夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

自然とは何か

2008-02-28 23:17:11 | 私の本棚
 私は急に孤独な世界に突き落とされたような気がしました。今まで、平凡と言えば平凡、順調と言えば順調な生活をしていたのが、急に調子が狂ってしまった。今で思えば、全く無用な恐怖だったと思うんですけれども、そのときは、まさに死の恐怖というようなものに直面してしまった。
 今まで自分が信頼していたものはなんだったんだろう。何気なく安心していた安心というものは何だったんだろう。私は平凡な生活から、懐疑のどん底に落ち込んでしまいました。どうしても今、その解決をしなければならないというような、絶体絶命の感情に追い込まれてしまったんです。
 病院はどうにか退院できたものの、いったん落ち込んだ苦悶の世界からは抜けられない。いわゆる生と死とかいうことに対して、徹底的な懊悩が始まったわけです。
 それでもう、眠れない。仕事が手につかない。精神分裂症(現在は統合失調症)の一歩手前というような、悶々たる状態が続き、どうにもならないこの胸の燃えたぎるような悩みを、夜空の星の下で癒そうとして、山の上や港を、幾晩さまよったことでしょうか。(略)
 私は港が明けていくのを、うつらうつらと見るともなく見ていました。崖の下から吹き上げてくる朝風で、さっと朝靄が晴れてきました。そのとき、ちょうどゴイサギが飛んできて、一声鋭く鳴きながら飛び去ったんです。バタバタっと羽音を立てて。
 その瞬間、自分の中でモヤモヤしていた、あらゆる混迷の霧というようなものが、吹っ飛んでしまったような気がしたんです。私が待ち続けた思いとか、考えとかが、一瞬のうちに消え失せてしまったんです。私の確信していた一切の拠り所といいますか、平常の頼みとしていたすべてのもんがいっぺんに吹っ飛んでしまった。
 そしてそのときただ一つのことがわかったような気がしました。
 そのときに、思わず自分の口から出た言葉は、「この世には何もないじゃないか」ということだったんです。”ない”ということが、わかったような気がしたんです。
 今まである、あると思って、一生懸命に握りしめていたものが、一瞬のうちになくなってしまって、実はなにもないんだ、自分は架空の観念を握りしめていたにすぎなかったのだ、ということがわかったような気がしたんです。(略)
 私はまさに狂喜乱舞というか、非常に晴れ晴れとした気持ちになって、その瞬間から生き返ったような感じがしました。
 とたんに、森で鳴いている小鳥の声が聞こえるし、朝露が、昇った太陽にキラキラ光っている。木々の緑がきらめきながらふるえている。森羅万象に歓喜の生命が宿るというか、ここが地上の天国だったということを感じたんです。
 自分の今までの一切のものが虚像であり、幻であったのだ。そしてそれを捨て去ってみれば、そこにはもう実体というものが厳然としてあった、ということだったんです。
 その時から、自分の一生というものが、ある意味で云えば、それ以前と全く変わったものになってしまった、といえるような気がします。

 「わら一本の革命」福岡 正信より抜粋

バリアフリー小咄/ひな祭り

2008-02-28 22:47:30 | 創作(etude)

一郎  お母さん。もうすぐひな祭りだよね。

母   そうよ。一郎は男だから5月の節句にお祝いをするんだよ。

一郎  うん。でも、ひな祭りってなんだか楽しそうだね。
    あのひな祭りの歌に、
    「金のびょうぶに うつる灯を
    かすかにゆする 春の風
    すこし白酒 めされたか
    あかいお顔の 右大臣 」ってあるので、男だってお祝いしてもいいんじゃない?

母   一郎はお酒が飲みたいだけでしょ。白酒は甘いお酒よ。

一郎  あまかったか・・・。 
    


宋さんがやって来る

2008-02-28 13:06:27 | つれづれなるままに
 韓国ソウル市在住の宋相天さんが9月に訪日し、我が施設に来てくれることになった。再会するのは、8年ぶりになるだろうか・・・。
 私は2000年の7月、旧岩木町民生児童委員協議会メンバー20名を伴って、宋さんの当時いらした知的障害者の通所施設を訪問したのだった。私はホテルに宿泊したが、夜宋さんと待ち合わせて、宋さんのお宅にもお邪魔した。奥さんとお嬢さんの3人暮らしだった。お嬢さんはそのころ既にバイオリンを弾いていたのだろうか。確かに部屋の中に楽器があったことを思い起こしている。そのお嬢さんも音楽大学のバイオリン専攻し、今年卒業だと言う。
 ソウルでの思い出は、自閉症施設の理事長をされている女性とお目にかかる機会を得たことであり、宋さんとことばも通じないけれども一緒に焼肉屋で焼肉と冷麺をご馳走になり、美味しい酒を酌み交わしたことである。
 宋さんは現在授産施設に勤務されているらしい。青森県ソーシャルワーカー協会で記念講演会を企画して、韓国の障害者福祉について紹介していただこうと考えている。私もそれまでにはもう少しハングルが話せるようになりたいものだと思っているのだが・・・どうなることやら。それにしても宋さんとの再会は本当に楽しみである。私の施設を見て欲しいと思っている。彼が青森の我が家でホームスティをしたのは、その前年の1999年8月であった。日本の障害者施設を見学にいらしたので、東京の前滝野川学園長K氏に伴われておいでになったのである。あうんはちょうど認可された年で、まだ施設は無認可施設の訪問のみであった。今回おいでになれば初めて、我が施設を見ることができるのである。それが恩返しになればと考えている。
 

