夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

井上ひさし「四千万歩の男」/第三巻読了

2011-12-31 11:02:42 | 私の本棚
12月31日(土)
 朝方風強く雪も横殴りに降っていたが、10時過ぎには日差しも出てきた。昨日は餅つきをし、三臼ついた。その年により、餅の出来不出来があるものだと思う。搗いてもついても、餅になりにくいというか米粒が残る場合もある。しかし今年の餅は、大層よくできた。
 そしてきょうはついに大晦日。朝から市の除雪車が玄関先に残して行った重い雪塊を機械で除雪をした。一人暮らしのお年寄りがこの重たい雪の塊を玄関先に残されて行かれたら、どんなにその後苦労だろうと思う。

 朝食後玄関の犬走りと言われる屋根付きの廊下天井の蜘蛛の巣や、屋内の天井、廊下の天井、電灯の笠のホコリなどの拭き掃除をした。

 わが家は築18年になっただろうか・・・。平成5年に完成したので、たしかそういう年数は暮らしてきたのだ。
 私にしては初めての自分で基本設計をしたもので、障がい者の通所施設をこの家で最悪の場合は行うつもりだった。だからか、建物を見る人は施設のように感じるかも知れない。居間は15畳、台所6畳、洋間の書斎兼用で6畳が同じスペースになっている。
娘たちや老母の老後を考慮して、バリアフリーである。廊下やトイレ、浴室など総て車椅子で充分に回転できるスペースを確保した。居間と、玄関は吹き抜けの明かり取りも設置しているし、廊下にも一箇所明かり取りをつけた。これがまた、日中の明かるい環境確保に役立つのである。総て平屋で、天井を高くしているので、大工さんから廊下の天井部分に部屋を作れそうと言われた。その分夏は涼しく、冬は温かい。何よりも私は無落雪住宅というものを信用していなかったので、建物の四方に雪が落ちるように設計した。お陰で雪下ろしは一切ない。だが、そのおかげで、雪が軒に壁になるくらいに高くなる。
 年をとってから二階家の雪下ろしは、危険極まりないと思っていたのである。築18年といっても、そんなに使い勝手が悪くなったり、改修すべきところも今のところないのが救われる。この家を娘(長女)に合わせて設計に傾注している。その一つが廊下であるし、一番奥の部屋が客間兼娘のキーボードや家内の書斎となっている。この奥の書斎まで廊下が約10メートルくらいあるのだが、歩けない娘は上腕だけでスイスイとキーボードを目指して移動ができるようになっているのだ。自分の意志で遊びの確保と、お腹がすけばまた居間まで這っ来れることはとっても大切な運動で、ありがたいものだと思う。


 さて、「四千万歩の男」第三巻の最終章「お栄」というところを読み終えた。伊能忠敬の測量の旅が一旦終え、また江戸に戻ってきたのである。自分の頼りとしていた女房「お栄」が、家出をしてしまう。というのも忠敬の測量が幕府にとっては中途半端なこととして理解され、蝦夷の東側しか測量して来なかったことをなじられる。忠敬は西側も測量(歩測)のたびにまた出る決意をするが、この計画をお栄が知って、家出をされるのである。この時代の寿命は50歳くらいだとすれば、忠敬は59歳であり、お栄は夫婦とは名ばかりのこの関係に嫌気が刺したものらしい。忠敬の地図は結局お上にその重大さを評価はされて、100両近く経費がかかってしまったのにもかかわらずたったの22両某のお手当て金としてのみ評価され受領することになったのである。
 まだまだ鎖国をしている時代であり、自国のまもりしか考えられないことが、この偉大な実践と地図の価値がわからないのは、なんとも歯がゆいものである。

