夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

お山参詣本番当日

2012-08-29 06:25:02 | つれづれなるままに
8月25日(土)AM6:00 晴天
 
 今日も暑そうなスタートです。
 集合場所の旧JA鳥井野支所駐車場へ、実行委員が集まって来ました。
 2月の町会の総会で決まった「鳥井野地区お山参詣」が約半年の準備をすべて終えて、いよいよ本番の日です。これまでの練習をした成果が、この日それぞれの参加者の行動に現れています。受付を済ませて、皆さんはそれぞれの衣装を受け取って、自分の役割のものを持ち、整列を始めました。
 本当のお山参詣は習わしとしては、旧暦の八月朔日(9月16日)のご来光を仰ぐために14日からのスタートをするのです。15日の夜に、岩木山神社のお祓いを受けたあと、頭ご幣という小さな御幣を持って山頂を目指すのです。しかし私達の町会では、登山をする方はいませんでした。
 何しろ65年ぶりの町会の御山参詣です。町会のお年寄りたちの中には、参加できませんが楽しみに沿道に並んで待っていてくれるすがたがありました。
 隊列が最初に向かったのは、町会にある白山姫神社です。

 そのあとは町会を一周して、大型バスで岩木山の高照神社に到着。そこからまた整列して岩木山神社までの1.6キロを運行です。

 一番力が入るのが、大神社旗を垂直に立てる場面でした。そしてこれを観客の皆さんが楽しみに待ち望んでいるのです。

 

 次第に運行距離が伸びるにつれて、「サーイギサイギ・・・」の掛け声も調子が出て、登山ばやしの皆さんとのリズムも合い始めました。
 稲穂も頭を垂れ始めて、りんごもそろそろ「つがる」などが色づき始めています。農家の皆さんにとっては特に、豊穣の秋が望まれます。運行中の会話も、この年の酷暑による影響が心配されていました。でもりんごたちも雨が少ない分、糖度を増すことによって実を守るので甘いりんごがなるのだそうです。


 途中で給水車を準備していましたので、参加者はとても助かったようです。そして、順調に予定時間をやや早まって、百沢の岩木山神社に到着しました。
 この日一番心配していたのが、記念写真を撮る場所の確保でした。観光客や参詣される方の車が並んで駐車されると、記念写真の大人数が並べなくなるのです。場所取りをしたこともありますが、なんとか全員で大鳥居前に集合して、写真を取ることができました。

 
 記念写真をとったあとは、みんなで拝殿に登って、神主さんからお祓いを受けました。170人の参加者(3歳から80歳)の隊列もこうなると見事なものでした。
 どの参加者も、念願を果たして、晴れ晴れとした顔で冷たいアイス・シャーベットを食べている顔が印象的でした。
 バスの待つ予定の場所まで両手にサワラという葉っぱを持って、「宵山かけた、朔日山かけた、バータラバータラバータラヨ」と歌いながら軽快なステップで踊って帰りました。
 皆様お疲れ様でした!
 
 

スコールそしてまた酷暑

2012-08-24 05:53:47 | つれづれなるままに
8月23日(木)

 お山参詣の最終局面である「餅つき」と「水垢離」を行う準備をしていた。暑さのために会場を開放して思い切り窓を開けていたら、もくもくと黒い雲が湧き上がり、強い風とともにスコールが降り始めた。30分ほどだろうか、風雨も収まり少し涼しく感じたが、またもや青空が戻ってきた。

 午後1時30分から紅白の餅をこさえるために、大勢が集まった。
  
 餅つきが終えて午後3時、会場を実行委員長宅へ移動して、井戸水での水垢離を開始した。

 水温14℃だというが、結構な冷たさである。

 ふんどしと足駄をはいて、皆神妙な表情である。

 午後5時今度は隊列編成練習。100人ほどは集まったろうか・・・。

 午後6時まで練習は続いた。

お山参詣間もなく

2012-08-22 06:54:16 | つれづれなるままに
8月22日(水)

