自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

多数決は強者のため? 政治は誰のため? 危ない政治家は?

2016-05-10 17:10:04 | 憲法を考える

 戦争は国が始めるもので、国民が始めるものではない。戦争を必要とするのは軍需産業とこれに関係する業界や政治家である。

 我々に夢を与えてくれる航空・宇宙産業も、冷戦時代にレーガン大統領が打ち上げたスターウォーズ計画のように、非常に残念だが軍需産業と無関係とは言えない。
 軍需産業は戦争や内乱、それがなくても演習さえあれば消費が増加し、必要な経費は税金で賄える。したがって不況になると景気回復とか平和のためという嘘で軍需産業が活発になるように国民を迷わせて、そのうち国民は監視され扇動されて、国の権力により戦争に参加させられて、人を殺し、殺される。それが戦争の本質というものだ。

 景気回復を目指すという「アベノミクス」は国民より大企業を重視し、国民の命を守るという「安保法」を国民は「戦争法」と呼ぶ。
 日本で失敗している「アベノミクス」の財政出動を、健全財政を目指すドイツやパナマ文書で逆風を受けているイギリス首相にまで呼びかけて、G7伊勢志摩サミットで賛同を得ようと外遊した安倍支配グループのバカの壁のバカな税金の使い方をメディアは指摘しない。
 一方、「武器輸出三原則」に代わる新しいルール「防衛装備移転三原則」 を閣議決定し、武器禁輸政策を緩和した。しかし、武器輸出ビジネスの本格化は国民のためではなく、“悪魔の成長戦略”であることが明白にされ、オーストリアの海自潜水艦「はくりゅう」の受注は失敗したが、武器輸出禁止の歯止めを失った国民はこのような戦争に協力する武器輸出に馴らされて行くのだろう。

 自衛隊員も国民である。戦争が始まったら命令により人を殺し、殺されねばならない。自衛隊員も国民も自衛隊は国民の生命・財産を守ると思っているが、自衛隊が国防軍になれば国を守っても国民を守るために存在するものではなくなる。この場合の国とは領土であり支配者が守る体制のことであり、国民一人一人の命を守ることではない。緊急災害救助隊こそが、明確に国民の命を守る使命を持っていることに気が付くべきである。
 さらに心配なのは核兵器が使えなくても抑止力のために持つと言う核保有国があり、日本も北朝鮮のように核保有国になりたがるだろう。原発も核保有の技術として必要だと考える支配者は多い。地震国の日本が原発を稼働するのは非常に危険で核汚染物質の処理さえできないのに、国にとって必要な電源であると稼働され続ける。それが国のためと言われて、国民は幸せであろうか。

 国と国民の幸せのギャップは何に起因するのか。個人よりも組織、組織よりも国を大切にする支配者になりたい人がいるから。
 しかも、軍事のことは国民に秘密にされ、国民の自由と主権を取り上げて国家主権とし、国民を支配者の自由に支配できるから。「軍事オタク」と言われ、あなたがそう感じる政治家は要注意! しかし、国民は親しげに接してくれる支配者に従うことを光栄に思い、その利益に預かりたいと利己的な気持ちも働き、彼らを愛すべき人物として警戒はしない。

 ホセ・ムヒカ大統領は国民の平均的生活を実践し、公用車は利用しなかった。しかし、日本では支配者になりたがる人は支配者に相応しいと考える態度や生活を求め、それが続くと歴代の支配者の常識となり腐敗を生む。
 舛添都知事の豪華出張が問題にされているが、これは石原都知事時代からの悪弊で、猪瀬都知事に引き継がれ、常識が麻痺して都政の問題が噴出したものだろう。
 日本の首相は政府専用機で原発を売りに、経済界のビジネスを支援するために度々外遊するのが常識となっている。政府専用機は2機あるそうだが、国民の幸福に相応しい税金の使い方だろうか。
 熊本地震の激甚災害指定が大幅に遅れ、現地視察においても被災者より先に自衛隊を激励するなど、首相は「軍事オタク」らしく国民より大切にするものがあるようだが、それで国民は幸福になれるだろうか。

