夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

鈴虫がやって来ました

2008-08-31 17:19:53 | つれづれなるままに
 一昨日、親戚の方が鈴虫を届けてくれました。小さな虫かごの中に10匹ほどの鈴虫がいて、にぎやかです。きょうは久しぶりのお休みなので、更に快適な生活空間を作りました。虫かごを買ってきて、赤玉土と鹿沼土を混ぜ合わせました。それを虫かごに敷いて、その上には木炭、露草、木片、なすの切り身、オカカ、煮干しなども入れました。暗いところが好きということでその上から新聞紙をかけると、とてもよい声で鳴き続けています。うまく行けば秋には卵を産んで、来年はもっとたくさんの鈴虫誕生になるのだそうです。初心者ですからうまくゆくやら、今から鈴虫研究をしています。

生きるということ

2008-08-30 07:14:02 | つれづれなるままに
 生かされているんだと、ふと思うときがあります。あー僕が生きている意味は何だろうと思うときがあります。無性に明日の到来を拒絶したくなるときがあります。続けていることを止めたくなるときがあります。
 そのときになって初めて、そう簡単に止められないわけがわかります。自分一人で生きているわけではないということを自覚するからです。してしまった約束が何と多いことか・・・。
 その約束が生きている内は、僕は自由になれないのだと気付きます。それでも明日から少なくとも一切約束することを止めれば、そこからは自由になるのでしょうか。
 僕の一番長い約束は、あと14年です。その時ぼくは68歳になっているでしょう。
 本当の自由なんて死ななければ無いのかも知れないと、ここまで来て思い始めています。もう一度生まれてきたら、その時こそ自由な生き方をしてみたいと夢想します。自由とは何でしょうか?孤立とは何でしょうか?生きるとは何でしょうか?
 神様が、といわないまでも、本当に無言の内にしてしまっている約束は、お袋から生まれたということかも知れません。お袋が生きている内は、死ねない。あなたから戴いたせっかっくのいのちを、使い切るまでは生きますという約束を無言でしてしまっているのです。もうだめだと、医者から宣告され、こと切れるまでは生きなきゃなと思っています。

 ぼくはふと「猫」と「犬」のどちらの生き方が好きか・・・と思います。結論は「猫」なのですが、それは猫の生き方は自由だなと思えるからです。「へつらわない」「媚びない」「世話になっています」という様子を見せながら、実はすごくクールな生き方をする猫を、僕は好きなのかも知れない。そして死に場所は飼い主には見せないという、そういう孤独感が僕は好きだなあ・・・。
 

農園にて

2008-08-29 07:34:31 | つれづれなるままに
 旧知の方からトマトが収穫期なので来るように言われて、家内と早朝に出かけた。蒸し暑くなりそうな天候の朝である。岩木山が雲に隠れて姿が見えない。津軽の人にとって岩木山の姿を見ながら暮らしていると、姿が見えない日にはなんだか方向感覚もおかしくなりそうだ。弘前市を中心に考えれば、岩木山は西側に位置し、八甲田山は東側である。そして凡樹山(浪岡)は北側、あじゃら山(大鰐)は南側である。
 その方の畑までは我が家から2㎞くらいの位置にあり、家内は自転車私は車で出かけました。Tさんは去年まで地方公務員をしていましたが、停年を前に退職し野菜作りをしています。彼女のお母さんが作っていた畑を引き継いだのでしょう、とても広い畑でビニールハウスも1棟ありました。今春ブルーベリーを私が作付けして、彼女から栽培法を聞かれて少しお手伝いしたことがご縁で、お礼に野菜をいただけるということになっています。
 きょうは写真のように、プチトマトが今や遅しという感じで鈴なりでした。ビニールハウスはこのプチトマトのにおいでいっぱいです。完熟のプチトマトは、早朝の私たちの胃袋の中に当然入り、朝食前の空きっ腹にはありがたいごちそうでした。1時間で切り上げる頃には、手かご3つにたっぷり戴いて帰りました。このトマトはきょうのあうんの昼食のおかずになり、パン屋でも販売されることになりました。
 私は家内と交代して、帰りは自転車です。岩木川沿いを軽快に走ると、川のせせらぎが耳に優しく鳥たちが早朝の朝食に余念なくにぎやかでした。サイクリングもできる野菜作りはいいなあと思いました。

