夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

新潟行き

2009-02-27 07:11:39 | つれづれなるままに
 今夜の夜行バスに乗って、家内と二人新潟へ帰郷します。ほとんどとんぼ返りですが、一ヶ月ぶりのおふくろの見舞いです。もうそろそろ退院の日が近いのだろうと思いますが、まだ退院後の生活がどのようになるのかが決まっていません。たった一日で何がわかるのかわかりませんが、おふくろの顔を見るのが楽しみでもあります。少しでも笑顔でいてくれたらいいなと思います。そんなわけで、このブログは1日までお休みです。今日はいい天気なので、バスの走行も心配なさそうです。

もう如月が行ってしまうね

2009-02-26 16:55:03 | つれづれなるままに
 僕と娘の誕生月
 如月が
 あっという間に
 過ぎようとしています
 なんだか
 2月生まれだけ
 短くて変な気分です
 そういえば
 僕の干支は
 辰年だけど
 龍も十二支の中では
 唯一の架空の動物だよね
 どうってことはないんだけど
 なんでかなあなんて思ってしまう
 世の中にはどうでも良いことが
 たくさんあるけど
 気になることは
 いろいろあるよね
 昨日の沖縄は+26℃もあって
 北海道では-26℃だって
 これだって
 日本の温度差が
 50℃以上もあるってことの
 不思議さだなあ
 3月中旬には
 関東では桜前線が到着
 そして
 東北にはさらに1ヶ月かかって
 北海道ではその後になる桜の開花
 いつもそう思うんだけど
 準備している時期が
 なんだかねえ
 いちばんうれしいんだなこれが
 遠足の前の
 リュックの中に
 つめる物の準備なんてさ
 なんだか最高の夢舞台
 オフクロの用意した
 夏みかんのあの香りが
 リュックの中に満ち満ちていた
 あの香りはそっくりそのまま
 遠足という
 まだ見ぬ光景を
 想像させる香りだよね
 でも
 いよいよその当日が来れば
 あっという間に
 夢は現実に変わって
 雲散霧消してしまう
 如月という月は
 そんな意味でも
 夢の膨らむ季節なんだなあ
 津軽では雨水を過ぎて
 雪が雨に変わり始めています
 昨日の夜も
 星空がきれいでした
 きらきら輝く星空を見ていると
 凍てついているからこそ
 星々の輝きが増しているんだと
 妙に納得しています
 寒くても短くても
 如月って好きだなあ
 
 
 
 
 

朴さん帰国

2009-02-26 06:43:19 | つれづれなるままに
 朴 正健さんが一年間の留学生活を終えて、韓国へ帰国した。それにしても、すごい荷物だなと感じた。チャージ量の超過分が、2万円だったらしい。韓国にはスキーのできる場所があったろうか?スキーボードも誰かにもらったという。朴さんの人柄なのか、弘前には朴さんの友人や後援者がたくさんだ。昨年来日して弘前大学の留学生となった彼(22歳)は、日本語がこんなにも上達するものかと思うほどうまい。私がハングル教室に5月から通い始めて6月に彼と出会い、9月に来日予定の宋さんとの会話の足しになればと彼を講師に学んだ。そして県ソーシャルワークセミナーの開催にいたるまでの1週間、宋さんと一緒に我が家に滞在して十和田湖や八甲田山にも足を運んだ。何よりも宋さんとの心の距離が一挙に短縮したのは、何よりも彼の存在が大きい。
 その出会いは以後もあうんにボランティアという形でつながり、すっかりあうんスタッフを魅了した。彼と同大のミンジさん(女性)が彼の後をつなぐ形で、今は繋がっているのがもっともうれしいことでもある。
 この春4月にはわが法人後援会副会長の田中さんが、弘前ねむの会木村直美さんと一緒に訪韓し、早速また彼は通訳を引き受けている。7月に韓国の子供たちを弘前市に招いて、交流行事があるのだ。ひょっとしたら彼はそのときにまた随行してくれるのかなと期待している。11月には2年間の軍隊の兵役が待っている彼は、それまでに私に韓国を訪ねてほしいという。8月に家族で行こうかなと思い始めている。
 宋さん、朴さんとミンジさんなど具体的な存在がいて、韓国という国が身近なものになった。人の出会いをこうして国を越えて行える縁に今更ながら感謝し、これからもこの姿勢を保ち続けたいと望んでいる。

チャレンジドの余暇支援

2009-02-24 07:13:25 | 福祉について
 私たちの福祉支援の中でいまだ確立されていないエリアが、ハンディキャップのある人たちの余暇支援のあり方や社会参加のあり方である。仕事ができるということに重点が置かれ、社会の中で楽しく過ごすということが比較的おろそかになっている状況がある。対人関係のあり方がそれにセットとしての課題ではないだろうか。
 わたしたちはこれまで、「地域で暮らす」をテーマに活動実践をしてきたのだが、まだまだ日常的な暮らしの中に十分に踏み込んでいるとはいえない気がする。

