夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

山菜の日々

2010-05-31 06:55:05 | つれづれなるままに
 昨日は娘たちと一緒の、の1週間ぶりの休日でした。朝から今月唯一?の五月晴れの朝です。
 自宅からアップルロードを通り、「桂清水」を目指しました。桂清水は桂の木の股から滾々と冷たい清水が湧き出て、この水を汲みに来る人が絶えません。
 昨日はこの道の途中でワラビをたくさん採取しました。林道なので、道は細く途中から結構険しい山道です。8人乗りの車では交差することが難しい道路をカーブしながら進むと、杉山が広がり夏は涼しそうなエリアです。この場所には「燈明杉」という美樹周りのメートル近い巨木が山の斜面に立っています。そして桂清水の湧き水の場所には小屋が立ち、大きい桂の木の根元には誰が貼ったのか竜神を思わせるぎょろりとした目が二つあります。その口元から冷たく美味しいまろやかな水が湧き出ているのです。私たちがついたとき一人の男性の車には、3リットル入りの焼酎のペットボトルが20本くらいずらりと並んでいました。
 私たちは強い日差しを避けて、日陰に陣を取り昼食タイムです。屋外での娘たちと一緒のハイキングは本当にしばらくぶりです。新緑の林は小鳥たちのさえずりでいっぱいです。お腹を満たしていると、今度は逆にそよ吹く風も涼しすぎる気さえしてきました。
 食後私は山菜を求めて少し林道を上手に上ってみました。しばらく行標識があり、「お茶の水」という場所まで4.5キロと表示がありました。結構きつい杉野原を登る林道ですが、私の横をすいすいと若者が一人マウンテンバイクで登って行きました。
 いつか私もお茶の水まで行ってみたいと思いました。
 そして帰宅後にはまた山菜の下処理をして、夕食の準備です。きょうの収穫はワラビ、アザミの茎、ウルイ、アマドコロ、ウド、タラの芽、それにこの林にはアイコが群生していました。杉の林に来るとシオデ(ソデ)も収穫できます。お湯をくぐらせるとどの山菜も、美しいグリーンに変身します。
 お酒の肴を自前でいただけるというのは、まったく贅沢そのものです。ウルイもこんなに甘く美味しいと、栽培してみようとすら思います。山菜取りのシーズンも梅雨に入るとほとんど終了です。今が旬なのです。

宋さん滞在日記 5月26日(最終日)

2010-05-30 09:10:42 | 私と福祉とであいの旅
 昨日は宋さんと帰国前の買い物に出かけた。留学生二人も同行してくれ、スムーズに買い物が進み、初めてだという日本のうどんもいただいた。
 夕食を何にしようかと迷っていると、留学生が韓国では日本の家庭的なカレーライスがはやっているという。そういえば宋さんのお嬢さんも、お土産の中にバーモントカレーをリクエストしていた。
 こうしてこの日の夕食はカレーライスとなり、疲れ気味の宋さんに部屋で休んでもらって、カミサンと留学生二人はカレーライスを作った。

宋さんの滞在もいよいよきょう(26日)までとなった。来るのを待つのは長いが、いざ再会の喜びと共にやってくるのが別れのときだ。昨夜のうちに宋さんと再会を誓い合って、杯を交わしている。翌朝早朝に起きて、弘前城公園を散歩することを約して休んだ。
 朝6時三人で起き出し、弘前城公園を目指した。きょうは通訳がいないが、私の懐には電子辞書が納まっているので、少しは気楽である。霧雨が舞う朝、私たちは追手門から弘前城公園に入場した。

 宋さんは弘前城公園は二度目だった。以前東京の友達と一緒に歩いたのを思い起こしている。
 追手門を入ると、植物園方向に築城400年祭ののぼりが立っていた。観光客が少なくなった今、場内はあちこち工事が始まっていた。桜もソメイヨシノは既に葉桜となって、八重桜が散ってピンクのじゅうたんになっていた。
 約1時間近く公園内を歩いて、また植物園前に差し掛かるとおしどりが二羽我々の前を注意しながら横切っていった。まだ初々しい姿は、まだ若い鳥なのだろう。オスが美しいのはあたり前なのかもしれない。そう思うと、オカマだとかゲイの化粧する姿は自然のことなのかもしれないとふと思ったりしている。
 帰宅後最後の朝食をいただき、施設関係者とお別れの挨拶をし、青森空港に向かった。韓国まで1時間30分で、インチョン空港に着くというのだから、青森から沖縄よりも近い韓国はより身近な気がしてくる。
 昨年春に韓国で交流した後援会副会長の田中さんと、青森空港で落ち合い昼食を済ませた。天候のせいか、飛行機の到着遅延により1時間出発時間が送れ、電子辞書を使いながら宋さんと会話し、ゆったりとした昼食時間をすごした。
 いよいよ宋さんとお別れの堅い握手を交わし、再会を期し最後の写真を写して彼は韓国へと出発して行った。

