うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その127

2010-11-20 07:59:57 | 日記

          思い切って庭の掃除 

 柿の葉もすっかり落ち、鳥の餌用に残しておいた柿の実が、器用に抉られ三個ほどぶら下がっているだけです。もっとも見ようによっては無様な姿とも言えます。
 朝食も済ませ、二階で一休み。テレビの予算委員会の中継では、公明党の女性議員が原稿読み読み、それもたどたどしい口調で、こっちがいらいらさせられます。おまけに質問の長いわりには答弁の方は二言三言で、まるで切ない光景。
 再放送の時代劇もなく、それでは空は抜けるような蒼さが広がっていますし、それほど寒さも感じませんので草取りでもやるかと、気合いを入れて身支度であります。

 首にタオルを巻き、これは蚊よけの措置ですが、庭には既に蚊の気配は全然ありません。陽気とはたいしたものです。帽子軍手と格好だけは一人前。鎌、枝切り鋏、竹箒に熊手、ゴミ袋とそろえます。これは小生の分担で作業はかみさん主導で行われます、要は小生なんでも構わず草花を抜いてしまうので、かみさん目を光らせているわけです。時たまかみさんの悲鳴があがりますが、小生「いけねえ、悪い悪い」と苦笑いでごまかします。
 先ずはコスモスの伐採です。「まだ咲いてるのもあるのよね」とかみさんのボヤキに耳を貸さずに、一気呵成に抜いたり、太いものは根もとからカットです。間には枯れながらもしつこく生える雑草を抜きます。庭の隅に群生してた紫陽花をカット、すすきは根もとからカット、並べて二つに折って紐で縛ります。これらには後日、「燃えるゴミ用」のゴミ処理券を貼り付けます。
 さて、あらかた済んだところで、落葉集めであります。これがなかなか苦しい作業で、息が上がります。小さな熊手で庭の塀際の木々の周りの落葉を掻きだします。根元にへばりついている落葉は、身を挺して手で拾います。
 後は大きな熊手で掻き集め、市指定の40リットルの袋に塵取りですくいながら入れます。三袋一寸の分量を収用して、今日の作業は終わりです。所用時間は二時間弱、明日は樫の木の剪定であります。
 これは梯子を使用しての本格的なものでして、果たして何本できるか、これはすべて体力次第。相手は十本、道は遠いと言えます。


うたのすけの日常 予算委員会

2010-11-19 06:48:11 | 一言

        参院の予算委員会を覗く

 昨日は午後から水戸の泌尿器科まで行かねばなりませんでした。そうなると何かと落ち着きません。ええままよとテレビのスイッチを入れて腰を据えました。丁度参院の予算委員会が映し出され、場面は柳田法相の国会軽視の発言が、自民党委員の追及を受けているところであります。
 何度も反省の言葉を述べ、謝罪を繰り返していますがなかなか許してもらえないようです。地元の支援者が集まってのパーティ会場での発言が問題になったようです。身内の集まりで気が弛んだのか、それともそういう資質の方なのか、大きな体を小さくして、いや、そのままの大きな身体で今後は真面目な答弁をしますと、まるで小学生のやりとりです。
 でも自民党の法相も問題の答弁を代々していたとの新聞記事もあります。どうも政界といったところは別世界の様相が顕著であります。雇用問題とか、他にいろいろ解決しなければならぬ問題が山積していると思うのですが、与野党攻防といえば聞えはよろしいようですが、そこからは何の実りも見えてきません。
 
 追求としどろもどろの答弁、そして謝罪、今後は今後は、誓って誓ってと頭を下げます。
 そこにまたまた官房長官が自衛隊を暴力装置と貶め、これまた撤回して謝罪。官房長官よ、どこ押したらそんな音が出んのよ。撤回して頭下げりゃ済むって問題じゃないよ。タヒチのニュース見たかよ。自衛隊の諸氏がハイチの復興活動に汗水流している姿をどう思うね。おまけに現地ではコレラが蔓延して、医療活動まで援助の幅を広げ、身の危険もかえりみず奮闘しているんだよ。そのことに気がまわらないのかね。
 自衛隊員の家族のこと、ちょっとでいいから頭のどっかに留めといてくださいよ。
 そうそう、何を仕出かしたか知らないが、あの蓮舫さんも頭下げていたね。まったく民主党にも困ったもんです。
  


