夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

久しぶりの秋の野田村

2012-09-30 07:35:07 | チームオール弘前
9月29日(土)

 同じボランティア会のM氏と一緒で、久しぶりの野田村である。弘前市役所駐車場をAM7:00に出発し、弘前大学正門前を7:15。大型バスに社会人16名、学生6名、教員2名の参加者となった。バスのメンバーである社会人は馴染みのK氏、S氏、T氏など常連組もいて心強い。
 作業内容のふれこみは稲刈りであったが、結局①小学生の学習指導(遊び援助)②砂利敷き③蕎麦刈というグループに分かれての作業となった。
 弘前を出る時の空は黒い雲が覆っていて、現地はどうなのか少し不安であった。高速道路を岩手時路に進み始めたら、雨がバスのウインドウを濡らし始めた。雨具の備えはなく、こりゃ困ったなと思い始める。
 現地に10時30分ごろ到着し、自分の作業場所拠点「餅のつきや」さんに到着する。
 

 被災地野田村は、昨年の3月11日から約半年が経過している。JR三陸鉄道北リアス線も久慈までは開通しており、これから避難所の住民たちの高台移住も決定済みとのこと。人口4,800人程度の村は、すこしずつではあるが復興が進んでいると聞いた。
 震災津波で打撃を受ける前から、三陸沿岸のこのちい行きの課題は高齢化と、若者の人口流出があったと聞く。そういう意味では、これから復興と同時に高齢者福祉の問題も含めて、町の産業経済は厳しい側面を持っている。

 餅のつきやさんのすぐ裏手には、特別養護老人ホームがあった。
 野田村の復興に大きなエネルギーを持つ、二人の女性リーダーがいる。その一人がこの餅のつきやさんの主人小野寺さんと、米田地区の豆腐田楽などを経営する米田やすさんである。この二人を弘前市のボランティアが支援することで、地域の活性化基盤が安定することにつながると考えていると、弘大イ教授は言う。

 ということでもうお昼近いのだが、ちんたら歩いてそば畑を目指した。小雨が降っている道を山手に向かい15分ほど歩くと、ようやくそれらしい畑に出た。枝豆や小豆、かぼちゃなどが作付けされている一画に、これから収穫するそば畑が1反歩程広がっていた。岩手県はこのほか粟や稗、キビ、などのほか、食用菊、花のリンドウなどが栽培されている。
 
 この地域はヤマセもあるためか、沿岸部の稲作はあまり期待できない。しかし少し山間に入ると水田が結構広がっていて、これから稲刈りが行われるのだろう。

 現地の畑で作業を教えてくれる二人の方のお一人は、自宅も財産の一つ車両も皆流されたと語っていて、将来への希望も見いだせないと愚痴めいていた。
 

 蕎麦刈作業に就くのは初めての経験の方ばかりで、私ものそ一人である。そばは荒地でも育つのが特徴で、逆に栄養が多すぎると枝ばかりが多きすぎて実がつきにくい。この畑はどちらかと言えば田んぼだったところなのか、少し栄養が多いようである。
 成長したそばの根本は赤色に染まり太いものは手でもポキリと折れるので初めは窯は使用しなかった。しかしノコギリガマが後で手渡されて、かなり効率的なことがわかった。普通晴れた日でないとそばの刈り取りはしないものらしいが、この日の私達のために配慮してくれたような気がする。雨の日のそば刈は、カビが生えると聞いた。
 そばの収穫作業はそばがらをノコギリガマで刈り取り、二つかみを一束に束ねて藁で縛る作業である。
 学生たちも初めての藁紐での束ね方を、年配のおじさんから体験で学んでいた。
 午前中はほぼ1時間程度で作業を終え、つきやさんに帰還した。搗きやさんではお馴染みの搗きや弁当やナスの漬物、じゃがいもや人参イカの煮物などが振舞われた。

 午後1時30分から午後2時30分までの小一時間また作業を継続。
 
 衣類はほぼびしょ濡れにはなったが、予定時間までの作業をクリアした。

 この収穫した蕎麦の束を干して乾燥させ、粉にしてお蕎麦をいただく。ここまでの工程を最後まで体験することが、これからの野田村訪問の楽しみとなるのだろう。
 周囲はまだ初秋ではあったが、萩の花やキバナアキギリ、ムクゲなどの秋の花が咲き乱れていた。
 もうすぐ本格的な秋が訪れるのだろう。10月も目の前である。
 イネキビとかいう黍のは行った一袋をいただき、女将さんたちとお別れをした。

