夢発電所

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見たくないものは見えない

2014-04-06 07:06:00 | つれづれなるままに
4月6日(日)雪

 4月4日付の東奥日報に、新聞切り抜き用の付箋が2枚貼られていた。その一つは宗教学者の山折 哲雄氏の名称変更を拒んだ予知蓮『3・11の「失敗」に学べ』である。

  畑村洋太郎氏(政府原発事故調査・検証委員会の委員長)
 東日本大震災の原発事故の調査分析をして報告書にまとめた人。しかしその3年間で東電も政府も変わったかという問いに、「変わるべき方向に変わったとは思えない。報告書に「見たくないものは見えない。見たいものは見える」など事故で得た知見を書いたが、ほとんど改善されていない。(読売新聞、3月4日)

 80年前に物理学者・寺田寅彦が書き残した次のような言葉がある。「西欧における科学の発達は、人間の力で自然を克服しようとする努力から生まれた。しかし登用の文化国家である日本は自然の多様性と活動性に応じて別種の学問的態度を発達させてきた。自然に対する反逆を断念し、自然に順応するための経験的知識と知恵を蓄積してきたからである。西欧には地震も台風も知らない国がたくさんあり、自然を畏れず、克服しようとする科学の発達を容易にする地盤があった。その自然の相違を無視して立てるべからざる所に巨大な人工物を建設しても、関東大震災におけるように、自然の脅威に打ちのめされ、たちまち壊滅したではないか____。
 東北はまだ「植民地」だったのか、という言葉は深く重たい。
 山折氏が最後に、「この国の科学、そして学問が最も学ばなければならないのが、はるか以前に表明されていたこのような寺田寅彦の言葉ではないだろうか。自体の深刻さを率直に認め、「見たくないものは見えない、見たいものが見える」の箴言の前に、静かに首を垂れるときではないかと思うのである。」

 時あたかも「東京オリンピック」を誘致した東京都と国は、東日本大震災から視線を大きく変えさせようと躍起である。

 NHKテレビで放送されていた東日本大震災で避難を余儀なくされ、粗末な避難所で生活させられている人、家族がバラバラで、子どもたちは屋外に出ることもかなわず、仕事も中断させられた人々の暮らしは疲弊している。函館市長が青森県大間原発工事を阻止しようと提訴したのは、正当な訴えでもあると思う。自然の豊かさとその恩恵そして大切な家族のいのちを犠牲にしたことを、今こそ国民は思い返して方向を変えるべき時ではないだろうか。

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2 コメント

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成田さんへ (りんご)
2014-04-06 11:10:03
私は小学校の頃少女雑誌の投稿文の中に
「日本のチベットと言われる東北に行って見たい」
という言葉を見つけ早速その「チベット」
なるものを調べ大変なショックを受けました。
その調べた時の私の住んでいる所は田舎
でしたが「チベット」よりは数等レベルが上
だったんです。
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りんごさんへ (なりたはるみ)
2014-04-07 10:44:03
「脚光あびる日本のチベット」岩手県
「戦後、1950~1960年代には、山あいで交通の便が悪いことや、主な産業が新日本製鉄の釜石製鉄所位しかなく、所得水準が全国でも低いことから、「日本のチベット」と呼ばれてもいました。
日本では、交通の便の悪い山間地を指して「○○のチベット」と呼ばれることがあり、とりわけ岩手県の山間地が1960年代に「日本のチベット」と表現されたことがありました。
(ニュース映画の題材【「脚光あびる日本のチベット」岩手県】に使われたのが最初です。
誰が名づけたかは?です。
昔は、日本のチベットなどと言われておりましたが、現在、岩手県民は、日本のスイスと自認しております。」
 上記はインターネットのりんごさんと同じ質問者がいて、その回答でした。鳥取や島根県が日本のチベットという表現をしたのが国会議員の石井一氏だそうです。
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