夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

出会うべきとき

2009-11-30 09:30:47 | 私と福祉とであいの旅
 10年ほど前に西宮市の石井布紀子さんと出会った。そのときは阪神淡路大震災のボランティア支援センター事務局長だった彼女の公演を聞いたときだ。そして7年前に(もうそうなるのか・・・)再度あうんにやって来て、一緒に岩木山の巨木の森や、桂清水の灯明杉を見てもらった。そしてその後西宮を訪問して、授産施設などを案内してもらった。
 そして本当に久しぶりにまた彼女がやって来た。わずかな時間だったが、彼女に我々の新しいゆいまあるなどを見てもらい、パンを食べてもらった。彼女もこれから西宮で就労支援A型のオーナーとしてレストラン経営に乗り出すという。人口が多いとやることも大きくなるなとふと思った。
 そして今回は田中弘子さんのツナガレットサロンの事業でNPO法人「カタリバ」の今村久美さんとの出会いがあった。まだ若い女性(29歳)だが、しっかりとした考え方や価値観を既に持っており、今まさに輝いている。大学生をボランティアスタッフとして組織し、高校生たちに新たな生きる道を考えてもらう仕組みづくりを仕掛けている。
 彼女の言う「サザエさん」の物語で、カツオ君の隣のお姉さんとしての存在作りだ。親や兄弟には心の悩みを打ち明けてもわかってもらえない。利害関係のない隣のお姉さんは、すなおに悩みを聞いてくれ、更に年齢的にも接近しているので親近感がある。価値観や考え方も身近なので、素直にその声を聞きやすいという利点を生かしている。いわゆるピアカウンセリングの関係に似ているのかもしれない。
 私たちの現代社会は、昔あった近所づきあいが途絶え始め、更には少子化などによる同世代の少なさ。科学の発達に伴ったインターネット文化は一層個々の生活スタイルを孤立化させている。身近な人に相談できない若者たちは、インターネット上で自分の分身(アバター)を使って(でも、それは自分の嫌なところは偽装している)他のアバターと語り合い、恋愛したりして架空の世界を作り上げて満足している。それでは社会の中で幸せを築くことなどできない。そういう意味で、もう一度彼らに自分が大学生たちの生き方や考え方を通して、自分との対峙を体験させ違いを考えてもらいながら、その生き方を自分にも生かす方法を支持している。
 私はこの話を偶然にもブルーベリー畑で枝の剪定をしながら、NHKラジオ番組で聞いていたので、とてもすごい偶然だったのだと今更ながら思っている。
 自分の高校生時代はどうだったろう?大学時代はどうだったろうなどと、思いを馳せてしまった。
 これから自分がどのように、生きればよいのか、どのような職業が自分に相応しいのかなど、まるで見当もつかずに茫漠たる不安だけがのしかかっていたのではないだろうか。自分で一番共感できたのは、結局大学の授業ではなく、アルバイト先のおじさんたちの生き方だったような気がする。どのおじさんたちも、一朝一夕に現在があるわけではなかった。社会の中で育って来たのだ。いい事も悪いこともみんな一身で受けながらも歯を食いしばって、それでも止めずに歩いてきた結果なのだ。食堂の飯炊きのおじさんにだって、その道の理論がちゃんとあった。だから飯炊きに関しては誰にも負けないというプライドもあった。そういう生き方に触れて、感動した経験が私を今につなげている気がしている。34年間曲がりなりにも私は一貫して福祉の道を進んできたのだから・・・。
 そんなことを思いながら、目の前の輝いている女性の話に耳を傾けていた。

短歌/子別れ

2009-11-27 06:56:53 | 創作(etude)
 
 ・言葉なき吾子ベッドにて本読みてわれを起こすに本を落としぬ

 ・この年を限りとしておる吾子との日三十三歳旅立ち間近

 ・吾子背負い日々つなぎおる幸せも新たな年に老いを背負うか

 ・吾子の弾く即興曲は胸に沁む酒を酌みつつ目頭熱し

 ・父母と呼べない吾子のまじまじと見つめる眼何を語るか

 ・父親と同じ月日に生まれたる吾子のアルバム引き出している

賢治記念館にて

2009-11-26 13:44:22 | つれづれなるままに
 宮沢賢治の実家のある花巻市。私は33年前に卒論を書くために1ヶ月近く逗留したが、このときには駅前も殺風景だった。また賢治饅頭程度しか賢治の名前は見えなかった。花巻市の図書館に行っても宮沢賢治の書籍はとっても貧弱であった。それがどうだろう、今は「宮沢賢治記念館」をはじめ「宮沢賢治イーハトーブ館」「宮沢賢治童話村」などが整備されてきた。羅須地人協会は妹のトシが結核で療養したときに使用した建物だという。

 私たちは午後2時ごろに記念館に到着し、遅い昼食をとり、のんびりと童話のスライドを見たり、星座のドームでも賢治の雰囲気を楽しんだ。長女と次女の名前を童話からいただいたことも、より私たちを賢治ファンとして引き付け続けているのだ。39歳で夭逝していったこの天才が、今100年たってようやく多くの人々に支持されていることの、不思議さと悲しさを禁じえない。とかく人の人生とは、そういうものなのだろうかとふと思うのであるが・・・。

