夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

交流キャンプ in ロマントピア終了

2007-08-27 07:43:26 | 私と福祉とであいの旅
 青森県重症心身障害児(者)を守る会の「交流キャンプ in ロマントピア」が8月25日(土)~ 8月26日(日)の1泊2日で弘前市(旧相馬村)「星と森のロマントピア」で開催されました。2日間快晴の天候にも恵まれて、むしろ残暑を感じる暑さの中でもありました。参加者は重症児者が保護者と合わせて25名。スタッフ・ボランティアが45名の合計70名でした。
 今回の行事の特徴は今まで無料で招待していた当事者(重症児者)が5000円、実行委員の運営スタッフも3000円を支払っての参加だったこと。これは、今後も負担がないとこのような行事は開催が難しいことを物語っています。私は当事者の親として思うに、ボランティアのヘルプをいただいて、親と子どもだけの日常生活では望むべくもないことの希望の実現を図るためには、この程度の負担はむしろ安いのではないかとさえ思っています。そういう意味で今回のプログラムのメインは①ボランティアによる入浴援助
②ガイアシンフォニー第6番の出演者「奈良 裕之パーカッションコンサート」の開催
③温水プールでのレクリエーション④保護者の聞きたい講義(理学療法士の講義「寝たきりによる二次障害予防」やあうん次長の「重度障害者の地域生活を実現するためのケアホーム」づくり)が上げられます。ひとりの重症児者にボランティアが2,3人ついて援助を受け、親は子どもたちの介護から一時的に解放されたという気分のリフレッシュは計り知れないものがあると思います。ボランティアの中には高校生や大学生が8名参加しました。その学生たちに事前に重症児者のンノウハウを紹介する講話と実技指導が行なわれ、事前の予備知識や体験をもとに、それぞれの担当ボランティアに当たったのです。
 交流キャンプは保護者のリフレッシュ・知識や情報交換の場・交流親睦の場であり、重症児者にとっては未知の楽しみ体験や交流の場であり、地域社会の人々にその存在意義を認知してもらう絶好の機会でもあるのです。またボランティアの方々も、福祉施設職員や、養護学校などの教員、親の会・一般市民などの参加であり、それぞれにとってネットワークする機会でもあり、またそれぞれのエリアでの諸ニーズを解決する研修の場でもあります。私たちの職場では全職員に研修としてこの行事に参加してもらうようにしています。私たちの職場のテーマは「重度障害者の地域生活実現」だからです。介護をしながらあるいは一緒に過ごすことによって、初めて得られる実感的理解が大切なのです。
 初日の夜のパーカッションコンサートでは灯篭やキャンドルの幻想的な灯りの灯る野外舞台で、奈良裕之さんのパーカッションコンサートが開催されました。奈良さんのいつもの制約者に対するコンサート手法は、一人一人の制約者に対する温かなまなざしに満ちています。そして一人一人に語りかけるように楽器の波動を伝えていました。それは制約者との会話のようですらあります。
 写真は私の娘二人の奈良さんに期待する笑顔です。奈良さんが私の娘二人の前で打楽器を演奏し「さあ、あんたも楽器演奏で答えてご覧」とでも言うように太鼓のバチと太鼓をそこに置くと、マミがなんとバチに手を伸ばして叩き始めました。聴衆のボランティアさん達も「オーッ!」という驚きの声に包まれました。普段は自分で手を伸ばすのはピアノの鍵盤や絵本であり、こういうバチなどには向かわない人なのですが、この心の動きはとっても画期的なことでした。その他の参加している制約者も、それぞれに楽器の音(波動)を全身で受け止め、目で音を追ったり、笑顔を現している姿が親たちや援助者にも嬉しい瞬間でした。
 たくさんの新しい出会いをして、こうして3年に1度の弘前地区の交流キャンプは終了しました。準備はシュミレーションから始まりますが、なかなか事前準備と事後報告が大切であり、大変でもあります。仕事をしながら事業をこなすことは至難の業ですが、それをこなしながら今までもやって来たのですが、一緒にこなしてきた仲間達は、その都度集まり、それをぐっと自分の仕事として引き受けてくれました。それが今までに時間と体験の中で培われたチームワークの心地よさです。畑を耕し種をまいて来たものが、今ようやく力となって現れてきたように思います。これからアンケートを整理し、事後報告書を提出するまでは、まだまだ気を抜けませんが、なんとか事故もなく事業を完了したことを喜びたいと思います。参加者や運営スタッフ、ボランティアの皆様に感謝して!!

