夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

道路の開通と春の訪れ

2008-03-30 15:55:12 | 岩木山麓 しらとり農場日記
 きょうは昨日とうって変わって、お日様がのぞきました。でも気温はまだ低くて、肌寒さが残っています。予定通りスタッフのSさんと私でしらとり農場へ行き、県道から農場のオーナーハウスまでの除雪作業を行うことにして出かけました。Sさんはあうんの除雪車に乗って行くので、片道40分以上かかります。私はとりあえずトラックで先行して、農場オーナーハウスまで歩きました。雪はかなり解けていて、雪解け水が小川を作っています。バッケがあちこちに顔を出し、早春の装いでした。今年初めての農場そしてオーナーハウスでした。ウーファーのYさんが昨日から滞在しているほか、ミスウインターも昨夜の歓迎会後農場に戻っています。
 しばらくすると同じ無農薬有機農業を経営するSさんが、農場へ歩いてやって来ました。この方はいつも農場のピンチには登場する方で、身内のような方です。昨年は開墾でも活躍しました。きょうもオーナーに籾殻の燻炭をオーナーに作って欲しいということで来所したようだ。そのためにはなんとしても早期に道路を開通しなければならず、我々の作業を見に来たようです。
 スタッフがショベルカーに乗り作業を始めると、見ていたSさんは黙っていられずに交代です。しばらく作業を続けていましたが、なかなか舗装道路とは違ってでこぼこになったりして時間もかかります。すると、その作業を見ていたお隣のりんご畑で作業をやっていたKさんがなにやら津軽弁で大声を出しながら近づいてきます。何か不都合なことをして叱られるのかとドキドキでしたが、よく聞くと除雪の仕方について見ていられないと言うことでこうしてやるのだとお手本を見せてくれました。よく聞くと彼は除雪作業をやっていたことのあるプロだそうで、我々の除雪方法が見ていられなかったようです。そして親切にりんごの枝切り作業を中断して、指導に来てくれたのです。こうしてようやく除雪の基本を理解したSさんは、それから抜群に腕を上げて、1時間で見事に道路は開通したのでした。この指導助言がなければきっと3倍ぐらいの時間がかかったかも知れません。人は見かけに寄らない。外見や言葉使いで判断してはいけないという、見本のようなできごとでした。
 昼食は「キタアカリ」というジャガイモを茹で、それを押しつぶしてトマトの煮込みソースをかけ、トッピングでバターやチーズ、シソのハーブ漬けなどが添えられます。デンマークの料理なんだそうで、オーナー夫人の実家北海道瀬棚ではよく食べた料理方法だそうです。いやあ、キタアカリはそれにしてもすごく美味いなあ。それに農場で採れたトマトやトウモロコシ、にんじんなどを煮込んだソースはとても酸味もきいて合います。一番嬉しかったのは岩木山の伏流水のお水の美味しいことです。ついついお代わりを何度かしました。
 こうして、昼食をいただいたところに、むつ市から有機農業をしている仲間ということで、Hさん父子が開通した道路を軽トラックで乗り込んで来て、第1号のお客様となりました。Hさんは今まで鶏を飼っていたのだそうですが、やめるとのことでその鶏を農場でいただけるようです。いっしょに昼食をいただいて、お別れしました。
 これからはオーナー夫妻も車で自由にオーナーハウスまで出入りができて、便利になるので一気に農作業準備も進むことでしょう。目標が達成されて、一安心で農場を後にしました。我々も、畑の準備をしなくっちゃ。

もどかしい!

2008-03-29 07:15:51 | つれづれなるままに
 昨夜理事会が開催されている最中に、私の携帯電話にソウルのソンさんから電話があったらしい。らしいというのは会議が終了してから、残業していた職員からの伝達である。ソンさんは日本語を私は韓国語を話せないために、お互いにいつも気遣いながらも話すことができないでいる。だから日本語をインターネットの翻訳を利用してメールでの会話になっている。この翻訳機能であるが、直訳、異訳が多いのがたまに傷である。昨日はソンさんが電話のそばに通訳者を配しての国際電話だったらしいが、生憎私が出ることができず、挙げ句の果てに着信番号先に電話をかけても、私の携帯電話が登録されていなかったために会話できなかった。KDDIの携帯電話登録手続きをするのに、1時間もかかってしまった。こんどからは直に話ができるそうで、今回は諦めるしかなかった。
 ちなみに、ソウルまでの電話は1分間で69円だ。これが高いと見るか、妥当な額であると見るかはその電話の向こうにいる友人との関係性だろう。お金の多寡よりも、自由に話せないことの方が問題なのである。4月から韓国語の教室に通うことを真剣に考え始めている。ソンさんの来日は9月である。

