夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

一期一会

2014-04-03 06:44:05 | 私と福祉とであいの旅
4月3日(木)晴れ

 今日はどうやら最高気温19℃ということで、気温だけは5月並みの気温らしい。白鳥がL字型に編隊を組んで青空を飛翔する姿がこのところの風物詩かもしれない。先頭の一羽がリーダーなのか、盛んに号令をかけて、後ろの鳥達がコーコーと返事をしているかのようだ。

 職場の周辺の雪もかなり消えて、建物の雪害をチェックするために歩いていると、温かな日差しの中バッケ(ふきのとう)やオオイヌノフグリの花が可憐に咲いているのに出会った。

 長い長い冬の津軽は雪の布団をかぶって、こうして自然に時が来ればその大地から次々と生命を育んでいるのだ。春はそんな誕生の姿に喜びを感じさせる。

 今朝方メールを開いたら、東京時代の職場の先輩から同僚だったKさんの逝去の知らせがあった。
 一緒に学生時代にヘルメットをかぶって、ベトナム戦争反対のデモに出かけた時期もあったことを思い出している。
 同じ職場にいて、妙に落ち着いたひょうひょうとした風貌は、坂本龍馬をイメージした時もあった。2つも癌を抱えて、先に逝ってしまった。癌は現代病の未だに制覇できない病の一つかもしれない。辛かっただろうなあ・・・。
 ご冥福をお祈りする。合掌

12,000歩の研修旅行

2014-03-17 06:53:54 | 私と福祉とであいの旅
3月17日(月)喉の異常で咳込みがち、熱なし

 昨日は深夜に降った雪が20センチほどもあって、研修疲れの身体にムチを打って雪かきをしました。本当は放っておいても雪は溶けるし、直接家にも害はないのです。
 でも、我が家の屋根の構造上、雪が降れば四方向に滑り落ちるようにしたものですから南側の寝室が屋根雪が落ちると真っ暗になってしまいました。それくらい我が家の冬は雪の壁の高さがあるのです。寝室が暗くなると、なんとなく憂鬱な気分での目覚めになりがちなので、外光が入りやすいように除雪をしました。少しだけスッキリ・・・。
 後はおとなしくしていようと終日パソコンの前で、雪解け後のアウトドアを夢見ている自分はyoutubeの「ソロキャンプ」を見て過ごしました。

 さて、14日にカミさんともどもケアホームスタッフと3人で、研修旅行に出かけました。

 「医療的ケアを含む重い障がいのある人の地域生活の実現のために」というテーマで開催された研修会です。

 重症心身障害の方々の多くが所属する「訪問の家 朋」の主催でした。重度の知的障がいと重度の肢体不自由を併せ持つ方々を称して「重症児(者)」とくくりの言葉があります。

 特に医療的ケアという医師や看護師の専門的なケアがなければ介護が受けられない症状の方々は、おかしな話ですが在宅ではその制度の未熟から母親が46時中のケアをしているのです。例えば「吸引」という行為は痰の除去、鼻腔栄養もしくは胃ろうという気管切開をして食事を直接胃に流し込む方法を取る人の場合は、チューブを出し入れすることなどは聴診器を当てチューブが入ったことを確認するなどがあり、医師か看護師にしか出来ないことになっています。最近は介護福祉士という国家資格を持つ人たちに関しては特別な研修実習を受ければ可能な場合もあるようです。(特別支援学校等)

 そういう方々の支援のあり方を振り返るために、「これまでからこれから」というテーマで利用者や保護者から聞き取りという形(インタビュー)で今後の支援のあり方を探ろうとした研究結果報告がありました。

 具体的には「これまでの暮らしで、福祉サービスや人との出会いの中で感じてこられたことや、今後のご自身・ご本人の生活に望まれること」等を明確化することのようです。

 ◎乳幼児期~家族がこの子とともに歩む暮らし方が見えない時期

  ・乳幼児期は障がいの受容をしにくい時期で、理解し後押ししてくれる医師の存在が大きい。
  ・家族の率直な心情を受け止めてくれる存在、そして仲間とのつながりが得られる場が上げられた。

 ◎学齢期~
 ・つながりの中でご本人が得ていく様々な感情・育ちが家族の大きな支えになり、「本人・家族にとって大事にしたい生活のあり方」のイメージが深まっていくと感じられた。さらに、「生活」を共感し合える新たな社会資源との出会いが求められる。

 ◎成人期~ 在宅生活が維持できなくなった先の不安が上げられた。
 ・本人家族にとって大事にしたい暮らしが継続できなくなることへの危惧」が背景にあった。

 ◎ケアホームに入居されている方の本人・家族から
 ・「望ましい暮らし方」を一貫して持ち続け、その実現を望まれてきた経緯を聞くことが出来た。
 ・実現に向けた後押しとなった出会いとして、関わる支援者が家族と同様に「本人にとって望ましい」という実感を持ち、実現に向けた支援を行ってきたことが背景にあった。(要約より)

