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ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

ロスコ空間

2009-06-07 | art/exhibit/museum

雨天の続いていたある日、やっと晴れ間が訪れたので
それ行け、とばかり、川村記念美術館まで行ってきました。
先月だったか、たまたまチケットショップで見つけたので
買っておいたのですが、気が付けば終期が迫っていたのです。

マーク・ロスコ 「瞑想する絵画」展

これを「絵画」と言ってよいのか、私はよく判りませんが
「ロスコ空間」という言い方なら頷けます。
面白くないかもしれない。でもひょっとしたら何か
伝わってくるものがあるかもしれない・・・

 

 マーク・ロスコの〈シーグラム壁画〉

川村記念美術館が所蔵するマーク・ロスコ(1903-1970)の作品群は
〈シーグラム壁画〉と呼ばれるシリーズのうちの7点で、もともと一室に
飾られるためのものでした。その誕生は、1958年春、50代半ばにして
大家と認められたロスコが、マンハッタンに新しくできるシーグラム・
ビル内のレストラン「フォー・シーズンズ」のために、作品制作の依頼を
受けたことをきっかけにしています。最高級の料理と優れた現代アートを
ともに提供するというコンセプトのもと、ロスコも作家のひとりに選ばれ、
レストランの一室の装飾を任せられたのです。当時のロスコは、
グループ展
などで他人の作品と同じ部屋に作品が並ぶことを嫌い、自分の絵だけで
ひとつの空間を創り上げたいと切望していました。そこで、およそ一年半を
費やし、30点の絵画を完成させたのです。(webより)

シーグラム壁画とは何か、の説明を読み、超一流レストランの壁面を埋める壁画になる
はずだった、ということがわかりました。しかし完成後に、レストランの雰囲気に幻滅した
ロスコは契約を自ら破棄。行き場を失った絵30枚の絵は、その後9点がロンドンのテート
ギャラリーに寄贈され、7点が川村記念美術館に収蔵されることになったのです。
今回は、離散してしまった「シーグラム壁画」の内、半数の15点がアメリカとイギリスから
海を渡って運ばれて一堂に会するという、大変貴重な展覧会でした。

 ワシントン ナショナルギャラリー所蔵の5点  
 ロンドン、テートギャラリー所蔵の3点 
 千葉県佐倉市、川村記念美術館所蔵の7点

う~ん・・・と唸ってしまうような単調な赤い四角の組み合わせばかりがぐるりと15点も
並ぶ美術館の四角い会場の真ん中で、理屈ではどうこう言えない、ロスコの感性を
見る側がただ、心や肌で感じ取ると言ったらよいのでしょうか。絵がどうの、ではない、
囲まれた側がその中で圧倒されるか、四角くて赤い入り口の中を出たり入ったり
自由に行き来できるか・・。何とも不思議な空間を感じました。
濃い赤とその中の明るい赤色は、深みのあるいい色あいでした。

別の部屋には赤でなくて、漆黒シリーズが・・!
目が悪いと、色の差がわからず、キャンバスをただ黒く塗りつぶしたようにしか見えません。
じっと見ることよりも、そこに身を置くことで何かを感じ取れるか否か。
それがロスコの絵を見る鍵でしょうか。
ゴージャスなレストランに「考える空間」はやはり合わない気がします。

彼はテート・ギャラリーに9枚のシーグラム壁画を寄贈した同じ年に〈黒の上の灰色〉
シリーズを着手。(同年の新年早々には妻と別居し、スタジオに一人で住む)
そして翌年の1970年2月にスタジオで自殺したのです。


美術館HPのなかの「過去の展覧会一覧」で、この美術展の概要をご覧になれます。

 

 
・・・美術館前の芝生と池は日の光を浴びて気持ち良さそう・・・

展覧会後は同美術館の敷地内にあるレストラン「ベルヴェデーレ」で遅いランチタイム。

 

昼食後には、初めて「自然散策路」を歩きました。
紫陽花、ドクダミがきれいに咲いていましたし、花菖蒲園もご覧のようです。
すべてが大日本印刷の敷地内にあるんですが、とにかく広いですね!

  
花菖蒲を見ていたらポツポツ雨が次第に強まってきました。

 
それが次第に土砂降りに。


蓮池は突然の大雨を喜んであっぷあっぷしているようです。


池で気持ち良さそうにしているのは白鳥でしょうか。
青空がグレーに変わろうと、それはそれでしっくりとした風景となってしまう美術館。
だから企画展などがない時でも訪れたくなるんですね。

追記: 最初に書き始めた日(投稿日)から今日投稿するまで2週間が過ぎようとしています!
こんなマイブログに、懲りずにいつも訪れて下さっているみなさまには真に申しわけないと
思っております。同時に新規でいくつかを書いている最中ですが、それらもなかなか
終わりません。どうぞ気長にお付き合い下さいませ。(6/20)


 

 

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ゾーヴァ展再び

2009-04-30 | art/exhibit/museum

わが家のゴールデンウィークはカレンダー通りです。
なので今年は5月2日から6日の5日間が連休となります。今のところ旅行の計画を実行に移しているのは、すでにベトナム方面へと旅立った娘のみ。息子は4日以降が休暇となるので、今年は家族バラバラでの連休の過し方になりそうです。子の年を考えれば当然ですけどね。

