夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

7月の野田村活動 No.17

2011-07-31 07:38:36 | チームオール弘前


7月30日(土)参加人数31人

 20日以来の久しぶりの野田村である。雨が予想されていた野田村であるが、幸いにも何とかもちそうな天候となった。学生と社会人の混成チームは、ほぼ半数ずつという感じである。事務局の学生・南部さんが元気良くグイグイみんなを引っ張り、山口先生がそれを補佐している姿がなんともいい。野田村の活動前には必ず消防署前で社会人リーダーが体操を指揮する。この日は元気な神さんだった。
 写真を展示している消防署前の建物には住民の方々が行列を作っていたが、「自転車」の抽選会だということを後で知った。
 
 きょうの作業はがれき撤去組(20名)と、「チーム北リアス」のプレハブ住宅建設準備組(10名)に分かれた。私は一度「北リアス」の建物を見たいという思いがあって、こちらを希望した。「チームオール弘前」やその他のNPOとの緩やかな連携をしようということでこのチームとつながっている。リーダーは渥美先生であるが、これまでに何度か一緒に活動をして身近な思いを持ってきた。


 野田村中学校の待ち合わせ場所にバスで移動したら、中学校の駐車場には最初にできた仮設住宅が立ち並んでいた。

 暫く待つと八戸社協の方が案内にやってきた。中学校から更に杉林の中を奥へ奥へと進んでいくとその場所があった。「貫牛さん」という方が、その建設場所を提供してくれることになったという。すでにそこには八戸高専や函館高専の生徒たちが集まっていた。
 渥美先生からこの日の作業内容の説明を受けて、早速弘前チームと学校チームに分かれて作業が進んだ。
 作業はまず建設予定地に立っている桜の樹を切り倒すことであり、敷地内にある丸太や障害物を除去することだった。

 午前中の作業では丸太などの移動は順調に進み、桜の樹は人が集まっている割になかなかびくともしない状態である。結局昼前に函館高専を始めとする生徒たちは時間切れで別れた。

 昼食会場に我々も移動して、毎回お世話になっている搗き搗き餅の家での昼食となった。

この日はいつものお弁当の他に、鶏卵という卵型のお餅の中に唐辛子が入った食べ物と、イクラやもずくの入った汁物や、美味しく甘いトマトとキュウリが添えられていた。

 美味しい昼食をたっぷり頂いた後、1時からまた同じ場所へ移動。午後からは桜の樹の伐採と木の移動作業組と、仮設住宅に金沢の塗り物を届ける組みに分かれて進んだ。
桜の木の伐採はそれからすぐに終え、午後2時にはすべての作業を終了して、貫牛さんのお家のおばあさんや家族の方とのお話となった。おばあさんのお話では、この場所は地震での被害は全くなかったという。
 73歳というおばあさんはとっても元気そうで、一生懸命野菜作りや草取りをして楽しそうにお話もしてくれた。
 午後3時配達グループも帰ってきて、この日の作業が終了。
 渥美先生から8月26日にはプレハブが完成して野田村祭りの前夜祭をこっこで開催するということを聞いた。宿泊も可能だという。野田村村長もこの日はやってきて飲むからよかったら参加しないかと誘われた。
 午後から日差しも強くなって、山々からは蝉の声が賑やかになっていた。
 帰りのバス車中では恒例のアンケート記入と、参加した方々の感想紹介コーナーに突入していた。そして先日のワークショップ開催報告を求められて、私も話した。
 これからのチームオール弘前の予定は、まず野田村の方々を弘前ねぷた祭りに招待して、ネプタを運行すること。そしてその後の8月27日の野田村祭りに「ねぷた」を運行参加することだ。私は初日に参加することにした。私の4ヶ月間の野田村活動は、こうして17回目の活動を無事終えた。8月は10日からの平日(水曜日)が活動日となった。

町会納涼祭寸劇練習

2011-07-30 04:36:37 | つれづれなるままに
7月30日(金)19:00~集会所にて

 今年の町会の納涼祭は、各班がアトラクションを企画して出すことになっている。我が6班は「となりぐみ」という寸劇である。脚本らしいものは私が準備し、法人事務長が面白がってヘルプに来ている。事務長は8年前からの演劇仲間で、すっかり素人演劇にハマっている。今回は音響担当だが、演技指導付きである。班の皆さんの協力体制は町会一で、昨夜も14名が集まった。

