夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

Fronteer Spirit

2008-01-31 08:23:01 | つれづれなるままに
僕の目の前に別の僕がいる。別の僕がいると思うのは幻想で、僕のような別人がいるのだ。その彼はかつて僕がしたように、自由な意識の中で自身の声に導かれながら壮大な絵を描こうとしている。ぼくはそのエネルギーの中に、かつて僕が歩いた道を思い起こしている。閉ざされていた道なき道を一歩ずつ楽しみながら汗を流して進むと、少しずつ道が前に拓いた。道が拓き始めると、そこに同志が集まってきた。同士がいると勇気が湧いてくるのだった。夢が語られ、それはふくらんだ。自分にはない技術や知恵が導入され、力の結集は次の道を大きく切り開いた。
 僕の目の前にいるもう一人の僕は、今またその夢を大きくふくらませて、キャンバスに次代を描き始めている。観ているのは僕だ。人がこうして自らの血と肉になった魂が内側から湧き来る創造力を駆使して、道をつけていく。こうして次代につながっていく。

南風からの通信

2008-01-30 08:29:41 | Weblog
 ミスウインターが故郷沖縄の名護から、桜満開の知らせを送ってきてくれた。アーこれも日本だなと感じ入ってしまう。北の果ては白銀の世界なのだが、南海の島はもう春だ!
確実に確実に春は近づいているのだ。
 それにしても1月は超特急のように過ぎようとしている。来月8日は私と娘(次女マミミ)のバースディだ。なんという偶然なのだろうか。父と同じ日にこの人は産まれてきた。私を決して忘れないでね!とでも云わんばかりである。今朝も彼女の一番のお気に入りの電子ピアノで、私にマミーズジャズを聴かせてくれている。去年は11月に北海道に旅をした。今年はどこに行けるかな?雪が解けるまで白いキャンバスは私たち北国の民人に、雪解け後の夢を見せてくれている。

八戸余韻

2008-01-29 07:00:54 | つれづれなるままに
 27日(日)に八戸から帰宅し、きょう28日(月)は夫婦でお休みである。娘たちを「あうん」に乗せて行き、そのままメールのチェックをして、事務方から諸事報告を受ける。 その後自室で、八戸で世話になった方々に手紙を筆で書き始めた。しばらくすると送迎を終えて出社してきたスタッフの内数名から、昨日の国家試験の受験報告を受ける。そういえば昨日は社会福祉士と介護福祉士の試験日だった。県内では国立大学で社会福祉士試験、私大や県立大で介護福祉士の試験が行われたようだ。その内の一人から「大学構内が雪でかちんかちんで、思いっきり転びました」と聞いた。「何人も転んで大騒ぎ・・・。」滑ったのではなく転んだと言う表現を強調するのが面白くて思わず笑ってしまった。滑る人は雪の上ではなく、紙の上でも大勢いるのだろうと思った。
 メールの中に八戸市で開催された講演会の報告があり、アスペルガー症候群の関西の女性で、ニキ・リンコさんという方の講演録のまとめがあった。アスペルガー症候群は一般的には高機能自閉症とも云われ、知的障害のない自閉症とされる。講演を聴いた方からの又聞きなので正確にはわからないのであるが、彼女は講演を青森で行うのは2度目のようだ。サングラスをかけてお話をされるのは、いろいろ見えない方が心理的に具合の良いこともあるらしい。そして更に彼女の語ったという文章を読んでいると、彼女の内面ではコミュニケーション上でかなり特異な拘りがあるように見受けられ、それはまた良く聞いていると私自身も同じような心理状態に今まであったことも気付かされる。たとえば言葉の中身である。それを私たちは他人と自分が同じ基準で言葉を使っているように思いがちであるが、実はかなり差があることが様々な誤解や問題につながってしまうことがある。そして言葉は言った瞬間に消えていくと思いがちであるが、実は彼女たち?には残り続ける(囚われ続ける)ものもあることに気付かされる。私もそうなのだが、人前で話して居るときに質問された方に十分な回答ができなかったときに、その後もずっとその方のことが気になって仕方がないのである。あるいは云うべきことが云えない相手がいると、云えなかった言葉は心の中に残り続けるのである。「適当に」という言葉がある。しかし云われた本人は「適当」という量がもしくは内容がわからないで、すっかり悩んでしまう。私の父もそうだった。「庭先にある盆栽に水をやってくれ」と云われ、「どれくらい?」と聞くと、「適当に」というから、自分で判断して水やりをしていると、後で「こんな量じゃ足りないだろう・・・。」と大目玉を食ったことが、すごいトラウマになって「適当に」という人が憎くなったりするのである。こと左様にニキ・リンコさんをはじめとする、アスペルガーや、自閉症の方たちはいわゆる繊細な心理を持ち、更には視覚的なセンサーを優先させて理解をするという特徴もあるような気がする。私たちが聴覚や視覚や言語など総合的に情報を整理して判断するのに対し、自閉症の人々は視覚的なものに敏感に反応して、気になって仕方のないものがあるとそれを排除せずには居られなくなるのである。
 毎週火曜日夜11時過ぎにNHKBS第二の番組で「名探偵モンク」を再放送しているが、まさに彼もそういう視覚的な特性を活かして活躍しているが、一方でその業績とは相容れない日常生活上の不適応や、苦痛が多いことに驚かされる。先週も絵画の中の表現されたワイングラスが倒れてそのグラスからワインがテーブルにこぼれている油絵に、異常反応したモンクが居た。その絵が彼に不安感を抱かせるものであったからである。絵なのだから仕方がないと言う我々の説明や説得は、そこでは全く意味をなさないのである。「不安」でたまらないのだと思う。
 八戸の不安定な余韻が心の中で、まだ循環している自分である。
 

