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ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

ルリュールおじさん

2008-03-21 | art/exhibit/museum


2日に、いせ ひでこさんの「ルリュールおじさん」絵本原画展に行ってきました。
ギャラリートークが始まった頃に丸善に着いたので、ギャラリー内はすでに満員。
通路から壁越しに聞いていましたが、よく聞き取れず、もっと早く来ていれば
よかった、と後悔。彼女の絵はとても自然体で、ササッ、と何枚でも描けてしまいそう
な、どちらかというとラフなタッチですが、主人公の女の子の表情が生き生きとしていて
かわいくて、つい絵本を手にしたら欲しくなり、トークショウ後のサイン会で、サインを
して頂きました。彼女の描く絵のように、見るからに飾り気のないナチュラルないせさん。
もしかして、主人公のソフィーはいせさんの幼少期そのものかもしれません。             

いせさんは絵本作家として、ゴッホや宮沢賢治研究をライフワークにしているそうですが、
取材でパリに滞在中、たまたま通りかかったルリュールの工房内の仕事ぶりにくぎ付けに
なったといいます。昔ながらの製本、装丁の手仕事は機械化の波により衰退し、
製本の工程すべてを手作業でできる職人はパリでひとけたしかいないそうです。
その道60年という、アンドレさん(80才)の工房で、数百年前の本を修理する作業に
見入ってしまい、スケッチするために渡仏を5回も繰り返します。
六十に及ぶ一連の工程を丁寧に描写し、そして生まれたのがこの絵本。

ルリュールとは、「製本職人」を意味しますが、絵本ではおじさんの名前になっています。
そしてもう一つの意味は、「もう一度 つなげる」。 

 

  《ソフィーは大好きだった植物図鑑がバラバラになってしまい、途方にくれてしまった。
   本を持ってあてもなく街を歩くうちルリュール職人の工房に行き当たる。
   おじさんは、「こんなになるまでよく読んだねえ。ようし、なんとかしてあげよう」と言い、
  ソフィーの目の前で図鑑を分解し、ページを糸縫いし、背表紙を糊付けし、ソフィーの
  名前入りの表紙を作ってお気に入りの本を蘇らせてくれた。
  手作業で蘇った本はどんなに読んでももはや痛むことがなくなり、やがて
  ソフィーは植物学者になった。》

・・・・・・という内容の絵本です。


ものを大切にする子どもと、古いものを大切に残すルリュール職人のお話は、
もしかしたら今の時代にとって、最も肝心な要素が凝結されているのではないか、と
思いました。古いものを大切にするのは、新しく買い換えるよりもお金が掛かるように
なった。一体いつ頃からそうなってしまったのでしょうか?


会場にはいせさんの描いた何冊もの絵本が展示されていましたが、そのなかに、
この本の紹介文が掲載されていた東京新聞の切り抜きもありました。
後日、中央図書館で2月20日付けの新聞を探して調べたら、ありました、ありました。
図書館って、何て便利なんでしょう!!

フランスでも出版され、原画展も開催されたそうですが、
書店の「注目の一冊」に挙げられたということです。
故ミッテラン大統領夫人のダニエルさんも30年間、ルリュールをしていたそうで、
いせさんのこの絵本に共感し、後援を引き受けたといいます。
丸善のゲストルームインタヴューも、大変興味深かったし面白かった!

「産科で授乳している母親を観察すると、本来子供の目を見つめるはずが、
みながみな携帯電話とにらめっこという恐ろしい状況にある。アニメを輸出するのもいいが、
日本人は『経済の成長』よりも、もっと『子供の成長』に目を向けるべきではないか。」

新聞の記事は、いせさんのこの問いかけで締めくくられていました。
いせさんの視線。大好きです。
会場でのサイン会でも、私をしっかりと見つめて下さったんですから。


 

 

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大観展at新美

2008-03-12 | art/exhibit/museum

今月はまだ半分しか経っていないのに、余りにも色々なことがあり過ぎて、ブログ
どうしよう・・・と思っているうちに今日になってしまいました。「色々なこと」の一つが
心配事なので、いずれそのことにも触れることになるでしょうけど、今はまだ気乗り
しません。私がどこに行きそこで何をしようと、書いても書かなくても、どちらでもいい
事でしょうが、ブログって意外と本人にとって便利な面があるんですよね。
ブロガーのどなたかも仰っていましたが、一年前のその月日のことを知りたければ
写真入りでわかるんですもの。なので、ぼちぼちと書きだすことにしました。


 ★ 「海に因む十題 海潮四題・春」

まずは3月3日で会期が終了
してしまった展覧会、没後50年
横山大観~新たなる伝説へ~
に行ってきました。本当は、前回
ブログに書いた自動車事故当日、
夫と行く予定でしたが、その日は
断念せざるを得ませんでした。
夫に合わせると最も混み合う最終
日前の土日しかありませんから、
一人、金曜日に見に行きました。
大観の絵は様々な場所で目に
する機会が多いのですが、今回は
大小含め75点もの作品を一気に
見ることが出来ました。

会場は思ったよりすいていたのでゆっくり見れました。
重要文化財である、全長40mの《生々流転》の全巻は水墨画というのでしょうか、墨の世界が白い紙の上をそれこそ流れ転げるように繰り広げられていました。
タイトルは、「万物は永遠に生死を繰り返し、絶えず
移り変わってゆくこと」を意味しています。この40mの間だけは行列が出来て、ちびちびと前進せざるを得ませんでしたが、絵の中に小さく書き込まれているものを発見しながら進む楽しさがあり、ちょうどいい塩梅でした。
生と死のワンセットしか自分は体験しないでしょうが、このタイトルが今、心の中心にドンと居座っているので興味深く鑑賞しました。



左の絵は「霊峰十趣・夜」。掴み
とれないこの絵の魅力の虜になり
ました。人生、白黒だけでは表わ
せないボヤけた部分のが多いかも
よ、と言ってる風。
その曖昧さがいいなぁ。

 

