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ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

コローのモナリザ

2008-08-11 | art/exhibit/museum


モルトフォンテーヌの想い出

 8月8日(金)に、コロー ・*・光と追憶の変奏曲・*・を見に行ってきました。日中は
これでもか、と言う位の暑さでしたが、夕方でもたいして変わりはありませんが、お日様が
遠のく分だけマシだったでしょう。会場はほどほどの人出で、じっくりと鑑賞できました。
友人が電話で薦めただけあり、小さな作品が多いにもかかわらず、どれもが目に心に
シックリと入っていく、いい絵揃い。幾つかの過去の展覧会の中で、数点は彼の絵を目
にしているのですが、まとまった数を通して見るのは初めて。彼の作品以外にもドラン、
セザンヌ、シスレー、モネ、ルノアールなどの作品も各章の中に散らばっていましたが、
これだけの数のコローを見ながらだと、コローというアーティストがそのなかでもひときわ抜きん
出た大巨匠に見えてしまいました。
展覧会は、 
        一章 初期の作品とイタリア       
        二章 フランス各地の田園風景とアトリエでの制作       
        三章 フレーミングと空間、パノラマ風景と遠近法的風景      
        四章 樹木のカーテン、舞台の幕      
        五章 ミューズとニンフたち、そして音楽       
        六章 「想い出(スヴニール)」と変奏       
        
クリシェ=ヴェール:コローのグラフィスム(ガラス版画)

とに分かれていました。
大部分はフォンテーヌブロー(パリ南東にあり、19世紀半ばから芸術家が集まる場所となる)
などのとても落ち着いた色調の風景画ですが、人物画がこれほど魅力的だとは・・・まさに
友人が言っていた通りでした。
クリックしてねルーヴル美術館蔵の
真珠の女》は、パリ
万博に展示された際、
女性の額に落ちた葉
冠の影が誤って真珠
の粒とみなされたため
に付けられたとのこと。
この作品に強い愛着を
感じていたコローは、
売却せずに生涯手元
に置いたといいます。
まさにコローの「モナリザ」
と言われる所以を実物
を見ればきっと感じ取れ
るでしょう。
(画像をクリックしてね。)

クリックしてね青い服の婦人》も、美術館ニュースの表紙を飾るほどの素敵な女性像でした。これは美術館建物の入口で写しました。(クリックしてね。)1900年パリ万博で初めて一般公開されてセンセーションを巻き起こした絵 ~これこそ人物画家としてのコローの絶頂であり最も重要な傑作だとされた~ だけあり素晴らしいタッチです。コローの人物画は、家族や親しい友人だけを選んでいたので肖像画の中で、金銭のために描かれたものはひとつもなかったといいます。が、晩年のそれは、個人的な楽しみや研究のために描かれた絵が増えていったようです。この婦人像はコローが亡くなる一年前の作品で、彼のモデルを5年間務めてきたエマ・ドビニーと言われています。
左は《本を読む花冠の女あるいはウェルギリウスのミューズ》というタイトルの絵です。
彼の作品は抑えた色調でとても自然体です。見ているだけで落ち着いた心持ちになります。

第六章の「想い出」では、かつて旅した様々な場所を追想し、アトリエの中で○○の想い出、と題して作成した、幾つもの情緒的な風景画が展示されていました。
青い服の婦人の絵が彼の最晩年作であることからわかるように、最後まで描くことへの情熱を失わずに制作を積み重ねていったコロー。彼の作品を通して、静かな感動をたくさん貰ってきた心豊かな金曜日でした。

帰りには、いつも混んでいるので入った事のない「すいれん」でカフェしてきました。窓からはたしか中庭が見えるはずなのに、外はもう暗く、人もまばらな内部が映し出されていました。ケーキはどうってことない見掛けでしたが意外と美味しかったです。
夕食の支度はもちろん用意してからの外出です。私も帰宅後に遅い家食、となるのですが、カフェの時はついケーキが欲しくなってね。運動しても全く効果の見られない部分の贅肉はお菓子で出来ているのかしら・・?やばいぞ。
この日は、帰りに東京都美術館に寄ってフェルメールも見ちゃおうかな、と一瞬迷いました。ま、二ヶ所だと疲れて印象が半減しそうだからやめました。

 

 


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フランスが夢見た日本

2008-07-28 | art/exhibit/museum

 
連日の蒸し暑さで行動範囲が狭まり、かといって家事も全く捗らず、何もかもやる気が失せていましたが、重い腰をすくっとあげて向かった先は上野の山。閉館時間が8時となる金曜日だったからです。
主婦が夕方から外出することは、母には理解出来ないようです。これから絵を見にいってくる、といえば決まって驚き、呆れ、そんなこと自分はした事がない、と言います。
安心して!食事の支度はしてあるし、第一私はパパの召使じゃないんだしね、と、理解に苦しむ親に言っても無駄とは判りながらも正直な言い方しか出来ない自分に肩をすくめながら、じゃぁね~と言い放ち、出かけました。
東京国立博物館の平成館のほうでは「対決・巨匠たちの日本美術」開催中で、入場者はほとんどそちらに向かって歩いて行くのでした。この暑さでは、“対決” などは暑苦しくて見たくないんですよ。
表慶館が綺麗に改装されてから初めて中に入りました。それほど広くはないので見易い事と、展示物が陶器であったことで、スイスイと楽しく見学することが出来ました。

日仏交流150周年記念
      《オルセー美術館コレクション特別展
       フランスが夢見た日本
                   ~陶器に写した北斎、広重~

19世紀のヨーロッパのジャポニズムに於いて、印象派の画家たちに強烈な影響を与え続けた日本の浮世絵ですが、工藝の分野でも、当代一流の版画家ブラックモンや装飾画家ランベール等が、フランスで大ブームを巻き起こしていた広重や北斎、河鍋暁斎などの日本版画から、全く同じモチーフを抜き出して図案集を作り、その図案を独自に組み合わせてお皿やカップ&ソーサーなどのテーブルウェアを製作していたのです。
これらのフランス陶器 「セルヴィス・ルソー(ルソーセット)」と、「セルヴィス・ランベール(ランベールセット)」の収集を進めてきたのが、19世紀全般を扱うオルセー美術館でした。著作権とか、どうなっているの・・?と思ってしまいましたが、全く同じ絵が描かれている、とわかっていても、出来上がった作品の数々は、ヨーロッパの土壌で一たんふるいにかけられ、エッチングによる図案集が作られ、フランスで充分人気を博すことを確信して制作された、すばらしいものでした。今回、約100点のテーブルウェアが出品されていますが、その7割以上の作品の元絵が判明されたということです。元絵と比較しながら、フランス人がどのように元絵を利用し、各プレートにレイアウトしていたかを見ることができる楽しい展覧会でした。