29日の「昭和の日」は、地元の友人が招待券を持っているとのことで、「ミヒャエル・ゾーヴァ展」に誘ってくれました。3年前に同じ会場で開催されたときに見に行き、ブログ記事も書きましたが、今回も楽しくて仕方がありませんでした。
彼の描くユーモア溢れる絵は子供でも大人でもだれでも楽しめるんですよね。

前回と同じ絵もありましたが、「エスターハージー王子の冒険」や「ちいさなちいさな王様」など、人気の絵本原画から最新作までの約130点が展観。
原画は小さな絵が多く、皆がジッと覗き込むように鑑賞するので、行列ができていました。小さな絵の中の、更に小さなうさぎさんや王様やブタの絵を大きな人間が一生懸命覗きこんで見ている様を見るのは、なかなか面白~い!
 

 

 

彼の作品の魅力は、「ドラマ性というか、とくにユーモア、それも背後に狂気を隠しているような笑いというものは、風刺画を描く僕にとって、重要なテーマだ。」と語るゾーヴァ自身の言葉の中に隠されています。

と、パンフレットに書かれていましたが、嘘をつくと口からガマガエルが飛び出る女の子とか、重そうなオッパイをぶら下げた牛がスケートリンクですべっている絵とか、次々と展開される発想が面白おかしくて、ゾーヴァという人に興味を持ってしまいます。昨日は初日で、午前と午後の二度サイン会が行われていたようです。私たちはその間に行って見ていたので彼に会えずとても残念でしたが映像が二本流れていた中でのゾーヴァは見てきました。どことなくかわいくて、構わないところもあるけど心が繊細・・なイメージを受けました。
会場を出たところの、何とまぁ、キャラクターグッズの多いこと!そのくらいキャラが可愛いのです。

            

  


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潤んだ瞳の阿修羅

2009-04-15 | art/exhibit/museum

溜池山王から新橋まで行き、そこからJRで上野へ。

・・・っていったいいつの話かって?
は~い、前回の続きで~す。もうやめた、と何度も思ったけど、今更のup、ご免なさいの言葉も飽きましたね。書き始めから一週間。上野に行ってからは10日も経過!オロオロの連続・・・

当日は、3月31日の初日前から評判の高かった、奈良興福寺の創建1300年を記念して開催されている阿修羅展と、一般公開中だった東博庭園の両方を見てこようと思いました。それが・・着いた時間が遅すぎ、というか、5時までだと思っていた庭園公開が4時までだったので間に合わず、がっか~りでした。

       

阿修羅展は思ったほど混んでいませんでしたが、丁寧に見る方が多いので行列になっていました。ガラスケースなどに展示されている第一章の「興福寺創建と中金堂鎮壇具」の小さい出土品の断片などが、今回の75点ほどの展示物の内の47点を占めていたのですが、優れた工芸品だったと言っても断片では何だかよくわからず、人の肩越しにサッと見て、本命である第二章「国宝 阿修羅とその世界」へと進みました。

そこでは国宝・八部衆像の内の7体と、同じく国宝・十大弟子像の内の6体がずらりと勢ぞろい。それらは聖武天皇のお妃だった光明皇后が天平6年(734)に亡き母の一周忌供養のために造ったもの。 
八部衆は仏教を守護する「天」で、もとはインドの神。仏教に取り入れられてその守護神となったそうです。どれも表情豊かで、阿修羅像もこの中の一つの神なのですが、同じ第二章の中でも展示室が別でした。

 
 左から:

●迦楼羅(かるら)   鳥頭人身の像で煩悩や不利益なことを食い尽くしてくれる。
●乾
闥婆(けんだつば)音楽神で香を食べて生きる半神。天界の神酒ソーマの番人。
●沙羯羅(さから)  水中の龍宮に住み、雨を呼ぶ魔力を持つ。
●緊那羅(きんなら) 毘沙門天の家来または帝釈天宮の音楽神ともいわれる。
●五部浄(ごぶじょう)八
部衆の最初にこの神をおくことによって「天部」像を総称。
●鳩槃荼(くばんだ) 死者の魂を吸う悪霊ともいわれる。
畢婆迦羅(ひばから)音楽神を司る神で、横笛を吹き、諸神を供養する。

ふぅ~、漢字の入力が大変!説明文などはweb上で全て読めますが、阿修羅の仲間たちなので、一応マイブログに書いておこうと、IMEパッドの手書きを使ったのです。


つづいて十大弟子ですが、八部衆が憂いなど一時的な表情を表わすのに対し、こちらは年齢を表わすとのことです。つまり人生の節目のあるべき姿、ということのようです。
    
  9.富楼那(ふるな)の温和は耳順(六十歳)
 10.迦旃延(かせんえん)の達観した姿は従心(七十歳)
 11.羅睺羅(らごら)の落ち着きは不惑(四十歳)
 12.舎利弗(しゃりほつ)の自信は而立(三十歳)
 13.目連(もくけんれん)老境に差しかかるが衰えのない表情は知命(五十歳)
 14.須菩提(すぼだい)の希望に満ちた表情は志学(十五歳)
                 ー以上、東京国立博物館ニュースよりー