そろそろ帰ろうか、と思った頃 すでに外は真っ暗でした。金曜日は夜8時までなので、
わざと遅い時間に来ましたが、夜はお弁当にしよう、と決めていましたから余裕です。
地下のミュージアムショップを覗き、奥のカフェで喉を潤しました。この美術館、休憩所の
チェアがなかなかモダンです。地階には赤い
ヤコブセンのエッグチェアとスワンチェアがありま
すし、展覧会場内の休憩スペースにはポール・ケアホルムの、“バルセロナチェアを研ぎ澄
ませたデザイン”だというPK22のチェアとPK80のベンチが置いてありました。PK80ベンチは、
空間の邪魔にならない存在として世界各地の美術館でも利用しているそうです。
そのシンプルさが新しい美術館によく似合うこと。美術館って、こんな具合に展示物以外に
目を向けても、なにか発見できそうですね。

  

当日は、館内の他の会場で複数の美大の卒業制作展が開催されていましたが、
それとは知らないで遅い時間に行ったので、横山大観展だけで手いっぱい。残念でした。

 (投稿日は、15日ではなくて、最初に写真を入れ込んだ日のままです。)

 

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アラスカの星

2008-02-16 | art/exhibit/museum

 

poppyさんブログで、市川市にある芳澤ガーデンギャラリーに於いて
「星野道夫展」が開催中であることを知った。
ギャラリーがこじんまりしているので大丈夫かな、と思い
母と一緒に先日の連休最後の日に行ってきた。
星野さんの展覧会は何回めになるのだろう?彼はもういないけど、
彼に会いに行く、そんなつもりで、写真を通して見えてくる「彼」に会いに行った。
年を取ると集中力がなくなり、デパート規模の展覧会でも疲れる、という母だが、
今回は、写真のわきに添えられた星野さんのことばを一つ一つ読み、
頷き、感嘆し、スライドショーまで見終えたので、誘って本当によかった。
星野さんは写真家、と同時に文章家だ。文章を読み、写真を見ると
もはや星野ワールドの虜となっている自分がいる。
文章が生身の彼の口からでた率直な言葉だと感じてしまうし、
実際その通りだろうな、と思わずにいられない。



ギャラリーのほか、ガーデン内には大きなパネルが幾つか展示されていた。
市川で生まれ育った彼の作品が故郷の空の下で、アラスカやカムチャッカまで
繋がっている無限の空の下で展示されている、とは、
なんとも小憎い構成ではないか。太陽の元でまぶしくて見づらいのだって、
曇り空の下でボンヤリしているのだって、どれも自然だもの。
彼は「北国の秋」というエッセイでこんな風に綴っている。

 秋は、こんなに美しいのに、なぜか人の気持ちを焦らせます。
短い極北の夏があっという間に過ぎ去ってしまったからでしょうか。
それとも、長く暗い冬がもうすぐそこまで来ているからでしょうか。
初雪さえ降ってしまえば覚悟はでき、もう気持ちは落ち着くというのに・・・
そしてぼくは、そんな秋の気配が好きです。

無窮の彼方へ流れゆく時を、めぐる季節で確かに感じることができる。
自然とは、何と粋なはからいをするのだろうと思います。
一年に一度、名残惜しく過ぎてゆくものに、この世で何度めぐり合えるのか。
その回数をかぞえるほど、人の一生の短さを知ることはないのかもしれません。



星野さんは一生が、人が思っているよりずっと短いもんだ、ということを
よく知っている。私くらいの年齢になり、やっと感じることを、
彼は若い頃体験した親友の死を通してすでに知っていた。

 スライドショーの間、バックで流れていた、アルビオーニの
弦楽とオルガンのためのアダージョ ト短調」と言う曲が、
彼の写真の場となったアラスカの地と重なり、
私の心に静かに、そして切なく流れ続けた。
(上の曲ですが、素敵なクラシックライブラリーを見つけました。
DISPをクリックしてからプレイをクリックで試聴できます。)

このギャラリーでは1月の最後の土曜日に、星野さんがアラスカで
聴いていたジャズの名曲コンサートがあったそうだ。行きたかった~!



余韻たっぷりに帰宅し、即、今度は夫と、前日行きそびれた映画を見に
新宿まで行った。息子はそのころは中国へ旅行中だったし、娘は友人宅。
夕食の支度の心配がなく、心置きなく映画が見れる日だった。
私は「ジプシーキャラバン」を見たかったけど、今回は
夫の見たい映画、「レンブラントの夜警」にした。それがぁ・・・
全然面白くなかった。面白いほど、面白くなかった。

そんなこんなで、近場だけで私の三連休は終わった。

 

 

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電車に乗って

2008-01-26 | art/exhibit/museum



またもや最終日の前日になってしまいましたが、行ってきました。
「プラハ国立美術館展」を見に、東海道線に乗って 
 はるばる行ったぜ~横浜へ~~♪
といっても東京駅から30分以内でついちゃうんだからそれ程は遠くないかも。

暮れにいただいた何枚ものチケットのうちの一枚でしたが、
これは最初パスしようと思っていたんです。なぜ行く決心をしたかって?
今季のデパートのセールで靴を買おうと、MやTやDデパートを覗いたけど
捜し求めていたようなものが余り見当たらず、あってもサイズが無かったり
履いてみると窮屈だったりしていたのです。
23.5cmは最も一般的なサイズなので、セールではいい物が
すぐに売り切れてしまいます。以前なら、靴はSOGOで探すのが
一番収穫があったけど、有楽町店が閉鎖に追い込まれ、ららぽーとも
閉鎖。あとは横浜か千葉か柏か、でしたからSOGOは私にとって
益々縁遠くなっていました。
で、このチケット、よく見ると、SOGO、って書いてあるではないですか。
ちょっと遠いけど、久しぶりに行って見るかぁ、とね。


