うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 後期高齢者の日めくり その五十五

2009-09-13 15:56:43 | 日記

敬老会<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

九月十三日

75才以上が招待される、地区の敬老会に三度目の出席となりました。かみさんはあたしより一つ年下ですので、当然二度目ということになります。9時半より受付ということで、九時家を出て、一路自転車でまっしぐらです。地区のコミュティセンターの駐車場は満杯の状態でして、自転車でよかったねと思わず口に出します。もちろん車も免許も持ってはおりませんのにです。<o:p></o:p>

 町会の標識が立てられた席は、あらかた満席でしたが舞台に近いところが空いてましたので、迷わずその席に座ります。テーブル上にはボトルのお茶と、袋詰めのお茶請けが用意されてます。知り合いの人たちとしばし挨拶を交わすうちに、司会者の挨拶が始まりました。<o:p></o:p>

 

 

 

開会の言葉があり、市民憲章の唱和が行われそして定番の来賓挨拶、そして謝辞があって乾杯、アトラクションとなりました。ここで残念なことは、音響効果が断然悪く、それらの言葉がほとんど聞き取れません。場所によって格差が生じているようでした。去年の町会の席ではよく聞こえたのです。挨拶に立った人もお気の毒なこと、絵に描いたようでした。<o:p></o:p>

「あたし、全然聞こえない、最近耳が遠くなって」と傍のお年寄りがぼやいていますので、この辺の席の人はみんな聞こえませんよ、マイクのせいですよ。」と説明します。<o:p></o:p>

 

アトラクション、最初は小学生の金管バンドの演奏。これが見事なものでして、時代の流れをつくづく感じさせられました。また選曲がたまりませんで「ソーラン節」そしてテレビの黄門様の主題歌でときました。圧巻は山本リンダの「どうにもとまらない」なかなか味のある選曲でした。<o:p></o:p>

 

 

次はボランティアの女性による手品の披露です。これは幾分ぎこちないところがあって、ご愛嬌といったところでした。<o:p></o:p>

最後は数年前に結成されたソーラン節を踊る集団で、舞台そして会場せましと活発な踊りを見せてくれました。

 

 

 12時丁度に終幕となり、自転車を懸命に漕いでわが家です。朝食が早かったのでいささか空腹でして、お祝いに頂いたお赤飯を食しました。お祝いの品は外に、お茶と紅白のお饅頭です。

我が町内の敬老者は約90名ということでして、これが地区となりますと大変な数となります。

まさに長寿社会でして、小生もその中にはいるのですが、老人パワー満開の半日でした。

 

<o:p></o:p>

うたのすけの日常 山頭火の世界 四十七

2009-09-13 04:11:24 | 日記

病中五句と題して詠んでいます。<o:p></o:p>

 

死んでしまへば雑草雨ふる<o:p></o:p>

この命消えても何の変哲もない昨日と今日の違いだけ。強いて言えば雑草に降る雨の音が、いくぶん強弱つけて悲しんでくれますか。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

死をまへに涼しい風<o:p></o:p>

いよいよ寿命が尽きますか。いつになく涼しい風が臥所を吹きぬけて行きます。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

風鈴の鳴るさへ死のしのびよる<o:p></o:p>

死神の先導ですか、風鈴の音が寒々と耳にこびりついて離れません。戸の隙間から死が覗いています。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

おもひおくことはない ゆうべの芋の葉ひらひら<o:p></o:p>

芋の葉が風に吹かれてひらひらします。あの世から手招きしているようです。我が人生、ここへ来ては思い残すことは微塵も御座いません。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

傷が癒えてゆく 秋めいた風となつて吹く<o:p></o:p>

自殺未遂のとき負った傷の後遺症ですか。心の後遺症は簡単には消えません。外科的な傷は秋風とともに、渋皮を剥がすように直っていきます。<o:p></o:p>

 

月へ萱の穂の伸びよう<o:p></o:p>

萱にも月を愛でる、風流な気持があるようです。見れば月を掴むかのように伸びきります。<o:p></o:p>