 バスの車中で事務局の先生から、弘前大学人文学部のボランティアセンターが10月から組織を変えると聞いた。10月からは弘前大学の学部全体のボランティアセンターとして再スタートするらしい。
 来年度もつき1回ペースで、野田村へのバスは往復する予定と聞いた。現地の人々が心理的にも立ち直れるような支援活動が期待され、続けられる必要を感じている。

 そば刈りを縁としまた来ん味見しに

 

記憶

2012-09-25 06:27:56 | つれづれなるままに
9月25日(火)雨 14℃

 急に涼しくなって、あの夏というほかない秋である。今、農家は稲刈りやりんごもぎなど収穫作業で忙しい様子。雨が降れば仕方なく、仕事が制限される。しかしそんな時にしか体を休める機会しかないのではないかと・・・ふと思う。
 私的には大きなイベントが終え、今はお山参詣の後始末がまだ終わっていない。写真展が先週あって、写真の希望された方に焼き増しをしなければならない。報告集があと一人の運営委員の原稿が集まらず、仕事が進まない。たった400字程度の文章なのだが、いざ書こうとなれば腰が引けるらしい。
 結局目次に予定された人の中で一人は辞退し、一人は未提出。やむを得ずまた目次の刷り直しが必要かもしれない。
 参加者160名分の記念写真とDVD、報告集をセットで配布する予定となっている。私の事務机にはこの45ページにも及ぶ印刷物が綴じられるのを待っているのだから、なんとも処理が進まない日々は気が重いことだ。

 さて、標題の「記憶」とは、どういう意味であるか。
 還暦を過ぎると脳の塩梅によって、再生機能が低下している実感が強くなるのは間違いないことかもしれない。「単語」なのだが、どうしても思い出せない時がある。必要なときに再生されずに、どうでもいい時に出てくる。例えば津軽弁なのかもしれないが、檜垣に使用している檜葉の葉を「サワラ」というのだが、これがなかなか思い出せない今朝はこうして文章を書き出すとすっと出てきたから朝方ことに早朝の脳は、賦活した状態なのかもしれない。
 私の職場には3歳の頃からお付き合いしているY君(20歳)がいるが、彼は私の顔を見つけるとよってきて必ず質問をしてくる。それは「昨日の夜」のことである・
 「ナリタさん、昨日の夜何を食べた?」「昨日の夜テレビ何を見た?」である。するとどうでもいいことでもあるからか、思い出せないことが多かった。彼に聞かれるようになってから、意識している自分がそこにいる。明らかに彼がいてくれるから、覚えていようという意識が働いているのだ。有り難いことなのかもしれない。
 記銘力の低下は初老期の症状だというから、安心できないこのごろなのだ。
 ところで、昨日の夕食のおかずは?
 新ジャガのホイル焼き、それにえーと・・・・。

あうん感謝祭~ありがとう

2012-09-24 15:38:52 | 私と福祉とであいの旅
9月22日(土)~23日(日)

 「あうん感謝祭」が、2日間に渡り開催されました。
 あうんがこの旧岩木町に開設されて14年が経ちます。事業もようやく軌道に乗り、地域活動が展開できるようになったのも、地域の皆様の理解や協力があればこそ・・・。この出会いや交流支援に感謝し、「ありがとう」とお返ししたい。それが今回の感謝祭の開催趣旨です。
 初日の22日は、作品展と絵画ワークショップでした。

そして翌日天候にも恵まれて、イベント「感謝祭」です。沢山の方々のご協力で、楽しい一日が11:00~20:00まで続きました。
 出演者はよさこいソーラン 「なごみ」のみなさん

 

この写真の鮎は地域の方がわざわざ、秋田県の川まで釣りに行ってくれた鮎です。
 登山ばやし保存会の皆さんの演奏や岩木ファミリーバンドの皆さんの演奏など、盛り沢山でした。