 支配者になりたい人で困るのは、支配者が国民より偉いと思っている、あるいはその常識に染まりやすい人だ。ことに政治家は国民のために働くことが仕事だから、国民より偉いと思うと国民の幸福を犠牲にして、支配者のために立法と行政の常識を変えてしまう危険がある。
 今は政治家がお金と選挙地盤と人脈を築いて、2代、3代と政治家業になるのが常識になった時代だが、我々の子供の頃には議員になると身を削って仕事をするので、井戸と塀しか残らない「井戸塀議員」になるを聞いたことがある。「井戸塀議員」になって国民と同じレベルの生活をしたのだろう。
 政治家一人一人が「井戸塀議員」になる覚悟で仕事に信念を燃やすなら、その仕事を国民が支えることは当然だが、多数決のためにロボット化した質の低下した議員を税金で多く抱える必要は全くない。

 監視社会の戦時中のドイツでは強いヒットラーに国民が熱中し、我々は戦争に反対することは許されない戦時中の日本を経験した。そして戦時下体制を引く北朝鮮では、一糸乱れぬ行動をする党員の姿があり、党首まで演説の演技がぎこちない。ヒットラーは個性があるので主犯者と名ざしが出来るが、北朝鮮も日本も浄瑠璃の三人の人形遣いのように、誰が責任者か、主役を演じさせているのか分からない。いずれにしても自由な精神を守ってこそ、この世を生きる価値がある。
 政治家は言葉で自分の考えていることを国民に語りかける。犬や猫は言葉をしゃべらないが、人との関係で自分が愛されているかどうか理解する。国民が政治家に愛されているかどうかは、政治家の他者への愛、誠実さで理解できる。

 政治家を選ぶのは国民である。そこで、選ぶときのチェックポイントを挙げておきたい。
 1.その政治家は「井戸塀議員」になる覚悟があるか?
 2.その政治家は言葉と他者に誠実であるか?
 3.あなたはその政治家に生活の一体感を求めるのか?
   従うべき強き支配者としての一体感を求めてはいないか?

 すでに安倍政権は憲法解釈を変えて「安保法」を成立させて、国民支配への道を歩き始めている。ここに「サンデーモーニング」の録画を残しておきたい。

2015/9/20 サンデーモーニング
安保法成立(1)
安保法成立(2)
安保法成立(3)
安保法成立(4)

2015/8/2 サンデーモーニング
安保法案参議院審議(1)
安保法案参議院審議(2)
安保法制~政治の劣化の極み

議会制民主主義
サンデーモーニング "風をよむ" 2015/7/19
戦後70年、夏
サンデーモーニング "風をよむ" 2015/7/26
政治家の”気概”
サンデーモーニング "風をよむ" 2015/8/2
母たちの安保法案
サンデーモーニング "風をよむ" 2015/8/16
夏休みに考える「安保法」
サンデーモーニング "風をよむ" 2015/9/13

安倍首相 憲法9条改正” 言及 サンデーモーニング  2016/2/7

初稿 2016.5.10






憲法と政治を考えよう

2016-05-08 18:33:42 | 自然と人為

 ウルグアイ国民はホセ・ムヒカを大統領に選んだ。国民と政府が一体になって行動したウルグアイの国は幸福だった。国民はウルグアイに生まれ、生きていることを喜んだ。私はここに政治のあるべき姿を見る。彼の言葉をもう一度紹介したい。

 「人生は一度きりで瞬く間に過ぎていきます。人間としての時間をどう使うべきか、一人一人が自分に問いかけるべきなのです。なぜなら、生きることは死に向かうことだから。これは変えようのない事実であり、私たちの存在において最も大事なことなのです。」

「例えば日本では高齢化が急速に進んでいます。 一人り暮らしの高齢者がたくさん孤独に苦しんでいるのです。どれだけお金がかかっても、 国は施設を造って住まいを用意し、 孤独な老人をサポートするべきです。 日本は先進国、だから国民と政府が一体となって行動すべきです。 彼らに寄り添い、高齢者を置き去りにしてはいけない。そのために税金を使うべきです。これは社会全体で決めることです。 個人も家族も一人では生きていけません。だから政治が必要なのです。」

