夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

新年度

2009-03-31 07:09:42 | つれづれなるままに
 いよいよきょうで平成20年度が終了する。まずまず健康で一年を終えることができ、来年度もこの健康と体力の維持が私自身の課題になりそうである。
 昨日は4月から当法人の仲間入りが決まったHさんが来所し、新年度からの打ち合わせを行った。彼は今月まで他施設の長を辞し、わが法人へ転出する。これは彼にとってはまさしく、人生の岐路なのではないだろうか。わざわざ格下の小法人に給与も半分以下になることを覚悟してやって来るのだから、相当覚悟のいることだったろう。私はもともとゼロからの出発なので、今の水準はありがたい水準なのだが、果たして法人職員はどうだろうか。私はあの時15年間勤務した高齢者施設を辞したが、それは次のステップの実現という目的があったから少しも動揺はなかった。むしろそれまでに蓄えてきた力を自身で確かめようという野心のようなものがあったくらいだ。幼鳥が巣から飛び立つ瞬間に似ている。そして一人で飛ぶ空がこんなにも自由で、そして気持ちのよいものだと実感してきた。自分の身は自分で守るという気概をいつかしら見失い、大樹に守られてきた自分の力が見失われてしまった日々。実家の亡父が、「お前は婿養子だから、いつも義父という大樹に守られているのだ。」といわれたことがあったのを思い起こしていた。義父亡き後は初めてその苦労を身をもって知ることになるのだ。苦労はあっても、自分の人生であることの実感と喜びもまたあることを、ようやく日々の生活の中で実感もできるのかも知れない。
 出来上がった場所がわが法人ではないのだ。「永遠の未完成」という考えで、これから皆が同じ方向を見ながら、それぞれで道をまた耕して行くことだ。その汗や苦難こそがわれわれに大切な力なのだと思う。
 目的を持った積み重ねこそが、私たちに許されてある。さあ、よい風が吹き始めている。羽ばたこう!
 

 新たな出会いを求めて

2009-03-30 07:01:30 | 私と福祉とであいの旅
 27日(金)法人の役員会がパン工房・ゆいまあるの2階で開催された。
 社会福祉法人 抱民舎には理事8名、評議員17名(内理事8名兼務)がいる。通常理事は6名以上あれば足りるのだが、わが法人は当初から理事を引き受けてくれる役員には償還金の協力を依頼してきた。毎月1万円もしくは、年12万円の寄付である。現在も施設の整備資金の一部を毎年180万円を独立行政法人社会福祉医療機構に償還している。これを2001年から20年間継続しないと、あうんの施設整備費の償還は終了しない。そのほか基盤整備事業を含む償還金が10年間別にあり、毎月の償還金としてそれは上乗せされている。
 当日は理事1名、評議員3名が欠席したが、それでも今までの役員会以上の出席率でにぎやかだった。
 今回は新年度の事業計画と予算案を承認していただくことが第一の目標である。初代理事長は元県障害福祉課長の女性で、二代目現理事長は元弘前市の福祉事務所課長、理事はほかに後援会長、地区障害児者親の会代表、歯科医院副院長、行政書士、元社協事務局長。評議員は30年来のお付き合いをいただいている元母子福祉相談員、地区のPTA元会長、保護者、オンブズマン、地区民生児童委員、福祉施設職員、大学教授などである。そのほか監事は高齢者福祉施設長、と障害者福祉施設の事務長で、かつての老人福祉施設時代の友人たちである。
 障害者自立支援法の新年度予算は毎月の報奨金も5%程度のアップがあり、2事業所の入所者の定員も4月から定員いっぱいとなる。また採用職員も3名あり、4月からまた社会福祉法人 抱民舎の職員としての歴史を刻む役割を担ってくれるのだ。来年度は法人の誕生10周年目でもある。また大勢の皆さんのご協力を得て、基盤を固める活動を進めて行こうと役員全員で確認したところである。
 
 

「津軽百年食堂」森沢明夫著(小学館)

