夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

ガジャの花

2013-06-28 06:53:22 | つれづれなるままに
6月27日(木)25℃

 雨乞いをしたいほど大地はカラカラで、紫陽花の花も何となく乾燥している。
 児童ディサービスの子どもたちがこの土曜日に「タケノコ採り」体験をすることになり、その下見に出かけた。行き先は岩木山枯れ木平地区。
 津軽ではピンクや白いこの花を「ガジャの花」と読んでいる。学名は「タニウツギ」である。この花が咲き出すとタケノコが出始めると言われており、確かにその時期は合致しているようだ。今年は例年に無く山菜も遅れ気味で推移している。岩木山は今この「ガジャの花」が咲いている。
そして同炉端の竹やぶ(ネマガリタケ」を覗くと、確かに出ていました。サンプル5本ほど頂いて、帰りました。シロツメクサも咲いています。岩木山は今日は雲に隠れていて、見えませんでした。湯段温泉の近くの池の写真です。

 退勤後家内と二人で久しぶりに弘前城公園に出かけました。夕方6時30分になっても夕陽は沈んでいないので、ゆっくりとジョギングやウォーキングが楽しめます。私は軽く2周をして終了。公園の池のあちこちにカルガモ親子やオシドリが泳いでいます。
 

 カルガモ一家は今子育て真っ最中。数えたら子どもが9羽もいました。

6月もあとわずか

2013-06-27 06:54:07 | つれづれなるままに
6月26日(水)27℃

 屋外の直射日光はさすがに強く暑いが、建物の中に入ると窓さえ開ければエアコンはいらないくらいの湿度である。いったい梅雨はいつなんだろう。

 間もなく7月で、7日は農場開き。気になって自転車でブルーベリー畑に出かけた。ブルーベリーが食べられる季節なのに、未だ実は塾さない。ロシアスグリもラズベリー種もこれからの様子。

 このところ午前中の約2時間程度、法人本部の敷地内の草刈りをしている。

 ほぼ終了かと思いきや、フェンスの外側の葛の蔓がエイリアンのように我が敷地内に何本も侵入してくるのだ。このフェンスの外側は、国有地で農業用水路が流れている。
 
 1時間30分もかかって、ようやく戦いを終了。何しろこの草刈りは、刈払い機を使うのだが、この用水路に草を流してしまうと、下流の水田に水を引く際に四方となるので落とせず気を使う。
 汗をタップリとかいて、仕上げをする。
 午前中のこの草刈りを終えて、午後からの机に向かうと何となく仕事が進むことに気づいている。やっぱり私はアウトドア向きなのかもしれない。

 

初夏の岩木山

2013-06-25 06:14:09 | つれづれなるままに
 岩木山に添うて暮らす者にとって山様の季節ごとの移り変わりや、日々の天候による山の変化に心も同じように動くことを感じています。
 
 6月も終盤に入り、草花も次第に実を結んだりしています。
 『板橋かずゆきブログ人』で、
「どう生きるか」VOL1556 日野原重明(聖路加病院理事長・同名誉院長・93歳)の言葉が掲載されている記事がありましたので、その一部をシェアします。

 「今日、骨髄で生まれた白血球は、1ヵ月後には死んでしまいます。
昨日、今日、明日と、コンスタントに生まれてくる細胞があるから、私はいま、生かされているわけです。
 ですから私は、「死」を覚悟する前に、自分は死の遺伝子をもつ細胞からできている」という意識を持つべきだと思 っています。そう考えれば、人間の死は、生の延長線上にある、生の一部なのだということ が、おわかりいただけるでしょう。
 遺伝子というものは、自分で選ぶことのできない、与えられた「運命」です。」(以後省略)

 このところ花々の美しさと、その後の結実された種子(果実)を見ていると、この生と死の輪廻を思うようになっています。

    
 私達地球上の生命体は、遺伝子の役割である「つなぐ」ことを使命として、生きているのだという実感を持つのです。そして更に人間は細胞分裂を繰り返すだけではなく、その分裂の中で生まれた「思想」をも残すことを学んでいます。その人が死んでもその人の果たした役割こそが、次の世代に残されて受け継がれていくことができるのです。

 

 人生を登山に例えることがあります。重い荷を背負いながら、何故山にのぼるのかという問いに、「そこに山があるから」という回答はあまりに単純な答えであると思います。あえて言い換えれば、「山を登ることで苦しさもあるが、その苦しみに耐えてこそ得られる喜びや、やがてはその経験が次の苦しさに耐えられる力となる」と言えるのではないかということです。