あのころの時代は五十歳が老境に差しかかる年だったのでしょうか。わかる気もしますが、寿命の延びている現在では少なくともあと2体は欲しいところですよね。

さて、阿修羅立像の登場です。
会場にはこの像だけが展示され、床面と上方から見れるようになっています。
像の周囲は人だかりが出来ていますがぐるりと360度の角度で見れるんです。
3つの顔と6本の細くて長い腕を持った身長153cmの阿修羅像は思っていたより華奢でした。正面の愁いに満ちた表情はジッと見つめていると涙を湛えているように見えます。
もともとはインド神話に出てくる戦いの神でしたが、お釈迦さまの説法を聴いて仏教を信じるようになったということです。

美少年といわれるだけある魅力的な姿に見とれました。何回もの火災から難を逃れ、1300年の年月をよくぞ堪えて私の目の前にその姿を現してくれましたね~。

京都は時々行っていますが、奈良にはおそらく高校の修学旅行で行ったきりだと思います。やたら神社仏閣ばかり見て回る修学旅行でしたが、それほど興味がなかったので、興福寺に行ったかも私の記憶の中にはありませ~ん。

先日、その頃の友人たちと丸の内で待ち合わせてお食事したのですが、(丸ビル35Fでの、一度行きたかった店での食事でしたが、その内容が値段のわりにたいした事なかったのでブログupしませんでした。)皆の記憶はどうだったか確かめたくなりました。一つだけ鮮明に思い出せるのは、京都に着く前の琵琶湖の畔で偶然、石坂浩二さんに出会い、一緒に写真を撮ったことです。そう言えばその時の写真どうしちゃったかしら。まだあるかなぁ。

第三章は「金堂再建と仏像」。
興福寺の金堂は7回も焼失しその都度再建を繰り返しました。今の金堂は1717年の焼失後に仮に建てられたもので、来年完成予定で作業が進められています。その仮の金堂に収められている薬王菩薩立像など10点ほどがここで展示されています。

第四章は、“バーチャルリアリティ映像「よみがえる興福寺金堂」「阿修羅像」”
短い映像ですが、創建時の金堂の再現を目指したスケールの大きさがわかります。次回、阿修羅像と出会う時はこの新しい金堂の中でになるでしょう。

早めに見終わったのでコーヒーでも飲みたかったのですが、カフェがないんですよね、平成館には。で、一階ラウンジにある「鶴屋〇〇」のあんみつをいただきました。蓋を開けてびっくり。寒天のほかは餡とサクランボだけ。寂しそうなあんみつにも不況の影が。っていうか、初めてなのでこのシンプルさはいつもと同じなのかしら。

次は本館に向い、今回で三回目となる黒田清輝作品の特集陳列「黒田清輝のフランス留学」を見てきました。


法律家を目指してフランス留学を果たした19歳の彼は、9年後に画家となって帰国したんですね。なんという才能に恵まれた方なんでしょう。色使いや優しいタッチが大好きです。留学中に親交のあった日本人画家たちや師であるラファエル・コランの絵も何点か展示してありましたし、自筆の書簡なども達筆で美しい。この特集陳列は4月12日まででしたが、すぐ近くに黒田記念館がありますし、記念館のHPでも彼の作品を沢山見ることができます。

 

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デパアート

2009-03-13 | art/exhibit/museum

 



日本橋まで用事かたがたデパートの美術展をのぞいてきました。
美人画を描き続け、昭和23年に女性として初めて文化勲章を受章した
上村松園と、子の上村松篁、孫である淳之の三代展。今回の展覧会では
松柏美術館の所蔵品を中心に60余点が出品されています。
松園の絵をこれだけまとまって見たのは初めてでしたが、彼女の美人画は
繊細なタッチで色使いが素晴らしい。
バックに散らした花びらが品よく決まっているし、着物や襦袢の柄や
髪飾りなど、細部に到るまで丁寧に描き込んでいます。



上村松園「春」

 
  
上村松篁「杜若」

花鳥画を写実的に描いている上村松篁の絵の中でも、柔らかな色合いの
花の絵が好みです。「芥子」もいいけど「水温む」もすき。
松篁氏も昭和59年に文化勲章受賞を受賞しているんですね。


上村淳之「晨」

松篁氏の長男である上村淳之氏は、京都市立芸術大学名誉教授として、
又、松柏美術館館長としてもご活躍なさっています。
やはり花鳥画を独自の画法で表現していますが、代々画家の家系だと、
常に上と比較されるんだろうな、と、勝手に想像してしまいます。
三人三様の個性を一ヶ所でまとめて見る事が出来る良いチャンスです。

★この展覧会は3月16日まで、日本橋高島屋8階ホールで開催中★

この日はちょうど隣りの会場において、
花の建築家 ダニエル・オスト「おもてなしの花空間」
が開催されていました。こちらのチケットも手元にあったので見てきました。
この「花のインスタレーション」はもう終了しましたが、想像以上に
素晴らしいフラワーデザインの技を見ることができました。



