かみさんの、お昼の外食からあれこれ
かみさん朝食後のジョキングから帰って来て、息を弾ませております。「オトウサン、今日のお昼一人よ」と一言。そして一呼吸おいてから「Sさんと逢って、お昼誘われたのよ。十一時半に公民館の前に集合、四人ぐらいで車で行くの。一人で食べて」それはいいのですが、「何かあったかな昼飯」とぼやきます。
「そうだ、ケアハウスで買った手作りパンがあったっけな、コーヒーでも淹れて済ますから大丈夫だ」と、なかなか物分りのよろしい亭主であります。かみさんあたしの言うこと上の空、まだ時間は十分あるというのに、箪笥をがたがたさせて、着て行くものの選択に余念がありません。「まっ、いいか」。
友達とたまには誘い合って、お喋りしながら食事をするのも結構なことです。第一ボケ防止に効果があるような気もしないでもありません。
これがまだ子育て中の若いお母さんだと、テレビなどで冷やかし半分にいろいろ物申されています。子供を保育所や学校に送り出した後、何人かのグループでお昼をファミリーレストラン、略してファミレスですか、そこで楽しく過ごす。亭主そっちのけと揶揄されたりします。
その点かみさんたちは、押しも押されもしない老女たちですから、誰に遠慮がいるものかといった集まりなわけでして、結構なことであります。
そうでした、ボケ防止といえば、昨日読みました曽野綾子さんの「謝罪の時代」といったタイトルのエッセー集に、なかなか頷かされることが書かれていました。
一応もっともなる前書きがあるのですが省略して、簡単に紹介させていただきます。
魂の老化や精神の錆びつき、ボケと称さないところが憎いですね。それを防ぐ方法として二つのことをあげています。それは毎日料理することと、時々旅行することであると。このことは考えようによれば、誰でもがしている暮らしであり、遊びである。すなわちそんなに目くじらたててすることではありません、軽く考えてやりなさいと言っておられます。
料理は先ずメニューを考え、そして材料を買い揃え、細かく手順を綿密にたてなければ、時間の無駄、材料、燃料の無駄が生じます。結構脳味噌を使います。また旅も同じで個人旅行が理想的ではありますが、例えツアー旅行でも人任せでは支障をきたします。
出発に際して持ち物の分類そしてまとめ、添乗員の説明、すなわち集合時間の確認、部屋の割り当て、鍵の受け渡しと、かなりの神経を労します。これがなかなかよろしいことのようです。しかしそうだからといって、ここが肝心なのですが、この二つのことに関して完全を望まないといいます。
旅や料理には何かしら不足が生じます。旅に出れば不測の事態、料理には材料の不足といったことも起こりがちです。しかしそれをかいくぐって一つ一つ解決する。これを人生の生き方のコツそのものだと言われます。
料理と旅はその訓練を人間にしてくれるから、精神が錆びつかないのである。なるほど、なるほどと感じ入ったのです。