理事会終える

2008-03-29 06:55:59 | つれづれなるままに
 昨夜は法人の理事会・評議員会が開催され、新年度の事業計画案と19年度の収支補正案、20年度の収支予算案、給与規程等の改訂について審議をし、承認を得た。終了したのは午後9時を回っていた。
 これまでの給与表では新たな時代を生き延びていけないために、わが施設のホープである次長が新給与表を研究し起案した。同一労働同一賃金がもっとも理想的なのではあるが、潤沢な資金繰りのできる法人と違う。今や年齢給や経験給では役に立たない時代である。人事考課なるものが登場し、一人ひとりの業務成果や貢献度が問われる給与表となっている。
 事業計画案ではパン工房の収益性を高めるため、生産量を増加させることが目標となった。具体的には個別支援を一方で行いながら、一方で生産性を高めていくのは至難の業であり、それを配慮するには生産の専門員を配置していくことである。2名のパン職人を養成することから始めることになった。
 もう一つは新店舗の開業である。当面6ヶ月間はリサイクルや、リユースの作業活動を行い、後半は無農薬野菜やその加工品、有機肥料の販売を行う店を開店することである。いまある「パンショップ・ゆいまある」の筋向かいに店舗を構えられるので、安心である。

 ゆいまあるに面するバス通りはかつての岩木町時代の銀座街なのだが、反対側にバイパスが抜けたために裏通りとなって、猫も婆様も安心して通れる商店街になった。この通りをもう一度にぎやかに復活させることが、わたしたちのこれからの夢である。一人ひとりのメンバーの名前の付いたお店ができるといいなと話し合っている。
 ちなみに、昨日はパンショップゆいまあるのメンバー13名には年度末賞与一律2万5千円が支給され、メンバーが大喜びをして帰宅したらしい。新年度が間もなく始まる。
 さあ、みんなで新年度もステップアップしよう!

冬のなごり

2008-03-28 06:43:57 | 岩木山麓 しらとり農場日記
 朝職場に行くと、東京からミスウインターが夜行バスで来たという。にこやかに笑顔の元気そうなミスウインターに、ほっと一安心である。オーナー夫人のあうんでの仕事もきょうが最後の一日。オーナー夫人には今回あうんのピンチを何度か救ってもらった。それになんといっても、あうんでの結婚披露パーティを協働して実現できたという思い出の一日もある。ミスウインターは学童保育のアルバイトに早速入った。彼女は春休みが終えれば、今度は3ヶ月間を最初の目標として、ゆいまあるのパン作り職人を目指して、早番の毎日が始まる。
 今月30日の日曜日には、しらとり農場の道路の除雪をしようと言うことになった。スタッフのSさんと午前中から出かける相談をしている。
 いよいよ仕事も終えて、オーナー夫人に感謝の花束を捧げ、みんなで感謝の拍手を送った。オーナーがトラックで二人を迎えにやってきた。除雪の話をすると、喜んでいたがもうかなり雪は解けてきていて、お天気次第ではやらなくても大丈夫かも知れないと言っていたが・・・。
 オーナーが「今年も開墾することにしました」と私に告げた。「オー!それはすごい」と私。目標があるって素晴らしいなと心底思う。それからオーナーが「あうんの畑の野菜の種は全部準備するから買わなくてもいいです」と言ってくれる。苗で購入すると、その土に潜むせん虫が混入する可能性があるのだという。そういう意味でも種を蒔いて育てて行けばその危険性を回避できるというわけだ。
 4月頭にでも一度「飲んだくれコンサート」をとりあえずやろうと言うことになった。農場開きも5月の中旬に決めている。今年の農場での新たな出会いとは何だろうか。厳しい冬が今終わろうとしている。

昭和30年代のこどもの遊び

2008-03-27 23:12:11 | つれづれなるままに
 
 なんだかきょうの職場の午後5時は、ロートル3人プラス2人の中年が熱くなっていた。何にって、子ども時代の生活を思い出していたから・・・。60代のSさんが、学生時代は器械体操をやっていたことが話題になって、すると事務スタッフのMさんが「僕も鉄棒をやった」から、「あのころはこどもたちの遊びのひとつといえば、鉄棒だったよね」という。栄養士のYさんが「私は縄跳びだったわ」というと、僕が「あ、それってスカートがめくれないように、パンツにスカートをはさんで逆立ちしてなかった?」と聞くと、「そうそう」と続く。Sさんが「俺の所じゃパッチって言ったけど、東京じゃメンコだよね?」と言う。「僕は新潟でやっぱりパッチだった」というと、スタッフのSさんが「こっちじゃビダだな」と続く。とにかく外の遊びが多かったあのころ。どんどんみんなの記憶が子ども時代にトリップする。僕が五寸釘で陣取り合戦したな」と言うと、事務のSさんが神社が遊び場だったとのたまう。本当に神社は僕らの自由な空間だった。「ケンケンパ」っていう遊びもあったし、ビー玉での様々な遊びや、馬跳び、竹馬、チャンバラごっこ、相撲、ターザンごっこ・・・などなどどんどん広がった。騎馬戦もやったし、杉鉄砲も作ったな・・・。30分間もわいわいと話し、懐かしい時代にタイムトリップしたのだった。

