夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

職員会議~みんなでひとこと

2012-11-28 06:57:25 | 福祉について
11月27日(火)

 間もなく12月、「師走」と呼ばれる一年最後の月がいよいよ迫った。迫ったと感じるのは、来月があうん作業棟の増築工事のスタート月でもあるからかもしれない。
 「地域で普通に暮らす」を目指して法人を立ち上げ、その成果が少しずつだが感じられるようになった。私が青森県に来て34年目、そして障害者福祉を手がけて18年目のことである。「普通」って基準は何?と聞かれたことがある。「普通の社会生活」とは「通常の社会人が、生きる人生の平均的日常生活の継続」とでもいうのだろうか。「劣等処遇の原則」とかいう考え方(=「価値観」)があったが、公的サービスを受ける人の「処遇」は「通常の一般社会での生活よりも低い暮らしの保障」とかいう考え方である。
 ノーマライゼーションでいう「普通の暮らし」は、そういう価値観ではない。「等生化」と訳される場合もあるが、「平等」という「他の市民と同じ権利と義務を持つべき」ということだけではなく障がい者(知的)をその障害とともに社会が受容することであり、彼らにノーマルな生活条件を提供することである」と。(バンクミケルセン)
 ノーマライゼーションは障がい者個人に働きかけ、障がい者も健常者の考える「ノーマル」にしようというするのではなく、障がい者も健常者もともに支えあい快適に暮らせるようにするために環境に働きかけることの大切さを示している。

 法人全体職員が話し合う機会の、「合同会議」が開催された。今回は各事業所の職員が、自身の職域の活動状況を紹介し理解を求めてもらうことになった。
 これまでの会議のあり方では、いつの間にか上司から部下への下達的な雰囲気があり、話す人は決まっていた。今回の会議では話そうとしない人達に、発言をする機会を求めたものであった。こうすることでそれぞれがどのような活動をしてどのような課題を抱えているのかや、これからの方向性を探る上でも非常に全体の活動がわかりやすく見えてくる気がした。誰でも最初は多くの人の前で意見表明をすることは緊張もすることもあるが、少しずつその経験によって自信をつけることができるようになるのだとそう思う。
 だらだらと会議をするのではなく、90分の中で当日の目標を確実に遂行して、キリッと終了する会議は今後も堅持して行けたらと思う。

拓く人

2012-11-27 07:19:26 | 福祉について
11月26日(月)
 
 朝から雨がちの一日。
 次女は昨日のパンパンに膨らんだお腹も嘘のように、今朝方はぺしゃんこになっている。午前中は通院のために一応絶食を指示されており、水分はOKとのことでかぼちゃスープを口に近づけるとすんなり飲んでくれた。結局2杯も飲んでくれて、少し安心している。主治医のもとへ通院し腸の具合が完全ではないものの、食欲が出て水分も取れるとのことで入院は回避できた。

 仕事場に何とか戻って、その足でスタッフと五所川原市にあるビータという事業所を訪問する。再来年卒業予定の発達障害の少年の卒後を託せる場として、そういう特性を持つ人達の特化した事業所が県内に2箇所あり、母親に同行したのである。
 事業所の理事長さんはまだ30代前半の若さだというが、どことなく昔の武田信玄を彷彿させる武将のような風貌だった。児童の支援事業を行なっている他、生活介護事業所として野菜カフェを開業し(定員10名)、グループホームに現在は4人入居しているという。
 何よりも私の感心したのは、理事長の見ている方向性である。「どんな人も地域で暮らす社会」づくりをしようというのである。
 法律の中でありきたりの形態や活動を志向するのではなく、社会人としての彼らを少しでも社会になじませる努力をしている。地域を開こうとする彼の姿勢そのものは、圧倒的に開拓者の眼であると思う。久しぶりに刺激的な人と出会った一日であった。

ER

2012-11-26 06:46:48 | つれづれなるままに
 ERとは(英: Emergency Room)の略。直訳すると「救急救命室」という診療 スペースを意味する言葉だそうです。

