夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

故郷へ

2013-11-28 06:24:35 | つれづれなるままに
 きょうから里帰りします。母の見舞いが第一の目的ですが、一番に来てしまったのが、幼なじみのご夫婦との忘年会。

 そして帰りの日には、新潟から山形よりのむらかみまで旅をします。
 村上といえば「鮭」。鮭のことをここでは方言で「イヨボヤ」というそうです。 

 青砥武平治(1713-1788年)は、サケの母川回帰の習性を利用して、三面川に分流「種川」(たねかわ)を考案した江戸時代の村上藩士です。
 清水流規矩[きく]術(測量技術)の免許皆伝者であった武平治は、その技術を種川造成のため大いに発揮し、31年もの歳月をかけて「種川」は完成しました。しかし、武平治は種川の完成を見ることなく76歳でその生涯を終えました。
 武平治の考え出した「種川」で、世界初のサケの自然ふ化増殖に成功したのです。種川造成の根底にあるサケの保護増殖の考えは、現在もなお引き継がれています。

  村上とサケのつながりは深く、平安時代の文書である「延喜式」に、この地域で捕れたサケを朝廷へ献上していた記録が残っています。
今から1000年以上も前に、村上の三面川にはサケが遡ってきていたのです。
江戸時代になると、サケは藩の財政を支える貴重な財源となり、「種川の制」(たねかわのせい)という画期的な保護増殖システムが確立されました。
 明治時代になるとサケの人工ふ化増殖を導入し、さらなる資源の保護が進められます。これらの取組みにより、遡上するサケは年々増えていきました。明治17年には、約74万尾の大豊漁を記録しています。このとき、サケ1尾と大根1本が同じ値段であったと伝えられています。
 村上では、正月などの「祝い」の日には、必ずサケ料理が食卓に並びます。サケを「恵みの食材」として、頭から尻尾まで余すことなく料理に使うことから、サケを使った料理法は100種類以上あり、今もなおサケの食文化が継承されています。

 戻ってくるのは12月1日です。雪マークが続いています。どれくらい積もるのでしょうか?
 日々充実!

 

柳家小きん師匠「リベンジ独演会」開催

2013-11-28 06:01:25 | サイクリング
11月27日(水)18:30~

 昨夜当法人「パン工房ゆいまある」にて、柳家小きん師匠の独演会を開催しました。悪天候にもかかわらず、30名を超えるお客様でいっぱいになりました。

 古典落語の題名を聞き逃しましたが、(12月9日に師匠からお礼の電話がありました。その折に落語の演題をお聞きした所「夢金」(ゆめきん)というお題だったことを伺いました。父つばめ師匠の十八番だったそうです。)
 銭亡者((ぜにもうじゃ)の船頭と、大店(おおだな)の娘の懐中の大枚(たいまい)を狙う素浪人が織りなすやりとりが面白かった。というか、これが真打ちの芸だなあと思わせる場面には感動を得ました。船頭の櫓をこぐ動作などは、扇子を櫓に見せて見事なもんです。
 小きん師匠との出会いからもう今年だけでも3回もお会いしています。これからだんだん弘前に小きん師匠のファンが増えていく予感がします。
 

 師匠はまだ46歳、これからどんどん芸に磨きがかかって、もっともっと活躍されることでしょう。
 柳家小さん、柳家つばめ(父)とサラブレッドです。皆様もよろしくご贔屓のほどを!

 

冬の入口

2013-11-27 06:59:53 | つれづれなるままに
11月27日(水)

 昨日は職場の歓送迎会が職員会議の後あって、往く人来る人を囲んでの食事会。
 往く人は故郷沖縄へのUターン。
 送別の挨拶は良寛の言葉。

 「鮎は瀬に棲む、鳥は木にとまる、人は情けの下に住む」だ。

 意味はこうだ。混沌とした世相の中で、人はどうかすると、果てしのない自己の欲望の上に仕合せを築こうとする。あらゆる生命の共存、他人へのいたわりや思いやりこそが大事。

 私の解釈はこうだ。鮎が棲んで仕合せな場所は清流の藻の繁茂する川瀬である。鳥が止って落ち着く木の枝は危険のない見晴らしの良い場所、人が幸せを感じられる場所とは、金銭欲や物欲の世界、競争の社会ではなく、お互いに思いやりといたわり合いの感じられる場所なのだよ。