オスト氏は空間を花器として捉え、創造力豊かに花をオブジェ風に
表現しています。もうフラワーアーティストの枠以上の分野だな、と、
溜息がでました。おもてなしのテーブルを舞台に、彼は何と楽しいアイディアを
連発しているのでしょう。花(オブジェ)を中心に、その花にふさわしい
テーブルクロスと、同じ花の描かれたカップ&ソーサーがセッティングされて
いるんです。贅沢なその空間美に、しばしうっと~りしてきました。
出口で、オスト氏が、本を購入した方にサインをしていましたが、
どう見てもごく普通の気さくな
おじさん風でした。本が6800円もするので
サインの列に並んでいる人はいなかったのですが、狭い出口に本人が
構えていては、小心者だと出るに出れないな、と思っちゃいました。



ダニエル・オストって名前、どこかで聞いたなぁ、と思っていたのですが、
ララポート豊洲でガーデニングを担当した方だったのですね。






 

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田渕俊夫の襖絵

2009-01-25 | art/exhibit/museum

  

1月15日の三越での展覧会に続き、島屋で開催中の、
智積院講堂襖絵完成記念「
田渕俊夫展」に行ってきました。
内容はNHKの新日曜美術館で見ていたので楽しみでしたし、
招待券もちゃんと二人分、手に入ったのです。
智積院にはすでに、桃山時代に長谷川等伯一門によって描かれた
金碧障壁画があり、その中の4つが国宝だとのこと。

平成20年10月に、僧侶の修行道場である講堂5間を仕切る襖絵60面が
新たに仲間入りしたわけで、それを奉納した田渕画伯にとっては
とても栄誉なことだと思います。
今回は墨だけで描かれた春夏秋の大きな襖絵各2絵柄のみの展覧会なので、
智積院の講堂を想像しながらゆったりした気分で拝見しました。
どのようなアトリエでどう制作していくかの過程はテレビで見ていたし、
今回もビデオで流していたので、見ることだけに専念できました。
描き上げた5年の歳月への支払いってどうなっているのかな、なども
話題のひとつになりましたし、大型プロジェクターで投影された
影を追って描く方法が果たして絵画といえるか、あるいはデザインの
一つと捉えられるのか、などなど、勝手気ままなおしゃべりは延々と・・・。

      


NHK教育TVで放映された時の画像

   それぞれの間を仕切る襖絵のテーマを画伯が次のように解釈しているのが
    とても興味深かったです。季節のあとに続くのは絵のタイトルです。
屋     ひと言で言うと     季節 襖絵の絵柄

 胎蔵の間・・・ひと言で言うと「母の優しさ」という・・・
     
        
  枝垂れ桜・ やなぎ

 金剛の間
・・・世の中の厳しさだと教えてくれた・・・
       
          けやき ・ めだけ              

 智慧の間・・・辞書には心理を明らかにし悟りを開く働き、とある
         全ての努力が報われる秋の収穫の頃が相応しいと思った・・・
    
          すすき ・ 柿

 大悲の間・・・辞書には人々の苦しみから救い助ける仏・菩薩の広大な慈悲心
         とある・・・仏の世界での悲は、苦しみを抜く、ということ
    
 
          雪 山

 不二の間・・・いろいろな意味があるが、一番共鳴したのが、「二つに見えて、
       実は一つである、ということでした
       
        朝 陽 ・ 夕 陽

    不二の間にある朝陽と夕陽。そこには次のようなことが書かれていました。
           ・・・・
      一つ例として思いつくのは、インドのヒンズー教の中心の神で、
      破壊と創造の神と言われているシバ神です。
      破壊と創造は一見矛盾しているように見えますが、破壊がある
      からこそ新しい創造が生まれ、やがてそれも破壊されていく。
      自然も人もこの繰り返しで、今日に続いてきているのだと思い
      ます。私は不二の表現を朝日と夕日になぞらえました。

 

ススキの一生を、一枚の絵として襖絵の中に、あたかも人生に例えたように描いていますし、朝日と夕日の光の表現も見事で、墨の濃淡だけで表わす春夏秋冬は、画伯の40年にわたる画業の集大成、と言うに相応しいものでした。いつか智積院を訪れて拝見したいと思います。

前回、一階に展示してあったローズちゃんはすでに取り払われていましたので、もし、マイブログを見て、ローズちゃん目当てに行かれた方がいらしたらご免なさい。

会場を出た時はまだお昼前でしたが、混むから入っちゃおう、と言って友人が連れて行ってくれたのは、近くにある吉野鮨本店。お昼はお手頃でお得よ、とのこと。誰もが知っている有名な店、と言っても私は初めて知ったお店でした。私はちらしを頼みましたが、江戸前だけあり甘さ控え目でおいしかったです。

  
 

 