プラハ国立美術館展

以前こんなことがあったんです。
娘が小学3年生ごろ、表参道のUチャーチまでサンデースクールに
通っていました。私は彼女をそこまで送っていき、終わるまで街をぶらついて
いましたが、慣れてきた頃、連れて行くだけは行って、帰りは銀座で
待ち合わせをしよう、なんてことを思い立ったのです。
ホーム上での待ち合わせなら問題ない、と思って、時間を設定し、
ホームの真ん中あたりで会おう、ということにしました。
なのに、どういうわけか出会えませんでした。当時はケータイなど
なかったし、まだ一人で東京のど真ん中を歩かせたこともなかったので
家に電話したり、母のところに電話したりして、娘からも電話があった
ということが分かったので、今度電話があったら、有楽町SOGOに
いるから、探して分からなければ誰かに尋ねながらでも、そこまで来るように、
と、伝言を頼みました。もしどうしても出会えない時はまっすぐ家に帰るように、とも。
そう頼んでから、SOGOのどこで、ということを言い忘れたことに気が付き
再度電話をしたのですが、すでに娘から2回目の電話が掛かってきた後でした。
仕方ないので、しばらく一階の靴売り場で靴をひっかえとっかえ試し履き
していたとき、娘が向こうの方からニコニコしてやって来たんです。
「どうして靴売り場ってわかったの?」と言うと、
「ママが好きそうな売り場かな、と思って・・」と言うではありませんか。
へぇ~、普段何気なくでも観察されているのかぁ・・と、感心したことでした。
ただ、これだけの話しなのですが、あちこち電話をしたことで
皆が、何かというと、つい思い出してしまう出来事の一つになりました。

プラハ国立美術館展


ヤン・フリューゲル(子) 「バベルの塔」 

ところで、美術展でしたね。もうパス、パス・・ですかぁ?うふっ。

プラハ国立美術館展は16世紀から17世紀にかけて描かれた
フランドル絵画黄金期の秀作70点を展観するもので、その頃の人気画家、
ブリューゲル一族やルーベンスなどの描く、宗教画や静物画、風景画、
風俗画等々、様々なジャンルの絵から構成されていました。
昔の人って、子にも孫にも同じ名前を付けたようで、一体何人の
ブリューゲルがいたのだろう、と首を傾げてしまいました。


ヤン・ブリューゲル(子) 「磁器の花瓶に生けた花」

当時の絵画には、比喩や教訓的な意味合いが含まれたものが多いので、
絵を読むという視点からも楽しめる、との説明を読みながら、
絵に隠されている謎って何だろうと、頭に?マークを付けながらの鑑賞でした。
「レンブラントの夜警」といい、「ダ・ヴィンチ コード」といい、謎を絵画の中の
どこかに含ませる手法が流行ったのか、後世になって、勝手に想像を交え
さも真実のように説明付けしているのか、私には皆目わかりませ~ん。


テオドール・ロンバウツ 「歯抜き屋」

この絵のタイトルは、【歯抜き屋(にせ医者)】タイトルからして怪しそう!
東京都心と違って最終日の前日でもゆったりと見られましたが、皆さん
とても熱心にご覧になっていて、いい雰囲気が会場を流れていた気がします。

プラハ国立美術館展

横浜まで来てしまったもう一つの目的のため、美術展の後は地階の靴売り場へ。
あちこち見て回りましたが、
やはり今までと同じメーカーの、今のと同じようなものを
購入してしまいました。今回試そうと思ったストロバーの靴はセールの品数が僅かで
私のサイズがなかったので、又別の機会にお預けです。
東海道線と京葉線の往復で、一ヶ月かけてもまだ読み終われなかった本を
遂に読みきることが出来て、嬉しいやら残念やら。終わって欲しくない映画同様、
もっと読み続けていたい本ってあるんですね。

 



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麗しのベルエポック

2008-01-13 | art/exhibit/museum

新しい年を迎え、すでに半月程過ぎました。年々、月日が容赦なくパッと過ぎて行く
ので、私は益々そんな日々についていけなくて、マイブログタイトルを呟いてしまいます。
人並みには行けない。だからいつも、Going My Way! なんだ、と。
でもこのタイトルにもついていけるかしらぁ~、と、疑問符の多いこの頃です。
だいたい、My Way だなんて、どんなWayなのさ、と、質問されそうですよね。
My人生、残された日々のが少ないのに何がMy Wayさ、なんですよね。ご尤もです。
しかし~、My Wayさ!って、胸を張ったほうが元気が出るじゃないですか?

今年初の美術鑑賞は、初めて訪れた大丸ミュージアム・東京で開催していた
「ベル・エポックの輝き」展。娘から招待券を貰ったので最終日の一日前に行ってきました。
ラリックやエミール・ガレの作品は、1970~80年代、
サンパウロ美術館の建物の真下で
行われていた骨董市で初めて見て、きゃっ、素敵だ~と思っていました。日本に帰国後、
たまたま誘われて、そのころ海浜幕張にあった北澤美術館で、ガレをはじめ、ドームや
ラリックの美しい芸術作品を目の当たりにしました。南米の骨董市とは違い、日本では
「買う」レベルでなくて、美術館の中でしか見れないもの、と認識を新たにしたものです。

     ベルエポック(Belle Époque) とは、「良き時代」と言う意味のようです。
     19世紀末あたりから第一次世界大戦勃発(1914年)辺りまでの、
     パリが最も華やかで繁栄していた時代、
     ~優雅で喜悦に満ちた文化が開花した時代~を、フランス人が
     懐かしみと憧憬の気持ちをこめて「ベルエポック」と呼ぶそうです。

去年の暮れにも、左のポスターの催しのなかで、ガレや
ドーム等のガラス工芸も拝見することが出来ました。
NHKの番組「美の壷」は見た事がないのですが、アート
鑑賞のポイントである「ツボ」を紹介する番組だそうで、
例えばアールヌーボーのガラスは;
    壱のツボ: 花や虫より素地が主役
    弐のツボ: 光りがつくるいくつもの顔
    参のツボ: 小品でドームに並ぶものなし
なんて書いてありましたね。鑑賞のツボはとても役立つ
のですが、どうも私は研究熱心でないようです。自分が
いいと思ったものがいいんだ、と、単純に考えて見ていま
す。「美の壷」展はupする時間がなかったけど、とっても
興味深い催しでした。