2009-03-28 06:31:35 | 私の本棚
 330ページのこの小説を、一気に読んだ。
 私の住んでいる弘前が舞台ということもあってか、余計に馴染み深い思いが募った。そしてその小説の取材先となった10件の内の3軒のラーメンはいただいたこともあって、余計にイメージが膨らんで行く。あのスープのうまさは格別だったと、かなり酩酊していた私の舌に今も旨みが残っている。著者は千葉県出身なのに、私が30年を超えて生活している弘前の、100年間続いた食堂をよく知っているなと思った。後で気づいたことは、10軒の食堂をそれぞれ取材して歩き、それを取捨選択して描いていたことがわかった。五所川原市(1)、黒石市(2)、大鰐町(3)、旧木造町(1)、旧尾上町(1)、そして弘前市にある2軒がそれである。青森県が定めた「百年食堂」の定義は、三世代、70年以上続いている大衆食堂という。私の行ったことのない残りの7軒の食堂が、これからの私のサイクリングツアーの目的になりそうである。煮干ではなく焼き干しの出汁が旨いという実感を今年初めて理解できた気がした。
 一番冒頭の文章がまた、今年の津軽の気候にとてもよく似ていて、スーッと小説の中に入り込んで行くのだから不思議である。そして初代から4代目の主人公に至るそれぞれの人生の因縁が、第一章から第五章そしてエピローグへと続くのである。
 ことに初代の大森食堂を起こした曽祖父賢治とトヨの出会いと心の通い合いは圧巻である。映画のシーンを見ているかのように、頭の中にイメージが沸くのである。故郷を離れた主人公が偶然に出会った同郷弘前の後輩の女の子と出会うシーン。そして故郷に帰って親父のあとを継ごうと決意する場面。思いを寄せ合う二人が弘前城公園の西堀にあるボートに夜中に乗って、桜吹雪を受け止めれば生涯連れ添うことができると信じ実行に移す場面など目頭がたびたび熱くなった。
 家族のありがたさや、友人に囲まれて暮らすことの幸せをこの小説はまた語っている気がした。

朋あり、遠方より・・・

2009-03-25 11:58:47 | つれづれなるままに
 四国の松山と長崎の友人から、果物が届いた。松山の友人からは「せとか」が、長崎の友人からは「八朔」だった。今頃がみかんの旬なのだろうか。北国の津軽では、まだまだ寒さが抜けきらず、桜が咲いているという両国は夢の温暖国のような気がする。私のふるさと新潟では梨が有名だったが、でもそれとて新潟市のことで実家のある現長岡市(旧栃尾市)ではなかった。ずっと長い間、果物の取れる異郷の地にあこがれていた気がする。特に歌に出てくるみかんやりんごの産地に、住んでみたいなあと思っていた。それはかなり味覚的なものよりも、視覚的なというのかノスタルジックなという気分からかもしれない。
 
          「みかんの花咲く丘」
          
          みかんの花が咲いている   
          思い出の道 丘の道
          はるかに見える 青い海
          お船がとおく 霞(かす)んでる

          黒い煙(けむり)を はきながら
          お船はどこへ 行くのでしょう
          波に揺(ゆ)られて 島のかげ
          汽笛がぼうと 鳴りました

          何時か来た丘 母さんと
          一緒(いっしょ)に眺(なが)めた あの島よ
          今日もひとりで 見ていると
          やさしい母さん 思われる

 みかんの花やりんごの花が丘いっぱいに咲いている季節や情景を思い浮かべると、とても幸せな気分になった気がする。
 今、自分はりんごの産地で31年間暮らしている。そしてそれは思い描いた美しさと美味しさがそばにある当たり前の風景になっている。そしてそこには想像を超えたりんご農家の厳しさも見えている。それは観光客とは違った、暮らしの中で直に触れることのできる確かな情報がそこにあるからだろう。日本の農業は例外なく、その経営の厳しさの中で衰退期に入っている。そして津軽でも高齢化の波が押し寄せ、後継ぎは農業を見放してサラリーマンを目指す方が多いのではないだろうか。
 見た目の華やかさや味わいではわからない、現実の一つの厳しい断面がそこに横たわっているのだ。
 ここから私たち福祉エリアの参加によって、何かを生み出せないのかを日々思うのである。産地偽装や、農薬混入問題などで昨年は食品の安全について、国民全体が身につまされたのは記憶に新しい。もう一度手をかけながら、時間をかけながら安全な食物を生み出す時期なのではないだろうか。

