことは一体何だったのかを知ることも必要だ。思春期という時期では、親がとても遠い存在であったことを思い出す。

タイトルに惹かれ手に取ったボードレールの「悪の華」。その中に「旅へのいざない」という詩があり、自己嫌悪の中でもそのような詩や文学を読みながら学んでいけた。トルストイや夏目漱石など、十代の後半に夢中になって読んだことがらは、いつまでも自分の底辺に残っている。

読み書きの出来なかった母が、60才になって初めて自分の名前を書いたときの気持ちにも及び、それがどんなものだったか、それは自分が初めて読み書き出来るようになったときがどうだったか、を想像してみる。他者と出会い、他者と向き合うことなしには何も判らない。
「他者とどう向き合うか」、自分を知らなきゃ他者が見えて来ない。これが丸山氏の言いたかったことではないか。

文字を知っているということは覚えてメモし、そして忘れる。が、文字を知らない母はなんと全部を覚えていた。自己内対話できるのは忘れるすべを知っているから。忘れることが出来ずに溜め込んだ知識、情報、体験などによって人は溺れ窒息死してしまうか、躁鬱的になってしまう。忘却をちゃんとやらないと新しいモノと出会えない。これは文字を知らない人を通じて教えられた。

今後、あと二つ小説を書いて見たい。一つは吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」のような本で「新・君たちはどう生きるか」のような本にしたい。もう一つはメルヘン。内容は深刻なものだが、登場人物は二人という設定で、対話を通して書く。対話は、人間の人間たる所以である。世界の古典はすべて話し言葉だった。
あと5年間は大学にて模索し、そのあと本を出版し、最後に又、このような講演会に呼んでもらえると有難い。そして仕事からはお役ご免し、静かに姿を消し晴耕雨読の生活でもしているかもしれない。


以上のような内容でしたが、大切な沢山の言葉が抜け落ちていると思います。読み返すと余りにも下手くそな書き方なので投稿したくなくなりましたが、自身の記録として残すことにします。それにしても姜さんの口調はとても滑らかで謙虚でわかりやすかった。多くの人が、終わったあともじっと坐ったままだったので、きっと私と同様に、もっともっと聞き続けていたかったのだと思います。

★姜さんのHP

その後はブックフェアの会場内に入り、夕方まで楽しみました。購入本はというと、姜さんのを一冊。別の二ヶ所で二冊ほど。
気が向いたときに追記と追画をするかもしれません。

先日オープンしたばかりの高洲公民館でも、インテリア関係の本も混ぜて5冊も借りてしまいました!新しい図書館での新品の本は気持ちいいのですが、家に読みかけも数冊あるので時間がいくらあっても足りません。だいたい日中は出かけることがとても多いですからね。


【追記】 遅くなりました!当日の会場内での画像を追加します。

児童書フェアの会場内では、「アプライ」のブースで、ダニエル・カールさんのサイン会が開催中でした。

 

あ~~ぁ、このあとの部分が全部、私のミスで消えてしまいましたぁ!
もうショック~。また別の日にやり直しで~す。


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高幡不動のあじさいまつり(2)

2010-06-27 | visit/drive

 豊泉寮のたたみの上でひと休みしたら、
汗も引っ込み元気が出てきました。
骨董市をじっくり見ていたら、絶対それ
だけで日が暮れそうなので、広い境内を
もう少し歩き、裏山へ行くことに。

下の彫り物は確か、山門で見かけたもの
だと思いますが・・・二本の指の滑稽な
仕草には何か意味があるのかしら。

大観音像の後ろには赤いアスチルベが、とても楽しそうに咲いていました。
この子たち、私が視線を逸らしたすきに踊りだすんじゃないか、
と思っちゃいましたが、可愛い花だ~。

上は、中村岳蓮筆の「鳴り龍天井」が見れる大日堂の横からの眺めです。
そろそろお寺の裏山を散策しようと、この先を抜けたあたりから登り始めました。      

いたるところに咲いている何種類もの山紫陽花。
こんにちは!と顔を突き出して挨拶してくれます。

お大師さまの姿も次々と・・・・

はいっ、この山では、山内八十八ヶ所を仮想巡拝できるんです!
って、あとで知ったのですが、
そのときは何もわからず、巡拝するつもりなど毛頭ありませんでした。
広くて途中で道がわからなくなりそうになり、すれ違った人に道を
訊ねたり、途中でみかけた案内図をデジカメに収めたりしましたが、
そうだ、お札の番号を辿ればいいんだ、と気が付いたと同時に
自分は逆から登ってきたのだ、と気付いたのです。



画像は歩いた順にはなっていませんが、散策路が上へ上へ、と続き、
いったいこの道はどこまで続くんだろう、と不安がよぎりました。
蒸し暑かったし、第一これほど登らされるとは思わなかったんですもの。



それでも歩くほどに自然に癒され、次第に爽快な気分になってきました。
こんなクイズ付きのお大師さまの所もあるんですよ。
 






こんなに美しい山あじさいが沢山見られるとは想像以上でした
ボカァ仕合せだな~、うれしいな~!

