夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

見つけた!絶品アップルケーキ

2013-01-31 18:17:42 | 旅たび食べある記
1月30日(水)

 この日も好天で、ようやく春めいてきたというような気分になっています。客人・山川さんと共に、昨年ついに話だけで終えた「アップルパイ」の旨い店探しが、今回の山川さんの訪問で、鶴田の渋谷さんがその場所を教えてくれた。
 そして遂に行って来ました。板柳町駅そば、スーパーイトク側の協会に併設されたしゃれた建物でした。
 店の名は「イリス」ギリシャ語で「虹」という意味だそうです。
 行ってみると、「あー前にテレビで放送された時に、この方を記憶している」と、うら若きというのか美しいというべきか外国の女性でした。
 電話予約をしたときには気づけなかった日本語の流暢さは、津軽・鰺ヶ沢で生まれた方なのだそうです。

 店内にはかわいいグッズがあちこちを飾っており、奥のほうには聖書関係の書籍販売コーナーでした。アップルパイのほかに甘いお菓子もいろいろあり、ランチも日替わりなどもありました。
 三人で三類のメニューを注文して、分け合って味見をしてみました。
     

 予約をしたアップルパイ10ピースを、結局我慢しきれずにいただきました。


そして大満足でイリスを後に帰宅しました。
 

雪の中に眠る農場

2013-01-30 16:20:41 | 岩木山麓 しらとり農場日記
 1月28日(月)晴天

 「岩木山麓しらとり農場」の冬は何年ぶりだろうか。初めて農場を訪ねた時ですら春だったから、こんなに雪深い時は初めてかもしれない。林檎畑の中を通り抜けて辿る細い道。農場への道だと分かるのは、道路から電線がオーナーの自宅まで入り込んでいることでわかる。農場の敷地は二本の沢に挟まれているので、この沢の外に出なければ迷うことはないだろう。それにしてもりんご樹の枝がこんなにも埋もれているのだから、2メートルは雪が積もっているに違いない。
 

 この日の天候もよく晴れて、岩木山も頂上は雲の中にあったが、全体の容姿の殆どは見えていた。農場の日常がこの細いカンジキで踏み固められた道筋の中にあり、今は二人の幼い子どもたちを朝夕に保育所に送り迎えするのにたどっているのだと思う。
 昔の私の幼い頃は、まさにこうした深い雪国の生活の中にあった。だからなのか、この風景や踏跡が懐かしいと思う。

 今は三階建ての農場の母屋は、豪雪の中に埋もれてひっそりと佇み、二本の煙突から煙が真上に上がって私達を待っていた。オーナー夫人が夕餉の支度をしているのか、手作りの竈には鍋がかかっていて、ぐつぐつと煮えていた。


 農場のマスコット「トーベ」が元気よく私を迎えてくれた。相変わらずトーベは元気よく、農場のあちこちを走り回っているのか、足跡が縦横無尽に雪形を残している。番犬として立派にその役を果たしているのだろう。

 しらとり夫妻が私達を迎えてくれ、暖かなお茶でもてなしてくれた。
 山川さんとコンサート談義が始まり、農民管弦楽団の詳細を聞くことができた。宮沢賢治の昔の面影を知る人も打ち上げ会に訪れて、賢治の演奏のことなど聞かせてくれたらしい。
 今回の公演は北海道農民管弦楽団の人たちが殆どであり、東北管弦楽団のメンバーは少なかったようだ。東北管弦楽団は現在40名くらいはいるらしい。公演は来年の2月23日弘前で開催と聞いた。

 メンバーの一人で福島の方から、原発事故の後ではとても演奏をする気になれないと、メンバーから離れるという連絡が入ったとオーナーは気落ちしている様子だった。
 
 農場で飼育していたジャージー牛も人手に渡り、鶏も皆潰して今は飼育している動物はいないらしい。
 今度は豚でも飼ってソーセージやハムでも作ろうかと提案すると、オーナーは以外にも乗り気のようだった。障がい者の生産活動の裾野が広がるのは、私としても望むところなのだ。そしてゲストハウスを2室手作りで作る話も出て、春から夢だけでも忙しい。

