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夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

創立十周年記念祝賀会開催

2010-03-30 07:45:08 | Weblog
 パークホテル弘前にて、「社会福祉法人 抱民舎・であいの家あうん」の創立十周年記念祝賀会を開催しました。71名の方々の参加で賑やかにそしてほのぼのとした楽しい祝賀会を開催することができました。
 ともにこれからの十年を進む仲間たちと、喜びを確認できてとても幸せでした。そしてこれまで法人に功績のあった方々に敬意と感謝の誠を捧げることができ、心の中の重荷を取り除くことができました。
 私は幸運な男だと思います。皆様お一人お一人が、神の使徒に見えました。

ケアホームの日々

2010-03-12 07:02:21 | Weblog
 ケアホームの体験入居5日目です。初日から4日間、スタッフや入居予定メンバーの様子などを気にして通いました。機械操作のスタッフへの説明や、不足している家具などの準備も行いました。しかし、まだまだ全部はそろっていません。昨夜は夕食は鶏のから揚げでした。Iさんはもう早くご飯をよそいたくて仕方ありません。ゴーサインが出ると、みんなの分をよそってくれます。Nさんは母親以外の若いスタッフと話したくて仕方がなかったので、今夜はとってもご機嫌でスタッフのそばでひたすら話しかけています。介護程度の多いわが娘たちも、ようやくこのSEEDSでの生活に慣れ始めているようです。二人の娘は帰宅後は音楽三昧で、ギターやキーボードを触って楽しんでいます。
 なれない入浴のリフトとシャワー椅子もデモ機が3台目で、ようやく娘たちにフィットして気持ちのよい入浴を楽しんでいます。毎晩の家庭と遜色のない入浴保障は、親にとって夢のような日々です。昨夜もケアホームでの幸せそうな姿を確認してから、家内と二人で今までは考えられなかった二人だけの温泉入浴と外食を楽しみました。でも、余り外食する機会などなかった二人は、気の利いた店がわからないで、うろうろしていました。結局なんでもそろっているお店を探して、とんかつをいただきました。でも、感想は自宅でやっぱり食べたほうがおいしいねでした。
 今夜で最後になるケアホーム入居体験です。家内と二人で今夜もケア穂^無に立ち寄った後、これも今まで体験のない夜の映画鑑賞です。「シャーロックホームズ」が封切です。夕食をいただいた後、楽しみます。終わったら、温泉入浴をして休みます。娘達のいない間のひと時の幸せを感謝して・・・。

ケアホーム「SEEDS」地域住民内覧説明会

2010-03-10 07:43:02 | Weblog
 3月7日(日)ケアホームが完成し、地域の皆さん方に初めてケアホームを紹介することになりました。町会長さんや班長さんに何度かご挨拶とお願いをして、この日が実現しました。晴れ上がったケアホームの部屋に、朝日が差し込んで気分も最高です。
 初めにやってきたのは八戸市のKさんです。彼女は発達障害の息子さんを入所施設から引き取って、一戸建ての自立ハウスを建てた方です。しかし、ヘルパー派遣などで運営してきたのですが、訪問時間の支給量制限などで継続困難となって今年いったん撤退し自宅に引き取っています。
 10時30分ころから地域の皆さん方が誘い合って、顔を見せてくれました。全部で15人ほどの方々が、ホームのあちこちを説明を受けながら見て歩きました。
 そして食堂で私たちの法人の福祉についての考え方や、ケアホームの仕組みなどを説明しました。班の住民は12世帯ですが、かなりの皆さん方がおいでくださったようです。
 お年を召した皆さん方も、ケアホームのバリアフリーや介護機器などを感心してみてくださいました。
 町会長さんや副町会長さん、班長さんも駆けつけてくださってこれから一緒に町会福祉の向上に協力関係を築いていくことを確認しています。私たち社会福祉法人 抱民舎がこの町会でも持てる資源を提供することで、存在意義が高まるものと思えました。
 
 
 

制約者のちから

2010-03-02 07:43:54 | Weblog
 生まれながら 
重い心身の
 制約を受け
 三十年以上
 光る石の
 輝きのように
 明るく
 いのちを
 つむいで
 生きてきた
 きみたち

 きみたちの
 存在は
 この地球上の
 太陽のような
 暖かさである
 緑の草原に
 黄色く広がる
 日常の
 安心である
 その誰をも
 責めない
 疑うことを
 知らない
 その澄んだ
 瞳の青は
 新世紀の
 哲学である
 
 きみたちが
 この地球上の
 アジアの
 日本の
 東北の
 青森県の
 弘前市の
 わが家に 
 誕生したことで
 わたしたち
 家族の
 生き方を
 人間としての
 あるべき姿を
 絶望という
 漆黒の闇から
 大きく
 吹き払う
 力として
 伝えてきたのだ