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その126

2010-11-18 07:36:45 | 日記


            雨模様の一日に思う

 おまけに肌寒い一日となりました。娘は昨日今日と連休です。休みの初日はどうやら友達と食事会に出かけた模様。精しく聞かないのがエチケットというより、娘たちと円満に日々を送るコツかも知れません。いくら娘といってもその行動に目など光らしてはなりません。当たらず障らずが最良です。
 昨日は孫も休みで、二人して買物に行って来ますと声をかけて出かけました。そんなことにも一寸した安心感を覚えます。不景気風が吹きまくる今日この頃です、買物に、何を買いに行くのか分かりませんが、家計に余裕がなければ叶わぬこと。帰って来たときの荷物の大小にも安心感が大きく揺れたり、小さく揺れたりであります。
 娘は子供は一人はいっぱしの大人、一人は再来年の春には大学卒業です。おまけに来年早々にはアメリカに短期留学、何でもアメリカの大学との交換留学とか。これも娘は親として気張ってるわけでして、一応の資金繰りも必要でしょうから、それをやってのけるということは、まあそこそこの余裕がある証拠と、ホットするわけであります。

 娘の立場に己を置いた場合、つらつら考えますに小生なかなか、娘をアメリカ留学させるなんて、とてもじゃありませんが出来なかったと思います。大学にいかせるのが精一杯の状態だったのです。今はそういう世の中と言われれば、そうかも知れませんが、それを子供にやってやるという娘を褒めてやりたい気持です。
 なにしろ小生自分の口のが可愛いほうで、飲んだり遊んだりの親でしたから、いささか、いや大分この年になって後ろめたい気がしてならないのです。

 そんなわけですから、いろいろ考えるわけなんですが、もうこの先ああだこうだと言っても、遅きに失したということでして、大きな力になれるわけもありません。
 従いまして結論としては、せめて死ぬまで健康でいて、娘達に余計な負担をかけないといった心構えに徹したい。その一念を通したいわけであります。
 そうなればよろしいのですが、とかく侭ならぬのが世の中ですから気を許してはなりません。ゆめゆめ油断召さるなといったところであります。


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その125

2010-11-17 08:32:30 | 日記

        かみさんの、お昼の外食からあれこれ

 かみさん朝食後のジョキングから帰って来て、息を弾ませております。「オトウサン、今日のお昼一人よ」と一言。そして一呼吸おいてから「Sさんと逢って、お昼誘われたのよ。十一時半に公民館の前に集合、四人ぐらいで車で行くの。一人で食べて」それはいいのですが、「何かあったかな昼飯」とぼやきます。
 「そうだ、ケアハウスで買った手作りパンがあったっけな、コーヒーでも淹れて済ますから大丈夫だ」と、なかなか物分りのよろしい亭主であります。かみさんあたしの言うこと上の空、まだ時間は十分あるというのに、箪笥をがたがたさせて、着て行くものの選択に余念がありません。「まっ、いいか」。
 友達とたまには誘い合って、お喋りしながら食事をするのも結構なことです。第一ボケ防止に効果があるような気もしないでもありません。
 これがまだ子育て中の若いお母さんだと、テレビなどで冷やかし半分にいろいろ物申されています。子供を保育所や学校に送り出した後、何人かのグループでお昼をファミリーレストラン、略してファミレスですか、そこで楽しく過ごす。亭主そっちのけと揶揄されたりします。
 その点かみさんたちは、押しも押されもしない老女たちですから、誰に遠慮がいるものかといった集まりなわけでして、結構なことであります。

 そうでした、ボケ防止といえば、昨日読みました曽野綾子さんの「謝罪の時代」といったタイトルのエッセー集に、なかなか頷かされることが書かれていました。
 一応もっともなる前書きがあるのですが省略して、簡単に紹介させていただきます。
 魂の老化や精神の錆びつき、ボケと称さないところが憎いですね。それを防ぐ方法として二つのことをあげています。それは毎日料理することと、時々旅行することであると。このことは考えようによれば、誰でもがしている暮らしであり、遊びである。すなわちそんなに目くじらたててすることではありません、軽く考えてやりなさいと言っておられます。
 料理は先ずメニューを考え、そして材料を買い揃え、細かく手順を綿密にたてなければ、時間の無駄、材料、燃料の無駄が生じます。結構脳味噌を使います。また旅も同じで個人旅行が理想的ではありますが、例えツアー旅行でも人任せでは支障をきたします。
 出発に際して持ち物の分類そしてまとめ、添乗員の説明、すなわち集合時間の確認、部屋の割り当て、鍵の受け渡しと、かなりの神経を労します。これがなかなかよろしいことのようです。しかしそうだからといって、ここが肝心なのですが、この二つのことに関して完全を望まないといいます。