金木駅~十三湖

2013-01-30 08:33:17 | つれづれなるままに

 ストーブ列車の旅は津軽五所川原駅をAM11:40に出発、あっという間に12:05斜陽館のある金木駅に12:05に到着した。
 サポーターの渋谷さんはすでに金木駅に着いて我々を待っていてくれた。津軽鉄道の旅をなごり惜しい気持で下車して、先ほど知り合った鉄道のアテンダントさんや乗客に手を振ってお別れした。

 渋谷さんの提案で雪の十三湖でお昼のシジミ貝ラーメンを食べに行くことになった。
、車は真っ白な一面の雪野原の中を、渋谷さんの庭のような田圃道を勢い良く走り十三湖に12:40到着。

 「和歌山ラーメン」という看板のかかる民宿兼食堂の駐車場に車を停めた。すると白鳥が餌付けされているのか、人懐こそうに寄ってきた。まだ幼鳥のようで、首元が灰色がかっている。全部で10羽ほどの白鳥である。間もなく北帰行の準備が始まるのだろう。

 シジミ貝ラーメンは塩味でシンプルな味だったが、細麺でシジミ貝の身も美味かった。
 食堂を出て先ほどの駐車場から十三湖の遠景の山々を見ると、青空に囲まれた白い冠雪の山並みが美しかった。

 さて、昨年10月下旬に山川氏を誘って、自然農を営む「岩木山麓しらとり農場」に出かけたこともあって、山川氏は冬の農場を見たいという強い希望と昨日の白鳥さんの出演した公演の激励をしたいと希望した。
 案内を買ってくれた渋谷さんも昨日の花巻市での公演の白鳥さんを車でエスコートして出かけたので全く依存はなかった。車は渋谷さんの熟知したそれぞれの道をまるで若者のドライバーのように勢い良く、一路岩木山麓を目指すことになった。
 
 

津軽鉄道ストーブ列車

2013-01-29 08:20:34 | つれづれなるままに
1月28日(月)晴れ

 不気味なほどにお天気がよく、きょうは千葉県からの客人・山川さんと、津軽案内人を買ってくれた渋谷さんのサポートを得て、五所川原市の津軽鉄道ストーブ列車に乗車することになった。
 「津軽鉄道」は一時期赤字などで存続が危ぶまれたことがあったらしいが、「サポーターズクラブ」の結成などでその危機を乗り越えて現在に至ると聞いている。
 
津軽鉄道線(つがるてつどうせん)は、青森県五所川原市の津軽五所川原駅から青森県北津軽郡中泊町の津軽中里駅までを結ぶ津軽鉄道が運営する鉄道路線。
津軽半島の中央部を南北に縦貫している。冬季には客車内の暖房に石炭使用のダルマストーブを用いる「ストーブ列車」が運行される。


 この日は比較的温かい日だったが、10人くらいの乗客は駅の待合室にストーブを囲んで待っていた。ストーブ列車と普通の電車とあるらしくて、この日は11時40分発の金木駅までの乗車券を購入した。そしてストーブにくべる石炭代なのか、ストーブ列車専用の切符も購入した。(300円)

 発車時間まで記念撮影をして、ホームで待つ。最近は観光客に様々なアナウンスをするべく可愛いお姉さんアテンダントも一緒に乗車するようになっているらしい。
 
 
 時間になって車内にいよいよ乗車し、ストーブ列車のそばに陣取った。

 乗車前に待合室の売店でスルメ300円を購入しておいて、このだるまストーブで焼いていただこうというのが本日のお楽しみ企画。(スルメは小泊産と聞いた。)
 アテンダントの他、ハッピ姿のおじさんたちが車内販売やらスルメを焼くなどのサービスを行なっていた。