暖冬といいつつ

2008-02-26 08:34:09 | つれづれなるままに
 暖冬なのではない。いわゆる雪が少なかったのだ。最低気温はマイナス6、7℃の日が結構あるのだから、寒さも一丁前だ。そして雪もいつの間にやら2月で、そこそこまで積もっている。我が家の屋根雪は、降れば降った分、たちまちザーッと音を立てて滑り落ちる。その雪がもはや窓の高さにまで達しているのだから、決して少雪とはいえなくなっている。
 地方財政はここまで逼迫して来ているのだろうかと、ふと車を運転しながら感じていた。K市も我が弘前市も、道路の雪が昨年以前に比較すれば、格段に手抜き?になって来ている。道路の車の往来もかなりすれすれになり、ひやひやしながらの運転である。道行く人はさらにその怖さを感じることだろう。今年でもこれだから、大雪の年はどうなるのだろうか?
 先日の「地域福祉フォーラム」でN村のS村長が言っていたが、行政と住民の距離が近すぎると、依存傾向が強まると言うこと。果たしてそうだろうか?何でも要望すればよいと言う住民の依存傾向や行政任せの意識変革を行政の首長が示す必要があるように思う。いわゆる自助・公助・共助」という住民がすべきこと、行政がすべきことの一線を明示し、さらに社会福祉協議会などが中心になって住民の組織化がなされる必要があるのではないか。汗をかこう!みんなで・・・!

給料日に本屋で

2008-02-26 07:16:12 | 私の本棚
 三寒四温の例えの当てはまる陽気の一日。ショッピングの一日となった。
 最後に落ち着いたのは弘前市の紀伊国屋書店。たっぷり1時間30分私の心をくすぐる本をあれこれ手にとって、最終的に3冊をゲットした。
 一冊は私の好きな詩人「茨木のり子」さんの最後の詩集となった一冊。2006年2月に80歳でお亡くなりになった。でも、彼女の詩は張りがあり、反骨精神があり、みんな若々しい。「倚(よ)りかからず」は少しめくっただけで、笑い転げてしまう詩が目に飛び込んできた。「笑う能力」には「先生お元気ですか。我が家の姉も色づいてきました・・・」これは柿と姉の字を書き間違えて送ったのであろうが、なんとも間違いの側に真理があって妙に納得する。「洋梨のババロワ」を「用なしのばばあ」と聞き間違えるくだりは思わず膝を打つ。
 もう一冊は「自然農法」では伝説の人「福岡正信」さんの「わら一本の革命」横浜税関の植物検査課の職員を辞し、ただ生きてゆくためだけの食糧を作る百姓の道に入った。「小鳥は種をまかず、ついばむのみ。何故人間のみが悩むか・・・」とバイブルの中にあったと・・・
 もう一冊は現代書道という一冊。書道が今年の私のテーマ。
 この三冊をこれから楽しみながら読めるかと思うと、寡黙になってしまう。早く家路を急ぎたくなった。

POEM/ラーメン屋にて

2008-02-25 22:52:14 | 創作(etude)
 
 いらっしゃい!
 ラーメン屋は
 どんな客が
 顔を見せても
 威勢が良くて
 暖簾をくぐれば
 初めての客も
 なじみのような
 気分にさせる

 ラーメン屋で
 自分が何を食うのか
 考える時だけが
 創造のときかもしれない
 こんな時に
 決め付けたかのように
 相手方から
 醤油よね!って
 言われたくない
 正直な自分がいる

 ようやく自分が
 味噌!と言えた時に
 ホッとする自分がいて
 回りの客の顔や 
 相方の人々の
 関係性が
 見えてくる
 たったいっぱいの
 ラーメンを食うのに
 幸せだったり不幸せだったり

 隣の椅子に座った
 二人の夫婦
 年のころは65歳
 こんな店に
 来るんじゃなかった
 お前のおかげで
 こんな嫌な昼飯だと
 なだれのように
 イスに座った
 相方の顔は曇ったままだ

 どんな夫婦なんだろう
 毒づいた厭味を
 こんなに自然に表現できる
 親父の顔をしげしげと
 俺は見ていた
 黙ってそれを
 らーめんの湯気のように
 自然に受け流す
 相方の女の
 人生が聞こえていた