元絵:葛飾北斎 元絵:歌川広重 元絵:歌川広重元絵:河鍋暁斎
     

上二枚は、私の購入した絵葉書です。左がセルビス・ランベールの《深皿 波に鯉図》、 右は同じく《平皿 鵞鳥図》 共に図の部分です。

最後の部屋には大テーブルが真ん中にでんと設置され、これらのテーブルウェアが素敵にセッティングされていました。

帰りは本館へ寄り、「六波羅蜜寺の仏像」~平安・鎌倉彫刻の宝庫~を見て来ました。
京都にある六波羅蜜寺は真言宗智山派の寺院で、空也が創立者となります。
広くて薄暗い会場内に置かれた13体の仏像のうち、10体が重要文化財。ここを見ようと思って来たわけではなかったので、偶然同時期に開催されていたので得した気分になりました。
これらの特集陳列以外にも、本館には沢山の展示物があり、一枚の券さえ持っていれば他の企画展以外なら全部を見ることが出来、時間と気力がある時にはゆっくりと見て回ると実に贅沢な心地になりますね。
今回は、表慶館の規模がそれほど大きくなかったのと、閉館の8時までに少し時間があったので寄る気になったのです。日差しの強い日中に訪れていたら、きっと、立ち寄る気力は無かったでしょう。金曜夕方からの美術館巡り・・・夏にはいいかも。
帰りの上野の山ですが、ベンチというベンチを占領して、山の住民がごろ寝していました。真ん中に仕切りがあるベンチだけは、ペアが座っていましたが、ちょっと異様な光景です。
ちなみに、夕方、美術館に向かっている時には上半身裸の住民が、ビールだか焼酎だかの缶を飲みながら、井戸端会議の真っ最中でした。上野の山は日本という国の縮図のなのかしら。明日はわが身・・・と、思えてしまうのですもの。

Comments (5)
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大正の鬼才 河野通勢

2008-07-14 | art/exhibit/museum

 
渋谷駅周辺のように、往来の激しい目の疲れる街は、年と共に段々と足が遠のきます。
好奇心の方が強く働く何かがある場合は例外。「えっ?そんなこと言ったっけ・・」に変わりますけど。今回の、河野通勢(こうのみちせい)展の場合は、他の方のブログを通して数点見ただけですが、とても気に掛かっていました。Kちゃんから頂いた招待券の中にこれも入っていたので嬉しかったです。松涛美術館なら、渋谷の雑踏を通り抜けた先の、閑静な住宅街の一角にありますから、その辺りを歩くのも楽しみの一つなんです。

チケットの絵を見て、大正時代の日本人画家がこのようなヨーロッパ的な宗教画じみたものを何故描くのだろう、と思いました。予備知識はほぼゼロ状態でしたが、こじんまりとした美術館の展示室に入るなりビックリです。展示されている絵が壁面だけでなく、中央に設置されたパネルにも沢山あったのですもの。まるで市の美術展のように絵がぎっしりと所狭しに展示されていたのです。
それもそのはず、作品や資料、それに加え近年発見された大量の未発表作品を合わせて約350点もの数だったということです。それが宗教画だけではなく、様々な趣きを持つ油彩、水彩、コンテ、毛筆、銅版などによる作品群なのです。
10代ですでに、かなり高度で成熟した技術を持っていたように見受けられましたが、父親が美術の教師だったということでそれも頷けます。2階には父親である河野次郎の絵が 十数点展示されていました。そのどれもが素晴らしい絵。蛙の子は蛙でした。
(下は自画像)
通勢 ・・みちせい、と読むことを知ったあともサッとは口
      から出て来ない名前。その意図は何かしら?・・
は、父親以外にも、デューラー、ダヴィンチ、レンブラント、ミケランジェロ、ルーベンスなどなど、主にルネッサンス期の画家の影響を受け、模写などを繰り返し、何もかもを全くの独学で開拓していったということには驚きました。
彼が育ったのは長野市。そこを流れる裾花川の周辺を自分で「ニンフの森」と名づけ、好んで描いた一連の絵の数々には、ただの風景画にならない、独自の思いが込められているようです。これは長野市ではなくヨーロッパの風景画だ、と言われても納得してしまう雰囲気を持っています。それは彼が幼い時分から、ハリストス正教の信者としての厚い信仰心を持って育ったからなのでしょうか。大正という時代において宗教心と共に育った絵心、模写を繰り返しながらの並々ならぬ努力。というか一種の情熱。というか粘着力。そんな全てを兼ね備えていた素晴らしい画家が、何故今まで世間に知れ渡らなかったのか、とても疑問に思いました。油彩画、宗教画、銅版・細密画、挿画のどれをとってもうまいしセンスの良さを感じたのですもの。展覧会のサブタイトルである“ 大正の鬼才” とまで言われている人の絵が表に出てこなかった理由は何なんでしょう。
右の女性像は通勢の妻の妹を描いた「好子像」。
1916年、彼が21才の時に描いた絵です。全体の雰囲気がモナリザを、アーチのバックが宗教画の影響を彷彿とさせます。女性像を滅多に描かなかった彼には珍しい一枚と言われています。
最初の方に展示されていた、「梓川河原宿屋前から穂高が嶽を見る」というタイトルの風景画のところにこんなコメントが目を引き、図録は買わないつもりだったので、これだけメモしました。(中略、後略・・確か、あり、です。)
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中学5年生、18才の時に描いた作品。8月半ばに友人と上高地に写生に行き、高村光太郎が同宿だと知る。油彩画の批評を乞うて讃められる。高村は、「焼獄を描いたものの方がよい。何故よいかと云うと自然をよく見ておる。自然を見ないで描く絵はどこかに力が無い。」と評した。この時の光太郎は智恵子と同行し、一緒に画を描いていた。以来、上京する度に高村を訪ね、交流は続いていた。
そして彼から岸田劉生の話しを聞かされた。
 
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
以上のコメントにあるように、実際、上京後に、岸田劉生との深い繋がりが生まれたのです。
中川一政が彼のことを「何でも描けた」画家だと評していますが、何十枚もの自画像などを見ていても、描き方が夫々異なっているし、何でも試して描けるようになりたい、という気持ちのあらわれとして捉えてもいいかな、と思いました。様々な雰囲気を感じさせる沢山の自画像は見ていて愉快になってしまうほどでした。描いて、描きまくって、描けないものなど何も無い、と自分が納得するまで何回でも描く。それが彼の画家としての自信に繋がっていったのでしょうか。