      
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デパートの美術展

2009-01-15 | art/exhibit/museum

今年初めて行く美術展はデパートから。東京駅で友人と待ち合わせ、まずは私が招待券を持っていた日本橋島屋で開催中の美術展へ向かいました。
正面玄関を入った所にはご覧のようなユニフォームの「ローズちゃん」がお出迎えです。正面ホールの展示でも歴代ローズちゃんが勢ぞろいしていました。いままで気が付きませんでしたが、ローズちゃんって島屋のマスコットドールだったのですね。友達は知っているのが当り前ふうに言うもんだから、そうよね、なんて知ったかぶりして答えてしまいましたけど。
キャラクターとかマスコットなど、特に意識して集めたことがないせいでしょうか。歴代のローズちゃんを見ている内に、知らずに長年親しんでいた気がしてきました。意識しなくても頭のどこかに記憶が蓄積されているのかもしれませんね。
一たん知ってしまうと愛着心がわいてきます。
バービーやリカちゃん人形を集める子供のように、そのシリーズを欲しくなってしまいました。
ローズちゃんの時代背景が微妙に私の個人史の一部分と重なってしまうんですもん。

ローズちゃんのうまれた時代が東京オリンピックの年の前後だとすると、そのころの自分がスッと浮かびあがってくるし、あのころ宣伝等に関わった人は、きっと私の親かそれよりすこし若い人たちなのかなぁ、と繋がってきます。(私の年を逆算で計算しないでね!気持ちは若いままですも~ん!)
何度も野暮ったいと思った、昔から変わらぬバラの花の包装紙。時代の経過に媚びないその包装紙は、私の心のなかでローズちゃん人形と共に愛着のあるものに変わって来ました。あぁ、そんなお年頃になっちゃったってことかなぁ。
 
                                                      
歴代ローズちゃん

   

入口から横道にそれてしまいましたが、そのあと目的の8階会場まで行きました。
ガレ・ドーム・ラリック展  アール・ヌーヴォーからアール・デコへ ~華麗なる装飾の時代~

昨年もたしか「麗しのベルエポック展」から始まったと思いますが、目を楽しませてくれる美しき古き時代の装飾ガラスは新年に相応しいのでしょう。あのころの、決して増える事のない壊れ易い作品が、これほど多く残されているとは、全く信じられない程すごい。花器、ランプ、ブローチ、香水瓶、ティアラ、化粧セット、ドレス、と、時代を越え、きっと未来世代の人々までを魅了してやまないことでしょう。よく見ると展示作品の大部分はポーラ美術館蔵でした。箱根のその美術館にはまだ行った事がないので、いつか、訪れたいです。 早くブログupを、と、思っているうちに、この企画展は先日終了してしまいました。相変わらず遅れ気味のupでご免なさい! 

次の目的は、三越新館7階ギャラリーでしたが、絵を見る前に友人お薦めのお店で昼食することに。
同館地下一階にある「東麻布・万歴」という、カウンター席のみのお店でした。開店当時は行列で大変だったとか。そこではお手頃なランチメニュー「海老そぼろのキャベツ包み白味噌仕立て」というものを注文しました。キャベツロールの中が海老そぼろと京いもなんです。美味しいのなんのって。とろけるようなキャベツではなく、どちらかと言えば歯ごたえがありキャベツの香りが漂よってくるような一品でした。
 今月いっぱいのお料理で、一日限定20色だとのことですよ。左の写真ではご飯が大きくupされていますが、その右がキャベツ包みです。
カウンター席というと、一人ならともかく、友人と一緒ですとゆっくりお喋り出来ないのが玉に傷なので、好みではなかったのですが、それほど行列でなかったので落ち着けました。
昼食後、今度は友人の持っていた招待券で新館7階ギャラリーへ。

         

 田渕俊夫氏は、東京芸大副学長であり、日本美術院同人・理事でもありましたが、この展覧会は彼の「画業40年と東京藝術大学退任、そしてパリ・三越エトワールでの展覧会の帰国記念と銘打ったものでした。

初めて目にする氏の画業でしたが、興味深い作品が多く、初期の作品から、代表作といわれる現代アートにも見える「時の証人」、そして永平寺や鶴岡八幡宮の襖絵等、50数点が展覧。
水墨画の襖絵は圧巻でしたが、他の作品の中で、墨の濃淡だけで描かれた桜がピンク色に見えてくるのには驚きました。
昨日から、こんどは日本橋高島屋でも「
智積院講堂襖絵完成記念 田渕俊夫展」が開催されましたが、私はそれにも友人と、来週早々に見に行く事になったんですよ。

1月11日に、NHK教育テレビ「
新日曜美術館」でも取り上げられたことを友人が知らせてくれたので夜の再放送分を見ました。(朝、まだ寝ている時に一回目の電話があったようなのですけどね・・!)相変わらず調子わるいわが家のテレビですが、この時は30分ほどは続けて見れました。
そこでも「形と色をそぎ落とした水墨の桜から見えないはずの色が浮かび上がってくる」と語っていましたが、やはりテレビ局の取材班も同じように感じたのですね。彼のスケッチブックには人の目にとまらない雑草ばかりを描いたものがあるそうです。富士山麓を訪れたときでも山を描くのではなく、ススキの穂に目が行き、それを描いたと言います。最初は同じように生まれ育つが、最後にそれぞれ変わっていくことがあたかも人生の歩みに似ている。人間もちょっとした条件の違いで歩む道が異なってくるものだ。と言う話は、自分の人生を照らし合わせてもすごく納得が行きます。それと、
田渕氏の日本画の手法が、余りにも自由奔放で、自身の伝えたいイメージを描くにあたって最適な手段を用いていることを初めて知りました。