 ここでは
 ことばは
 無力である
 ことばは
 外皮である
 ことばは
 デコレーションである
 しかし
 制約者の
 発意は
 魂である
 五感を
 研ぎ澄ませ
 見て
 聴いて
 触れて
 感じること
 すると
 ぼんやりと
 その実象が
 意識の中に
 浮かぶだろう
 
 わたしたちは
 かれらの
 内なる
 ほほえみから
 何を学ぶだろう
 敵意など
 もったことも
 攻撃などという
 概念すらない
 その存在は
 ガイアの
 分身である
   
 


 
  
 
 
 それでも
 

如月は短し

2010-02-13 06:58:06 | Weblog
 毎年のことだが私の生まれた如月(2月)は、いささか短すぎる気がする。ふと気づけばすでに14日で、あと半分しかない。如月は着更衣とも・・・寒さも厳しい日々で、きょうの弘前市の最低気温は-8℃、最高気温も-2℃の真冬日である。
 きょうはバレンタインディで、バンクーバーでの冬季オリンピックの開幕の日でもある。社会的にそういう動きのある一方、わが法人の創立10周年記念事業の映画上映とコンサートも明日が第1回目となっている。「1/4の奇跡~本当のことだから~」というドキュメント映画。そしてパーカッション奏者・奈良裕之さんのコンサートである。法人施設は10周年ではあるが、実は無認可施設時代を加えれば16年目である。奈良さんとはだから、かれこれ14年を超えるお付き合いになるだろう。毎年一回は必ず顔を見せてくれ、そしていつもわが施設利用メンバーとの交流をパーカッションの楽器で楽しませてくれた。だから、どうしても奈良さんにも一役を買ってほしかった。2月ならいいよということで、今回のコンサートが実現している。
 奈良さんといえば「ベジタリアン」で、魚肉類や卵、酒、コーヒー、お茶などは飲食しない主義。なので、いつもご飯は決まったパターンになってしまう。今回はわが法人事務長のM氏の手料理で、「野菜カレーや玄米のご飯などのおもてなしである。
 映画のほうも偶然昨年の文化祭で上映してほしいという依頼があって、2日間にわたり上映したが、時間を経るに連れてこの映画の上映を希望する方々とつながって、今回の上映会となっている。
 障害(しょうがい)者というと、何か社会的にその存在が迷惑な存在に捉えられがちであるが、このドキュメンタリー映画ではこの世に生まれてきた「総てのいのち」には存在意義があるということを魂を揺さぶるような事実で示してくれる。 
 私が娘たちと共に歩いた30数年間も、まさにこの娘たちがハンディキャップを負って生まれてこなければ展開実現できなかった人生といわざるを得ない。
 社会の中で弱い存在と見られがちなこのいのちは、実は多くのメッセージを体内から発しているのである。社会の中で、そのメッセージを受け止められる人がアンテナを持たない人々に対して、伝えていくこと。それが私たちの役割でもある。そして映画の中での特別支援学校教師のかっこちゃんの役割なのだ。
 多くの市民にこの思いを届けたいという気持ちで、関わらせていただいた。成功などというものは今回のイベントには、無関係である。社会の中でそういう思いを感じ取れる人々に、一人でも多くメッセンジャーとしての役割を担ってほしいという思いがそこにはある。

ケアホーム清祓式

2009-09-28 14:55:55 | Weblog
 きょうはケアホーム予定の粟島邸で「清祓式」を開催した。ご主人が亡くなられたことや、工事の安全などを祈念した。理事長ほか理事2名、家主さん、設計責任者、そして幹部職員6人が参列した。
 来月中旬に補助の内示があれば本契約と入札工事請負計画などと進み、11月着工の予定を確認している。
 私の娘たちの入るケアホームでもあり、法人での第一号のケアホームの質的に高いものを目指したいと考えている。
 

帰郷報告 その1 「 いざ新潟へ」

2009-04-28 06:50:00 | Weblog
 新潟県長岡市・人口約28万人。(旧栃尾市・人口2万3千人・2006年1月吸収合併で消滅)
 私が高校卒業まで暮らした栃尾市は今はなく、長岡市になっている。しかし守門岳(1,537m)や粟ヶ岳(1,292m)などの山々に囲まれた盆地。上杉謙信が14,5歳までの幼少期を過ごした場所としても知られている。