 三浦雄一郎さんは80歳で、エベレスト登頂を成功させました。「人生百年」という夢の様なこの時代にしても、80歳でエベレストを登った老人がいるということは、私のような60過ぎの初老の男にとっては、大いなる希望なのです。私の苦しみや簡単に諦めようとする傾向のある自分も、こうしていられないという勇気や希望を頂けた思いがします。
 そしてその成功の影には、三浦氏の日々の鍛錬があったればこその今回の成功だと思います。思い錘を両足に付け、リュックに人一人分のおもりを入れて、毎日歩くことがなければ、決して成功に繋がらなかったと思います。そしてそれは家族や周辺の理解者の、温かな支えがなければ達成できなかったことでしょう。

 さて、私は今年の目標としてささやかながら、写真の岩木山を登頂しようと目論んでいます。4時間の行程の岩木山神社から目指す岩木山(1625㍍)。そのためにも鍛錬を継続する力が湧くのです。
 

 

 

弘前城公園の二宮金次郎像

2013-06-22 16:20:06 | つれづれなるままに
6月22日(土)曇り 21℃

 公園でジョギングの後、お昼を食べに「會(かい)」という蕎麦屋に入った。机の上に「弘前」という月刊誌が置かれてあったのでページをめくると、標題のテーマで、東北女子大学の佐々木 隆教授が寄稿されていた。

 二宮金次郎像は昔の小学校にはどこでも必ずというほど見ることができた当たり前の光景だったが、最近は殆ど見かけなくなった。佐々木教授の掲載文によれば、幼名金次郎、後の二宮尊徳は、農業の行政政策で名を上げた人だという。彼は「相手に共感し、耳を傾け、人格を尊重し、対話を通して希望を語り、誠実を学んで、財政再建を成功させ、飢饉から人々を救ったといいます。

 また、佐々木教授は東日本大震災での「釜石の奇跡」について書いています。
 沢山の被災者が出た中で、釜石小学校の生徒だけは犠牲者が誰も出なかったそうです。その背景には小学校の校歌が生徒たちに教えていることがあるそうです。

 「いきいき生きる / 一人で立ってまっすぐ生きる / 困ったときは目を上げて /

 星を目あてに まっすぐ生きる / 息あるうちは いきいき生きる / はっきり話す

 はっきり話す / びくびくせずに はっきり話す/困ったときはあわてずに/人間につ

いて よく考える/かんがえたなら はっきり話す/しっかりつかむ しっかりつかむ /

真の知恵を しっかりつかむ/困ったときは 手を出して/友だちの手を しっかりつか

む/手と手をつないで しっかり生きる」 作詞 井上 ひさし  作曲 宇野 誠一郎

 この二人はNHKテレビの「ひょっこりひょうたん島」のコンビでもあり、サンデー先生のいる小学校の生徒たちが無人島で生きる話でした。

 東日本大震災での避難民が、この校歌で随分勇気づけられたと書かれています。

 アニメ『コクリコ坂から』にも「紺碧のうねりが、のみつくす日が来ても/水平線に君は没するなかれ/われらは山岳の峰々となり/未来から吹く風に 頭(こうべ)をあげよ」の詩がある。この歌詞の元になっているのが宮沢賢治の歌「生徒諸君に寄せる」です。
 これらの歌詞にはアラゴンの詩「教えるとは 希望を語ること/学ぶとは 誠実を胸にきざむこと」に通じるものがある。
 そう語る佐々木先生は、冒頭の弘前城公園の二の丸・東門与力番所側の池山の上に立つ二宮金次郎の像を見て思い出されたと書かれていました。写真は与力番所(復元)

 

 


 

終わらない夢

2013-06-22 07:08:22 | ジョギング・ウォーキング
 6月20日(木)
 弘前城リレーマラソンは、なんとかクリアした。でも自分の中ではまだ何かが終えていない気がしている。
 そんな気持ちを引きずって、この日も家内と公園に来ている。
 あの日まで公園は、マラソンマンが大勢駆けていた。しかし大会がすんで、この夕方には欄しているのは弘前工業高校の生徒と、3,4人だけである。
 
 気持ちを慰めてくれるのは、今を盛りに咲こうとしているツツジの花だ。

 
 夕方の弘前城公園内はやけに涼しく、走り始めは半袖一枚では鳥肌が立つ。

 あの日私のランは不消化で、チームメンバーの足を引いていたのは自覚している。学生たちだからタイム差は、やむを得ないというのではとても自分は納得出来ない何か。それは自分の限界を越えようとしなかったことへの悔いでもあるか・・・。
 もう一周走れたかもしれないが、自分は安全策を優先したことは、心が一番知っている。この坂を登れば苦しいことはわかっていながら、その直前で走るのを諦めていることが許せない。