ブルーベリー木の枝の剪定

2009-11-26 07:15:19 | つれづれなるままに
 久しぶりの温かなお日様を頭上にいただいて午前午後にわたり、一人でブルーベリーの枝の剪定作業をしています。剪定の目的は余計な枝を落として、お日様や風をブルーベリーが受けやすくします。そして果実を収穫しやすくするための環境づくりと、必要な枝や果実に栄養が十分に行きわたるようにするためです。
 特別指導を受けたわけではないので、私のやり方が正しいのかわかりません。でもブルーベリーの木の気持ちを考えて、さながら床屋さんになった気分です。これが終えるといよいよ越冬準備で、枝を支柱に縄で巻きつける作業です。気象庁の長期予報(3ヶ月)が出ましたが、暖冬の予報です。でもそこそこには雪が降るので、枝折れしないように気遣います。来年は半分の120本をほかの畑に移植する作業が待っています。樹間を空ける必要があるからです。3年目に入り木々もだいぶ育ってきました。できればもう少し違う種類も植えたいと思っています。目標は1000本です。毎年少しずつですが目標に近づきたいと思っています。疲れたときに仰ぐ岩木山が、やさしく励ましてくれます。きょうもお天気がよさそうです。あと120本の剪定作業が待っています。

初冬の十和田湖~乙女の像

2009-11-24 12:59:33 | つれづれなるままに
 大学を卒業して34,5年になるが、私とKさんは未だにありありとその当時の楽しかった仲間関係とキャンプ、そして旅などを語り合うことができる。意識の中の青年なのかもしれない。しかし現実の課題として、既に若くして他界して逝った仲間たちも結構出てきているのだから、いつでも会えるとは限らない。3年ほど前にOB会を開催してからも既にそこにいた2人は他界していないし、ほかにも一人が逝ってしまった。50代で他界するのは今の高齢化時代では逆行する現象かもしれないが、それもまた現実なのだ。「一期一会」まさに我々はそういう年代に差し掛かりつつあるのかもしれない。会えるときに会っておきたい。そういう心情が我々にはある。そしてDYHCというOBの交流がこうして続いていることに、私は感謝しているのだ。確かにあった青春を、お互いに確認しあいながらお互いの今を感じ合うことが、息災でいることの感謝にもつながるのかもしれない。そして一人の人間としての人生を、思う機会ともなるのだろう。
 Kさんとその奥さんが共に同じサークル仲間であることは、私にとってはより身近な存在として親しみを持っている。
 十和田湖のホテルを朝9時に発ち、少し前まで降っていた雨が次第に上がると、湖面から美しい虹がかかってそれも自然との偶然の出会いでもある。奥入瀬川の水は夏場の水量に比べ、半分以下に減っていた。銚子大滝もそういう意味では少し見劣りがした。雲井の滝、阿修羅の流れ、石ヶ戸などをざっとその場で写真を撮っただけで、一路Kさんの次の目的地山形に向かうために盛岡駅まで向かった。
 別れ際はいつもあっけなく、そして一抹の寂しさも沸いてくる。お互いに元気でまた合おうという気持ちで、硬い握手を交わしてKさんと別れた。

初冬の十和田湖 その2~ この時期だからこそ

2009-11-24 12:58:08 | つれづれなるままに
 発荷峠を越えるときにまず最初に視界に飛び込んでくるのは、十和田湖の遠景である。前日にまとまった雪が降ったので、好天のお昼になっても道路の両脇や展望所付近は雪でつるつる滑った。青空に湖面が鏡となって青く湖面を輝かせて、まるでルビー色に見え美しかった。
 十和田観光ホテルには午後2時30分ころに到着し、早速Kさんと私は「乙女の像を目指して歩いた。休屋にはそれでも連休の観光客が結構いて、乙女の像を目指して歩いていた。休屋のそばの湖面には越冬準備を終えたスワンボートがビニールを掛けられて陸に上がっていた。そして波打ち際付近には餌を求めて鴨や白鳥が賑やかに食餌をしていた。連休の客を当て込んだのか遊覧船もまだ走っている。私たちはその船を横目に見ながら、高村光太郎製作の「乙女の像」にたどりついた。何度見ても私にはこの像は乙女には見えない。姉様の像といったほうが似つかわしく思えたが、その前で二人で写真を撮った。風はさすがに冷たく、乙女の像は裸でもあり、冬見る像でもないなと思いながらホテルに戻る。
 このホテルには温泉がわいており早速入ろうかと思いつつ、二人でビールで再会の乾杯をしていた。冬のたびのごちそうはなべなどのあったかい料理もありがたいが、何よりも冷えた体や疲れた心身を解きほぐす温泉が何よりだと思う。いつもよりもゆったりと、温泉に浸かりながら二人で思い出話に花を咲かせていた。
(続く)