 「ノーマライゼーション・八つの原理」ベンクト・ニーリエ(スウェーデン)

(1)知的障害者のみならず、あらゆる障害のある人はノーマルな1日を体験する権利がある。
(2)ノーマルな一週間のリズムを体験する権利がある。
(3)ノーマルな一年間のリズムを体験する権利がある。
(4)子どもから大人になっていくというノーマルなライフサイクルを体験する権利がある。
(5)自己決定権と個人としてノーマルに尊厳を受ける権利がある。
(6)その人の住む社会の文化慣習に則ってノーマルな性的生活をする権利がある。
(7)その国におけるノーマルな経済的水準を得る権利がある。
(8)その人の住む社会におけるノーマルな住居・環境水準を得る権利がある。

 知的なハンディキャップを負う彼らの、参画と主体性や選択権、自己決定権などの実現こそが今後の私たち支援者の重要な目標にすべきなのだろう。それをまず体験する場として、年間を通じたレクリエーション活動こそが彼らの力を伸ばす機会ともいえるのではないだろうか。
 今回のウインターレクリエーションはそういう意味で、とても楽しい交流の機会と、思い出深いものとなったのではないだろうか。


スノーレストラン

2009-02-22 16:38:19 | 福祉について
 昨日は岩木山百沢スキー場で、わがパン工房ゆいまあるメンバーのレクリエーションを開催した。いろんなメニューがあったけれども、私が一番気に入ったのが森の中をスノーシューという洋式の寒敷(かんじき)で歩くメニューだった。楕円形の寒じきは踵の部分だけが上がり下がりできるようになっていて、ストックと一緒にスキーのように歩くととっても調子よく歩けるのだ。日ごろの運動不足も手伝って、早速筋肉痛の洗礼を受けている。この時期の山々はまだ風が吹けば寒々としてはいるが、お日様が出れば汗ばむことにもなる。広葉樹の林の中には「クロモジ」という楊子の原材料にもなる木や、コナラ、ミズナラ、イタヤカエデ、白樺なども混交している林があり、来月後半にはおそらく咲くであろうマンサクやオオヤマザクラなどが花芽を蓄えていた。
 昼食会場には薪ストーブが2機据えられて、りんごの薪でカレーライスや焼きりんごを準備した。スノーソーという雪切り専用ののこぎりで四角に切り出し、順に積んで風除けの壁を作った。そして椅子やテーブルもそのそばに設置してみんなで昼食をいただいた。焼きりんごも生食とは違って甘みが増し、好評だった。野外でいただく昼食は、どうしてこんなに美味しく感じるのだろうか。空気も美味しいことや、林の中での景観にもこころが開放されることもあるのだろう。
 一生懸命働くだけではなく、休日にはこうしてみんなで集まってアウトドアスポーツなどで楽しむことも大切な心の健康づくりだと思う。みんなの笑顔を見ながら一層そういう思いを強くしている。無論私の運動不足解消の機会でもあるのだが…。
 

POEM

2009-02-19 16:19:58 | 創作(etude)

 どんなに言葉を並べても
 自分の心の中の気持ちは
 既に決まっていて
 悩んでいると感じようとも
 進むべき道は
 既に広がっているのだ
 それが自分に見えないだけで
 
 そんな時は
 こころ許せる友達と
 お酒をゆっくりと
 呑むがいいさ
 急がないでね
 こころを
 洗いざらい
 テーブルに並べてみよう

 それだけで
 なんだかとっても
 すっきりする
 そんな瞬間がある
 お酒の勢いも借りながら
 友達の後押しも借りながら
 そしてふーっと
 力を抜けばいいのさ

 疲れたら
 眠るしかないさ
 朝になれば
 違う気持ちの
 自分がきっと
 食卓に座っていて
 苦いコーヒーをなめながら
 にやりと笑うだろう

 歩き出すしかないんだ
 春風に押されながらでも
 地吹雪に転がされながらでも
 とにかく自分の身が
 どんな転機を待っているのかなんて
 わかりゃあしないのさ
 それが人生
 意外な方がおもしろいよね

 今度はどんな
 出会いが待っているのだろうか
 ずっとそうだったように
 これからもずっとずっと
 愉しく生きるがテーマだから
 何で生まれたかを思う前に
 愉しく過ごすにはどうすればよいのか
 It's my humor.
It's my way of life.
 