「ずいずいずっころばしごまみそずい
  ちゃつぼにおわれてとっぴんしゃん
  ぬけたらどんどこしょ
  たわらのねずみがこめくって
  ちゅう ちゅうちゅうちゅう
  おっとさんがよんでもおっかさんがよんでもいきっこなしよ
  いどのまわりでおちゃわんかいたのだーれ」

 この歌も実は恐ろしい背景を持った歴史的な歌なのだという。随ととっぴんとの戦があったのだと言う説。
 江戸時代に殿様につかえていた小僧があやまって庭でお茶碗を落として割ってしまったのだそうです。それでもって、小僧はその罪を償うために、近くにあった井戸に身を投げたとか。
 場所は知りませんがお茶の生産地だったため、 お輿に乗っているお殿様を「茶壷」にたとえ、 茶壷に追われて(「茶壷」つまり大名行列がきたら) とっぴっしゃん(家に入って戸をぴしゃんと閉めて) ぬけたら(大名行列が通り過ぎたら) どんどこしょ(とさわぎましょう) おっとさんがよんでもおっかさんがよんでもいきっこなしよ (行きすぎるまでは、誰に呼ばれても家から出てはいけません) ということです。

大名行列は横切ると即切られるという話なので、 子供が飛び出したりしないように、言い聞かせるための歌だということでした。

成長する子どもたち

2008-03-27 07:09:53 | つれづれなるままに
 バッケがあちこちの畑や田圃の畦に緑の頭をそろえるころ、いよいよ学校も終業式で明日からお休み。子どもたちが授業で作成した様々な工作や絵画などの作品を詰めた紙袋を手に戻ってにぎやかさを増している。
 あの時まだ小学生だったやんちゃなT君がもう高等部の3年生で、私のそばに来てきちんと「なりたさんただいま。学校終わったよ」と挨拶ができるようになっている。私の車に思い切り石をぶつけて傷をつけたり、施設玄関のガラスを蹴飛ばして割ったり、弱い子に八つ当たりしていたT君だったが、今は落ち着いて会話が成立するようになっている。いろんな身体上の問題や社会との軋轢に向き合いながら、時間はゆっくりではあるが確実に成長している彼らである。自閉症のS子さんはよく信号の横断歩道で固まったまま動けなくなった時期があった。しかし、今はすっかり積極性が増して作業をこなしている。私が姿を見せると「お父さん、おはよう。」「お父さん、お帰り」「お父さん、行ってらっしゃい」などと声かけをしてくれるようになった。この積極性はどこから生まれてきたのであろうか。このように時間は緩やかではあるが、誰でも皆着実に生きていく過程で成長をし続けているのである。生きることの楽しみがわかれば、それをきっかけにどんどんその成長は加速されるのだ。昨年までひげそりを自分でできなかったH君だって、いまは大きな鏡の前に椅子を置いて一人でひげそりができるようになった。きれいに剃り終われば「やったよ・・・」と見せに来てくれる。「ほう、上手になったね」そうほめるとにっこり笑って、戻っていく。みんなこうして、自信をつけていくのだ。「学ぶとは変わること」と言うが、まさにその変化の中で彼らの学習成果が見えてくる気がしている。
 なかなか私たち大人は変わりにくくなっている。
 

鳥たちの啼く朝に

2008-03-26 08:24:55 | 創作(etude)

 毎朝リズミカルに
 めざめの良いのは
 次女のマミ
 春だなとおもう
 お日様が登る時間にあわせて
 マミは目覚めている
 これが自然だよなあと
 ふとその生き方に学びを感ずる

 てんかんという病を持ち
 そうしておまえは生まれてきた
 障害というと
 たいそう大変な存在のような気がするが
 太古の世界では
 自然なこととして
 社会の子として
 迎えられ支えられた

 わたしたちが
 人間としての良心を持てるのは
 やすらぎのような
 ほほえみが生まれるのは 
 人と人が力を合わせられるのは
 きみたちがそばにいたから
 ことばではなく
 尊いいのちとしての存在
 それを気づかされるから

 生きるということが
 至福の生産であるということを
 身をもって知らせてくれる
 きみたちの笑顔
 きみたちの目の輝き
 希望の声
 許されてあるということの
 温情
 すべての人の願い
 