 

ほぼ登りきった(と思った)あたりからちょっと下方をみると、
広場のような場所があり、親子の遊ぶ姿が見えました。

鬱蒼と茂ったあじさいで埋まりそうなお大師さまも居りました。
暗かったので明るく画像処理したものです。

ふぅ~~、ずい分と歩いたわい。やっと五重塔まで降りて来ました。
コンビニで買った水を持参していたので助かったです。

そしてここで目に入ってきたのが空手の練習風景。
下の写真に映っている方とちょっとお話をしましたが、27日の日曜日
ここで試合?があるので又、是非見にいらしてください、と言われました!
                   

雨天の場合は五重塔の下でやるとのことです。  

骨董市は4時までだったので、殆どのところはすでに店をたたみ終えた所でした。
それでも、まだこれから片付け始める数軒もあり、ちょっと覗いてみましたが、
あるブースではこんな風にお洒落にアジサイの花を飾っていたのです。

き    れ    い!

更に、境内で見つけた花たちを下に集めてみました。
あじさいは種類が多くて覚えられませんし、覚える気もありませ~ん。
右上のオレンジの花はなんでしょうかね?

 

最後は、入口近くに立っている新撰組の土方歳三に
こんにちは!さようなら!
市内の生まれなので、毎年、命日に近い五月第二日曜日に
新撰組まつりが開催されるそうですよ。

 

魅力がいっぱいのあじさい寺、「高幡不動尊」。
いつか又、ござれ市に寄りがてら、今度は境内の建物を見学したいと思います。
もちろんお賽銭を投げて、ちゃんと御参りはして来ましたけど。

仁王門(重文)をくぐって、これですぐ駅に向かったわけではなく、
お寺まえのおまんじゅう屋さんで、出来たて熱々の
高幡まんじゅうを頬張り、お茶をいただき、お土産分も購入。

更には駅に程近いところで、いい感じのスィーツショップも発見。



藤生シェフのお店でした。
中に入ったが最後、又々甘いものを買っていたbiancaでした。

 


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高幡不動のあじさいまつり(1)

2010-06-22 | visit/drive

気が付いたらその日は6月の第三日曜日。 前から行きたい、と思っていた「ござれ市」開催の日でした。そして「高幡不動の紫陽花」のことは、お気に入りブログやHPの方の情報で知っていました。骨董市と紫陽花の両方が見れる一年に一回のチャンス到来!

 第27回 高幡不動尊 あじさいまつり
期間:平成22年6月1日(火)~7月7日(水)

高幡不動の一つ手前が「百草園」。ここも行きたい場所でしたし、近くには深大寺(神代植物公園)もあります。時間があればはしごをしたかったけど、お昼から出てきたので高幡不動だけで一日が終わりました。

仁王門を入って右手にの宝輪閣では、様々な種類の紫陽花が、青色ガラスの一輪挿しに挿され、テーブルいっぱいに飾られていました。
新宿で京王線に乗る前、電車の中での暇つぶしに、と手にした「京王沿線 三古刹めぐり」というパンフレットをパラパラと見ていたのでその中に掲載されていた、このお寺の貫主様と同じ顔の人がすぐそばにいたので大変びっくりしました。売店の一角に、貫主執筆の本が並び、本の内容について、どなたかとお話されていたのです。

叱られる幸せ

叱って失敗した我が子育てでしたが、父曰く「お前は叱るでなく怒っている」と。
その辺がとても難しいんですよね。叱っているつもりでも怒っている、と思われる。
ただ、子供が大人になった今、その辺の親の気持ちを解ってきているようで、ダメなものはダメ~!と、例えダメもとでも言い続けて、ま、よかったかなと思っています。(私が子供の時分は、親がダメといえばそれはダメなんであって、どうしても無視したければバレないように上手くやっていた気がします。が、私が築いた家庭では、ダメな理由を説明しても、それはなぜ?が続き、納得させる技量が足りなかった、、、と、至らぬ母の述懐でした。)

    

 

「ござれ市」は100以上の業者が出店しているとのことでしたが、これをじっくり見ていたら紫陽花はどうなるの、って感じで、いつもながらの出だしの遅さが悔やまれました。下の画像は、とある絵描きさんのブース。彼女がござれ市に毎月作品を展示即売している、ということをweb上で知り、市に行ったら是非とも生の絵を拝見したい、と思っていました。
         



