夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

別離

2009-12-30 07:19:41 | つれづれなるままに
 今年2009年が、あと11時間半で過ぎようとしています。
 今年は6月に三重県の大学の後輩T君が亡くなりました。同じOBで後輩の千葉県のAさんも早すぎる逝去をしています。
 T君は亡くなる3年前にわざわざ私の施設を訪ねてこられて、数ヶ月を過ごして行きました。あうんのメンバーにも親しまれました。Aさんも4年前のOB会で始めて会話して、お手紙を往復させていただいたばかりでした。一緒に八ヶ岳を登った山形のS君も、病死しました。
 病気だから止むを得ないこともありますが、余りにも亡くなるのには早すぎる気がします。「人生五十年」は織田信長の時代の寿命です。
 もう一度会いたかったなと思っても、それは悔いにしか過ぎません。会えるときに会っておくことの大切さが痛感させられます。「一期一会」も最近はやけに身近な言葉になってきました。
 せめて還暦、もしくは喜寿70歳には手を伸ばしたいですね。法人のスタート時のOさんも、先日73歳で急逝しました。
 皆様のご冥福をお祈りいたします。
 

年越し準備~活気帯びる市場

2009-12-29 07:31:59 | つれづれなるままに
 年越しまでカウントダウンが続きます。
 昨日は弘前駅前の「虹のマート」という市民の集まる市場に、カミサンと出かけました。
 28日の昨日は、お昼前ということもあってすごい人手と活気にあふれていました。この時期でなければ並ばないマダラやナマコ、鮭などの商品や、活きのいいキンキン、ナマコ、ミズダコなども並んでいて、ミニ門松、しめ縄など年越し、正月を迎えるのに必要な品物も所狭しと並んでいました。
 以前無認可時代にノームの学童保育を利用していたお子さんの家族が経営しているお店があって、「成田さん」と声がかかりました。
 魚などの焼き物から、寿司、刺身、お弁当やおにぎりなど、様々な家庭のおかずも並んでいて、この市場では高齢化など無関係な雰囲気で皆さん元気で立ち働いていました。
 この市場に来ると、なんだか元気がもらえる感じがしました。
 ちなみに「まぐろの源ちゃん」で、海鮮丼500円と総菜屋さんでイカフライをゲット車を走らせながら食べました。うまい!
 

「リンパドレナージ」受講

2009-12-28 07:01:37 | 私と福祉とであいの旅
 12月27日(日)「パン工房・ゆいまある」2F集会室にて「リンパドレナージ」という耳慣れない言葉の講義と実習を弘前大学赤池PTからご指導を受けました。
 「リンパドレナージ」とは何か?

 リンパドレナージとは特殊なマッサージによって溜まったリンパ液を健康なリンパ節に導いて身体の中に吸収させる方法のことです。

 先ず、準備運動として、肩を前から後ろに回すようにして頚部のリンパ節を刺激した後、腹式呼吸と腹部のマッサージを行います。これは、健康なリンパ節を刺激し、その部位のリンパ液を深部に吸収させて、溜まったリンパ液を受け入れる余地を作るためです。

 マッサージは必ず皮膚を直接触って行います。動かし方は皮膚に当てた手のひらを、皮膚から離さず、数ミリずらす様にします。こうすることによって皮膚の下のリンパ液がリンパ毛細管という細い管に取り込まれ、その中を流れていきます。マッサージというと強く力を入れて行いがちですが、強くするとリンパ毛細管が壊れてしまい、逆効果となってしまいますので注意してください。

 準備運動が終われば、次に健康なリンパ節をマッサージします。例えば左腕が腫れている場合は、健康な右腋と左脚付け根のリンパ節のマッサージを行います。

 続いて健康なリンパ節に接する皮膚をリンパ節に向かってマッサージを行い、その後に腫れた腕の付け根から順に手の先まで、溜まったリンパ液を腕の付け根に導きます。

 (略)
 概念としては、リンパ液はやや粘っこい液体なので、反対から力任せに押し込むというより空いたスペースに順々に流し込む感じです。
 (略)
 ドレナージを行う場合は、順番はもちろんですが、皮膚への接し方が重要です。

 正しいやり方を覚えるために、一度専門の理学療法士による指導を受けた方が良いでしょう。

 (国保すさみ病院のホームページから一部省略して引用紹介させていただきました)

