夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

激励

2007-03-31 07:16:16 | つれづれなるままに
 昨日、八戸市のM学園小児科医M先生から電話があった。久しぶりのお元気な声がそこにあった。それは横浜市の訪問の家・理事長 日浦美智江さんをお呼びして、4月22日(日)に13時から青森県重症心身障害児(者)を守る会総会の後で「記念講演会」を開催することの案内用チラシを、先生にメールで送付したお礼だった。
 「早速学園内に3枚印刷して掲示しておいたわよ。これからこういうことを契機に、守る会の活動を活発化させてよね!」という温かな激励だった。
 先生は沖縄出身なのに、北国の生活を長くされていて、大変だろうなあといつも思う。重症児の傍らに先生のような温かな心の専門家がいつも優しい微笑みと一緒に、寄り添っていてくれるのはなんという心丈夫だろうか。私と殆ど同じ世代だと思うが、ありがたいことだと思う。
 先般も、守る会の記念誌「十年の歩み」にご寄稿をいただき、その中で「守る会の十年はよく頑張ったと思う。でも最近は少し低調。何よりも若い親たちが入って来ていない気がする。もう少し頑張らないと、会の活動は低下するばかり。頑張れ!!」といった内容だった。正しくそのとおりだ。40~50年前のような戦後の何もない時代には、目標が具体的に見えることもあるだろうが、何よりも精神の中での構築として障害者運動が芽生えた時代があった。NHKの番組で「糸賀一雄」先生の近江学園やびわこ学園の取り組みが紹介されていて、その時代を思いやった。戦後の混乱期からの児童問題とりわけ、重度障害者の問題など誰が力を入れるというのだろうか。そういう時代に糸賀・池田・田中の三大偉人が立ち上がって運動を起こしたからこそ現在があるのではないか。
 しかしそれからどんどん情報やハード面だけが豊かになって、現在はまったく努力しなくても何とかなる時代になって来たような錯覚に陥ってしまっている気がする。自分がやらなくてもなんとかなる。そういった考えの人々が多くなって来たのではないだろうか。しかし確実かつ普遍的な課題として、Aging(加齢)という課題が誰にでも降りかかり、そのことによる生活課題は尽きない。そして、その時々に巻き起こる「生命の質や人間の尊厳がどうあるべきなのか」という命題が、そこには横たわっているのではないだろうか。
 重度重複の重症児を若いうちは親も支えることはできても、次の世代に依頼する時にそのいのちに対する価値観こそが問題なのだ。
 ただ生かされているだけでは、親としては余りにも切ない気がする。そういうことにしないためには、いつの時代にも変わらない、温かなハートと温たかな手がその人々の周囲を包んでいてほしいと願う。いや、願うだけではそうはなって行かないのだ。みんなで意識を常に醸成し、社会にその魂としての理解とあるべき姿を広げ、継承させていかなければ、もの言えない重症の人々は辛い人生を過ごさなければならないのだ。辛さに一本の線を加えること。その一本の線こそが親を初めとする当事者運動なのだと思う。そうして「幸」という実態が生まれるのだから。

・起耕して土壌を肥やし種を蒔きお日様雨水味方につけて

 