 1915年「裾花川の河柳」
          
           1918年「林檎」

●河野通勢(こうのみちせい1895–1950)は、大正期から昭和戦前期にかけて活躍した画家です。高橋由一に学んだと言われる美術教師・写真師であった父河野次郎のもと で絵画を学び、早熟にして天賦の才能を見せます。デューラーなどに影響を受けた細密で存在感あふれる徹底した写実描写で知られる作風は近代美術のなかにあって異彩を放つものです。二科会への出品から、白樺派への接近、そして岸田劉生の率いる草土社へ参加、劉生死後は大衆小説の挿絵を精力的に制作し、近代の画家として小説挿絵の草分け的な存在でもありました。
 通勢の絵画は、「何でも描けた」と中川一政に言わしめた天才的な描写力とハリストス正教会の信者としての強い宗教的な内面性を持ちつつ、独特の空想的な物語を包含するものです。それは、画集などをもとにした独学ゆえの特異なものでしたが、神的なものへの憧憬ともみえる精神性は、大正期の時代精神とも通底する生命主義を感じさせます。
 近年になって、関係者のもとに大量の未発表作品が発見されました。特に十代から二十代にかけて執拗に描いた裾花川周辺を題材にした初期風景画、そして聖書・神話を題材にした作品群は圧巻です。また『項羽と劉邦』『井原西鶴』などの挿絵原画は、高い密度と完成度があります。さらに、銅版画についても関東大震災に取材した一連の作品は大変貴重なものです。その他にも、日記、覚え書き、スケッチ帖、書簡類などの膨大な資料が新たに見つかりました。
それらはより如実に作家の目指していたものを示しており、制作の秘密を明らかにしうるものであり、今までにない河野通勢の画家像を発見することができると思われます。
 本展は、代表作を含めながら今回の新発見の作品を中心にして展示し、初期作品から制作のなかでひとつの区切りとなった昭和前期までの、河野通勢の特色が明確であった時期に絞って作品を構成しました。ともすれば岸田劉生の陰に沈みがちであった作家像ですが、その原点を今いちど見直すことによって、大正期の美術史の中で極めて個性的な輝きを放つ河野通勢の、今までにない姿を紹介しました。
(出典:
平塚市美術館HPの「これまでの展覧会」より)

松涛美術館の2階には第二展示室「サロンミューゼ」があり、部屋の真ん中にはゆったりした応接セットがあって喫茶も注文できます。絵を見ながらカフェできる美術館だなんて、いいですねぇ。 喫茶は4時半までなので、この日はちょうど終了したばかりの時で残念でした。
でも、ここへ来る途中、Y 字路の角にツタの鬱蒼と絡まるお店が気になったので、見終わった後そこへ向かうことにしました。

      

お店の名はGalettoria。新しいお店のようです。
店内はフランスの片田舎をイメージしたような素朴でシンプルな作りです。ガレットは私にとって、表参道のル・ブルターニュで食べて以来。北海道のそば粉を100%使用しているそうです。そば粉でなく、小麦粉を使うと、それはクレープといわれる甘いデザートとなります。今回は、夕食前なのでチーズとハムの簡単メニューにしましたが、何種類かのペッパーが効いていて美味しかったです!コーヒーカップがもっと大きければなお良かったな。あるいは一回おかわりが出来るとか、ね。美味しいものを適度にいただくと、仕合せな気持ちになるんですよね~♪まだ5日前のあの味が舌に染み付いている感じです。

美術展についてブログアップすることで、今回はちょっと悩みました。もっとシンプルにならないものか、アップの仕方をどうしたらいいか考えれば考えるほど分からなくなり、写真のみを草稿画面に入れたはいいけど、書く言葉がずっと見つかりませんでした。何もかも書こうとせずに、ラクに楽しく(ラクと楽しいは同じ字でしたね!)続けることを意識しながらでしたら、“書く言葉が見つからない” にはならないかな、と思い始めました。今回も長くなるし遅れるし、でしたが、来月で、ブログ開設から丸三年が経ちます。この機会に、早く、は難しいけど、シンプルに、を念頭に入れながら少しずつ楽ログにしていきたいと、それなのに・・嗚呼、それなのに~長々と書いているトホホ・・のbiancaでした。


 

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大岩オスカール:夢見る世界展

2008-07-08 | art/exhibit/museum




オスカール・大岩は1965年ブラジル生まれの日系二世。
サンパウロ大学建築学部を卒業後、活動の場をサンパウロから日本へ、
そして2001年9月の米国同時多発テロによる
世界貿易センタービル崩壊の時期の前後にNYへ、と移動した。

初めて見る彼の作品の数々だったが、ブラジル日系二世が東京都の大きな
美術館での展覧会開催にこぎつけているんだから、きっと何か
強烈なアピールがあるんじゃないか、と、最終日の2日前に出かけた。
会場に入るなり、巨大な絵に圧倒されっ放し。
二番目の部屋にあった、クジラⅠ・Ⅱ!(雑誌より) 大学時代の作品だという。
お金はなかったが大きいものを作りたい気持から、
大学の夏休み中に、教室をスタジオ代わりにして制作したという、彼が
23才の時のこの作品は、2年後のサンパウロ・ビエンナーレに展示されたという。
(※上のリンク先にある写真がサンパウロ・ビエンナーレでの光景)

建築出身だからか、建物の描写をもとに、オスカールのファンタスティックな
イマジネーションが加わった作品が多く、それぞれのスケールの大きさに目を見張る
ばかりだった。目の光った犬が描かれた「野良犬」も227 x 666 cm と大きいし、

 

チケットやパンフレットに使用された、“ガーデニング” シリーズの一つ「Manhattan」も
227x 555 cm という大きさだ。彼のHP内の「works」では、この絵を含め、沢山の
作品を見る事が出来るけど、やはり現物の持つ迫力は、実際に会場に来て絵の前に
立って見なくてはきっと判らないだろうな。



「カラスの巣」という、工事現場を巣にみたてたような左の作品でも、227 x 222 cmの大きさだ。大きさ以上に、彼の尽きない豊かな発想力とか、社会を見る目が作品を見ていて伝わって来る。
人のいない絵でも、そこに身近に存在する生活や環境などが感じとれるし、第一、見ていて楽しい。
学生時代や貧乏をしていた頃、広告代理店で働いて、早く金持になりたい、と一瞬迷った時期もあったというが、最終的に、大変な画家の道を選んだそうだ。
ニューヨークを生活の場として選んだのは、どうやら広くて大きなアトリエが手に入り易く、作業し易い環境だったからのようだ。