オーバーヘッドプロジェクターなるものを使って拡大した画像を、スクリーン(画材となる紙)に投影して出来るその影に、直接絵を描いていくんです。投影する場所を少しずつずらしたり、透明ビニールシートを利用したり、と、従来の日本画では考えられない斬新な手法が満載だということがわかり、面白かったです。そんなことを知ったあとの、島屋での美術展、なんだかすごく待ち遠しい・・・。

さて、美術鑑賞のあとは、「お客さまサロン」でのコーヒーブレーク。友人がお〇〇カードなるものを持っているんですよ。そこでたっぷりとお喋りに花を咲かせ、近況報告と情報交換です。
そのあと、私はSALE中の店内を物色したかったのですが、彼女ったらもう一箇所の招待券を持っていたんです。「相田みつを こころの道」展。東京国際フォーラムに移転してからまだ行った事がない、と言う友人に付き合いました。もちろん歩きです。途中「うさぎや」で、友人が注文していたお菓子を受け取り、どらやき一つは半分ずつにして、食べながら歩きました。  
相田みつを美術館は、ホッとする空間です。以前にも取り上げたので詳しくは書きませんが、同じ言葉を繰り返し読んでも、「そうなのよね、本当に!」と、相田みつをさんの書く言葉にはこころ静かに頷けます。

友人は記念に本を購入していましたが、私は今回、何も買わず、3ヶ所も回ったのに、支出はランチと交通費だけ。
こころ豊かになったし、美味しいランチも頂いたし、大いに得した気分にまりましたね。それもデパートの美術展だからこそ、はしごができたのですね。

尊きものは
遺産では
なくて
そのために
流された先人の
汗である

みつを

 

 

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ハンマースホイとフェルメール展

2008-11-26 | art/exhibit/museum

招待券が手に入ったので、国立西洋美術館へ行って来ました。
ヴィルヘルム・ハンマースホイ~~静かなる詩情~~
初めて聞く名前ですが、1864年生まれのデンマークを代表する作家の一人だとのこと。上の絵「背を向けた若い女性のいる室内」の、何ともいえない不思議な魅力のある絵を新聞上で見ていたし、・・・その静謐な詩の世界に触れる絶好の機会・・・など、美術評論家も書いているからきっと良い美術展かもしれないと思ったのです。
予想はバッチリ当りぃ~!



入口から地階に下りた突き当りのガラス面に画家夫妻のポートレートがありました。
彼の絵を象徴するかのようなセピアな雰囲気・・・とてもいいですねぇ。そして、絵の大半は自宅の室内でモデルは妻イーダ。それも殆どが後ろ向きなのです。空っぽに近い室内と、静かに佇むイーダの背中。そのような作品をずっと見続けていたら、次第に重苦しく感じてきました。最後に同時代のデンマーク美術として、イーダの兄、ピーダ・イルステズの作品のある部屋に入った時はホッとしたほど。なぜかと言うとあの独特な、白と茶と灰色の世界が幾分、生活感を取り戻し、色づいてきたのですもの。ハンマースホイの影響が多々見られますが、あの静寂さは薄れ、もっと家庭的な作品となっています。最後にカール・ホルスーウという画家の作品を見終わる頃には、又、無性にハンマースホイの世界に浸りたくなっている自分を発見!あまりにも似たり寄ったりの、音も香りも温もりもなんにも感じない絵に、人を呼び寄せる何か魔力のようなものが潜んでいるようです。
作品の合間に、以下の言葉が紹介されていましたが頷けましたね。

繊細で崇高な芸術だ
そこにはあらゆる感性がある
                    ハンス・ローゼンハーゲン(1900年)

ハンマースホイは広大な灰色の空を持つ大胆な風景画に、
また、古の美しい建造物の大きな塊に
自分の魂とメランコリーを最後に吹き込んだ
                イミール・ハノーワ(1907年)

ハンマースホイは詩人である
消え去った存在が、空っぽの室内に残す余韻を
私たちに感じさせるのだ
                T.マーティン・ウッド(1909)

さて、この日は金曜日でしたから、外は5時すぎて暗くても、美術館は8時まで開館しています。すこし先には会期が来月半ばまでの「フェルメール展」を開催中の東京都美術館があるのです。私、思い切って見に行って来ましたよ!夕方からでも混んでいてフェルメールの7枚の絵の前はラッシュアワーの電車の中状態でした。「金曜限定ペア得ナイト券2500円なるものがあるからなんでしょうか。発券所前でだれかと
臨時ペアになればよかったな!