 昔は隣組といえば「結(ゆい)」という習慣もあり、皆同じ仲間意識も強く隣組の人々が困ったときは助け合うということはあたりまえであった。お互いの生活には壁もなく、家族全員の名前も地域で知っていた。急に人が訪ねて来た夕方には、ご飯が足りなければ隣に借りにも行った。味噌や醤油も備蓄していて、(というのも今ほどみなくる間もなくコンビニなどのない時代である)貸し借りは当たり前なのである。すごい話である。となりの隣の隣ですら自分の家の食卓なのだから・・・。

 みんなが人乙の大きな家族のように、同じ時間を同じように過ごして成長していったのだった。その時代を懐かしみたいというのがこの寸劇の狙いでもある。
 きょうは2回目の練習だけに、皆さんそれぞれ古い思い出の品を持参して役に活かそうとしている。ご飯はもちろんつば釜だったのだ。おこげの匂いが懐かしい。
 嬉しいのは小さな女の子も、お母さんといっしょに参加してくれたことである。きっとこの子は将来激が好きになるのではないだろうか・・・と期待している気持がここにある。

第1回ワークショップ開催

2011-07-29 06:54:34 | チームオール弘前
7月28日(木)PM6:30~弘前大学人文学部4F 多目的ホール

 「チームオール弘前の可能性と方向性を探る」と題し、第1回目のワークショップが開催されました。37名の学生と市民が集まって、まずは「災害カードゲーム」というリラックスするためのゲームを行いました。
 このゲームは5名とか7名編成でチームを分けて、カードをめくりながら手持ちの「Yes」「No」のカードを一斉に前に出して、自分と同じカードの方が多ければ座布団一枚をもらえるというゲームです。ただし一人だけの答えだった場合は、座布団が二枚もらえます。
 質問カードの内容は「阪神淡路大震災」の経験を生かした質問構成になっていて、たとえば「被災地へ活動に出かけるために待ち合わせ場所で女子高校生を待っていると、やって来た女子高校生はスカートでやって来ました。あなたは先生ですがその高校生を被災地に連れて行きますか?行きませんか?」連れていくは「Yes」を、連れて行かないは「No」を出します。結果多い側の答えの人が座布団をもらえます。

 こうして30分をリラックスと、お互いの人間性理解をすることができたようで雰囲気も和んでいました。

 この後事務局の李先生が挨拶と経過報告をして、私の進行でワークショップが進行しました。
皆さんのテーブルにはポストイットという色つきの四角いメモ紙(糊がついているので貼れます)と模造紙が一枚配布されました。きょうのワークショップの目標は「野田村を元の姿に戻そう」という大きな目標と「私たちにできること」がサブテーマです。
模造紙の3分の1には①今すぐできること②時間をかければできること③お金をかければできることという項目が記載されました。
 最初にポストイットに自分のできることを、いくつでも提案する形で記入をお願いしました。
そして次はこの書かれたポストイット(意見)を、3つの項目にあてはまる欄に貼ってグループ員に説明を行います。 src="https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/08/1f/67453bc228f5efb826c9df1d6f19285c_s.jpg" border="0">
 全員の貼り付けが終わったら、次に同じ欄の同じ内容のものを集めます。そしてそれら同じグループのポストイットの上に見出しを書き込んでいきます。
 最後は各グループのリーダーが、全体に報告をしてゆきます。

 野田村の災害復興は日増しに進展し、被災者の生活もニーズが変化を見せているようだ。
 こうした中で現地の災害ボランティアセンターが、先日から「復興ボランティアセンター」と名前を変更している。そして県社協も市社協も撤退し、ボランティアセンターそのものも土日祭日を
休業することになった。つまり平日のみのボランティア受付に代わる。被災者も避難所の生活から、仮設住宅に移転した。個々の生活に戻っても結局今度は個々の生活が見えにくくなる。高齢者は心身の健康管理が逆に難しくなる。そういうニーズ変化にどのようにシーズを変化させることができるのかということになる。
 いずれにしても私たちチームオール弘前が目指した野田村支援の方向性は、社会福祉協議会を通じて進めなければならない。その原則を維持しつつも、社会福祉協議会そのものにも向上発展していただくよう私たち自らが働きかけていかなければならないのかもしれない。 