「人生はお金が全てではありません。人々の愛情、名誉、そして人々が決めたこと。それはある人たちにとっては、お金よりも価値があるのです。 問題はお金の好きな人物が政治家になろうとすること・・・。これは非常に危険です。」

「考えなければいけないのは、子供や孫が生きていく世界。 彼らにどんな世界を残すのか?ゆっくりでも人間は少しずつ良くなっていけるのです。ですから皆さん、どうぞ失望しないでください。若者は世の中を新しくする希望そのものなのです。」

 彼は、「この世に生まれた幸せを生きる」という価値を一人一人に問いかけ、赤ちゃんから老人まで一人では生きていけないから、皆して助け合う社会をつくる政治に参加し、次の世代にどんな世界を残すのか考えている。また、人間は必ず少しずつ良くなっていけるし、若者は世の中を新しくする希望そのものなのだとも言う。

 人の価値観は多様だが、「国民と政府が一体となって行動」できることが、政治に求められる原点ではなかろうか。その政治の基本の枠組みを決めているのが憲法である。憲法公布(1946年11月3日)以来、70年を迎えようとしている。政党や政治家にもいろいろな考え方があるが、下記の番組の発言を政党ではなく一人の政治家の考え方として紹介して、皆様がどう評価されるか資料として残しておきたい。

NHK「憲法記念日特集 憲法70年9党代表に問う」2016.5.3
憲法改正は必要か
どう考える憲法改正、安倍首相の発言受け止めは
安倍首相の発言受け止めは どう考える憲法9条
どう考える憲法9条 憲法9条と自衛隊は 憲法9条と集団的自衛権
憲法9条と集団的自衛権は 今後の改正論議あり方は
今後の改正論議あり方は

1.憲法改正の動き


私は政治家としては3代目です。憲法改正はわれわれ戦後生まれの世代に課せられた大きな宿題であり、責任でもある。

国民投票法を作ったが、これは憲法改正するための橋

正々堂々と議論をし逃げることなく答えをだしていく

 今の憲法のどこを改正する必要があるのか。参議院選から18歳以上に選挙権を与えて憲法改正の賛否を問うと言うが、「政治家3代目の責任」は個人的な問題意識であり、首相自らが憲法改正を積極的に言いながら、何を改正するのか正々堂々と何も議論していない。

2.憲法改正は必要か(動画)
 
 首相が憲法改正を頻繁に語り、メディアも取り上げるので憲法について話し合う機会を増やしたいと思う人が60%で、話し合う必要がないと思う人の30%の2倍になった。しかも、改正の必要があると答えた人は、2013年の42%から2016年の放送前では16%と激減し、改正の必要がないと答えた人も27%から31%に増えている。岡田氏の「立憲主義の基本を理解しない安倍総理のもとでの憲法改正は極めて危険です。」という意見に私も賛成です。2016年2月15日、衆議院予算委員会にて山尾しおり議員が放送法4条「政治的公平」について安倍総理に質問した表現の自由の根拠(動画 21分~26分)についての、総理の答弁からその実態を知ることが出来る。
 参考:安倍首相”9条改正”言及:サンデーモーニング2016/2/7)







3.憲法9条と自衛隊(動画)



中山恭子「9条の1項と2項のバランスがとれていない。第1項は「不戦条約」にあり、日本は大日本帝国憲法からこの考え方できている。それに対して2項は矛盾してくる。2項で軍隊を持つということを明記しないと通常の独立国ではない。」

 第1項の不戦条約があったにもかかわらず自衛のための戦争を認めたから、第1次、第2次世界大戦を防げなかったではないか。軍隊を持つことは戦争に備えることであり、それを独立国の条件と考えることは戦争を放棄しないことである。むしろ1項と2項に矛盾はない。自衛隊の任務を世界の国民の命を守る災害緊急援助隊に特化することで、独立国に対する固定観念を打破すれば良いだけだ。我々も次の世代も未来を目指して生きている。 

参考:
NHK世論調査 憲法改正「必要」27% 「必要ない」31%
改憲不要55%、必要37% 朝日新聞世論調査
憲法「現在のままでよい」初の5割 日本経済新聞世論調査
憲法9条改正反対52% 「憲法改正」は拮抗 毎日新聞世論調査
(憲法を考える)9条、立憲主義のピース 寄稿、憲法学者・石川健治
憲法記念日~安倍改憲と対峙する民進、生活、共産、社民の談話