チームオール弘前~久しぶりの交流会

2013-11-26 08:58:30 | 私と福祉とであいの旅
11月25日(月)


 「チームオール弘前」は、2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに、弘前市民と弘前大学が結集し、ボランティアセンターを築いたものである。
 昨日は瓦礫撤去から始めた仲間と、現在の弘大ボランティアセンターの事務局のメンバーが久しぶりに再会して、楽しいひと時を過ごした。

 最近は野田村に出かけることがなくなったが、その大きな理由は市民として得意な「がれき撤去」作業がなくなって、交流中心になってきていることもある。
 経済的な貢献活動といえば言えるのかもしれないが、来年の春には野田村の海や川での釣りをしながら過ごしてみたいと思う。野田村でのがれき撤去作業のために通った4ヶ月感のバスの車窓から、野田村の渓相はとんでもなく魅力的なものに写っていた。しかし現実は、そんな楽しみを具体化するような状況ではなかった。野田村の商店街は壊滅的な打撃を受け、農家も民家も希望を失うに十分な状況だったからだ。

 現在のボラセン事務局のメンバーは、野田村のあの騒然とした状況を体験していない若者たちだ。唯一数人はこの春の弘前城フルマラソンで一緒に走った仲間だった。
 野田村もyoutubeなどで見ると、復興はまだまだ先のようだった。とりあえずは、また出かけてみようかと思うきっかけになった夜でもある。

アール・ブリュット

2013-11-26 08:38:51 | 私と福祉とであいの旅
※「アール・ブリュット(ART BRUT)」とは・・・
 artは芸術、brutは、ワインなどが生のままであることを言う。

 フランスのジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet 1901-1985)という芸術家が考案した言葉で、日本語に訳される場合には一般的に「生(き)の芸術」とされ、「美術の専門的な教育を受けていない人が、伝統や流行などに左右されずに自身の内側から湧きあがる衝動のまま表現した芸術」と解釈されている。

 作者に障害のある方が多いことから、障害者アートと解釈されることも多いが、同じ意味ではない。 (アール・ブリュット発信検討委員会報告書より抜粋)

 

              

認知症人口800万人

2013-11-25 07:42:34 | サイクリング
 NHKの特番で「認知症」を見ている。自分は特別養護老人ホームに15年間ソーシャルワーカーとして勤務していたので、認知症が格段違う認識となってきたわけではないと思う。但し、団塊の世代がこれから後期高齢者に移行することを考えれば、ことは深刻となっている。一人暮らしの認知症や高齢世帯の認知症の方がますます増えて、その手当が大変だという深刻さである。
 自分たちの老後が、やけに身近に見えてきた感が強い。制度を利用できない高齢認知症者が、ますます孤独死という事象が増えていくのだろう。

娘のこと

2013-11-25 07:01:38 | つれづれなるままに
11月25日(月)

 娘達を土曜日に迎えて、きょうまたケアホームに戻って行く。
 この二人の娘が3年前からケアホームへ入居してから、私達の生活もずいぶん変わったなと思う。そして娘達二人も、新たな生活に順応してきた。その生活の中での彼女たちの変化で、最近親として感じるものがある。それは二人の娘が重度の知的障がいという判定を受けてはいるものの、二人の心の絆のようなものを感じる時がある。次女が入院して長女だけがケアホームに残されたり、先日も長女が肺炎となって帰宅した際には次女がずいぶん姉の所在を探すような風で、寂しそうな表情を見せたとスタッフから聞いた。いつも一緒にいると気づかないが、急にいなくなるとどこか違うということが分かるのだろう。
 ケアホームでも姉が部屋のベッドに移されると次女も私も・・・という感じでついていくことがあると聞いた。こんなことは自宅では見られない。
そう思うとケアホーム入居に際し、娘達は親たちから切り離されてどんなに心細い思いをしたことだろうと不憫に思う。
 それでも自宅へ戻れば戻ったように、次女はケアホームでは近隣の迷惑を考えて遠慮がちのピアノを存分に音出しも出来て楽しそうだし、長女も長い廊下を腹ばいで両上腕だけの力で移動してキーボードを目指す姿は楽しみを持つということの大切さを感じさせる。
 