 そんな思いで終えたくない気持ちを、この日公園に向かわせたのだ。

 走る足にはまだ力が蓄えられていて、あの日上がらなかった足が今はこうして力みなぎっている。

 今止めては、きっと再起しないだろう。

 そんな思いを今ごろ持ち始めている自分は、きっと来週もここへ向かうだろう。



 走り終えて赤い木橋「春陽橋」を渡れば、大きな鯉達が餌を求めてライズする音があちこちでこだまのように聞こえている。
 汗が心地よく、夜風に吹かれながらこの日のランを終えた。

弘前城リレーマラソン本番

2013-06-18 07:07:10 | チームオール弘前
6月16日(日)27℃

 朝方スコールのような雨が降り、その後徐々に晴れ上がって行った弘前市。
 ついにこの日「弘前城リレーマラソン」本番の日を迎えた。参加チームは109で、参加者総数は約1,000人。午前10時スタートで、午後2時30分がタイムアップ。私の走順は5番目。監督の李先生が初めに男子学生を並べてタイムを稼ぎ、後半に市民と女学生を並べた。
それはまさしく功を奏して、時間にゆとりが出来ていく。私のようなロートルがえっちらおっちら走るのだから、時間がどこかで浪費されるわけだ。





 この日の最高気温は27℃。朝方に降った雨も上がったが、徐々に蒸し暑くなり、太陽も出れば、汗も出る。
 はじめはマイペースで無理をせずと思いつつも、結局ほかのランナーが目に入ってくる。ショックなのは小学生に追い抜かれていくことである。ああ爺さんだなあと思いながらも、この坂を登ればなんとかなるさと、また走りを続ける。



 まあそれでも何とか皆さんの走りが繋がって、ゴールインは野田村のゆるキャラ「のんちゃん」と一緒にゴールイン!

 戦いすんでいざ「打ち上げ」・・爽快です!

 年をとっても努力さえすれば、結果が自ずとついてくるということがわかった大会でした。これからも鍛えて来年はさらに進歩した自分でいよう。
 
 

弘前城リレーマラソン顔合わせとコース下見

2013-06-15 07:00:00 | チームオール弘前
昨日は初めて「チームオール弘前」のメンバー7人が集合して、顔合わせをした後、コー^巣の下見がてら走りました。
 いよいよマラソン当日まで2日となり、地元新聞2社にマラソンの鹿内本部長が紹介されています。109チームの参加で、1,000人が参加するということで、応援も入れればその倍は集まるのでしょうか?


 それにしても若い現役の学生さんは、想像以上に体力があって素晴らしいと感じました。

 私も参加して1周した後、彼らだけで走ってもらうと一番早い人で7分/2Kmから8分/2Kmでした。20代と60代のエンジンが違うことを、まざまざ感じています。

 練習してから約10日間、それなりに私も努力をしてなんとか12,3分で2Kmを走り切ることが自信となっています。初めは2KMを走るなんて考えられませんでした。マラソン終了後も、可能な限り継続していこうと思っています。

 今日は午後1時から公園でゴミ拾いボラ、その後少し練習ランをして後は静養です。
いよいよ明日はAM8:00集合で、10:00スタート。どうなりますやら・・・完走が目標です。

 

噺家・柳家小きん師匠との出会い

2013-06-14 09:31:09 | 私と福祉とであいの旅
 昨年来2度に渡り、柳家小きん師匠がご縁をいただき当施設に交流訪問をいただいています。

 先日の法人の後援会役員会が、地元の焼き鳥屋さんで開催されたおり、役員のお一人のご紹介で出会いが始まりました。
 今年は作業棟の竣工こけら落としで、お出でいただきました。少し師匠の方からも、障害程度に関係なく口演をさせて欲しいとの要望を受け、障害程度の重い方々も参加しての会となりました。

 話の中身と言うよりも、噺家さんの出囃子の太鼓も障がいの皆さんには面白がったり、お蕎麦を啜る音に反応してくれたりで、それなりに楽しみ方はいろいろあるもんだなあと思い直しています。

 ということで、焼き鳥屋の話、そうそう、焼き鳥屋さんで役員さんたちとお酒を飲みながら後援会活動をどのように盛り上げようかということになって、柳家小きん師匠の話をして、ぜひ来てもらおうということになりました。その時の酒がうますぎて、すっかりそのことを忘れていました。すると役員さんから、「あの時の話進んでますか?」という連絡。「は?」中身を確認して慌てて公民館の和室を予約し、チラシを作り、前売り券も作成しました。
 結局7月4日午後6時30分から町の中央公民館で開催予約完了。
 打ち上げ会場も予約して、日本酒好きの師匠の「豊盃」を予約しました。
《プロフィール》
ニックネーム:柳家小きん
性別:オス
誕生日:1967年11月22日3時頃
血液型:見本のようなO型
出身地:東京都
お住まいの地域:東京都
職業詳細:霊長類・ハナシカ
未既婚:未婚
出没地:呼ばれれば何処へでも
出身校:私立専修大学附属高等学校


