夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

3月の終わりに

2013-03-31 09:03:11 | サイクリング
3月31日(日)

 きょうで3月もおしまい。いよいよ明日から、新年度です。
 進学する人、就職する人、転勤する人、退職となった人・・・。それぞれの新しい日々がまた始まろうとしています。
 私の人生も後半に入って、65歳定年まで残り4年です。年金生活は厳しい日々になりそうですが、一日一日を大切に生きて行きたいという思いです。

 そこで明日から少し、今までの暮らしを変えたいと思っています。それはまず①運動です。ウォーキング+自転車+ラジオ体操が一つ。②お酒の量を減らすことです。③結果的に体重を10㎏減らすことです。
 今までの生活習慣を一つでも変えていこうと、自分なりに決心しています。

 早速きょうは小屋に仕舞っている自転車を出して、いつでも乗れるように調整するつもりです。

 そして今、頭のなかでは、どうしたら法人の女性たちが仕事を安心して出来るようになるかを考え続けています。
 出産後の女性の課題の一つが育児と家事と、仕事の両立への課題があります。幸せな結婚生活の基礎は、健康ですが、それは身体的な健康と、精神的な健康の両輪が揃う必要があります。
 結婚して子どもを産んで、さて仕事場に復帰したくても、最初の難関が育児を誰が担うかという課題が突きつけられます。これがクリアできないと、仕事場で自分のノルマを果たせません。そして、一番大きな課題は、乳幼児期の子どもが病気になった時だと思います。その頻度はかなり多いのではないでしょうか。通常の保育だけであれば、保育所で何とかクリアできる可能性はあります。
 最近は病児保育というシステムをとっているところもありますが、それでも利用が何時でも可能ではない現実があります。
 
 「企業内託児所」がどうすればできるのかを、少し検討してみたいと思っています。
 

新規事業準備

2013-03-29 06:44:37 | 私と福祉とであいの旅
3月28日(木)晴れ14.5℃

 間もなく新年度です。4月からスタートする新規事業2つと、あうんの作業棟竣工による引越しが終盤を迎えました。
 
 一つが写真の「就労移行支援事業所・クレッシェンド」と同居する「野菜加工所・ゆいまあるⅡ」
 二つ目が写真の福祉ショップ「あんしん屋」の移動した場所

 3つ目が
 写真の「放課後等ディサービス事業所・ワラハンドクラブ・キキ」

 そして新築された写真の「あうんⅡ・作業棟」です。

 県の事業所の認証も終えて、ホッとしています。スタッフの配置もほぼ終えて、今は実習中です。
 利用メンバーの皆さんが、新しい環境で馴染むまでは、少し時間がかかりそうですが、活動が軌道に乗れば、時間が解決してくれるのではないかと思います。

 

早春の岩木山

2013-03-29 06:39:14 | 岩木山麓 しらとり農場日記
 豪雪がどんな被害をもたらすのか・・・それを間近に見せつけられた。こんなに太いりんごの果樹の枝を、雪解けの力で引き裂かれるのだ。
 リンゴ農家が悲鳴を上げるのが、よくわかった。
 岩木山麓にはこうした風景が、延々と続いている。もうりんごは止めたという思いで、しらとり農場へ農地の売却意志を伝えてきたという農家がいた。


 もう4月になるというのに、雪は2メートル近くあり、僕たちは雪解けの雪道を歩いて農場に向かっていた。

 
 しらとり農場への訪問は久しぶりで、この日は気温が15℃近くあったこともあり何度か雪に足を取られてしまった。
 今年度しらとり農場と社会福祉法人 抱民舎で、どのように連携したらよいかということを模索するためにスタッフ2名とオーナー宅を目指したのだ。
 前にオーナーと話した時、ビニールハウスが潰れたと嘆いていたが、今シーズンは半端な雪でないことが分かる。
 

 オーナーハウスはひっそりとしていて、オーナー夫人が待っていてくれお茶を入れてくれた。
 犬のトーベが久しぶりだと私の足にじゃれついた。
 
 

 オーナーと一人だけのウーファーが、アルバイトに浅虫方面に出かけたと聞いた。
 営農法人化の話をしたかったが、オーナーがいないのでやむなく資料だけを渡して、婦人と話をした。
 婦人もお子さんが二人いて、きょうは保育園に出かけて静かな時間を楽しんでいる様子だった。
 