 研究考察「重い障がいのある方々にとっての本人主体の生活実現」を図るため、必要な支援とはなど~ 下記の項目にそって発表がありました。
 
《確かにある、本人の思い》

《本人の思いを根拠にした支援を組み立てる》

《続けることでこそ得られる「関係性」》

《関係機関とのネットワーク支援の必要性》

《その実現に向けた取り組み》

 研究発表を基調としたシンポジウムがこの後にあり、重症児者の地域生活について先駆的な事例が話し合われました。

 印象的だったことは、「親なき後」という形での従来の語られ方から、「親が健在であれ、本人の主体性を奪って来た親を初めとする支援者たちの現状の中で、いかに主体性を尊重した生活の実現と本人の意向を寄り添いの支援の中で実現するか」が主要テーマであったように思う。

 帰宅後の万歩計は12,000歩だった。

 

 

後始末~嶽温泉は雪世界

2014-03-14 08:27:09 | 私と福祉とであいの旅
3月13日(木)雪

 朝起きたら玄関先に20センチ以上雪が積もっていて、慌てて除雪作業でした。でも下の方は雪が溶けはじめており、大地は温度を着実に溜め始めています。

 さて、昨日は先日卒業式に出かけたのですが、いつもお祝いを法人で届けていた慣習が手違いで届いておりませんでした。それで、きょうはそれを卒業生宅にお届けしてきました。写真のように嶽温泉はさすがに標高も高い分、白銀の別世界です。屋根雪も厚いまま、人影もなくひっそりしていました。
 

 この地に4年4ヶ月通い続けた20年前、この辛く厳しい季節が過ぎバッケ(ふきのとう)が顔を表した時の春を感じる温かな気持ちは忘れられない想い出です。

桃の節句

2014-03-03 22:02:27 | 私と福祉とであいの旅
3月3日(月)

 きょうは五節句の一つの、桃の節句。そしてあうんの「ひな祭り茶会」でした。
 写真は下川原焼の型で作られた20年前のお雛様セットです。70歳代のボランティアさんが、プレゼントしてくれました。ひな壇は職業訓練校の先生が作ってくれたのだそうです。素朴なこの雛人形は、なんとなく毎年光が増しているように感じられます。

 この日ボランティアさんや保護者の方、法人の理事、日頃から交流のある市民の方などがおいでになりました。

 ひな祭りの起源を聞けば、唐の時代に3人の娘をたてつづけになくした親が邪気払いのために雛人形を作って川に流したとか・・・。3月は季節の替り目でもあり、邪気を身に引き込みやすいのだそうで、身代わりとして雛人形を川に流したのが始まりということでした。初めは女性の節句の習わしではなかったのだそうですが、端午の節句(5月5日)ができて、次第女性の節句として定着したようです。

 私の実家でも5月5日の節句には、ひな壇に男の節句らしい人形が並べられていたのを思い出しています。男らしい人形とは、金太郎や坂田金時、虎退治をしたと言われる加藤清正人形などです。蔵から毎年出し入れするのですが、ネズミに食いちぎられた人形などもありましたから、ネズミが本当は一番強いのかもしれませんね。

 ちなみに我が家の雛人形です。

 ひな祭りまた一歩ずつ雪ゆるむ

おめでとう!「東北農民管弦楽団結成記念公演」大成功!!

2014-02-27 07:05:26 | 私と福祉とであいの旅
 2月23日(日)
 
 昨年の2月に花巻市での「宮沢賢治没後80周年記念」北海道農民管弦楽団公演を視聴し、今年は更に地元旧岩木町岩木文化センターあそベールにて「東北農民管弦楽団結成記念公演」を試聴することが出来ました。
 代表は私のお付き合いさせて頂いている「岩木山麓しらとり農場」のオーナー白取克之さん。宮沢賢治を介して私達の共通点があり、それが今回こういう形で結実されたことを深く敬意と感謝をしています。感激です!素晴らしい!!ブラボーです!!

 宮沢賢治の「農民芸術概論」「おれたちはみな農民である/ずいぶん忙しく仕事持つらい/芸術をもてあの灰色の労働を燃やせ」ではじまるこの著は、宮沢賢治と音楽、ことにベートーベンの交響曲第6番「田園」は宮沢賢治の意識して詩を書いた「小岩井農場」に対応した楽曲だという。「田園」の演奏時間とぴったり小岩井農場の詩の長さが、合致すると昨年の花巻の演奏会で聞いたように思います。