 昨日はとても良い天気でしたが、次女がまたもや腸閉塞状態となり嘔吐が激しくなりました。結果、主治医の病院のERに、救いを求めて通院。胸部写真を撮って、結果500Ml点滴を受けて、いったん帰宅しました。日曜日の夜のER受診状態を見ていると、こんなにも多くの方が救いを求めてきているのかと、改めてその意義が理解できました。
 昔から子供の発病タイミングが夜であったり、日祭日になったりすると小さな病院でなんとか無理を言って診察してもらっていました。救急車で行くほどではなくても、急を要する時があります。障がいのある人は、ご飯が食べられない時とか水分を取れない時には点滴にすがるしかありません。
 昨日の病院の受診者の多くは乳幼児や老人(車椅子)が多くて、後は事故による患者さんのようでした。
 レントゲン撮影をした結果、次女のお腹には腸が吸収できない水がかなり溜まっているのが写真で理解できました。本来は腸が吸収すべきものと、下から出すべきものが腸閉塞状態になっていて、出ない状態がイレウス(腸閉塞)と同じ症状となっていました。

 結局点滴を2時間かかって済ませて、最後に胃液のみの嘔吐をして、PM8:00 いくらかすっきりして帰宅。明日再度主治医に診てもらうために、出直しということになりました。ドクターから絶食を言い渡されている次女は、結局通院しないと入院かどうかもわからない状態となっています。

 7月に2日間の入院をしている次女は、今回で二度目となっています。毎年定例化しつつあるので、いつもビクビクです。おんぶした時、次女の身体の軽さが気になりました。

Etude/Poem「にんげん」

2012-11-24 10:00:35 | 創作(etude)
にんげんが
いのちを
さずかって
祝福されたり
されなかったり
それでも
生きていくのだ
振り子は
動き
誰でも
子供で
ありつづけることは
できない
それが
細胞分裂
それが
人生

ただ
生きていくのでなく
余計なものも
大切な物も
良いものも
悪いものも
人生の
道端に
落ちていて
拾っていくのも
見捨てていくのも
その人の
運命?
その人の
生き方

ひとに
影響する
ひとに
影響される
それが人間
傷つけたり
傷つけられたり
だましたり
だまされたり
愛したり
愛されたり
にくんだり
にくまれたり
やきもちやいたり
やかれたり
殺したり
殺されたり
すくったり
すくわれたり
みいんな
にんげん








収穫祭開催

2012-11-24 09:30:31 | 福祉について
11月23日(金)勤労感謝の日

 あいにくの寒い一日、冷たい雨がそぼ降る天候の「収穫祭」でした。
 それでも一年の収穫に感謝し、集まったのは各事業所のメンバーさんと保護者、ボランティアさんです。
 社会福祉法人 抱民舎も芸達者の職員が増えてきました。サックスとピアノ、ドラムズ、アコースティックギター、オカリナなど多彩です。
 この日もディズニーのメロディを演奏して喜ばれた三人です。


 外では冷たい雨にも負けず、抱民舎特性の焼き芋機での石焼き芋がどんどん完成していました。ついでに焼きリンゴもできました。

 
 お昼ごはんは法人の畑で栽培した枝豆ご飯と、ジャガイモの入った豚汁などが並び、リンゴやりんごジュースもとても濃厚な味で美味しかったと好評でした。
 

  
 食後はメンバーさんたち中心のミュージックパフォーマンスやショートミュージカル「静かな森の大きな木」や「ジンギスカン」踊りなどが賑やかに展開されました。
 
  
 メインイベントはわがスタッフの参加する異業種「ファミリーバンド」のコンサートでした。いやあ生演奏は、障がいなどには関係なくみんなが惹きこまれますね。

短歌

2012-11-24 08:24:10 | 創作(etude)


 外観は自由の国となりにしが負の遺産たる安保条約

 敗戦後便利さとともにやって来たアメリカ屋の売るパンドラの箱

 フクシマの原発事故に何学ぶ民百姓の怨みの日々よ

 被爆国日本の歴史思うとき決して許さず憲法改悪

 

青森県と宮沢賢治

2012-11-21 08:25:21 | つれづれなるままに
11月20日(火)
 宮沢賢治の記事が東奥日報の「天地人」に掲載された。
 賢治の弟「清六氏」がいなければ、賢治の現在の評価もなかったかもしれない。妹トシもいなければ「永訣の朝」が生まれなかったように・・・。
 清六氏が歩兵第31連隊に入隊して、その演習場が鰺ヶ沢町にあったので入隊先の兵舎に賢治が訪ねてくることになる。鰺ヶ沢の「鳴沢駅」(1925年~)というJRの無人駅に、賢治も降り立ったのだろうか?賢治が花巻農学校(岩手)で教員をしていた頃だという。
 その8年後賢治は逝去する。37歳だった。その前日に弟清六氏を招いて「この原稿は皆お前にやるから、出したいところがあったら発表してもいい」と遺言されたという。清六氏はその後、空襲からその原稿を守って、遺言通りにその出版に貢献したのだった。
 その賢治も縁の鳴沢駅も、間もなく廃駅化の運命にあるらしい。