確認し合うこと

2008-08-27 07:38:10 | 福祉について
 昨夜は職員会議を兼ねて、理学療法士Aさんをお招きして実技を伴う研修会を開催した。一つ目は「口腔ケアとはなにか」、そして「嚥下とはなにか」であり、最後は「ポジショニング」についてであった。
 施設サービスの実技力は即その施設全体のサービス水準を示すことになる。しかし、現実的にはそのスタッフ自らが、それぞれの生活体験の中で誤った考え方や個人の生活習慣、価値観の中で築き上げたものだとしたら、とんでもなくそのサービスを受ける側にとっては驚異であり迷惑となるのである。
 我があうんには通所者は20名在籍していて、その内最重度の知的障害の方は7名。この7名の内6名のメンバーは、全て脳性麻痺による重複障害者でもある。口腔内には様々な器官と構造(機能)があることをAさんは図示した。鼻孔や舌、歯、咽頭口などで、そしてそれぞれの器官がものを咀嚼し、食道へと送り込むまでに様々でかつ自律的な動きをすることになるのだが、私たちの不幸な過ちはその歯磨きの姿勢や喫食時の姿勢の重要性を無視していたことである。また歯磨きの目的はなにかということの理解の浅さではなかったか。口腔内は終日湿潤しているのであり、そのために雑菌も繁殖しやすい場所ともなる。また喫食時の姿勢や歯磨き時の姿勢によっては、食道へ送り込まれるべき咀嚼物が、気道に紛れ込みやすく沈下生肺炎を生じやすいことも学んだ。歯磨きケアをする際に歯だけをきれいにしようと思っても、本来の口腔ケアの目的を満足しないことをAさんは明快に示してくれた。歯茎の健康、舌の健康、鼻孔の健康、口蓋内の健康はまさにその人の全体の健康を保持し、生命の良否を決定づける条件でもある。そしてそれはその方の日々の生活や生命の質の豊かさに大きく影響するのだ。
 あうんでは昼食後は重度障害者にはスタッフがついて歯磨き支援を行っているが、問題はその磨き方であった。そもそも歯磨きの方法はというと、昔学校などで大きな歯の模型を使って歯の生える方向の縦磨きが一番よいという教えられ方しかしていなかったのではないか。しかし昨夜はAさんは歯磨きの際のポイントとして、歯間の歯垢の除去の方法と歯茎のマッサージの際のその圧力を教示してくれた。つまりどんな方向で行うにしても、必要以上に力を入れて磨くことは、歯茎を破壊し、歯周病を誘発するということなのだ。もう一つは歯磨きの磨き方と姿勢である。重度者の身体的な安定(固定)と歯磨きを円滑に遂行することを目的に、被施術者の腕に足を乗せて歯磨きをする方法をとっているものも一部いて、(それは私の娘に対して私たち親がそうしていたことをスタッフが真似たものだ)そのことにより本人がいやがってそれを止めようとするのを、抑制していた。しかし寝てその施術をされることは、先ほどの嚥下の仕組みから言えばものすごく本人にとっては苦しく、そして誤嚥を起こしやすい構造(姿勢)なのだった。何ごとも本人がいやなことには原因となるものがあり、それをサービス支援する側が理解しようとしないととんでもない地獄になることすらあるということだった。
 昨夜は我が娘姉妹にはモデルとしても参加してもらい、長女にはポジショニングという、人間は本来リラックスできる肢位(身体の置き方)が緊張から解放することを学んだ。つまり人間の身体には起伏があり、その起伏のあることによって生じる空間が重力を受けることで、苦痛な状態になるのである。首と頭の空間、腰と床の空間膝関節や足関節と床の空間などである。そこに柔らかなクッションを入れて、隙間を埋めることで安楽な肢位が確保できる。仰向けで寝る・側臥位で寝る場合、俯せで寝る場合などによってそのパッティングの方法が違うのだ。更に、それは障害程度の重い人ほど、二次障害である「関節のこわばり」「拘縮」などを引き起こしたり、「関節の痛み」を誘発したり、「床ずれ」の原因にもなるので案外重要なことなのだ。
 我が娘はモデルとしてこのポジショニングの施術を受けて、気持ちよさそうに眠りの世界に入り込もうとしていた。
 私も少なからず毎晩の睡眠時、右肩の痛みや首のこりを苦痛に感じることも多く、これはまさにこのポジショニングと、枕の重要性をあらためて感じていた。
 少し長くなりすぎたが、こういうスタッフ全体で意識の共有をすることによって、初めてサービスの差が少なくなるのだ。
 Aさんは若いPTであるが、本当に熱意のある方だ。大学で講師をしていることもあるが、まさに東奔西走という感じで研究をしている。それに私と出会ってからも、様々な学習会の講師を務めてくださっている。今やAさん抜きでは、青森県の障害者福祉や医療はあり得ないほどだ。引き出しのたくさんあるAさんを、私たちは大切に活用させていただきたいと思っている。