「シャドウキャットとライトラビット」というキャラクターは、とても面白かった。実際の模型のキャラクターも展示されていた。TakさんのHPで写真を見つけたので是非見て下さい!最初は何これ、ただのキャラクターグッズじゃん、と思ったけど、見ている内に次第に可愛くなり、連れて帰りたくなった。

         この作品は、ある夕方、パリの空港についた時に数十匹の兎が、滑走路
         横の草原を走っていて、夕方のきれいな光に照らされていた印象から生ま
         れました。後で 
この作品をもとにして、彫刻をつくり、今回始めてこの作品
         の前に彫刻を一緒に展示することにしました。(作品解説より)

4月29日から開催されていたこの展覧会も7月6日で終わってしまった。
興味おありの方には、いつもながら、遅い投稿で、というより、終わっちゃうよ~と、
慌ててかけこむ悪い習慣があり、申し訳ないけど、8月9日からは、
福島県立美術館で展覧会が巡回されるとのこと。
製作過程のメモやラフスケッチもあり、2階ではドキュメンタリービデオを通して、
オスカール自身がこれまでの彼の道程を語っていた。私にとっては懐かしい
二世の話す日本語。淡々とした語り口の中にも、しっかりとしたヴィションと経済力を
垣間見た。
彼は絶対的にブラジル生まれの日系二世であって、
日本に育った日本人ではない。純粋さと負けん気、そしてしたたかさを
兼ね備えている。と思う。心の中で思っていてもそれを口に出さない人もいる。
が、思っていたことをそのまま率直に言葉で表現出来る人もいる。
言葉は受け取り側により、誤解される場合も多々あるが、その辺が、
「何を考えているかわからない」と言われやすい日本人との差
なのかな、と、ビデオを見て感じた。
 

戦前の日本から送られるダンボール箱」

 

供の頃、日本にいたおばあちゃんから、たまに小包を送ってもらいました。いつも印象的だったのは、そのダンボール箱を開けた瞬間の日本の臭いでした。
箱の中には、椎茸、お茶、ふりかけ、お菓子などが入っていましたので、その臭いはそこから来るるのではないかと、長年思っていました。
 
ブラジルで日系人と言えば、おとなしくて、よく勉強して、まじめなのが一般的です。
このイメージが大嫌いだったので、長年日本という国に興味を持てませんでした。
かし、初めて日本に来た時、このイメージは大きく崩れました。バブルの直前、若者はとにかくよく遊び、あの自分の中の日系社会から読み取った“日本”は戦前の日本だったのに気付きました。
正直言って、ショックでした。
でも、一つだけ自分のイメージの日本がありました。
それははじめて電車に乗った時でした。
あの臭いは昔ダンボールを開けた時のと同じものでした。まるで、椎茸やふりかけが回りに座っていたように見えました。    
         
              1998年国際協力事業団『海外移住』より

  kちゃん、毎度チケットを有難うね!

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2008-07-02 | art/exhibit/museum

先週末に書いて「草稿」状態だったのを、7月になってしまいましたが投稿いたします。
昨日から一年の後半が始まると同時に、待ちに待ったバーゲンセールも始まりました。
今日、夕飯の買物ついでに駅前の「MONA」を覗いたら、4月に正価で購入したものが半値になっていたので、くやしぃ~~~。
 

                さて、先月27日は・・・

先週、新聞記事で、「がんばれニッポン、を広告してきたんだそう言えば、俺。」の
自称「個展が世界一似合わない男」、佐々木 宏さんの個展があることを知った。
そんな名前聞いたことない、と思ったが、読んでいくうち、彼がJR東海の、「そうだ 京都 行こう」や、「サントリーのKONISHIKIキャンペーン」や「BOSSシリーズ」などなど、テレビや新聞などのメジャーな広告キャンペーンを発信していた人ということが分った。
6月28日(土)までだったので、その前日に用事のついでに寄ってきた。場所は交詢ビル前の銀座グラフィックギャラリーggg(入場無料)。
佐々木宏氏はアーティストでなくて、クリエーティブ・ディレクターだそうで、「本を読むのが大の苦手、映画見るのも、美術館行くのもめんどくさい。充電するのが嫌い。放電する一方。趣味は、テレビと酒とカラオケですから、・・・・」と、じゃぁ、そんな人の、見たって面白くなさそうだ、と思ってしまう風にご自身のことを言い、更に「広告バカですから。」と言う。
なんか、言っていることとやっていることのギャップが大きいと、ちょっと注目したくなる。

入るなり沢山のパネルメッセージとモニターが狭いギャラリーにぎっしり。
それぞれのモニターが同時に別々のコマーシャルを流している。「サントリーウィスキーオールド」の型に鎮座しているKONISIKIに、今更ながら笑い、SUNTORY BOSSって、こんなに多くの種類があったのか、と驚いたり、ソフトバンクのイコールのようなロゴが、坂本竜馬の海援隊の旗から来ていて、赤を黄色に変えたのだ、ということがわかったりしてそれなりに面白かった。
テレビは目が疲れるし・・というか、余り見ない(今、ほぼ故障状態)ので最近のCMはよく知らないが、JRの車内広告での「そうだ、京都」シリーズはとてもいいと思っていた。
こういう広告なら、写真がとても美しいし、短いコピーが効いている。
そうだ、今度京都に行ってみたいな~、と思ってしまう。
そうだ、ブログも短く纏めよう、と何回も思っているのだけど、短い文ほど難しいのね~。

                                          
サントリーといえば、むかしむかし、その昔、私がまだ子供のころ?
柳原良平氏によるイラストで「アンクル・トリス」が登場するトリスウィスキーのこのようなCMがとても印象に残っている。開高健氏、山口瞳氏などと一緒にサントリーの前身である寿屋の宣伝部の黄金時代を築き上げた時代
。この会社の宣伝部に開高健氏や山口瞳もいたというから、かなりユニークな個性溢れる人材を抱えた会社だったと思う。
平成15年には「伝説の男、アンクルトリスが帰ってきた」という触れ込みで “のこのこ” というテレビCMが登場したそうだ。やっぱりあのコマーシャル、面白かったよね、と思っている人が大勢いたので帰ってきたのかな。ネット上でこういうCMを
見れちゃうとはすごい時代力を感じる。You Tubeで見れる他のアンクル・トリス・シリーズも面白かった。佐々木氏って、アンクル・トリスみたいなおいちゃんなんかしら~と思ってしまった。