 連日の猛暑で、身体がどうにかなりそうです。それでも夕方すぎれば涼風が心地よく、灼熱からの開放が心を開放してくれそうです。

 さて、2月位から計画を実行に移してきた「町会お山参詣」が開始日まで3日となりました。町会の方々のそれぞれのまとまりと、これまでの役割遂行に頭が下がります。

 結局165名ほどの方の参加となって、きょうは明日の紅白餅つきと水垢離の準備・使用物品の集合運搬作業等を行なう予定です。
 雨は心配無さそうですが、逆にどれくらい熱くなるのかが心配です。地元の小学校のお山参詣の日は19日に実施されましたが、35℃まで上がっての7キロでした。
 皆さんの体調を、今は心配するのみです。

在宅障がい児・者福祉ニーズの変化

2012-08-19 06:44:59 | 福祉について
 今年に入ってから、障がいのある子供たちの福祉事業所が増えたという実感があった。
それは「児童ディサービス」と「放課後ディサービス」という新規事業が国の事業として新設されたことによる。
 私が弘前で障がい児・者の福祉課題に取り組んだのは18年前のことで、その時代は圧倒的に入所施設しかなかった。通所施設はかろうじて弘前市に1箇所あったが、それさえも重度の障がい児者は対象外であった。
 私はどのような障がいがあろうとも、地域で暮らし続けられる社会づくりを目指して、働く親たちを支援しようとした。親が働いている間、障がいのある子供たちが日中活動ができる場を確保するための条件づくりこそがテーマであった。
 親たちの働くを助けるためには、遠い山間部の場所にしかない養護学校の送り迎えを行うこと。そして放課後を樂しく過ごせるようにバックアップすること。母親の休養保障を「レスパイトサービス(レスピットとはホッとするという意)をもう一つその要件に加えた。それを制度のない中で開始して、口コミで広がった。個人負担の多いこのサービスを、県への提言によって、「短期入所事業」という国の制度を利用して実施がなされた。そして自立支援法の中で「市町村生活支援事業」の中で、「日中一時支援事業」と言う名前で継承された。市町村事業の報償単価が低廉なために、他事業所では利なしと考えるところが多かったのか、わが法人の利用率が大幅に増加するまでは取り組もうとしなかった。もしくは取り組みに消極的であった。人件費にもならない単価水準は、ノーマライゼーションなどという言葉では無力であった。
 児童福祉法が改正になって、その中で国が新規事業として打ち出した「児童ディ」と「放課後ディ」はまさにその事業者側のやる気を起こさせる単価保障があって、あっという間に事業所が二桁になった。わが法人は「日中一時支援事業」だけを現在行なっているが、あっという間に親たちは個別支援の可能な新規サービス事業所へ移っていった。
 日中一時支援事業は、個別支援が難しい。従来の事業利用者(成人)と一緒に活動しなければならないために、個々の年代や障害程度、障がい種ごとには支援できない事情がある。まして中学部以上になると下校時間が遅くなるために、事業所での滞在時間が短く、収入増にはならないのである。そのためか児童ディや放課後ディは小学部に通う子供たちの奪い合いが始まっているのだ。
 逆に利用する側から言えば、自分の子供の福祉や教育ニーズによって事業所を選んでいるように見える。
 これはまた新しい時代の画期的な進化とも言えるのかもしれない。事業所側から言っても、一番の課題は人件費確保なのである。10名程度の事業であっても、2千万円を超える報償単価がそこにあると知れば、食らいついていく事業所は数多いことは頷けるのだ。
 たまたまではあるが、わが法人の日中一時支援事業の拠点施設の改修工事が間もなく始まり、その建物が使用できないことから、児童館を借り上げた。12名ほどの児童だけそこで活動を開始してみたが、予想以上に児童の自立度の向上が見られた。
 生活介護の利用者と一緒に過ごしていた時には、個々の利用者が発揮できなかった能力がずんずん広がっている。目が見えない女児は手探りで自分の遊び場を探して目標に到達できるようになった。寝てばかりいたような発作の多い男児も、自分で食事も自立し、活動的になった。
 この10名程度という単位が、まさに一人ひとりを活き活きさせる数なのかもしれない。スタッフも雑居の混乱から、少数化による支援の明確化ができる環境を自覚できたようだ。
 入所施設はますます、特定条件の人達だけの場所に変わろうとしているのかもしれない。
 