さて、「ベルエポックの輝き」展を書くには日が経ち過ぎ
ましたが、最終日の前日でしたからそれなりの混みようで
順番に並んで見るのは不得手!なので、皆の肩越し
からさぁーっと、しかし、しっかりと覗き、さっさと空いている
方へ移動。アクセサリーは小さくても細工がシックな上、
手が込んでいて、当時、どのような女性がこれらを身に
付けていたのだろう、と想像してしまいますし、香水瓶の
優雅なデザインの数々といったら、香水を余り使用しな
い私でさえ目を見張るほどおしゃれで素敵でした。
それら一つ一つが創意工夫の賜物のような凝った作り
で、見ているだけでも楽しめました。
 

← ガレの団栗文ランプ

しっかりと目前で見ることの出来たラリックの「シュザンヌ」(右上)の立像や「カリアティード」などは、シンプルな中にも優美な曲線が魅力的でした。目黒の庭園美術館(旧朝香宮邸)の正面玄関のガラス扉や、大客室と大食堂のシャンデリアも彼の制作によるものですし箱根には美術館もあるので日本人にはお馴染みですね。
【ガラスの詩人】と言われるガレの作品にはストーリー性を感じてしまいます。音楽や文学を好んだガレの作品の中には、多くの詩人の引用詩が控え目に刻まれているものが幾つもあります。決して目立ちはしないそのカリグラフィーと詩、それが、様々なガラス素材を自由自在にアートの表現として用いた作品のなかで見事に調和し、誰もが真似出来ないガレ独特の世界を醸し出しています。

 

ただ、批評家からは、作品そのものが充分すぎるほど詩的だから、銘文の引用などするとかえって安っぽく陳腐になる、などの批判もあったと言います。ガレはそれに対してハッキリと意見を述べ、自分の流儀をやり通すと公言したそうです。ガレはガラスのみならず、家具や陶器、デザイン画を通しても優れた才能を存分に発揮しています。

   
          
                      ドームの薔薇文化器                 ガレの蝶文ランプ
                               
植物や昆虫の絵柄が多いガレの作品には日本美術の影響も非常に多く見られました。
1867年に父親の代理として行ったパリ万博で初めて日本から出品された文物を目の当たりにして以来、当時のヨーロッパの芸術家のだれもがそれらの東洋のアートに影響を受けたように、彼も様々な技法をそこから学んだようです。特に陶器の作品には伊万里焼や水墨画、日本画の影響がとてもよく表れています。
1878年、彼はパリ万博に出品し、ガラス部門で銅賞を獲得。その時の出品作に、葛飾北斎の絵からモチーフを引用した花器が含まれていました。
                      
 
「未熟な日本の美術を中国の影響から
 解放したのは北斎です。北斎の絶大な
 影響力は、日本のアトリエに留まらず、
 世界のどんな国の装飾美術にも通用する
 革新運動を呼び起こしたのです。」         

 「自然に深い共感を抱いている日本の
 芸
術家は 命あるものが見せる、時には
 あざ笑うような、また時には悲しげな
 眼差しを浮かべる愛らしい 顔の表情を、
 わかりやすく解釈する独特の 方法を
 身につけています。」 
                 エミール・ガレ                                   

                              
これは本からコピーしたものですが、素敵でしょう?「恋の釣糸」といい、水のニンフが彫られて
います。ニンフとは妖精のことですが、又、カゲロウの幼虫の名前でもあるんですってね。
北澤美術館のHPの中でもこの作品を見ることが出来ます。
参考にさせて頂いた本のなかで、鈴木潔氏は、こんな風に語っています。

     詩人の言葉が人を感動させるのは、それが荒唐無稽な空想では
     なく、実際の経験に根ざしているためと言われる。ガレのガラスも、
     われわれがいつかどこかで見た光景を思い起こさせ、記憶の中の
     美しい瞬間を呼び覚ます力を持っている。彼は森の下草のような
     雑草がしげる草むらにも眼をむけ、風になびくシダの葉やこぼれ落
     ちた枯葉すら情感をこめて表現した。われわれは雑草という大雑
     把な言葉でひとまとめにしてしまうが、どんな草にも名前はあり、独
     自の容姿が見られる。それらに注目するかどうかは、植物に対する
     こまやかな愛情と興味の持ち方次第である。雑草ばかりのありふれ
     た草むらをモチーフに選ぶこと自体、植物学者の言葉が詩人の
     それと同等の価値を持つガレ芸術の特質を物語るものであろう。


次の週には母の用事で日本橋に行ったとき、
「麗しきオールドノリタケ」の券を持っていたので
ついでに覗いてきました。券の絵柄からしてド派手
というか、金銀ギラギラの感が強く、初めは興味の
対象外でしたが、アールヌーボーを意識した意匠と、
様々な技法が詳しく説明された展覧会は、それは
それで大変面白く、最後には得した気分にさえ
なりました。

オールドノリタケ、それは明治時代に日本から海外へ輸出された洋風陶磁器のことだった、と初めて知りました。アール・ヌーボーやアール・デコの影響を、日本でもしっかりと受け、それを逆に輸出し、欧米のコレクターを魅了したといいます。このオールドノリタケと細見美術館の古美術品とのコラボによる、豪華な装飾美溢れる美術工芸品を、デパートに寄りがてら気軽に見れるというのがすばらしい。

今日、25日にやっとのことでupすることが出来ました。
日付は最初に書き出して途中まで、草稿でupした日です。
もっとシンプルに、を目指しているのに困ったモンだぁ。



 


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今年最後の展覧会

2007-12-30 | art/exhibit/museum

★荻原守衛 《抗夫》

今年最後に見に行った展覧会は「日本彫刻の近代」展。
12月24日までだったので無理だと諦めていました。
23日にクリスマスプレゼントなどを探しに東京方面へ出かけた時。
一たんはメトロ日本橋で下車したものの、ドアが閉まる直前に又
飛び乗って、2駅先の竹橋まで行ってしまいました。
地上に上る階段の所で男性から声をかけられました。
なんと、この展覧会の切符を、500円で買わないかと言うんです。
タダではなかったけど、私を待ってたかのよう。少々ラッキーでした。
この展覧会は幕末、明冶期から1960年代までの
近代日本彫刻の歩みを、68名の彫刻家の作品約100点で
展観。見応えがあり、とてもよかったです。
船越安武の大理石の作品「婦人胸像」は、
気品に満ち、その美しさにジ~ッと見とれてしまいました。
高村光太郎のブロンズや木の小作品も多くあり、白井雨山の
「たよりなき身」などは、見たくないほどのたよりなさなのに
余りにも心入れを感じてしまい、尽々と見ずにいられませんでした。
予期せぬ展覧会に行った事で、プレゼントが全部選べず、
子供には「目録」のみ。母にだけはカシミアのマフラーを購入
しましたが、クリスマス過ぎには全店セールですからね。
プレゼントは一年前に買っておくべきってことですか。