 『青森挽歌・春と修羅』より
  こんなやみよののはらのなかをゆくときは
  客車のまどはみんな水族館の窓になる
       (乾いたでんしんばしらの列が
        せはしく遷つてゐるらしい
        きしやは銀河系の玲瓏(れいろう)レンズ
        巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)

 
  りんごのなかをはしつてゐる
  けれどもここはいつたいどこの停車場(ば)だ
  枕木を焼いてこさへた柵が立ち
       (八月の よるのしじまの 寒天凝膠(アガアゼル))
  支手のあるいちれつの柱は
  なつかしい陰影だけでできてゐる
  黄いろなラムプがふたつ点(つ)き
  せいたかくあをじろい駅長の
  真鍮棒もみえなければ
  じつは駅長のかげもないのだ
       (その大学の昆虫学の助手は
        こんな車室いつぱいの液体のなかで
        油のない赤髪(け)をもじやもじやして
        かばんにもたれて睡つてゐる)


 童話「銀河鉄道」の中にも、その鰺ケ沢行きを彷彿させる場面が書き残されているのだ。

 

里にも初雪

2012-11-19 06:50:15 | つれづれなるままに
11月18日(日)

 朝方、家内の車の冬タイヤ交換。霰(あられ)が降って、次第に雪が舞い始めました。

 
 例年よりも3日遅いということでした。トビの子どもなのか、電柱に留まって親を呼び続ける啼き声がなんだかこの天候と相まって冬の始まりを実感させてくれました。餌を求めたくても、これからはなかなか難しい季節の始まりです。

 午後からこんな天候もあって、クリスマスグッズづくりをしました。
 パンショップに展示するクリスマスリース材料を集めてきて、先週くらいからようやく試作品ができ始めました。
 この日作っったのは竹とサシトリ(イタドリ)の枯れた茎を使って「星型」を作りました。

 

 竹は農場に生えている孟宗竹です。
 サシトリというのはイタドリという若い頃はスカンポともいう酸味の強い山菜です。これがまた茎が枯れると茶色に変色して、なかなかいい感じに仕上がります。
 

 飾り用の松ぼっくりとドングリを、洗って乾燥しました。これからリースにするために仕上げ作業が始まります。これからは12月のクリスマス用のパンも焼き上がっていくことでしょう。

 ドイツに旅をした11月、蚤の市ではこのクリスマスの準備に使用する材料が沢山展示販売されていたのを思い出します。


 

オランダという子供の幸福度世界一?

2012-11-15 07:12:59 | つれづれなるままに
11月17日(土)

 NHKラジオ深夜便で印象に残った話。
 「異文化から学んだ私の人生」教育社会研究家 リヒテルズ直子さん

 オランダ人のご主人とNGO活動で知り合い、結婚後世界中をかけめぐっている直子さん。その中で国境があまり意味が無いということを感じたと語っていた。アフリカのケニヤやボリビアなど農業指導を通じて、それぞれの国の特徴が違うことを知っていく。
 共通するのは「戦争」という国境や宗教を巡る争いが、国民を貧しくさせ不幸に巻き込んでいくこと。
 近年家族で夫の国オランダへ帰国し、子供たちがようやく落ち着いた生活に戻ったことが有り難いと語った。そしてオランダの学校教育の素晴らしさをも改めて知ったという。オランダではかつて60年代に35基の原発建設計画を阻止したオランダ。競争・成長から共生・インクルージョンに向けて「脱産業化」社会の論理で組み立て直したオランダ社会の制度があった。
子供たちは英語しか話せないが、それぞれの言語や教育進度の状態像にあった教育が個別支援として保証されているので心配はいらないという。

 オランダの教育が多様な点と学区制がないため幅広く学校が選べる、という点です。リヒテルズ直子さんは「オランダの学校が100あれば、100のちがう教育をやっている」と。

 たとえば、異なる年齢の子どもたちを一つのグループにして指導する学校、イスラム文化を中心にしている学校、近代的な建物で学ぶ学校などです。それぞれの学校が特徴を持ち、親や子どもに宣伝しているそうです。私立学校は、その親や子どもとあわない場合などは、入学を断ることもでき、入学後も「私にあわないな」と思えば、転校やちがう学年に移ることもよくある。
 