随流去

2012-08-16 06:29:12 | こころに残る言葉
8月16日(木)雨

 今朝ほどのNHKラジオ深夜便で「醤油樽(ショウユタル)から始まった若者道場(1) 曹洞宗僧侶 野田大燈氏」のお話を聞いていて響いた言葉が「随流去」(ずいりゅうこ)です。流れに従って去る、という言葉ですが、これは大梅禅師の言葉として伝えられています。
 大梅禅師は、長い期間、山に篭って行をされていたことで有名な唐の時代の高僧です。
杖になる木を探しに山に入ったある修行僧が、路に迷ってしまいます。
そして、たまたまたどりついた大梅禅師の庵で、「山を抜け出るにはどちらに行ったらよいでしょうか」と訊いたところ、大梅禅師は「随流去」と応えたという話です。

「流れに随って去(ゆ)きなさい」、大梅禅師は川に沿って行けば山を抜け出られることを教えてくれたのです。
川の水は低いほうに流れていきますから、その流れに沿って歩いていけば里に導かれるというわけです。
 この言葉には、自分の判断ではなく、大きな真理に従って歩いて行けばいい、という意味が込められています。真理は、川の流れのように、どんな状況にも揺らぐことなく、ぶれることなく低きに向かって流れていきます。
 壁にぶつかっても、必ず進路を見つけ出していくのです。

 私自身の人生を振り返れば、まさに何者かはわからないけれども、見えない力で誘われるように進み、現在があるのです。それが因縁であり、必然だったのかもしれません。自分の娘の幸せだけを考えていたら、きっと現在はなかったと思います。障がいという生まれながらの重荷を背負って生まれてきたわが娘二人の役割は何かを考える時、多くの同じ境遇にある人々の幸せ追求が結果的にわが娘の幸せにつながっているのだという考え方に至りました。もちろんその考え方の根底には、宮沢賢治がいるのですけれども・・・。
 そのひとつの表現方法として「随流去」という言葉が収まるような気がしています。
 


 


秋深まり

2012-08-15 06:36:46 | つれづれなるままに
8月15日(水)

 写真のカミキリムシは、我が家の庭先のもみじの木の下にいた髪切虫です。カミさんが呼ぶので見に行くと、もう一匹ゲストがいました。それはアマガエルです。

 そしてこのもみじの木の小枝が伸びてきて剪定時期です。カミさんにそろそろ切ったらと言われていますが、切れない理由があるのです。
 山鳩がこのもみじの木に巣をこしらえて育児中なのです。山鳩の鳴き声を毎日聞いています。枝を切れば山鳩親子を驚かすことになり、育児を放棄するでしょう。
 
 だからという理由で、枝切りを先延ばししています。そのモミジの葉も紅く色づき始めています。今朝は青空ですが、気温は16℃と涼しくて上掛も二枚になっています。
 それでも、日中の最高気温は30℃の真夏日になりそうです。

 娘たちは今日からあうんに通所し、今夜まで我が家に滞在です。
 長女ネネムは昨日長い廊下を水泳選手のように、居間と遊び部屋まで往復の一日でした。ケアホームには長い廊下がないので運動ができず、少しかわいそうだと思ったりしています。
 次女マミミはピアノを思い切り弾ける自宅が好きなようです。ジャズっぽく激しく鍵盤を打てるのが、気持ちよさそうです。ケアホームは都会ですからお隣さんに気を使って、ピアノのボリュームを絞られて、本望ではないようです。
 涼しくなると娘たちも、少し元気そうです。

 今日15日は敗戦記念日です。戦争が終わって67年目だというのですから、時間の流れは早いものです。戦争を知らない私達の世代が還暦を迎えています。

 8月6日に広島に原爆が落とされ、9日には長崎に・・・そして15日が天皇陛下の玉印放送が流れ、国民が初めて敗戦を知らされたのです。
 あの二つの原爆の恐ろしさを、伝えなくてはならない日本が、今また原発事故で地球上に放射能を自らまき散らしていることに、心から憤りを覚えます。
 そういう意味でのアメリカの植民地化が継続していることを、こうしたところでも実感するのは私だけでしょうか。
 

