夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

還暦過ぎの満2歳、「夢発電所」を「夢発電所Ⅱ」に移行します。

2014-05-02 08:29:03 | サイクリング
 長い間、更新しないで申し訳ありません。
 パソコンのアップグレード工事に伴い、ブログの大切なログインパスワードが不明となっていました。
 きょう、何でか突如このブログに侵入が成功しましたので、皆様にお詫びします。
 というわけで、4月後半から「夢発電所Ⅱ」に引き続き行進をしていますのでよろしければそちらの登録をお願い致します。

XP騒ぎ

2014-04-10 09:11:10 | つれづれなるままに
4月10日(木)☂

 ウィンドウズXPを使用していることで、きょう業者に依頼してバージョンアップ工事をすることになった。
 こうやって一定期間経過するごとに「サポートは止めました」と放り出してしまうのはなんとなく汚い商売に見えてくる。新機種を売りたくなったら、こうしてサポートを止めましたと繰り返せばいいことになるのではないか。
 PC社会とは言えインターネットとは、そろそろお暇も考える必要があるかもしれないと思い始めている。

町会の総会~新旧交代

2014-04-07 07:16:29 | つれづれなるままに
4月6日(日)

 AM10:00~集会所にて町会の総会が行われた。これまでは1月から12月が町会の会計年度であったものが、弘前市との合併による調整として4月から3月の会計年度に変更。そして、昨年度だけ3ヶ月間が延長された分、会計的にはマイナスとなった。
 昨日の総会にて三役の交代で、新たに町会長と副、会計が選任された。今までの町会長は77歳で、約10年間続投されたTさん。お疲れ様でした!バランス感覚のある方でした。


 当町会住民の理解と協力体制は抜群で、昨日も空席のないほどの出席率でした。そして旧町会長の提案による、お山参詣3回目の継続実施が決まりました。

見たくないものは見えない

2014-04-06 07:06:00 | つれづれなるままに
4月6日(日)雪

 4月4日付の東奥日報に、新聞切り抜き用の付箋が2枚貼られていた。その一つは宗教学者の山折 哲雄氏の名称変更を拒んだ予知蓮『3・11の「失敗」に学べ』である。

  畑村洋太郎氏(政府原発事故調査・検証委員会の委員長)
 東日本大震災の原発事故の調査分析をして報告書にまとめた人。しかしその3年間で東電も政府も変わったかという問いに、「変わるべき方向に変わったとは思えない。報告書に「見たくないものは見えない。見たいものは見える」など事故で得た知見を書いたが、ほとんど改善されていない。(読売新聞、3月4日)

 80年前に物理学者・寺田寅彦が書き残した次のような言葉がある。「西欧における科学の発達は、人間の力で自然を克服しようとする努力から生まれた。しかし登用の文化国家である日本は自然の多様性と活動性に応じて別種の学問的態度を発達させてきた。自然に対する反逆を断念し、自然に順応するための経験的知識と知恵を蓄積してきたからである。西欧には地震も台風も知らない国がたくさんあり、自然を畏れず、克服しようとする科学の発達を容易にする地盤があった。その自然の相違を無視して立てるべからざる所に巨大な人工物を建設しても、関東大震災におけるように、自然の脅威に打ちのめされ、たちまち壊滅したではないか____。
 東北はまだ「植民地」だったのか、という言葉は深く重たい。
 山折氏が最後に、「この国の科学、そして学問が最も学ばなければならないのが、はるか以前に表明されていたこのような寺田寅彦の言葉ではないだろうか。自体の深刻さを率直に認め、「見たくないものは見えない、見たいものが見える」の箴言の前に、静かに首を垂れるときではないかと思うのである。」