《自己紹介》

ご高覧いただきまして、ありがとうございます。
私のプロフィールを、ご紹介させていただきます。

『柳家小きん』(やなぎやこきん)

《芸歴》

昭和42年11月22日東京都にて誕生

昭和61年2月3日実父六代目柳家つば女に入門芸名小助
同年4月吉原松葉屋「つば女を楽しむ会」にて初高座
平成元年9月二つ目昇進小きん(11代)と改名
平成10年9月真打昇進以後現在に至る


好きなこと

あらゆる芸術・エンターテイメントの鑑賞
食べ歩き・限度を超す利き酒?


小きんとは?

六代目柳家つば女を父に持つ、二世噺家。
「小きん」は、五世小さん・四世小せん・
六世つば女・四世三木助の若手の頃の芸名で、
柳家一門の出世名と言われている。

全国で、「町興し落語会」「落語宅配便」「学校寄席」「修学旅行と一緒に、古典芸能鑑賞会」「講演~門外不出?噺家の修業と、話し方のコツ教えます」を、開催するなど、
『笑いと幸せを運ぶ男♪』として、活躍中。

また、声優養成所では、5年間にわたり、講師として、声優志望者へ、落語を指導。
独自の教育法で、現在も、芸能人から一般人まで、希望者に、落語を指導し、“落語が口演出来るスーパー素人”を、量産している。

「小きんと巡る江戸情緒の旅」では、落語家ならではの、“面白東京ツアー”を開催。

そのふれ合う人を元気にさせる落語と、溢れる魅力に、期待したい(落語協会より)




少し成果が見えてきて

2013-06-12 07:08:34 | ジョギング・ウォーキング
6月11日(火)☀27℃

 直射日光は暑いが、建物の中にいると少し涼しいと感じられる天候。まだ雨が降りそうもない。

 弘前城公園にこの日も夫婦で出かけて、カミさんはウォーキングで、私はジョギング。私の体重の重さで、カミさんは後ろからくる自分の足音がわかるとのたまっている。

 そうそう、私は少しでも体重を軽くしようと先日カミさんに頼み、電気バリカンで髪の長さ3ミリにして剃り上げました。夏は最高です!

 今回のマラソン練習で確実に身体は2Kg体重は減って、ベルトの穴も減りました。

 この日は結局2周しましたが、目標13分がコンスタントに出せるようになって来ました。
そんなに私は自分の力を過信せず、イメージをしながらの走りです。呼吸の仕方、腕の振り方、足の上げ方、ラストスパートの位置などをようやく考えられるようになって来ました。これが今回の成果かもしれません。毎日無理せず、1時間の健康な時間を楽しんでいます。カミさんも6000歩歩けたと喜んでいました。
 マラソン大会だけで終わらせず、もっと先の秋口までの継続を楽しみにしています。

 岩木山の夕景が美しい中を帰宅しました。

継続は力を信じて

2013-06-11 06:52:47 | つれづれなるままに
6月10日(月)代休

 この日、弘前市も29.7℃まで上がったという。我が家は今車庫の解体中で、大工さんたちがその作業に汗している。解体した車庫の中の書き込みを見たら、昭和45年6月7日に棟上げをしている。だから35年前にこの車庫は出来たことになる。今は亡き義父が私達東京の引き上げ時に、以前使用していた家の木材をそのまま移築したものである。
 その木材をそのまま岩木山麓のしらとり農場さんに搬送して、引き渡してきた。オーナーが豪雪で壊れた鶏小屋をなおす材料にするという。

 午後6時に家内と連れ立ち、弘前城公園を運動するために出かけた。弘前城タスキマラソンまであと1周間を切ってしまった。心のなかではかなりの焦りがあり、それは足の筋肉痛となって持続している。
 日曜日に法人のメンバーと走ったが、前の日の酒のせいにはしていたが、自分は15分近く1周に要している。この日はどうしても13分以内に抑えておきたかった。夕方の6時30分になるというのにまだ公園内も暑く、そして明るかった。
  
 この数日同じマラソンリレーに参加するチームの練習する姿が増えてきた。
正規のコースをスタートラインからゴールまで駆け抜けた。

 タイムは13分だった。
 自分の実力が1周2㎞が限界であることを、今回もよくわかった。
 でも、確実に走れる距離を、これから増やしていこうという希望は持っている。私のベルトの穴が1つずつ縮んでいるのだから・・・。