能面・狂言面の世界を観覧

2007-08-25 08:14:39 | つれづれなるままに
 昨日弘前市展示館で一戸昌青展「能面狂言面の世界」を見るために足を運びました。能や狂言はまだ見たことがないのですが、興味はあっていつかと思っていましたが、先に能・狂言の面を見る機会となりました。会場には約55種類が展示され、面の種類がこんなにも多いとは思いませんでした。
 ちなみにパンフレットから紹介すれば
 能の流儀には、金剛、観世、宝生、金春、喜多の流儀となっています。能では全ての役柄に面を使うわけではなく、能面を霊力の宿る存在とみなす発想のもと、神仏・天人・仙人・草木の精・鬼神・亡霊・霊獣などの役柄にも用いる原則があります。
 現実に生きる生身の人間の役柄には面を使われません。したがって、必ず生きた男性の役柄を演じるワキ方が面を使うことはありません。現実に生きる人間のうち、壮年の男性の役柄には面を用いませんが、老人・女性の場合には面を用います。
 面の種類としては、翁系・鬼神系・女・男・尉系・神霊系・狂言・伎(舞)楽面などに分けられていました。60種類そろえれば240曲ある能のレパートリーのほとんどを上演可能ということでした。面打ち師の一戸さんが、その作業を実演で見せていました。面の違いが最初はあまり良くわからなかったのですが、しばらくその会場に佇んでいると微妙な表情の違いがあることに気づきました。そして日本の能文化の奥深さをこの能の微妙で繊細な差異の中に感じることができました。
 日本人の心の奥深さや繊細さを表す能・狂言をこれからもう少し味わってみたいと思っています。

天高く吾肥える秋の旬

2007-08-24 07:06:15 | つれづれなるままに
 昨日あたりから夕方の涼しさが際立ってきた。今までは窓を開けて涼しい風を歓迎したが、昨夜はさすがに涼しくなって窓を締め切っていた。今朝は気持ちのよいほど天高くの真っ青の秋空が広がっている。きょうの津軽の最高気温は28℃だが、湿度が低くなってありがたい。

 「さんま、さんま
  さんま苦いかしょっぱいか」の詩でもおなじみの秋刀魚。

 秋刀魚 
 大ぶりの秋刀魚の姿がテレビ画面に踊った。大漁のようだ。今年も秋刀魚は庶民の味として、美味しく安くたくさん食べられるのかと期待している。
 秋刀魚の焼き方といえば、煙モコモコの七輪でうちわで扇ぎながらの姿が一般的だった。それだけで隣できょうは秋刀魚が食卓のメーンディッシュだとわかった。それほどまでに脂が多い。今はあまり機械が進化しているのか、煙が台所を包んだり、周辺に流れて行くことはくなったのだろう。
 秋刀魚の食べ方といえば、大根おろしを添えて塩焼きで食うか醤油をかけて食う焼き魚が一般的だろう。そのほかには、つみれ汁というのか骨までフードプロセッサーで砕いて団子状にした後、ナスと枝豆の入った味噌汁としていただくのも美味しい。なかなか食せないのは新鮮なうちであれば、身をまな板で叩いてミンチ状にした「叩き」、料理屋さんに行けばそれこそお寿司もうまい。まだ食したことのない食べ方では、炊き込みご飯もあるらしい。