ブルーベリーが美味しい季節

2011-07-28 06:15:53 | ブルーベリー畑
7月28日(木)

 弘前は今朝から雨が降っていて、水不足気味だったことを考えればとっても良いお湿りです。ブルーベリーも水を欲しがる果実で、井戸を掘って毎日水やりを欠かせません。しかし今年の梅雨以来雨が殆ど降らなかったこともあってか、水飢饉という感じでした。そういう意味では大歓迎の今日の雨です。
 ブルーベリーは「ノースランド」と「ジャージー」の2種類しかありませんが、240本の木が今元気で育って、青い美味しい実ををつけています。

 今年でこのブルーベリーを植えて4年目ですが、木そのものは7年目になります。4月に開店した食パン専門店「co na]」では、洋菓子部門があって夏の暑い時期には「ブルーベリープリン」をはじめ、「抹茶プリン」「小豆プリン」を販売しています。



町内会納涼祭出演「寸劇」の練習開始

2011-07-27 06:53:35 | 私と福祉とであいの旅
7月26日(火)19:00~

 わが町会の納涼祭が8月7日に開催される。その納涼祭では今年、各班からのアトラクション出演の話が進んだ。これまでの納涼祭では、20万円以上の経費を使って、歌手などを呼んできたが、その見直しが図られたのである。私はそれに賛同して、町会長以下役員さんたちと班ごとのアトラクション準備を勧めた。
 こうして昨夜第一回目の打合せと練習を行ったのである。
 わが班の出演題名は「隣組の歌と寸劇」である。

 「隣組の歌」
 1.とんとんとんからりと となりぐみ あれこれ面倒味噌醤油 回してちょうだい回覧場 知らせられたり知らせたり

 2.とんとんとんからりと となりぐみ あれこれ面倒味噌醤油 ご飯の炊き方 垣根越し 教えられたり教えたり

 3.とんとんとんからりと となりぐみ 互いに役立つ用心棒 助けられたり助けたり

 4.とんとんとんからりと となりぐみ 何軒あろうと ひと世帯 心はひとつの屋根の月 まとめられたり まとめたり
この歌に合わせて、動作を行って行くのであるから、セリフもないので皆さんに好評である。

 昨日は12名の参加者で、練習をした。セリフが必要のない寸劇なので、間のとり方が難しいなどという声も聞かれた。だが、皆さん協力的で、あっという間に1時間が過ぎていた。次回は29日の日に最終練習となった。我が法人からは事務長も応援に駆けつけてくれているので心強い。
 

アンニョン!ヘジンさんがやってきた!

2011-07-26 07:38:06 | 私と福祉とであいの旅
7月25日(月)

 キム・ヘジンさんが再来日した。22日から福島・宮城県の被災地にボランティア活動のための入国だったということを聞いた。協会の関係の活動らしい。連絡がうまく取れなかったために、この日ようやく会うことができた。午前中の僅かな時間だったが、あうんにやってきてメンバーさんたちとわずかな時間の再会を楽しんでいた。
 ヘジンさんが前にあうんに来たのは1年半前のことだった。「ハングルメ教室」がヘジンさんで本格化したのだった。ハングルだけを学ぶのではなくて、韓国の食文化も共に学ぼうという考えから「ハングル・グルメ」の合成語である。
 ヘジンさんは今、ソウル大学の大学院で勉強をしている。将来は教師としての道が待っているのだろうか。今は日本語の卒論を書くために学習しているとのことだった。
 
 それにしても、最初はあんまりヘジンさんが美しく変わっていたので気づかなかったのが印象的だ。痩せたのと歯科矯正をしているとのこともあってか、顔の印象が変わっていたからだ。

 あうんメンバーと別れを惜しんで、その後お友達(木造の出身者のチューター)と出会うとのことで、一緒に昼食をとることにした。

 (○チューター制度について
大学等で学ぶ外国人留学生に対して、指導教員の指導のもとに、大学等が選んだ学生を「チューター」として配属し、生活・教育・研究について、個別に指導・助言を行い、留学生の教育・研究の向上を図ることを目的とした制度です。)