POEM/優しいということ

2008-03-25 07:19:13 | 創作(etude)

 優しいという字は
 にんべんに憂うと書く
 優しいという意味は
 思いやりがある
 細やかな心遣いがある
 上品でしとやかに感じられるとある

 人に優しいのと
 自分に優しいのとの違いは
 人に厳しいのと
 自分に厳しいのとの違いに
 なんだか似ている気がする
 ぶっきらぼうの優しさだってあるのに

 優しそうに見えるのと
 実際はかなり違うことだってある
 厳しい人に見えて
 案外気さくな優しさの人だってある
 細やかではないが
 荒削りの優しさだってある

 言葉だけではない
 やさしさ
 行為の中にある
 やさしさ
 無言だから感じられる
 やさしさ

 一方通行の
 やさしさ
 押しつけの
 やさしさ
 自分だけ気持ちよい
 やさしさ

 度の過ぎる
 やさしさ
 うざいと言われるのは
 やさしさというのか
 踏みつぶされる
 やさしさ

 本当の優しさは
 見返りを求めない
 相手にへつらわない
 自分に厳格である
 相手におもねることがない
 かといって芯を支えている
 
 

心の中の棘

2008-03-25 06:58:44 | つれづれなるままに
 喉に刺さってしまった直ぐにも取れそうで、いつまでもとれない細い魚の骨のような不安。指に突き刺さっている0.2ミリの棘が、取れそうで取れないささやかなそして確実な痛みのようで・・・。
 年度末だからなのか、人生末だからなのだろうか・・・心が重い。正体はといえば、自分の性格かも知れないし、自己嫌悪かも知れないし、孤独感かも知れない。
 平穏さを装いながら、それは少しずつ憂鬱さを増していく。いらいらしている自分がそこにいる。「あっ、これって厭な兆候だな」と自分で気付きながらそれを自分で操作できそうにもないいらだたしさ。「このまま行くと誰かを傷つけてしまいそうだ」というようなそういう心理。昨日のゆううつ気分は、一番自分を理解してくれているはずのあの人が放った言葉が、自分を奈落の底に突き落としたことは間違いない。
 ぼくは多分こういう気付かずに放つ、他人への配慮のない言葉の矢をきっといっぱい放って来たのだろうと思うとますます憂鬱感が増す。
 この職場からもこの青森県からもこの日本からも、消え去ってしまいたい気分の自分がいる。なんで自分はあの時・・・そういうことの積み重ね。後悔というのか怨念というのか、慚愧というのか、混迷というのか・・・。
 この自分が生まれ性格形成がなされるときの、数々の人生のいたずら。その澱のようなどろどろの人生の滓が堆積して今の自分がある「寺山修司は気味が悪い」と言ったあの人の言葉が突き刺さる。あの繊細さが僕のあこがれなのに・・・。「あなたは有名になりたいんでしょ!」といわれたとき、ぼくは言葉を飲み込んだ。ぼくは有名になりたいなど思ったことがあったろうか・・・心の自由さは追い求めて来た気がするが、有名になることと自由になることはまるで逆ではないか・・・。あの人は僕が有名になりたいという姿をイメージとして持っているんだ。それを感じさせるような傲慢さを、あの人は僕から感じたのだろうか。僕の心の棘、取れそうでなかなか取れない棘。憂鬱な日々・・・。思いがけなく傷つけて、その傷に皮がかかり痛痒くなったあの時のような憂鬱さ、気だるさ。花粉症の眼の痒さ、鼻づまり、水のような鼻汁の際限のなさ。
 ぼくがこの世の中の存在である理由を見失うとき。

弘前駅前中華料理店「豪華楼」

2008-03-24 18:40:28 | 旅たび食べある記
 カミさんと同じ月曜に休みが当たり、午前中買い物を済ませてから、弘前駅前に昔からある(以前は第一ホテルという中にあった中華料理屋)「豪華楼(ごうかろう)」という店に予約なしで出かけた。
 午後1時30分を過ぎても、順番待ちで盛況のようであった。20分ほど待つとようやく順番が来た。お昼の時間帯はAランチからCランチまであったが、私とカミさんは牛肉焼きそばと五目そば汁、五目チャーハン(各950円)を注文して、皿に取り分けて食べた。
 予約しておけば楽に座れることがわかった。中華料理店も気分的にたまには寄りたい店である。ゆったりとした時間を日頃話すこともない話題を交換して飯を食うのも悪くないと思った。三品を食べればお腹いっぱいで、その後のお茶で眠気を催していた。
 周囲には高齢の母親と姉妹組や入学の決まった娘と母親、津軽のかっちゃ(奥様)たち、旅人など様々だった。少し非日常的な時間と雰囲気も新鮮かなと思ったところだ。