 果物等
 津軽の秋は果物もいろいろ旬がある。今の時期は早生のりんご「ダイナカ」や「ビスタベラ」9月には津軽が出始める。桃もようやく枝に真っ赤に色づいている。
 お山参詣の時期になれば、嶽キミを初めとするとうもろこしがなんと言ってもおいしい。岩木山のスカイラインに向かえば、嶽キミロードが続き、嶽キミをそれぞれの農家が約2ヶ月間のテントのお店を開くのだ。宅配便のトラックや、観光客が殺到し、ゆでたてのキミを味わっている。「味来」などをはじめとする「めぐみ」などのネーミングのとうもろこしは格段に甘さが増しているし、果肉も柔らかだ。
 それに8月は枝豆、9月には味の濃い「毛豆」が登場してくると俄然、また酒が美味くなってくる。

 野菜
 初秋の旬の野菜料理で、食欲の出るものは「ナスのシソ巻だろう。ナスに味噌を絡めてシソで巻いて、フライパンで油で炒める。味噌の香ばしさと、シソとナスが絶妙に美味しいのだ。ミョウガもこの時期たくさんで回り、ミョウガの味噌田楽も酒を引き立ててくれる。小ぶりのミョウガに味噌を塗って串刺しにして5個くらいで焼くと、これもまたいける。

 こんなに美味いものが溢れる秋は、サイクリングも毎日朝夕継続しないと、なんともメタボリック症候群の私の体は変わらないのではないかと、少し諦め気味だ。

 

「空に小鳥がいなくなった日」谷川 俊太郎

2007-08-23 23:06:26 | 私の本棚
   朝

 また朝が来てぼくは生きていた
 夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た
 柿の木の裸の枝が風にゆれ
 首輪のない犬が日だまりに寝そべっているのを

 百年前ぼくはここにいなかった
 百年後ぼくはここにいないだろう
 あたりまえな所のようでいて
 地上はきっと思いがけない場所なんだ

 いつだったか子宮の中で
 ぼくは小さな小さな卵だった
 それから小さな小さな魚になって 
 それから小さな小さな鳥になって

 それからやっとぼくは人間になった
 十ヶ月を何千億年もかかって生きて
 そんなこともぼくら復習しなきゃ
 今まで予習ばかりしすぎたから
 
 今朝一滴の水のすきとおった冷たさが
 ぼくに人間とは何かを教える
 魚達と鳥たちとそして
 ぼくを殺すかもしれぬけものとすら
 その水をわかちあいたい
 

山田スイッチさん

2007-08-23 22:55:01 | つれづれなるままに
 昨日は二ヶ月に一度の「ハンサムウーマン」という会合に出かけた。ゲストは山田スイッチさんという女性。2歳になる男の子を育てているお母さんでした。でも本人に言わせれば育ててもらっているという言い方で、お子様を「師匠」と呼んでいました。現在はコラムニストという仕事をしているとか。
 私はこの方をしばらく前に、しらとり農場関係者から噂話として聞いていたのです。それは六ヶ所村で行なわれた「アースディ」という全国集会があり、そこでなんと秋刀魚を焼いてタロット占いをしていたというのです。そしてしらとり農場に日曜日親子でやって来るというお話しでしたが、残念ながら用事ができて行けませんでした。そしたら、今回のゲストとして目の前にその方が現れたのです。どんな方なのだろうという興味本位で出席しましたが、感性としてそのお話は共感することだらけでした。彼女は人生をどのように生きてやろうという夢・ロマンがありました。そしてご主人と一緒にブラジルまで行き、秋刀魚を炭火で焼いて売って歩いたというのですからすごい方です!
 4人面白い人が集まれば、面白いお話が書けるという。そしてその面白い人とは、彼女にはおじいさんとおばあさん、ご主人、お子様ということでした。
 1時間のお話はここに書ききれないくらいに面白く、料理を食べるよりも腹を抱えて笑い続けていました。才能だなと思いました。既に6冊くらいの本を出しているとか。ホームページ・ブログもありますので皆様も一度ご覧になってください。漫画もわかりやすく笑えます。

