夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

「人と人がつながるコミュニティデザイン」

2013-10-30 06:56:01 | サイクリング
10月28日

 studio L代表 山崎 亮氏の講演を聞きに行きました。彼はまだ35歳の若さだそうですが、滑舌のいい男でした。

 今回の話は石川県の海士町(あまちょう)の長期総合計画づくりに参加して、2010年度グッドデザイン賞をそのプランが受賞した時のお話でした。

 財政再建団体になった北海道の夕張や、我が青森県にも4つほどある自治体の財政危機団体があります。この海士町は、まさに全国最下位の経済危機を脱出した町です。
 石川県松江市からフェリーで3時間30分。一日3便程度の交通も不便な、島のお話でした。隠岐の島(おきのしま)は聞いたことがありますが、その辺一体には小さな島が点在しています。「承久の乱(変)」で後鳥羽上皇が幽閉された島といったほうが分かるでしょうか。

 高齢化率は39%。農業や漁業も50歳代以上が殆どで、75歳以上の階層が多い町です。少子高齢化のはっきりした町は、今年には高等学校も廃校の予定だったそうで、そうなれば3時間以上もある松江まで通うことは困難です。高校進学者は必然的に下宿するしかないのです。港湾工事などの公共工事を中心になんとか仕事にありついてきた人々が、今やそれもなくなって人口は減るばかり。
 そういう町がどうして復興したのか・・・というのが今回のお話でした。

 従来の行政依存型の総合計画づくりではなく、住民と行政が一体化した街づくり計画が実現したことによる成果がこの町の変化につながっているようです。それは「しあわせ」というキーワードを、町民全体が膝を交えながら考え、行動した結果でしょう。
 東京のような都会ぐらしと、島の暮らしでどちらが豊かで仕合せな暮らしなのか・・・。
 マイナスイメージを持ちながら暮らすよりも今一度、外目線で物を考えることによる価値観の転換。例えば、東京よりも自然環境は豊かで美しく、食材も安く新鮮。車に鍵をつけたまま駐車できる安心安全な町。人と人が寄り添って暮らせる街。
 幸福になるための仕掛け作りを町民に考える機会を作ったスタジオLは、幸せになるためには自分たちで行動するきっかけを作っています。それは町民全体でのワークショップの繰り返しです。その中で、1人でできること、10人でできること、100人でできること、1000人でできることというテーマ設定は、まさに目からうろこの問いであったように思いました。それぞれの得意の組み合わせにより、今直ぐできることを具体的に考えていったのです。
全国1低い生活から、一気にそれまで抱えていた難問を解決に向けて成果を上げていった海士町。2300人しかいなかった島に、その後 Iターン組が200人以上やってきているということです。小さな島だからこそ実現できること、それこそが本来人間の求めていた生きがいや、安全安心、豊かな暮らしを知らしめたようです。

 人と人の組み合わせをネットワーク化するスタジオLの役割は、とても評価されていいものかもしれません。
 

 
  

福井への旅

2013-10-30 06:32:12 | つれづれなるままに
10月30日(水)

 10月も残り2日となり、錦繍の岩木山が次第に色合いを鈍く深めています。一度炊き始めたストーブは、朝夕つけずにおれません。今朝も朝から天気が悪いのか、家の中は電気をつけないと真っ暗です。これから初冬に向けて、一雨ごとに衣装替えでもするかのようです。

 さて、妹の娘(姪)の結婚式があり、福井市まで間もなく旅行です。久しぶりの片道約9時間の、汽車旅行です。越前はこれまで足を踏み入れたことがなく、石川県の金沢市や、鳥取県、岐阜県、京都、滋賀県などがこれまでの旅先でした。どういうわけかこの福井県だけが残りました。家内と二人での旅ですが、今回の旅は家内のプランニングにすべておまかせです。最近は年をとっているとマイナスの事ばかりが目立つ中で、映画鑑賞の料金がシルバーの場合安いとか、「大人の休日倶楽部」に加入すると安いなどがあって便利なこともあるようです。17,000円で4日間JR乗り放題が売り文句のようですが、男女共同参画社会と一方で言いながら、その実女は60歳から30%割引、男は65歳から30%割引(60歳では5%割引)だということなので、少しどうかなあ?!という感じがしています。