祝辞 その1 部下の結婚披露宴

2007-03-30 23:00:50 | 創作(etude)
 Eさん、ご結婚おめでとうございます。そしてご両家のご両親様をはじめご親族の皆様方に心よりお祝いを申し上げます。
 さて、このようなおめでたいお席で、私如きがEさんの日頃の仕事振りについて褒め称えたところで、お聞きになられる皆様は、お決まりの世辞がまた始まったと思われることでしょう。たまには、こういう場での祝辞に、本音を語る祝辞があってもよいのではないかと、きょうはそう思っています。
 Eさんは私の職場の正職員で「生活支援員」として、4年前に採用されました。
 Eさんの第一印象としては、見るからに品が良さそうで、こういう知的制約者の職場には不向きではないかと思いました。きっと「きつい、きたない、給料が安い」を代表とする3Kの職場に彼女は勤まらないのではないかという不安を少なからず持ったからです。
 皆さんはご存知かどうか分かりませんが、知的制約者の通う私どもの職場は、20人の定員施設と15名のパンの製造工場とお店、そして関連事業として、障害児の放課後をお預かりうする事業で20名のお子様をお預かりしていますが、その半数は最重度、あるいは重度の方々で、身辺自立はもとより、全部誰かのお世話にならないと過ごせないばかりか、言葉も話すことができない方々が大半です。よだれやおしっこもたらします。ご飯もこぼします。中には自分の体を傷つけるような行動をとる方や、物事にこだわってパニックを起こす方もあります。ウンチやおしっこをしても、自分から訴えることができず、皆職員の手に委ねなければ生きていけない方が多いのです。
 そういう職場に、掃き溜めに鶴のようなEさんが、職員として我慢して働けるとは思えませんでした。そういう意味では今までの6年間で何人もの職員が去って行きました。それくらい根気と体力と健康、福祉への理解、そして何よりも障害者福祉への情熱がなければ勤まらないからです。
 Eさんは社会福祉事業大学という福祉の名門大学を卒業され、国家資格である社会福祉士でもありますし、私どもの初代理事長の後輩でもあります。
 私は彼女が職場の中でどの程度の力を発揮するのかを、この目で見極めようと思っていましたし、またどのように育てたら良いのか戸惑っていました。
 彼女は内向的で、指示されたことはきちんとできるようでしたが、自分から何かを企画したり、提案したり、進んで行なうといったタイプではありませんでした。
 彼女の仕事は児童の短期入所事業で、いわゆる「学童保育」という放課後に障害児童を学校から迎えて楽しく過ごさせるための仕事で、夕方には家庭まで送るという仕事でした。そういう彼女でしたが、子どもは大好きなようで、子ども達からも大変に好かれて「EさんEさん」と慕われていたようです。Eさんは華奢な体を子ども達の前で存分に使って、大変だろうなという場面も辛抱して堪えてくれているのが次第に分かりました。
 私としては、彼女に社会福祉士の資格を活かして5年後には、相談員としての専門機能が発揮できるように希望していましたので、社会福祉士会や発達相談研究会、そして自閉症研究会への入会を勧めました。しかし、彼女はまじめにそれらに参加しても、中々職場で活かされているのが目には見えませんでした。結果、いまだに相談事業は私どもの施設には根付いていません。
 私は職員と毎年暮れに個別面接を行なって、希望の確認や本人の課題を話し合う機会を持っています。
 その場面で彼女は涙を流しながら、「私は施設長が期待するような人間でなく、荷が重過ぎるので、社会福祉士の看板を下ろしたい。ついては臨時職員として働いた方がどれくらい楽か分からないので、正職員から降格してくれませんか」と訴えられました。
 私はその時「社会福祉士としてのあなたを必要としたのであって、臨時職員としてのあなたを採用したわけではない。あなたを採用するために、何人もの希望者が不合格になったこともよく考えなさい。専門性を投げるような職員ならばこの職場には不要である。せっかく苦労して手にした専門の資格を、どのような形で困っている方々のために使えばよいのかをよく考えるように」と言い渡したことがありました。
 それから2年が経ちました。彼女は少しずつですが以前のような内向性が影をひそめ、一皮むけて積極的に動くいきいきとした姿がそこにありました。
そんな矢先に突然前触れもなく、彼女から今回の結婚退職の話が切り出されたのでした。
 「あの、施設長、私このたび結婚することになりました。」「うん?結婚??おめでとう。初耳だなあ。で、どこの人?」「横浜です」「横浜って、あの下北の横浜町?」「いいえ、神奈川県の方です」「あらー、そっちの横浜…」こうして、彼女の退職が決まりました。せっかく成長して着た彼女。さあこれからという時に、正直大変残念でなりません。こういう場面を、世の父親達はずっと繰り返し耐えて来たのだろうかとそう思いました。「とんびに油揚げをさらわれるとはこのことかもしれません。
 4年間の彼女の仕事が多くの制約者の家族の心にも大切な存在だったという思いが募り、感謝の気持ちと彼女の退職を惜しまれる声がたくさん彼女にも届いていたようです。
 彼女が送別会の場で「4年間のあうんの生活は大学を卒業したような気持ちです」と言われました。そしてこれからご結婚されるあなたは、ご主人とともに人生の夫婦生活を初めとする「家族福祉」をテーマにした、長い年月をかけての「人生大学院へ」ご入学となるのだと思います。どうかこれからも末永く温かなご家庭をご主人と手を携えて築かれ、お幸せになられますことを、心よりお祈り申し上げ、粗辞ではございますが、お祝いの言葉とさせていただきます。
 本日はご結婚誠におめでとうございました。