津軽のパワースポット 岩屋観音

2012-08-14 06:37:47 | つれづれなるままに
 今は白神山地の入り口の村西目屋村は、津軽ダム工事のためにバイパスができて旧道となった観光地「鷹の巣」地区である。
 この一画には岩木川沿いに遊歩道があり、急峻な岩場の洞穴のような場所に、誰が築いたのか観音様が祀られている。

 この空間に滞在して天井を見あげれば、いつ崩れ落ちてもおかしくないような巨岩がのしかかってきそうで空恐ろしい。それでも観音様の祀られているお堂の脇には、岩から流れ落ちてくる冷水をひしゃくで汲み喉を潤せば、暑さも忘れホッと一息つくことができそうでもある。

 それにしても岩木川の濁りがひどいと感じるのは、ダム工事が影響しているのであろう。あと4年くらいはこういう状態が続くのであろうか。
 単純に考えても、どんなにダムに巨額の経費をかけても、構造上から言えば泥ダム化していくのは時間の問題でもある。
 人間の英知や科学は縄文の1万年前から、何も進化していない。むしろ滅びの文化を築いているではないかとすら感じてしまう。
 SF小説の世界だけではなく、現実の世界そのものの方が恐ろしさと奇抜さに満ち満ちている。太陽の代わりに原発を作って、結果的に放射能で覆われた地球の表面では暮らせないで、地下生活を余儀なくさせられる映画があった。アメリカはそれを既に現実のシナリオ化して、火星を第二の地球にしようと考えているのだろうか。

 そんなことがふと頭の中をよぎってしまった、暗くて冷たい巨岩の空洞であった。

お山参詣最終作業

2012-08-13 10:42:42 | つれづれなるままに
8月12日(日)暑い

 お山参詣のご幣づくり、カンナガラづくりやティシャツプリントなどの作業



が最終工程となった。8月25日の本番まで2週間を切っている。私は今回のお山参詣事業の目的として、町会の人々が一致協力して参加し連携することの経験を一番の目標としたいと考えてきた。そういう意味では、きょうの作業だけでも45名の方が参加して、それぞれの役割を遂行してくれた。現代社会の中には人々がどんどん個人生活を優先し、社会全体のあり方に無関心になりつつあることは慚愧に堪えない。

 
 そういう意味では私達の試みは、大いなる現代社会へのアンチテーゼであり「挑戦」でもある。形は古いかも知れないが、今回の事業遂行過程での仕組みとして創設したシステムはうまく回ってきた。それはワーキンググループを創設し、役割を意識化したこと。広報発刊により、事業の進行過程を町民全体に知らしめたことによる、意識の共有化が図れたこと。可能な限り写真を盛り込んで、だれにでもうまく情報が伝わるようにしたこと。
このことによって、かなりの協力体制が確保できたのである。寄付金も協賛金や賛助金として予想以上の成果を上げている。
 

 これからはいよいよ本番を前にした紅白餅つきや水垢離などが23日に予定されている。その日が終了するまで気が抜けない日々が続く。

津軽のパワースポット その4 桜庭清水観音

2012-08-10 14:05:34 | つれづれなるままに
 弘前市から車でおよそ25分ほど走ると、東目屋と通称呼称される集落に入る。今は岩木川沿いにバイパスができたので、あっという間に白神山地の入り口西目屋村も間近に感じる。
 このバイパス右手の道路を入る桜庭という集落には「津軽三十三観音二番札所・清水観音・多賀神社」がある。
 

 うっそうとした杉林に囲まれた神社の入り口から、ヒンヤリとしたかなり急な石段が我々を待っている。
 清水が湧いているために、階段の左手にはちょろちょろと結構な水量で小川が流れている。最後の石段を上ると、京都清水寺を模したかのような朱塗りの橋脚が神社本殿を支えている。
 神社は山の急斜面に建てられていて、石段の最後には大岩の間から湧き出ている冷たい清水が汗をかいた後の口の中に広がっておいしい。 
 

 本殿には千手観音が奉られている。思わず手を合わせている。