屋根の雪下ろしボランティアスタート

2011-12-29 15:40:00 | 私と福祉とであいの旅
12月29日(木)  昨日は職場の仕事納めでしたが、社協から電話が入り岩木山麓の方から屋根雪のSOSとのこと。急遽我が職場のスタッフに声かけをして何とか3名を確保。社協職員とで4名のチームができました。  今朝は少し気温は高い感じで、少しの晴れ間も見えました。軽トラックに除雪車とハシゴ、スコップをつけて2台の車で岩木山麓2合目の高齢者世帯に出動。86歳のおばあさんが一人と猫が5,6匹の家でした。  去年梯子から雪の上に落下した経験もあるので、この日は特別注意をしています。今日の屋根も滑り止めがついていないということでした。  一人の隊員は玄関先で雪を除雪車で飛ばす作業にあたり、私達3名は屋根の上に上がって雪下ろしです。  娘さんが上がって少し雪下ろしをしたら形跡がありましたが、腰が痛くなったとのことで急遽依頼があったものです。今の段階では雪も寒さのために軽めですが、もう少し暖かくなってくるとたちまち雪の重さが増してくるのです。  家の中で過ごすおばあさんも、雪の重みでギシギシ音をする天井を見ながらさぞや不安だったろうと思います。  終了後報告に行った隊員から、おばあさんが「これで安心して年越しができる」と言っていたとのことでした。    春先から秋口までは、さぞや気持のよさそうな場所です。屋根の上から見ると、弘前市内が見渡せます。家の裏側が岩木山で、家のそばまで林の中からうさぎの足跡が雪の上に付いているような、和やかな場所でした。  この後もう一件依頼があり、結局午前中は2件の屋根の雪下ろしを行いました。少しは気持が爽快になりました。  年越し後には、かなりの件数で依頼が来るのではないかと想像しています。人数が多ければ多いほど、この雪下ろし活動ははかどり方が違います。次回はもう少し隊員が増えてくれれば良いのですが・・・。  明日は我が家の餅つきです。

クリスマスイブの野田村にサンタ登場!

2011-12-26 07:33:56 | チームオール弘前
12月24日(土)

 弘前の朝は雪が降り続けていた。弘前市役所前からの野田村行きのバスに、ハンサムウーマンの皆様と、法人のクリスマスプレゼントである、お菓子の詰め合わせやカレンダーをバスに積み込んだ。気温が少し高いせいか、雪が滑りやすく荷物を持ったまま思わずきれいに「つるり」と転倒した。
 4名のボランティアが市役所前から乗車し、参画センター前で停車。クリスマスプレゼントをここでも積み込む。4名で下車して、段ボールの詰め合わせプレゼントをバスに積み込もうとした時事故が起きた。私の前を歩いていたKさんが、すってんと転倒して動けなくなったのだ。冗談かと思ったが、足首をやったらしい。救急車を呼び、市の職員にKさんを依頼してバスはまた弘前大学へ向かった。今日は弘前大学ボラセンは一年生を中心に32名、合計36名が乗車した。(事務局の先生が2名)

 Kさんの転倒事故の続報が市職員から入ったが、結局彼は国立病院へ1か月間入院となった。そして第二報は、27日に手術とのことだった。
 野田村へ9時30分野田村着。野田村は太平洋に面しているので、まったく雪もなくて今日は快晴である。全員がおなじみとなった黄緑色のヤッケを着込み、今日の活動が始まった。

 今日の目的はまず役場前のクリスマスツリーの飾りつけと、クリスマスプレゼントを野田村の子供たちに渡すことだった。しかしそれにしても、海風がやけに冷たい。
 私と学生4人で、サンタクロースを担当することになった。
 

 公民館の2階で児童会が開催されており、そこにいる20名ほどの子供たちにプレゼントを持参した。やっつけの芸ではあったが、身振り手振りを交えてのマザーグースの歌を披露した。

「えっさかほいさ、猫にバイオリン、牝牛が月を飛び越えた。子犬がそれ見て大笑い、そこでおさらばすると一緒に、おさらばさ」

 そしていよいよプレゼントを子供たちに手渡した。たくさんの善意が詰まったプレゼントを、野田村の子供たちは純粋に喜んで手にした。

 