しかし・・若い人が数人集っていて会話が途切れず、声を掛けるチャンスを逸しました。手前のターバン姿の超美人さんが彼女かしら・・・?
次回は是非声を掛けようっと。
作品はファイルで沢山見られましたし、Tシャツや小物もチャーミングでした。

どのブースの近くでも、様々な種類の紫陽花がきれいに咲いて・・・。

三万余坪の境内は四季とりどりの花木に恵まれ、句碑、文学碑も多く、ござれ市がなくても、境内散策だけでも見どころいっぱいで楽しめます。  
敷地の一番奥にある知足庵、風信庵、そして豊泉寮。普段は一般公開されていないそうですが、あじさい祭りの時期には豊泉寮にて薄茶をいただけると知りここで一服、お薄と羊羹をいただきました。おまつりと骨董市の賑わいの感じられない静かなひとときも、又格別ですね。

 

このあと、山あじさいが咲き乱れる境内裏山を、ちょっとしたハイキング気分で散策しました。もう少し続きますので、又のちほど、よろしければお付き合い下さいね。


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紫陽花の時期に

2010-06-19 | visit/drive

雨天と思ったら晴れたので、是非とも今日は、どこか紫陽花などの咲いている場所にでも行ってみよう、と思っていました。たまたま夫が、成田の友人のところに行くけど一緒に行くか、と、朝、突然言うので一瞬迷いましたが、断りました。だって付いて行ったら絶対に夜まで、いえ、きっとサッカーの試合が終わるまであっちにいることになるでしょう。私たち家族にとって何十年来の友人たちですが、人と会うには、昨日かけたばかりのパーマが、強くかかり過ぎた上、ブローせずムースを付けただけだったので、そのボリュームが気になって仕方がなかったのです。(誰も気付かないかしら。)

  

夫を送り出してから、東京か市川か、と迷いましたが、市川のハーブガーデンに行くことにしました。気楽に行ける距離で、駐車場があり、緑が多く、カフェも併設、という場所なら、今度母を連れていけますし、そのような場所を幾つか開拓しておけば、何かと便利です。
夜、ゆっくりテレビ観戦できるよう、(夫がもし食べないで帰ってきた時にも便利だし、母にも届けられるので)夕ご飯用のカレーライスを作ったり、別の用事もしていたら遅くなり、慌てて出かけました。主婦って土日に関係なく、いい加減にしたってやることがきりなくあるんですよね。国府台のずっと手前から矢切に繋がる道が渋滞だったので、誰かを誘おうとしたけどやめてよかったです。

対向車が来たらすれ違えないような狭い横道の先を更に右折したところに、目指すガーデンはありました。
途中、対向車が前から進んで来たので、私はバックをせざるを得なく、怖かった~!こういうときにジャンケンをして、どっちがバックするかを決めたら良い、と思ったけど、後ろからも車が来て焦りました。
ここは「大川原ハーブガーデン」といい、情報誌のお勧めスポットで知ったばかり。

私は一体何時に家を出てきたのでしょう。ガーデンに着いて、写真などを撮っていたらに5時のチャイムがどこかから聞こえてくるではないですか!ハーブガーデンは5時までだったのです。アチャ~!

                    

綱が掛けられてないところだけをざっと見て回っていたら、
手足を蚊に刺され、見る見る赤く腫れてきました。
蚊にとっては、まだ美味しいってことなんだ、私。      

この道の先もハーブガーデンの敷地だとのことですが・・・

 

写真もほどほどにしてカフェの中に。ケーキが美味しそうで迷っちゃう。

ケーキセットのカフェがポット付きで出てきたのでお替りできました。
カフェは7時までオープンしているとは言え、5時すぎだったのに、外のテーブル席の椅子を重ね始めたり、中の席の前にcloseの札が掛かっていたり、と、今日は早めに切り上げたいのかしら、と感じました。私のほか、もう一組のお客が入って来たら、ちゃんと通してくれましたけれど、サッカーがあるから、早く帰りたいんですね、きっと!
このハーブガーデンの前は梅園。この梅で作ったというジャムをお土産に購入しました。

 

さて、帰宅後、カレーライスを母に届け、急いで食事を終わらせ、テレビの前にデンと陣取って日本対オランダ戦を観戦しました。

オランダには歯が立たないかと思っていたけど、どうにか喰らい付いて0:1と、失点を一点だけで抑えましたね。

     

立て続けにコーナーを取ったのに得点に結びつかなくて残念でしたが、強豪相手に善戦したと思います。ただ、司会者が何人も同時に喋っているように感じるほど、コメンテーターが多くて喋りすぎだと思いました。セルジオ越後さんは声質も、日本のプレーを見る目も冷静でしたが。松木さんは解説のし過ぎかも。今、目の前でやっているプレーを正しく分析するならいいけど、よけいな話題をシャベリ過ぎ。そのあいだにゴールいれられちゃうよ、と思ったほどです。
ブラジルでは、ボールが誰から誰へ渡っていったか、ということを延々と喋り続けるので、例え台所にいて、テレビの画面が見れなくても、聞いているだけで様子が解りやすかった気がします。

残すは25日のデンマーク戦のみ。
是非とも頑張って、決勝トーナメントに残って欲しいです!