 年度末の慌ただしさが、この場所には無関係な静寂で魂を透き通らせるような守られている空間に感じている。
 疲れた人間にはなんとも東しい空間でもあるのだ。

老人世界が具体化しはじめている

2013-03-28 06:31:42 | 創作(etude)
 昨日保険屋が来た。この保険屋は従来の保険屋と違って、お客の苦手な部分をかなり補ってくれる。そればかりか、優位な方向を知らせてくれる。

 若いということは明日のことなんか考えなくても、朝は眠いものだという程度かもしれないが、年をとると朝は目覚めないかもしれないものだという定義に変わって行く。
 この保険屋に任せたのは、何がこの先困るのかということと、今の保険で何は不要(無駄)になっているかということを示すことだ。
 建物の火災保険や、生命保険で毎年ダブって余計な金を取られているものが結構ある。今まで生命保険はもしも病気入院したらとか、死んだ時いくら貰えるのかということの額で安心していた。しかし現実の生活を見た時に、癌になったらその入院費用を支払えるかとか、この青森県にはその癌の入院先があるのかなどという情報は、今までの保険屋は話すべき情報を持たなかった。そういう意味では、一社だけの保険ではなく、この病気はこの保険会社が得意、車はこの保険のほうが優位などと振り分けて組合わせてくれるのだ。無駄を減らし、必要な物を組み合わせてくれる、いわゆるマネジメントをしてくれる結構有り難い保険屋である。効率よく安く抑えるという意味では、一応満足している。

 そんな中、家内の車の任意保険の満期となって更新する際に、私が車の名義人になっているので説明を受けた。昨年よりも同じ条件で保険料金が2,000円ほど高くなっている。その説明は、「60歳を過ぎると事故の可能性が高くなります」と言われた。説明を聞きながら、車もそろそろ一大にしなければ無駄かもとか、歩いたほうが健康にも財布にもいいなあなどと考えている自分である。

 今朝の朝刊には「この四月から男性の厚生年金支給開始年齢が1歳繰延べとなって、61歳からになるという。2025年(後12年後)には厚生年金の支給開始年齢は65歳からと書かれていた。

 我が法人は定年は65歳に更新しているので、退職と年金支給の空白期間は起きない。しかし益々若い人たちが働きたくても、希望する職場の空きがないという状況だけは見えてくる。
 
 4月から電気料金、保険料率(自賠責保険)や事故を起こすと保険料が2倍に増加するなどがあり、小麦粉や家庭用の食用油も次々に値上げ対象となっている。差し引かれるものが増え、支給されるべきものが減ってくるということはなんとも辛い。そのうち消費税も10%を超えるかもしれない。
 医療費もこれから値上げや、切り捨てが考えられる。
 不安な老後世界しか見えてこない。日本を捨てて東南アジアに棲む人たちのことが、まんざら遠い世界のことでもなく見えてくる。
 寂しい老後だ。

綱渡りの日々

2013-03-27 06:47:40 | つれづれなるままに
3月26日(火)午前中雪

 午後からようやく雪も上がるが、外気は寒い。
 あうん作業棟への引越しが午前中から本格化し、何度か手伝っている。荷物はこんなにあるのかと思うほどに、作業棟が荷物に侵食されている感じである。
 
 それでもなんとか、利用者も落ち着きを取り戻していて、普段通りに作業が始まった様子であった。
 が、そんな中なんと一人行方不明になり、スタッフであちこちを駆け巡りようやく保護。結局昔のノームが忘れられないのか、その場所に向かったらしい。しかしあいにくその家は鍵がかかっていて、入れずそのまま直進したらしい。
 いのちに別状もなく、本当に良かったと思う。

 10数年前送迎車両が自閉症の青年の家に迎えに行くのが30分遅れ、待ちきれなかったのか彼は一人で歩き始めていた。迎えに行った時彼がいないことに何故気づかなかったのか、昼過ぎに母親から彼が行方不明という連絡が入り、初めて捜索が開始された。

 みんなでそれぞれの想定コースを車で探したが、午後3時を過ぎても見つからなかった。秋のおひさまの沈むのが早いので、不安はマスばかり・・・。
 7時間ほど経って、彼が施設に到着した。どこをどうやって歩いてきたのかも分からないが、送迎車両の中からの道筋を覚えていたのだろうか。私達職員は、思わず涙が溢れてきた。
 お腹をすかせていて、ご飯をお代わりして美味しそうに食べていた姿が未だに忘れられない。

 「安全の確保とリスクマネジメント」もっと職員たちと真剣に学ばなければならないことである。

生まれる時も死ぬ時もみんな手ぶら

2013-03-26 06:58:43 | 創作(etude)
死んだ男の残したものは
一人の妻と
一人の子ども
ほかにはなにも
残さなかった
墓石一つ
残さなかった

