夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

バッケみその作り方

2008-03-24 18:17:08 | つれづれなるままに
 東奥日報社のLife4月号に、盛岡市生まれで青森市在住の鈴木きぬ子さんの生き生きレシピが掲載されていたので紹介します。
 バッケは津軽弁でフキノトウです。
 フキノトウのほろ苦さと春のさわやかな香りは、心を癒してくれる素材ですね。これから雪解けと共にどんどん姿を現しますね。

 まず、ふきのとうの葉と重曹を入れて、ゆでて水にさらして半日から一日おいてから刻み、みそと炒める方法。こうすると苦みが抑えられ、そのままご飯にかけても、冷ややっこや刻んだ長芋にのせても、ほうれん草や小松菜のお浸しなどにも混ぜても美味しい。
 バッケはまだつぼみが堅くて花芽が見えないものの方が、アクがなくて調理しやすい。冷蔵庫に入れれば数週間は保存が利くので重宝する。
 もちろんお酒のつまみとしても最高ですよ!

褌を試着する春

2008-03-24 07:42:06 | つれづれなるままに
 春めいてきたので、褌(ふんどし)を試着してみた。何とも心地よい。ゴムの下着はどうも身体を締め付けて自分には合わない気がしていた。先だって第1回目の結婚披露パーティで、再会した「しらとり農場」で知り合った通称エレキが友人と販売しているというグリーンの褌を購入したのだった。1枚2000円也という価格。これが安いのか高いのかは試着してみないと判断できないだろう。そう思って昨夜入浴後に試着したのだった。 褌の構造は至って簡単で、いわゆるT字帯と呼ばれる形である。ひもを後ろから前に回してしめる。お尻側に下がっている布を前の方へ引き上げてお腹の前にしめられたひもをくぐらせて前に垂らす。これだけの動作になる。
 褌は小学校低学年の時に、海水浴や川で泳ぐときに着けたことがあった。しかしその後海水パンツに取って代わった。祖父がこの褌を着用していて、いつも洗濯された白いさらしの布が干されていた。褌は漢字で戦の衣と書くのだから、武士は皆この褌を締めて戦いに向かったのだろう。少し褌で古に思いをはせるのも、また春を感じるのにも愉快な気がしてくる。

 新たなる褌穿けば水ぬるむ

 
 

春は自転車に乗って

2008-03-23 08:00:10 | つれづれなるままに
 やっと自転車に乗る気になった。昨日は5㎞ぐらい走っただろうか、サイクリング車に乗って職場の近郊を30分間走った。弘前市の昨日の最高気温は15.4℃と四月下旬並みの陽気で、顔に当たる風もそんなに冷たさを感じなかった。岩木山もその雪を被った美しい姿を青空に映していた。
 自転車に乗り始めは、やはり太股の上側が熱を帯びたような感覚が残る。それに坂道になるとたちまち、重量感を感じるのはかなり筋力低下している証拠だろう。有酸素運動に有効なサイクリングは、絶好のメタボ対策なのだと信じて今年は距離を延ばそうと思う。一日10㎞をめどに週平均2日走れば、月計算では約100㎞。そして6ヶ月間走れば600㎞になる計算だ。しかしこの計算はあくまでも計算であって、「捕らぬ狸の皮算用」にならなければよいのだが・・・。
 サイクリングに必要なのは自転車用の走行メーターで、自分が今何キロで走っているかやどれくらいの距離を走ったか、最高速度、通算距離などを記録できるのだ。しかし半年間も放っておくと、電池もなくなっていて不便である。
 農道の脇にはフキノトウがかわいい姿をあちこちに見せていた。この時期のサイクリングは気温を考えても、昼時が最高な気がする。車では感じられない風景や音、何よりも自分の身体の躍動感がそこにあるのだ。気軽にどんな細い道も入れるし、停車も自由気まま。何よりも音を立てずに走るので、川沿いなどの野鳥のさえずりも聞き取ることができる。車ではこの感覚は決して味わえないし、何よりも健康と環境に優しいこと請け合いなのだ。
 津軽の春の風物詩は、なんといってもホッケ干しだろうか。自転車に乗りながら見えた春は、近所のお宅で商店と契約しているという大量のホッケ干しの見事な姿だ。毎年このお宅では春先に専用の干場を使って大量に干しているのだが、それを今年初めて見た。いったい何匹あるだろうか?300匹くらいだろうか?見事な光景である。
 ちなみにホッケの飯寿司を焼いて食べるのは、少し酸っぱさと鷹の爪の辛さが混じるころが食欲を増し、本当に美味しいと思う。酒の肴にも最高だと思いながら、ごくり生つば自転車を降りたのだった
。 
・雪しろの川音耳にペダルこぐ