     
最初に放映されたCMは、1958年の「トリスバー」です。
     昭和30年代、東京、大阪を中心にトリスバーが次々と誕生し、
     トリスバーブームの現象を呈していました。このような現象を背景に、
     バーの止まり木で一杯のウイスキーと等身大のキャラクターとして、
     柳原良平氏によるアニメーション「アンクル・トリス」が登場したのです。
     人気キャラクターのアンクル・トリスは、35~40才で独身。少々頑固で、
     こだわりが強く、義理人情に弱く、お人好し、といわれています。(webより)

狭いギャラリー内で、過去のコマーシャルを熱心に見入る人々はどんな人なんだろう。
コマーシャルといえば、毎週火曜日に新聞コラム「CM天気図」を時々読んでいる。先週のはこんなだったけど、佐々木氏が、「自分で言うのもなんですが、弱っちい企業を、逞しい企業にしたり、パッとしない商品を、きらっと光る商品に育てたり、の応援団長つとめてきました。」という言葉と重なった。違いなんかないよ、と、どれでも同じだなんて決して言わない宣伝文句を逆手にとってのアイディアというが、ま、ごくろうな話だ。
アンクル・トリスがすごいのは、何回見ても面白い点だと思う。トリスウィスキーがどれだけ売れたかは知らないけど。

 追記:  gggの帰り道に、やはり先週の新聞記事で知ったのだけど、銀座松坂屋
      裏のフラワーショップの前に、数年前から桐の木が生え、大きな葉をつけて
      いるとのことで見に行った。こぼれ種から発芽してコンクリートの繋ぎ目から
      成長したとはいえ、とても立派で、生物の逞しさを感じた。放っておいても
      大きく育つ生物と、手をかければかけるだけ厄介になってくる生物がある。
      育てる側の大きさの違いかしら。今後のこの木、ちょっと気になってきた。


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100年目の「赤毛のアン」

2008-06-22 | art/exhibit/museum

今年はL.M.モンゴメリの「赤毛のアン」が出版されてからちょうど100年目。

同じ年の4月28日には第一回ブラジル移民を乗せた笠戸丸が神戸港を出航しているので、今年は日・伯各地で様々な行事が行われていますし、テレビでも多くの特集番組が放映され、皇太子殿下も目下訪伯中です。

今月、双方の100年目を記念した切手が発売になったと聞いていましたら、昨日、夫が友人から一種類のシートを頂いてきたんです。こんなこんな

先日、「赤毛のアン展」のチケットがあったので日本橋まで行ってきました。
三越新館のエスカレーターを7階へと上っていきながら、すでにその展覧会の混みようがわかりました。5階にある大食堂「ランドマーク」で軽くお昼をしようと思っていたのに、そこが行列で大変混み合っていたのですもの。最も広い大食堂が混んでいるってことは、その他すべてが混んでいるってことなので、まずは会場に入ることにしました。入口を入ったところからすでに、多くの人が壁面のパネルを熱心に読んでいるので先に進みません。だいたいが5,60代の方のようです。村岡花子さんの翻訳本でアンに夢中になった方々なんですよね。 そう言う私も少女時代、姉と競ってアンシリーズを読んだものです。小説「赤毛のアン」を愛読した方々は各々の頭の中に色んなアンの姿を描いていたと思います。

ナダのプリンス・エドワード島に生まれ育ったL.M.モンゴメリーが34才の時にやっと、ある出版社に原稿が採用され、一冊の本となった名作「赤毛のアン」とそのシリーズ。作者の生い立ちと重なっている部分がこんなにもあったのだ、と、今回の展示資料で良く分りました。孤児でこそなかったけど、幼少時代に母親を亡くし、厳格な祖父母に育てられたアン、じゃなくてルーシー・M.モンゴメリー。最後まで家を飛び出すでもなく、その境遇を受入ながら学び、教師になり、未亡人となった祖母を支え続けました。マクドナルド牧師と婚約してからちょうど5年後~祖母が亡くなったすぐ後に結婚を果たしたのです。ルーシー36才の時でした。
書き手の体験が様々な場面に投影された作品だからこそ、少女小説を越えて世界中でベストセラーになり、100年経った今でも愛され続けているんだと思います。

右下の本は初版本。海外では記念の年に復刻版が出版されたようです。

世界中の赤毛のアンの本の表紙の展示や、お気に入りの絵や写真などを切り取りスクラップ(webで見っけ!)していた見本とか、日本初公開の直筆原稿と、これも初公開となったモンゴメリ家伝来の調度品(アンのお気に入りの陶製の犬のモデル)である“ゴクとマゴク”のうちの「マゴク」など、本物の展示品が興味をそそりました。同時に、村岡花子さんがこの本を翻訳するようになった経緯などがよくわかり、展覧会の最後の頃にはすっかり《村岡花子ワールド》に入れ替わった感がしてしまいました。
赤毛のアン記念館・村岡花子文庫があること、お嬢さんとお孫さん
がしっかりと守っていることなども同時にわかり、嬉しくなりました。
原題の「アン・オブ・グリーン ゲイブルス」を邦題でどうするか、のエピソードもこのHPの中に書かれています。
ただ、外国小説に関する展覧会はどうしてもパネル中心になり、それを読まなくては前に進めないし、レプリカの多い展示品は迫力に欠けるし、それが自分の想像していたものと違うとがっかりします。マンガ化・映画化の印象より、もっとセピア色の時代をもろに感じたかったな、というのが正直な感想です。

7階を新館から本館へ行くと山形物産展
の会場に行き当ります。物産展の中にあっ
た蕎麦処「庄司屋」が3人待ち程度だった
のでそこで遅い昼食をとることにしました。
冷とろろ蕎麦が美味しかったし、お隣さんが
注文したずんだ餅も食べたかったな!
そば打ちの実演は見ていて飽きないくらい
面白かったです。家には秘伝豆と夕食用
としてずんだコロッケを購入しました。


    帰宅するとドアポストに郵便物お預かりのお知らせがはいっていたのです。クール便と
    なっていた為すぐに再配達をお願いしたところ、夜遅く配達されたものは・・・
                     じゃ~ん!
    山形物産展で目にしたばかりの山形産サクランボ。自分では買えない(買わない)
    お値段です。甘酸っぱくて美味しかったぁ。時をほぼ同じくして、北海道からは旬の
    グリーンアスパラガスが届きました。母や姉に分けて新鮮なうちにお腹にいれましたと。
                  ご馳走さまでしたぁ!!

 
 
 
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最後のマンガ展

2008-06-06 | art/exhibit/museum

一日中雨の火曜日、上野の森美術館に行ってきた。
そのマンガ展は、私のお気に入りの中の一つ、さなメモで紹介されていたのだが、その前に、彼の
著書「明日の広告」のなかで、『スラムダンク』の作者である井上雄彦氏の、以前の展覧会について書かれていた内容を読み、とても感動していた。これを読んでいなければマンガ展があると言っても果して行っただろうか?