明日から10日ほど旅行に行ってきます。時間がないので帰ってから
追記するかもしれませんが、すでに長すぎですね。
行きに、上野駅公園口を降りて横断歩道を渡ったあたりで音楽が聴こえて
きました。MARKAMASIS~マルカマシス~というペルー出身の二人グループ
でした。つい聞惚れてしまい、webで探したら見つかりました。これです。


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二つのピカソ展

2008-11-17 | art/exhibit/museum


だいぶ前のことですが・・・
二つのピカソ展に行ってきました。一緒に行ったのはパリのピカソ美術館へも
足を運んだことのある友人ですが、彼女が私を誘わなかったら果して見に行ったでしょうか。二十世紀美術の巨匠の一人と言われているけど、ピカソのこの絵が好き!と言える作品にはまだ出合っていないんです。
サントリー美術館での「巨匠ピカソ 魂のポートレート」を最初に見ました。友人
カザジェマスが悲恋の末に自殺したことにショックを受け、悲哀に満ち、呆然と
した表情の「青の時代」の傑作といわれる、20才の時に描かれた自画像など、
主に「自画像」をテーマに60点余りの絵が展示されていました。
「自伝を書くように私は絵を描く。私の絵は日記の頁なのだ。」
の言葉のように、彼の絵のスタイルも彼に愛された女性達も、時代と共に移ろい
でいくのがわかり、彼が情熱家だったのか、男性としてモテたのか、有名だった
からなのか、お金があったからか、・・など色々想像しながらも次々と女性を替え
ていくピカソに呆れました。いやぁ、すごいオヤジだ~というか、生命力に溢れて
いたんですかね。一方の女性たちは彼にすべてを吸い取られて抜け殻同然にな
ったところで去っていったのでしょうか?

ミッドタウン4FのBOTANICAでランチをすることにし、その後で国立新美術館に
行くことにしました。お天気の良い日はここのテラス席が最高なんですが、少し
寒いかな、と思い、室内席にしました。食後、テラスに出るとそこは秋色のミニ
ガーデンが広がり、眺めもなかなかgoodです。    

  
 

国立新美術館での「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」展では彫刻等も含めて170近い
作品が、素敵な配置で展示されていました。美術館という限られた箱の中で
ピカソの作品群がイキイキと、あたかも語りかけてくるようで、好きだ嫌いだを超越して、“ピカソを楽しむ”ことができました。
今までそれほど興味を持てなかったので、その名前も知ろうともしませんでしたが、女性たちの存在が彼の「絵日記」を通して時代背景とともに浮かび上がってきました。

★ フェルナンド・オリヴィエ:最初の恋人。7年間伴侶。

★ マルセル・アンベール: 通称エヴァ。同棲するが翌年病死する。

★ オルガ・コクローヴァ:  ロシア名家出身バレリーナ。1917年イタリーで知り合  
                  
い翌年結婚。パウロという名の子が出来る。 
                 次第に気持が離れるが彼女は1955年に亡くなるまで
                 離婚には同意しなかった。
                 そんな時、マリー=テレーズと出会う。                                                   
                 
★ マリー=テレーズ:   ギリシャ彫刻のような横顔の17才。ピカソ46才の時の
                 恋人。マヤという子も出来る。ピカソの死後、自殺。

★ ドラ・マール:       ピカソ55~63才時の愛人。画家・カメラマン。
                 「ゲルニカ」の製作過程を記録した。

★ フランソワーズ・ジロー:画学生22才。46年に共同生活するも、53年に自ら申し                
                 出て、二人の間に出来たクロードとパルマという子供
                 と共に彼のもとを去る。

★ ジャクリーヌ・ロック:   ピカソ70才、 ジャクリーヌ26才の時に知り合う。最後                                          の伴侶。1961年正式に結婚する。ピカソ91才で亡くな  
                 た後、自殺。
  
よくぞこれほどまで精力的に行動できたなぁ、と感心してしまいます。さすが結婚は2回だけでしたけれど、懲りずに女性を求めたんですねぇ。

愛することと芸術的創造とが分かちがたく結びついていた、と書かれていたように、1973年に亡くなるまでの91年間、ピカソの人生とはまさに愛と創造の軌跡だったのですね。青の時代からバラ色の時代へ、そしてキュビズム、新古典主義、を経てシュルリアリズム~ゲルニカの時代へと接近していく絵の流れがなんとなく掴めたし、女性を替えるごとに成長していった様子もわかり、この女ったらしのラテン男め!と思いながらもピカソの作品を大いに楽しめた展覧会でした。新美の今回の展示は一見の価値あり、でしたよ。


       
         オルガ           マリ=テレーズ          ドラ・マール
        
               ピカソとジャクリーヌ・ロック             自画像


 


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タムラレッドの世界

2008-09-27 | art/exhibit/museum


金曜日の昨日は午前中、年に一度の市の無料健診を受診しました。
今年から心電図が除外とのこと。乳がん検査は2年に一度となったし、
知らぬ間に色々なことが省略されたりしているようです。年と共に手厚く、
とはいかないんですね。そうは言っても私、胃や子宮ガンの個別検診を
もう何年も受けていないんですよ。今年は受けてみようかしら。

さて午後は、月曜日で終わってしまう展覧会を見に日本橋へ行って
きました。母も誘ったのですが、行きたいけど足がフラつくから今回は
行かないとのことで、車ではなく
JR利用です。

大本山天龍寺搭頭宝厳院本堂再建襖絵完成記念
★・・・・・田村能里子展・・・・・★

    
時々、どこかで何回か目にしている田村能里子さんの絵は彼女の発する
独特の赤色が印象的です。そのタムラレッドが高名なお寺の襖に描かれ
ると一体どんな風になるんだろう、と興味津々でしたが、かなり強烈な
朱色とも思える赤が大胆に使われていました。行きつ戻りつして見ていると、
次第に絵の中に引きこまれるようでした。二度三度と見ていくうちに色が
自分に馴染んでくるようでした。襖の金色の引き手も田村さん
ご自身のデザインによるもので、馬、鳥、象、牛、駱が型取られています。
宝厳院の住職が中国・西安「唐華賓館」にある彼女の最初の壁画
「二都花宴図」を見て、あのように「人」が主体となって描かれた襖絵
にしたいと考え、田村さんに制作依頼をしたとのことです。