 時あたかも「東京オリンピック」を誘致した東京都と国は、東日本大震災から視線を大きく変えさせようと躍起である。

 NHKテレビで放送されていた東日本大震災で避難を余儀なくされ、粗末な避難所で生活させられている人、家族がバラバラで、子どもたちは屋外に出ることもかなわず、仕事も中断させられた人々の暮らしは疲弊している。函館市長が青森県大間原発工事を阻止しようと提訴したのは、正当な訴えでもあると思う。自然の豊かさとその恩恵そして大切な家族のいのちを犠牲にしたことを、今こそ国民は思い返して方向を変えるべき時ではないだろうか。

寒の戻り~雪です

2014-04-05 06:26:53 | つれづれなるままに
4月5日(土)

 津軽はせっかく春に戻ったかと思いきや、またまた雪が降る朝です。
 今日と明日は雪マークがついていました。屋根に積もった雪が湿っているのか、ぼたぼたと滑落する音が続きます。

 

 今年も我が家の婆ちゃんが鰊の漬物を食べさせようと、南側の軒先に干しました。カラスに狙われないように、鳥避け用の網がかかっています。
 鰊の漬物は酸味が出てくると、食が進みます。

 今日は土曜日で、娘たちが帰宅の日です。暖かくなったり寒くなったりで、なんとなく体調の変化が気になります。

 昨年の3月から娘の入居する「ケアホーム・SEEDS」に、滞在型ボランティアの元養護学校の教諭だった女性が生活を共にしました。そして一年間が経ち、今月の19日にお別れをします。もともとNGO活動をされていて、モンゴルの障害児教育支援に何度も出かけられた方です。今度はミャンマーに一年間日本財団の資金で出かけられるとのこと。
 というわけでこの写真が、送別会の様子です。狭いなあと思うのは20名も集まったから・・・・かな?

 町田市に本拠地がある方ですが旦那様も自立心の高い方なのか、ミャンマーが終えたらまた津軽へ戻ってきたいと宣(のたま)っています。ありがたいことです。

 夜勤者一人だけのケアホームでは、こうした滞在型ボランティアがいてくれることで、どんなに心強かったことか・・・。感謝でいっぱいです。またあちらの国のお話が聞けるのを、今から楽しみにしています。

一期一会

2014-04-03 06:44:05 | 私と福祉とであいの旅
4月3日(木)晴れ

 今日はどうやら最高気温19℃ということで、気温だけは5月並みの気温らしい。白鳥がL字型に編隊を組んで青空を飛翔する姿がこのところの風物詩かもしれない。先頭の一羽がリーダーなのか、盛んに号令をかけて、後ろの鳥達がコーコーと返事をしているかのようだ。

 職場の周辺の雪もかなり消えて、建物の雪害をチェックするために歩いていると、温かな日差しの中バッケ(ふきのとう)やオオイヌノフグリの花が可憐に咲いているのに出会った。

 長い長い冬の津軽は雪の布団をかぶって、こうして自然に時が来ればその大地から次々と生命を育んでいるのだ。春はそんな誕生の姿に喜びを感じさせる。

 今朝方メールを開いたら、東京時代の職場の先輩から同僚だったKさんの逝去の知らせがあった。
 一緒に学生時代にヘルメットをかぶって、ベトナム戦争反対のデモに出かけた時期もあったことを思い出している。
 同じ職場にいて、妙に落ち着いたひょうひょうとした風貌は、坂本龍馬をイメージした時もあった。2つも癌を抱えて、先に逝ってしまった。癌は現代病の未だに制覇できない病の一つかもしれない。辛かっただろうなあ・・・。
 ご冥福をお祈りする。合掌

4月・卯月

2014-04-02 06:45:39 | つれづれなるままに
4月2日(水)快晴 最高気温予報16℃

 新年度がスタートして、一番変化を感じるのは「放課後等ディサービス・ワラハンドクラブ・キキ」かも知れない。4月から新一年生が入学式を待って、キキは毎日朝から賑やかである。

