ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

大正の鬼才 河野通勢

2008-07-14 | art/exhibit/museum

 
渋谷駅周辺のように、往来の激しい目の疲れる街は、年と共に段々と足が遠のきます。
好奇心の方が強く働く何かがある場合は例外。「えっ?そんなこと言ったっけ・・」に変わりますけど。今回の、河野通勢(こうのみちせい)展の場合は、他の方のブログを通して数点見ただけですが、とても気に掛かっていました。Kちゃんから頂いた招待券の中にこれも入っていたので嬉しかったです。松涛美術館なら、渋谷の雑踏を通り抜けた先の、閑静な住宅街の一角にありますから、その辺りを歩くのも楽しみの一つなんです。

チケットの絵を見て、大正時代の日本人画家がこのようなヨーロッパ的な宗教画じみたものを何故描くのだろう、と思いました。予備知識はほぼゼロ状態でしたが、こじんまりとした美術館の展示室に入るなりビックリです。展示されている絵が壁面だけでなく、中央に設置されたパネルにも沢山あったのですもの。まるで市の美術展のように絵がぎっしりと所狭しに展示されていたのです。
それもそのはず、作品や資料、それに加え近年発見された大量の未発表作品を合わせて約350点もの数だったということです。それが宗教画だけではなく、様々な趣きを持つ油彩、水彩、コンテ、毛筆、銅版などによる作品群なのです。
10代ですでに、かなり高度で成熟した技術を持っていたように見受けられましたが、父親が美術の教師だったということでそれも頷けます。2階には父親である河野次郎の絵が 十数点展示されていました。そのどれもが素晴らしい絵。蛙の子は蛙でした。
(下は自画像)
通勢 ・・みちせい、と読むことを知ったあともサッとは口
      から出て来ない名前。その意図は何かしら?・・
は、父親以外にも、デューラー、ダヴィンチ、レンブラント、ミケランジェロ、ルーベンスなどなど、主にルネッサンス期の画家の影響を受け、模写などを繰り返し、何もかもを全くの独学で開拓していったということには驚きました。
彼が育ったのは長野市。そこを流れる裾花川の周辺を自分で「ニンフの森」と名づけ、好んで描いた一連の絵の数々には、ただの風景画にならない、独自の思いが込められているようです。これは長野市ではなくヨーロッパの風景画だ、と言われても納得してしまう雰囲気を持っています。それは彼が幼い時分から、ハリストス正教の信者としての厚い信仰心を持って育ったからなのでしょうか。大正という時代において宗教心と共に育った絵心、模写を繰り返しながらの並々ならぬ努力。というか一種の情熱。というか粘着力。そんな全てを兼ね備えていた素晴らしい画家が、何故今まで世間に知れ渡らなかったのか、とても疑問に思いました。油彩画、宗教画、銅版・細密画、挿画のどれをとってもうまいしセンスの良さを感じたのですもの。展覧会のサブタイトルである“ 大正の鬼才” とまで言われている人の絵が表に出てこなかった理由は何なんでしょう。
右の女性像は通勢の妻の妹を描いた「好子像」。
1916年、彼が21才の時に描いた絵です。全体の雰囲気がモナリザを、アーチのバックが宗教画の影響を彷彿とさせます。女性像を滅多に描かなかった彼には珍しい一枚と言われています。
最初の方に展示されていた、「梓川河原宿屋前から穂高が嶽を見る」というタイトルの風景画のところにこんなコメントが目を引き、図録は買わないつもりだったので、これだけメモしました。(中略、後略・・確か、あり、です。)
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中学5年生、18才の時に描いた作品。8月半ばに友人と上高地に写生に行き、高村光太郎が同宿だと知る。油彩画の批評を乞うて讃められる。高村は、「焼獄を描いたものの方がよい。何故よいかと云うと自然をよく見ておる。自然を見ないで描く絵はどこかに力が無い。」と評した。この時の光太郎は智恵子と同行し、一緒に画を描いていた。以来、上京する度に高村を訪ね、交流は続いていた。
そして彼から岸田劉生の話しを聞かされた。
 
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
以上のコメントにあるように、実際、上京後に、岸田劉生との深い繋がりが生まれたのです。
中川一政が彼のことを「何でも描けた」画家だと評していますが、何十枚もの自画像などを見ていても、描き方が夫々異なっているし、何でも試して描けるようになりたい、という気持ちのあらわれとして捉えてもいいかな、と思いました。様々な雰囲気を感じさせる沢山の自画像は見ていて愉快になってしまうほどでした。描いて、描きまくって、描けないものなど何も無い、と自分が納得するまで何回でも描く。それが彼の画家としての自信に繋がっていったのでしょうか。