 小岩井農場

   パート一[#ゴシック体]
わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた
そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ
けれどももつとはやいひとはある
化学の並川さんによく肖(に)たひとだ
あのオリーブのせびろなどは
そつくりおとなしい農学士だ
さつき盛岡のていしやばでも
たしかにわたくしはさうおもつてゐた
このひとが砂糖水のなかの
つめたくあかるい待合室から
ひとあしでるとき……わたくしもでる
馬車がいちだいたつてゐる
馭者(ぎよしや)がひとことなにかいふ
黒塗りのすてきな馬車だ
光沢消(つやけ)しだ
馬も上等のハツクニー
このひとはかすかにうなづき
それからじぶんといふ小さな荷物を
載つけるといふ気軽(きがる)なふうで
馬車にのぼつてこしかける
 (わづかの光の交錯(かうさく)だ)
その陽(ひ)のあたつたせなかが
すこし屈んでしんとしてゐる
わたくしはあるいて馬と並ぶ
これはあるいは客馬車だ
どうも農場のらしくない
わたくしにも乗れといへばいい
馭者がよこから呼べばいい
乗らなくたつていゝのだが
これから五里もあるくのだし
くらかけ山の下あたりで
ゆつくり時間もほしいのだ
あすこなら空気もひどく明瞭で
樹でも艸でもみんな幻燈だ
もちろんおきなぐさも咲いてゐるし
野はらは黒ぶだう酒(しゆ)のコツプもならべて
わたくしを款待するだらう
そこでゆつくりとどまるために
本部まででも乗つた方がいい
今日ならわたくしだつて
馬車に乗れないわけではない
 (あいまいな思惟の蛍光(けいくわう)
  きつといつでもかうなのだ)
もう馬車がうごいてゐる
 (これがじつにいゝことだ
  どうしようか考へてゐるひまに
  それが過ぎて滅(な)くなるといふこと)
ひらつとわたくしを通り越す
みちはまつ黒の腐植土で
雨(あま)あがりだし弾力もある
馬はピンと耳を立て
その端(はじ)は向ふの青い光に尖り
いかにもきさくに馳けて行く
うしろからはもうたれも来ないのか
つつましく肩をすぼめた停車場(ば)と
新開地風の飲食店(いんしよくてん)
ガラス障子はありふれてでこぼこ
わらぢや sun-maid のから函や
夏みかんのあかるいにほひ
汽車からおりたひとたちは
さつきたくさんあつたのだが
みんな丘かげの茶褐や
繋(つなぎ)あたりへ往くらしい
西にまがつて見えなくなつた
いまわたくしは歩測のときのやう
しんかい地ふうのたてものは
みんなうしろに片附(づ)けた
そしてこここそ畑になつてゐる
黒馬が二ひき汗でぬれ
犁(プラウ)をひいて往つたりきたりする
ひはいろのやはらかな山のこつちがはだ
山ではふしぎに風がふいてゐる
嫩葉(わかば)がさまざまにひるがへる
ずうつと遠くのくらいところでは
鶯もごろごろ啼いてゐる
その透明な群青のうぐひすが
 (ほんたうの鶯の方はドイツ読本の
  ハンスがうぐひすでないよと云つた)
馬車はずんずん遠くなる
大きくゆれるしはねあがる
紳士もかろくはねあがる
このひとはもうよほど世間をわたり
いまは青ぐろいふちのやうなとこへ
すましてこしかけてゐるひとなのだ
そしてずんずん遠くなる
はたけの馬は二ひき

ひとはふたりで赤い
雲に濾(こ)された日光のために
いよいよあかく灼(や)けてゐる
冬にきたときとはまるでべつだ
みんなすつかり変つてゐる
変つたとはいへそれは雪が往き
雲が展(ひら)けてつちが呼吸し
幹や芽のなかに燐光や樹液(じゆえき)がながれ
あをじろい春になつただけだ
それよりもこんなせはしい心象の明滅をつらね
すみやかなすみやかな万法流転(ばんぼふるてん)のなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継起(けいき)するといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう
ほんたうにこのみちをこの前行くときは
空気がひどく稠密で
つめたくそしてあかる過ぎた
今日は七つ森はいちめんの枯草(かれくさ)
松木がをかしな緑褐に
丘のうしろとふもとに生えて
大へん陰欝にふるびて見える

パート二[#ゴシック体]
たむぼりんも遠くのそらで鳴つてるし
雨はけふはだいぢやうぶふらない
しかし馬車もはやいと云つたところで
そんなにすてきなわけではない
いままでたつてやつとあすこまで
ここからあすこまでのこのまつすぐな
火山灰のみちの分だけ行つたのだ
あすこはちやうどまがり目で
すがれの草穂(ぼ)もゆれてゐる
 (山は青い雲でいつぱい 光つてゐるし
  かけて行く馬車はくろくてりつぱだ)
ひばり ひばり
銀の微塵(みぢん)のちらばるそらへ
たつたいまのぼつたひばりなのだ
くろくてすばやくきんいろだ
そらでやる Brownian movement
おまけにあいつの翅(はね)ときたら
甲虫のやうに四まいある
飴いろのやつと硬い漆ぬりの方と
たしかに二重(ふたへ)にもつてゐる
よほど上手に鳴いてゐる
そらのひかりを呑みこんでゐる
光波のために溺れてゐる
もちろんずつと遠くでは
もつとたくさんないてゐる
そいつのはうははいけいだ
向ふからはこつちのやつがひどく勇敢に見える
うしろから五月のいまごろ
黒いながいオーヴアを着た
医者らしいものがやつてくる
たびたびこつちをみてゐるやうだ
それは一本みちを行くときに
ごくありふれたことなのだ
冬にもやつぱりこんなあんばいに
くろいイムバネスがやつてきて
本部へはこれでいいんですかと
遠くからことばの浮標(ブイ)をなげつけた
でこぼこのゆきみちを
辛うじて咀嚼(そしやく)するといふ風にあるきながら
本部へはこれでいゝんですかと
心細(こころぼそ)さうにきいたのだ
おれはぶつきら棒にああと言つただけなので
ちやうどそれだけ大(たい)へんかあいさうな気がした
けふのはもつと遠くからくる