頭のなかで
リフレインする
この曲は
森山良子の歌だろう
私は何を
残せるだろうか・・・
いや、あると思うのは
妄想でしかないのかもしれない

今朝方ラジオで聞いた
高山右近の研究家の話は
眠気の中でも
少しだけ記憶の端に残った
クリスチャンであり
茶道も嗜んでいた彼は
徳川家康に
「お前などいらぬ」と言われて
潔く家財や自分の城を手放し
「人間は死ぬときは手ぶら」
そういって日本を去って
ルソン島で死んだという

私もそんなふうに
潔い形で
職場をされたらいいなと思う
何かを残せるかというのは
それもまた
物欲なのかもしれない
なんにもいらない
なんにも望まない
与えられるものを
自然から頂いて
生かされていることに
感謝しながら
誰かのささえになれたら
それもまた
幸せな姿かもしれない



弘前城公園リレーマラソン

2013-03-26 06:42:31 | つれづれなるままに
3月25日(月)4℃ 雪ちらつく寒い一日

 「チームオール弘前」チームで、弘前城公園のリレーマラソンに出場することになった。構成メンバーは弘大教員+学生+市民+野田村住民で1チーム10名。市民の走り手が見つからず、一人は確保したが残る一人が探せない。その旨を事務局の先生に伝えると、お前が出ろということになった。やむなく清水の舞台から飛び降りる気分で、出場する気持を固めた。1週2㎞☓21周=42,195㎞(フルマラソンと同じ距離)

 最低でも1周ということで、なんとかなるだろうと思いながらも初めての経験なので腰が引けている。4時間30分以内にゴールに入ることと、チームで完走することが「目標なので、そこだけは気が楽かも・・・。
 そろそろ運動を開始しなければと、まずは職場までの往復ウォーキングから初めて見るつもりです。片道4.5㎞を早足で40分。
 間もなく4月です。変革の年にするつもりです。

涙の結婚披露宴

2013-03-25 06:38:13 | 私と福祉とであいの旅
3月24日(日)PM5:00~ 弘前プラザホテル

 同じ職場の女性スタッフの結婚披露宴に、家内とともにご招待を受けました。今回の披露宴も私は祝辞を依頼されており、その中で女性スタッフ紹介の前に、彼女のお母様との出会いを紹介しました。
 実は35年前に弘前大学付属病院小児科に長女を連れて行き、お母さんが看護師をされていたのでその際にお世話になっていたのです。
 そのことは記憶にありながらも彼女との再会が2年前にあって、その看護師さんのお嬢さんだと気づくことはその時にはありませんでした。
 1年ほど前にデパートで買い物をしている彼女と、その側のお母様に挨拶をして家内が気づいたのです。

 人生というのは本当にこの深遠なる御縁が、まるで仕組まれているかのように出現することがあるものです。
 あとで知ったことですが、私が筆で書いた吉野弘氏(詩人)の「祝婚歌」の色紙を結婚した職場の皆さんにいつもお贈りしているのですが、彼女はそれを会場の入口に飾ってくれていたようです。

 昨日の披露宴の彼女の生い立ちをスライドの写真アルバムで拝見して、何故その彼女が沖縄の大学に入ったのか、就職していたのかが初めてわかりました。
 後援会の名誉顧問・はせくらみゆきさんとのご縁があり、我が法人の関係者で沖縄に旅行し交流したのは7年前のことで、その御縁でパン屋の名前を沖縄の言葉「ゆいまある」(助け合い)と命名したのでした。

 そして彼女のお父さんが癌で亡くなったことで、急遽彼女は弘前に帰ることになりました。沖縄で彼女も障がい者の就労サポートセンターに就職しており、今は彼女の直上司の課長が彼女の事業所を見学したことが、また一つの偶然でもあります。
 そのことも縁となって、彼女は我が法人に就職することになったのです。こうした幾つもの偶然が、重なっていた彼女とお母様との再会と出会いでした。

 50歳の若きお父様を亡くし、その後お姉さまの結婚やらお母様の入院やら、今回の彼女の結婚に至るまでお母様もかなり苦労されたのではないでしょうか。

 披露宴冒頭には新郎が兄弟とともに紹介されると、感極まって泣き出しました。そして今回は新郎新婦のご両親の挨拶の時、新郎のお父様も大声で泣いていました。
 参会者も皆、もらい泣きでした。