山歩き風の山菜取り

2010-05-30 07:15:06 | つれづれなるままに
 29日(土)曇り空ではあるが、昨日までとは明らかに気温が違う。朝から体がうずうずしている自分に気づく。毎年この時期になると、一度は行かなければ気のすまない場所がある。それは白神山地の手前にあるO林道の一画だ。その空間は道路に車を停めて、5メートルほど下ると一面の山菜広場である。筍(根曲がり竹)、ワラビ、アイコ、シドケ(モミジガサ)、ミズ(ウワバミソウ)、ソデ(シオデ)、葉わさび、アザミ、ゼンマイ、タラの芽、アケビ、ニリンソウなどなど・・・。そして何よりここの空間の林には様々な動物が自由に振舞っている空間でもある。
 カミサンと一緒に美味しいコーヒーをポットに詰めて、この林を目指した。今は津軽ダムの工事が進んでいるために、新しい道路やトンネルがどんどん建設されて、何年後かには、沈んでしまう風景がそこにある。この西目屋村はダムと共に既に一度沈んでしまってまたもやダム再開発のために、沈む運命にある。既に引き払って住民はほかの場所に移転してしまっている。
 ダムが未来永劫のものではないことを、この目の前で緑色の深い色を称えた美山湖ダムが証明しているのだ。いったん建設されても、川が土砂を運びいつかはまた、泥で埋め尽くされてしまうのだ。
 午前中の約2時間、熊のこわいカミサンは車の付近の道路端を歩き、私は林の中でひとり歌いながら、自然の恵みである山菜を採取した。山菜は採りすぎず、今夜の一食を彩る程度にとどめておく。これが私流の山菜の楽しみ方である。鳥たちは樹間を飛び交い、さえずりあっている。林の中を流れる小川のせせらぎも、透明に澄んで川下へと歌うように流れている。
 私の魂の自由は、この林の中だけかもしれない。そう思いながらも、筍やアイコ、シドケが足元に続き、あっという間に私の手はふさがってしまった。
 同じ場所に軽自動車が停まって、おじいさんが顔を出し挨拶を交換する。しばらくすると連れ合いなのか、おばあさんが山菜を袋に詰めて歩いてきた。我が家と違ってこの夫婦は、おばあさんが一人で林の中を歩いているらしい。
 この時期でなければいただくことのできない新鮮な「山の幸」を、私は山の神々に感謝しながら帰宅した。 
 写真は山菜のオンパレードで、筍ご飯、筍の味噌汁、シドケ、アイコ、ボンナのおひたし。少し苦味があるが、充実感あふれる夕飯でした。

湯段温泉別荘での歓迎会

2010-05-29 05:50:05 | 私と福祉とであいの旅
 5月24日(月)18:30~
 宋さんとなじみの法人メンバーが事務長の別荘に8名ほど集まって、宋さんの歓迎会の準備を始めた。私と宋さんは温泉に入るように勧められて、湯壷につかった。宋さんが今日の夜は、前に来たときの歌を歌おうという。何の歌かというと、「歓びの歌」の替え歌の津軽弁バージョンの歌であった。二人で湯壷の中で、復習しながら笑いあった。
 食いきれないほどの手料理は、私たちの空腹を満たした。そして宋さんや二人の留学生の祖国韓国と日本の交流の礎を築くための乾杯が何度も繰り返された。
 宋さんから「これから成田夫妻をまず韓国に迎えて、その後は両国スタッフの交歓研修などを行ってゆこう」という提案がなされた。
 狭い日本の福祉を考えているだけではなく、国境を越えた世界規模の福祉センスを磨くことが今後のわが法人の目標にしたいと心から思った。
 そういう意味でこれから通訳をしてくれたゴウンさん、サンアさんと共に、韓国語と日本語を相互にマスターするために学習会を継続開催していくことが大切なことだと思った。
 翌朝二日酔いになるかと思うほど飲んだのだったが、それほどの後遺症もなかった。朝5時に目覚めた私は、宋さんと事務長のいびきの合唱の中をすり抜けるようにお風呂に向かった。
 昨夜の温泉と打って変わって、きょうの温泉はすっかり温度を回復してちょうどよい加減になっていた。