パート三[#ゴシック体]
もう入口だ〔小岩井農場〕
 (いつものとほりだ)
混(こ)んだ野ばらやあけびのやぶ
〔もの売りきのことりお断り申し候〕
 (いつものとほりだ ぢき医院もある)
〔禁猟区〕 ふん いつものとほりだ
小さな沢と青い木(こ)だち
沢では水が暗くそして鈍(にぶ)つてゐる
また鉄ゼルの fluorescence
向ふの畑(はたけ)には白樺もある
白樺は好摩(かうま)からむかふですと
いつかおれは羽田県属に言つてゐた
ここはよつぽど高いから
柳沢つづきの一帯だ
やつぱり好摩にあたるのだ
どうしたのだこの鳥の声は
なんといふたくさんの鳥だ
鳥の小学校にきたやうだ
雨のやうだし湧いてるやうだ
居る居る鳥がいつぱいにゐる
なんといふ数だ 鳴く鳴く鳴く
Rondo Capriccioso
ぎゆつくぎゆつくぎゆつくぎゆつく
あの木のしんにも一ぴきゐる
禁猟区のためだ 飛びあがる
  (禁猟区のためでない ぎゆつくぎゆつく)
一ぴきでない ひとむれだ
十疋以上だ 弧をつくる
(ぎゆつく ぎゆつく)
三またの槍の穂 弧をつくる
青びかり青びかり赤楊(はん)の木立
のぼせるくらゐだこの鳥の声
  (その音がぼつとひくくなる
   うしろになつてしまつたのだ
   あるいはちゆういのりずむのため
   両方ともだ とりのこゑ)
木立がいつか並樹になつた
この設計は飾絵(かざりゑ)式だ
けれども偶然だからしかたない
荷馬車がたしか三台とまつてゐる
生(なま)な松の丸太がいつぱいにつまれ
陽(ひ)がいつかこつそりおりてきて
あたらしいテレピン油の蒸気圧(じようきあつ)
一台だけがあるいてゐる
けれどもこれは樹や枝のかげでなくて
しめつた黒い腐植質と
石竹(せきちく)いろの花のかけら
さくらの並樹になつたのだ
こんなしづかなめまぐるしさ

この荷馬車にはひとがついてゐない
馬は払ひ下げの立派なハツクニー
脚のゆれるのは年老つたため
 (おい ヘングスト しつかりしろよ
  三日月みたいな眼つきをして
  おまけになみだがいつぱいで
  陰気にあたまを下げてゐられると
  おれはまつたくたまらないのだ
  威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ)
ぜんたい馬の眼のなかには複雑なレンズがあつて
けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる…

……馬車挽きはみんなといつしよに
向ふのどてのかれ草に
腰をおろしてやすんでゐる
三人赤くわらつてこつちをみ
また一人は大股にどてのなかをあるき
なにか忘れものでももつてくるといふ風(ふう)……(蜂函の白ペンキ)
桜の木には天狗巣病(てんぐすびやう)がたくさんある
天狗巣ははやくも青い葉をだし
馬車のラツパがきこえてくれば
ここが一ぺんにスヰツツルになる
遠くでは鷹がそらを截つてゐるし
からまつの芽はネクタイピンにほしいくらゐだし
いま向ふの並樹をくらつと青く走つて行つたのは
(騎手はわらひ)赤銅(しやくどう)の人馬(じんば)の徽章だ