 旅や料理には何かしら不足が生じます。旅に出れば不測の事態、料理には材料の不足といったことも起こりがちです。しかしそれをかいくぐって一つ一つ解決する。これを人生の生き方のコツそのものだと言われます。
 料理と旅はその訓練を人間にしてくれるから、精神が錆びつかないのである。なるほど、なるほどと感じ入ったのです。


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その124

2010-11-16 07:46:29 | 日記
             気分高揚の午後

 今日は午後から天気が崩れるといった予報であります。それではと腹をくくって医者行きを決断します。何もそう大仰に構えることはないのですが、どうしても医者となると半日はつぶれます。読む本を選び、読書専門の老眼を鞄にしまいます。
 予定としては皮膚科と内科とお医者さんの梯子であります。先ずは皮膚科。予約制ですが診察日や時間が、相手任せで制限されますので、待つのは覚悟で飛込みであります。まあ二時間ちょっとの待ち時間で済みます。次ぎはひと月後、塗り薬がなくなる頃と、今回は予約させられてしまいました。
 寒い間保湿のお薬を欠かさず塗って、お肌を大事に保つ療法でして、そうしないでおくと夏に湿疹が出て、痒い思いを強いられるといったわけでして、一冬一日二回塗るのもなかなか苦行であります。

 さてお次は内科、高血圧症と諸々でありまして、血圧を測り、採血して終わりであります。それぞれの薬局でお薬を頂きますが、時にここで待たされることもあります。というのも、薬局も客商売、お世辞ではないでしょうがお年寄りの患者さんに、もっともたいていお年寄りですが、具合はどうとかといろいろ訊くわけです。すると待ってましたとばかり患者さんがあれこれ話し出すわけです。
 これがまた病状だけに収まらず、挙句は自分のことにとどまらず、ご近所の知り合いの病気のことやら世間話と、果てしなく話は続くのです。気持は分かるのですが、これにはいささか参ります。やっと自分の名前が呼ばれた時、かなりの険悪な顔付きになっているのではないかと思い、懸命に表情を和ませようと努力であります。
 そんなわけで今日も帰還はお昼ちょっと前ということになりました。

 まあ昼前はこんな調子で過ぎていきましたが、どっこい今日はどえらいことが夕刻に、大袈裟に申せば歴史的事件が待っていました。思わず顔がほころびますが、ことは大相撲です。二日目、白鵬六十四連勝なるか、稀勢の里との結びの大一番が刻々と迫っています。小生早々と風呂を済ませ、外面悠々とテレビ桟敷で観戦であります。
 小生かみさんに告げます。「まあ、稀勢の里には勝目は先ずないな」と。この力士、次期大関横綱と言われながら、三役と前頭を行き来していて、多くのファンの期待を裏切って来たのです。それがどうでしょう、白鵬の双葉山の六十九連勝に迫る連勝を、六十三でストップをかけるといった大金星をあげたのです。左を差し、休まず攻め立てたのが勝因といえそうです。
 小生またまたかみさんに告げます。「オトウサン、稀勢の里に勝目はないなんて言ったけど、内心では連勝を止めるのは彼しかいないと思っていたよ」と。すると「そうよね、スカッとしたわ」と逆らわぬ返事がかえります。
 因みに稀勢の里は茨城県牛久の出身であります。

 それに付きましても、双葉山の六十九連勝が、いかに偉大な記録であるかということに、あらためて感じ入りました。そしてそれに肉薄した白鵬もまた、後世に偉大なる横綱と称されることも間違いありません。 

うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その123

2010-11-15 08:26:23 | 日記

        ケアハウスのバザーを覗く

 今日から天気は崩れ気味とか、日本の国際的力量も北風ピュウピュウまともに受けて、立ちくらみといったところでしょうか。いささか天気と同じで憂鬱です。
 中国のお偉いさんの仏頂面もお見事、何も気にすることはありません。解説にもありましが国内向けの顔らしいです。お家の事情でいろいろ気を使わなくてはならぬのかと、憐れみを感じます、となればいささか溜飲が下がるというもの。こんなことで民主国家ニッポンと優越感に浸るなんて、小生の悲しい性と、朝から自己嫌悪におちいっております。

