夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

Ouch! 3月の終焉

2014-03-31 07:01:57 | つれづれなるままに
3月31日(月)みぞれ

 今日で3月もおしまいです。家庭生活の大晦日が12月31日だとすれば、業務の大晦日が今日ということになる。
 昨日は義理の妹と旦那がお昼前に来宅して、退職の挨拶?にやって来た。59歳というから1年早く引退したことになる。様々な事情はあるだろうが、これから65歳まで年金がもらえないのだから、退職金を食っていくのかもしれない。
 一度言い出したら聞かないタイプなので、義妹もそれについては黙して語らずである。何よりもあてのない日々を共に家の中で過ごすかもしれない旦那との生活が、耐え難い苦痛になるのかもしれない。私から見れば全てに渡り妻に依存した生活であり、家にいればパジャマ姿で暮らす大きな子どものような存在である。
 家内は私のようになんでもやれるとまた、自分の存在意義が感じられないという時もある。適度というのは難しいものである。
 

 この数日、左の腰から背部に、じわり痛みを感じている。家内は机に終日座っているからだろうというが・・・そうかもしれないし、そうでないかもしれない。一昨日娘達を迎えに行って、娘を車いすからおんぶしようとして更に痛みが増幅してしまった。情けないことだ。

 確かに運動不足で、この所ウォーキングもなかった。明日から4月、今やれることをやるしかないと頭では思い始めている。

 明日から新年度、何かを変えなくてはと思い始めているがそれはまた具体的ではない。週2日は休肝日、(本当は酒を家では飲まないだった)。アウトドアな生活をし、物は買わないで欲しいものは可能な限り手作り。(これは少し現実的で、楽しみでもある)
 釣りとキャンプを夢見ているだけなのだ。

 法人の畑の一つを担当して、又以前のように午前中は野菜作りで汗をかこうと思う。

 C.チャップリンの「希望と勇気とsome money」が目標なのだ。
 開高健のいう中国の故事「しあわせになろうと思うなら」で言えば、「ずうっと仕合せでいたかったら、釣りをしなさい」はまさに言い得て妙である。

モノ申す

2014-03-28 06:41:44 | サイクリング
3月28日(金)

 最近自分は若手を全面に出して隠居状態だったが、久しぶりに県社協にお呼ばれされました。県社協の平成27年度から36年度までの「活動指針策定委員会」なるものに委員として招かれました。10年前に委員だったのは、委員長に指名されたO 先生と私だけだということをお聞きして、こんな隠居状態の私でよかったのかしらと思い筒の参加です。
 でもこれから「地域福祉」は「超高齢社会」を迎える大変な時代が予想される中、黙って参加しているわけにも行かず、せっかくだからうるさいやつだと思われるくらいはモノを申してきたいと思っています

 。初回は組織会と、第一次指針並びに第二次指針の方向性の説明があり、それに対する意見を求められるという形でした。時間がこんな形で足りるのかなと思いつつ、要は「やったんだ」式の形なのかなと思ってしまいました。
 それに高齢者、障害者などを始めとする「当事者」の意見反映などの参加なく、指針作りをして良いのかという疑問です。

 2回目以降は事務局が準備する素案への意見を出すわけですが、根拠となる数字などがまだ見えない中で、????という感じです。

 会議日程はあと3回、それでまた10年を過ごすわけですが、今、県社協で最も配慮すべきは、県(市町村)社協自体の体質改善なのかもしれません。公金の横領事件があちこちで繰り返されるなど、身内の問題に甘くするばかりでは、ますます県民の理解や協力は得られないのではないでしょうか。県や市町村の委託事業がほとんどすべての、事業展開が結局は住民の組織化という大きな目的を失いかけているように思えてなりません。

常盤野保育所お別れ会

2014-03-27 06:47:38 | つれづれなるままに
3月26日(水)快晴

 常盤野保育所の閉所お別れ会に参加。保護者や協力者地域の方々、学校関係者、小学生などが集まって、名残を惜しんだ。

 保育所の園児1名は小学校入学、3名は山を降りた場所にあるG保育所に移ることになった。したがって職員もこの日をもって退職となる。

 N主任保母さんは開設以来32年間、片道30分の嶽温泉まで通って勤務を続けられたという。ご苦労様でした!