 車内から吉幾三ではないが「雪雪雪叉雪よー」というくらいの白い雪原が窓いっぱいに広がっていた。冬の小旅行で鉄道から見る奥津軽の雪原は、なんとも心を慰めてくれる。
 時々車掌がだるまストーブに石炭をくべて行くなど、なんとも車内は賑やかである。車内販売のおじさんや、アテンダントの可愛いお姉さんが気さくにいろんなことを教えてくれていた。30分くらいの乗車時間はあっという間に過ぎ、目的地金木駅に到着した。

北海道農民管弦楽団in花巻市

2013-01-28 07:10:59 | 私と福祉とであいの旅
1月27日(日)

 車で家内と花巻市花巻市文化会館に出かけて、「北海道農民管弦楽団」の花巻公演を鑑賞しました。
 岩木山麓しらとり農場のオーナー白取克之さんがチェロを引っさげて出演するということもあって、昨年の秋に出会った千葉県在住の山川さんと花巻で合流しました。
 雪で荒れることを少し心配したのですが、天候も回復して太陽も覗く良い天候でした。 新花巻駅で午後0時40分に新幹線から降り立った山川建夫さんと昨年10月27日以来の再会で、壮健を喜び合いました。

 会場に到着すると駐車場も満員になりそうな勢いで、来場者数の多さに驚きました。

 ~宮沢賢治没後80年記念~第19回定期演奏会ということで、歴史を紐解くと1994年8月設立といいます。北海道余市町で開催された「日本有機農業研究会北海道グループ」(現北海道有機農業研究会)が3人の農民と1人の北海道庁農政部職員が発起人とのことです。
 私たちの法人が「生活リズムセンターノーム」としてスタートしたのも、1994年4月のことですから、19年目ということになります。

 初めは農民の管弦楽団という素人っぽさをイメージする気持を持っていたのですが、公演の演奏が始まるとなかなかどうして、メンバーの構成やらその迫力たるや堂々とした楽団の演奏でした。

 プログラムも宮沢賢治の好きだったベートーベン 「交響曲第6番 「田園」ヘ長調作品68や「美しき青きドナウ」(シュトラウスⅡ世作曲)、ボロディン作曲の 過激「イーゴリ公」より “ダッタン人の娘の踊り”"ダッタン人の踊り”のほか 「賢治の夢見た
2つの楽団の共演 「ばらのつぼみ」農民オーケストラ&金星少女オーケストラ「カルメン行進曲」「凱旋行進曲」 「星めぐりの歌」(宮沢賢治作曲による幻想曲」牧野時夫作曲)などが演奏されて、私は最高の気分の一日を味わいました。

 この日は宮沢賢治の弟である「宮沢清六」さんのお孫さん「宮沢かずきさん」も登壇されて、宮沢賢治が書いた詩で「永訣の朝」は「G線上のアリア」が朗読と曲の長さがぴったりする、「春と修羅」は「田園」がシノ朗読と一致する長さであることなどが紹介され、私も今度曲を聞きながら朗読してみたいと思いました。
 13時30分に始まった公演も16時に終了して、賞味2時間超の演奏会も大満足で終了しました。終了後に楽屋に足を向けて、白取さんに挨拶をして一路弘前へと車を走らせました。

 

  

白楽天「酒に対す」

2013-01-25 06:38:26 | つれづれなるままに
「酒に対す」白楽天

 蝸牛(かぎゅう)、角上(かくじょう)、何事をか争う
 
 石火(せっか)、光中(こうちゅう)、此(こ)の身を寄す

 富に随(したが)い、 

 しばらく歓楽せん

 口を開いて笑わざるは、
 
 是(こ)れ痴人



 ★訳
 
 カタツムリの角(ツノ)のような小さな世界で

 何を争っているのか。

 火打石の火花のような儚(はかな)い時間に

 この身を託す。貧富などどうでも良い、

 今は人生を楽しもう。

 口を開けて笑わないのは愚かものだ。


 1月25日(金)東奥日報社 漢詩の巻③ 

 大東文化大学准教授・山口 謡司氏より

2013年度の計画を練る

2013-01-24 06:53:22 | 福祉について
1月24日(木)