 これからこうした催しなどを通じて、もっともっと地域の皆さんとの信頼関係を深めていけたらと願っています。

ようやく秋らしく・・・

2012-09-21 06:49:32 | つれづれなるままに
9月21日(金)最低気温17℃ 最高気温(予報)24℃

 昨夜から窓を開ていると、夜風を冷たく感じ窓を閉めた。湯上りのビールにも手が伸びず、焼酎のお湯割りにしても、まったく汗すらかかない。
 明け方寒くて、何度か目が覚めた。もう17℃という気温では、タオルケット、夏掛けでは足りないと思い始めている。「暑さ寒さも彼岸まで」はようやく間に合ったか・・・。
 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」も、まさに人間心理をよく言った言葉だと思う。今夏は30℃を超す日が、何日間続いたのだろうか。

 暑い暑いと騒いでいたものが、今度は寒い寒いと言い出すのだろう。
 暑さも寒さも、仕事や眼の前の雑事も、乗り越えるしかないのだ。そういう意味では日本、あるいは東北北海道は、四季が明確であることが特徴でもある。
 自分はどちらかと言えば、夏よりも冬向きかもしれない。

 さて、お山参詣の事務的な仕事も大詰め。きょうは実行委員長と市の補助金の実績報告をする日。報告集は運営委員の現行が揃えば、ようやく印刷が完成する。早く吹っ切りたい仕事でもある。協賛金や賛助金など頂いた方々へのお礼も、これからである。

 明日と明後日は「写真展」と、わが法人の感謝祭が重なってしまった。
 もうすぐゴールだ!

 

札幌レラの会

2012-09-19 07:04:02 | 私と福祉とであいの旅
9月15日(土)13:29

 JR弘前駅に「札幌レラの会」一行が到着。「レラ」とはアイヌの言葉で「風」のこと。
 今年で3回目だろうか、北海道酪農大学、北大教育学部などの学生を伴って、宮原さん、城越さんがわが法人に交流にやってくるようになった。今年は宮原さん、城越さん、そして教員志望の五十嵐さんの3名である。
 弘前も北海道も30度を超える暑さが続いている。朝夕の涼しさだけが、唯一の救いというところかもしれない。

 五十嵐さんは特別支援学校の教員としてのコースを選択されているとのことで、早速みんなで今日のメニューの一つ「押し花教室」体験コースへ参加交流。あうんのメンバーさんたちと一緒に、近代的な押し花を楽しんでいた。
 押し花作品の携帯ストラップなどを完成し、その後ブルーベリー畑へ出かけた。ブルーベリーももう最後の収穫に入っている。雨が少ない分甘さが多い気がする。ブルーベリーを摘んで汗をかいたあとは、近くの「櫻温泉」でさっぱり汗を流しました。
 女性軍はお風呂の中で地元のおばあちゃんに話しかけられて、上級津軽弁に眼を白黒したらしい。そればかりか湯船の中で話しかけられて、「湯まぐらい」=「湯あたり」しそうになったらしい。
 そういえば、札幌からの電車の中で、宮原さん出題の初級津軽弁を二人は出題され大騒ぎしてきたらしい。
 なんにも知らない人だと、言葉の意訳が著しく、思わず笑ってしまう。
 例えば「オケル」=◎「転ぶ」⇒☓ふざける、おどける「カプケル」=◎「カビが生える」⇒☓「破ける」「ニグラド」=◎「にっこり」⇒☓憎たらしい「トロケル」=◎「片付ける」⇒☓「美味しい」などである。

 さて、今年もスタッフとレラの会の交流夕食会があうんで開催された。今回は運営会議メンバーの8名+PT赤池氏が参加してくれた。
 昨年同様宮原さんの講演で、原発余話と竹田の子守唄に隠された秘話などをワークショップ形式で話され、参加者も楽しんでくれた。

 翌日はリクエストがあり、急遽縄文式土器で有名な亀ヶ岡遺跡のある旧木造町(言つがる市)、そして十三湖、竜飛岬まで足を伸ばした。

 (写真はモニュメントが駅の建物からはみ出すしゃこちゃん)
 縄文住居展示資料館「カルコ」に立ち寄り、出土された有名な遮光器土偶(現在はレプリカ)などを見た。

 
 十三湖ではしじみラーメンをいただき、

       
そしてさらに皆さんがまだ足を伸ばしたことのない竜飛岬まで車を走らせた。
 帰り道に最後の津軽の思い出にふさわしい「日本海に沈む夕陽」を最後まで眺めて、今回の交流が終えた。