 湯上り後私はカメラを抱えて別荘街を散策しながら、佐藤初女さんの「森のイスキア」方面に進んだ。早朝の高原の景観は、早春ということもあって初々しい若葉が目に優しく映った。岩木山の山頂はうっすらと雲に隠れて、白い残雪を山麓につなげていた。
 5分ほどゆっくり歩くと湯段温泉街が正面に見え、その道路を左側にそれると森のイスキアの建物がひっそりと佇んでいた。(写真)
 おにぎりおばさんですっかり有名になったが、おにぎりは相談に来所した方の心を計る聴診器のようなものである。心に悩みを持たない方は、美味しいとおにぎりをほうばるだろうが、心に深い苦悩を運んできた方は、おにぎりを前にしても手も出ないのだから・・・。
 今から16年前に私たちと共にあった森のイスキアの主宰者・佐藤初女さんは、いまや遠い存在に祀り上げられている。

雨の茶臼山公園を歩く

2010-05-27 16:52:30 | 私と福祉とであいの旅

 朝から霧雨が降り肌寒い朝で、我が家のストーブは5月も後半という時期に動いている。娘たちが土日にはケアホームから帰宅し、きょう月曜日の夜にはまた戻っていく。
 宋さんは久しぶりに再会した娘たちに優しく朝の挨拶をし、そして優しい眼差しで話しかける。「私の友達・・・・」
 
 娘たちをあうんに送り届けて、早速三人で大鰐町の茶臼山公園のツツジを見に行くことにした。あうんから大鰐までは車で約30分。弘前に来たばかりのころの大鰐温泉はまだまだ活気にあふれ、古い温泉街の歴史とスキー場にくるお客で活気にあふれていた。しかし今この町にはシャッターがあちこち下り、財政再建団体という深みに落ち込んでいる。
 昔の大鰐温泉に入る道筋を通ってみたが、本当に道も狭く高齢者が行き交う町になっている。
 茶臼山の公園内に入るとつつじが今や盛りと咲き誇っているが、ツツジ祭りの会期が過ぎたのか後始末に追われる業者の姿があった。人間というものは不自由なものだと思う。
 昔あった風流とかはどこかに消え、会期を決めないと花々を楽しめなくなっているのだ。花より団子の構図がそこにはある。つつじは桜にはないきらめきがあった。様々な種類のツツジがその輝きを競うかのように、公園内の全体に咲き誇っていた。俳句の句碑がところどころに建ち、故増田手古奈氏がこの町には居たことを思い出している。
 大鰐温泉スキー場は毎年オープンする都度大きい赤字を生み出す場となっている。
 私は大鰐町再生にはまず、高齢者や障害者対策をしないと再生は難しいと思う。それに加えて地元の人ほど見えなくなっている大鰐ならではの魅力の提示が必要なのではないか。
 大鰐温泉駅という駅名はあっても、温泉がさびれかえっている。駅に降りても高齢者の足の不自由な人たちは、たちまち駅のホームで凍り付いてしまうような階段が待ち受けている。
 大鰐の町には黒石のつゆヤキソバよりも美味い「温泉もやし」を初め、焼き干しラーメンでその名を馳せる「日景食堂」「山崎食堂」があり、大円寺そばには美味いせんべいもある。そしてこの茶臼山のツツジはもっと誇っていい公園のような気がする。ただし、ツツジだけではなく、紫陽花を初め四季を彩る切れ間のない植物を楽しめるように整備が必要でもある。だいいちこの公園内には車椅子の人が楽しめるような空間が少ないのだ。スキー場の赤字のゴンドラをこちらに回したほうが、数倍多くの高齢者や障害者が四季折々来場できるのではないだろうか。 


宋さん滞在日記・5月23日

2010-05-27 06:54:35 | 私と福祉とであいの旅
 韓国ソウル市で、「ボンドン保護作業場」という障がい者福祉施設(通所)院長の宋さんとの3泊4日の短くても内容の濃い、愉快なホームスティを書きます。
 言葉は十分通じなくても、その不自由さを超える思い出ができました。
 宋さんが初めて弘前にやって来たのは、12年前のことでした。それからのお付き合いになりますので、もう友人と呼ぶほかは、遠くの親戚という関係にも感じます。宋さんは私よりも4歳下ですが、年齢差もあまり感じない共通の価値観がとても大切だと思います。
 今回は韓国の福祉関係者のツアーで、35名の方々が東北秋田県の福祉・教育・医療関係機関団体を視察するのが目的だったようです。宋さんはその視察が終えると、特急かもしかに乗って一人弘前までやってきました。
 