そして、思ったとおり、夜中すぎに帰宅した夫でした。一緒に行かなくてよかった。


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このあいだ・・・のこと(本郷編)

2010-06-06 | visit/drive


 

先月、お見舞いに行ったT大医学部付属病院の周辺を散策しようと、
楽しみにしていましたが、なかなかどうして、ゆっくりと散策して
構内全体や本郷周辺を歩きまわるまでには到りませんでした。
が、写真を撮ってきたところだけでも、ブログ投稿することにしますね。
もしかしたら順番が狂っているかもしれませんがそこは何卒ご容赦を。

バスや車で来るにはまず、この龍岡門から中に入ります。
ちなみに、旧岩崎邸に寄ってからのお見舞い時には、
無縁坂を上り、鉄門から入りました。



構内の樹木はどれも大木で見上げてしまうほど立派です。  

 

建物上層部に彫られた壁画です。お茶お水の聖橋を渡った
先の医〇歯〇大の建物にも似たような
ものがありましたっけ。


 

この柱の太さったら!ここはいったいどこなの?と言いたくなる。



ここは7連アーチで飾られた医学部2号館本館です。
建物前にある庭園のベンチはらせん状の形。
気持ち良さそうに誰かさんがごろ寝していました。



この手前を歩いていったら、道場のような建物から
大きな掛け声が聞こえて来ました。部活中のようでした。

本郷散策に何度も来ているという同行者は、急いでいる
せいか、どうってことない池よ、と言いますが、でも私、
一度は見たいの!と言い張って三四郎池の上に出ました。
鬱蒼とした緑に囲まれ、やっと見えた池。ここが東京の
ど真ん中だとは思えないほど静謐さが漂っています。

 

こんなところで襲われたら絶対に一巻の終りだ~。万が一
あのベンチに座っている男が刃物を持って追っかけてきたら
どうやって逃げようか、と、一瞬考えてしまいました。
藤棚の下で、果して彼はなにを考えていたのでしょう。

 

赤門は車窓から見たことはありますが、触れる距離で
見るのは初めて。私たち以外にも記念写真等を撮っている
人たちがいましたよ。やっぱり観光名所ってことですね。
この門のそばの福武ホールに、UTカフェ・ベルトレルージュ
という、二年前に出来たばかりのカフェを見つけました。
古い街並みの中に表参道のカフェが突如現れた風でしたが、
あとで調べたら安藤忠雄氏によるものでした。
どうりで!近寄らなかったので画像はありませんが、上の
web上で見れます。

誰でも往来できるこの門をくぐって(くぐるだけなら倍率ゼロ)
本郷通りを渡り、向かったのは老舗の金魚屋。(金魚を買う為
ではありません、念のため。)はるばるやって来たというのに、
その日は運悪く貸切。近くでサッとカフェして早く帰ろう、と
言う人をなだめ賺しながらやってきた甲斐もなく、、、
もう残念無念~。



このあたりは古い家も多く、昔はきっと作家の卵たちが
何人も下宿していたんだろうな~と、話しながら写真を撮って
いたら、私たちのいい加減な話を聞いていたのか、カメラをぶら下げた
年配の男性も、同じ方向へファインダーを向け、シャッターを
押していたではないですか!本当に誰かの住んでいた跡だったりして。

本郷通りに戻り、来る時 目に付けていたカフェで一休み。



コーヒーブレイクの後は、もう待ったなしで帰りを急ぐ相棒を
追いかけながらも、 ふと目にした写真屋さんのウィンドウに
目が釘付けに!そこには聡明な表情の若きM子嬢の写真が説明付き
で飾ってあったのです。やっぱり・・・外で羽ばたいているM子嬢
のほうが彼女にお似合いだわ、と、その写真をみて思ったのでした。
相棒が、とっくに信号を渡ってずんずん先を行っているというのに、
これは是非とも撮っておかなくちゃ、と、一度はバックに収めた
デジカメを、再度取り出したbiancaでありました。

五月祭の始まった5月最後の土曜日に、おかげさまで入院患者は
めでたく退院にこぎつけました。おめでとう、S殿!!

しかし~、もう少し入院してくれていれば、次は
安田講堂から農学部の方へ、と足を伸ばし易かったのに・・
と、内心思っていたことは伏せておきましょう。(笑)

☆「このあいだ・・・のこと」はもう一回続きます。

        


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