賞賛すること・感謝すること

2008-08-26 07:25:18 | ブルーベリー畑
 私の住む旧岩木町。この町には自然農法でりんご栽培をする木村秋則さんという方がいる。りんご農家の薬かけは聞くところによれば収穫まで、少なくとも7回以上かけるという。その薬かけで、木村さん夫婦は皮膚病を患った。こんなことを続けていては自分たちもだめになると考えて、それを契機に農薬散布を止めて、化学肥料も使わない自然農に移行していく。しかし、あっという間に虫に葉は食い荒らされて、実もならない年が続いた。7年目もりんごは実らずついに死のうと思って岩木山に登った。途中森の中で葉を虫にも病気にもやられずに立っているりんごの木を見た。後でそれはりんごの木ではなかったことがわかるのだが、その時は何故だという思いで、周囲の土壌を調べてみた。すると土壌はふわふわの状態で、雑草も木も根が十分に張っているのがわかったという。
 りんご園地で薬かけをするスプレーヤーは、その重さは何トンもある。その重みがりんごの根を踏み固めていくのだから、りんごのためにならないと考えたという。根は木の命なのだ。噴霧車(スプレーヤー)の使用を止め、米ぬかなどを使った酢で、手がけの消毒をしたという。虫は手で取るなどをして、8年目にしてようやく木村さんのりんご園に花が咲き実がついたという。
 木村さんはりんごの木一本一本に「よくやった、よくやった」とほめたり、「ありがとう」という感謝の言葉をかけるのだという。
 私はこの木村さんとは、たまたましらとり農場で出会った。そして今自分で初めてブルーベリーを見よう見まねで栽培してみて、木村さんのこのりんごの木をほめたり、感謝の気持ちの言葉をかけるということがよくわかる気がした。
 以前カウンセリングセミナーに参加した時に、東大の佐治先生の言われた言葉で「花は自分で咲く。」ということにすごい力を感じたことがあった。それと同じことを、この木村さんも言う。「「(りんごの木や実を)育てるのではない。育つのを手助けするだけだ。」といわれたことは、偶然の一致ではない気がする。それはりんごの木や実を命としてみている木村さんがそこにいるからだろう。りんごの根を重たい噴霧車が踏みつけると言うことに「りんごの木がいやがっている」という。その思いが大切なのだろう。「いやがることはしない方がいい」と、木村さんは考えるのだ。しらとり農場でも、しらとりオーナーが「キュウリの根がここにあるから、踏まないように」ということを言われたことがある。なんだか私たち人間が日頃忘れている、生命への畏敬というようなことをこれらは示している気がしてならない。
 ブルーベリーが今、若木を地面から伸ばしてきてくれる姿を見るたびにこのことを思い出している。