コスモスの花咲く

2007-08-22 08:17:38 | つれづれなるままに
 毎日真夏日、そして猛暑の日々が続いている。昨日はそれに我々のエリアには大雨洪水注意報も出た。湿度も高いのか、汗汗汗である。
 週末の土、日重症心身障害児(者)守る会の交流キャンプの事務局のために、気ぜわしい日々が続いている。県の補助金が減ってきて、参加者の負担金が増えてきている。賛助会員などのボランティアとして、3000円負担での養護学校の先生方の参加協力がなければ、この事業は頓挫してしまうだろう。なんでも無料の時代は終わったのかもしれない。
 農場行きも収穫だけなので、あうんメンバーに任せて事務仕事が多い。
 農場に行ったメンバーがとうもろこしをしらとり農場からもらって来たといって皮むきを回廊で行なっていた。早速ゆでた初物のとうもろこしをいただいたら、甘くて果肉も柔らかで美味しかった。

 仕事を終えて娘達とともに家路を車で急ぐと、コスモスの花が色とりどりに咲き始め、田んぼの稲穂も実を充実させて頭を垂れ始めていた。9月11日(旧暦八月一日)はお岩木山の五穀豊穣と家内安全を祈願する、「お山参詣」が開催され、にぎやかになるのだろう。

 次女マミの生活リズムの主要なツールであったオルガンが壊れ、新しい電子オルガンが我が家に鎮座ましましている。鍵盤が全てそろっているオルガンに向かうのは久しぶりなのか、それともあの押し込まれたままでなりつづけていたオルガンの方が良いと思うのか、鳴らすのはわずかの時間で眺めていることが多い。またジャズのようなリズムで弾き鳴らす日を待ち受けている。
 

秋深まるか虫時雨

2007-08-21 06:47:45 | つれづれなるままに
 終日湿気の多い一日で、午前中はお日様もあったが、午後にバケツをひっくり返したようなスコールがあった。車の屋根を跳ね返る水しぶきの勢いは、見ていても気持ちが良いほどだった。20分くらいで急に雨は上がったので、夕立のようなものなのかもしれない。もう少し降ってくれたら、蒸し暑さも納まったかもしれないのにと、勝手なことを思うのは自分だけだろうか。
 昨夜は法人の理事・評議員会があうんで開催された。定款の一部変更」が主題で、あとは報告事項であった。いつもは議題が多くて、意見交換ができないことが多いが、少ないと役員一人一人の思いが伝わり、これからもこういう時を設けたらと思った。ケアホーム・グループホームを冬に見学に行くことを報告した。
 理事会の終了の頃、あうんからは10キロも離れているだろうか白鳥で有名な平川の岸壁で「藤崎町の花火」(ふんちゃぎの花火ッこ」の音が遠雷のように聞こえていた。これで津軽の花火も最後だろうか。
 あうんの建物に隣接する林檎園のりんごふじは15センチくらいに玉伸びを見せ、無袋のものは赤く色づき始めた。
 雲にぼんやり浮かんだ月を横目に、約5分間で帰宅した。
 我が家の庭には「こおろぎ・蟋蟀(ちちろ虫ともいう)」が一番多く住んでいるらしく、その鈴のように鳴らす音を、ちちろと昔の人が表現したのはなんとも言い得て妙だ。次にクツワムシのガチャガチャ、邯鄲(かんたん)のジーッという音色が、まるで三重奏に聞こえ、心和ませてくれる。鈴虫や、ウマオイ、キリギリス、マツムシなども聞きたいが生憎、このエリアには住んでいないらしい。朝方までその音色は続いていた。