 さあ今、この若いカップルが、結婚という第二の人生のスタートを始めるのです。これもまたすごい縁だと思いますが、お二人は幼馴染の結婚なのだとのこと。自宅も近所であり、幼い頃からの友人たちも皆重なっているのも珍しいと思います。
幸多かれと願いながら、職場のメンバーと二次会場に流れました。

ボランティア役員会

2013-03-24 06:21:31 | つれづれなるままに
3月23日(土)PM6:30~ 焼き鳥屋にて

 うちのボランティア会の役員会は、役場裏の「鳥成」(とりせい)でとほぼ決まっている。役員は8名。

 この日は2名が欠席で、総会提案事項の検討会です。
 私は20数年この会の代表をやり、今は私の老人ホーム時代の後輩が代表になっています。役員の平均年齢も上がって、一番若いのが会長の48歳。一番働ける年齢ということもあり、なかなか忙しそうです。

 さて、この日も会長が職場の送別会ということで他会場へ向かい、残ったメンバーで出る話は昔話が中心。
 私はこれからの我が会のボランティア活動は、気張らずに困った人がいたら出かける。「この指とまれ方式」を考えています。そのためには、地域を歩いて顔なじみになる必要がある。メンバーの中には地域のことならなんでもわかるという人、例えば郵便配達を長年やった人、社協のワーカーをやって来た人、診療所に長年勤めた人などがいて、そういう情報はすぐに分かる人たちが構成されているんです。年寄りだからって馬鹿にしちゃいけません。年寄りには年寄りの得意ってえもんがあるんです。

 昔々の江戸時代の長屋生活、お節介な人間たちが、アイツやこいつの困ったことにしゃしゃり出るような、そんな「お節介に近いボランティア」?をやってみたいなあと思い始めています。「しょうがないねえ」とか「困ったやつだねえ」といいながらも、方っておけないという気風それが「節介」だと思うんです。そして「いいってことよ・・」と当たり前の顔で帰っていく。
 あいつは金持ちだとか、息子や娘がいるんだから放っておけという風潮が、そもそも私には気に入らない。人の懐具合なんか気にするようだったら、ボランティアなんてやめちまえばいいと思います。
 そもそもボランティアなんていう呼び方は、日本人にはあまりピンとこない。古くは「結」(ゆい)とか、自普請・隣組なんていう慣習みたいなもんがありましたっけ。

 「とんとんとんからりととなりぐみ」という歌が昔ありましたが、隣近所は親戚みたいなもんで、困ったときはお互い様、「お醤油貸して」、「お味噌を貸して」、「ご飯を貸して」、「少し作りすぎたから食べてちょうだい」という感じです。

 ま、人と人がお付き合いをしていけば必ず、ちょっと力を貸してということが起きる。それを「あいよ!」って気軽に助けるというそういう関係づくりをしようかということです。
 ところでこの焼き鳥屋、塩の焼き鳥で酒を飲むとえらい美味いとつい酔ってしまって、本当は最後にこの店でラーメンを食いてえなあと思っているんだけれど、酒のお相手がなかなか無粋を許さない。てえわけで今回も夕飯はおあずけでした。お粗末!

審査会でした!

2013-03-23 16:04:31 | サイクリング
3月23日(土)雪がふらないまでも、寒い一日。

 町会長と、昨年お山参詣の運行長を担った方と3人で、市の「1%システム審査会」に参加しました。
 この補助金をいただく時の、プレゼンテーションはとても緊張し疲れます。自分には本当は向いていないのかもしれません。でも、乗りかかった船なので、町会の皆さんの大切な行事を何とか成功させるために、今年も清水の舞台に上がった気分で行って来ました。

 前回は上限の50万円を申請して満額を頂いたのですが、今回は昨年揃えた資材を活用することも考えて、35万円を申請しています。15人ほどの審査員さんに囲まれる中、7分のプレゼンを合わせて、合計35分ほどの時間の中で質問を受けます。
 
 市の補助金が永久にいただけるのであれば良いのですが、そういう性格の補助金ではないこと。この補助金はむしろ地域力を高めていく奉公ではなく、時には指揮を低下させることすらあるのです。あって当たり前という意識は、依存性を増加させることになります。
 自分たちの力でやることによって、自由というものが保証されるのだとすれば、私は基本的にこの手の補助金は、立ち上げ資金と理解しています。

 なんとかプレゼンもしどろもどろながらも終えて、審査員の反応も良い反応でホッとしました。
 休憩後に審査結果はすぐに出て、95.9点と満足できる点数で、この事業は今年も採択が決まりました。(ありがとう!と、平常以上にお辞儀も深々・・・でした)