パート四[#ゴシック体]
本部の気取(きど)つた建物が
桜やポプラのこつちに立ち
そのさびしい観測台のうへに
ロビンソン風力計の小さな椀や
ぐらぐらゆれる風信器を
わたくしはもう見出さない
 さつきの光沢消(つやけ)しの立派な馬車は
 いまごろどこかで忘れたやうにとまつてようし
 五月の黒いオーヴアコートも
 どの建物かにまがつて行つた
冬にはこゝの凍つた池で
こどもらがひどくわらつた
 (から松はとびいろのすてきな脚です
  向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか
  それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか
  氷滑りをやりながらなにがそんなにをかしいのです
  おまへさんたちの頬つぺたはまつ赤ですよ)
葱いろの春の水に
楊の花芽(ベムベロ)ももうぼやける……
はたけは茶いろに掘りおこされ
廐肥も四角につみあげてある
並樹ざくらの天狗巣には
いぢらしい小さな緑の旗を出すのもあり
遠くの縮れた雲にかかるのでは
みづみづした鶯いろの弱いのもある……
あんまりひばりが啼きすぎる
  (育馬部と本部とのあひだでさへ
   ひばりやなんか一ダースできかない)
みじかい素朴な電話ばしらが
右にまがり左へ傾きひどく乱れて
まがりかどには一本の青木
 (白樺だらう 楊ではない)
耕耘部へはここから行くのがちかい
ふゆのあひだだつて雪がかたまり
馬橇(ばそり)も通つていつたほどだ
 (ゆきがかたくはなかつたやうだ
  なぜならそりはゆきをあげた
  たしかに酵母のちんでんを
  冴えた気流に吹きあげた)
あのときはきらきらする雪の移動のなかを
ひとはあぶなつかしいセレナーデを口笛に吹き
往つたりきたりなんべんしたかわからない
   (四列の茶いろな落葉松(らくえふしよう))
けれどもあの調子はづれのセレナーデが
風やときどきぱつとたつ雪と
どんなによくつりあつてゐたことか
それは雪の日のアイスクリームとおなじ
 (もつともそれなら暖炉(だんろ)もまつ赤(か)だらうし
  muscovite も少しそつぽに灼(や)けるだらうし
  おれたちには見られないぜい沢(たく)だ)
春のヴアンダイクブラウン
きれいにはたけは耕耘された
雲はけふも白金(はくきん)と白金黒(はくきんこく)
そのまばゆい明暗(めいあん)のなかで
ひばりはしきりに啼いてゐる
  (雲の讃歌(さんか)と日の軋(きし)り)
それから眼をまたあげるなら
灰いろなもの走るもの蛇に似たもの 雉子だ
亜鉛鍍金(あえんめつき)の雉子なのだ
あんまり長い尾をひいてうららかに過ぎれば
もう一疋が飛びおりる
山鳥ではない
 (山鳥ですか? 山で? 夏に?)
あるくのははやい 流れてゐる
オレンヂいろの日光のなかを
雉子はするするながれてゐる
啼いてゐる
それが雉子の声だ
いま見はらかす耕地のはづれ
向ふの青草の高みに四五本乱れて
なんといふ気まぐれなさくらだらう
みんなさくらの幽霊だ
内面はしだれやなぎで
鴾(とき)いろの花をつけてゐる
  (空でひとむらの海綿白金(プラチナムスポンヂ)がちぎれる)
それらかゞやく氷片の懸吊(けんてう)をふみ
青らむ天のうつろのなかへ
かたなのやうにつきすすみ
すべて水いろの哀愁を焚(た)き
さびしい反照(はんせう)の偏光(へんくわう)を截れ
いま日を横ぎる黒雲は
侏羅(じゆら)や白堊のまつくらな森林のなか
爬虫(はちゆう)がけはしく歯を鳴らして飛ぶ
その氾濫の水けむりからのぼつたのだ
たれも見てゐないその地質時代の林の底を
水は濁つてどんどんながれた
いまこそおれはさびしくない
たつたひとりで生きて行く
こんなきままなたましひと
たれがいつしよに行けようか
大びらにまつすぐに進んで
それでいけないといふのなら
田舎ふうのダブルカラなど引き裂いてしまへ

それからさきがあんまり青黒くなつてきたら……
そんなさきまでかんがへないでいい
ちからいつぱい口笛を吹け
口笛をふけ 陽(ひ)の錯綜(さくそう)
たよりもない光波のふるひ
すきとほるものが一列わたくしのあとからくる
ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り
またほのぼのとかゞやいてわらふ
みんなすあしのこどもらだ
ちらちら瓔珞(やうらく)もゆれてゐるし
めいめい遠くのうたのひとくさりづつ
緑金寂静(ろくきんじやくじやう)のほのほをたもち
これらはあるいは天の鼓手(こしゆ) 緊那羅(きんなら)のこどもら
 (五本の透明なさくらの木は
  青々とかげろふをあげる)
わたくしは白い雑嚢をぶらぶらさげて
きままな林務官のやうに
五月のきんいろの外光のなかで
口笛をふき歩調をふんでわるいだらうか
たのしい太陽系の春だ
みんなはしつたりうたつたり
はねあがつたりするがいい
  (コロナは八十三万二百……)
あの四月の実習のはじめの日
液肥をはこぶいちにちいつぱい
光炎菩薩太陽マヂツクの歌が鳴つた
  (コロナは八十三万四百……)
ああ陽光のマヂツクよ
ひとつのせきをこえるとき
ひとりがかつぎ棒をわたせば
それは太陽のマヂツクにより
磁石のやうにもひとりの手に吸ひついた
  (コロナは七十七万五千……)
どのこどもかが笛を吹いてゐる
それはわたくしにきこえない
けれどもたしかにふいてゐる
  (ぜんたい笛といふものは
   きまぐれなひよろひよろの酋長だ)

みちがぐんぐんうしろから湧き
過ぎて来た方へたたんで行く
むら気な四本の桜も
記憶のやうにとほざかる
たのしい地球の気圏の春だ
みんなうたつたりはしつたり
はねあがつたりするがいい

   パート五[#ゴシック体]
   パート六[#ゴシック体]
   パート七[#ゴシック体]
とびいろのはたけがゆるやかに傾斜して
すきとほる雨のつぶに洗はれてゐる
そのふもとに白い笠の農夫が立ち
つくづくとそらのくもを見あげ
こんどはゆつくりあるきだす
 (まるで行きつかれたたび人だ)
汽車の時間をたづねてみよう