八戸での講話と交流

2008-01-27 16:26:55 | 福祉について
 昨日は八戸で「生活支援ネットワークライフ」の研修会が開催され、わたしも招かれ出席して来ました。この日は雪が20㎝くらい降っていて、朝5時30分に起き除雪をしてから朝7時の特急に乗って出かけました。
 以前から交流のある青森自閉症児者親の会のKさんのお迎えを得て、ご自分のご子息の独り立ちのために建てたという生活の場に案内してくれました。ご子息は自閉症の青年で、18歳まで施設入所をされていましたが、退園してこのお家を自立の場として建てられたそうです。閑静な住宅街で、そばには林もあって環境も良いところでした。
ご子息は県内初の「自閉症・発達障害者サポートセンターYOUME」(受付→相談→支援計画作成→サービス提供の流れを一貫して行い、本人やご家族を含めたライフサポートを包括的に支援するためのシステムの構築を目指しています。)に通所し、そのほかは男性のヘルパーさんやお父さんと過ごされているそうです。
 立派な一軒家なのですが、自閉症という特性による、混乱やパニックを予防するための様々な配慮が付された建物でした。親御さんが彼のために良かれと思って設置したエアコンや台所なども、結局彼の心の不安感により破壊されたり拒絶され、結局大工さんの手によって彼の安心感を回復するために彼の希望に添って手が加えられていました。そのご子息とご両親の心の葛藤は想像するに余りあり、ようやくご子息の安心の領域をこのサポートセンターからの支援などもあって確立の域に来たのだろうと思います。Kさんとは以前お互いの子どものために家を造ることを話したことがありましたから、とても嬉しく感じ勇気をいただきました。
このほかKさんは私とも交流のある方々のそれぞれの夢の活動の場にご案内いただき、皆さんの努力の跡を知ることができました。
 午後1時00過ぎに八戸市総合福祉センターにたどり着きました。久しぶりにお目にかかるライフ事務局のKさんや以前我が施設の事務長だったFさん、ライフ代表のHさんとの再会は嬉しいことでした。
 講師は八戸カウンセリングセンター理事長Y氏と私の二人でした。テーマは「一人ひとりの生命と向き合って」でしたが、Y氏はカウンセリングについてその目標と意義について、20年間のセンターでの活動を振り返りながら面接した事例を通じて淡々と語られました。私もY氏のその語り方で気持ちが落ち着いたのか、何とか責を果たすことができました。人の心のありようは奥深く、果てしない宇宙のようにも感じるひとときでもありました。午後6時から交流会が催され、お酒も入って皆さんとの楽しい語らいが夜遅くまで続きました。私の紹介したしらとり農場に皆さんが興味を持ってくださったようで、今度は皆さんを農場にご案内できるのではないかとその楽しみが増えた気がします。
 八戸地区ライフの会員は現在80名ということでしたが、様々な事業所の方や教員なども含まれており、こういうネットワークのある八戸地区の皆さんの情熱と力を感じて帰ってきました。
 