 それでも最近の社会現象として、団塊の世代のシニア旅行があちこちを旅していたり、登山をしている姿を見るにつけ、後30年間は超高齢者会が続く好景気になるのではないかと思ったりしています。ただし、来年消費税8%にアップは、安い年金族にはこたえそうですね。私もあと3年間、65歳までは働けるようです。でも気持ちそろそろのんびり旅したいなあとか、何にも憂うることなく日がな釣りでもしていたいなあなど思う毎日です。

 あ、そうだ!福井の旅だ。家内に任せていたら、なんだか高野山だとか、東尋坊だとか、彦根城に行くとかの様子。私はのんびり温泉旅館で美味しいものを食べていたいなあと思うのですが・・・。越前といえば蟹ですが、私は蟹があまり得意ではないのです。美味しいと思うのは、蟹味噌くらいです。伊勢神宮前で頂いた「赤福餅」は忘れない美味しさ。今回名古屋駅でこれをゲットできたらいいなあと思っています。そして北陸線沿線は、押し寿司かなあ?帰宅予定は7日で、それまでブログも暫くお休みします。

 珍道中になりそうですが、駅弁でも楽しんできます。

85歳のバースディ

2013-10-28 06:45:38 | つれづれなるままに
10月26日(土)

 夕方カミさんの妹夫婦が合流して、義母の誕生会にやって来ました。二人の娘もこの日帰宅の日で、賑やかな誕生会になりました。義母は85歳、いたって元気です。
 お寿司と妹夫婦の持参したバースディケーキでのささやかなバースディを、祖母も喜んでくれたようです。
 妹夫婦には子どもがなく、いつも娘たちを可愛がってくれます。正月とお盆に合流する程度でしたから、こういう合流の仕方もあるんだなと思いました。

海釣りに、はまっている

2013-10-25 06:42:49 | 趣味(渓流釣り・フォーク)
10月23日(水)

 日曜日の代休で、この日天気予報も上々。早朝3時には目覚めて、熟睡中のカミさんを尻目に、釣りの準備を黙々としている。お湯を沸かし、ポットに入れ、コーヒーも沸かしてまたポットに入れる。アイスボックスには、氷とアミという冷凍の餌を入れた。車に釣り道具を入れ、準備万端となった。
 カミさんを起こして、オニギリを握ってもらい出発。頭の中の出発時間は5時だったが、ここがカミさんとの思い入れの違い。

 行き先は鰺ヶ沢・七里長浜港。この日お日様は出ているが風が強く、釣り人は堤防の内側に集中していて、私達は外海の堤防に場所をとった。こちら側には強風もあって、釣り人は3人しかいない。
 空は秋空で、きれいだった。
 

 この日快調な滑り出しではあったが、どういう訳やらアジが来ない。イワシが殆どで、サバが時々交じる程度。
 それでも「イワシならいいか」という気分で、釣りを続行。結局午後1時30分まで、昼飯も食べないで釣っていたことになる。
 これがイワシとサバとアジの釣果。数えてもらったら、全部で253尾だった。アジは2日で、鯖23尾で、残りは皆イワシだった。 

 帰宅後、家内と後片付け。イワシの鱗(うろこ)は想像以上に厄介で、竿からリール、アイスボックスにへばりついて中々離れない。海釣りの厄介な点は、終了後に真水で海水を落とさなければならないこと。針や竿も皆錆びついてくる。
 ようやく道具を洗い終えた後、魚を下処理して、冷えた身体を温泉で温めた。
 今シーズンから始めた海釣りは、思いのほか我々夫婦のレクリエーションに十分なものとなった。釣り竿に4尾も同時に釣れるさまは、なんとも快感に近い。あまり釣れるので今回は、カモメがまといついて何度か釣れた魚を持って行かれてしまう始末。イワシは特に、釣れても暴れているうちに釣り針から外れて落ちることが多い。サバなどはかかって、そのまま放っておくと、5本の針が絡まってお祭り状態となって往生することになる。サビキ釣りは初心者にはなんとも魅力の釣りである。
 周辺を見渡すとお年寄りが多いが、主婦層の釣り人も増えてきたように思う。何度か顔なじみとなってくると、会話も増えてきて、時には「餌が余ったから使え」とか「この釣り針を使ってみろ」などと親切を受けることがあって、気持ちも豊かになる。
 なんといっても魚のあの釣れた時に、海中に引き込まれるウキの動きが気持よく、更にはやる気持ちを抑えながら巻き上げるまでのドキドキ感は忘れがたい。
 