日本人奴隷化の真実
安倍改憲はアブナイという印象が、国民に広がっている。
今でも自衛隊は国民の生命・財産を守るものだと誤解している人が多い
安倍、中曽根が改憲に意欲
櫻井よしこは「言論人の仮面をかぶった嘘つき」だ!
日本国憲法施行69周年の憲法記念日 安保法制の廃止を求める会長声明
平和憲法は堅固
<緊急事態条項>被災3県で「必要」1町

ラジオ深夜便「昭和史を味わう 保阪正康」

外務省: 日本外交文書 サンフランシスコ平和条約 調印・発効
サンフランシスコ平和条約 - 東京大学東洋文化研究所

日米外交60年の瞬間(日本経済新聞) 第3部
2011/1/8~2011/4/23 第一部 ダレス氏歓迎した日本(14)
2011/4/30~2011/8/13 第二部 講和への道(16)
2011/8/20~2012/9/1 第三部 サンフランシスコヘ(55)
2012/9/8~2013/11/19 第四部 9帰ってきた日本(20)
2013/1/26 ~2014/12/27 第五部 講和発効まで(101)
2015/1/3~2016/1/16 第六部 60年安保への序曲(55)
2016/1/23~2016/4/26 第七部 岸訪米(9 )

初稿 2016.5.8

自然の力とチームの力~地域を豊かにし次の世代に伝える

2016-05-07 15:16:20 | 自然と人為

 中学校の同級生が「草刈り隊」で里山を管理していると言うので、牛を放牧したら美しい里山になるよとアドバイスしたことが、「大谷山里山牧場」の開設につながった。地域に「草刈り隊」の繋がりがあったからこそ、牛の放牧による「大谷山里山牧場」に進化することが出来た。
 その牧場の立ち上げ時の状態を写真と記録に残すことは貴重な資料になると考えこのブログに紹介したが、放牧牛が到着(2011.8.29)してから最初の導入牛の孫が生まれことを新聞の切り抜きで紹介(2113.2.28)するまで、軌道に乗るのがとても早くて皆さんの協力が幸運をもたらしたと喜んでいる。

 牛の放牧による里山管理は、北海道の斉藤晶牧場とアメリカの牧場のホリスティック管理から「自然の力とチームの力により社会を豊かにし、次の世代に伝えていく」ことを学び私も実践したいと思っていたことだが、その私の夢を故郷の仲間が実現してくれている。

 最近、「地方創生」とかで輸出力のある農業や「アベノミクス」に安倍政治は力を入れているが、なんでもかんでも輸出力があれば地方が創生されるものではないし、輸出企業が繁栄すれば日本社会が繁栄するものでもない。
 農業は地方の生活の柱であり、地域農業では「自然の力とチームの力により地域を豊かにし、次の世代に伝えていく」ことが何よりも大切である。アメリカやオーストラリアの肉牛生産は大規模化によるコストダウンという産業化より先に、まず痩せた大地を牛に管理させるためにある。大規模経営の産業は資源管理の副産物なのである。資源と気候に恵まれた日本は雑草の管理ができないで里山は荒れている。その里山を管理するために牛を利用することが、利益を追求する経営より本質的な問題であろう。もちろん牛の里山管理は「地方創生」の一つでしかないが・・・。
 ここでは、このブログ「大谷山里山牧場」を訪問していただく方が増えているので、もう少しホリスティック管理について考えて見たい。

 全てを知る者は神のみである。聖書には「初めに言葉ありき」とあるそうで、キリスト教は全ての根源は「論理」にあると言っているのかもしれない。仏教で「無」とか「空」とか言うのは「論理」の根源、始めと終わりのことを示しているのかも知れないが、「論理」そのものを物語ってはいないと思う。私が仏教で連想するのは「慈悲の仏」であり、「論理」よりも「感性」である。しかも日本の「神」は神話であり、もともと万物に霊魂があるという自然崇拝の物語が、明治の廃仏毀釈を経て、「論理」による個人が育たなかった日本では、「慈悲の仏」の「感性」を育てるよりも、西洋に負けるな追い越せの「優れた日本人」への願望の物語とされたのではないか。