 年度末のこの時期、幹部職員に対して「事業運営方針」を示した。これをもとにして、それぞれの役割分担で各課ごとに事業計画が策定される。明日は合同会議で、各事業所の職員が集まる。出席者全員に提案書を配布して、本年度の業務改善事項を提案してもらうことになっている。決められたことだけを遂行するだけでは、質の向上は図られない。
 ということで、このところ私なりにも次年度の改善事項を考え続けている。

 昨日担当課スタッフと、空き時間を見ながら少し意見交換をしている。

 一つ目が生活介護対象者グループA(重度重複障害者)の支援内容の見直し
 二つ目がケアホームのドアツードアの送迎見直し
 三つ目が生活介護Bグループの、生産活動内容の見直しである。

第一の課題では、グループAの支援内容見直しは、今支援している内容のほかに、プラスアルファ活動を具体化すること。一日短時間でもその人固有の楽しみを身近にする時間と空間を確保支援すること。幸いなことに昨日は、市ボランティア支援センターから音楽ボランティアの申込もあり、外部支援も活用する方向でも検討できそうな気がしている。
 毎月の「みんなのうた」を一ヶ月ずつ通して歌う時間を持つこと。
 もう一つはこれも外部資源を活用して、ジャズダンスもしくはエアロビックス的な音楽を通じて樂しく体を動かすプログラムを開発すること。

 第二の課題ではケアホームの生活改善である。事業所から送迎バスに乗ってまっすぐケアホームの玄関に到着する生活が続いているが、本来の社会的な生活とはもっと気まぐれなものではないだろうか。
 せめて天気の良い日くらいは、寄り道をしながら帰ることもあって良いのではないだろうか。特に自分で帰ることの可能なメンバーにいたっては、歩くことの大切さをもっと感じて欲しいと思う。ということで、一日何歩という目標づくりをして、万歩計をつけていろんな場所からのケアホームまでの道草の日を作ることを考えている。あそこの映画館まではケアホームから歩いて何歩と記録して、ケアホーム周囲のマップづくりなども樂しいかもしれない。

 第三のBグループの生産活動の見直しは、現在作業棟工事が進んでいるが、生産活動による月3千円を稼ぐための計画である。
 今は自助具を制作して法人の畑で生産作付けしている大豆を使用しての、打豆づくりが調子がいいと聞いている。そしてもう一つが、手作り醤油づくりである。これも大豆を使用しての、大豆麹を作ることから始まる。



 重度の対象者で潜在的な能力を秘めている宝のような原石として、みんなで磨き上げることで彼らを輝かせることを又今日も考えたいと思う。


 

雪との格闘2

2013-01-23 06:38:46 | つれづれなるままに
1月22日(火)0℃ 

 津軽もこの日、真冬日からどうにか脱却。雪は降ってはいるが、みぞれに近い。写真は我が家の雪の量です。一昨日のお日様の登場で、屋根雪はすべて滑落して、少しはとけたのかもしれません。でもまだ1月ですから、本番はこれから・・・。青森に来てから34年目になりますが、自宅の雪を捨てに行くことはほとんど今までありませんでした。今年はそういう意味では豪雪なのかもしれません。私の町会には有り難いことに湧き水(清水)が流れている川があって、町会のこの川に近い方たちは軽トラックに雪をつけて行き捨てているようです。
 私も今年はじめて2回ほど、軽トラックで雪を捨てに行きました。
 湧き水は年中ほとんど水温が10℃~15℃と変わらないので、冬はむしろ暖かく感じるかもしれません。

 さて、この日は職場のスタッフ3名と一緒に、リサイクル活動や福祉ショップを営業している「あんしん屋」の屋根雪を下ろすことになりました。8年前にJA農協だった建物を改修して、後援会長の関係者から借り上げて営業して来ました。建物は規模が大きく、店舗部分はまだ堅牢ですが、借用外の奥の米の倉庫だった建物の老朽化が進んでいます。
 借りていない建物ではあっても、崩れると大きな被害にもつながりかねないので、今冬は少し早めに雪下ろしの行動をしています。
 