 1915年「裾花川の河柳」
          
           1918年「林檎」

●河野通勢(こうのみちせい1895–1950)は、大正期から昭和戦前期にかけて活躍した画家です。高橋由一に学んだと言われる美術教師・写真師であった父河野次郎のもと で絵画を学び、早熟にして天賦の才能を見せます。デューラーなどに影響を受けた細密で存在感あふれる徹底した写実描写で知られる作風は近代美術のなかにあって異彩を放つものです。二科会への出品から、白樺派への接近、そして岸田劉生の率いる草土社へ参加、劉生死後は大衆小説の挿絵を精力的に制作し、近代の画家として小説挿絵の草分け的な存在でもありました。
 通勢の絵画は、「何でも描けた」と中川一政に言わしめた天才的な描写力とハリストス正教会の信者としての強い宗教的な内面性を持ちつつ、独特の空想的な物語を包含するものです。それは、画集などをもとにした独学ゆえの特異なものでしたが、神的なものへの憧憬ともみえる精神性は、大正期の時代精神とも通底する生命主義を感じさせます。
 近年になって、関係者のもとに大量の未発表作品が発見されました。特に十代から二十代にかけて執拗に描いた裾花川周辺を題材にした初期風景画、そして聖書・神話を題材にした作品群は圧巻です。また『項羽と劉邦』『井原西鶴』などの挿絵原画は、高い密度と完成度があります。さらに、銅版画についても関東大震災に取材した一連の作品は大変貴重なものです。その他にも、日記、覚え書き、スケッチ帖、書簡類などの膨大な資料が新たに見つかりました。
それらはより如実に作家の目指していたものを示しており、制作の秘密を明らかにしうるものであり、今までにない河野通勢の画家像を発見することができると思われます。
 本展は、代表作を含めながら今回の新発見の作品を中心にして展示し、初期作品から制作のなかでひとつの区切りとなった昭和前期までの、河野通勢の特色が明確であった時期に絞って作品を構成しました。ともすれば岸田劉生の陰に沈みがちであった作家像ですが、その原点を今いちど見直すことによって、大正期の美術史の中で極めて個性的な輝きを放つ河野通勢の、今までにない姿を紹介しました。
(出典:
平塚市美術館HPの「これまでの展覧会」より)

松涛美術館の2階には第二展示室「サロンミューゼ」があり、部屋の真ん中にはゆったりした応接セットがあって喫茶も注文できます。絵を見ながらカフェできる美術館だなんて、いいですねぇ。 喫茶は4時半までなので、この日はちょうど終了したばかりの時で残念でした。
でも、ここへ来る途中、Y 字路の角にツタの鬱蒼と絡まるお店が気になったので、見終わった後そこへ向かうことにしました。

      

お店の名はGalettoria。新しいお店のようです。
店内はフランスの片田舎をイメージしたような素朴でシンプルな作りです。ガレットは私にとって、表参道のル・ブルターニュで食べて以来。北海道のそば粉を100%使用しているそうです。そば粉でなく、小麦粉を使うと、それはクレープといわれる甘いデザートとなります。今回は、夕食前なのでチーズとハムの簡単メニューにしましたが、何種類かのペッパーが効いていて美味しかったです!コーヒーカップがもっと大きければなお良かったな。あるいは一回おかわりが出来るとか、ね。美味しいものを適度にいただくと、仕合せな気持ちになるんですよね~♪まだ5日前のあの味が舌に染み付いている感じです。

美術展についてブログアップすることで、今回はちょっと悩みました。もっとシンプルにならないものか、アップの仕方をどうしたらいいか考えれば考えるほど分からなくなり、写真のみを草稿画面に入れたはいいけど、書く言葉がずっと見つかりませんでした。何もかも書こうとせずに、ラクに楽しく(ラクと楽しいは同じ字でしたね!)続けることを意識しながらでしたら、“書く言葉が見つからない” にはならないかな、と思い始めました。今回も長くなるし遅れるし、でしたが、来月で、ブログ開設から丸三年が経ちます。この機会に、早く、は難しいけど、シンプルに、を念頭に入れながら少しずつ楽ログにしていきたいと、それなのに・・嗚呼、それなのに~長々と書いているトホホ・・のbiancaでした。


 


最新の画像もっと見る

3 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
気になったお店 (テレーサ)
2008-07-17 17:05:49
先日、娘のお友達のお母さんがデザインする洋服のバーゲンに出かけた折・・
このお店らしき前を通りました。
私も、気になった!
松涛美術館も近かったので、時間があれば寄ろう~と思っていたのですが、
バーゲンでエネルギーを使い果たし、行かれなかったのでした。
ビアンカさんのこのブログで、行ったつもりにさせてもらいます。
下調べしたポルトガル料理のお店も、お休みで、近くのイタリアンに入店しましたが・・
私のブログでも紹介しましたが、そこも美味しいお店でしたよ。

ビアンカさんは、「ブログが長文のこと」気にされていますが・・感動したり、伝えたいことが一杯ある場合は、長文の方が読み手には、「とっても親切」です。(書くほうは大変ですが・・・)

ブログUPは、やはり「エネルギーを要します!」

ビアンカさんは、biancaらしくの文がステキです。

ブログ開設、3周年おめでとうございます。

(私まで長文コメントになっちゃった~
返信する
ブログ (poppy)
2008-07-18 16:37:04
画家、ミュージシャン、作家、美術館その他いろいろをbiancaさんのブログで知ったり教えて貰ったりしてますよ

書きたいこと知ってることががたくさんあって羨ましいです
人はそれぞれだと思います
自分のブログですもの気にしなくても良いと思いますよ~~


返信する
Unknown (bianca)
2008-07-18 23:33:45
テレーサさん

蔦の絡まるお店。見ただけで、おや?と、覗きたくなりますね。
美味しいし気楽でいられるお店でしたので、次回は是非。
今回、私もポルトガル料理のお店をやっと見つけました。
小窓から中の様子をみていたら店長さんが出てきて
名刺を手渡されましたよ。彼、新聞で紹介されていたまさに
その方だったんです。バカリャウの煮込みを食べに行きた~い!
長いブログは時間がかかる→目に悪い→読み手もきっとウンザリ=なので
いつも気になって仕方がないんです。キュッと引き締まった文で
私らしさがでるといいのですけどね。でも優しいコメントが嬉しいです。
来月が3周年ですが、お祝いのお言葉有難うございます!


poppyさん

知識など薄すぎでお恥ずかしい限りですが、それより何より、
ブログを構成するのが楽しい!インチキばかりやっているので、
進歩しないですが、それでもああしたいこうしたい、との
思いが常にあります。ブログアドヴァンスにしないと無理かなぁ。
テンプレートの編集位、出来るようになりたいですが、まだまだ。
「自分のブログ」は自分がまず楽しめなくちゃ、ね。


返信する