僕が大事にしていること

2008-08-24 09:12:55 | つれづれなるままに
 1970年3月のあの日、僕は故郷や僕に関わりのある全てを捨てた・・・ような気がする。誰の見送りもなく、今は無き越後交通栃尾鉄道(通称・栃鉄)の車両にいた。僕はどうしても自分の過去から逃れたかった。自分の正当な評価が欲しかったとも云える。僕の乗った小さな箱形車両は、時々悲鳴のようなレールと車輪の摩擦音を響かせ約1時間かかって長岡駅に着いた。僕は孤独だったが、少しも寂しさはなかった。この小さな電車の箱の車両のような、僕のこれまで過ごした世界との決別がそこにあった。むしろ喜びが沸々と内側から湧き上がるような感覚がそこにあった。後ろも振り返らずに、ぼくは東京行きの電車に乗り換えたのだ。もう一度僕は東京の地で、生き直しをしようと誓っていた。そのためには肉親、兄弟などの同胞係累、同級生全てと縁を切ることも厭わなかった。ゼロからやり直したかった。自身が納得するために決して曲げられない、必要とする自由な生き方をしたかったからだ。
 僕が本当に望む環境で、自らが望む学問の仕方をしたかった。そのためには例え仕送りなどを停められようと、僕は必死でその生活を死守したかった。
 あの日、僕は警備会社のアルバイトをして、大学に向かう電車の吊革につかまっていた。すると、耳鳴りのような「ザーッ」という音がしたかと思うと、僕の目の前が暗くなり始めたのだ。立っていられないくらいの強いめまいとふらつきは、ぼくを車両から押し出していた。ホームのベンチにへたりこんだ。この当時の僕は夜のアルバイト続きで、満足な睡眠も取れず、そして栄養状態も悪かった。なけなしのお金を奮発して立ち食いそばのカウンターにしがみついていた。しかし出てきたどんぶりを持つことができなかった。箸を持つ手がわなわなと震えていた。結局僕はそばを食う元気もなく、少しばかりの汁をすすっただけでまた車両に乗り込んでいた。生きるということはどういうことなのかを、そういう状況の中で感じていた。
 あらゆる人は、否定されるために生まれてくるのではないのだ。肯定されることで、人は生きてゆけるのだから・・・。
 僕はそういう状況の中で確かに生きていた。生きる喜びを初めて感じていたといってよいだろう。僕は僕のほどよい足幅で歩きたかった。急かされることなく、自分の呼吸のリズムのように・・・。自分自身の内側から湧き上がる問いに、耳を傾けようと思っていた。咀嚼可能な答えを導き出すために。
 
 

「08 ソーシャルワークセミナー」

2008-08-23 07:41:07 | 私と福祉とであいの旅
 9月21日(日)に青森市「しあわせプラザ」で「08ソーシャルワークセミナー」が開催予定である。韓国の授産施設「ポンドン保護作業場」院長 宋 相天氏を迎えての「韓国障害者福祉の現状と課題」について記念講演をお願いしている。午後からは日本ソーシャルワーカー協会会長の鈴木五郎氏と県立保健大学教授 渡邊 洋一教授の地域福祉とソーシャルワークの対談である。
 宋さんは私とほぼ同年代であり、同じような経歴を持っている。1999年に青森の地を尋ねて来た宋さんは、我が家で1週間のホームスティをした。そして翌年の7月に今度は私がソウルの宋さんの施設を訪問したのである。
 それからお互いの言葉がうまく通じないこともあって、昨年久しぶりに宋さんからの連絡が来たのである。そして今年北海道で知的障害者本人大会が開催されるとのことで宋さんが来日し、その後我が県に立ち寄ってくれることになったのだ。
 私のハングルはなかなか進まないが、おかげで弘前大学の留学生 朴さんにで会うことができた。70枚にも及ぶ宋さんの記念講演の資料を翻訳してくれている。そして当日は通訳をしてくれることになった。来年はこちらから宋さんの施設を訪問することになるだろう。今からその再会の準備が始まっている。