 カミさんも竿とリールなど道具を揃えて、なんとか扱い方も慣れてきた。 そこそこの釣果をこの日も上げている。今シーズンもあと少しで、納竿時期が迫ってきた。

 釣った魚は天ぷら、ツミレ汁、さつま揚げ風にしていただいた。今まであまり魚に魅力を感じない私も、こうして自分で釣った魚を食することで楽しい夕餉となっている。
 
 

コスモス20周年記念講演

2013-10-21 07:43:50 | 私と福祉とであいの旅
10月20日(日)11:00~

 十和田市、JA十和田本店にて、「コスモス20周年記念講演会」と祝賀会が開催されました。主催者は社会福祉法人 北心会で、私達の「生活リズムセンターノーム」よりも2年早くスタートした団体です。コスモスの主宰者宮本さんとは、青森県の「福祉夢プラン21」の同じグループのメンバーでした。結構長いお付き合いになりました。
 
 さて、われわれの法人はといえば、ノームから数えれば開設18年目です。あと2年で20周年かと、コスモスの祝賀会に参加しながら思っています。

 今回20周年記念講演があり、川崎市の明石洋子・徹之さんの人生を学んだ。「ありのままにあたり前に生きて」副題に「そして僕はひょうきんな公務員になった」というタイトルがついていた。

 この家族はほぼ私たちと同年代のご両親と、子どもの年齢なので当時のこの生き方はかなりハードだったと思う。というのも、「自閉症」そのものがまだ社会的に認知されていない時代で、子どもの行動上の問題はすべて親の責任と言われていた時代でもある。昭和54年に養護学校が義務化された。それまで障害程度の重たい人たちは学籍すらなかった時代がそれまで続いていた。そういう時代に、彼は普通学校と定時制に受験し、見事合格し、最後は公務員試験も合格したということになる。

 NHKの「新日本風土記」に、彼が紹介されたという。障害者の番組といえばNHK教育だが、彼はメインの番組で紹介された障害者だと母親が語った。家族の宝物の一つだろう、そのビデオ紹介があった。

 小さい頃から水遊びが好きで、他所の家にまで入り込んで親はそのたびに謝り続けたという。親の躾が悪いなど、苦情を言われ続けた。お母さんは薬剤師で、お父さんは食品会社経営。弟は東大の大学院まで出た家庭。そういう家庭で、彼は沢山の地域の人々を味方に、道を切り開いてきた。主治医や学校の先生方、福祉施設職員、地域の投書は苦情を言っていた市民たち。そういう方々に、理解してほしいという母親の願いを、手作り新聞で子とともに、配り続けた。
 母親の洋子さんも講演の中で、何度も子どもの首に手をかけたと語り、息子が無理に嫌がるしつけをした夫とも何度も離婚しようと思ったと、その辛い人生の一端をもらした。

 そして40年間地域でともに暮らし続けた現在、彼は就職をして20年目だという。老人ホームのディサービスセンターのお風呂場での掃除の仕事や、現在は川崎市役所の公園掃除などを生業としている。
 彼の好きなことを大切に守りながら、それをうまく仕事に活かすことで、社会の中に溶け込んでいるという感じである。母親・洋子さんが「思いを育て、思いに寄り添う」と彼の育児観を紹介した。自分で選べること、決めることができるようにすれば、彼は努力したという。IQ30程度という彼が、自分で「~したい」と思う気持ちを刺激し、「希望したら一緒に頑張ろう」と励ます母親。このことが現在のこの親子を形作っている。
 川崎市のマンションでは両親の部屋の隣に、彼の部屋を設けて独立した生活を体験させている。彼徹之さんが「結婚したい」という。すでに子供二人の名前も決まっているが、こればかりは本人が希望や努力をしても中々うまく行かないことらしい。
 この講演を聞いて特に感銘し共感したことは、障がいを持った人間ということではなく、人間・徹之さんがその個性として特徴的な行動を持っていると考えた点かもしれない。
 北心会理事長が挨拶の中でいみじくも語られた「昔は障害者などはいなかった。ただ子どもたちがいた」という表現かもしれない。今は少子高齢化という時代の中で、障がいを細かく分類し、その問題ばかりを強調して、一層生きにくくしている社会があるのかもしれないと思う。彼や彼女の「得意を伸ばす社会観念の構築」こそ、現代社会に必要な理念かと思った。