 我が家の建物周辺を冷蔵庫状態にしていた厚い雪の壁も、毎日二桁の気温や強い東風に煽られて雪解けが急速に進んでいる。ようやく春の実感が増してきたのは太陽の日差しの強さで、家の中よりも外にいたほうが暖かい感じすらする。

 今月は年度はじめで、職場では新たな業務改革が進んでいる。一つはパソコンのXPサポートが打ち切られ、ウイルス対策で大わらわ。新しい機械に交換が進んだ。更に、インターネット機能を活用した、各事業所で時間がかかる書類の決裁を簡略化するためのシステム導入である。共有機能を拡充して、パソコン上で直ぐに決裁が可能となる方法をとれるようにした。このことで、紙の削減や時間が短縮し、業務が滞ることがなくなる。いや、それ以上に監査のためだけの決裁ではなく、業務管理がしやすい環境が出来たということになるのか・・・。原材料費の購入伺書などは、従来は購入も終えてから、伺い伝票だけがOKしてくださいと束になってやって来る。事後決裁が、まず無くなる。

 会議は予めその主題の明確化と、会議の必要性、会議時間のMAX90分として、起案書を出してから、承認を受けたものだけの話し合いをすることにした。時間外手当を削減し、いつまでもだらだら業務をしなくても済むようにした。生活介護系と、就労支援系、そして本部系機能の3つに集約して、それぞれが自立するシステムを進めている。今年度だけではなく今後の法人の財政再建と、後継者育成機能が期待されている。

 さて、今月は久しぶりに小旅行が計画されている。大学時代の友人たちと再会する計画が進んでいる。通称「3人会」ということだが、何年ぶりだろうか?もう私と山形のTと二人は還暦を超えているし、それでもまだ現役で働く場があるのだから、健康で居るということはありがたいことだ。
 26日は「プレ2人会」で後輩のK君と盛岡泊、平泉の世界遺産を見学。27日は志戸平温泉に宿泊する。東北はいいなあと思う。自然豊かで温泉も種類が豊富、美味しい食べ物に満ちている。ようやく心の洗濯のできる年代になったかという実感が味わえるのである。


Ouch! 3月の終焉

2014-03-31 07:01:57 | つれづれなるままに
3月31日(月)みぞれ

 今日で3月もおしまいです。家庭生活の大晦日が12月31日だとすれば、業務の大晦日が今日ということになる。
 昨日は義理の妹と旦那がお昼前に来宅して、退職の挨拶?にやって来た。59歳というから1年早く引退したことになる。様々な事情はあるだろうが、これから65歳まで年金がもらえないのだから、退職金を食っていくのかもしれない。
 一度言い出したら聞かないタイプなので、義妹もそれについては黙して語らずである。何よりもあてのない日々を共に家の中で過ごすかもしれない旦那との生活が、耐え難い苦痛になるのかもしれない。私から見れば全てに渡り妻に依存した生活であり、家にいればパジャマ姿で暮らす大きな子どものような存在である。
 家内は私のようになんでもやれるとまた、自分の存在意義が感じられないという時もある。適度というのは難しいものである。
 

 この数日、左の腰から背部に、じわり痛みを感じている。家内は机に終日座っているからだろうというが・・・そうかもしれないし、そうでないかもしれない。一昨日娘達を迎えに行って、娘を車いすからおんぶしようとして更に痛みが増幅してしまった。情けないことだ。

 確かに運動不足で、この所ウォーキングもなかった。明日から4月、今やれることをやるしかないと頭では思い始めている。

 明日から新年度、何かを変えなくてはと思い始めているがそれはまた具体的ではない。週2日は休肝日、(本当は酒を家では飲まないだった)。アウトドアな生活をし、物は買わないで欲しいものは可能な限り手作り。(これは少し現実的で、楽しみでもある)
 釣りとキャンプを夢見ているだけなのだ。