 ヘジンさんが大学院を終えるまでは後1年半とのこと、来年の春ころには一度ソウルを訪問したいと考えている。ソウルにはヘジンさんの他に、ボンドん作業所の施設長 宋先生、それに現在兵役に服している朴さん、今年帰国したサンア・ゴウンさんたちがいる他、テグにはミンジさんもいる。通訳には不自由しないのが心強い。
 今年はイムさんと繋がろうとしていたのだが、3・11の震災によってその機会が消えた。
 私たちはこうして国家観の関係以上に、民間の立場での交流が深まっているのを喜んでいる。お互い気持の良い関係づくりが出来ているためか、こうして度々弘前を訪問してくれるのだから、ありがたいことである。それに比べて、なんとも我々の行動力の無さを嘆かなければならない。

 ヘジンさんの本音は、「あー帰りたくないなあ・・・」であった。

パワースポット in 津軽 その2「自然農のしらとり農場」

2011-07-26 06:34:19 | 岩木山麓 しらとり農場日記

この日の二つ目のパワースポットは「しらとり農場」です。岩木山の2合目にあり、かつては「湯の沢遺跡」としての磁場を持つこの場所には沢山の土器類が出土したようです。


 この日のしらとり農場にはオーナーとウーファーだけで、子供たちと奥さんは買い物に出かけたということで静かでした。これからカルテットの練習があるということで、ニ人の方が訪ねてこられて、バイオリンとチェロの練習する音楽が農場の日曜日を流れていました 農場に見つけた新たな仕掛けは、オーナーによればお風呂用の温水を太陽熱で温める装置でした。43℃くらいになるので、まったくわかさなくても大丈夫とのこと。

 

 もうひとつの最近のオーナーの自慢の手作り品は、レンガ竈です。

 この農場で今私たちのまいた小豆もようやく育ち始めていました。


 しらとり農場の野菜は今とっても元気よく育っています。
 これは鶏です。
 
 

パワースポット in 津軽 その1「桂清水と燈明杉」

2011-07-26 06:21:05 | 私と福祉とであいの旅
7月24日(日)

 前日のセミナーの疲労感を蓄えたまま、講師の高田さんを様々な場所へとご案内しました。その一つが写真の桂泉です。ここには「燈明杉」という不思議な光を放つという大杉があります。「@ガイアシンフォニー3」で、森のイスキアの佐藤初女さんがこの巨木に抱きつく場面が印象的でしたが・・・。
 
 この場所は昔修験道者の修行の山で、堂ケ平という山の一画に、桂の巨木の足元からこんこんと湧き出る清水がまた冷たくて美味しいのです。この日もご夫婦で30本近くのペットボトルを持ってきて汲んでいる方がいました。
 杉木立の林は、暑い日差しの日にはとっても涼しさを増幅してくれるエリアでした。
 

 

2011 就労支援事業運営セミナー開催

2011-07-26 05:39:09 | 私と福祉とであいの旅
7月23日(土)岩木中央公民館2階 大ホール

「地域で暮らせる工賃を目指して」というテーマで、参加者約30名のセミナーが開催されました。

 2001年に兵庫県西宮市に先進施設を訪問した際、「新生会作業所」「すずかけ作業所」などをコラボネット代表の石井布紀子さんに案内していただきました。そしてその折に今回の講師高田所長さんにお目にかかることができたのです。そしてそれから約10年後、温めていたテーマで、こうしてお招きすることができました。
 基調講演「作業所の”壁”に向きあう」というテーマで約2時間、熱の入ったご講演は、参加者に様々な動機付けを与えたに違いありません。彼の奥に秘められた福祉センスと福祉の可能性への秘められた埋蔵量は、まだまだこの程度の時間では足りない気がしました。
 高田施設長さんからの講演内容と、午後からの指定発言者2名の3つのキーワードに対する発表を受けて、全体でのグループ討議「バズセッション」がその後開催されました。


 3つのキーワードとは
 1.工賃設定のあり方・工賃アップの取り組み
 2.近隣ネットワークの進め方
 3.就労継続支援B型の存在意義と今後の方向性」でした。
 各グループが1時間30分後に討議結果を報告した後、高田施設長さんから助言をいただきました。

 今年度が旧体型から新体系事業への移行が最終年となっており、それぞれの事業所の計画が来年度どのような内容でスタートしていくのか・・・。そして私が最も期待するのは、今回のセミナーを受けてどれくらいネットワークが機能するのか・・・ということです。
 高田さんが奇しくも言われた、ネットワークは「共通の短期目標」を明確化しないと、何のためにやっているのかわからないまま頓挫する言が多いということでした。理想と現実の差がここにありそうです。
 皆様お疲れ様でした!!