 ・風雅なり花火夜空に庭にはちちろ
 

敬老会の準備

2007-08-20 08:29:18 | 私と福祉とであいの旅
 昨年2月に1市1町1村が合併して、それまで3つの社会福祉法人社会福祉協議会が一つになった。結果、旧岩木町社会福祉協議会が弘前市社会福祉協議会の中の地区社会福祉協議会として、この5月に組織化された。各種福祉団体等の代表がこの地区社会福祉協議会の理事・評議員として約70名が就任し、初めての敬老会をこの組織で企画運営することになった。
 地区社会福祉協議会会長は私の家の隣の叔父さんで、これがなんとも私にとっては鬼門です。「敬老会アトラクションの企画をお前やれ」とほとんど有無を言わさずにごり押し。そして揚句は「司会進行もお前だ」とのたまう。
 やむを得ず敬老会アトラクションの寸劇の台本を書いて、配役も決めて提案。会長自らが出演することになったので、他の役員もすんなりと承諾。タイトルは「若乃花の古稀相撲幻想」で、70歳になった時には既に盟友の栃錦は逝去して7年。その盟友との生涯成績は若乃花の15勝19敗。体つきもほぼ互角であり、生涯の優勝回数もともに10回。マムシの異名をとった栃錦は若乃花の4歳年上。もう一度栃と戦いたいと願う若の思いが夢の中で叶った。
 75歳から104歳の長寿者350名が参加する敬老会で、何をやるにもわかり安く愉快なのが一番。それに役員達の練習時間はあまり期待できそうもなく、また長い台詞も無理ときて、これはもう誰にも説明のいらない郷土力士の相撲が一番だと考えた次第。
 配役は呼び出し1名、行司1名、審判3名、横綱若乃花と栃錦。この大道具と小道具の準備も私が一手にやるのは困難なので、あうんのスタッフにも協力を依頼することになるだろう。
 昨日はカミさんと一緒に横綱の着ぐるみになるラクダのシャツほか小道具の買出しに出かけた。残暑の中での、真冬の長袖ラクダシャツとズボン下など売っているのだろうか?という不安感で店に入る。案の定店員に聞いても「夏はラクダのシャツなどどこもないよ」と、不思議そうな顔で言う。わたしも諦め気分で商品棚の一番上に目をやった。すると見えないような場所にラクダのLL長袖と、同じくLのズボン下が2着分あつらえたかのようにあるではないか。「あった!」と私。「あれっ」とおばさん店員。「実は敬老会のアトラクションで相撲の衣装を探していた」というと、不審そうだったおばさんもにっこり。こうして難関の最初をクリアした。
 9月9日の日曜日本番を目指して、今月いっぱいが小道具の作成締め切りなのだ。お金の方もかけられないので、ほとんどが100円均一のお店での買い物となった。
 これからこの社会福祉協議会役員達との協力連携を固めていくには、今回の行事はとても大切かもしれない。それを考えると、なんとか成功に導きたい。そういう意味でもこの苦労は、有意義であると考えている。

町会祭への参加

2007-08-19 06:28:18 | 私と福祉とであいの旅
 高屋衆祭が行なわれました。私たちの施設の直ぐそばの愛宕神社の境内で、町会の祭が準備され、あうんスタッフも準備から後片付け、そして昨日は本番の祭が開催されました。あうんの出し物は楽器演奏です。指揮者は音楽活動担当のSさん。祭の開幕を記念するには、とってもふさわしくにぎやかな幕開けでした。これまでミュージックパフォーマンスを幾度も様々な舞台で経験しているメンバーにとっては、すっかりそれが自信となって息づいていました。楽しそうに演奏や身振り手ぶりを行なうことができ、町会の皆さんも思わず笑ったり手拍子をしたりで、地域の皆さんとの交流としては上出来だったのではないかと思いました。
 あうんのメンバー全員と、パン工房・ゆいまあるの青年達も会場にいっしょに参加して楽しみました。会場のお店には、輪投げやヨーヨー釣り、クジ、アイスクリームや焼きそばなどのお店も並んで、昔のお祭を彷彿させます。さっそくそれぞれの関心のあるところで、挑戦していたようです。
 演芸は夜まで続き、踊りや歌など町会の皆さんが自慢の出し物を披露するようですが、残念ながら通所施設であることもあって、送迎バスの時間の関係もあり引き上げざるを得ませんでした。
 障害者施設は往々にして、施設の中での行事を開催しがちですが、こうして地域行事に準備や後片付けから参加して、そしてメンバー全員でにぎやかに祭り会場を盛り上げることの方が、多くの方々の目にとまり、理解も深まるような気がしました。
 