 一杯が
 たったの525円の
 味噌ラーメンを
 何で幸せそうに食えないのか
 俺はそれが他人の間柄でも
 なんだか無性に許せなくて
 ラーメンの麺の
 啜る音を怒りの表現で
 ずずっと立てて 
 奴を攻撃していた
 
 そしてその相方の
 無表情な虚ろな瞳
 その投げている先の
 人生の長さを
 思いやっていた
 相方さんよ
 あんたのほうが
 二枚も三枚も
 人格が上だわ
 ふとそう思えて来た

 ことばなんて
 何の意味もない
 言いたいことを言う
 それをこれまで
 ずっとこの親父から
 狂える月の晩も
 疲れた満月の晩も
 幾度聞かされてきたことか
 ため息とおんなじで
 聞き流すしかない

 ラーメンは
 なんで威張らないんだろう
 嬉しい人も
 悲しい人も
 不安な人も
 明日ない人も
 たった一杯の
 麺を啜るだけで
 その後には
 満足しかない
 

 

POEM/歌いたい気分

2008-02-25 18:38:46 | 創作(etude)
 
 誰に気遣いもなく
 自分で楽しむ
 自分の声で
 自分が聴衆で
 自分が演者
 

 歌は自分らしさを
 あまねくあらわし
 二度とないのは
 その場の気分
 二度ない感性

 こんなに楽しく
 伸び伸びと歌えても
 こんなに厳しい野次もある
 自分であって
 自分でもない

 観客がないことほど
 聴衆がないことほど
 こんなに厳しい舞台もない
 こびるような歌でもなく
 おもねるような魂もない

 この歌が人生なのだから
 この歌が私なのだから
 嘘をつくべき誰もない
 虚栄張るよな意味もない
 歌いたいよな気分です
 
 
 

保険屋家業と被保険者

2008-02-24 12:58:50 | つれづれなるままに
 昨日は大荒れの一日。津軽ではこの時期雨が降った後の天候の大荒れになる状況を「雨返し」といって、大雪を降らしたりすることを表現する。案の定この言葉のように昼頃から雨が降り、その後猛烈な吹雪となった。海岸線では30メートルを超す強風だったようで、県内の交通機関が麻痺した。
 土曜日の午後、保険ネットワークのJさんが来園した。Jさんは一風変わった保険屋で、社会改革派の姿勢を持っている人だと思う。アイデアマンでもあり、NPO活動にもいろいろ関与した活動している。
 今回Jさんとの間には今まで一貫性のないそれぞれの保険の見直しのために、重複していたり不足しているニーズを明示してもらうための作業をお願いしている。
 家を新築するとかけられる火災保険、生命保険でも火災保険がかけられていたり、車の任意保険でも対物保険、車両保険でも搭乗者保険などがあり、かけられていないことによる不安としては、がん保険や地震保険などがある。保険そのものは商品ごとに保険屋が売りつけるが、重複していてもお構いなしでお客には商品の良いことだけの説明をして、売りつける。お客の側も重複していることには案外気づかないし、トータルとしての保険全体や無駄などもあまり関心がないのが現状である。それはコーディネートをしてくれる専門家が不在であったからである。Jさんはその保険のからくりを正そうとしている。本当に必要なものを効果的にかけること。無駄を省くことのために、保険証書をすべてJさんに渡してそれを整理して見てもらったのだ。家族全員で加入していた方が効率の良い保険はことに高齢者が自宅などで怪我をする可能性が高いのにかけられていない手当てがあった。火災保険などは減価償却などがあるために、例え保険に入っていても火災になれば新築時とは評価額が違うために、もとの家と水準が違う家しか再建できないらしい。その不足分を補い、そして新たに退職後(60歳以降)の医療保険にかかる必要があった。介護保険では脳卒中や認知症などの病名がつかない、例えば交通事故による後遺症などでの支えは介護保険では受けられないのだという。そういう過不足を見直してもらうために、Jさんが全体を見て分析評価してくれるのだ。例えて言えば、カミさんと私が別々に湯沸し機を設置して、それをたれ流している状態であるとのご託宣であった。無駄がものすごく多く、肝心なものが足りないのだという。Jさんのその真摯な姿勢には、すごく敬服し脱帽する。ありがたいことだ。
 施設の方も昨年から契約した全ての保険を見直してもらって、無駄を減らして必要なものを過不足なくかけようと動いてきたのである。倫理観を持った商売をする方との信頼関係はありがたく、貴重なものがあると実感した時間であった。

一行詩 / シクラメン

2008-02-24 12:09:44 | 創作(etude)

 ・シクラメン薄紅色の花びらは学徒の君の清楚さに似て

 ・今はただ栄華の刻こそ種まきて明日の朝には蕾増やして

 ・ひたすらに今を限りに咲けばよい生あるままに楽しきままに

 ・別れ行く君に手向けんシクラメン蕾の数ほど夢を咲かせよ

 ・短命の嘆きを色に映してる如月の日の花シクラメン

 ・退ける君の姿のなき後にせめて花鉢シクラメン置く