  

★船越安武 《婦人胸像》             ★高村光太郎 《手》 

 

 


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秋色の初冬

2007-12-12 | art/exhibit/museum

      2007年12月8日(土)の靖国通りはこの通り、歩道も木々も一面ゴールド色。
      今日の新聞には明治神宮外苑の銀杏の見事な写真が掲載されていましたが
      ご覧になりましたか。300メートルも続く4列の銀杏並木の下に広がる黄金色の
      絨毯は、さぞかし見事でしょう。今年は紅葉が遅かったので、12月半ばまでは
      見ごろのようですよ。

      

K ちゃんからいただいた招待券は山種美術館で開催中の「秋の彩り」展

いつもなら身軽に思い立った時に一人でヒョイっと出かける私ですが、当日、外出しそうにない夫に声を掛けた所、珍しく「行ってみようか」の返事。

メトロで九段下まで行き、舞い落ちる葉の中を歩きました。
九段くんだりでもまだ銀杏並木が秋の終りを惜しんで、あともう少しだけ主役でいさせて~と、囁いていました。
もちろんよ~いいですとも!
時はすでに初冬ですが、画家たちが心に刻んで表現した秋の彩り溢れる絵画
をこれから見に行くんですもの。

靖国神社の手前のやきもののお店「花田」は、通り過ぎて行けないお店です。
すぐに使えそうな器ばかりなので、どれにしようか、と、すぐに買うつ
もりになってしまうのですが、荷物を持ちながらの絵画鑑賞は遠慮したいので、目の保養だけで我慢。                                                                                展示会の内容は、タイトルの通り、秋の風物詩が中心でした。日本人が四季折々の美しい自然の姿をどれだけ大切にしてきたか、日本画の巨匠の目が捉えた秋の彩りを感じさせる所蔵作品約50点が展観。もう何回も通っている美術館ですが、いい絵を間近でじっくりと鑑賞できるし小さい会場なので、気に入った出展作品を多少なりとも覚えられる点が、忘れっぽい私には好都合。

会場に足を入れるとまず目に飛び込んだのが、真正面に展示されている、大きな奥田元宋の絵、「奥入瀬(秋)」。右の絵も同じ画家の描いたもので「玄溟」
というタイトルです。今回購入しただた一枚の絵ハガキですが、奥入瀬のHPの中でも見ることが出来ますよ。

パンフレットに使われている上の絵は、
東山魁夷の「秋彩」の一部分です。
絵を構成する三色の秋色のバランスが素晴らしい!パンフレットには4名の名前が連なっていましたが、約30人の画家による秋の祭典です。速水御舟の「山科秋」と小茂田青樹の「峠路」は彼らが20代半ばに描いた絵でした。まだ駆け出しの頃のはずですがとても上手い。つい、わが子と同年代のころに描いたのかぁ、と思いながら、見入りました。

夫と意見が合ったのは、福田平八郎の「彩秋」。普段はこのような明るい色は滅多に使わないのだけど、色とりどりの紅葉があまりに見事で、その有様に感動して描いたらこのような色になった、というようなニュアンスの説明書きがありましたが、素直な感動がシンプルな絵にイキイキと表現されていると思います。

安井曾太郎の「葡萄とペルシャ大皿」も、油彩なのですが懐かしい素朴さを感じる絵でした。わが子が北海道での山村留学2年目の時、ホームステイ先となって下さりお世話下さったのが、この画家の「お孫さん」のお宅でした。それは全くの偶然で、周りの方はだれもご存知ない風でしたし、彼女も特にそのことを語ったわけではなかったのですが、絵の話題になり、少し突っ込んだ話しになった時に、実は、と、教えて下さったのです。わが子の山村留学一年目は、留学センターで、10人ほどの留学生と共同で生活していました。そこで台所の賄いを所長の奥様達とお手伝いなさっていたのが彼女でした。東京の方なのですが、何年も前に息子さんをここに留学させ、すっかり気に入り、家族移住をしてしまった、とのこと。犬ぞりに乗るのが憧れで、ハスキー犬を5~6匹は飼っていたでしょうか。一見、物静かで凛としたAさんですが、何でも(どんな力仕事でさえも)淡々とこなしてしまう魅力的な方。3人のうち2人のお子さんは地元の方と結婚され、北の大地にしっかりと根差しています。先月は留学制度○○周年記念行事というものがあり、子供が参加したのですが、又すっかりお世話になって来ました。星野道夫さんの写真展を初めて見に連れて行って下さったのがこのAさんだったのです。

             
帰りは靖国神社に寄り、落ち葉の絨毯の上を歩きました。その厚さにゴロンゴロンと寝そべりたい程でしたよ~。(上の写真は暗すぎたので明るく修正したものです。)このあと、二人で向ったのは神田神保町。書店巡りを表から裏から楽しみ、御茶ノ水駅でJRに乗って帰宅したときはすでに夜になっていました。

 

 

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夏目漱石展

2007-11-25 | art/exhibit/museum


★明治天皇崩御時の写真で腕に喪章を付ける漱石

寒さが身に沁みる季節になりましたね。私はすでに真冬の装いで街を闊歩しています。
いつもの如く、すでに終わってしまった展覧会についてですが、少しだけ書きたくなり、
書き始めたら終りが見えなくなったので、やっと今、upすることに決めました。

  

