自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

エコロジー的なものの見方が農業と地域を救う

2017-03-21 10:16:58 | 自然と人為

 本拙文は季刊 無教会 第21号(2010年5月20日)に掲載されたものを、「です・ます」調をこのブログの「だ・である」調に統一し、農業のグランドデザインを意識して加筆修正した。
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 アマゾン先住民のメイナク族には「自然」という言葉も「幸福」という言葉もない。自然と一つになって生きるだけではなく、みんなが一つになって生きているので、世界を「自然」と「人工」、「幸福」と「不幸」に切り裂く必要もない。国が違い時代が変わろうとも、私たちが自然とつながり人とつながって生きていることは永遠に変わらず、農業は自然と人、人と人をつなぐ大切な仕事であり続ける。しかし、農業のあり方や活力は農業に対する見方や、その時代の国をリードしている政治や経済の力によって大きく影響される。政治を動かしている人々の考え方によって自然と人、人と人をどうつなぐかは変わるし、経済を動かしている貨幣に実体はなく貨幣を使う人の心が実体をつくりだす。分業化が進んだ社会では貨幣が社会の隅々まで循環し続けることにより希望と安心を与るが、一部に留まると貧富と政治力の差が生まれ、その富と力によってさらに貨幣の循環が偏在してしまう。また、科学が人類の希望を実現して幸福をもたらすという神話が自然と人、人と人の 関係を切り裂いてもいる。科学技術による近代化は部分を満足させるが全体に矛盾と対立を生むからだ。私たちは自然や人との多様なつながりのなかで、多様に生き、生かされているというエコロジー的なものの見方で、この世界を今一度見つめ直す必要があろう。

1.農業は自然と対話する仕事

 人間の都合で家畜を自由自在に管理することが研究者の仕事だと思い込み、いかにアメリカに支配されない畜産技術を開発するかを考えていた私にとって、北海道旭川市の斎藤晶さんの美しい牧場で、牛の放牧とは牛の生きる力を引き出して資源を循環的に活用することだと気づかされたことは、ものの見方のコペルニクス的転換だった。
 斎藤さんは「開拓とは条件が悪くて 開墾されていない土地を血のにじむような努力で作物が育つ農地にすること」だと思い込み、苦労に苦労を重ねたが農業で食べていけるようにはならなかった。それでも自分にはここしか生きる場所はない、どうしたらここで生きられるかと追い詰められていたある日、同じ山で野鳥や昆虫がのびのび生きていることに気づいたと言う。「環境が厳しいのではない、自然を自分の考えで征服しようとした農業や開拓に対する自分の固定観念が環境を厳しいと思わせていた」と気づいて、自分も自然と対話しながら野鳥や昆虫のようにこの山で生きてみようと、牛の放牧を始めた。そうすると、なにもないと思っていた石ころだらけの山が美しい宝の山に変わった。牛は草さえあれば自分で生き、草は光さえあれば増えていく。守るべき木は残し、早春に放牧して若草を選り好みしないで食べさせ、牛が食べないで増える草は刈ってやることで芝草の美しい草地になった。
 これまでの農林業に牛の放牧を組み合わせて自然と対話する場が広がれば、斎藤さんや私のように農業に対する社会の見方も変わっていくのではなかろうか。

2.農政にもコペルニクス的転換を

 1954年に日本は朝鮮戦争特需の継続として経済援助を得たいため、アメリカからMSA援助を受 ける協定(2)を結ぶ。MSA援助は余剰農産物の輸出振興と軍事援助を一体に進めたアメリカの世界戦略で、その後日本の農政は食糧自給から農家戸数を減少させる選択的規模拡大へと大きく転換し、新しく生まれた畜産は大規模経営による輸入飼料に依存した加工型経営への道を邁進することになる。