 職員17名が講師と手技の説明を受けた後、コンビを組みながら実技の体験をしました。
 この講義のきっかけは、あうんのメンバーであるわが娘の便秘や足の冷えなどに効果があるかと思ったスタッフがマッサージをしているときに、P・Tから冷え性を改善するにはただ足のマッサージをしているだけでは効果がないことを指摘されたことによります。
 私たちの無知は身体の仕組みにもあり、リンパ腺についての単語は頭にあっても、
リンパについての機能や仕組みがわかっていなかったことにあらためて気づくと共に、健康を守るためにもこのリンパの仕組みは大切なんだと改めて実感しました。

(下記は赤池P・Tの資料から引用)

 ★感染症から身体を守るリンパ系

 「リンパ系は、胸腺、骨髄、秘蔵、返答、肝臓、虫垂、小腸内のパイエル板とともに、免疫システムを構成する重要な部分です。
 ・リンパ系はリンパ節がリンパ管でつながったネットワークで、体内にリンパ液を運びます。リンパ液は。酸素、たんぱく質その他の栄養素を含んでおり、毛細管の薄い壁を通って組織の中へ浸透して組織に栄養を与えます。リンパ液の一部は、リンパ管に入り、最後は血流に戻ります。またリンパ液は、組織中の最近などの外的、がん細胞、死傷した細胞をリンパ管へ運びます。リンパ液にも多くの白血球が含まれています。
・リンパ液によって運ばれた物質は必ずリンパ節を通過し、リンパ液が血流に戻る前に遺物はそこで取り除かれ破壊されます。リンパ節には、白血球が集まっており、白血球同士あるいは抗原と反応し、異物に対して免疫反応を起こしますリンパ節は、リンパ球がきっちり詰まった組織が網状をなしています。有害な微生物はこの網状組織でろ過されリンパ球や、それともリンパ節に存在するマクロファージによって攻撃されます。リンパ節は、首筋、わきの下、祖軽侮のようなリンパ管が枝分かれする部位に集まっています。(以下省略)

 こういう仕組みと、主要なリンパ節とリンパ系の身体図を確認しました。リンパ管は身体の老廃物を運ぶ配水管の役目をしています。
細胞内で使われた使用済みのたんぱく質などがリンパ管へと運ばれて処理されています。
リンパ管の
 独自の収縮運動・一方向に開く弁構造と外から働きかける筋肉運動によって心臓の方向へリンパ液が流れます。リンパ管からリンパ本館に流れ込んだリンパ液内の老廃物や有害物質(最近・がん細胞)はリンパ節で排除されます。(同上赤池P・T資料から引用)
 
 私たちが認識していたマッサージはかなり圧をかけるものですが、リンパドレナージの手技は、リンパ節の位置関係やリンパ節の機能と仕組みから、押節の圧力は30g程度と非常に軽いものでよいとの事でした。実際にやってみると思ったよりも自分の押節力は強すぎることの認識から始まりました。午前中は胸部、首筋等への手技で、昼食をはさんで下肢への手技を行いました。
 ささやかな軽擦と皮下の皮動、そして軽い押節だけで、下肢等の関節可動域が拡大することもわかりました。効能はリラックスによるストレスの開放や、浮腫の改善、便秘の解消、冷え性の改善などが期待できることがわかりました。
 リンパの流れを良くする手技を反復練習をして、少しでも娘たちへの温かなケアが身につけばと思っています。
 

生き方

2009-12-25 07:17:40 | つれづれなるままに
 
 「津軽弁」を並べてみると、どちらかというと「ネガティブ」な言葉が並ぶ。

 「かちゃましい」=乱雑、わずらわしい 「あせずかしい」=あわたただしい
「かちゃくちゃね」=いらいらする 「からきじ」=なまけもの、ずぼら「からぽねやみ」=意欲がない 「ほんじなし」=意気地がない 「さしね」=うるさい
「かたくら」=頑固 「めぐさい」=はずかしい 
 
どちらかといえば「ポジティブ」な津軽弁

 「あずましい」=気持ちよい 「まみしい」=元気 「もつけ」=物好き
「さかしい」=かしこい 「やっぱはまり」=野次馬的な世話好き

栃尾弁
 ネガティブなエリア
 「カスコク=生意気を言う 「だっちゃかない」=役立たず 「しゃいなしこき」=うそつき 「だりこっぺ」=乱雑 「しょうたれ」=不衛生、だらしない

