夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

繋がる力

2008-03-16 18:44:05 | 福祉について
 我々の今回のこの挑戦は何のためだっただろうか。自閉症の人々が一人の人間としての理解を深めるためではないか。小さな一歩かも知れないが、その小さな力の中に種があるのだ。一つの表現方法ではあるが、この一歩は繋がる力なのだ。あんなやり方もあるのだという、ヒントでありモデルなのだ。見えることやわかるとはどういうことなのかという、そのことをみんなで考え実践したのだ。
 そしてきょうそれが結実した。観客は40名であった。でも、私たちの熱意が伝わる人数ではなかったのか。この2時間30分の中に、みんなの心がつながり向上しようと努力をした。その結果がきょう出たのだ。満足感があった。これで終わらせたくないという、執念に繋がるスピリッツを感じていた。実行委員会の一人ひとりの努力が、これからの我々の明日に理解と信頼感をもたらしてくれた。
 マイナスのイメージだけではなく、いかに彼らのプラスイメージを認識するのかという格闘があったのだ。これをまた一つのステップとして、次のまた一歩があるのだ。みんなの熱意に感謝しよう!ありがとう皆さん。

さあ本番です!

2008-03-16 09:14:25 | つれづれなるままに
 ボランティアスクールがいよいよ前日となり、打ち合わせと称しての飲み会があった。自閉症支援研究会のメンバーも加わり、楽しいひとときとなった。
 自閉症の息子さんを持つKさんが、子どもの生い立ちについていろいろ参考になる話をしてくれた。障害を持つ親や家族の苦労は、その子どもと社会との間にある無理解と無関心だろう。社会的な風潮としては、当たらず触らずではないのだろうか。つまりは木枯紋次郎のごとく「あっしには関わりのないことでござんす」ということだ。
 Kさんの話からは、「せめて息子がどこにいたのかという痕跡でもいいから知らせて欲しい」という願いを聞いた。そして幾度も社会的な批判にさらされながら、親も強くなって来たということだろう。「障害があるからといっても、いいことか悪いことかくらいしつけろ」というお叱りを何度も受けたらしい。「いいことか悪いことか教えてわかるくらいなら、障害者を何年もやっていない」と。「叱られても涙は出ないが、親切にされると号泣したくなる」そうKさんは語っていた。
 われわれは今回のボランティアスクールで、こういう親や本人たちの「みんなちがってみんないい」という金子みすずの詩のような願いを市民に伝えたいと思っている。継続は力である。楽しみながら市民を巻き込んでいきたいと思う。