 今回の宋さんの訪問では弘前大学の留学生「ゴーンさん」と「サンアさん」の二人の女生が通訳をしてくれました。最初の宋さんの来日では、太田市(テジョン)の留学生、そして次が朴さん、ミンジさん、ヘジンさんと続き5組目のチェーンネットワークが続いています。
 来週の火曜日からまた、この二人の留学生があうんを訪れてメンバーとの交流や施設のお仕事をお手伝いしてくれます。夜には「ハングル教室」も開催です。私たちのハングル教室は、韓国料理を一緒に習いながら言葉を覚えますからとても楽しいのです。

 さて、宋さんは23日(日曜日)に、弘前駅の改札口に現れました。その格好がとても愉快でした。というのもお土産の大きな箱と着替えなどの入ったバッグを両手に、商売でもしにやって来たかのような姿だったからです。思わず笑ってしまいました。でもこの大きな箱をどうやって電車に乗せてきたのか、考えると大変だったことが伺えます。
 ゴーンさんとサンアさんが一緒に居てくれて、気持ちも落ち着いて出迎えることができました。
 早速その足で宋さんを、娘達の入居したケアホームに案内して見てもらいました。それから私たちの畑に案内をしました。宋さんが来るたびに、私たちの活動範囲が広がっていることを、宋さんは実感してくれたようでした。帰宅後、家内や娘たちと喜びの再会をして、少し遅い昼食をいただきました。昼食は冷たいソーメンとざる傍です。初めて食べたようです。
 この日は夕食を食べる前に通訳の学生と一緒に「あたご温泉」というところへ出かけました。町内のこの温泉はゆったりとした空間で、大浴場が二つあります。一つは少し熱めのお風呂で、もう一つは水です。ぼくも宋さんも30分くらいで上がりましたが、なんとこの二人の留学生は1時間30分もこのお風呂に入って出てきませんでした。理由を聞いたら、この二つのお風呂を交互に入って楽しんでいたようです。ぼくと宋さんは、すっかり待ちくたびれて汗が引っ込んでしまいました。
 韓国にはこうした温泉はそんなに多くないということでした。
 帰宅後はみんなで楽しい夕食と、再会のつもり積もったお話をしました。
 留学生を送るためにまた宋さんも一緒に出かけました。夜も遅く学生たちの宿舎に向かう途中のラーメン屋さんに立ち寄り、なんとまた話が盛り上がってラーメンを食べてこの日が終わりました。再会初日は少し食べ過ぎ飲みすぎ状態で、布団の中に入りいびきの合唱になりました。
 

 

韓国語電子辞書

2010-05-25 17:42:46 | つれづれなるままに
 ついに「韓国語電子辞書」(写真)を購入しました。
 これも韓国からの来客「宋さん」のおかげかもしれません。今回の通訳者は弘前大学の留学生お二人のお世話で、何とか宋さんと会話が進みました。しかし明日宋さんは韓国に帰国ですが、通訳者の学生さんは授業でいません。仕方なく見送りも会話できないなと観念していましたが、少しでも会話ができるようにと家内が電子辞書を購入することに協力してくれました。やったー!
 まるで子どもみたいですが、本当に世界が広がっていくのがわかります。また勉強させていただきます。

宋さんがやってくる

2010-05-23 05:51:13 | つれづれなるままに

 
 昨日も真夏日のよい天気でした。日差しも夏のように強く、庭先の牡丹の花や藤の花が咲き始めています。カッコウの鳴声がして、初夏を思わせます。
 さて5月もあっという間に後半になりました。早いものです。
 法人の理事会が21日に開催され、昨年度の事業報告と決算報告を承認していただきました。これまでの見えなかった私たち法人の今後の展望が、ようやくここに来てよい方向に向かい始めています。まだこの一年が始まったばかりですが、そういう予感を感じます。
 5月23日(日)秋田の福祉関係施設の視察を終えて、韓国の友人 宋 相天さんがいよいよやってきます。昨年来日してから、また今年も会えるのがとても嬉しいです。
 私のハングルの学習状況は、あまり進歩がないままです。ということで今回も、弘前大学の留学生に通訳をお願いすることにしています。今回はソウル市出身のハン・ゴウンさんと、ハン・サーナさんのお二人の女性です。
 お二人には毎週火曜日にあうんに来ていただいて、メンバーさんのお相手のお手伝いをしていただく予定です。そして夜にはハングル教室を開催して、みんなで楽しく韓国料理をいただきながら韓国の食文化も学ぶ予定です。
 ちなみに写真のもう一枚は昨日スーパーに並び始めた「ホヤ」です。食べ物からも季節の移り変わりが感じられます。
 宋さんは26日に韓国へ帰る予定ですが、その間また交流が深められることができそうです。宋さんには今回は法人のケアホームと畑を案内する予定にしています。
 今年の秋にはソウルに行くことになりそうな予感がします。これだけ宋さんに来ていただくと、そうしないと申し訳ない気になってきました。