・青空を泳ぐがごとくホッケ干し


 

高齢化率23.74%の青森県

2008-03-22 06:58:05 | つれづれなるままに
 今朝の東奥日報社朝刊によれば、2008年2月1日現在の青森県の総人口に占める65歳以上の割合が24.0%にきわめて近い割合であることを伝えている。4人に一人がどこの市町村も65歳以上という高齢化率である。ちなみに青森県の今別町(日本海側の最北端の町)をはじめとするいわゆる通称上磯といわれる一体の市町村は軒並み30%を超えており、今別町が県内最高の38.92%である。75歳以上の高齢化率は県平均11.28%と10%を超える市町村は34市町村だった。
 今年が団塊世代の停年による退職者が最も多い年だというが、あと15年後は、後期高齢者(75歳以上)が最も多い時期になるのだという。超高齢社会という時代が間もなくやってくるのだ。そこで我々が何を準備しておかなければならないのかを考えると、暗澹としてくる。高齢者や障害者を支える人々が少ないのだから、当然介護サービス、医療費は高騰するだろう。高齢者世帯が増え、一人暮らしの高齢者世帯が軒並みということになる。商売のあり方も今の郊外店全盛時代が終焉を迎え、昔のご用聞きの時代になるのではないだろうか。行政や社会福祉協議会任せの地域福祉、在宅サービスでは生活が成り立たなくなるのではないだろうか。公助・共助・自助というそれぞれの力や知恵、そして昔の隣組のような住民お節介ネットワークを復活させることが急務かも知れない。
 後15年、私たち夫婦も70歳を超えているのだとふと思った。

彼岸の中日

2008-03-21 08:22:57 | つれづれなるままに
 昨日は彼岸の中日。私はお休みで午前中は職場で過ごし、お昼はゆいまある・パン工房のお別れ会に出かけた。作業所時代から6年間作業補助をしてくれたHさんが退職し、3ヶ月間のヘルパー講習を受講してヘルパーを目指すという。ゆいまあるの利用者の皆さん全員で分担してのお別れ会を準備した。昨年障害者職業訓練校に入学したリューマチによる身体障害のあるMさんが、昨日来所し卒業を伝えている。パソコンを学び、自動車学校で免許を取得したという。しかし、就職はなかなか難しいらしくて、来週からまたメンバーに復帰する。
 30年来家族づきあいしている先輩のKさんが今月で退職するということで、お宅を訪問した。当面は何もしないとのことだが、私の有機農法の話を聞いて一度農場オーナーと会ってみたいという気になった。父親と同じ地方公務員の息子のM君は、36歳で独身だという。両親の話では親が勧めてもその気になってくれないらしい。そこで私の勧める人を紹介し、一度デートしてみるよう促し、少しは気持ちが動いたらしい。会うことから人の気持ちが動くのだろうと思う。うまく行けばいいのだが、と思いつつ家を辞した。