 この写真は福祉ショップ裏側の屋根です。雪止めをしているので雪が氷と一緒にまくれています。消火栓の看板があるのですが、凍っていて使えない状態です。
 
 この写真が先程の、雪下ろしの対象建物です。一応屋根に雪止めが付いているのかを確かめましたが、雪止めは見つからず命綱を2本準備しています。約2時間がかりで、ようやく下ろしました。
 屋根雪は3層ほどになっていて、一番下の雪がザラメ状態で上の2層の雪とは明らかに水分量が違いました。雪崩が起きる状態の雪の構造がよく解ります。トタン屋根なのでいつ滑り落ちるかわからないので、一番下のザラメの雪10センチ部分は残しながら、雪を下ろそうという方針を確認しました。
 隣の梅漬け屋のおばさんたちが顔を出して、「落ちないように気をつけて」とか「よく下ろしたね」など声かけをしてくれました。福祉ショップ裏の屋根雪もおろして、気持も軽くなりました。昔のJAの建物は地域の順公共建築物として位置づけされていたのか、玄関前には郵便ポストや敷地内には2箇所の消火栓や防火水槽があって、そこの排雪も求められるのです。
 今後この建物の継続使用をするか、移転先を決めるか判断の求められるところかもしれません。
 
 、

 

雪との格闘続く

2013-01-21 06:44:35 | つれづれなるままに
1月20日(日)

 この数日間雪が間断なく降り続き、弘前は除雪費用の抑制策なのかバス通りの道路も一車線しか確保されない状況が続く。

 土曜日は公休日だったが、ケアホームの排雪作業に出かけた。4人がかりで軽トラックに雪を4台分排雪し、12時30分に終了。帰宅後自宅の排雪作業を継続。
 一月に積雪が1メートルを超えることはなかったが、今年はすでに我が家の屋根雪が滑り落ちて屋根に届かんばかりである。今年は何となく胸騒ぎがあったのか、玄関先の犬走りと称する屋根付きの通路に雪囲い設備をした。やっていなかったらきっと毎日大変だっただろうと今更ながらほっとしている。最近は自分がもしこの家からいなくなった時に、家人は何に困るだろうかと考えること多い。特に冬の雪対策は急務で、今年並みに降れば、屋根雪全部が家の四方向に滑落する構造なので、家の中は真っ暗になる。そればかりか、一番困るのが、暖房設備に雪がかかるとたちまち暖房が使えなくなるのが一番痛い。
 次の対策はこのことを中心に改造していこうと思っている。

 さて、私の生活の基本的なスタンスは、自分自身の身体的負担を軽減した分を地域に還すことである。例えば町会への協力や、ボランティア会の活動などである。
 昨日はその高齢者世帯への屋根の雪下ろしを依頼されて、ボランティア会の同士5人で岩木山の2合目ほどにある「弥生地区」に出かけた。
 毎年出かけているおなじみの、一人暮らしのおばあさんの家である。
 家族が揃って暮らしていた時代の建物は、今ではおばあさん以外に暮らす人もない二階建ての雑貨屋である。(写真)
 一人でこの家に対峙したら、きっと諦めてしまいたいほどの積雪だった。
 それでも約1時間でなんとか雪を下ろし、道路に溜まった雪も除雪車で飛ばしてスッキリした。おばあさんもこれでようやく、安心してゆっくり休めると言っていた。

 もう一件はこのお店から0メートルほど坂を登った場所にある、おなじみのTさんの家。

 おばあさんが一人で暮らす2階建ての家は、屋根に雪止めがなくてペンキも塗ったばかり。ハシゴを掛けて足をトタン屋根に乗せても、ツルツル滑ってとても危険なので活動ができない。
 

 やむなくハシゴに乗りながらの作業を続ける。裏側の岩木山はきょうは吹雪いて姿が見えない。 -->