 
 
 

のれそれ雪とろけ隊作業

2009-02-19 10:25:59 | つれづれなるままに
 この数日ブリザード模様の凍(しば)れと降雪の日々で、高齢者世帯のふれあい旗がはためいている。この旗の設置世帯は21世帯で、ボランティアの手を待っている世帯である。今朝も10センチ程度の降雪があり、この世帯を巡回した。21件の世帯のうち7割は自分でまだなんとか作業が出来ているか、もしくは近隣の援助を受けていて巡回してもきれいに雪は処理されている。そしてそのうち3件程度が、除雪の手伝いを必要としている世帯である。
 ふれあいの旗はオレンジ色で、玄関先にたなびいている。その旗が目印となって、行動を除排雪した際に盛り上がっている玄関先をボランティアが処理するという目安にもなっている。
 今までのれそれ雪とろけ隊は、高齢者世帯や障害者世帯の屋根の雪下ろしをメインに集中してやって来たが、この数年暖冬少雪のために活動の必要がなかった。今回は玄関先から道路までの除排雪で、住民ニーズが変わってきたと云うこともある。目印があることで、個別ニーズが見えてきたような気もしている。

短歌

2009-02-18 13:30:01 | 創作(etude)

 ・雛祭る君の背中は娘なり遠き青春思い起こしつ

 ・ひな壇のお内裏様は右だっけ今の社会は何でもありか

 ・雨水とは雪が雨に変わる時期津軽の春もこの雪の後

 ・今の世は七段飾りじゃ流行らんとひな壇セットをゆずる人あり
 
 ・沖縄と津軽の温度差22℃電話の話題も驚きの連呼

自然はぼくの先生だった

2009-02-17 17:06:12 | つれづれなるままに
 きょうラジオでプロのナチュラリスト(自然愛好家)の話を聞いた。ナチュラリストを自然愛好家というのか、あるいはヌーディストを云うのか二通りあるらしい。ぼくのこの場合は当然前者を指しているのだが、ヌーディストを先生としたら奇妙な世界にはまりこむことになってしまいそうだ。
 ぼくの幼少時の世界は、ほとんど山川草木(さんせんそうもく)が人生の先生だったような気がする。村のマタギの家に出入りしていた私は、当然その家の文化に触れることになる。囲炉裏にはいつも大鍋が自在鉤にぶら下がり、ぐらぐらと雑炊が煮られていた。囲炉裏の上には魚の燻製やトウモロコシ、マムシなども燻製になっていた。
 こどもも沢山いてこの家は、僕たちの格好の遊び場として飽きることはなかった。ぼくは中でもこの家の寝室が大好きで、お昼はみんなでツキノワグマの毛皮の敷き布団に寝た。なんたって熊の頭が枕代わりなのだ。ヒンヤリとしたあの毛皮の感触は、いつも僕をすーっと眠りの世界に誘った。
 廊下には散弾銃が何丁も転がっていて、こどもたちも、いつでも自由に触ることが出来たが、飽きていたのかそんなに触れることもなかった。
 ある年の雪の日一回だけだが、この家のおじいちゃんと若旦那が仲間としとめた大物のツキノワグマを見たことがあった。玄関先にしとめられたツキノワグマが吊り下げられ、新聞社から記者も来ていた。当然その熊の面にも僕たちは飽きることなく離れずに見届け、そして熊の肉も鍋で煮て食べさせてもらった。
 猟犬が何匹もいて、その犬たちも肉を沢山振る舞われた。その翌日肉を食いすぎたのか、猟犬が自分の分を食べていた。後で考えると、それは彼らの病人食だったのかも知れない。
 僕の食文化は、このマタギの家で大きく変わっていった。ある時は薪割りをしながら、薪の中に潜むカブトムシ大の白い幼虫を焼いておやつ代わりに食べさせてもらったjことがある。あの口の中に広がる、幼虫の体液が未だに記憶の彼方に残っている。 

NHK/闘うリハビリⅡ

2009-02-16 15:06:54 | つれづれなるままに
 NHKの再放送番組だろうか。「闘うリハビリⅡ」を見た。脳卒中後遺症の患者さんとその家族の病気との闘いの日々である。私の実母が当事者でもあり、今現在病院でのリハビリに対峙している最中である。そういう意味で何だか他人事では見ることができなかった。
 病院でのリハビリは往々にして訓練室だけのリハビリになりがちである。退院後の日々が、現実的に問題なのである。訓練室と家庭との違いが、やる気をなくさせてしまうことが多いのも現実である。専門家である医師や理学療法士が必ずしも患者一人一人に十分向き合えないのが日本の医療の現実ではないだろうか。機能低下をさせないための手立てはあるのか。私が特別養護老人ホームのスタッフだったころを振り返れば、日本のことに北国の家庭生活は寒さとの戦いでもあることを思い起こさせられる。11月から4月までは雪や寒さで家庭内に閉じ込められてしまうのだ。寒くて布団から出られない人も何人も見てきた。そして、何よりも患者本人が自分の病後の生活を具体化できないでいることが最も大きい課題かもしれない。
 番組の最後の方になって初めて、患者のできることややってみたいこと(行ってみたい場所)などを聴く医師がいた。患者自身が動くきっかけ(動機)があって、初めて、生活が変化することを見事に表現していた。これまでのリハビリは、患者のできないことばかりを並べ立てて、やる気をなくさせていたのかもしれない。
 われわれの事業所での障害者観も、まさにここが大切なのではないだろうか。その人の楽しみや関心、希望を十分把握することによって、その人自らが動き出すことこそ大切な自己実現につながるのだ、そう思いながら休日を過ごした。