ずっと気になっていた、「文豪・夏目漱石~そのこころとまなざし」展。最終日の前日に、江戸東京博物館まで見に行ってきた。博物館の建物と、気の利いたカフェもないあの辺りを想像し、いつもどうしようか、と迷ってしまうのだけど、土曜日は夜の7時半まで開館しているので、行く決心がついた夕刻からでも間に合ったが、展示物が膨大で、閉館の時間まで見ていても時間が足りない位だった。 昔、父が、「太宰や芥川なんかを読んでいると、生きているのがイヤになってくる。その点、夏目漱石はいいぞ。」と言ってたが、いつも途中で挫折していた。漱石の本にかぎって挫折するはどうしてだかわからないのだが、人間としての彼には常に興味があった。



   装丁『四篇』


 『草合』

 どれも興味深くて、いちいち書いていては又、長文
ブログになるからやめるけど?、漱石の妻、鏡子との
縁談の話しに、へぇ~~と、感心というか疑問という
か、とても呆気にとられた。初めて鏡子に会った時の
印象を漱石は、「歯並びが悪くてそうしてきたないの
に、それをしいて隠そうともせず平気でいるところがた
いへん気に入った」と言っている。どういうことだろう。
朝寝坊の鏡子の事を、「オタンチンノパレオロガス」と
からかったが、彼女は何だかわからず 英語かなんか
だと思っていたが、後で、東ローマ帝国皇帝コンスタ
ンチン・パレオロガス」の洒落だと知ったそうだ。
どうして鏡子と世帯を持ったのかわからなくなる。きっ
と神経質な漱石の持っていない図太さ、無神経さ,
よく言えば何事にも動じない、肝っ玉の大きい性格
だったので 釣り合いがとれたのかな、と思う。

漱石と子規の友情は「寄席通い」がきっかけだった
そうだ。お互いに書いた詩文集を批評しあい、才能
をぶつけ合うことで2人の友情は更に深いものになって
いった。 素敵だ~。  脊椎カリエスを患い、もう先
は長くないことがわかってからも、病床にありながら、
あづま菊を書いた
こんな絵手紙を送っている。
最後の手紙には、「僕ハモウダメニナッテシマッタ」。
「今一便」書いて欲しい、と書かれていたが、ロンドン
で神経衰弱になっていた為か、漱石は返事をしなか
ったことでずっと後悔し通しだったという。しかし、子規
の死後、先のあづま菊の絵手紙と最後の手紙に加え、もう一枚の書簡を一幅の軸に仕立て上げて生涯
大切にした。

教え子の寺田寅彦によると、二人の間は「お互いに
畏敬しあった最も親しい交友」だという。
その寺田寅彦がドイツへ留学する時、漱石にオルガン
を預け、代わりに彼にトランクを貸したそうである。
この二人の師弟の間柄も素敵~!ドイツと東京で
交換していた
書簡も展示してあったが、師弟とは言え
ない、それ以上の温かい友情を感じ、私はだた羨まし
さを通り越して妬ましささえ覚えてしまう。下の絵手紙は、漱石が水彩画を始めてから一年ほどたった頃の絵手紙だが、絵心のある絵だと思うし、書もとっても上手くて味がある。
漱石は絵筆を持つことで心の安定を保ったらしい。

      
       明治37年10月22日付けの
       寅彦宛のハガキ
       (高知県立文学館蔵)

会場は 
 ①生い立ち・学生時代
 ②松山・熊本、ロンドンでの生活
 
③作家漱石の誕生
 ④漱石が描いた明治東京
 ⑤漱石山房の日々
 ⑥晩年~死    
の六つのセクションに分れて展示。
 

自筆の書や絵、原稿、漱石文庫からの沢山の洋書や美術カタログ類、お互いに交換した手紙類から垣間見る、正岡子規の死後まで続く2人の友情の様子、橋口五葉や津田青楓の手掛けた美しすぎる本の装丁と、浅井忠や中村不折の上手い挿画などなど、こんなに多くの資料が残されて、それが今回存分に拝見出来たことで、思いきって駆けつけて本当に良かった。
 

美しいこれらの装丁本が漱石と橋口五葉の共同作品・・・と言うことは、漱石がどれだけ美術に感心が深かったかを意味している。
 
   
 
「硝子戸の中」の見返し部分

 


上:大阪滑稽新聞に掲載された
「夏目漱石像」を面白がって模写
し、小宮豊隆宛の手紙の冒頭に
描いたもの。なんてユーモア精神
あふれた漱石ネコだろう!
その猫が死んだとき、漱石は知人
らに死亡通知を出し、東京朝日
新聞には死亡記事まで載った。
最後まで名前を付けてもらえなか
ったが、100年後の今も愛されて
いる幸せな猫だ。
そうだ。


1912年 「山上有山図」
(岩波書店蔵)
津田青楓の指導で最初に
描いた南画。

漱石を朝日新聞入社へ導いた、池辺三山(朝日新聞主筆)のことも初めて知った。「巴里通信」を書いていた彼を漱石は高く評価していたそうで、顔も、手も、肩も、すべて大きい尽くめの三山にすっかり安心したという。朝日新聞社長に、「夏目漱石君ニ百円くらいの俸給ならば大学教授を辞職して入社いたし候べき見込有之・・・」等、したためた推薦状も展示されており、二人は、「心を許した間柄」だった。が、それから5年経たずして三山は心臓発作で急死。同時期に漱石の五女ひな子も幼くして急死。これらの出来事が漱石の心と体に最大のダメージを与えたようだ。最後まで神経衰弱と胃潰瘍に悩まされたけど、これだけ人々に愛された人柄は、幼くして養子に出されたりして苦労したことも影響しているのではないか、と思う。信頼できる人を自分で見つけるしかない環境から、人を見る直感力が養われ、その上、真面目だがユーモアセンスの旺盛さが人を引きつけて止まなかったのだろう。彼の講演はなかなか面白くて人気があったというのも頷ける。
漱石について、その人となりをいろいろな方面から見る事が出来た展覧会だった。
書いても書いても書き足りない。あれも、これも、と、浮かんでくるけど興味ある方には物足りないだろうし、皆が当然知っていることばかりを、もしかしたら嬉々として書いているのかなぁ。
         
会場の最後のところで漱石のデスマスクと対面してしまった。
1867年(慶応三年)江戸・牛込馬場下に生を受け、1916年(大正五年)49才に没した漱石。明治時代の初めから明治の終焉までを見届けたその顔は、おもったより穏やかだった。が、同時に忘れられない顔になってしまった。