一方の、誘った友人はといえば、行きつけの美容院に行った時、アシスタントの男の子が、先週見に行ってきてとても良かったと言っていたのを聞いたばかりだったので、この展覧会があることを知っていた。そんな偶然がなければ彼女を誘っても興味無いと言われたかもしれない。

上野駅の公園口はいつものように中高年で埋まっていた。上野の森美術館へと歩き始めると、だれも後から付いてこない。途中で若い子がどこからともなくやって来ただけ。混んでいなさそうなのに会場入り口で少し待たされたあと、中へ通された。それが今回の入場の仕方なのかな。会場を中に進むと墨で描かれたドデカイ武蔵の絵に圧倒された。この展覧会は1998年から週刊モーニングに連載されている「バガボンド」の、ずっと先の、もしかしたら最後になるかもしれない部分の武蔵を描いている。単行本としては28巻が先月発行されたばかりだ。後で知ったのだけど、展覧会には「バガボンド」を読んで来てから見てほしい、との作者からのひと言がどこかに書かれていた。それはそうだと思った。だって愛読者なら、それまでのマンガのあらすじがわかっているけど、私たちには描かれている人物を見ても、それが誰だか分からなかったりしたもの。これは佐々木小次郎かなぁ、とか想像しながら見るしかなかった。が、ストーリーがあやふやでも見ていてその迫力が伝わってくるし、マンガと言えども140点の肉筆による白と黒の絵の世界からは井上雄彦氏の力強いメッセージが聞こえてくるようだった。

最後の方で、床の色が二色にわかれていた。母と子の感動的な場面だ。だれも作品側の白いほうへ踏み出そうとしない。近くにいた係りの人に尋ねると、立ち入り禁止のスペースではない、ということが分かった。会場のラストは、白い部分が今度は砂に変わっていた。素晴らしい演出!共に砂浜を歩いている気分に浸れ、胸がいっぱいになってきた。マンガを美術館という広い空間で、その広さを自由自在に操り利用した、前代未聞の展覧会だった。単行本を揃えようかなぁ。

 出口を出た所でこんなのをいくつか見つけた。
最後まで見せてくれる素晴らしい漫画家だ。
最後の・・・・・・なんて、ヤだぁ~!

 



 
  


お昼に天丼はどう、と、すでにそのお店を頭に描いていた友人。その店は以前入った「トンカツの双葉」のすぐ近くにある昭和三年創業の「天ぷらの天寿ゞ」。ご飯の上にたっぷりと乗っている天ぷらはなかなか美味しかった。
食後は「うさぎや」でお土産用にうさぎまんじゅうを買い、賞味期限が当日限りの名物どらやきは一つずつ買って、向かいにあるカフェベローチェでコーヒーと共にいただいた。(持ち込み禁止だったかな?)出来たてホヤホヤのように、ふんわりと温かくておいしかったぁ。

 
 
      

 

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磁器の美

2008-05-27 | art/exhibit/museum

いいな、と思う磁器は高貴なものが多く、普段使いに
ちょっと買っておこうか、と言う気になっても安易に買える
値段のものは滅多にない。展覧会でも、ガラス越しに
しか見れないので、それほど興味が湧かなかった。が、
3月に戸栗美術館で開催されていた「鍋島-至宝の
磁器・創出された美ー」展を見て初めて素直に素晴ら
しいと感じた。一緒に行った友達の解説付きだったこと
もあり、尚のこと見入ってしまった。
   
   様々な文化が花開いた江戸時代において、
   独特の感性と最高の技術を併せ持って生み
   出された至宝、
それが、鍋島焼きである。

と聞くとますます一般庶民の手に届くものではなく敬遠
したくなるが、絵画鑑賞のように目の保養にはなる。

戸栗で見たのが良かったので、今回、出光美術館で
開催中の「柿右衛門と鍋島ー肥前磁器の精華ー」展
に行って見よう、という気になった。日比谷通りに面した、
帝劇ビル9階にあるのこの美術館を訪れたのは初めて。
やはりご年配の方が多いのは当然のこと。若い時分は
このような絵柄は古くてヤボで田舎臭いと思っていた。
結局それは本物を見ていなかった、と言う事だった。

17世紀後期に生まれた柿右衛門と鍋島は、日本の色絵磁器史上の金字塔
といわれるやきものです。柿右衛門は肥前の民間の窯により、主に西欧向けに
輸出された高級器で、彼の地の王侯貴族の城や邸宅を美しく飾りました。
一方の鍋島は、佐賀藩主の鍋島家から徳川将軍家などへの献上品として、
その威信をかけて特別につくられたうつわでした。鍋島の格調高い絵文様は、
他の窯の追随を許しません。

  
   (上)色絵栗樹文大皿 鍋島 江戸時代中期

出品リストは以下の項目別に並べられていた。

1.磁器の誕生 -小唐津から初期伊万里へ 
2.赤絵の創成 -初期柿右衛門の挑戦 
3.飛躍する肥前磁器 -寛文時代の色絵 
4.和様の深まり-優雅なるうつわ 
5.中国官窯への憧れ-技法の原点・五彩と豆彩 
6.鍋島の格調-大川内山・鍋島藩窯の世界
7.柿右衛門の優雅
8.古伊万里(金襴手)の華麗 -新たなる時代の色絵

そして 断片の数々

(左)色絵花鳥文八角共蓋壺 柿右衛門 江戸時代前期重要文化財



柿右衛門の特徴は純白の磁肌を多く残すことで、繊細に描かれている花鳥文や草花文
を引き立たせている作風だ。ヨーロッパ貴族の間での人気が高く、ドイツのマイセン窯では
模倣品を数多く作ったというから、江戸時代ってたいした時代だったんだなと思う。

会場が広々して見応え大だった。皇居のお濠に面した所に「断片室」というのが設けられ、
引出しを引くと断片が見れるようになっている。同じく窓際にはイスが皇居に向かって並び、
無料の給茶器
も備えてあるので、鑑賞後の休憩の場としては最適だった。

すぐ近くの新国際ビルの一階に“パティスリー サダハル・アオキ” を見つけた。中に入りショー
ケースをのぞいたが、どれも小ぶりで高い。最近はチョコレートでもなんでも高い店が軒並み
なので驚きゃしないが、奥のカフェ・・入ろうかどうしようか考えていた時、「写真撮影禁止」
の文字が目に入ってきたので入るのを止めた。どうしてもブロガー的決断になるんだよね。