「風河燦燦 三三自在」(ふうがさんさん・さんさんじざい)と名付けられた
合わせて60メートルにもなる襖絵には正に三十三体の人が描かれています。

襖絵に寄せて、宝厳院住職からのメッセージの一部です。

「観音経」の経中に、観音菩薩は三十三身に身を変えて
この世を救ったとありますが、まさしくこの襖絵の中に登場し
ます老若男女は観音菩薩の化身です。
画伯によって仏の世界が大変身近になった気がします。

 
      「浴びる朝」                    「風河燦燦 三三自在」 上間1:東側(部分)                                       


これらの襖絵は宝厳院本堂の落慶に合わせ、一年半をかけて作られた
そうで、
落慶前に東京のほか、名古屋、京都と巡回して展覧会が行われ
ます。このような大作を手掛けた田村さんは最初、商社マンの奥様として
インドに何年間か滞在していたそうです。アジアの大地に根ざして逞しく
生きる女性に焦点を合わせて多くの絵を描いていますが、壁画が素晴らしい。
銀座ファンケルの2階にカラフルなタッチの壁画がありますし、その先に
新しく出来た「ローストビーフの鎌倉山」のレストランでも彼女の壁画が
見られるようですから今度是非お食事がてら行って見たいですね。

    そういえば、田村さんってとても美しい方なんですよ。
    絵の中の女性が美しいのも、やっぱり描いていると
    本人に似てくるということなのでしょうか。
    美しい上に豊かな才能に恵まれているとは、世の中
    やはり不公平だ~!!
    さて、展覧会場でばったり、高橋秀樹さんご夫妻に
    出会っちゃいました。襖絵や油彩画を集中して見て
    
いると、周りにどんな方がいるのかなど全くわからないし
    気に掛けませんから、気が付いた方は少なかったかも
    しれません。芸能人にわりと疎い私でも彼のハッキリと
    したお顔はわかるんですよね。ご夫婦ともに、とっても
    素敵でした。

                                (右の絵:風の足音)
                               

                               

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明治の七宝

2008-09-15 | art/exhibit/museum

★クリックすると大きな画像が開きます。

以前Kちゃんから送って頂いたチケットがあり、まだ日にちがたっぷりある・・と思っていたらあっという間に9月になってしまいました。「泉屋博古館分館」は名前だけは知っていましたが、地図をみるとアークヒルズの近く。久しぶりに訪れる場所です。
その帰りにどこを寄り道しようかなぁ、と、すでに思い描きながら、最寄の駅六本木一丁目で下車。降りてすぐが泉ガーデンで、そこからず~っとエスカレータが上の方まで続いています。このエスカレーターは外にあるのでとっても気持ちいい。上り切ると、分館の建物が見えました。緑が多く、前と隣りにはスエーデンとスペインの大使館があり、旗が風になびいています。

近代工芸の華 「明治の七宝」展
行くのもupするのも遅れに遅れました。本日は最終日なので、行ってみたい、と思われた方には申し訳ないです。七宝で、これほど手の込んだ作品は、初めて〈意識して〉拝見しました。絵柄が気が遠くなるほど細密で、眼がねを外して見ても見にくいのです。
ガラス粉を焼き付けて模様を描いていく七宝は、七世紀ごろに大陸から日本に伝わりましたが、その技術が大きく花開いたのは明治になってから。尾張の梶常吉が独学で習得した「有線七宝」。この技術により、あたかも絵画のように表現することが可能になったそうです。絵画より細かいのでは、と思ってしまいます。欧米での万博にも出品され、世界の人々を魅了したとのこと。この展覧会では、京都の「清水三年坂美術館の所蔵品を中心に紹介されていました。展示室が2つあるだけの小さな分館ですが、余り目にしない、高貴な美の世界を堪能出来ました。

 

歩いて程なくアークヒルズのサントリーホール裏に出ます。そこを突っ切って溜池山王からメトロに乗るつもりが、足は赤坂に向かっていました。結局赤坂サカスまでウォーキングです。近いと思ったけどかなりの距離でしたね。へぇ~、TBS 跡地がこんなになっちゃったんですねぇ。食事をするでもなければ特に見る所もなさそうですが、つい「アマンド」を探してしまいました。同場所にあるタリーズに入り、カフェを注文する時にお店の若い方にアマンドの話をしたら、「10年も前のことは僕、ちょっとわかりません」と言われてしまいました。それは尤もなことでしたね。そして、美味しい「TOPS」のチョコレートケーキも同時に思い出されました。何だかブログがいつも懐古調になりますが、昨日の事よりずっと昔の事をよく覚えているお年寄りの気持ちに近づいてきたってことでしょうか。明治の七宝よりは全然新しいんですけどね。

 

 

Comments (3)
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