新たなる夢

2008-08-23 07:16:17 | つれづれなるままに
 「ホップ・ステップ・ジャンプ」でも書いたが、希望していた3条件を何とかクリアし、パン工房「ゆいまある」をメインストリートに移転させる話が進んだ。旧JAの275坪の土地と築22年の鉄筋コンクリート造2階建ての店を購入した。その金額は16,000千円。銀行からの融資契約、JAとの売買契約を終えた。入札により建物のリフォーム工事を行おうと、来月早々に理事会が開催される。こちらの方は県の基盤整備事業の補助金が10割(16,000千円)出ることになった。これはとても幸運なことである。今年限りの補助金だからだ。開業は11月上旬であり、パンの新型焼成機も導入予定である。何とか通所者の工賃を現状の2倍(3万円)にしたいと思っている。
 この場所には他にも夢が詰まっている。それは24時間365日の重度障害者のケアホームづくり。そしてそこに供給するホームヘルパー体制、訪問看護、相談支援事業である。これを実現に向けて動かせるかどうかは、全て我がスタッフの養成にかかっているのだ。幸いにも私の目にかなう人たちがそろって来た。何よりも豊かな人間観と、福祉サービスの視点がどこに置かれるべきかを理解しているのがいい。安心と安全を填補する条件がここにあるのだ。大切なことは自分だけの力で何とかするのではなく、チームワークであり社会資源のネットワークが肝要である。そのためのキーマンの確保を今は考え始めている。2年後その人を射止めたい。
 

月とコオロギの季節

2008-08-19 07:09:57 | つれづれなるままに
 津軽の夏祭りも終え、今月は旧暦の八月朔日の行事「お山参詣」が30日に開催される。日中の気温もこのところ25℃で、夕方には涼しい風が吹き出す。昨夜は雨が降っていたせいか、外気は冷たかった。一雨ごとに秋は深まり、コオロギの音も次第に満月の頃には佳境に至る。
 あうんの夏休み中の子どもたちも、来週には始業式。プールが役割を負え、にぎやかさも一段落である。
 昨日は毎日新聞社の「介護大賞」の候補として全国10団体の一つにあうんが選ばれたと、青森支局長が2度目の取材に訪れた。しかし生憎「ゆいまある」「あんしん屋」はお休みのために、明日に取材は持ち越しとなった。
 明日からはいよいよ銀行,JAとの契約が始まり、来月早々には理事会も予定されている。ついに「動き出した」という感じである。結局銀行も担保のないままに融資をしてくれることになった。だいたいの予定ではあるが、リフォーム工事が終え建物引き渡しが11月上旬だという。このほかにも9月には敬老会、韓国ソウルからのお客様接待とセミナー開催。10月はあうん文化祭とすずき画伯の絵画展開催、六ヶ所村での養護学校PTA主催の講演が予定されている。11月はいよいよ油今ある新装オープン。12月ははせくらみゆきさんの記念講演とワークショップの開催、弘前市ボランティアディの開催など行事が目白押し。
 今の我が身を何かに例えれば、自分の数十倍もある獲物を飲み込んで身動きの取れないで転がっている蛇の姿であろうか。飲み込んだ獲物が消化されるのを待つしかない状態像である。こんなに抱え込んでしまっている自分が、なんだか滑稽にさえ見える。来年はもう少し落ち着いた日々であればと、ふとコオロギの音に耳を傾けながら思うのである。

アートペインティングワークショップ

2008-08-17 08:37:59 | つれづれなるままに
 10月12日(日)13日(月)(体育の日)の2日間、弘前市立百石町展示館で「あうん文化祭・すずきゆきお絵画展」が開催される。初日はこのブログでもおつきあいをさせていただいている横浜市のすずきゆきお画伯をお迎えして、画伯と共にあうんメンバーによる「ペインティングワークショップ」が予定されている。100号サイズのキャンバスにみんなで絵を描こうというのだ。06年にフランスの画家アラン・ボヌールさんとのワークショップと画伯とのコラボレーションは、私たちに大きな勇気と未来への夢を与えてくれた。
 そのワークショップ後のすずき画伯との出会いは、何かまたこのご縁を暗示している。
 1階はすずき画伯の絵画展・2階はあうんの作品展である。町中での文化祭をこれから準備していく。
 昨日12月に出産予定のわがあうん講師陣の一人田沢さんがそのサポートをしてくださっている。アクリル絵の具を使った小さなキャンバスへの絵画活動は、あうんのメンバーさんに新鮮な刺激を与えているようだ。夏休み中の学童も混ざって、豊かなみずみずしい才能を開花させようとしているかのようだ。10月までに彼らの五感に、この経験が花開き私たちにまた一つの夢を見せてくれるのではないだろうか。是非おいで下さい。
 ちなみに写真は、キャンバスを描ききって足りずに自らの顔や身体に塗って喜んでいる子どもたちの姿です。