 ◎教育の自由

 オランダの義務教育年齢は5歳から18歳まで。最後の2年間が部分的義務教育となっています。また「オランダの全土に存在する小中学校のうち、公立学校が3割前後。残り7割前後の子どもたちが、教育について何らかの主義や立場を明らかにした私立学校に通っている」そうで、私立、公立を問わず、ほとんど教育費がかかりません。

 ◎市民団体も学校がつくれる

「オランダでは、約200人の子どもが集まることを証明できれば、市民団体でも政府から援助を受けて学校を設立できる」と、朝倉さん、リヒテルズさんは話してくれました。そうしたこぢんまりした学校をふくめ、スーパーへ行くくらいの近所に3~4校もあると言うのだから、考えて選ばざるを得ないようです。もし遠くの学校を選んでも、交通費は援助されるので、金銭面で距離は関係ないようです。

◎不登校は?

オランダの不登校事情を朝倉さんにお聞きしたところ「オランダには日本の不登校にあたることはないし、日本ほど登校へのプレッシャーは強くない」と言われました。たとえば「しょっちゅう学校をさぼる」とか「今度、家族でアフリカに行くから学校を3週間休みます」なんてこともけっこうあるそうです。オランダでは、高校も大学も本人が希望すれば、落とされることもありません。朝倉さんは「学校がきらいな人も、なんとか学校を卒業しているのではないか」と話してくれました。

 ◎ちがいの理由

最後に何がオランダと日本の差異を生んでいるのか? と質問したところ「オランダの教育史をみて、つくづく思わされるのは、彼ら自身が、国の制度は彼ら自身がつくっていくものだ、という意識を持っていることです。そういう意識が教育の中身を変えている」と語っている。

(不登校の専門誌 FORLE・山本侑佳里より抜粋)

 最新刊「祖国よ、安心と幸せの国になれ」リヒテルズ直子(ほんの木出版)

 オランダの教育が世界一かどうかはまだ分からないが、今後の日本の進むべき一つの方向性として学んでみるのも、一考かもしれない。

『北のカナリアたち』

2012-11-14 06:48:04 | つれづれなるままに
「北のカナリアたち」の試写会を見た。

 【あらすじ】日本最北の島で小学校教師をしていた川島はる(吉永小百合)は、ある事故をきっかけに島から出て行ってしまう。それから20年後、東京の図書館で働いていた彼女は、教え子の一人が事件を起こしたことに疑問を抱き、かつての自分が受け持っていた生徒たちに会うため北海道へ向かう。恩師と再会した教え子たちは、それぞれに抱える複雑で苦しい胸中を明かす。

 私はサユリストである。小学校時代からだから、そう自負してもおかしくないだろうと思う。1945年生まれ(67歳)というが、まったく年齢を感じさせない演技力は、相変わらずすごいと思う。
 その吉永小百合が弘前市民会館で舞台挨拶をするというのだから、見に行かないわけには行かなかった。試写会が終了した後、阪本順治監督と一緒に舞台挨拶をした。
 吉永小百合といえば映画では弘前市出身の作家で、石坂洋次郎の小説「草を刈る娘」で映画出演したことがあった。それが51年前のことだという。吉永は芸能界デビューが55年目というのだからすごい。つまり12歳でデビューしたことになる。ラジオ劇「まぼろし探偵」のさゆり役や赤胴鈴之助ではテレビに出演したというが、赤胴鈴之助は何となく記憶にある。自分が意識したのは日活の「愛と死をみつめて」や「キューポラのある街」などである。

 今回の映画は舞台が礼文島の小学校である。礼文島からこんなに利尻富士が近く見えるのだと改めて思った。
 一昨年にカミさんと一緒に旅した利尻島と礼文島、そして稚内だから、とても親近感が湧いた。私たちは利尻島に宿泊し、ドーミーイン稚内にも宿泊したのだった。

 湊かなえ原作の小説は「告白」を読んだが、この映画も湊作品。
 歌を忘れたカナリアは・・・・という歌詞と同じように、歌を愛した子供たちが一人ずつそれぞれ心の傷を抱えて成長していく中で歌を歌えなくなって行く。

 映画の中で吉永の夫役・柴田恭兵が語る言葉「例え明日地球が滅びようとも、私は林檎の木を植えるだろう」という言葉が印象的であった。

 サユリスト以外の方にも、ぜひ一度ご覧いただきたいおすすめの作品です!!