野田村は18℃風強し

2011-07-21 05:18:00 | チームオール弘前
7月20日(水)弘前市は晴れだったが高速道路で岩手に入ると、車窓から見える空は雲が重たそうに重なりバスのフロントガラスに雨が当たり始めていた。
 私の野田村訪問は久しぶりのことで、7月3日以来だから17日ぶりになる。この日の参加者は27名ほどで、学生も4,5人だった。野田村の社協スタッフに聞くと、この日の野田村のボランティア入り込み数は50名程度というから、チームオール弘前は多い方になる。事務局弘大も李先生をはじめ、山口、作道、平野各先生の参加で賑やかで心強い。
 現地入りしてこの日の活動を指示されたが、4名は桜庭邸の庭の作業で、残りの20名ほどは海沿いの国道から米田地区入口付近の道路側溝の泥上げだった。この時期にしては肌寒く、風も強くて作業は思いの外はかどっていた。この場所は以前米田地区の仮設住宅に来たことがあったので知っている。印象的だったのは、三陸鉄道が海沿いから山手に入ってトンネルがちょうど松林の下を通っていたことであり、そこはまた津波の為に全く機能していない場所でもある。今は辛うじて米田地区へ入る生活道路をデイサービスや宅配便などの車が日がな通過して忙しい。
 男性も女性も老いも若きも、皆でスコップやツルハシを持っての泥上げ作業が始まった。土のうの袋は小さめの袋とはいえ、この泥の中身は半端なものではなく、山の斜面から流れ込んだ粘土質の土と大きな石塊、砂利が混ざって始末に終えないほど重い。社協スタッフが途中から軽トラックを持参して、土のうを積んで運搬作業に参加した。一人黙々と土のうを積もうとしているので、見かねて皆で作業に取り込んで、トラックにも李先生、平野先生、学生も同乗して運搬した。

 午前中の作業を11:30まで行って、またバスの迎えを受けて門前地区から少し入り込んだの一画の古民家「搗き餅の館」?に案内された。ここでは3度目だという話であったが、私は16回目で初めての体験だった。
 李先生の説明では、ボランティアへのお礼にと米田地区住民から昼食を御馳走になったことがあったが、少しでも野田村に経済的な支援を行えないかという発案で、弘大後援会の資金を活用申請して、この家で弁当を作っていただいて支払う形にしたという。参加者がそれを、ありがたく利用させていただくことになったというのが事の経過らしい。

 およそ30人分の弁当が準備され、一時の賑やかな笑いの中で温かなお茶と弁当をごちそうになった。

 テーブルのセットから、後片付けも皆で手伝って昼食会が終えた。小豆餅や、さらには野田豆腐の「ゆかべ」と呼ばれる「寄せ豆腐」をごちそうになった。

 いつか野田村のにがりを使ったこの味わい豊かな「ゆかべ」を、我が法人でも開発してみたいと思っている。

 午後からまた同じ場所での作業が始まり、いつも思うことではあるが皆のチームワークは大したものだと思う。「阿吽の呼吸」というような教えてもできない相互の連携協力と、それぞれの持分の発揮がかなり効果として感じられるようになっていくのだ。 午後2時を過ぎた頃から小雨が降り始め、作業をさらに加速させて予定の場所までの約50メートルほどの側溝がみごと開通した。
 この日のバスの中での打合せでは、現地は雨なので作業はないかも・・・・だったことを考えれば、予定よりも長時間作業を行った計算にはなる。それ以上にこの土のう運びの半端じゃない重さに、メンバーの足腰の体力も限界だったのかも知れない。怪我もなく終えてほっとしたというところだろう。
 帰りの車中で李先生を始めとする事務局からの連絡事項・説明がなされた。次第に皆さんは疲労で舟漕ぎがあちこちで始まっていった。
 弘前市内は「弘高ねぷた」の運行日ということで、人々の場所取りがあちこちで始まっていた。弘前もそろそろねぷたの時期で、野田村からも約40名ほどが招待されると説明を受けている。弘大のねぷた運行の中に、我々「チームオール弘前」の黄緑のユニフォーム姿と野田村のマスコット「のんちゃん人形」がネプタとなって参加予定とも聞いている。初日は参加可能か・・・。