いつだったか朝日新聞の「今も昔も」というコラムで、寺田寅彦の漱石に対する気持ちが、茨城大准教授・磯田道史氏により、以下のように紹介されていた。(一部抜粋)

 無名時代から漱石を慕っていた寺田寅彦は、自分の「夏目先生」が祭りあげられて
 ゆくのが、つらくてならなかった。漱石の死後、こんなふうに書いている。
   「自分にとっては先生が俳句がうまかろうが、まずかろうが、英文学に通じて
   居ようが居まいが、そんな事はどうでもよかった。況や先生が大文豪になろ
   うがなるまいが、そんなことは問題にも何もならなかった。寧ろ先生がいつ迄
   も名もない唯の学校の先生であってくれたほうがよかった(中略)。
   先生が大家にならなかったら少なくももっと長生きをされたであろうという気がする」。
 元来、神経質な漱石は文豪にされ、無理に無理を重ねた、命を縮めた。
 寅彦は、漱石から二つのことを教わったと書いている。自然の美しさを自分の目で発見
 すること。人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け、そうして真なるものを愛
 すること。この二つである。

          
         ★亡き師に献呈したという芥川龍之介の「羅生門」           ★10月17日付け朝日新聞より


 


 

 

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鉛筆と黒鉛の旋律

2007-09-03 | art/exhibit/museum

まだ日にちがある、と思っていたら見に行きたい美術展の会期がことごとく終了していた。
「金刀比羅宮書院の美」は最終日だったが、きっと混みあっているだろうし、上野に行く
気分ではなかったので、9日で終了してしまう 「線の迷宮Ⅱ― 鉛筆と黒鉛の旋律」を
見に行った。前日は特養を訪問したりと忙しかったが、この日は夫だけが、母親の所に 
ホームを移動する件について話しに出かけたので、それとほぼ同時に目黒区美術館へ
向かった。

そこでは鉛筆やシャーペン、消しゴムなど、シンプルな画材を使った9名の作家たちの
約100点のモノトーンの作品が展観。

       ・・・・・・ 雑踏から逃げたくなったらここにおいで。 ・・・・・・

パンフレットに書かれていたその言葉に半ば誘われて来てしまった感もあるが、実際に
見るそれらの作品群は、想像を絶するほどの緻密な絵が多く、眼鏡を外し 顔を絵に
接近させないと細部がわからなかったりする。いや、接近させても肉眼では見えにくい
ほど細かい。私の視力がよほど低下して来たんじゃないか、と悲しくも 
疑ってしまう。
ものが見えにくく感じ初めた頃は、絵の好きな人間としてはとてもショックだった。例えば、
音楽の好きな人の耳が少し遠くなり始め、音楽全体を聴き取れなくなってきている、と、
自覚するときのショックと似ていると思う。

最初の部屋で見たのは、◆篠田教夫氏の作品群。この《海辺の断崖》 は気が変に
なりそうなくらいほど細かく、虫眼鏡が欲しかった。が、すごい!
作者コメントには、こんな事がかいてあった。

     誰しもが見慣れているはずの“或る物”も、日常的な意識の視点を
     少しずらすことによって、まるで異界の幻想風景のごとくに変貌する。
     さて、或る物とは何んでしょうか。

鉛筆を使いこなし、消しゴムで描くそうだが、消しゴムで描くってどういうことでしょう?
それは、紙の上に濃い鉛筆で漆黒の闇を創り出してから、消しゴムで削り描きをする
手法だそうな。

2階に上ると、8人の作品がコーナーごとに
展示されていた。それぞれ、個性の全く異な
る作品なのに、紙と鉛筆という画材は同じ。
鉛筆でここまで豊かな表現ができることに
感嘆しまくる。

小川百合さんの作品は、闇の中に浮かび
上る歴史的建築物の中の「階段」や、
オックスフォードの図書館の「書棚」が、歴史
の一こまのように息を殺してそこに佇んでいる
ようだ。左の作品は《Corpus Christi,Oxford》
の部分。彼女は1995年よりギャラリー小柳で
個展を続けている。

齋鹿逸郎氏は、展覧会の始まる少し前、
心筋梗塞により急逝されたという。この展覧会
をとても楽しみにされていたそうで、出品する
作品を整理し、準備を整えていた矢先のこと
だった、と言う。本当なら今日、ここにいらして
いたかも知れないのに、と、思うと残念だ。

彼の作品は、「無限に続く鉛筆の軌跡」と書かれているように、ただひたすら、すべての
空間を埋め尽くすべく、このように描いている。

  鳥の子紙という和紙に鉛筆で下地をつくって胡粉や白亜粉を置いた
  その軌跡をたどりながら、さらに鉛筆で描いていく独特の描き方。ひたすら
  描くことが、作家の呼吸であり生活であり生きる証でもあるかのようであった。

一階に戻り、この時偶然行われていたワークショップを覗いたら、講師が参加者の作品を
見ながらお話している最中だった。小川百合さんもそこにいらしたので興味深く、ちょっと
衝立の外から覗き聞きした。(美術館のリンク先で、ワークショップの様子が窺えます。)


8月の3日間を費やして行われた小川信治氏のワークショップでの作品「無限風景画」は
下記の要領で作られた。
        古い外国の絵葉書や、自分の写真の中から選んだパーツを構成して
        鉛筆と消しゴムで書き込みます。完成した全員の作品を作家が絵で
        つなぎ 輪にして、8月21日からワークショップに展示します。
        *参加者が完成させた作品が、ワークショップ終了後、小川氏の作品
        となることにあらかじめご同意いただくことが参加条件となります。作品は
        写真でお渡しします。


参加者19名の描いた作品の間を繋げるのに小川氏は19枚の作品を描いている。
全長12メートル、38の部分からなる「無限風景画」の試みは、2006年から続いている
彼のプロジェクトの一つだそうだ。参加者もなかなかの腕前。絵が好きな方だったらきっと
うずうずしてしまうような、楽しい企画があったとはね~、知らなかった~!