 さて、4月18日の午前5時に家内と二人で車での帰郷となった。車中には母が退院後に使う予定の車椅子とポータブルトイレ、手すりなどを積み込んだ。東北自動車道を8時間かかって、実家へたどり着いた。ETCの機械を装着しての初めての試乗ともなった。土曜日、日曜日に限りどこまで行っても1,000円ということになっている。この時期福島県三春町が桜の名所ということで、郡山まではいささか車が多かった。しかし新潟方面は結構快適に車は進んだ。自動車道の難所は福島県の会津・磐梯山付近で、上下線が対面一車線であり、ほとんどがトンネルである。なんとも視覚的に疲れるのだ。新潟に入り阿賀野川沿いを走ると、新潟だなと思う風景はチューリップ畑の原色風景である。水田に赤や黄色の花々が一色ずつの長方形に咲き乱れている。疲れが癒される気がした。ソメイヨシノの桜は散り掛かっていたが、桃の花や八重、枝垂、おおやま桜などはまだまだ美しかった。
 懐かしい実家への道に入ると正面右には守門岳、左には粟が岳が白い雪をたたえて迎えてくれた。
 写真は栃尾市の特徴のひとつの「雁木(がんぎ)」という道路を挟んで、両側に並ぶ昔風のアーケードとでも言うのだろうか。雪深いこの地方にはなくてはならない、ありがたい屋根である。それにしても道路の狭さには驚くくらいだ。
 我が家にたどり着くと、母の弟(叔父)と兄夫婦、そして妹が母を囲んでいた。母は前の日に退院しての実家である。楽匠(らくしょう)という電動型のレンタルベッドに寝ていた。たった一日だけの滞在で、また明日は短期入所のために特別養護老人ホームに、また10日間出かけることになっている。今回は特に家の整理と介護環境を整えるために、我慢してほしいと思っている。
 そうこうしているうちに、包括支援センターのワーカーが訪問した。今後の母の日中を支える「デイサービス事業や、ヘルパー派遣」の内容確認と、契約である。
 週5日間はデイサービスを利用し、1日3回のヘルパーの介護(30分)を受ける。そして10日間の短期入所を繰り返すのである。具体的な生活を考えただけでも、この家には何かが欠けていると感じていた。いや、この国の制度そのものの何かといったほうが良いのだろうか。

 

ブルーベリーの冬仕度

2008-11-11 07:41:55 | Weblog
 ブルーベリー(ノースランド・ジャージー)を240本、ラズベリー10本を購入し、初めて春に植えてみた。当時60㎝ほどの樹高だったのが、今やその倍は優に超えている。何とか根付いて、根元からそれぞれ若い芽も出てまたそれも育っている。ラズベリーは実を夏に一度つけ、今頃また赤い実をつけた。食べてみるととても甘くて美味しい。でも少し土地狂っている気がする。ブルーベリーも今頃薄い桃色の花をつけている樹もある。11月に入っていよいよ岩木山が雪化粧をして、里にもそろそろ雪が降りて来そうなこの時期。ブルーベリーの緑色の葉も、ほとんどは紅葉してきた。今年弘前では雪がどのくらい積もるのだろうか。その積雪量でも冬支度の仕方も変わってくるのだろう。
 久しぶりに私のブルーベリーの師匠、「ブルーベリーおじさん」を訪ねた。おじさんはこの時期、作業場のビニールハウスの中で仕事をしていた。道路端のブルーベリーの畑は見事にブルーベリーの葉が皆赤く色づいていた。そしてもう冬支度を終えたのか、縄で枝を杭にまとめて縛っていた。
 一緒に畑のブルーベリーの樹を見ながら、いろいろこれから冬を迎える心構えを教えていただいた。自分がこの時期にすべきことは何かということである。伸びすぎた枝を剪定すべきなのか。また、その剪定した枝は挿し木にすべきかどうかという点。更に冬支度ではどの程度やればよいのかを中心に指導していただいた。
 おじさんは畑を三つに分けているほか、ビニールハウスの中に挿し木をしている。その中から私も分けていただいたわけだ。おじさんの畑のブルーベリーは私のブルーベリーの苗木よりも1年早く植えたと言うが、樹高は私の方が高くなっていた。結局雪が降れば、その雪の重みで枝が折れてしまうので、杭に枝をまとめて縛るという方法がとられる。更に、その年の積雪量で、樹高よりも高ければ春先の融雪期に枝が雪と一緒に下方に引っ張られて、枝折れの原因になるのである。
 おじさんのブルーベリーは、あちこちの農家にも譲られていて、その人ならではの工夫をして育てていることを聞いた。私の畑では木片チップを大量に使うやり方である。つまり自然のマルチングを行って、保水性や吸水性、更には草を生えさせないと言うやり方だ。さらに、私の畑は粘土質で、ブルーベリーの根腐れを起こしやすい環境だったことから、ユンボという重機で溝を掘って排水性を良くするために、暗渠を入れた。こういう仕掛けをして初めて、今のブルーベリーの生育環境ができあがっている。
 いよいよ来年はブルーベリーの実を収穫してみたいと思っているのだが、おじさんの説によればまだまだ商品にするまで時間がかかるという話をしていた。おじさんのブルーベリーの樹になっていた果実をいくつか試食したが、大粒で甘く美味しかった。そしておじさんの畑には蟷螂が結構巣作りをしていた。その高さは皆20㎝程度の高さである。当てにはならないと言うが、今年の積雪はどうだろうか気になるところでもある。
 