手作りの結婚披露パーティ

2008-03-20 12:11:55 | つれづれなるままに
 結婚披露パーティも、我が施設では2回目である。今回は我が施設生え抜きの支援員リーダーの、M女史の披露パーティである。会費は本人希望の3,000円で、26人が出席した。企画は私である。手作りという名の通り、食材のほとんどはあうんとゆいまあるで準備した。
 餅つきを行い、納豆・黒蜜・あんこの3種類を準備したほか、オードブル、サンドイッチ、新潟の油揚げ焼き、手巻き寿司、クリームケーキ、たこ焼きならぬエビ焼きが準備された。事務主任が得意の大阪風たこ焼きを、次長がカクテルを作った。こういう気楽さが何とも楽しい。私はウエルカムボードを作成した。
 開会と同時に結婚行進曲に合わせて、偽物の新郎新婦がバージンロードを入場し、挙げ句の果てにすってんころりんと転倒する。迫真の演技で皆が大笑い。実はこの偽新婦は先日のボランティアスクールでも迫真の演技を行った一郎君役のS支援員である。彼は前回土壇場でキャスト替えとなり、女装の予定が自閉症の青年役になりその機会を逃したので残念そうであった。だから今回はとても張り切って顔のメイクアップも入念だった。ウエディング衣装もしらとり農場のオーナー夫人が手がけて本格的だ。花のブーケも支援員のJさんがハンドメイドで持ってきてくれた。
 新郎新婦の最初の共同作業は餅つきだった。「餅は熱いうちに打て」というテーマだ。二人の息もぴったりと合って、餅もつき上がった。
 私と事務主任の生ギターに合わせて「バラが咲いた」「てんとう虫のサンバ」を皆で歌い、その後紅白2チームに分かれて新郎新婦の10の秘密を当てるという趣向もあった。これによると6才上のM女史が新郎に「あなたを幸せにしてみせる」というプロポーズをしたという話は最高に感動した。
 予定の時間を30分オーバーし、皆で会場を片付けて解散した。楽しいひとときはあっという間に終了し、満足感が残った。新郎新婦も十分満足してくれたことであろう。
 またこの披露パーティには大学生3名が卒業と就職祝いに参加してくれ、4年間のあうんでのボランティア活動に感謝の花束贈呈をした。この3人は大学1年生からあうんのワークキャンプに参加したのがきっかけで、以後福祉演劇にも毎回参加してくれた。学童保育のお姉さん役を果たし、後輩に引き継いでくれたのである。それぞれ4月から自閉症の専門施設で働くためにそれぞれあらたなスタートである。「あうんは私たちのふるさとのような気がします」というメッセージはうれしかったし、ほろりとする場面でもあった。
 そのまま終わりきれない私と次長、事務主任、保護者の方4名で酒を酌み交わし、そのまま施設で泊まることになった。
 これで今春新婚2組があうんを人生の門出の舞台として出発したことになる。幸せな生活を築いて欲しいと願うばかりである。
 

春の兆し

2008-03-19 07:44:10 | つれづれなるままに
 お彼岸前の津軽はたくさんの春の兆しがほころび始めました。何たってこのごろ最高気温が10℃から13℃と温かく、日差しが違います。岩木山頂上部の東斜面の雪がひび割れを起こすくらいに、気温が上がっているのでしょう。弘前城公園のマンサクの黄色い可憐な花びらが咲き始めたというニュース。渡り鳥が次第に北帰行を始めているというニュース。ふきのとうが大きくふくらみ、その香りの中にも春が漂っているのを感じています。車のフロントガラスに黄砂が連日降りかかって、空はどんよりかすんでいます。お彼岸の団子がおいしそうに仏壇に上げられました。歓送迎会が近づき、きょうはスタッフのMさんの結婚披露パーティが開催され、ぼくはウエルカムボードの絵を描いています。
そんな春です。