待ち焦がれる春

2009-03-24 06:47:56 | つれづれなるままに
 車を運転しながら、りんごの畑に眼をやると、りんごの木が雪に映え紅く感じるのだ。しかし今年のりんご畑には、もう雪は消えてしまって見えない。その分例年のりんごの木々が、紅く見えることも少なかった。ラジオを聴いていると、弘前城公園の「マンサク」の黄色い花が咲き始めたという。でも、昨日の弘前は朝から雪が舞って、風雪の寒い一日となった。それでも後一月もすれば、弘前はソメイヨシノの花が咲いて、ようやく春の到来を実感できるのだろうか。
 そんな中、妹の長男宅で女の赤ちゃんが生まれたという知らせが届いた。ついにあいつもおばあちゃんになったかと、ふと思えば感慨深いものがある。誕生日が自分と2日違いで、いつもにぎやかだった妹は子を生してから大きな病気を患った。以後、妹の生き方は大きく変わった気がする。信仰をするようになったのだ。そして子供たちも、母と同じ信仰を受け入れ現在に至っている。私は無宗教に近いので、その世界のことはわからないが個人の幸せ探求方法はそれぞれだと思っている。一昨年京都でその甥が結婚式を挙げたが、相手も同じ信仰をしておりその雰囲気の強い結婚式に参加した。結婚式の信仰も嫌味なものではなく、実にアットホームなものでむしろ感動したくらいのものだった。おとなしかったという印象の強かった甥や姪も、その中にあってとても明るく積極的な雰囲気に見えた。そして今赤ちゃんがその二人に授かって、メールで写真も届いた。生まれたばかりなのに、こんなにも目鼻立ちがしっかりとしていてなにやら人格を感じるくらいである。咲愛(さくら)と読むのだそうだ。今の時期にふさわしく、そして幸せを予感する名前だった。ぼくも春が実感できるころ、少し生まれ変わろうかと思っている。まずはランニングとサイクリングで、体を鍛えたいと思っているのだ。休肝日をもうけて、少しは体をいたわろうかと思う。少し命を大切にしようという思いを強くしている。
 職場では昨日から新任職員が出社し、研修も始まっている。授かった新たなこちらの命も大切に育てようと思う。

日景(ひかげ)温泉

2009-03-21 06:39:32 | 旅たび食べある記
 昨日(20日)は春分の日、秋田県の日景温泉という秘湯を尋ねた。法人の運営会議メンバー全員で、休日の一日を新年度に向けた意志統一と親睦を兼ねた臨時会議をこの地で開催した。
 この温泉は建物は古いが、谷あいの川沿いにひっそりと立つ風情はまさに心癒す場所としてうってつけの場所である。築110年の建物は黒光りのする磨きこまれた廊下を歩きながら、その歴史の深みが感じられた。数ヶ月前にも私はこの温泉を訪ねたが、硫黄泉の白濁したお湯に浸かりながら、窓外には静かに雪の降る情景を眺めて心が洗われる思いがしたのである。この場所で年度末の慌しさをひとときだけでも忘れて、われわれが目指すべき道を確認できたらと願って実現したのである。
 予約しておいた部屋はさすがに老朽化しており、和室の床もいささか傾斜していること以外は、とても落ち着ける部屋であった。何にもまして公衆電話以外は外部からの連絡も取れないいわゆる携帯電話では圏外のエリアということも、私の気に入った点である。
 午前中はこれまでの法人運営に、心ひとつにして懸命に力を注いでくれた運営メンバーに理事長から感謝の言葉が述べられ始まった。パワーポイントを使って、法人の5カ年計画と今年度の成果と課題を振り返った。できたこと、できなかったことをみんなで検証して、次年度につなげようと誓い合ったのである。
 会議を終えて、全員で総檜造りの温泉に浸かった。そして合間には男性スタッフ全員で、露天風呂に浸かりながら春の日差しを浴びつつ楽しく歓談した。
 こうして、楽しいひと時を、静かな温泉旅館に心身をくつろがせることができた。もちろんきりたんぽ鍋や、岩魚の塩焼きなどの料理に舌鼓を打ったのは云うまでもない。スタッフの手作りのキムチ漬けやデザート、お菓子なども準備されそれぞれの人生の深い話も交わすことができた。夕食は帰途の大鰐町に「百年食堂」という話題の本に取り上げられた「日景食堂」を訪問して、話題のラーメンを楽しんだのである。ストレート麺ではあったが、なんとも煮干味のさわやかなスープは目からうろこの一品であった。


 (参考:日景温泉は秋田・青森の県境を成す甚吉森山麓の山間に、明治22年、磐梯山の大爆発による地殻変動で湧き出したという温泉、初代、日景弁吉により開湯は26年。全国的にも稀に見る濃い泉質の為、三日一回りで治療する霊泉とされ冬は特に湯治の利用が多い。相馬大作の津軽藩主狙撃事件でも知られる歴史の地であり矢立遊歩道では天然秋田杉林の中、森林浴と古道ウォークが楽しめます。)

 