 演出しようと思っても天候だけはどうにもならないので、暑さと引換の今回の津軽観光は快晴の2日間で大成功だったのではないかと思います。また来年を約束して、レラの会の皆さんとお別れしました。
 
 

退職後の夢ひとつ

2012-09-15 05:52:57 | 創作(etude)

その1 「人生に感謝」

とりあえずは
60年間
大した病気や
事故もなく
起伏のある
峠のごとき日々を
乗り越えてこられたこと
丈夫な身体に
産んでくれた
母親に
ありがとうを言おう

そして
結婚して
37年間
気象現象のような
変化のある日々ではあったが
じっと耐え
私を支え
ともに歩んでくれた
カミさんに
感謝をしたい

もう一つ
こんなに
自分の娘を
褒めてはいけないとは
思いながら
わたしたちの
生き方や
いのち
無限なる
可能性と
希望を
具体的に
指し示してくれた
わがむすめたち
ふたりに
感謝しない訳にはいかない

なんたって
障害の等級では
一級品の判定を受け
そういう状況でも
長女は36年間
次女も34年間
元気で
私達両親や家族に
役割や
生きがいを
与えてくれた
あるときは
きみたちふたりの
年金が
家計を支えてくれた
そういう時期さえあったのだ

今思えば
この現在の
親の職業を
盛り立ててくれたのは
ほかならぬ君たちだった
いまでは
別々の暮らしを
始めているが
それは
これからきみたちが
社会の根底に必要な
福祉の価値の
中核基盤として
大切な具体生活を
確立するために
必要な実践なのだ
親たちが
地球から消滅した
その日でも
君たちが生き残って
私達両親の願いを
後世に
証明して
くれるはずのことなのだ

その2・・・ということを前置きして

私は
ある日
会社に
行く必要がなくなって
一日を
不定期で
予測すらできない
まったく
個人の意志で
過ごせるという
人生で
はじめて
しがらみから
脱却した
「自由」を
獲得できるのだ
その日のことを
考えているだけでも
どんなに幸せかしれない
たとえ
年金が少なくて
きょうは
お茶漬けだけだとしても
ぼくは
決して
愚痴など
云いやしない
気の済むまで
なんでも
できるのだ
いや
気の済むまで
なんにも
しないのだ

自動車だって
パソコンだって
携帯電話だって
みんな
うっちゃって
ぼくは
お日様とお月様に
身を預けて暮らすのだ
自動車に乗っているときは
決して
見たり聞いたり
できない世界や
暮らしが
今は
自転車や
徒歩で
見聞きできるのだ
匂いだってそうだ
焼き鳥屋さんの
パン屋さんの
惣菜屋さんの
珈琲屋さんの
路地裏の
人々の
日々の暮らしの
ありのまま
それが
実感できる

その3・・・「楽しみ」

自分の
願いとして
ささやかな
趣味の世界を
持ちたい
その環境は
八畳程度の
二階建て
一階部分には
畳敷の
足の下ろせる
長椅子がある
その椅子は
囲炉裏を
囲っている
囲炉裏には
灰がタップリと
蓄えられて
灰均しと
火箸
三徳という
三本足の
鉄瓶置き
その上には
鉄瓶がある
もちろん
二階に向かって
煙抜きの空間があり
その二階部分からは
自在鉤が
孟宗竹に
包まれて
下りている
その自在鉤に
鍋や
鉄瓶が
いつでも掛けられる
天井に
囲炉裏を囲むように
四角い木の
吊り囲いがあって
その木枠には
わらで編んだ
しめ縄の如きカバーが
施されている
ここに
魚や
肉など
燻製にする
仕掛けがある
二階部分には
もう一つの
仕掛けがあって
囲炉裏で煮た
大豆で
味噌を作る
機械にかけたあと
三角錐に形を整え
藁縄で
十字に縛って
吊るすのだ
すると
囲炉裏の煙が
味噌玉を
乾燥に導き
自然に
味噌が
発酵して
ひび割れしてくる
そのひび割れた段階で
焼酎と一緒に
いただく
酒の肴なのだ
囲炉裏には
もう一つ
魅力があって
遠赤外線効果である
灰の中に
渋柿や
芋類