名探偵モンク

2008-03-19 07:00:45 | つれづれなるままに
 昨日「裁判員制度」を紹介したが、それに呼応するかのように、衛星第2放送で「名探偵モンク」が陪審員制度の中で活躍するという放送があった。アメリカの場合陪審員制度で、10人の陪審員が1室に缶詰になり評決が全員一致するまで解放されない。昨日の番組でも、9対1でモンクのみが無罪を主張。しかし、その後のモンクの推理で逆転するのだった。その間陪審員となったそれぞれの思いは水槽の中の波のように揺れ動いていた。
 早く解放されたいという個人的な思いは、その真実から最も遠いところにある。真実などどうでもいいから、早く解放されたいと願う心がそこにある。そして発言権の強い人に影響されやすいというのが、人間なのかも知れない。他人の犯罪に対する評議を、何を根拠として決めるのか。それに関与することは恐ろしいことでもある。
 1974年(昭和49年)は忘れもしない事件が起きた。私が障害児施設に勤務した年、兵庫県西宮市の知的障害児施設甲山学園で男女園児2人が浄化槽から水死体で見つかったのだ。学園の保母が男児殺害容疑で逮捕されたが不起訴になった。しかし検察当局は4年後に再逮捕、起訴。結局99年に、無罪が確定した。問題となったのは、当時入所していた障害者の証言だったように記憶している。誰でも犯罪者のえん罪をかけられる可能性と、裁判員に指名される可能性を持っているのだ。
 結審まで25年もの長い年月がかかったということが物語るように、何をもって有罪とするのか、人間として人を裁くことに対する課題を突きつけている。

POEM/お疲れさん

2008-03-18 18:42:03 | 創作(etude)
 
 親友である
 こんなに
 遠慮会釈もいらない
 相手もいない

 思えば二十数年前に
 津軽の地で
 やっとの思いで
 仕事にありついて

 そして出会った
 あんたは
 スポーツ万能の
 三人のお父さんだった

 年は三つも上なのに
 いつも
 酒の席に
 誘ってくれた

 私が職を辞し
 障害者施設を
 開設準備をすると
 早速手伝ってくれた

 家内が
 あんたを
 多分一番信頼する
 友人として認めている

 それは
 おかしなことを始めると
 必ずやあけすけに
 指摘してくれるからだろう

 是々非々は
 まさに
 隠し事のない
 あんたのためにある言葉だ

 時にあんたは
 それが災いし
 経営者から
 疎んじられた

 でも
 最後まで
 あんたは
 大久保彦左衛門だった

 まだまだ
 引退するような年でもない
 でもあんたは
 じっとしていられない

 今度は
 老人福祉から
 障害者福祉の世界だ
 いいじゃないか

 あんたがあんたらしく
 呼吸ができて
 話すことができ
 居心地さえよければ

 まあまあ
 お疲れさんだ
 三十四年間も
 働いたんだと

 今はゆっくりと
 温泉につかって
 命の洗濯をして
 老後を思ってください

 お疲れさま
 お疲れさまでした
 大儀であったな
 さっぱどしたべ
 


 

 
 
 

 
 

裁判員制度

2008-03-18 08:12:09 | 福祉について
 「裁判員制度」皆さんお聞きになった方はいますか?そして理解されていますか?
 昨日弘前市社会福祉協議会主催で、役員研修会がありました。青森地方検察局の若い検事さんがこの裁判員制度について、紹介するのを初めて聞きました。
 平成21年5月から開始されるこの制度は、遅くても今年中にはその候補者が無作為にに選ばれ、正当な理由と認められないと断ることができません。
 裁判員は選挙人名簿を元にして市町村が裁判所へ通知する。裁判所が裁判員候補者名簿を作成し、裁判所の対象事件ごとに裁判員候補者を選定する。裁判員候補者に質問するなどして、裁判員を選任する。
 また裁判員になれない人は、義務教育を終了していない人。禁錮刑以上で処罰されたことのある人。心身の故障のために裁判員の職務の遂行に著しい故障のある人。
 1年間の対象事件が25件で1つの事件に、年間475人~950人に1人が選ばれる確立だそうです。(青森県の場合)全国では330人~660人に1人だそうです。
 裁判員を辞退できるのは、70歳以上の人や学生または生徒。過去5年以内に裁判員になったことのある人、やむを得ない理由による裁判所に行けない方。
 裁判員になると、裁判に参加し、証拠を調べる。裁判官といっしょによく話し合い、有罪、無罪、有罪の場合は刑の内容を決める(非公開)判決の宣告に立ち会う(公開)
 意見がまとまらない場合は、多数決だそうです。裁判官3人と裁判員は通常は6人の構成です。

いずれにしても来年5月から、こんな制度が始まろうとしています。あなたはどう思いますか?