披露宴

2013-10-19 06:39:31 | 私と福祉とであいの旅
10月13日(日)

 30年来お付き合いを頂いているK氏のご長男の、待望の結婚披露宴に招かれました。のんびりしているのか慎重なのか・・・とにかく私から見れば随分ゆっくりした人生だなと思っていましたが、ついにこの日を迎えられました。奥様も待った甲斐があるような、とっても美人で優しそうな方です。

 祝辞にはNHK青森放送によく出演して「お国言葉で川柳」の渋谷伯龍氏でした。
 さすがに彼の祝辞は大きく書かれた川柳でした。
 
  

 一句目は「恩人に私は妻を加えたい」二句目「しあせは平凡な日にそっといる」

 心に響く川柳でしたので、思わず写真を取りました。

 M君ご結婚、誠におめでとうございます!

カニ釣り

2013-10-15 06:12:35 | 私と福祉とであいの旅
10月14日。体育の日
 
 いざ鰺ヶ沢漁港へ、カニ釣り挑戦ドライブ。快晴のこの日、男児3人と女児1人にスタッフ3名ボランティア一人の7名でPM1時過ぎに出発しました。約40分ほどで鰺ヶ沢に到着。まずはトイレに入って、準備万端。今日は祝日なので、観光客の車や釣り人もたくさん出ています。
 児童ディサービスは現在男性スタッフがおらず、男性トイレに女性スタッフが入れないというのが理由で、私にお鉢が回ってきました。
 蟹釣り道具は3つ、それぞれの子供達が勢い良く海にドブン!15分おきに引き上げる予定が、気になって子どもたちは直ぐに仕掛けを上げて見たくなります。

 午後からの1時間30分程度では、中々成果が上がりません。これはちゃんと蟹の格好をしてくれた、Hくんの姿。
 蟹は入っていないかなあ?と覗きこんでいる人たち。

 結局子どもの蟹2匹と、小さな名前すらわからない魚の子ども1匹。海に返してあげました。PM3:10分引き上げ時間です。残念!!

 いつもなら何もなければ散らばっていく子どもたちが、この時間みんな何かを期待してこの場を離れなかったということを評価してくれたスタッフ。私は仕掛け人として、なくなんだかもうシワk、帰りの車で次回のリベンジを考えながら、ダジャレの連発・・・。
  ワタリガニ次回こそ・・・!

 
 

NHKラジオ深夜便・聞き書き

2013-10-14 06:42:38 | つれづれなるままに
「縄文のこころが時代を蘇らせる」
 文明評論家 上田 篤

 眠気の中で「縄文時代」という言葉がキーワードになって、目覚めていった。
 忘れないうちに記憶を残したいと思う。

 以下は書評の一文。
 われわれは、第2次大戦後2回目の「縄文ブーム」の中にいる。1回目は1960年代で、中心人物は岡本太郎。2回目は、90年代以降の「環境の時代」に呼応する形で盛り上がった。「環境にやさしい文明」としての縄文評価で、焦点がはっきりと異なっている。
 著者は1回目の縄文ブームに、当事者の一人として立ち会った。70年の大阪万博のお祭り広場の計画に携わった著者は、万博の総合プロデューサーをつとめた建築家丹下健三の事務所を訪ね、広場の中心に屹立(きつりつ)する太陽の塔をデザインした岡本太郎に出会う。塔の模型を見て「これは何ですか」と問うた著者に対し、岡本は、「縄文だ!」といったきり黙ったそうである。マッチョな高度成長時代にふさわしいエピソードである。
 一方、90年代以降の縄文ブームの縄文は本書が詳述するように、女性的でやさしい文明として定義される。その本質は男性的で血なまぐさい狩猟文明でもなく、効率重視の農業文明でもない、繊細な採集文明であった。日本独特の地形の中で食料、エネルギー共に自給自足する縄文の小集団は、3・11以降の社会の理想モデルなのかもしれない。男女関係でいえば、妻問い婚を基本とする母系社会で、今日はやりの、女性依存型の頼りない男性像の原型を見ることもできる。
 細部の記述にはバイアスがききすぎた推測も多々見受けられる。しかし、これは学術書でなく、今という時代が求めるユートピアを「縄文」という形をかりて描いた一種の神話だとわりきって読めばいい。
 時代が危機に遭遇すると、日本人はそれぞれが理想の「縄文」を創造して軌道修正をし、精神的バランスをとってきた。別の危機がくれば、また別の「縄文」が創造されるであろう。日本人は「縄文」というガス抜き装置のおかげできびしい今日をしのいでいる。そのしぶとさこそが、まったくもって縄文的というべきか。
 (新潮社刊 「縄文人に学ぶ」上田 篤)