 その後村役場の防災無線放送で案内をしてもらって、午後3時までに希望者役場前に来ていただくことになった。
 親子連れやおじいさんやおばあさんが孫のためにと、プレゼントをもらいに三々五々やってきて感謝をこめてお礼を述べて行った。 

 体の芯まで冷気がしみこみ、ようやく3時終了した。
 帰る前に米田地区の米田さんというおばさんが、豆腐田楽をご馳走するから来いということで立ち寄った。
 

プレハブの店にはおばさんが3人豆腐田楽を炭で焼いていた。


 味噌だれの焼けるおいしそうな匂いに、小腹がすいていたことと寒さに打ち震えていたので、そのごちそうはとってもありがたかった。

 みんなで満足してお別れをし、野田村を後に一路弘前を目指した。


 寒風吹きすさぶ中でも、野田村の復興工事が進んでいた。



 今度野田村を訪問するのは、年明けの1月15日(日)小正月である。子供たちの純粋なサンタさんとのふれあい・・・。
 2歳の子供を連れたお母さんが、少しの水たまりを見ても「津波こわい」と叫ぶとか、娘がうつ病になったが、なおるだろうか・・・?など様々なPTSD症候群が癒されずにあることを知った。
私たちのできることは、果たしてどういうことだろうか・・・。
 弘大のS先生は帰途の車中で、「自分は30年ほど児童劇をやって来た。今度なりたさんいっしょにやりませんか・・・?」そう呼びかけられた。私も少しだがそういう気持ちになり始めている。

 

自然と・・・

2011-12-23 15:04:37 | 創作(etude)
越後の
栃尾言葉で
別れ際に
「じれーんと・・・」
と言っていたのが
後になって
「自然(じねん)と
そう言っていたのだと
ようやくわかった
故郷を離れて
四十二年が経った

もう一つの
別れ際の
ことばは
「お静かに」
心静かにと
そう言って
いるのだろうか 


短歌/2011年

2011-12-22 15:02:15 | 創作(etude)
・いつからかパソコンだけが前にいるこの一年もブロガーとして

・遠かりしふたりのこころ見つめてる不器用さゆえのおれのかさぶた

・共連れの道遥かなり三十七年別れ話もあるにはあった

・娘らを離して思う父の味土日帰宅をそわそわ待ちて

・急逝す同い年なる記事を見て大切の旬ときみに告げてる

・自らは隠居願望隠してる赤穂浪士の祈願のごとく

・若者の結婚熱が冷えてくるこの時代性ニューハーフ増え

・生き死にのあるべき姿見つめてる今年の災禍学びは多し

・べ平連以来の我の行動は内なる熱き血潮感じつ

匿名さんありがとう!

2011-12-21 06:52:25 | 私と福祉とであいの旅
12月20日(火)

 年に一度かニ度「あうん」にお花屋さんがやって来て、可愛いお花が届けられる。どなたからでしょうか?と聞くと、「匿名希望さんです」という答えが返ってくる。「教えていただけませんか?」というと、「匿名希望ですから・・・」と埒もない。
 そうして結局5年は経ったろうか。この日もそのお花屋さんがやって来て、サンタクロースの人形付きのお花2つを届けていった。あうんに飾っても、メンバーさんのおもちゃになってズタズタになってしまうので、いつもパン屋さんに持って行くことにしている。「ゆいまある」と「cona」に届けてきた。
 

 いただきものは
 とっても嬉しい
 でも
 今度何を返そうかと
 思うとき
 相手が誰だか
 わからないと
 返せない
 こころがいつも
 このことで
 重たくなる
 「誰かに借りたら
 誰かに返そう」
 そういう詩があった
 だからそうするしかないか

記憶

2011-12-18 08:39:12 | つれづれなるままに
12月17日(土)

 久しぶりに家で静かに過ごした。思いの外の雪が降って、除雪機で飛ばす程でもないのだが練習のために圧雪を中心にと思って機械を動かした。我が家の入り口の駐車場は一応舗装をしているのだが、それでも砂利を敷いている部分もあって、それが機械に巻き込まれるとあっという間にロータリー(回転する雪を飛ばす羽根)のボルトが飛んでしまう。安全のためなのだが、それもまたその都度のことで大変煩わしい作業ではある。