かぼちゃ
なんでも
突っ込んでおけば
火を焚いているうちに
上手に
焼きあがる
これがまたなんとも
樂しい瞬間である
囲炉裏は
優れて
調理器具なのだ
贅沢を言えば
もう一つ
囲炉裏以外に
必要なもの
それは
竈(かまど)である
この竈には
木をくべる穴が
二つと
鍔窯(つばがま)を
乗せる穴
鍔窯で炊いた
ご飯は
窯の底にできる
こげ飯
そのおこげで
オニギリを
握って
囲炉裏に置いた
半円形の
ワタシという
焼き魚や
オニギリを載せる
脚付きの
焼き台がある
薪の細い枝を
二本敷き
その上に
味噌や
醤油
塩をつけた
オニギリを
載せれば
決してくっつかない

この囲炉裏の間が
完成すれば
あとは
食材と
お酒の調達が
次の宿題
漢詩にあるというが
幸せになる方法
「三十分間
幸せでいるには
酒を飲めば良い
三日間幸せでいるには
結婚をすれば良い
八日間幸せでいるには
豚を殺せば良い
一生幸せでいるには
釣りをすれば良い」と
だからというわけではないが
久しぶりに
釣り道具を
引っ張りだして
渓流釣りに出かけよう
春先の渓流は
本当に幸せだ
魚も釣れるが
山菜も抱負だ
ウド
ウルイ
シドケ
コゴミ
アケビの芽
ゼンマイ
タラノメ
アイコ
コシアブラ
などなど
釣れた魚を
川で腹を裂き
腸を捨て
血合いを取って
塩や味噌でまぶす
こうして
帰宅すれば
その日の
夕餉が
豊かな
ひとときを
迎えることができる
豊漁であれば
古き友を
招待して
他愛ない話を
酒を酌み交わしながら
腹を抱えて笑うのだ
そんな
日常を
これから作りたい

















「時間の過ごし方」

夏を納める

2012-09-13 06:22:38 | つれづれなるままに
 白露が過ぎ季節は着実に初秋に移行しています。「暑さ寒さも彼岸まで」という諺の、、如何に実感的なことかを今また痛感しています。

 暑さも30℃を超える日がまだ続いていますが、それでも朝夕の涼しさは秋そのものです。諸事に身を投じているうちに、あうん周辺の種々が伸び、捨て置けぬ気になって草刈りをしました。午前中のたった2時間でしたが、全身水をかぶったほどに濡れ鼠です。少し暑気あたり気味となり、慌ててスポーツドリンクを買って飲み干しています。
 近頃暑さに向かう気力もなく、机にかじりついていましたので、季節の移ろいを感じる暇もありません。
 こうして決断をして刈払い機を手に草を刈っていると、たくさんの虫たちが姿を表してなんだか申し訳ない気がしてきました。最近とんと姿を見なくなった、キリギリスやバッタ、もちろん姿が多いのはコオロギでしたが…たくさん草の陰から驚いたように出てきました。
 草を刈れば草自体が既に種を地面にこぼす準備をしていて、のんびりしているのは私だけなのかなと思いました。
 一日では終えることができず、結局翌日に仕事を残してしまいました。
 夏休みの子供達の遊んだプール、日除けのヨシズ、扇風機、かき氷器などが出番が少なくなって来て、そろそろ片づけの時期になりました。
 疲れた心にホッと一息の癒し、それはあうんの建物わきに広がる黄金の絨毯となった稲穂の広がりです。もうすぐ頭を垂れた稲穂の収穫時期が迫っているようです。

 夏草を払いて虫の踊り出る

一つ山越しゃ・・・・

2012-09-10 06:49:12 | つれづれなるままに
9月10日(月)
 二十四節気の「白露」も過ぎ、いよいよ秋本番というところ・・・。
 久しぶりの雨が昨日から降っていますが、半端じゃないほど降られるとまた、これはこれで水害ということにもなりかねないのです。昨日も敬老会の最中大雨がふり、昨夜もかなり降って、きょうの予報も終日雨・・・。最高気温もきょうは26℃とこれだけが救いなのかもしれません。

 敬老会が終えて、ほっと言うのもつかの間で、今朝は突貫工事の施設整備の打ち合わせを設計屋さんと詰めて、市の福祉総務課へ意見書を依頼するのが14日まで・・・。県への計画書提出が21日。
 そして先週終えた「お山参詣」が決算報告など後始末の打ち合わせで、今夜が役員会。来週17日が決算と組織解散会。
 22日~23日がお山参詣の写真展と、法人事業所の「感謝祭」が予定されています。なかなか今年も、休む暇なく進んでいます。