こゝはぐちやぐちやした青い湿地で
もうせんごけも生えてゐる
 (そのうすあかい毛もちゞれてゐるし
  どこかのがまの生えた沼地を
  ネー将軍麾(き)下の騎兵の馬が
  泥に一尺ぐらゐ踏みこんで
  すぱすぱ渉つて進軍もした)
雲は白いし農夫はわたしをまつてゐる
またあるきだす(縮れてぎらぎらの雲)
トツパースの雨の高みから
けらを着た女の子がふたりくる
シベリヤ風に赤いきれをかぶり
まつすぐにいそいでやつてくる
(Miss Robin)働きにきてゐるのだ
農夫は富士見の飛脚のやうに
笠をかしげて立つて待ち
白い手甲さへはめてゐる もう二十米だから
しばらくあるきださないでくれ
じぶんだけせつかく待つてゐても
用がなくてはこまるとおもつて
あんなにぐらぐらゆれるのだ
 (青い草穂は去年のだ)
あんなにぐらぐらゆれるのだ
さはやかだし顔も見えるから
ここからはなしかけていゝ
シヤツポをとれ(黒い羅紗もぬれ)
このひとはもう五十ぐらゐだ
 (ちよつとお訊(ぎ)ぎ申しあんす
  盛岡行ぎ汽車なん時だべす)
 (三時だたべが)
ずゐぶん悲しい顔のひとだ
博物館の能面にも出てゐるし
どこかに鷹のきもちもある
うしろのつめたく白い空では
ほんたうの鷹がぶうぶう風を截る
雨をおとすその雲母摺(きらず)りの雲の下
はたけに置かれた二台のくるま
このひとはもう行かうとする
白い種子は燕麦(オート)なのだ
  (燕麦播(オートま)ぎすか)
  (あんいま向(もご)でやつてら)
この爺(ぢい)さんはなにか向ふを畏れてゐる
ひじやうに恐ろしくひどいことが
そつちにあるとおもつてゐる
そこには馬のつかない廐肥車(こやしぐるま)と
けはしく翔ける鼠いろの雲ばかり
こはがつてゐるのは
やつぱりあの蒼鉛(さうえん)の労働なのか
  (こやし入れだのすか
   堆肥(たいひ)ど過燐酸(くわりんさん)どすか)
  (あんさうす)
  (ずゐぶん気持のいゝ処(どご)だもな)
  (ふう)
この人はわたくしとはなすのを
なにか大へんはばかつてゐる
それはふたつのくるまのよこ
はたけのをはりの天末線(スカイライン)
ぐらぐらの空のこつち側を
すこし猫背(ねこぜ)でせいの高い
くろい外套の男が
雨雲に銃を構へて立つてゐる
あの男がどこか気がへんで
急に鉄砲をこつちへ向けるのか
あるいは Miss Robin たちのことか
それとも両方いつしよなのか
どつちも心配しないでくれ
わたしはどつちもこはくない
やつてるやつてるそらで鳥が
 (あの鳥何て云ふす 此処らで)
 (ぶどしぎ)
 (ぶどしぎて云ふのか)
 (あん 曇るづどよぐ出はら)
から松の芽の緑玉髄(クリソプレース)
かけて行く雲のこつちの射手(しやしゆ)は
またもつたいらしく銃を構へる
 (三時の次あ何時だべす)
 (五時だべが ゆぐ知らない)
過燐酸石灰のヅツク袋
水溶(すゐよう)十九と書いてある
学校のは十五%だ
雨はふるしわたくしの黄いろな仕事着もぬれる
遠くのそらではそのぼとしぎどもが
大きく口をあいてビール瓶のやうに鳴り
灰いろの咽喉の粘膜に風をあて
めざましく雨を飛んでゐる
少しばかり青いつめくさの交つた
かれくさと雨の雫との上に
菩薩樹(まだ)皮の厚いけらをかぶつて
さつきの娘たちがねむつてゐる
爺(ぢい)さんはもう向ふへ行き
射手は肩を怒らして銃を構へる
  (ぼとしぎのつめたい発動機は……)
ぼとしぎはぶうぶう鳴り
いつたいなにを射たうといふのだ
爺さんの行つた方から
わかい農夫がやつてくる
かほが赤くて新鮮にふとり