 上記の書評とは別に、聞き書きの中で、印象に残ったのが縄文時代10,000年もしくは、12,000年前とも言われる弥生時代の前までの歴史。その縄文時代10,000年の間において、縄文人は何故争い事をしなかったのか。
 それは女性社会だったからだと上田氏は言う。男性は優秀な子孫のみを自分の子供にしたがるが、女性は自分の腹を痛めた子どもすべては良い子であるという思いが男性と違うという。
 上田氏は沖縄の建築物を研究していて、一つの習慣に気づく。結婚した女性が実家から嫁ぎ先に持参するのは囲炉裏の灰だという。そして足りなくなるとまた囲炉裏の灰を実家から持ってくるという。つまり囲炉裏の灰は神聖であり、女性のみが差配できる火の神様の使徒であること。縄文時代からずっと続いてきた文化は、「太陽信仰」であるという。太陽を信仰し、お日様がどの山から上り、どの山に沈んでいくかを観察していたのが女性たちであると。つまり天体観測に詳しくしていれば、食糧を計画的に手にすることができるという。狩猟民族にはない、採集民族としての知恵文化を持った人々という。この縄文時代には「国」というような概念はなく「里」(さと)というようなまとまりだったという。1里は現在でも3.3㎞の単位。その同族の者達が「里」を3キロ程度離れて暮らすことによって、お互いに食の確保が守られていた。白川郷にその原型が残されているという。
 先日訪ねた「大湯ストーンサークル記念館」で知った、縄文の人々の鹿などの動物を捕らえる方法が、落とし穴だった。決してやりや由美などで血を流さずに、捉える方法だったことを思い出している。魚を捕らえるのも、投網ではなく梁のようなわらで作ったもので、魚がそこに落ちてくるのを待つ方法だったという。日本人の大切にしているものの価値観に、「旬」というものがあるという。旬という字もお日様が使われている。その時期に応じた食材は、山菜であったり、貝であったりする。会が一番美味しく、そしてお腹を壊さないで棲む時期に、採集して食していたという。これが貝塚に残っているという。
 日本人だけが何故家に入る時に靴を脱いで入るのか?それは日本の家には神棚や仏壇が同居しており、そこに入るには当然の作法だという。そしてもう一つ、入り口の駆け上がり付近には、子どもたちの遺体を埋めていた習慣でもあるらしい。
 もう一つが日本の「漆文化」これが、中国を起源としていたのが、実は1万年前にすでに縄文時代の器から漆器が出てきているとう事実。大湯ストーンサークル、三内丸山の遺跡を見ても、今の文明とはそんないかけ離れた生活水準ではないことを教えてくれる。あの土器とはいえ、縄文の文様の多様さや、瓶などの精巧さ。女性が身につける装飾品なども、今よりもセンスがあるかもしれない。
 なんだかこれからの日本の目指すべき方向を、縄文文化が教えてくれている気がしてならない話であった。

 

「障害者虐待及び犯罪障がい者の支援に関する研修会」

2013-10-13 06:58:30 | 私と福祉とであいの旅
 先日、標記研修会に参加しました。立派なホテルの1室に25名程度しか集まっていませんでした。障がい者施設の関係者の関心が少なかったのでしょうか?