 最高に在園児が在園した時期には30名を超える児童が、所狭しと動きまわった時代もあったらしい。寝る場所もなく押入れで寝かされた子どももいたらしいが、親から見れば押し入れに入れられたと言われたこともあったとその当時のエピソードが紹介されていた。

 保育所ばかりではなく、立派な校舎の常磐野小中学校も全校で14名しかいない。限りなく廃校が近くなってきたことを感じさせる。

 人が減ったのは何も児童ばかりではなく、嶽温泉旅館のお客の入り込み数も激減したらしく、跡継ぎもいないとか聞いた。

 代わって増えてきたのは、熊や猿などの害獣で、ことに昨年は岳のブランドでもある「岳キミ」が狙われたらしい。今までは西目屋村が害獣に大騒ぎをしてきたが、今度は常盤野がどうして‥・・と聞くと、西目屋の方が「西目屋は高齢者が多くて畑をみんなやめたからだという。なんだかこれからの時代のマイナス要因が浮き彫りになってきたような、暗い話でもある。

 何はともあれ、我々の活動していた20年前の4年4ヶ月間はまだ輝いていた常盤野地区だ。一緒にねぷた運行をしたり、学校行事を楽しんだり地域一帯となった人々の暮らしがあったのだ。

 この建物も、地域では活用の道もなく、ドアが閉じられることになるのだ。もう少し近ければ、我々の参加も考えられるのだが・・・。そう思いながら保育所を後にした。

気温ようやく二桁

2014-03-26 07:04:31 | つれづれなるままに
3月26日(水)晴れ

 岩木山が温かさの増す気候の中で、ぼんやりとした姿を見せている。急激に暖かくなって、雪解けが進んでいるのだろう。長い冬の眠りから目覚めた自然界は、徐々に目覚めて活動を開始するのだ。

 昨夜は法人の歓送迎会があり、あっさりとしたものではあるがまた新しい波が動き始めているように感じている。

 今日は午前中岩木山嶽温泉にある、常盤の保育所の閉園式に家内と出席する。

 20年前に生活リズムセンターノームとして嶽温泉に4年4ヶ月を過ごし、この保育所や常盤の小中学校との交流が原点でもある。その一つが今消えようとしているのだ。

 少子化も極まれりか・・・・。

もう一つの別れ

2014-03-25 06:40:28 | つれづれなるままに
3月25日(火)最高気温予報14℃

 昨日は良いお天気で、かなりの速度で雪が消えているのがわかる。でも玄関先の雪や、裏の小屋の雪はまだ屋根に届く位もあるので、しばらくはなごり雪が春の情景になるのかもしれない。
          

 そんな昨日の午後、お山参詣に参加した弘前大学の学生U君と卒論指導教諭がお隣の町会長宅に研究した際のアンケート調査等の結果報告とお礼に訪れ、私も同席させていただいた。
 彼は千葉県の銚子出身で、弘前大学の農学部を卒業後千葉県の会社に就職するという。
 卒論の資料を拝借したMさん宅をその後で訪れ、お礼をして別れた。今年3年目のお山参詣を町会ではもう一年やることが決まり、U君はまた来たいと話して別れた。

 青森県出身者以外の目線で見ると、その意識の差が歴然とする時がある。イザベラ・バード(イギリスの女性旅行家、紀行作家。明治時代の東北地方や北海道、関西などを旅行し、その旅行記"Unbeaten Tracks in Japan"(邦題『日本奥地紀行』『バード 日本紀行』)を書いた。)もその代表格なのだろう。

 今月は今夜の職員会議後「歓送迎会」があり、明日は嶽温泉の保育園が閉所となりその集まりがある。そして県社協の会議、その後はケアホームSEEDSの世話人さんと滞在ボラSさんの送別会。31日はS君の就職祝い会と切れ目がないままに新年度に突入である。


 
 

三寒四温と消費税のアップ

2014-03-24 07:06:21 | つれづれなるままに
3月24日(月)快晴の朝

 一週間の始まり。昨日まで雪が舞って寒い日が続きましたが、三寒四温という言葉通りであればこれから暫くはまた暖かい日が戻ってきそうです。ひょっとすれば久しぶりの二桁の気温までいくのだろうか?

 そんな中、娘達は取りあえずインフルエンザもかいくぐって、元気で活動しています。土曜日に帰宅して、今日またケアホームに戻っていきます。

 4月から消費税が5%から8%に値上げとなり、年金生活者の暮らしをジワジワ圧迫し始めました。その後また直ぐに10%とか・・・。扶養控除が下げられるとか、介護保険料がアップするとかいい話はなんにもないこの頃。
本当に上がって欲しいのは、職員の人件費と気温だけかな・・・。
 
 

手作りのキャンプ用品

2014-03-23 15:06:53 | 趣味(渓流釣り・フォーク)
3月23日(日)晴れ

 春の渓流釣り解禁と同時にフィールドで、一杯の美味しいコーヒーを淹れる。お昼には焼きそばや焼き肉をするなど、楽しいひと時を夢見て居る。

 そんな夢が講じて、先日から空き缶を使ったアルコールストーブを作成している。その一作目がこの写真。きょうは3つの作品の試用試験をしました。
 
 なんとかお湯も沸いて、コーヒーを入れることが出来ました。

 自然の中での飲食は家の中でのものと違って、また気分も最高です。男でも料理はこういう場だからこそ気分が乗って、夢が膨らみます。
 これまではバーベキューなどは木炭で焼いていましたが、後始末が大変なのでこれからは少しアルコールストーブでコンパクトにやるつもりです。買えばいくらでもあるのですが、節約が必要な時期だけに手作りもいいなと思っています。