暮らしの風4月号で「古伊万里の魅力」と題した陶磁研究家の中島由美氏監修の記事
を、処分する前に改めて読んだが、由美さんの父親が古伊万里染付人気の火付け役で
あり、「開運!なんでも鑑定団」で有名な中島誠之助氏だったことと、由美さんが戸栗
美術館の学芸員をされていることも知った。

 

これは2ヶ月前に行った戸栗美術館の「鍋島」展のパンフ
レット。小さな美術館なのですぐに見終わってしまうが
良いものが揃っているしホールではカフェも頂ける。(有料)
現在は、「初期伊万里展ー素朴と創意の日本磁器」が
開催されている。私たちがここを訪れた時は駒場民芸館
を見た後だったので、駒場から、歩きたがらない友を無理
やり歩かせ徒歩で来たけど、帰りは、こんな所にあったんだ、
と言いながら無人のような旧都知事邸のまん前を通り抜け
渋谷へと向かった。

 

          

4月に「中国陶磁名品展」を白金の松岡美術館(上下の写真4点)へ見に行った時は、中国の陶磁器の素晴らしさに目を見張った。ブログ記事が思うようにいかず、今ごろの写真upだけど、一階ホールが広々して気持ち良い。ここもカフェが出来るようになっているし、写真撮影は他の客の迷惑にならなければOKとのこと。日本の美術が中国の影響を大きく受けていたことがよく判った展覧会だったし、ブッダをはじめとする彫刻も素晴らしく、チケットを下さったKちゃんに感謝!でした。

       
 

戸栗、松岡、そして今回の出光と、今年は初めての美術館を知る機会に恵まれて嬉しい~。
が、今回有楽町で下車したのは、本当はボブ・ディランの「I'm not tere」を見るためだった!
シネカノンでの上映が金曜日までだったから。なのに満席でチケットが買えず、ならば、と、銀座テアトルシネマへ「ラフマニノフ・・・」を見るべく向かったが、始まってから少し過ぎていた。しばらく考えて、出光美術館へ行くことに決めたが、最初の目的は映画だったということだ。出光のあと、夕方の時間でもいいから見て帰ろう、と思い直し、またシネカノンへ寄ったら再び満席!こうなったら6月まで上映している渋谷まで行くしかないんだろうな。有楽町~銀座~帝劇ビル~有楽町~東京と行ったり来たりしてよく歩いた日だった。

   

 

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エリック・カール展へ

2008-05-11 | art/exhibit/museum

  

絵本の魔術師 エリック・カール展
こんどこそ招待券をちゃんとバッグにいれて、銀座に用事のついでに寄ってきました。
一週間に二度も銀座に行ったことになりますが、この展覧会が5月12日までなので
中途半端のまま、upします。ま、このくらいが丁度いいのかも知れませんね。
今回は予想を上回り、楽しく面白く、エリック・カールの世界に巻き込まれてきました。
“はらぺこあおむし”という絵本をご存知でしょうか?可愛らしい絵だこと、と思っていた
のが、それがコラージュ(切り絵)によるもので、その紙がティッシュなんです。更にティッ
シュを様々な色で着色し、何段もある引き出しに、色別に収納し、絵を作成する
都度、その引き出しから紙を選んで、下絵を見ながら切り抜いていく・・・そんな一連
の工程が会場内の映像で見る事ができたので、この人の絵本が全てその手法で作
られているんだ、と分ったのです。
上のHPでも制作過程を見る事ができますよ。エリックさんってとっても温かい人!
「パパ、お月さまとって!」という絵本は、娘にそうせがまれた事から生まれたのですって。
お月さまに向かって長い長いハシゴが伸びている絵がとても印象的。
そんなエピソードを聞くと、ますますエリックさんが可愛くてたまらなくなりました。

「エリック・カールから日本の子供たちへ」のメッセージが先月の新聞に載って
いました。読みながら、とても優しい気持ちになっている自分に気が付き、この感覚を
忘れたくない、と、その時は思ったのですが・・・優しさと易しさの違いほどに簡単では
ない気がしました。

     創造することを楽しんで

      日本の子どもたちに伝えたいことはたくさんあります。
     創造することを楽しんで下さい。どんな絵も完璧に
     仕上がることはありませんが、それでいいんです。
      この展覧会は、学びの場であり、楽しみの場でもあります。
     たくさんの色を楽しんで、家に帰ったとき、いい経験をしたと
     思ってくれたらうれしいです。
      もうひとつ、世界中に伝えたいのは、お互いに優しくなろう
     ということ。簡単に聞こえるけど、とても重要なことです。


 

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たまたま“ぐんまフェア”その2

2008-04-27 | art/exhibit/museum

全国都市緑化フェア」は、緑豊かなまちづくりを主な目的として、
昭和58年から毎年全国各地で開催されている花と緑の祭典です。
今年の第25回目は群馬県が開催地となり、県内には157箇所におよぶ
サテライト会場が設けられ、3月29日から6月8日までの72日間に亘り開催。
去年は船橋、来年は岡山が開催地になるそうです。



赤城南面千本桜を見たあと、来た道を高崎駅まで時間を気にしながら戻りました。

高崎会場は「駅をおりたらフェア会場」を合言葉にしているだけあり、
本当に駅を降りたところからカラフルな花壇やハンギングバスケットが
至る所に配置されていました。目的の高崎シティーギャラリーに着くまでの
あいだ、フラワーウォッチングしながらのウォーキングはとっても楽しいものでした。
写真を撮りながら「音符の花壇」を見つけたり、お神輿とすれちがったり、・・。

 


 

 

3時半からは星野富弘さんの「花の詩画展」開催記念特別記念講演会が始まるので会場に急ぎました。ホールはほぼ満席状態。運良く前の方に空きを見つけ座る事ができました。
講演前の約15分間、岩渕まことさん、由美子さんによるミニコンサートもあったのです。岩渕さんは富弘さんの詩に曲を付け、「ぺんぺん草のうた」(プロモーションのところで試聴できますよ)というCDをリリースされた方。
ドラえもんの映画、「のび太の宇宙開拓史」のテーマを歌っていた方でもあります。
音楽が始まるや、富弘さんが車椅子で会場に入って来て観客席の近くで皆と一緒に聴いていました。講演はコンサートのあとすぐに始まりました。
初めて富弘さんに出会ったのは、もう十数年前になりますか。銀座教会で詩画展が開催された時でした。見終わって帰ろうとした所、教会の前で送迎の車に、寝たままの状態で乗り込むところだったんです。
読み手の心を打つような詩画の数々をこんなに不自由な体で書き続けているんだ、と思うと、尊敬の念が湧いてきたことでした。
あれから年数が経ち、お互い中年以上になりました。だからこの日は私にとっては再会の日なんです!
良い顔色の、ちょっと太ったかな、と思われる優しげな表情の富弘さん。講演会では、それまで描いてきた幾つかのスケッチをスクリーンに映しながら、その花にまつわるお話を淡々と、時にジョークを交ぜながらお話をなさいました。彼のすぐ横には映写機を操作されている奥様が座っておりました。お話の中で、まだ記憶に残っていることを、お粗末ながら少し書いてみましたが・・・間違っていたらご免なさい。