 一句 「嫁ぎ行く天塩にかけし娘こそ新たな土地に根付け花咲け」
 

出会いと別れの時期

2007-03-30 07:09:59 | つれづれなるままに
 年度末の3月が間もなく終わりですね。わが法人もこの3月で、新規事業への移行があり、結果的に何人かの職員の採用と、職員の退職があります。
 採用予定者は6人、退職者は4人でした。
 職員は恒例の色紙にお別れの言葉を本人に知られないようにという配慮で、結果的に私のいる部屋に来て、こそこそと書いています。きょうが利用者とともに、その送別会をする日なのです。明日は夜職員の「歓送迎会」が開催されることになっています。そんなこんなで、なんだか気ぜわしいですね。
 4月1日は日曜日のスタートですから、正確には2日(月)が新年度のスタートになります。あうんの利用児童も入学式は4月6日ですから、その間は春休みで、日常とは違って朝から夕方までとってもにぎやかです。
 昨日は北海道から実家の弘前市に戻って来たという方が、あうんの入所手続きに来ました。あうんはこういう遠方の方が結構埼玉県やら宮城県、島根県、そして今回の北海道などいろんなところからやって来ます。言葉も色々で、利用される方も地元の言葉に面食らうことでしょう。そして、あうんの利用者もそういう雰囲気を察してか、情動不安を起こして泣いたりなどのパニックを起こす方も多くなります。また「あうん」や「ゆいまある」そして「ノーム」での新たなドラマが始まります。

 ・年度末 来る風もあり 行く風もある

  ・鰊干す弥生の空に別れ雨
 
・遠方に嫁すという君初々し明日を限りの遣らずの雨か

送迎サービス

2007-03-30 06:49:19 | 福祉について
 昨日、福祉サービスの利用者が一番先に欠かせない「送迎サービス」のそれぞれのコースを見直し、チェックのために主任とともに回った。
 送迎サービスの利用者ニーズとしては
 ①身近に利用可能な施設がない(もしくは定員が満杯)ために遠方の利用可能な施設を  利用
 ②保護者が稼動(共稼ぎ)していて、送迎に回れない
 ③保護者が車を運転できない
 ④子どもの通う学校が養護学校などの特殊学校で、遠方のため送迎が困難
などが上げられる。

 利用者数は全体では30名~35名を見ている。
 今回新規事業への移行による事業所の増設があること、そのために利用者増や委託事業者との契約解除もあり、新たに送迎を法人で開設しなければならなくなったこと。また、送迎費用を少しでも圧縮させるためが主な理由だった。
 送迎コースは朝夕ほぼ3コースなのだが、何しろ時間を指定してくる利用者があり、そのために非常に非効率的な送迎が出現してくる。施設の営業時間は8:30~17:30であり、その勤務時間で職員は動くのだから
 朝 7:00~8:30
 夕18:00~19:00
 上記の時間などの利用があれば当然、職員が前後に動かざるを得なくなってくる。
 早番 6:30~15:30
 遅番10:30~19:30
 指定の時間以外の利用者は朝8:30~17:30の間に送迎すればよいのだが、上記の利用者があるために、同じコースを2度回るなどが出てくる。
 昨日は結果的に、朝のコースを回ったのだが、9人の送迎を完了するのに2時間もかかっている。これを毎日朝夕繰り返すわけだ。
 なんでこんなに苦労してまで、送迎サービスを行うかといえば
 ①生活ニーズに密着したサービスがないと、施設入所を余儀なくされたり、家庭から出られない制約者が増えること。(もしくは介護者が時間的身体的に拘束されること)
 ②施設も遠方からでも利用者を確保することが、経営の安定化をもたらすこと。
 ③通所施設の場合送迎の機会が保護者との連絡の機会でもあること。信頼関係が構築できる場である。
                               などが上げられる。
 いずれにしても、それを実際に体験してみて、一人一人の生活を守るということ(支える)は、こんなにも大きな力を要することが腰の鈍い痛みとともに理解できた。

おめでとう!