夏の別れ

2007-08-18 08:24:37 | つれづれなるままに
 昨日何だか夏が終えたなと思った。一昨日までの暑さとは違うマイナス5℃で昨日は、湿度はあるものの、どこか空気が違ってひんやりしていた。
 あうんの夏休みも後一週間で終了し、子ども達もまた学校へ気持ちを移していかなければならない。楽しさの後はいくらか寂しさの残るものだと、学生時代の夏休みの終わりにも感じたことがあった。
 約一ヶ月間のあうんでのアルバイトを依頼したミスビューティフル・ウインターこと、中国名でTong meiも、昨日でその仕事を終えて、しらとり農場のオーナーの迎えの車に乗って去って行った。たった一ヶ月間ではあったがあうんの中で、夏休みの子ども達のサポーターとして、またスタッフの間でも信頼感が増し、なじみのなくてはならない存在になりつつあった。
 彼女はしらとり農場で6月に会い、ともにミスキャサリンと開墾畑に汗を流した仲間である。30アールの広い開墾畑の萱などの根を取り除き、茶色の大地に重たい有機肥料を片腕に持っては蒔き、そして豆を繰り返し植え続けた。今はすっかり豆も成長して、緑の畑に様変わりしていた。農場の彼女はどちらかといえば寡黙で、笑顔もあるがどちらかといえばおとなしい娘だった。しかし、作業への姿勢は内側にあるマグマが沸々と煮えたぎるかのように、最後まで離れないといったガッツが感じられた。ある日、畑の土から湧き上がったかのようなウンカが私たちの素手を襲った。痒みとともに腫上がって、数日熱感も残った。彼女の腕には今も、その傷跡が勲章のように残っていた。
 北海道から沖縄までウーフを渡り歩いて旅をするのが、とりあえずの彼女の夢のようだった。その交通費を稼ぐ必要のあった彼女に、あうんでの夏休み中の子ども達のサポーターを依頼したのだ。
 時を同じくして7月の末と8月の頭には、初めに彼女の父親が学会と称して弘前を訪れ、そのあとには母親も3日間あうんを訪問し、ボランティアをした。心配でたまらないのはどこの親も同じことだろう。
 彼女の両親が教育者であることや、2000年11月に私がドイツを訪問した時に、13歳の彼女もシュタイナーシューレに4ヶ月間滞在していたことなどいくつかの共通点があった。さらに彼女が一時不登校気味となって、荒んだ時期があると聞いたが、私も親と対立して故郷を離れたのも、苦しくも似ていたので、なんだか自分を見ているようで無関心ではいられなかったのだ。でも、彼女は北海道の瀬棚町や、しらとり農場での約2ヶ月間で、見事に大人への旅立ちを果たしたのではないだろうか。そしていままた、次の脱皮を目指して北海道に渡るのだという。
 年齢もまだ20歳であり、彼女はもっともっと見聞を広め、様々な出会いの中でこころを磨いて欲しいと思う。今度会えるのは秋なのかもしれないが、成長した彼女の笑顔と再会できることを、今から楽しみにしている。第二の心のふるさと津軽を忘れないで欲しい。いつでもそこに佇む岩木山のように、彼女のファンは待っているだろう。
 「青年は荒野を目指す」というフォークソングがあったが、まさに彼女は旅立っていく。道中の無事を祈りながら、父親が実家に里帰りしてまた嫁ぎ先に娘を見送るような寂しさを感じながら、彼女の乗るトラックを見送ったのである。。