セシルローズ型の円い肩をかゞめ
燐酸のあき袋をあつめてくる
二つはちやんと肩に着てゐる
  (降つてげだごとなさ)
  (なあにすぐ霽れらんす)
火をたいてゐる
赤い焔もちらちらみえる
農夫も戻るしわたくしもついて行かう
これらのからまつの小さな芽をあつめ
わたくしの童話をかざりたい
ひとりのむすめがきれいにわらつて起きあがる
みんなはあかるい雨の中ですうすうねむる
  (うな いいをなごだもな)
にはかにそんなに大声にどなり
まつ赤になつて石臼のやうに笑ふのは
このひとは案外にわかいのだ
すきとほつて火が燃えてゐる
青い炭素のけむりも立つ
わたくしもすこしあたりたい
  (おらも中(あだ)つでもいがべが)
  (いてす さあおあだりやんせ)
  (汽車三時すか)
  (三時四十分
   まだ一時にもならないも)
火は雨でかへつて燃える
自由射手(フライシユツツ)は銀のそら
ぼとしぎどもは鳴らす鳴らす
すつかりぬれた 寒い がたがたする
パート九[#ゴシック体]
すきとほつてゆれてゐるのは
さつきの剽悍(へうかん)な四本のさくら
わたくしはそれを知つてゐるけれども
眼にははつきり見てゐない
たしかにわたくしの感官の外(そと)で
つめたい雨がそそいでゐる
 (天の微光にさだめなく
  うかべる石をわがふめば
  おゝユリア しづくはいとど降りまさり
  カシオペーアはめぐり行く)
ユリアがわたくしの左を行く
大きな紺いろの瞳をりんと張つて
ユリアがわたくしの左を行く
ペムペルがわたくしの右にゐる
……………はさつき横へ外(そ)れた
あのから松の列のとこから横へ外れた
  幻想が向ふから迫つてくるときは
   もうにんげんの壊れるときだ
わたくしははつきり眼をあいてあるいてゐるのだ
ユリア ペムペル わたくしの遠いともだちよ
わたくしはずゐぶんしばらくぶりで
きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た
どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを
白堊系の頁岩の古い海岸にもとめただらう
  あんまりひどい幻想だ
わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ
どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは
ひとはみんなきつと斯ういふことになる
きみたちとけふあふことができたので
わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから
血みどろになつて遁げなくてもいいのです
 (ひばりが居るやうな居ないやうな
  腐植質から麦が生え
  雨はしきりに降つてゐる)
さうです 農場のこのへんは
まつたく不思議におもはれます
どうしてかわたくしはここらを
der heilige Punkt と
呼びたいやうな気がします
この冬だつて耕耘部まで用事で来て
こゝいらの匂のいゝふぶきのなかで
なにとはなしに聖いこころもちがして
凍えさうになりながらいつまでもいつまでも
いつたり来たりしてゐました
さつきもさうです
どこの子どもらですかあの瓔珞をつけた子は
  そんなことでだまされてはいけない
   ちがつた空間にはいろいろちがつたものがゐる
   それにだいいちさつきからの考へやうが
   まるで銅版のやうなのに気がつかないか
雨のなかでひばりが鳴いてゐるのです
あなたがたは赤い瑪瑙の棘でいつぱいな野はらも
その貝殻のやうに白くひかり
底の平らな巨きなすあしにふむのでせう
   もう決定した そつちへ行くな
   これらはみんなただしくない
   いま疲れてかたちを更へたおまへの信仰から
   発散して酸えたひかりの澱だ
  ちひさな自分を劃ることのできない
 この不可思議な大きな心象宙宇のなかで
もしも正しいねがひに燃えて
じぶんとひとと万象といつしよに
至上福祉にいたらうとする
それをある宗教情操とするならば
そのねがひから砕けまたは疲れ
じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする
この変態を恋愛といふ
そしてどこまでもその方向では
決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を
むりにもごまかし求め得ようとする
この傾向を性慾といふ
すべてこれら漸移のなかのさまざまな過程に従つて
さまざまな眼に見えまた見えない生物の種類がある
この命題は可逆的にもまた正しく
わたくしにはあんまり恐ろしいことだ
けれどもいくら恐ろしいといつても
それがほんたうならしかたない
さあはつきり眼をあいてたれにも見え
明確に物理学の法則にしたがふ
これら実在の現象のなかから
あたらしくまつすぐに起て
明るい雨がこんなにたのしくそそぐのに
馬車が行く 馬はぬれて黒い
ひとはくるまに立つて行く
もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
ラリツクス ラリツクス いよいよ青く
雲はますます縮れてひかり
わたくしはかつきりみちをまがる

(一九二二、五、二一)

 

瞑想への誘い

2014-02-25 07:20:46 | 私と福祉とであいの旅
2月24日(月)☀

 午前中パン工房「ゆいまある」にて、市内で20年間パン製造していたNさん夫妻と面談をした。
 私が無認可施設を起こしたのと同じ時期に、ご夫妻も店を開業したのだった。そして「岩木山麓しらとり農場」との関わりを持つのは、一つの機縁としか言い様がない。

 Nさんの奥さんの両親の高齢化による、介護問題で店を閉店するという。市内では名の売れたお店で、このまま終えてしまうのはもったいないと感じていた。

 Nさんのパンの師匠も、後年は障害者施設でパンを教えて仕合せだったという話を聞いていたと語った。奥さんは実家で両親のケアに当たるので、現場を去るのだという。後継者がいないという中で、我々の法人のパン工房に迎えてほしいという願いを今はまたありがたい話として受け入れようと思っている。

さて、午後からは奈良裕之さんのパーカッションコンサートです。鳥井野町会の獅子踊り保存会の大高勝造さんも踊りで参加です。
 
  

 コンサート前に奈良さん、大高さんと雑談をしながら、瞑想について奈良さんの体験を拝聴。「瞑想ってどんな感じなの?」と聞いてみました。身体がフワーッと浮いたようなとっても気持ちのよい状態ということでした。
 もう一つのポイントが、「身体を前に投げ出す感じ・・・」
 体験してみないとわからないことですが、目は閉じる、呼吸は?音、匂い、雑念処理と、考えるだけではなかなか埒が開きませんね。

 一度試してみたいと思っています。身体と精神のバランスを整えるのには最適とのことですが、果たして体験できるでしょうか?????