 娘たちが週末なので帰宅し、入浴介助を家内としていると昔の歌がふと蘇った。学生時代の旅の途中のことだが、新潟の佐渡島のユースホステルに滞在した若者たちと歌った唄ふたつ。それが「もしか(いつか)ある日」と、「シャローム」である。記憶というのは不思議なものだと思う。思い出したくないものがいつまでも記憶から離れず、思い出したい記憶がなかなか浮かばない。
こんな具合にどうでもよい時にふと口ずさめる唄もあるのだから・・・。

出会い/「生まれてきてよかった/作詞・長月 瞑 作曲茨木 大光

2011-12-17 22:19:55 | 私と福祉とであいの旅
12月16日(金)喫茶れもん

今年最後の、ハンサムウーマンが開催されました。
30人ほどのお客さんで会場はいっぱい。身動きもとれないほど、ぎゅーぎゅーでした。この日はいつもの会合と違って、コンサートつきでした。
「茨木 大光さん」と「松原 菜緒さん・恵美(めぐみ)さん」の三人のコンサートです。金沢から雪の降りしきる青森へ来たということでした。金沢まで千キロの道のりを車で往復する三人の歌は、心にしみました。
 この日来場者に呼びかけられた「野田村の方々へのクリスマスプレゼント」をたくさんいただきました。24日野田村のクリスマスイブに届けられます。皆様有り難うございました。

「生まれて来てよかった」

あの頃はよかったというのはもうよそう
これからのことをもっと大切にしよう
あなたにであえたことをもっと大切にしよう
あなた そうあなた あなたのおかげで
今ここで私が歌っている あなたと二人で歌っている
生まれてきてよかった  ほんとうによかった
あなたと逢えてよかった ほんとうによかった


  今の若い者はと嘆くのはもうよそう
  若者の未来に虹をかけよう
  あなたと語り明かしたその夢に浸ろう
  あなた そうあなた あなたのおかげで  
  いま ここで笑っている あなたと二人で笑っている
  生まれてきてよかった ほうんとうによかった
  あなたと逢えてよかった ほんとうによかった

もしもあの時にと悔やむのはもうよそう
今日よりも明日へ希望を語ろう
あなたと乗り越える人生の旅路を
あなたそうあなた あなたのおかげで
いま ここで私が生きている あなたと二人で生きている
生まれてきてよかった ほうんとうによかった
あなたと逢えてよかった ほんとうによかった

  あなたと乗り繋ぐ人生の旅路を
  あなた そうあなた あなたと一緒に
  生まれてきてよかった ほんとうによかった
 あなたと逢えてよかった ほんとうによかった


パレスチナ民謡/シャローム

2011-12-17 22:11:46 | 趣味(渓流釣り・フォーク)

シャロムチャペリン シャロムチャペリン
 シャロムシャーロム
レシュトラオレシュトラオ シャロムシャーロム
2 どこかでまたいつか会えるさ
  また会おうまた会おう どこかで
3 きれいな想い出抱きしめ
  また会おうまた会おう どこかで
4 緑の星ふたつ寄り添う
  離れても離れても寄り添う
5 どこかでまたいつか会える
  泣かないで泣かないでさよなら
6 シャロムチャペリン シャロムチャペリン
 シャロムシャーロム
レシュトラオレシュトラオ シャロムシャーロム

『いつかある日』 フランス民謡

2011-12-17 22:01:03 | 趣味(渓流釣り・フォーク)

いつかある日 山で死んだら
古い山の友よ 伝えてくれ


母親には 安らかだったと
男らしく死んだと 父親には


伝えてくれ 愛しい妻に
俺がかえらなくても 生きてゆけ


息子たちに 俺の踏み跡が
故郷の岩山に 残っていると


友よ山に 小さなケルンを
積んで墓にしてくれ ピッケルたてて


友に贈る 俺のハンマー
ピトンの歌声を きかせてくれ