  さくら・・・  家の周辺をあちこちお花見しながら歩きます。これぞ桜伝線
         花の咲かない桜の木が家にあるのですがどう見ても、葉がだらりと
         して柳にしか見えないので僕は柳だと言っています。ヤな木です。 
  
  
花キリン・・・入院中から37年間見続けている花。ある秩序を持って咲いて
         いることを知りました。普通、鉢物は花の切れ目が縁の切れ目
         となり放り出してしまうと思うが
 この花は一年中咲いています。  
         植物とはどういうものかをこの花に教えられました。  
         
         展示されていた花キリンにはこんな詩が書かれていました。

                  花と棘が
                  同じところから
                  生えている
                  やがて
                  花は散り
                  棘だけが残る
                  何だか私の心のようで
                  胸の奥がチクリと痛い

  たんぽぽ・・・横に寝てしまい枯れたと思ったタンポポ。それにはちゃんとした
         理由があります。寝ている間に、綿毛の用意をしているんです。
         用意ができるとまたしゃんと真っ直ぐに立ちあがります。
                            
         

  ひまわり・・・花の後ろの茎がほぼ直角に曲っていますね。何万本ものひまわり
         畑で、日没後一斉に首を回す現場を是非見たいものです。そん
          な現場を見たと言う人は今だ現れないということは、有り得ないと                 
         いうことかな。太陽を追わない花のようです。
       
あっという間の約一時間、富弘さんの視線の深さと優しさを少し垣間見る事が出来た気がしました。あまりにも日がたってしまい、忘れてしまったことも多いのですが、家に帰ってから、「愛、深き淵より。」を少し読みかえしました。壮絶な記録です。事故後、体を全く動かせず、頭蓋骨に2ヶ所穴を開け牽引、固定され、喉に穴をあけての人工呼吸器を取り付けている間、言葉を発する事も出来ない状態のなかで、夜な夜な眠れない恐怖にさいなまれたといいます。こんな状態で一体自分に出来ることはあるんだろうか、と考え、ふと、暗唱できる好きな詩や漢詩があることを思い出したのです。それらを心のなかで何回も諳んじていたら、不思議と安らかに眠りに着くことができたそうで、「もし運良く生きつづけていくことができるならば、これらの詩のような命ある言葉を、もっともっとたくさん、心のなかに貯えたいと思った。」と。そのときの思いが今日の富弘さんとなっていったのでしょう。支える方々の献身的な生き方にも大変心を打たれます。

講演のあとは、ギャラリーでの「花の詩画展~葉っぱの数だけ花が咲く~」を鑑賞しました。「雨ニモ負ケテ・・」の詩画では思わず笑みがこぼれましたし、「背中」には納得、共感させられました。
                
    背中
                  自分の顔が
                  いつも見えていたら
                  悪いことなんか
                  できないだろう

                  自分の背中が
                  いつも見えていたなら
                  侘しくて涙が出て
                  しまうだろう

                  あなたは
                  いつも見ている
                  私の顔を
                  私の背中を
                  いつも見ている

 

 講演会と詩画展にすっかり心満たされ外に出た所、隣接の「元気ステージ」では、先ほどミニコンサートを行った岩渕まことさんの、こんどは「ぺんぺん草のうた」コンサートが行われていたのです。そして驚いたことに富弘さんと囲む会の方々も観客として居るではありませんか。
風が強く、寒くなってきて一人又一人と帰ってしまう中、結局最後まで聴いてしまいましたよ。みんなで歌う箇所では大きな声で心を込めて歌いました。岩渕さんご夫妻とそのグループって魅力的です!もしかして私、ファンになってしまったかも、です。
最後までその場にいたお陰でこんな写真も撮る事が出来ました。そして、最後の最後に!富弘さんにホンのひと言お声を掛けました。あ~ぁ、こう言う時ってどうして思ったように喋れないのかしら。全く月並みなひと言になっちゃいました。




気がつけばすでに夕暮れ時。今回の緑化フェアのサテライト会場にまだ足を運んでいなかった
ので、すぐそばのもてなし広場だけに立ち寄りました。このような会場があちこちに設けられて
いるので「ついで」に、見て回るのは全く不可能ですね。
今回は「食」に関してはパス。屋台での焼きそば。高崎駅のパン屋さんのイートイン、そして
すずらんデパ地下でのバナナジュース。どれも安い!旨い!これで充分満足の一日でした。

   
 
   ↓↑もてなし広場の“エコロジカルキューブ”(下の写真はタウン誌より拝借)

これで締めにする所、帰り道に素敵なお店
を見つけたことを思い出してしまいました。
すでに外は暗く、商店はそろそろ店じまいの
時刻のころ、そのお店にはまだ灯りがついて
いました。入り口をガラッと開けたら開いたの
で中に入り、見せて貰いました。
                                                                                                                             

和服姿の若い方がとても感じよく、着物以外の
ガラス玉のアクセサリーな
どの説明をして下さった
り、
今回の緑化フェアでは花不足で苦労したこ
ととか、隣りの蔵ではお茶をいただけるとか、その
店が築150年だとか、いろいろとお聞きしました。
お店の名前は「きものの彦太郎」。
    

又、高崎に来る前日、学生時代の友人で今
は名古屋住いのおKから、東京に来ているから
Kちゃんと3人で会おう、との電話をいただいたの
です。最後にお会いしたのは何年前だったかしら・・・その日しかあいていないと言うので
どうしよう、と迷ってしまったのですが講演会がなければ高崎行きをやめて友人と会うほうを
選んだのに・・・・とっても残念でした。ゴメンネ、おK!
次回を楽しみにしていますね。ということでやっと今日のブログは・・・THE END・・・。
「勝手に書かせてブログ」なので適当にお付き合いのほどを。でもまだキリッとショートに
憧れてはいるんです。・・・なんて書いていると更に延々と続いていきそうだぁ。

追記; 7月25日から8月7日まで、軽井沢あさま未来フォーラムに於いて、今回同様の
     星野富弘・花の詩画展が開催されます。それに先立ち7月24日には軽井沢
     大賀ホールにてオープニングコンサートも行われるとのことです。

 

 

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