2007-03-29 20:50:26 | つれづれなるままに
 今朝、Mさんからの電話があった。久しぶりの電話の声だった。あらたまっての電話なので、何か異変がありそうだったが、ぼくはいつもの調子で、おどけて受け答えしていた。「実は…」実はで始まることで今まで良い話を余り聞いたことがないので、一瞬不安感がよぎった。4月から通所施設の施設長に異動だという。なんだいい話じゃないか!ならばもっと嬉しそうに言えよ!と言いたかったが、結局「おめでとう!」と言う言葉になってしまった。
 彼女は40代で施設長だから、結構出世だろう。
ぼくのとりあえずは教え子のひとりと言うことになる。彼女と同じ本体施設の方の施設長も、まだ40代で、同じ学校の教え子のひとりだが、ぼくは何を彼等に伝えたのかよくわからない。
 それなりに皆、年取ってきたということだろうが、でもなんだか嬉しい限りだ。彼女は今の施設に入る前に、私が作業所をスタートした時の助っ人で、最初に手伝ってもらい、いまだに法人の役員やら、なんだかんだお願いして現在に至っている。
 祝杯をあげたいねと、最後に結んで電話を終えた。おめでとうMさん。君の実力だよ。ケッパレ!!

足踏みの春

2007-03-29 07:17:34 | つれづれなるままに
 今朝からまた雪が降って、一面の真っ白な雪景色だ。どうしたのだろうか。もう3月29日だというのにきょうは冬に逆戻りになっている。
 今朝の新聞には弘前の桜の開花が4月23日と予報されている。それでも例年よりも3日早いのだという。目の前にある景色は夢幻なのだろうか…。
 昨夜もスタッフは新しい計画準備のために、遅くまで残業をしている。新年度の事業移行が、何だか遠い絵空事のように思える。でも何と言ってもあと3日だけだ。やるしかない。越えなければならない壁なのだ。
 

それぞれの役割

2007-03-29 07:06:53 | 創作(etude)
 夢がある
 夢をデザインする人がいる
 デザインを科学する人がいる
 科学は計算される 
 計算は確率を生み出す
 確立は物を作り出していく
 確立のつくった物は
 どんどん増えていく
 増えていく物を作る人々が増えていく
 その物を組み立てる人がいる

 夢がある
 その夢を実現したいと思う人がいる
 実現したい夢を具体化する人がいる
 具体化する人はイメージする人に鍛えられる
 鍛えられる人はイメージも鍛えられる
 鍛え方が足りないと
 命がいくつあっても足りなくなる
 でもその人が死んだとしても
 夢はなくならない
 又次の人を鍛えていくからだ

 こうして宇宙計画ができあがった
 宇宙飛行をするスペースシャトルと
 そのシャトルに宇宙飛行士が搭乗する
 宇宙を目指す人とそれを下で支える人が
 ここで役割が分けられる
 宇宙に行けるシャトルと発射台が分けられる
 大気圏までの燃料タンクと
 大気圏外を飛行するシャトルが
 その役割が分かれて行く
 それでも成功しても失敗しても一蓮托生だ

 みんなで夢を担いでいるのだ
 一人ひとりは部分だが
 集まっていけばそれは力だ
 みんながそれぞれの役割を自覚して
 みんながそれぞれの100%を達成するのだ
 そうしなければ皆0%いやいや
 マイナスにさえなってしまうのだろう
 あいつがいてくれるから大丈夫だと
 関わるみんなが信じあって
 夢が実現するのだ夢はふくらむのだ

自閉症の少年に寄せる

2007-03-29 06:43:56 | 創作(etude)
 きみはまだ小学生
 華奢な姿態で
 走り回り
 いつもスタッフを
 ドキドキはらはらさせる

 学校からスタッフに迎えられて
 施設の玄関から駆け込んでくると
 きみは靴を蹴散らして
 次には着ている服を
 次々脱ぎ散らかしていく

 きみはまずパンツ一丁で
 机の上そして次はピアノの上
 食堂のテーブルの上を
 ピーターパンのように
 自在に駆けまわっている 

 きみはアトピーがひどい
 目の周囲や首にも背中から腹にも
 おびただしい傷跡や
 かさぶたが広がっている
 見るからに痛々しい

 きみは内側の心から
 血を流すかのように
 あちこちをけりつづける
 痛いだろうなあ
 でもその痛みよりも痛い心

 ボクヲミテヨ
 モットミテヨ
 ボクヲワカッテ
 ホラココニイルヨ
 ドウシテボクハヒトリナノ

 ママハボクヲキライナンダ
 イツモイライラシテイル
 ケサモボクノアタマヲタタクンダ
 ボクハタダダキシメテホシイノニ
 ボクノココロヲツカマエテホシイノニ

 
 