岩木山の恩恵

2010-05-19 09:10:29 | つれづれなるままに


 岩木山の隠れた名所は岩木山の中央部の山ろくに、滾々と湧き流れ出すi岩木山の伏流水の水源地です。旧岩木町(現在弘前市岩木地区のほとんどの家庭では、ここから汲み入れた上水道が供給されています。だから岩木地区の水はとてもおいしいです。ここは部外者立ち入り禁止区域になっていました。まろやかな軟水でした。
 下の小さな写真左は、冷水の清流に自生のクレソンと、右写真アケビの新芽、シオデ、ウルイです。
 岩木山の恩恵の山菜として自生のクレソンは少し辛い感じがします。アケビの新芽は大地のエネルギーを吸って、その芽を天に向かって伸ばすかのようにたくさん出ていました。少し苦味がありますが、おひたしをマヨネーズとしょうゆでいただきました。赤みがかった新芽が見る見る濃いグリーンに変色しました。きれいですね。
 旬の山菜は。この一時期だけしか味わえないまさに旬そのものの味です。元気が沸きあがるような気がします。

山菜は今が旬

2010-05-18 13:16:02 | つれづれなるままに


 昨日は久しぶりに弘前の最高気温が25℃の真夏日となった一日でした。カミサンは青森市でのパン教室へ出かけ、私は休日のために山菜取りに出かけました。
 私のきょうの山菜取りの目標は、旬の山菜を見つけることです。昨年は農作業準備が忙しくて、結局余り山には行けませんでした。今年は同僚から山菜を何度かいただき、これは自分も行かなくちゃと、好天の朝に決行しました。目指す目的地は地理と収穫の経験のある相馬村から秋田県に抜ける山です。それにしても、春の山々のなんと美しく新生の力に満ち溢れていることでしょう。葉が光り輝いて見えます。そして小鳥たちのさえずりの賑やかさ・・・。子育て真っ最中のようです。そしてもう鶯の谷渡りの鳴声と共に、カッコーの鳴声も林をこだましています。最初の林で「アイコ」を探しました。ありました、ありました。イラクサ科のこのアイコは「山菜の女王様」とも言われる、美味しい山菜です。ゴマや胡桃と味噌に和えていただくととても歯ざわり良く美味しい食材です。ただし難点は、このアイコには女王特有の細かな針のようなとげがあって、素手で触れるとちくちくと痛みます。厚手のゴム手袋でないと、収穫が大変です。この杉林の傍に群生するアイコはまだまだこれからという感じでした。それでもかなりの収穫を20分ほどで終え、次の目的地へ移動。林道なので私の大きな車ではおなかを何度か着き、道の幅員も狭く、右側は断崖絶壁が続きます。オオヤマザクラの濃いピンクの花がきれいです。
 そして目的地に到着。西股川林道分岐で車を駐車し、川沿いに歩くことにしました。以前渓流釣りに来た川です。尺の岩魚も棲んでいます。しばらく登ると、ありました。「ウド」です。ウドは毎年同じ株から出てきますから、時期を間違えなければ必ず収穫できるのがありがたいです。この川沿いだけでも30本以上収穫しました。それもまだ成長しきらないウドで、根元も赤みがかって柔らかな茎は、サラダでも美味しそうです。この川沿いには、ほかに茎を食する「アザミ」も若いものがたくさんありました。フキと同じように茎を、金平風にいためていただきます。それにフキと同じようにこのアザミの茎は塩漬けして、いつでもいただくことができます。ただし灰汁が強く、ゴム手袋でもしないと、皮を剥いているとたちまち手掌が黒く変色してきます。直ぐに落ちますが・・・。
 このほか場所をいくつか動きながら、「アザミの新芽」や、「ワラビ」「タラの芽」「アマコユリの新芽」「ウルイ」などを収穫して帰宅しました。もちろん夜の夕食に早速大地の力のこもった山菜の数々を食しました。元気が出そうです。