初冬の十和田湖へ~まずは大館の親子丼から

2009-11-24 07:01:22 | つれづれなるままに
 初めて初冬の十和田湖を訪問しました。大学のサークルの後輩Kさんが、私をたずねて東京からやってきました。久しぶりの再会です。彼も出身が同じ新潟ということもあって、また奥さんが私の東京時代の職場にボランティアに来たことがあって、共通の友人という感じです。そのKさんからのリクエストが、十和田湖でした。宿をいつもお願いしているK荘にしようと思って電話すると、11月上旬で旅館を閉めてしまうので無理とのこと。そしてお隣の十和田観光ホテルを紹介されました。こちらに電話すると、やっぱり冬は11月17日で閉館なのだそうですが、連休期間だけ感謝で宿を開けることになったのだということ。幸運にもそこを予約しておきました。今回は家内と娘二人も同伴で一緒に十和田湖と岩手の賢治記念館をドライブコースに入れておきました。
 朝8時にKさんを弘前駅前に迎えに行き、久しぶりにKさんの笑顔がそこにありました。久しぶりの会話をしながらいったん我が家に腰を落ち着けた後、せっかくなのでと町の「あたご温泉」へ朝風呂に浸かりに行きました。長距離バスの中で身体を伸ばせないままの移動はさぞや疲れたことでしょう。温泉はそういう意味でも、疲れた身体を癒してくれたようです。遠方から誰かが来ないと、私も余り温泉には行かないので、とてもあったまりました。何しろ温泉は一人350円ですから安いものです。
 さて、Kさんに私の職場を案内した後で、いよいよ十和田湖を目指してまずは安全な道を選んで大館を目指しました。13時に昼食をとるために比内鶏の肉を使った親子丼の店を訪ねました。周辺の店はほとんどシャッターが下りていましたが、この店だけがなぜか昼を過ぎてもにぎわっていました。こんなに食べられるかなと思うくらいに、大盛りの親子丼をいただきました。肉はいったん網であぶって使っているようでした。
 遅い昼食を済ませて、今度は樹海ラインから発荷峠を越えました。お日様が十和田湖を照らして青空を映してとても美しく見えました。冬の十和田観光もなかなかシックでいい感じです。(続く)

岩木颪

2009-11-21 11:33:10 | つれづれなるままに
 
「シーハイルの歌」

 岩木のおろしが 吹くなら 吹けよ
 山から山へと われらは 走る
 きのうは 梵珠嶺 今日また 阿闍羅
 けむり立てつつ おお シーハイル
 ステップ・ターンすりゃ たわむれかかる

 昨夜遠雷の音を聞きつつ深い眠りに落ちた。そして朝方は約5センチの積雪が庭先に見られた。ついに里の雪も二度目ともなれば、意識モードも冬のバージョンに切り替えが始まっている。
 タイヤは既に冬タイヤに変えたのだが、スリップを恐れて新品に換えている。慣れというものは恐ろしいもので、雪道やアイスバーンのスリップ体験などが始めは慎重に運転を促す。しかしそれも次第に大胆になってきて、乾いた道路と同じ速度で走り始める。
 冬の早朝のことだ。道路は乾いているかに見えたが、実はアイスバーンだった。弘前城公園からキャッスルホテル前を走行してゆるい下り坂になるが、そこに差し掛かるとやがて信号の交差点にいたる。その交差点で車が赤信号で止まっているのを確認し、ブレーキを踏んだ。急ブレーキではないものの、見事にタイヤは滑って青銅不能に陥り、やがて一番後ろの普通車に静かにぶつかっていった。幸い怪我をさせることはなかったが、相手の車の修理代で35万円もふんだくられることになった。冬道恐るべしである。車対車であればこれですむが、車対人ともなればことは違ってくる。まず気持ちがかなり落ち込むことになるだろう。
 この冬ゆっくり走行に心がけたいものだ。


11月21日(土)降雪の朝

2009-11-21 07:12:50 | つれづれなるままに
 何か肌寒さをいつもより感じていましたが、カーテンを開けるとAM6:00には既にしっかりと一面真っ白な雪でした。これで里には二度目の積雪です。冬がどんどんなじみになってゆきます。体感温度が季節によって変わるのはどうしてなのでしょうか。慣れるということは、自律神経が自然に調節してくれるのでしょうか。夏場の10度と冬場の10度はかなり感じが違います。
 この雪はきょういっぱいで融けてしまうのかな?津軽ではシャーベット状の雪を「ジャケル」というのですが、気温が高いと雪が融けて、車も人も苦労しますね。
 白鳥たちはおなかいっぱい食べることができたでしょうか?

白鳥の落穂ひろい

2009-11-19 09:20:06 | つれづれなるままに
 例年よりも1ヶ月近く早く、白鳥の一群がやってきた。あうんの裏手には水田が広がっているが、今朝方水田に雪でも積もったのかと思いきや白鳥の群れだった。
 そばまでカメラを持って近づいたが、逃げるそぶりもなく一生懸命に落ちている稲穂の採食風景である。中にはまだ体毛がグレーの幼鳥も混じっていた。機械で稲を刈ると思わぬ副産物があることを、こうして白鳥から教えられている。この冬は雪が多いのだろうか・・・?