この美術館のラウンジが、ちょっといい感じ。コーヒーを頂きながらひと休みし、どのルートで
帰るかを思案。行きは目黒駅からだったが、帰りは別の道を、と思い、恵比寿に向かって
歩いた歩いた。中目黒で、日比谷線に乗ろうか・・とも考えたが、鎗ヶ崎交差点は、いつも
車で通るばかりだったので、一度自分の足で歩きたかった。
途中で「VERRE」というこじんまりとしたガラスと食器のショップを見つける。この並びに「青山
ケンネル」もあった。「アマポーラ」恵比寿店では通りに面した所でパエリアを売っていたので、
つい、夕食用に、と買ってしまった。具が小ぶりだったけど、おいしかったぁ!



           私と入れ違いで、娘もこの展覧会を見に来た、と、あとで知った。
           Kちゃん、招待券を送っていただき、ありがとうございました。

    



    


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具沢山の日曜日-1-

2007-06-09 | art/exhibit/museum

日曜日は家のことに専念しようと思っていました。
うちのマンション、大規模修繕工事の最中で、毎日の「洗濯情報」がピロティーに置かれた掲示板に表示されるのですが、日曜日は○印。洗濯物をベランダに干せる日なんです。
6月3日(日)。まずは大物の洗濯を中心に大急ぎで終わらせました。この日は暢気に家には居れない日。あぁ~~老体に鞭打ってでも、行きたい所があったのを思いだしてしまいました。これだからいつまでたっても家の中が片付かないのです。

まず九段下まで行き、山種美術館を目指す前に、あられの
「さかぐち」を探しました。
なにかの雑誌で知り、お煎餅大好きな私は、九段の近くに行った時は是非寄ろうと思っていました。当日の予定を上手に消化するにはまず「さかぐち」に寄るのが一番だったのです。が、
歩いても、歩いても、その店が現れない!一口坂にあるAちゃんのママのお店まで来ちゃった。
なのにぃ、「さかぐち」がない!聞きたくても{さかぐち」という名前が思い浮かばなかったんです!
もうぅ~~最近何故こんな事ばかりなんですかぁ。ボケる順番にしては早過ぎますよ。
靖国神社の並び、とか、数軒先、程度のうろ覚えの記憶で探しました。存在することだけは確かです。歩いて、歩いて、市ヶ谷に着いちゃうじゃないかよ~と感じたころ、やっと見つけたのに、日曜は定休日でした。ガ~~~ン!

カンカン照りの中を同じ道を引き返してあと少しで美術館、のところで、まわりを歩いていた方々がみんなイタリア文化会館に入って行ったので、私も少し行き過ぎた所でUターンして会館に入りました。ぷっ!あれっ、ここは何かしら、と思うような赤い建物なんです。前に山種にきた時果たしてこの建物は建っていたかしら?記憶にございません。
 
                                  (↑webより)
    
                  
              

建物に入った所で「チェッコ・ボナノッテ展」を開催中、だと知りました。ボナノッテという名前って、「こんばんは」さん、って意味なんですかね?みなさんはそこに立ち止まらず、中を突っ切ってさらに階下へと向かっていくではありませんか。
私もノコノコとついていくと、きょうは「Duo Serenade~デュオ・セレナーデ」の東京公演の日だったのです。二人のバイオリニストと一人のピアニストのクラシックコンサート。
詳細は、何気なく?公演プログラムをいただいちゃったので判ったのですが、あと少しの所で、聴いて行っちゃおうかな、と思ってしまいましたよ。webでこの方が当日の様子を語っていました。

ここから少し先に歩き、やっと山種美術館に着きました。このあとも予定があるので、寄り道をしている場合ではありませんでしたが、寄り道のない人生なんて、やっぱ~有り得ない、ですよね。
今回の、開館40周年記念展 山種コレクション名品選~では、竹内栖鳳の「班猫速水御舟の「名樹散椿などの重要文化財、酒井抱一の「秋草鶉図」等の重要美術品、奥村土牛の「醍醐」など、どこかで一度はお目に掛かっているな、と思う作品が幾つもありました。重要文化財といわれる上記の絵は、整いすぎて美しすぎて、本来ならこういったタイプの絵は面白くないのでさっと通り過ぎてしまうのですが、今回じっくりと拝見し、やはりすごい、と思いました。
でも、やっぱり速水御舟はいい!特に文化財とかでない、小作品が好きなんです。
下の2点の絵葉書を買い求めました。バラは展示されてなかったのですが、バースデーカードとしても使えそうなので、グリーティングカード仕様のを、奥村土牛の「ガーベラ」と共に購入しました。
はいっ、6月は母の誕生月です。いつも紫陽花色のカードを選んでいましたが、今年はバラと行きましょう!
                
  
会場の最初の部屋には横山操の「越路十景」全十図が展示され、二年前にこの場所で見た作品群と思いがけずに再会を果たしました。下の「蒲原落雁」の絵葉書は以前購入してとても気に入っているのですが、横山操の絵を見ているとなぜかアンドゥリュー・ワイエスの絵を思い浮かべてしまいます。
                 
             
先日、外苑前の青山ユニマット美術館という所に「シャガールとエコール・ド・パリ コレクション」を見に行ったところ、ちょうど「アンドゥリュー・ワイエス展」が開催中でしたのでびっくりしました。
二人が似ているのは色使いとセンスのよさです。描きたいものを心の中にちゃんと持っている、そんな方々の気がしてなりません。
 
この日は山種コレクション名品展前期の最終日でしたし、日曜日とあって、いつもよりずっと込み合っていましたが、上野の混みようとは比較になりません。たいそう満足して美術館をあとにし、次の目的地へ、と向かう途中、イギリス大使館の裏手のほうでUCCのカフェを見つけて休憩タイムをとりました。UCCカフェプラザ。これは「夏のフルーツワッフル」、ここのワッフル、だ~い好きですが、マンゴーをもっとたっぷりのせて欲しかったわ!           
        
 (←webより)
                        次の目的地は、どうでもいいかなぁ?
                        もし時間が許せば明日アップしますので、また
                        夜か明後日にでもちょっと覗いてくださいね。 

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