 「農業界の憲法」と言われた農業基本法(1961年)は、わが国の「農業の向かうべき新たな道を明らかに示す」とし、農業生産の選択的拡大、農業経営の近代化など「農業構造の改善」を図るとした。新しく施行された食料・農業・農村基本法(1999年)は、この「農業構造改善」を「経営構造対策」としているが、地域が経営体で守れると思っているとしたら疑問だし、牛の放牧を取り入れた地域共同体の維持と活性化の考えもない。農業の根源は地域の資源を多様に組み合わせて生きることにあり、どのような農業をめざすかは農家の自由であり生き方でもある。また、農業は生活と一体であり農家間の協力が地域をつないできたので、農家の生きる場所である里山の管理が第一に必要である。農業の生産性改善に力点を置いて、経営体を育成することだけでは地域の共同体を強固にし、農業を強くすることにはならないと思う・・・。

 我々の祖先には、山で平和に1万3千年も暮らした縄文人と、大陸から稲作を持ち込み、国までつくった弥生人がいる。国を造ってからは争いが絶えないが、農業で国際競争力を争うのは商業人や工業人の考えること。私は争いをしないで長く平和を守った縄文人の生きかたと知恵を尊敬している。

 憲法は国民の進むべき道を示すものではない。「憲法に示された基本的人権や生存権や平和を守る」ために、 「国民が国の権力の行使を拘束・制限するためにある」という基本認識から農政も見直す必要があろう。

3.牛の放牧と自給のための農業で地域の自立をめざす

 この部分は牛が拓く未来 ― 牛の放牧で自然と人、人と人を結ぶと内容が重なるので、一部を削除し、大幅修正した。
 
 牛を放牧するには2頭まで/1haと広大な土地が必要であり、経営体で土地を所有することは考えられない。一方、広大な里山や奥山は放置され荒れている。日本で放牧により山を管理するには経営体だけではなく、行政や地域住民の協力が必要である。どのような協力関係が出来て、牛の放牧管理が可能かを具体的に考えていく必要があるが、少なくとも経営体と行政と地域住民をつなぐNPOのような組織が必要と考えている。

 里山放牧で獣害対策と公園化が実現すれば、米、野菜、果樹の栽培を維持することが容易になり、小規模の農家が交代しながら、それぞれが自家用に作った生産物の一部を公園で直売することも可能になろう。農家には米ぬか、稲わら、野菜くず、芋蔓等牛の飼料となる資源も多い。また、公園は憩いや遊び、交流や教育の場となる。これらの事業を地域の人々が主体的に取り組むことで地域の自立を促すことにもなる。里山放牧は牧柵設置と放牧牛の導入の初期投資をすれば、牛が里山を管理しながら子牛を生み、牛の導入経費は子牛や放牧牛肉の販売で回収できるので、少ない経費で持続可能な運営ができる。今では酪農や肉牛生産のように規模の大きい専業経営が畜産の常識となってしまい、牛が必要な所に牛と牛を飼う人がいなくなってしまった。しかし、牛の放牧は牛が生きていくのを手助けすれば良いので、それほど専門知識はいらない。むしろ専門意識が固定観念にならないように教育には注意が必要だ。ただし、牛が脱柵しないように牛と人との関係を築いていくことは大切だ。

 地域の人々が地域の連帯を強め、地域の生活を豊かにすることは、経営体だけや行政だけではできない。経営体や行政も参加して、生産から消費までをつないで牛や農業資材や生産物を回して持続的なシステムをつくり、それを動かすNPOのような組織が必要だ。
 「希望」という青い鳥は遠い「坂の上の雲」にいるのではなく皆の集落にる。地方の時代とか地方分権とは、単に政治や行政を国から地方に委譲することではなく、地域の人々が自立して自分たちで暮らしたい町をつくっていくことだ。そのことを行政も理解し、NPOが協力して希望を形にして欲しい。希望はあきらめない限り希望であり続けるので、 我々の世代で実現できなくても次の世代に引き継いで地域を宝の山にするために、 水田稲作の歴史に放牧による里山管理の考え方を加えて、地域の方々が一緒になって新しい町づくりが動き始めることを祈っている。

初稿 2010.5.20 更新 2017.3.21
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