 法人の畑の一つを担当して、又以前のように午前中は野菜作りで汗をかこうと思う。

 C.チャップリンの「希望と勇気とsome money」が目標なのだ。
 開高健のいう中国の故事「しあわせになろうと思うなら」で言えば、「ずうっと仕合せでいたかったら、釣りをしなさい」はまさに言い得て妙である。

モノ申す

2014-03-28 06:41:44 | サイクリング
3月28日(金)

 最近自分は若手を全面に出して隠居状態だったが、久しぶりに県社協にお呼ばれされました。県社協の平成27年度から36年度までの「活動指針策定委員会」なるものに委員として招かれました。10年前に委員だったのは、委員長に指名されたO 先生と私だけだということをお聞きして、こんな隠居状態の私でよかったのかしらと思い筒の参加です。
 でもこれから「地域福祉」は「超高齢社会」を迎える大変な時代が予想される中、黙って参加しているわけにも行かず、せっかくだからうるさいやつだと思われるくらいはモノを申してきたいと思っています

 。初回は組織会と、第一次指針並びに第二次指針の方向性の説明があり、それに対する意見を求められるという形でした。時間がこんな形で足りるのかなと思いつつ、要は「やったんだ」式の形なのかなと思ってしまいました。
 それに高齢者、障害者などを始めとする「当事者」の意見反映などの参加なく、指針作りをして良いのかという疑問です。

 2回目以降は事務局が準備する素案への意見を出すわけですが、根拠となる数字などがまだ見えない中で、????という感じです。

 会議日程はあと3回、それでまた10年を過ごすわけですが、今、県社協で最も配慮すべきは、県(市町村)社協自体の体質改善なのかもしれません。公金の横領事件があちこちで繰り返されるなど、身内の問題に甘くするばかりでは、ますます県民の理解や協力は得られないのではないでしょうか。県や市町村の委託事業がほとんどすべての、事業展開が結局は住民の組織化という大きな目的を失いかけているように思えてなりません。

常盤野保育所お別れ会

2014-03-27 06:47:38 | つれづれなるままに
3月26日(水)快晴

 常盤野保育所の閉所お別れ会に参加。保護者や協力者地域の方々、学校関係者、小学生などが集まって、名残を惜しんだ。

 保育所の園児1名は小学校入学、3名は山を降りた場所にあるG保育所に移ることになった。したがって職員もこの日をもって退職となる。

 N主任保母さんは開設以来32年間、片道30分の嶽温泉まで通って勤務を続けられたという。ご苦労様でした!

 最高に在園児が在園した時期には30名を超える児童が、所狭しと動きまわった時代もあったらしい。寝る場所もなく押入れで寝かされた子どももいたらしいが、親から見れば押し入れに入れられたと言われたこともあったとその当時のエピソードが紹介されていた。

 保育所ばかりではなく、立派な校舎の常磐野小中学校も全校で14名しかいない。限りなく廃校が近くなってきたことを感じさせる。

 人が減ったのは何も児童ばかりではなく、嶽温泉旅館のお客の入り込み数も激減したらしく、跡継ぎもいないとか聞いた。

 代わって増えてきたのは、熊や猿などの害獣で、ことに昨年は岳のブランドでもある「岳キミ」が狙われたらしい。今までは西目屋村が害獣に大騒ぎをしてきたが、今度は常盤野がどうして‥・・と聞くと、西目屋の方が「西目屋は高齢者が多くて畑をみんなやめたからだという。なんだかこれからの時代のマイナス要因が浮き彫りになってきたような、暗い話でもある。

 何はともあれ、我々の活動していた20年前の4年4ヶ月間はまだ輝いていた常盤野地区だ。一緒にねぷた運行をしたり、学校行事を楽しんだり地域一帯となった人々の暮らしがあったのだ。

 この建物も、地域では活用の道もなく、ドアが閉じられることになるのだ。もう少し近ければ、我々の参加も考えられるのだが・・・。そう思いながら保育所を後にした。