健康診断・胃カメラ飲みました

2008-11-05 07:02:34 | Weblog
 一年に1回とはいいながら、胃カメラつきの健康診断はなんとも憂鬱である。それでも日常の運動は、そこそこ行っているのが救いである。朝娘たちをあうんにお願いして、9時前にはS医院のフロアに座っていた。今回は大腸癌のチェックのために検便を出し、身長、体重測定、血圧測定、視力、聴力測定。さらに胸部写真撮影、検尿と進み、最後に胃カメラを飲んだ。いつもよりも長い時間に感じた。胃カメラは飲むのにコツがある。力を如何に抜くかということである。僕の場合は腹式呼吸が良いと思う。カメラを差し込んだら、大きく息を吸って吐いてを繰り返すとすんなりと検査が進むのだ。
 結局Drとの面談で、日常の生活習慣の問題が明示された。胃潰瘍はなかった。胃の状態をカラー写真で説明しながら、食道から胃の入り口部分に変化が出始めていた。それは、食事をした後直ぐに横になると、開門部(食道から胃の入り口)が緩んで来て胃酸が逆流することになると言うのだ。もちろん老化による緩みもあるらしいが。晩酌をするとどうしてもその後眠くなって横になっているので、そういう兆候が現れるのかも知れない。自分の場合は太りすぎに注意することが、今後の健康上の課題のようである。メタボ検査では、腹囲を測定されています。看護師さんも思わず笑ったりして・・・。最近の健康診断も変わって来たなと思います。昨年よりも良かったのは、視力が裸眼と眼鏡をかけての両方ともに向上していました。畑仕事が眼にもよいのだろうか?
 昨夜は日本シリーズを見ながら、眠たいのも我慢して横にならないようにして過ごした。カミさんも笑って見ていたが、この生活が果たして何日続くだろうか?自信がありません・・・。でも、自分の身体の健康に対する不安がこうして解消されると、かなり軽くなるのを感じています。
 昨日も天気は良かったのですが、風が強くて自転車どころではなかった。これから冬場に向けての運動不足解消のための環境づくりが一番の問題かな?

京都の旬「鱧」

2008-06-27 07:21:33 | Weblog
 20日から21日は京都泊です。宿は郊外嵯峨野近くにある京都エミナース。まずは午前中に京都国立博物館を見学。特別展はなかったこともあってか、人も少なく結構穴場でした。静かな館内を仏像や紫式部の面影を尋ねました。
 今年、2008年は『源氏物語』が書かれてから一千年目とされます。作者の紫式部は学問の才能を左大臣の藤原道長に認められ、道長の長女で一条天皇の中宮である彰子の女房として宮仕えにあがりました。一条天皇を中心とするこの宮廷での見聞が源氏物語執筆の根幹となったとされています。
 展示の主役はその藤原道長が寛弘四年(1007)に大和国の金峯山に参詣して埋納したひかり輝く金銅製の経筒(国宝、元禄時代に出土)です。この経筒は間違いなく紫式部の生きた時代の作品なのです。道長が金峯山の蔵王権現に捧げた願意がその表面に五百字余り刻まれています。日本最古の埋納用経筒です。
 
 次に向かったのは、国立博物館からすぐ傍にある三十三間堂に行きました。こちらは千手観音像と千体千手観音立像が圧巻でした。千体千手観音像の顔はそれぞれ違うということで、自分が会いたいという人の顔があるということでした。外国の見学者がこちらには大勢いて、修学旅行の生徒の集団も合わせていっぱいで、立ち止まれないような状況でした。京都は大雨注意報が出される天候で、突然ものすごい雨足となったり、ぴたりとやんだりの繰り返しでした。梅雨らしいといえばそれまでですが、気温も27℃で湿度も高くてじとじとの京都でした。私たちはこの後河原町近くにある「錦市場」を目指し、空腹を写真の鱧弁当で満たしました。京都の今の旬の一つ「鱧(はも)」は鰻・穴子と似た形の魚です。一度食べてみたいと思っていましたが、今の時期でないといただけないそうです。顔はどう猛な顔をしていましたが、身はとても穴子に似た味で美味しかったです。