 

ハンサムウーマン

2014-02-20 07:04:14 | 私と福祉とであいの旅
 2月19日(水)PM6:30~ 

 集会所「indria」にて「ハンサムウーマン」が開催されました。参加者はほぼ20名ほど。今回のゲストスピーカーは、弘前大学人文学部教授 李先生。野田村の報告をお聞きしました。
 2011年3月11日(金)PM2:46が東日本大震災発生の日時です。
 その日から3年が経過しようとしています。野田村の人口は1,400世帯で約4,400人。震災以来人口は減り続けています。これは野田村そのものには地場産業がなく、お隣の久慈市は「あまちゃん」ブームの影響もあり、人が集まりやすいようです。
 野田村の復興は釜石などに比較すれば、幾分速いペースで進んでいるようです。しかし李教授によれば、仮設住宅や集合住宅の高台移設により、コミュニティがその都度壊されて行き、住民同士の孤立感が高まっているということでした。もう一つはどこの地域も同じですが、高齢化率の高まりの課題です。
 昨日の報告で唯一希望というのか、明るい話題は、震災の被災者は東北だけではなく、25年前の奥尻島津波、19年前の阪神淡路、10年前の中越地震など時間の経過はあれ日本全国にあるのです。この被災者の集いが野田村であり、先輩と後輩という関係の中で、今現在の自分の不安感が解消されることもあるということでした。エンパワメントという力、ピアカウンセリング的な機能もそこには期待されるのかもしれません。


誕生日はindriaで

2014-02-07 20:00:38 | 私と福祉とであいの旅
2月7日(金)

 PM5:00~PM7:00 弘前市紙漉町・集会所「indria」にて、二度目のケアホーム主催の誕生会(前回はネネム)を開催しました。今回は次女マミミの36歳のバースディ・イブです。利用者4名とスタッフ、両親の計11名です。

 このお店の食事はとってもヘルシーメニュー。マミは腸に難点をかかえているので、とっても安心していただけます。


 おからハンバーグ、おからこんにゃくのステーキ風、かぼちゃサラダ、ゴボウの酢締め、野菜サラダ、人参、ジャガイモと凍み豆腐、ミニトマトのスープ、赤カブ漬け、玉子焼き雑穀ごはん、デザートはシフォンケーキと月桃茶(げっとうちゃ)でした。これだけで十分にお腹は満腹。楽しい時間もあっという間に、2時間がたちました。
最後にみんなで記念写真。

 ・温かきままに祝いの卓囲み家族の如き心語らう

 ・きみ今は三十六歳夢のごと病魔の日々に祈りもあった

連日の新年会

2014-01-11 08:56:10 | 私と福祉とであいの旅
1月10日(金)PM3:00~K・K邸

 弘前市に来てからもう36年目。その年数の中で最も長くお付き合いさせて頂いているのが、Kさん(65歳)ご夫妻と一家。
 初めの出会いは53年。弘前市福祉事務所保護課での臨時職員として働いた6ヶ月間。そして翌年から特別養護老人ホーム生活指導員として研修所で再会。毎晩語り合い飲んだ。
 その後も家族づきあいをさせていただき、二人のお子さんももう40歳近くなって昨年ご長男もめでたくご結婚されたばかり。
 Kさんは引退され、奥様も病気をされて、ようやくこの所回復されつつあるご様子。ちなみに奥様にも長期間、我が法人の評議員をお願いしたという経緯もある有り難いご一家。

 一緒に参加されたのは我が法人の2代目のp理事長。彼も当時、福祉事務所の生活保護係長だった。そして今は法人の理事であり、長男さんはケアホームのメンバーさん。
 そういうわけで昨日の新年会は、昔の思い出ばかり語ってしまうことで終始してしまった。

 PM7:00 同居されているご長男のお嫁さんが仕事先から帰宅して、我々も退散です。
ごちそうさまでした!

2014カレンダー

2014-01-08 07:10:51 | 私と福祉とであいの旅
1月8日(水)☀

 大殿筋と股関節の痛みは鈍く続いている。職場では年末の引っ越し大作戦により、事務室とスタッフルームを整理整頓。私も整理の対象となって、一番奥の相談室に場所が決まった。次年度の事業計画や人事を考えるには集中できそうな部屋です。

 障害者のライフステージに見る福祉ニーズと支援システムを考え、一覧表にまとめた。もう一つはICF(国際生活機能分類)理論をパワーポイントにまとめてみた。

ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)は、2001年5月に開かれたWHOの総会で採択された機能障害と社会的不利に関する分類である。ICFでは、人間の生活機能と障害について、「心身機能」、「身体構造」、「活動と参加」、「環境因子」について、約1500項目に分類しているもの.

ICF理論の基本的な考え方は、これまでの医学モデルと言われてきた考え方で、障害者の身体的な評価を専門家が、あれは出来ないこれは出来ないとマイナス部分だけを抽出し、コアスタッフ(医師/P・T/看護師/介護スタッフ等)のみで支援方針を決めて、患者本人に提示してきたという経過がある。
 これに対して、生活モデルあるいは社会モデルは、患者のできていること、今はやっていないができることなどプラスの側面を発掘しようという価値観が良いと思う。

 発達障害者のマイナス面だけ見れば、変人扱いされることが多い現在ではあるが、現実的にこの作品を見た時に、私達はその作品の素晴らしさに言葉を失ってしまう。

 
 いつも思うことではあるが、障害者にとってのバリアは、社会にだけあるのではなく、むしろ身近な親や家族の側にあることも多い。
 過剰介護や本人の意思決定を阻害する価値観など、むしろお互いに離れて暮らしたほうがどんなにか気持よく暮らせたり、この方は伸びれるのになあと思うことも多い。