 日本は明治以降、「神の国」という自惚れからか「大東亜共栄圏」を目指すとしながら、アジア諸国を侵略してきた。論理が嫌いで義理人情が好きな日本人は、自分の芯になる論理(動画)を持たないまま馬鹿な戦争を始め、無責任なまま戦争を止められず、終戦を迎えた。

 一方、「論理」の世界も、我々が生きる時代を超えたことに対しては「永久に不変」だと「感性」が思わせる。あの重力により宇宙の空間と時間は変わるというアインシュタイン方程式(宇宙方程式)(コズミックフロント 宇宙の終わりに迫れ 11分21秒~)を示した本人でさえ宇宙は永遠に始まりも終わりもなくて「永久に不変」だと考えて方程式に宇宙定数を入れてしまった。これは「宇宙は拡がっている」というハッブルの観測により10年後には「人生最大の失敗」と削除することになる。
 キリスト教の影響でコペルニクスの地動説を否定した人類の感性と同じように、「論理」と言えども「感性」の現状認識に囚われるようだ。

 似たような話だと思うが、アメリカ大統領選でトランプ氏が共和党の候補になりそうだが、本人も支持するアメリカ人にも自己中心的で他者への差別の意識はないか? アメリカ人にはキリスト教の影響で、共和党には共産主義の影響として進化論を認めず、人類は初めから人類であり、猿からの進化を認めない人が多いそうだ。
 共産主義も民主主義も目標ではあるが、現実はそれを追及する過程である。「民主化」は誰も否定しないが、「共産化」には個人の自由を組織や国が束縛するようなイメージがあり、アメリカも日本も共産主義が嫌いな政治家が多い。しかし、国民を守るという点で共産主義の「論理」に代わる政治理念を持っているのだろうか? 「自由」の名の下で行われている政治の問題として、「民主化」は強者による弱者の支配を克服出来るだろうか? 「分配」の問題に誠実だろうか? 
 「アベノミクス」という支配者主導型の政治に、私は危うさを感じる。

 また、人類も自然の一員。自然の中で人類を特別な存在と考えることは、自然よりも人類の力を過信するだけでなく、人類の中にあっても人類皆兄弟と力を合わせることよりも自分たちが優秀だと言う差別の価値観を生む。明治以来の「神の国」、日本もそうではなかったのか?
 自然の理解は観測装置の発達で進化していくだろうが、人間の理解は自己中心的であり、「動物は利己的である」(動画)が、これを利他的な考え方に訓練で変えることが人類の幸福にとって大切だと思う。

 戦争が始まった時、アメリカに留学していた鶴見俊輔はアメリカの恵まれた勉学生活を捨てて、国民として戦争に参加させられる日本に、日本人を捨てないために帰国した。
 日本人であることに拘る場合も、人類の一員としての「論理」と「感性」には大きな違いがある。鶴見俊輔は「戦争で人を殺さない、殺されない」という原点の「論理」と「感性」から、戦争に対する「国民」ではなく「人民」の記憶を求めた。「論理」も「感性」もぶれない鶴見俊輔のことを伝えた番組、NHK HTV特集「鶴見俊輔~戦後日本 人民の記憶~」の録画「鶴見俊輔~人民の記憶」が紹介されていることを最近知った。このブログ「一人一人の「自由」と「助け合う社会」に責任を持つ国が必要」で<知の巨人たち> 第2回 鶴見俊輔と「思想の科学」(動画)前編後編を紹介しているが、このHTV特集では「人民の記憶」の意味が一層伝わってくる。

 国を守るということは国民を守ることである。しかし、その時、軍隊の抑止力によって守ると言うことは、人類の中に「仮想敵国」を想定することになる。日本の憲法に示された理想の平和主義を追求していくには、自衛隊の任務を「災害緊急援助隊」に特化すれば、その存在を人類の幸福に普遍化して行く道がある。自然とチームで社会を豊かにし、次の世代につないでいく「ホリスティック管理」は、そこまでの「論理」と「感性」を備えている。

初稿 2016.5.7