 娘たちもきょうはケアホームへ戻る日で、一週間があっという間に過ぎているというのが正直な話です。

 

 きょうという確かないのち紡ぐ日の精一杯を暦に写し

 
 

地区社協主宰「敬老会」寸劇

2012-09-10 06:08:32 | 私と福祉とであいの旅
9月9日(日)

 敬老会の寸劇の本番の当日です。今日の天気予報は雨・・・。
 10時から敬老会の式典が始まり、民生児童委員の皆さんは早朝から大忙し。各担当地区のお年寄りの集合から、受け付け準備、昼食の弁当分担と受け渡し・・。更に昼食時からのアトラクションへの出演、終了時のお年寄りの帰宅支援、会場の後始末。大変です!

 ともかくこの日の寸劇「大岡越前名裁き~本当の母はどっち?」の出演は3番目の出番。中学生の吹奏楽、保育所児童のよさこいソーラン、そして地区社協役員と民児協の合同でのアトラクションの順に進みましいた。
 セリフを覚えなければならない劇と違い、口パクでも台詞が流れて演技を合わせる式の寸劇も今年で5回目ともなれば、皆さん堂に入ったもの。
 会場のお年寄りさんたちも、この演劇が楽しみだったようで大喜びでした。なんといっても、顔のわかる人たちが出演しているのですから・・・。

 15分間の演劇は予想を超えて・・?わらしをとったのは主役「大岡越前」役のI 氏が紋付袴に裃を着てさっそうと登場・・・のはずが、袴が余裕なく舞台に足が上がらず・・・から始まり、会場もバカ受け。子供の奪い合いの場面では会場もシーンとして、最後の裁きが無事に終わり「これにて一件落着」と名セリフを入れたまでは良かったのですが・・・結局椅子から今度は越前様立ち上がれず、又これが会場から爆笑となりました。
 皆さん着替えの場所で顔合わせ、皆さん笑顔でいっぱいになっていました。

 会長が74歳で、そろそろ社協会長を引退するのかしないのか・・・それで来年の寸劇が予定されるかどうか決まりそうです。
 準主役の本当の母役のAさん(女性)の役へのこだわりと越前役のI氏のセリフへのこだわりの調整がなかなか難しかった今回の寸劇ですが、役者さんたちの思いと裏腹に見る側のお年寄り、そして演出する側の私達という構図・・・。なかなか難しい側面を持ちながらも、やっぱり地元の言語「津軽弁」翻訳の寸劇は会場に伝わり、良かったなーと片付けながら思っていました。

地区社協役員等寸劇練習

2012-09-09 07:46:42 | 私と福祉とであいの旅
9月8日(土)

 岩木地区社協主宰の敬老会が、明日9日の日曜日に開催される。この日午後から会場を準備し、その後最後の寸劇練習を舞台で行った。
 総勢15名の出演で、「大岡越前名裁き」の最終練習である。約15分間の寸劇であり、社協の役員と民児協の合同で企画された。今年でこの寸劇も5回目。
 たまたまというのか私も民生児童委員に属していた時期があり、その中で敬老会に寸劇を準備したことがあった。その際に出演したことのある社協会長が、毎年今年も頼むと依頼に現れる。
 私は津軽に34年間暮らすが、未だに津軽弁が話せない。いや話せはしても何処かニュアンス(発音)が違って、東京人と言われてしまう。だから私の思考も、まずは標準語で物事を考え、津軽弁に意訳して表現するのである。
 津軽弁での寸劇でなければ、敬老会という舞台で役に立たない。シナリオはだから津軽弁である。そして私が書いた脚本は、メンバーに配布された瞬間から各自が喋りやすい表現に変換される。
 練習は何時も3回であり、本番を迎える。社協役員は平均年齢は70歳。だからと言っては何だが、セリフを覚えるなど最初から考えない。更には練習時間も1時間が限界、回数も3絵画また調度良いらしく、結局私達の施設スタッフが彼らのシナリオを読んでもらって録音する。あとはその録音されたセリフに動きを合わせる練習なのである。実演時間が15分というのもその限界である。
 さあ本番ではどうなるのであろうか・・・。主役の越前役は嫌に張り切って、どんどんシナリオのセリフをいじくってしまい、最初の形がもはやなくなっているのだ。