夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

田沢純子氏個展

2008-03-09 15:52:16 | つれづれなるままに
 弘前市は今日の最高気温は7℃である。快晴に近いが、風が冷たく強い。この風と日差しが雪をどんどん溶かしていくのだろう。
 カミさんと一緒に土手町のHRAPPA事務所で1日から30日まで開催中の「田沢純子個展」に出かけた。田沢さんは昨日のオグリーの結婚披露パーティのウエルカムボードを作成してくださった方で、あうんの毎月1回の絵画教室講師である。田沢さんは奈良美智展を主催したNPO法人 HARAPPAの広報用の挿絵を描いた方でもある。2005年のわがユニコン劇団の精神医療ユーザーをテーマにした「この町で暮らしたい」のポスターを依頼したのが最初の絵との出会いだ。一戸時計店までの小路でかがんで傘を差して話す二人の少年と少女の絵だった。
 個展会場にさしかかると、まず眼に飛び込んできたのは「であいの家あうん」と表示された生花であった。そしてドアを開いて入ると小品ではあるが、桜やりんご、クローバー、タンポポを題材にした絵が並んでいた。彼女の絵はアクリル画や鉛筆(色鉛筆)のデッサンであったり、シルクスクリーンなどが多い。そしてテーマは花々の他に、今は懐かしい景観が多い。たとえば弘前市栄町の商家「石場家」の建物や、弘前公園西堀傍の「消防屯所」「五重塔と桜」その他赤くて丸い昔の郵便ポストなどが描かれているのだ。
 きょうはまた偶然だが会場で、わが施設に足つぼマッサージのボランティアを毎月行ってくれているSさんの顔が見えた。ご挨拶をしてお話をしていると、Sさんも田沢さんとはあちこちの活動現場で交錯している方のようだった。みんなこうして様々な目には見えない縁で結ばれているのだと思うと、生きていくのが楽しくなってくる。
 田沢さんの絵は評判がいいのか、購入できるものが少なくなっていた。私は比較的大きな作品(10号)で、弘前城公園西堀のボート乗り場と満開の桜が描かれた「ボート」という作品をカミさんと相談して購入することにして予約した。
 本当は弘前城公園の植物園内の古木の桜を描いたという作品が欲しかったが、すでに売約済みだった。もっともっと田沢さんの絵の価値は高いはずなのに、今は自嘲気味な値段がつけられていてもったいない感じがしていた。1ヶ月間というロングランの個展なので、たくさんの方々にこの個性的な絵を鑑賞して欲しいと願って会場を後にした。
 

オグリー・かよちゃん結婚披露パーティ・本番

2008-03-09 10:10:34 | 岩木山麓 しらとり農場日記
 3月8日の結婚披露パーティの本番の日を迎えている。準備事項を時系列でパソコンに整理し、一つずつクリアして行った。午後2時から本格的に結婚披露パーティの会場作りにかかった。良い天気で、館内は暑いくらいだ。
「ウエルカムボード見ましたか?」と、事務主任のMさんに云われて、田沢Jさんの作成してくれた絵を見て感動した。二匹のうさぎがこれから結婚しますと云う感じで、教会から出て我が家に帰ろうとしている素敵な絵であった。色鉛筆でもここまで緻密に描けるのかと思う繊細なタッチである。絵画教室を終えた彼女にお礼を言い、その後ウエルカムボードの作成に入った。素敵な白い生地で絵が飾られ、会場入り口が華やいでいった。
 しらとり農場のオーナー他一行がそろったのはPM4:00過ぎで、それから宴会料理の準備が一斉に始まっていった。依頼していたお花がPM6時頃到着して、テーブルに並べられ、蜜蝋キャンドルやグラスがテーブルに並んだ。
 PM6時30分には続々と参列者の到着。受付と下足が人手不足で結局私も手伝うことになった。夕方はまだ寒いこの時期、コートで皆さんが来ることを計算に入れておらず、コート掛けを探して大騒ぎとなった。こうしてようやく、スタンバイが終了した。
 PM7:00 会場の明かりが落とされて、キャンドルと白色灯にオレンジの布をかぶせたことで、幻想的な光彩に包まれた会場となった。ビートルズの「イマジン」の曲に合わせていよいよカップルの入場で、会場に拍手が鳴りひびいた。司会は六ヶ所村での「アースディ」でも活躍したエレキだ。軽快な司会進行で新郎新婦が着席すると、乾杯の音頭を依頼する旨私を紹介する。 私はグラスを持ち、まず新郎新婦とご両家にお祝いを伝えて、この会場を提供するいきさつと、この施設は知的障害者の通所施設であり、地域に開放されている緊急避難場所である旨も紹介した。そして新郎新婦の末永いお幸せとご両家、参会者のご多幸と繁栄を祈念して乾杯!と締めくくった。
 どこの結婚式場でもやっている乾杯だが、最初のプログラムが乾杯というのも手作り結婚式の良さかも知れない。会場が一気に和らいで、和やかな結婚式の始まりである。
 友人のスピーチ、花束贈呈、アコースティックギターの歌や、津軽三味線の演奏が会場に鳴り響く。新郎の大学時代の所属サークルが探検部だそうで、仲間たちがビニールボートをふくらませて裸の男がそれに乗り、御輿を担ぐかのように入場してきた。新郎がそのボートに乗ったかと思うと、みんなでボートごと胴上げを行った。
 料理担当はしらとり農場夫妻、北海道から駆けつけたYOTTYAN・あうんのスタッフ二人、急遽手伝いを依頼して駆けつけてくれた後援会役員のFさんたちだ。順調にバイキングテーブルがにぎわって売れていく、巻き寿司、サンドイッチ、焼き鳥が急ピッチで売れ、ちらし寿司、しらとり農場のあったかい豆のスープが歓待した。テンダーと呼ばれる神奈川県からわざわざ駆けつけた青年が、バーテンダーを勤め、合間合間に彼がウイスキー瓶を両手に持って大道芸人並みにくるくると空中に放り上げては見事にキャッチして喝采を浴びている。
 こうしてパーティ終盤にホラ貝の演奏があって、パーティが終了したのである。新郎の両親が私にねぎらいと感謝の言葉をかけてくださった。親族の一人だという年輩の方からも、社会福祉に貢献し苦労されているのに、更にこうして地域に施設を開放したことへの感謝の言葉である。こうして来客が退散した後、今度は会場の後かたづけである。結局全部が終了したのはPM11:00であった。あうんのMさんとSさん、私の3人がしらとり農場関係者と新郎新婦を見送った。
 出席された皆さんに満足していただけたこと、喜んで帰っていただいたことが何よりの私たちの満足感である。そして手作り結婚式の良さと、えもいわれぬ苦労をしみじみ味わいながら、新たな出会いにも感謝したのであった。