 まあそれはおいといて、近所のお家に、これまた近所のケアハウスのバザーのチラシが貼ってありました。確か十時からだったなと、二人して確かそうだったよとか、お互い頼りないやり取りがあってお出かけです。
 わが家から一本道のところにありますが、遠目に見て人の出入りがありません。時間間違えたんじゃないの、なんて言い言い、辿り着くと無情にも十一時からとあります。うむ、色々準備があるから開催はこんな時間になってしまうんだと、なっとくしたものの、さてあと一時間出直すのも億劫なり。そうだ今日は日曜日で、ケーズ電気は十時開店大売出しです。そこで時間を潰そうと冷やかしに方向転換であります。
 お店は開店早々から大勢の客が押し寄せています。こんな光景を朝から見せられますと、不景気風はどこに吹いているのかと不思議になります。二階のフロアーを一巡して、一回に併設されている書店をふらぶら。適当な時間に一路ケアハウスに向いました。
 先ずは大なべに煮られた豚汁が目につきます。一杯ずつのサービスとかで、職員に勧められますがそれは遠慮して会場内を巡ります。各種の野菜が並べられ、それに混じってパック入りのおはぎやお赤飯、山菜飯が売られています。焼き鳥がおいしそうです。
 お客さんの中には他のケアハウスや養護施設の人たちが、職員に付き添われやって来ております。車椅子の人、杖をついた人とお互い顔見知りなのでしょう、元気に挨拶を交わしているのが、微笑ましく目に映ります。

 かみさん、手作りパンを買っています。昼ごはんにするのでしょうが、ここんところパン続きなのが気になりますが、消化がいいだろうから、ままよと納得します。
 そんな調子で日曜の午前は終幕、どうってことない一日の始まりで、そして終わりであります。変哲も無い日々が幸せな一日と、無理やり思い込みます。そう思うしかないんでしょうね年をとりますと。 


うたのすけの日常 スポーツ万歳

2010-11-14 08:28:59 | 一言

            政治とスポーツ

 両者を較べるとどうしてもスポーツの方に目がいってしまいます。しかしそうも言ってられません。今世界の指導者が日本、いや横浜に勢ぞろいしております。特に中ソ米の首脳の動向に、菅さんいかに応対するかとマスコミの報道も加熱気味です。米ソの首脳との会談はお膳立てが出来たものの、コキントーさんとの会談がままならず、水面下でのやり取りが大変なようです。
 しかし考えたら、いえ、別に考えなくてもおかしな話です。人様のお宅を訪問したら、たとえ腹の中でそこの主人公に気に入らぬことがあっても、何かしらの思惑があって訪問しているのでしょうから、先ず一番に、まして両手を差し伸べられ、満面の笑みでお話をと誘われているのですから、何はさておいても応じるのが筋と思うのですが如何なものでしょう。

 あたしなら、勿論責任の無い立場ですが言わせていただければ、平身低頭、まさかそんなことはないでしょうが、是非お逢い下さいなんてしつこくアタックするなんて御免です。
 まるで嫌われて逃げる女を追いかけるような、無様な格好見せるなんて死んでも願い下げです。
 いいじゃないですか、逢いたくないって言うなら無理に逢わなくたって。そしてやっと十分間だけ逢いましょうなんて恩着せがましく言われ、鬼の首でも取ったようにマスコミも囃したてている。無様ですねえ、情けないですねえ、悔しいですねえ。
 追えば逃げるのは古今東西の決まりごと、ほっときゃいいんです。何もそんなに言うなら十分くらいなら逢おう、なんて通訳いれたら四五分で終わりで、時節の挨拶で時間オーバー、碌な話は出来ませんよ。知らん振りしてればいんです。そうすりゃあ、向こうから言い寄ってきますよ。そしたら逢ってやればいいのです。
 無理に逢わなくたって、誰も咎めたてなんかしないと思いますよ菅さん。それより議事国の立場で大いに大局的に議事をこなして下さい。それのがよっぽどすっきりして国民も納得するのではないですか。

 そこへいくとスポーツはいいです。昨日は盛りだくさん、茶の間で大いに楽しめました。
 広州でのアジア大会、水泳柔道とメダル獲得、日本学生相撲選手権、高校サッカーの東京大会、世界女子バレー準決勝等々。こうした状況を目白押しというらしいですが、まさに大賑わい。プロ野球はもう終ったのかとおもっていたら、どっこい日韓のクラブ大会とかも行われ、ロッテが優勝して有終の美を飾ったりしております。

 横浜でも菅さん、是非々々有終の美を飾って下さい。水戸の地より願っております。

 


うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その122

2010-11-13 07:26:11 | 日記
            韓国映画を観る


 当地はここ一週間ほど穏やかな晴天が続いております。頬を撫でる空気も暖かく、年寄りには結構なお日和といったところであります。もっとも風が吹き、雨が降ってこそ日々変化があってそれに対応し、はじめて生けるしるしありというものかもしれません。あまり平穏無辜の陽気を手放しで喜んでいては、どんなしっぺ返しが待ち構えているかも知れません。といったところで今日も朝から上天気、家にくすぶっているわけにも参りません。
 そんなわけでして夕刊の映画欄で目をつけていた韓国映画、「クロッシング」を観に行くことに致しました。

 ここんところ映画づいていて、映画少年に里帰りしたようです。本の乱読ならぬ、映画の乱観ですね。手当たり次第といったほどではありませんが、観た映画の題名がすらすら口から出ぬほど「シネプレックス水戸」なる映画施設に通っております。
 さてこの韓国映画、圧政下の北朝鮮の現実を描いたものでして、思わず体が前のめりになるほどの迫力に満ちておりました。尤も脱北者の現実は今まで明らかにされた、手記や、またニュースで知られてはいますが、一つのドラマとしてスクリーンに再現されますと、これまた北朝鮮の現実の凄まじさに身が凍りつきます。
 子供や女性も容赦なく強制収容所に入れられ、激しい労働が課せられ、死に追いやるのです。地球の片隅にこんな地獄が存在するとは。
 ドラマですから多少の誇張はあるかも知れませんが、それを割り引いても、将軍様に統治された、飢えと恐怖におののく北朝鮮の国民の現実が、いつになったら解き放されるのでしょうか。俳優たちの特に子役の巧みさが、一層この映画の悲惨さを増幅し、涙なくしては見られませんでした。

 約二時間の地獄から現実に戻りますれば、時刻は既に一時半、空腹の時間に突入しています。最前までの飢餓に苦しむ北朝鮮の人たちのことは、既に頭から消えかかっております。これが人間の勝手な現実でしょうか。今の日本に過食はあっても餓えは存在しません。外は日がさんさんと照り、地獄の世界は飽食日本の世界に飲み込まれていきます。
 さてと、かみさんと昼食の相談です。さすがに鮨屋で一杯は、胃の調子の悪さも手伝って除外、かみさん映画のせいでもないでしょうがお腹は余り空いていないとのことです。バスの時間まで三十分余り、喫茶店に入り軽食とまいります。となれば自ずと食べるものはパン食。
 どうってことはありません。またまたサンドイッチの梯子であります。
 

うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その121

2010-11-12 08:01:33 | 日記

          三食サンドイッチ

 もう姉のところに行ったのは一昨日のことになります。その日姉と三人で老人ホームに近い鮨屋で昼食を摂りました。姉は生ビール、小生二合瓶ぐらいの冷酒。食後姉をホームまで送って帰ることにしました。その途中ショッピング街で、これから帰って夕食の支度もなんだからと、姉がサンドイッチを土産に買ってくれる。時間的に種類はいろいろあるのですが、数が少なく、取り混ぜて注文します。
 鳥カツサンド、エビカツサンド、チーズ入りのカツサンド、ヒレカツサンド等、弁当ぐらいの量の箱を十箱。昔から姉の買物は豪快でして、ビールも自ら注文して飲むし、まさかボケてはいまいと腹の中でつまらぬことを考えては打ち消したりしました。
 
それはそれでいいのですが、三人してホームへの道が、右か左かと迷ってしまいました。幸い車椅子を押したホームの介護士さんに遭って、あとを付いて帰りました。どっちがボケているのかと、かみさんと顔を見合わせ苦笑いです。
 再会を約して玄関で別れ、慎重に駅までの道を確認しいしい辿ります。帰りの電車は二時ごろでしたのでゆっくり座って行かれました。約二時間の行程、水戸で三十分のバス待ちでして、家に着いたときは辺りは真っ暗です。気温も下がり、これからの外出は早めの帰りが肝要と肝に銘じます。とは大袈裟なでありますが、当地は日中陽のあるうちはさほどの
寒さではないのですが、朝晩はかなり冷え込みが厳しいのです。

 その晩は家の者たち、それぞれ所用があって帰りが遅いので、ゆっくり風呂に浸かってから、土産のサンドイッチの夕食です。娘に夕食には土産のサンドイッチを食せよとメールをし、テーブルに箱を並べて早々に二階に上がり寝る算段であります。
 翌朝、テーブルの上にはサンドイッチが残っています。飲みつけぬコーヒーを淹れてサンドを食し、降りてきた娘に、サンドイッチまだ残っているよと声をかけると、ハイハイ頂きますよと笑っています。
 昼飯も二人してサンドです。別に味も変っておらず、美味しくいただけます。このサンド新宿のサボテンという、近ごろ有名なお店のものらしいのです。いつかテレビで見た覚えがあります。デパートの出店では直ぐに売り切れるらしい人気店なのです。

 まあそれはともかく、サンドも三度続くといささか飽きがくるというものです。かみさん曰く、無駄にせずに食べ切ってよかったと。小生も同感といったところであります。

w|2@.

うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その120

2010-11-11 09:34:11 | 日記

        老人ホームの姉を訪ねる

 しばらく天気が続きそうなので、体調も良し、南千住まで出張ることと致しました。姉には去年会ったきり、ホームを訪ねるのは初めてのことです。電話では連絡をとっているので、元気でいることは承知なのですが、やはり一応どんなところか確認ですか、見ておかないことには、といったところであります。
 早朝七時五分のバスで向います。もう水戸駅は学生の乗り降りで改札は黒一色に染め上がり、若い力に圧倒されます。電車は都心に近づくほど混雑するのはわかっていますので、グリーン券を買います。南千住には急行は停まらず、ずっと手前の柏駅で鈍行に乗り換えなければならず、その混みようも半端ではないと推理し、はなから普通列車で行くこと、グリーン車を利用することに決めておいたことは正解でした。

 あらかじめホームの所在は、インターネットで調べてあり、以前、といってもかなり昔のことですが、姉は長年住んでいたところであり、小生も知らない土地ではないので楽勝と考えていたのですが、探し当てるのに交番その他で訊いてやっと辿り着きました。十年ひと昔、南千住の変わりようといったら半端ではありません。もっとも土地土地の変遷の激しさは南千住だけではないと、十分察知はしていたのですが、まさに今浦島といったところでありました。
 小生の知っている南千住といえば、「こつ通り」といった通称のある山谷のドヤ街に通じる道路が頭に浮かびます。この通称、昔の昔処刑場のあった名残りからついたというより、何処を掘っても直ぐに骨がざくざくと出たということからのが正解のようです。
 それより有名なのは、犯罪史に残る戦後最大の犯罪、「よしのぶちゃん誘拐殺人事件」でありましょう。犯人は誘拐直後によしのぶちゃんを殺害、南千住の円通寺の墓地に埋め、自白から白骨と化して発見されるといった悲劇に終っています。
 チト横道にそれましたが、そんな面影、雰囲気などさらさらなく、ホームは四十何階という高層ビルの一二階を占め、上階は賃貸マンションであります。回りも十分に緑地があり、構えから内部の豪華さまで目を瞠るばかりでした。セキュリティも十分に配慮されており、このことは外部からの侵入を防ぐというより、居住者の徘徊を防ぐといった部分が濃厚と見ました。
 居住者は無断というより、面会の家族、乃至は介護者の付き添いがなければ外出は出来ない規則になっています。その代りというのでしょうか、姉の説明によればホームの中では至り尽くせりの稽古事や、イベント。医者の日常の健康チェックが行われ、勿論同系統の病院も控えているといった態勢にあります。月一度のバス旅行も計画されているということで、姉の満足度は百パーセントといったところではないでしょうか。
 しかしです。健康者である一老人である小生から見ると、幸福の二字といったオブラートにつつまれている、虚構の世界に見えてなりません。人の老いに向かい合う姿勢はまちまちであり、一長一短、これと決め付ける方程式はないと思います。
 
 「ここでの介護士の手厚い介護振りを見ると、とてもではないが家族に同じ世話を頼むということは出来ない。家族の生活をメチャクチャにしてしまう」と言います。だから今の境遇に幸せを感じると言います。このこと決して偽りであったり、虚勢を張るといったものでは無いことは十分理解できますが、姉と互いに良かったね、良かったね。と満足しあっていることが、なぜか空しくなってきたことも否定できない自分がいることも事実であります。

 振返ってわが身の現在を見ると、一応娘夫婦や孫に囲まれた生活、横浜に独居する姉に言わせればお前はいい、一番幸せと言う。しかしこれも虚構の世界ではないかと思ったりする。ボケたり寝たきりになれば、即娘や孫の手を患わせる羽目におちいることは、また紛れもない事実なのです。

 人間死ぬ際まで、幸せ不幸せは未知であると思います。なれば今ある人生を深く味わいながら、終の棲家でピンピンコロリと願いますか。