 この次は魚や肉などの燻製機づくりに気持ちを向けてゆこうと思っています。

年度末は慌ただしい

2014-03-23 07:48:30 | つれづれなるままに
3月23日(日)雪舞う

 昨日は昼から町会の決算会議・監事監査、午後6時からは法人の理事会が開催された。終わったのは午後8時、頭がボーっとして腫れているかのような感覚に襲われている。

 娘達が久しぶりに帰宅しており、笑顔を見せる娘達にほっと一息をついている。娘達が私の疲労感を取り除いてくれているのを強く感じている。
 NHKラジオ深夜便の中で俵万智さんのコーナーがあって聞いていた。

 原発事故のあと俵万智さんが娘を連れて石垣島に移り住み、子育てと創作活動をしているという。そして「たんぽぽの日々」という本を発刊した。

 その中の一首に「タンポポの綿毛を吹いて見せてやる いつかお前も飛んでゆくから」という歌が載っていた。母親としての子育て中の気持ちが目に浮かび、じんわり心に染みこんでくる歌でもある。

 子どもの成長が日々感じられる時期、一つ一つの事象と言葉が咬み合って、記憶の世界に刻まれていく。「奇跡の人」ヘレン・ケラーとサリバン先生の言葉と事象が通じ合った瞬間のお互いの感動と喜びは、子どもの母親がサリバンと共通の思いになれたような瞬間でもあると彼女は語っている。確かにそうかもしれないと、思わされる。

 今はタンポポの綿毛が上手に吹けないお前も、いつかなんでもないことのように育って、親を超えてゆく存在でもある。だからこそ親にとっても、今がとっても大切な時間なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

お彼岸~シトギ餅

2014-03-22 07:01:28 | つれづれなるままに
3月22日(土)

 昨日は彼岸の中日、でも朝起きたらどかっと雪が…。そして一日中雪は舞っていて、寒い一日でした。

・毎年よ彼岸の入りに寒いのは 正岡子規

 朝5時に一度布団から抜けだして、居間や客間のストーブを入れます。その時間帯になると結構明るくなったなあと思うこの頃。寒くても少しずつこうして、季節も動き出しています。

 お彼岸に我が家ではもち粉であんこを包んで軽く油を引いたフライパンで焼いた「シトギ餅」が並んでいました。我が家の住人全体を考えてか、砂糖はほとんど使っていないので、甘さ控えめで、近所の糖尿病の知人も喜んでくれたようです。

 食文化は地方で結構違うものですね。信州に学生時代アルバイトで下宿した先のおばあちゃんが作ってくれたおやきの中身は、野沢菜の漬物でした。

 かといえば津軽のお赤飯は、甘納豆を使ったり、おいなりさんも甘いご飯で驚いたことがあります。
 こういう地方の食文化は、残していきたいものです。

 ・春彼岸記憶を辿るしとぎ餅

 

研修の振り返りの中で

2014-03-20 06:44:29 | つれづれなるままに
3月20日(木)

 今回の研修は久しぶりに自分が望んだ研修会であり、若手に聞かせたかったという印象が強いのです。
 「重症心身障害の方とその家族の思いを過去と将来に向けてインタビューで確認する」という手法も、意向調査として今後の参考になることです。

 重症心身障害(児)者は、その障害の重さから言葉を使ってのコミュニケーションは制約が多いことです。そのために家族や支援スタッフは、長年寄り添いながら、その意思確認を目の輝きや、身体の微細な動きや手の握る強さ、表情、発声などの抑揚の強さで判断することが多いことは私も娘達に感じてきました。
 確信を持ってそうだと断じることは出来ないながらも、そういう全体の観察で、ああ今この人は喜んでいるんだなと感じたりすることができるのです。

 シンポジウムのシンポジストもユニークな発言者が揃っていて、歯に衣を着せない表現はまさにストレートな発信力を感じていました。
 西宮・青葉園の清水氏の表現は非常に個性的で、超高齢社会が重症心身障害者の世界にも及んできたことの驚きと、そういう中で初めて一般の高齢者に対する重心の人たちのリーダーシップが活きようとしていると発言していました。
「年をとってから寝たきりになったり、言葉が言えなくなった、認知症になったとオロオロするな。重心の方々は生まれた時から寝たきりでありながらも必死に生きてきている。更には地域の隣人たちをサポーターとして味方につけて、地域社会をムーブメントさせている。重心の人たちこそが地域福祉のリーダーとして、その生き方や姿勢をみんなが学べば、本当の仕合せとは何かが見えてくる」と言わんばかりの表現でした。

 一方が一方的に何かをしてあげる関係でなく、お互いがその生き方の中で学び合い、自分らしさで支えあうという関係は、重度障害とか生活困窮者とか、こどもとかいう括りを超えたほうが面白い空間ができるという発想法で、来年度「共生の館」を建てると言われていました。さすがに「青い芝の会」を背景にして、障害者福祉が進んできた地域の方だなと共感していました。