 二人の娘達が何も文句や恨み言を言うわけでもないことが、逆に私には時々心に突き刺さってくるものを感じることがある。二人三脚で娘達二人を育ててきたが、今その娘達が私達に自らを犠牲にして安楽を与えてくれていると思うようになった。
 二人の土日帰宅がいつまで続けられるのだろうか・・・。そのことだけが今、私達家族の最後の心の牙城なのかもしれない。

 

臨戦態勢

2013-11-23 10:25:10 | つれづれなるままに
11月23日(土)

 朝からお日様が出て、良い天気でスタートしています。今日はお休みでもあり、娘達が戻る前に、雪囲いをしました。今年はじめての雪囲いの場所に、どの板が入るのかもわからないので、少し早めに準備開始しました。カミさんに洗濯物を干す場所はまだやらないでと言われて、そこだけは12月に入って雪が降り始めてからにしました。

 昨年も雪がたくさん降って、何度か雪の壁を撃破しました。今年は寝室のある南側を雪で塞がれないように、雪囲いの仕掛けを増設しています。

 雪下ろしをしなくても良い屋根ですが、その分雪の高い壁ができます。この囲いがあれば、少し安心だと思います。

 除雪機もいつでも出動できるように、玄関先に登場してその時を待っています。

お山参詣の事務局終盤

2013-11-20 07:04:12 | つれづれなるままに
 2年目の民俗重要無形文化財「お山参詣」の事務局として、ようやく事務処理手続きが昨日で9割終了した。
 この行事への取組の意義は、私自身の住民としてのパスポートのようなものだったかもしれない。弘前に移り住んで35年間、私は暮らしを立てるためと娘達の福祉の追求に明け暮れた。その分、義父母に地域関係の仕事を任せ続けた。その結果、他国者である私の存在は地域にはなかった。還暦近くなって、ようやく地域の中核を担う人たちとの交流があり、役員を受けた。隣人が町会長であり、法人の創設期に理事を担っていただいたことのある、現在は町の社協会長でもある方からの依頼でもあった。

 こうしてどんどん深みにはまっていく中で、今回の「お山参詣」が提案されたのである。提案者はもちろん隣人の町会長で、早速私の所にお鉢が回ってきた。私の役割は市の補助金を50万円満額ゲットすることであり、会計を担当することである。今思うと、私の法人の協力なしには、この企画は成功しなかったと思う。いや、ありえない。地域住民の協力もその中で徐々につながっていったことも功を奏した。実行委員会を組織したての初めは、「奴は誰だ?!」という住民ばかりで、私は小ロツしていたようなものだ。しかし、補助金を満額ゲットして、今回の町住民を動けるように企画した所から、次第に信頼を得られたのではないか。そして参加者のみならず、町会住民がお山参詣の実現を喜んで歓迎してくれた。これは面倒がらずに書き続けた広報紙「サイギサイギ」の力でもある。
 昨日市の担当課から最後のチェックを終えて、後は概算払をしていた残金が確定し、決定通知書と、残金が振り込まれれば私の役目は98%終了する。
 そして、町会への決算確定報告が待っている。

抱民舎よ、どこへ行く

2013-11-19 06:51:14 | 私と福祉とであいの旅
 私は理想郷というものがあるなら、そこを目指すだろう。だがしかし、その理想とはなにか、が問題なのだ。初めから理想郷があるわけではなく、理想という概念を具体化することによってのみ初めてそれは実現化していくのだ。
 今からおよそ20年前に私が始めた「生活リズムセンターノーム」は現在の法人の前身施設である。原点であるこのノームは、なじみの地域で誰もが別け隔てなく共に暮らせる社会を実現しようとスタートしたのである。障がい形態や障がい程度、年齢などにかかわらず、小規模な人間集団を目指した。多くても10名。でも、それは全く理想であって、運営を考えると収入と支出のバランスが取れないことは明白な現実だった。

 法人化する契機はそこにある。創始者がどんなに成果を上げても、それは永遠ではありえない。運営理念を明確に掲げ、人格を持った法人認可によって、初めてそこには永続性が担保されるのだ。
 
 昨日、経営戦略会議が行われた。来年度からスタートさせようとする「事業部制」の予算の流れと、組織機能のあるべき姿を話し合った。今の時代だからこそ可能な「IT戦略」や、可能な限り無理や無駄をなくすこと。「自らが考え、選択し、実現する集団づくり」がキーワードかも知れない。

 従来のトップダウン型の集団からの脱皮が、今後の我が法人の低コスト型燃料となる。 「原点を回帰せよ!」