 ポジティブなエリア
 「おしずかに」=行き逢った人との別れのときに使う
「じりんと」=ゆっくり 「しんしょう」=豊かさ、繁栄 「ひとっこず」=臆病

 わたしは新潟の栃尾という場所で生まれ、栃尾弁に浸って18年間過ごした。しかし私は津軽に移住してから31年間が経ちすっかり軸足は津軽弁である。
 言葉というものはその地に住んでいてすぐに話せるわけではないし、理解できるものでもない。毎日の暮らしの中で育まれ、生きてくる。今回も故郷に帰って、母の介護に当たるヘルパーさんたちの栃尾弁を聞きながら思った。
 方言は暮らしなのだと・・・。
 私はノスタルジックな気持ちとは裏腹に、今更栃尾弁を使う気にはなれない。しかし記憶の奥にまるで封印されていたような言葉の数々が、あるときに急にぷかぷかと浮かび上がってくることがある。それは私がかつて幼いころから青春期を越後の片田舎で暮らし、そして越後交通のトッテツ(栃尾鉄道)に乗っていわば決別の日まではそこにはあったような気がするからでもある。
 室生 犀星の「ふるさとは/遠くにありて思うもの/よしやうらぶれて異土のかたひとなりとても/帰るところにあるまじや」と歌ったあの心境に近かったのである。私にとってふるさとは栃尾なのだが、それはまたネガティブな記憶の中の栃尾ではない。私は津軽の地で生き直しをしたのかもしれない。人はもう一度やり直したいと思うときに同じ場所ではなかなか難しい気がする。
 
 



クリスマスイブに

2009-12-24 07:16:48 | 創作(etude)
 ・クリスマスツリー成長という飾りをつけて吾子ふたり浮かびくる

 ・クリスマスイブは食欲の代名詞なりローストチキン食卓飾る

 ・イブの夜はクリスチャンなんていわなくも何かめでたしお腹も重し

 ・この年のクリスマスイブは吾子たちと子別れの夜記念の夜よ

物忘れ

2009-12-23 12:39:49 | つれづれなるままに
 新潟へ帰郷する際に、カメラが見えなくなっていた。どこに置いたのか、考えをめぐらせてもまったくわからなかった。車の中も職場の部屋もくまなく探したが、どこにもなくてあきらめ気分になった。カミサンがボーナスで買ったらと言ってくれた。一眼レフのカメラが欲しかったので、もう気持ちはカメラ屋さんに飛んでいた。
 きょう遣り残したブルーベリー畑の枝の剪定に出かけ、軽トラにあった防寒用のアノラックを着ようとした。するとカメラがそこに隠れるように鎮座ましましていた。「あった!」と思う気持ちと、見つからずにいてくれたら一眼レフが買えたのに・・・と、複雑な気持ちがそこにあった。
 私は最近物忘れが多くなっていることに、ふと気づいた。一日何かを探していたり、何かを言わなければならないと思いつつも、何を言えばよかったのか忘れている自分がいる。
 カメラはそんな自分の状態を見つめなおすように、諭しているのかも知れないと思った。カメラを大切にしよう!

来年を考えている~鬼も笑っていられない

2009-12-23 07:24:59 | つれづれなるままに
 間もなくクリスマスと年越しです。夕べ弘前市役所の脇を車で通ると、電飾(イルミネーション)が燈ってきれいでした。なんだかんだで、結構一日の過ぎ行くのが早く感じられますね。
 昨日はディスクワークで、十周年記念事業の起案、理事会起案、新年度の事業計画の「運営方針」を起案作成しています。そのような中、次長と来年の職員採用や職員の異動についてなど方針を確認しました。
 居宅事業(ヘルパー派遣)はまだ始まったばかりですが、利用者の確保のために今後は介護保険の枠も取り入れる必要がありそうです。

餅つきをしました

2009-12-22 09:23:13 | つれづれなるままに
 12月20日(日)一時の晴れ間に、例年より早めに餅つきをしました。というのも家内が30日までパン屋を開業のためにという理由と、遠来の賓客が弘前においでになったことの二つの理由です。
 賓客とは広島県M市の副市長一年生のYさんで、十数年来の友人でもあります。私は広島には3度訪問したことがありますが、その中の1回は全国重症心身障害児(者)を守る会主催の全国大会でした。その折に彼女と知り合って、お互いに地域の重心をはじめとする保護者のリーダーとして共感し激励しあって今日に至っています。
 といってもこちらが応援してもらうことが圧倒的に多かったのですが・・・。

 そんなお付き合いをしていた彼女が、昨年M市の副市長就任という知らせを聞いて驚き敬服していたところです。この師走の押し詰まった時期、厳寒の弘前まで寸暇を縫っての来訪はまたサプライズでした。
 副市長の任期は4年間ですから、まだ3年間が残っており、おいでになった日がまた昨年の就任時期に重なって丸一年の記念日でした。私よりも7歳ほど年下ですが、H市の重心の会(NPO法人)の理事長であり、24年には9億円の総工費での
重症児施設を建設予定と聞き、そのエネルギーがどこに隠されているのかと思うほどです。
 