 私は自分たちの職業的な責任として、今回弘前市で発生した障がい者福祉施設での死亡事件の課題を考えたいのと、自分たちのあるべき姿を考えたくて出席しました。

 今回の事故の問題点を先に整理しておくと、①夕食時の事故であること ②事故発生時に直接的な目撃者がいないこと ③障がいのある入居者2人がそこにいて、加害者とされる男性は重度(IQ 67)の知的障害があり、会話能力も不十分な人だということ。④逃亡のおそれもないのに警察に即日逮捕されたこと ⑤マスコミによって実名報道が成されたこと ⑥今回の経過に対して施設の責任者が十分な責任ある説明をしていないこと⑦警察が知的障害重度の方でありながら、彼を長期間勾留したこと⑧施設関係者がその間、養護するアクションをしていないこと⑨釈放時に警察は、逮捕勾留した理由と、釈放した理由について説明がなされなかったこと。⑩現在的に犯罪を犯した障がい者への、具体的な支援組織がまだないこと。

 研修会では若き弁護士が「障害者虐待防止法」の説明を行った。次に障がい者福祉施設の施設長と主催者が2事例紹介し、最後にディスカッションした。

 今回一番感じたことは、障がい者の犯罪に対して守るべき社会的仕組みが何もなかったこと。(抗議集会は弘前市で、一度行われている) そしてもう一つは司法関係者である警察や弁護士などが障がい者のコミュニケーションを始めとして十分な知識を有していなかったこと。当事者施設の長等並びに育成会を始めとして、これらの不当な逮捕・拘留に対して、抗議行動等のアクションや彼を守るべき行動・(接見禁止措置が取られたことに対して)を起こさなかったこと。

 私達福祉施設でも、事故が起きる可能性はいつでもある。そしてその際に私達の行うべき行動は如何にあればよいのかが十分に整理されているわけではない。そういう意味でも、今回の事案に対して、考えさせられる点は多い。

 一つは事故の起きた時点での職員の為すべき行動で、施設責任者に連絡がとれなかったこと。そういう経過の中で、警察が即日逮捕を決めて拘置したにもかかわらず、施設側で彼についての十分な擁護活動が成されなかったこと。日々長期間の拘留生活に対して、彼の心身に渡るストレス・不安・恐怖はいかなるものであったろうか?それを支えることが、何故出来なかったのか。

 もう一つの課題は、守ってくれるはずの弁護士が現在的には、障がい者に対する十分な識見を持つ人とはいえないことだ。面会に行っても彼とのコミュニケーション理解が不足し、結局十分な擁護活動に至っていたかどうかは疑問であるとのこと。

 施設側の管理責任を、もう一度考え直さなければならない。重大事故が起きた時の職員集団の取るべき行動。事故の起きた事業者が事の重大さにたいして、どう真剣に向き合おうとしていたのか。7月に死亡事故が起きて未解決の期間に、8月のねぷた祭りに法人のねぷた運行が盛大に成されていたのを私も見ていて「こんな非常時に、いいのかなあ」と少なからず疑問に感じた。加害者の保護者や被害者の保護者はどう感じていたのだろうか。

 この事案で私達が早急に準備しなければならないことは、こういう触法の事案に対する障がい者擁護組織活動である。犯罪を犯したとしても、あるいは疑いが残っても、彼が何故そうしなければならなかったのかその背景を理解し、その後の再犯を防ぐための働きを行い、彼の生活を安定させるための活動への支援活動こそが成される必要がある。だれでもいつまでも親がいるわけでもなく、又親がいたとしても親だけで彼を守れるわけでもない。そこにソーシャルワーカー組織の存在価値があるのではないか。
 「障がい者」といっても、人の性格ほど違いも多い。そういう意味では社会的な障がい者に対する認知度は、マイナス面でしかないのではないだろうか。
 
 市民に対して、あるいは公的機関や団体に対して、障がい者理解を深めるための啓蒙活動を様々な形で展開させていかなければ、障がい者も社会の市民も共に暮らせる社会の実現は難しいだろう。
 そういう意味では今回の呼びかけ人の「連携」をキーワードに「弘前モデル」を模索する「権利擁護・あお森ネット」の今後の活動に注目してゆきたい。
 
 

放課後等ディサービス余暇支援

2013-10-13 06:52:29 | つれづれなるままに
「ワラハンドクラブ・キキ」は放課後等ディサービスの事業所名です。今8名のメンバーがいて、今年度卒業するメンバーが3名います。この高等部メンバーの余暇支援活動で、明日鰺ヶ沢漁港で堤防での蟹釣りの計画。
 前回準備した仕掛けを改造して、もう少し立体的にしました。そして浮きのペットボトルをつけました。うまく行けばいいのですが・・・何しろ午後からの計画なのです。「失敗」も学習ですからね。