紅玉のりんごジャム新発売

2009-03-17 17:22:10 | つれづれなるままに
 写真は紅玉りんごのジャムである。弘前市折笠の俊芳園「りんご工房」さんが、「パンにはジャムが必要ですよね」ということで、きょうから「パン工房・ゆいまある」店頭での委託販売となりました。
 250グラム入りが630円。140グラム入りが470円である。紅玉りんごの酸味とすてきなピンク色に仕上がっています。ぜひお試し下さい。販売益がまた利用者のみなさんの工賃になります。

火葬

2009-03-17 06:42:38 | つれづれなるままに
 昨日は亡父の姉の火葬の日だった。映画「送り人」が大ヒットしているらしいが、私はまだ見ていない。いや、見る気がしなかった。私は性格的に何か勲章をもらったり、何とか賞をもらったものをありがたそうに見る習慣がない。なんだか賞がつくと、逆にその作品にけちをつけたくなるのだからまったく性格がゆがんでいるのかもしれない。幼いころからそういう素直じゃない?自分がいた。そのせいか、運動会も懸命に走ろうと思ったことがない。賞をもらえるから価値があるなどと思いたくないのだ。みんなが一生懸命になることは素敵だと思うが、そこに一位だからすばらしいとは思えない自分がいるのだ。
 横道にそれたが春の兆しのある雨の中、私は久しぶりに火葬場に足を向けた。弘前市の火葬場は有名な建築家で、弘前市民会館や弘前市役所などと同じ前川国男氏のデザインである。コンクリートの建物なのだが、外観の庭園とマッチして、とても哀しみをやわらげてくれる建物なのかもしれない。
 その亡くなったおばさんは、亡父の姉で87歳だという。子供たちは4人いるが、実質的には孫娘が長い間祖母を支えて暮らしたのだ。孫娘は姉も精神に病を来たしていたこともあって、その姉も支えてきたのだ。孫娘の父は私が青森に来た当時は、すでにかなりの酒精中毒で、始終警察や近所の世話になる存在だった。その原因は、連れ合いに逃げられたことが原因のようだ。しかし本当の理由は、女系家族の中に唯一の男の誕生で甘やかされて育ったことや、舅姑をはじめとする人々の嫁いびりだったのではないか。結局肝臓が破裂して最後は血を吐いて死んでしまうのだが、孫娘は気丈にもその父の最期の始末をすべて自分ひとりでやり終えたのだ。
 いつも口やかましくいうだけの祖母ではあったが、それに答え続けた孫娘は亡くなった祖母の棺が火葬される瞬間大きな声で泣いた。幼い愛娘を強く抱いて、ただひたすら泣いたのだ。幼い愛娘は母が泣くのを黙って見ていた。
 火葬を終えてお骨を拾う際に、孫娘は祖母のお骨を見て「きれいだ」とつぶやいた。この時すでに孫娘は泣くことはなかった。
 本来であれば両親に甘えたいこともあっただろうと思えば、なんとも切ない気持ちになる。祖母を母と思うには無理があるかもしれないが、それでもたぶん彼女には去って行った母以上に大切な存在だったのかもしれない。日々をつないで暮らした人なのだから・・・。
 

春彼岸間もなく

2009-03-16 13:47:51 | つれづれなるままに
 お彼岸が近づき「暑さ寒さも彼岸まで」という故事に習えば、もうすぐ春の到来である。今年は少雪で、しらとり農場も腰の高さくらいの積雪だそうである。例年の年の半分くらいだろうか。
 気持ちひとつ、春の農作業スケジュールを頭に描き始めている。そして今や次年度の様々な計画が進められ、新年度採用職員の「新任者研修」も間もなくである。
 人を育てる時に大切なことはなんだろうか。自分自身のことを振り返れば、自信を持たせるための支援であると思う。
 山本五十六という我が故郷長岡市出身の軍神といわれた方は、「やってみて言って聞かせてさせてみて、ほめてやらねば人は動かじ」という言葉を残されている。
 言葉だけでは人は理解できないことが多い。その人の得意を伸ばすことが、まずはその人のやる気を増やしてくれる気がするし、それよりもまず自分の実践姿勢を示すことも必要な気がしている。
 

一行詩

2009-03-14 12:36:28 | 創作(etude)
 ・夜鳴きそば耳をふさぎて見送りぬ

 ・休肝日プルタブの音苦々し

 ・メタボなる我が腹さする呪いかな

 ・今年また深くて暗き夫婦川

 ・彼の店の輝かし時君立ちぬ

 ・雪代の水嵩増して春運び

 ・親しめる友去り行きてヒヤシンス

 ・薄給の我が仕事場に人の寄る