年度末・忙中に閑あり

2007-03-28 07:03:03 | Weblog
 このところ寒さ以上に風が強く、車のドアも開閉が大変なくらいだ。これが春風といわれる東風(こち)なのでしょうか?予報ではきょうも気温は最低温度4℃で、最高温度は11℃ということだからかなり温たかになって、気象予報ではテレビのアナウンサーが「タイヤ交換もOK」とのたまっていた。本当だろうか?
 昨夜は職員会議があり、夜9:00まで事業計画や規程・規則の変更事項、倫理綱領、法人の運営方針などを説明した。
 それにしても、スタッフが3名、利用者1名がインフルエンザでお休みをしており、今ごろ津軽で流行している。予防接種をしてもしなくてもA,Bが外れれば、何にもならないらしい。それにこのところのタミフルという抗生物質がいろいろな子ども達への異常行動疑惑もあって、何だかいつもの春と違う気がしている。これも春の兆しの一種なのだろうか?
 朝からヘルパーへの説明やら職場でもバタバタしており、来客対応、電話応対、重症児を守る会の記念講演の準備関係、新任研修などで息をつく閑もないくらいだったが、午後1時間30分に思い切って施設から抜け出して、マッサージを施術してもらうために車を走らせた。昨年の自転車事故以来、右肩が回復せず、痛みと言うのか「ガタが来た」といった方がよいのかもしれないような、ちょうつがいの異変が身体全体に影響を及ぼしている。
 1週間に1回だが、鍼灸マッサージ診療所のベッドの人になって、Tさんとの会話が心のマッサージにもなっている。時々、眠りの淵に落ち込み、意識を失っては「眠っていましたよ」と言われることもある。私の体の筋肉の凝りを、彼の指はたちまち探り当てて、「何でこんなところが凝ってるのかなあ?」などといわれると、「あーそれは、酒の飲みすぎのための肝臓が、お疲れなのかもしれないねえ」などと会話している。心の疲れは会話でほぐすしかない。それもT君との掛け合いでの笑いを楽しむことで、クリアーな状態になるのだ。こうして私の生活習慣病の一端が癒されて行く。
 帰還後にはまた、新任研修とH学院大学の実習についてF先生が来て、実習の中身を打ち合わせている。3月もいよいよ残り少なくなってきた。
 
 ・東風吹いて雪代の川水嵩み勢いづいて年度変わりぬ
 

引継ぎも大変

2007-03-27 22:43:07 | つれづれなるままに
 きょうから3日間4名の交代するヘルパー要員に、娘達のケアの仕方をオリエンテーションしなければならない。1回に4人も普段の家庭生活にはとても不似合いだし、かといって毎日同じことを話し、教えるのもしんどい話だ。一応マニュアルの如きものを作成して渡したが、それとて全てにわたっているわけではない。経験と言う慣れこそが一番だからだ。ヘルパー達の資質、そして障害者観、人間観、生活と言う価値観がどのようにあるのかにも、その快適性が異なってくるのかもしれない。
 自分は殆ど在宅しているから、月曜日~金曜日の週4日間はお手伝いをしてもらう感じだ。しかし合い間合い間には会議などの出張で不在となると、たちまちそこでそのケアのあり方が問われてくるのだ。私が在宅していれば私がやってしまう力仕事は、女で一人ではどうにもならない。それは布団に寝ている状態から座位させ、車椅子に約50キロの体重の娘を乗せなくてはならない。これは二人で状態と下肢を協力して持つしかないのだ。
 娘達二人の障害特性、嗜好、興味、遊び、移動、排せつケア、服薬の仕方、洗顔介助の仕方などなど一つ一つを根気よく教えるしかない。
 明日もあさっても、これを続けることを考えれば、自分ひとりでやっているほうがどれほど楽か分からない。でも、仕方ないか…。