 そういう彼女に私がしてあげられるのは、友人の治療院でのマッサージと我が家に招いての餅つきでした。そしてひたすら情熱的に語る彼女の話に耳を傾けることが何とかでき、ほっとしています。
 この餅つき会には、わが職場のSさん夫妻が参加してくれました。おかげで家内は腰が痛いという状況の中で、私が餅の介添え役を務め、餅つきはSさんがやってくれました。おかげでとてもよい餅がつけました。お昼にくるみ餅、あんこ、納豆餅などでおなかが破裂するほどいただきました。
 食後少しだけ話をして、弘前のお土産を買いに出かけ、青森空港へお見送りをしました。羽田に一度飛んで、広島行きに乗り換えです。二人のお子さんのお母さんですが、そのスケールの大きさに改めて脱帽しました。
 

クリスマス会にて

2009-12-18 07:13:16 | 私と福祉とであいの旅
 昨日は寒くて雪の舞う一日。社会福祉法人 抱民舎のクリスマス会があうんで開催されました。あうんメンバー21名、ゆいまあるメンバー18名、ボランティアさん、オンブズマンさん、講師さん、保護者、そして職員合わせて約70名が集まりました。
 クリスマスツリーの飾りつけ、ケーキ作り、会場準備をみんなで行って、お昼ご飯。この食事会で例年と変わったことは、みんなの生活力を向上させるために夏のキャンプを行いました。そして使い捨ての生活を改めて、食器を購入して自分の使った食器は自分たちで洗ったり拭いて片付けることにしています。この日も食後は調理のおばさんたちの負担を減らそうとみんなで食器洗いをしてあっという間に終わりました。こういう試みが少しずつ地域生活を行える自信につながっていきます。
 そして午後のアトラクションです。メンバーさんの中には賑やかな雰囲気が苦手な方もいて、一時的に設けられたスヌーズレン(様々な色に変化する光や心を和ます音などが流れています)の部屋で気分が苦しくなると過ごします。
 ゲストは今回初めての出演の、電子オルガン奏者の益田彩乃さんです。クリスマスの歌を30分間身振りつきで楽しく演奏し楽しませてくれました。皆さん乗りのりで、知らないうちに踊り始めていました。
 今年一番の収穫はメンバーさんたちが人前で自分を表現するという自信でしょうか。M子さんは司会進行でいきいきと見事にプログラム進行をしています。楽しいミュージックパフォーマンスをあうんとゆいまある両方で行った後、代表の何人かでしたが今年を振り返って楽しかったことまたやってみたいことを紹介してくれました。
 ボランティアのみなさんなどお客様に、サンタに扮したでこぼこコンビが花束を渡してお開きです。みんながそれぞれの得意をいかした楽しいクリスマス会が終え、後片付けもみんなで協力して最後までがんばりました。少しずつですが、メンバーさんたち主体の行事開催が定着しそうです。
 
 

帰郷

2009-12-17 07:23:41 | つれづれなるままに
 14日から新潟へ帰郷しました。日本海への寒気団が入り込んだことで、雪が舞う寒い日々でした。青森と新潟の寒さの違いは、寒さへの構え方の違いかもしれません。断熱材の考え方や暖房設備など、新潟はどちらかといえば関東的なのかもしれません。簡単な暖房設備とコタツでの生活は、人々の活動性を制約するものだとよくわかりました。増してや高齢者で病気の人や障害を負った方々の活動性は、冬の間かなり制約されます。寒さという敵は、一冬でその人々の筋力低下を引き起こすのではないかと気になるところです。
 今回母の見舞いもかねての帰郷は、母の5月以来の様子を見るためでした。結局母はベッド生活に慣れただけで、車椅子はほとんど使われていませんでした。電動ベッドの操作性はかなり上手になってはいましたが、ヘルパーさんが来ないと寝たきりの時間が続きます。以前の母に比べると、障害受容は進んだのか表情の明るさは感じられました。そして以前は関心を示さなかったテレビのスイッチも自分で入れてみるようになったのは、良かったと思います。
 兄も退職し、今は母の介護の日々でした。料理や洗濯が主な兄の務めのようです。家内が一緒に行ったことで、兄も久しぶりに食欲がわいたようでした。たった二日半のことですが、年内の見舞いができてよかったと思います。それにしても新潟までの特急「いなほ」でも、片道7時間がかりでした。冬道を車で行くリスクを思えば、快適なことはこの上ありません。
 日本海の灰色に染まる冬の海は、中原中也のいう「海にいるのは人魚ではありません。海にいるのはあれは波ばかり・・・」という夢も消えそうな、哀しみの色でした。