自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

どうして、日本という国は馬鹿な支配者を生むのだろう?

2016-04-22 15:40:10 | 自然と人為

 『自分にとっては敗戦というのは何ていいますか、ショックでした。なんとくだらない戦争をする、そしてくだらないことをいろいろしてきた国に生まれたんだろうと。一体こういうばかなことをやる国というのは何だろう。そういうことが日本とは何か、日本人とは何だということの最初の疑問になったわけであります。』
 司馬遼太郎は敗戦後そう思ったと、日本人は何をめざしてきたのか <知の巨人たち> 第4回 「二十二歳の自分への手紙 ~司馬遼太郎~」で語っている。 
 戦後史証言プロジェクト 第4回 司馬遼太郎 前編
 戦後史証言プロジェクト 第4回 司馬遼太郎 後編

 平成3年(1991年)文化功労者に選出された司馬遼太郎は亡くなる5年前、日本を代表する知識人となっていた。記者会見でなかなか質問が出ないので、次のように語りだした。

 『どうして日本人はこんなにばかになったんだろうというのは22歳の時の感想でした。昔は違ったろうと、そこから私の小説は始まるんですが、昔は違ったろうというようなことを、もう私は本当に22歳の自分へ書いている手紙でした。私の作品は「竜馬がゆく」もそうでしたし、「坂の上の雲」もそうでした。その後もそうでした。日本人とは何ぞやがテーマでした。』

 そして、今も、この国は安倍政権のような馬鹿な支配者を生むのだろう、と私は思っている。司馬遼太郎の昔は違っただろうという期待が、明治維新から日露戦争までの国民の底力を書かせた。彼は学者ではないから夢を書いた。しかし、どこかに小説には書けなかった危うい日本人を感じていたのではなかろうか。小説をテレビドラマ化や映画化することを、軍国主義を煽りたくないと頑なに拒んだという。

 我々は日本を文明開化した明治維新が日本の歴史の始まりのように高く評価し、勤皇の志士、坂本龍馬や高杉晋作が大好きだ。しかし、戦争をしなかった徳川時代270年に対し、明治維新以降、日本が戦争への馬鹿な道を走り続けた原因は何か?そのことが語られることはあまりない。司馬遼太郎はそのことを考え続けたが、ノモンハン事件を小説にできなく(動画)て、小説を書く筆を断った。

 日本の歴史において、この国の形ができた古墳時代に中国、朝鮮から渡って来た渡来人の業績が消されている。偉大な縄文文化についても多くは語られない。平安時代から鎌倉時代にかけて、一所懸命に土地を守った開拓農民から生まれた武士(動画)のことも公には語られていない。

 そして今でも、中国や朝鮮との交流の歴史(動画)よりも領土問題を教科書に書かせようとする安倍政権がある。どうも日本の政治家は超利己的であり、史実を明らかにするよりも日本が世界に誇れる「神の国」であるという神話で、この国の建国を語りたいようだ。国民も世界に誇れる国だと思うと謙虚さを失う。そこにはバラ色の明治維新を誇るのと同じ体質を感じる。

 その体質とは一方で尊皇攘夷を叫びながら、琉球処分(琉球併合)江華島事件日清戦争から韓国併合に見られるような自己中心的な利己主義が政治と軍部の世界で大手を振って歩いたことであり、下級武士から日本陸軍・軍閥の父と言われるまでに成り上がった山縣有朋を国民のためにした仕事ではなく、彼の別荘、「椿山荘」「無鄰菴」「古稀庵」の3つの庭園を築庭造園に高い見識と手腕をもち築庭構想の巧みな名手と評価する国民の体質である。

  
              北海道5区衆院選補選 (2016年4月)
 どちらが国民を守る政治家か一目瞭然だと思う。自己主張と利己的言動とは違う。政治家を選ぶ国民と政治家になりたい者の体質で政治は変わる。ウルグアイのムヒカ前大統領のような「他者を愛する」政治家を日本は生むことが出来るであろうか?

 私も司馬遼太郎に刺激され、いろいろ疑問に思うことがあり、このブログに「日本人の清潔さと真面目さ、公の精神~我々は何処から来たのか?」を書いたことがある。司馬遼太郎の若い世代への遺書とも言える「21世紀に生きる君たちへ」(動画)に書かれているように、他者への思いは訓練が必要である。我々も政治家も自己主張と利己的言動を区別できず、利己的な成果を自己主張の成果と誇り、利他的であることへの訓練が必要なことさえ感じていないことが、馬鹿な支配者を生むのではなかろうか。
 参考:
 「この葵の御紋(憲法)が目に入らぬか!」と悪代官(安倍首相)を追い詰める黄門様は誰?

 歴史ヒストリアム「はるかなる琉球王国~南の島の失われた記憶」(動画)
 
初稿 2016.4.22


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