暴風のち雪

2008-01-25 12:19:05 | つれづれなるままに
 冬の嵐が一日で収まり、きょうは朝方こそお日様も顔をのぞかせましたが、お昼近くにはしっかり雪が降っています。何だか積もりそうな粉雪です。
 昨日降った分もまとめて、今朝は導入した除雪機が出動です。除雪車が除雪をした後に残される道路のうずたかい雪山を先ず飛ばして、約1時間ほどかかり終了です。3年前の大雪の時には、さすがに除雪機もなかったので、腰も体もがたがたでしたが、この除雪機の威力はさすがにすごい!ありがたいものです。
 出勤すると、今朝方は今シーズン初めてあうんへの雪かき依頼の電話があって、早速昨年暮れに失業したばかりのYさん(56歳)とスタッフ2名で出かけています。まだまだ降雪量そのものは40センチくらいでしょうか。Yさんの収入のいくらかでも助けになればよいなと思います。
 求人の締め切りが今日になり、たった1名の求人に14名の方が応募しています。30代の方が多いようです。国家資格を持つ方、ヘルパー資格の方、無資格で経験のない方と様々です。採用試験は常識問題と作文です。作成したのは次代のホープ次長です。試験の成績だけではなく、人柄や積極性、体力、特技など総合的な視点で選ぶことになります。面接だけではまたまったくわからないのが、多様な人間模様ですね。
 
 
 

久しぶりの雪かきに汗

2008-01-24 07:16:27 | つれづれなるままに
 パン工房「ゆいまある」は、以前JAの使っていた建物をリフォームして使用しています。借りる前に場所としての便利さに目が奪われて、冬の雪のことを考えていませんでした。二年連続で少雪ですが、その前の二年間は大雪で、大騒ぎでした。屋根雪が裏側に滑り落ちるようにしてあったことから、JA時代から隣宅とはトラブル続きだったようです。
 昨日天候が落ち着いている内に、お隣の敷地車庫に雪が流れ込まないようにしようと、スタッフ3人で雪かきをしました。ショベルカーもあったので、約1時間で済みました。メタボの私には運動不足解消の活動として、格好の活動だったのです。
 しかし、そのお隣だけの問題でないのが消火栓です。JAは当時半ば公的な機関だったこともあって、郵便ポストや消火栓、バス停などもオプションでくっついていました。消火栓がまた、ありがた迷惑で、ちょうどこの屋根雪が落下するところに設置されていて、これを守るのが当たり前みたいに消防署員に云われてかちんと来たこともありました。何でこんな場所に消火栓をつけたのか!と云いたくなるような場所なのです。屋根雪から守るために囲いをしても結局いざというときには、雪や氷で使えずというような環境なのですから、困ったものです。今日からまた天候が荒れそうです。

試み「地域を変えるアクション 第二弾」

2008-01-23 07:48:32 | つれづれなるままに
 今年も今のところ暖冬の影響で雪も小康状態。昨年暮れに結成されたボランティア会の「のれそれ雪とろけ隊」の出番はなく、このままでは何もしないで終えそうな状態である。それはそれでありがたいことでもある。
 ふれあいボランティア会の計画ではもう一つの、「ボランティアスクール」が残されている。今回の企画は「自閉症者の理解を商店街に」がテーマ。
 見た目にはその人が障害者であることが外見的に、なかなかわかりにくいのが聴覚障害者であり自閉症者でもある。その理解のための基礎編を、青森県自閉症支援研究会の力を借りて開催することにした。自閉症の人が突然商店に行くと、様々なトラブルになりやすい。事前に予備知識を持った人が周囲にいれば、もう少し優しい町になるのではないだろうか。
 以前に障害者福祉劇をやったメンバーがいるので、それをもう一度この自閉症理解に活用したいと考えている。状態像をまずわかりやすく親しみやすい形で行いたいというのがコンセプトで、2月の頭に打合会をすることになった。まずは仲間作りからと言うことです。如何に相成りますや乞うご期待です。
 

市町村合併後の置きみやげ

2008-01-22 22:11:11 | 一歩二歩、散歩~横道
 食後の運動不足を兼ねて、パン工房「ゆいまある」まで散歩しました。あうんの敷地から県道へ出る直前の道路にマンホールが雪を溶かして姿を現していました。弘前市に合併前の岩木町がここに残されていました。マンホールのふたには、稲穂とりんごと桜、山女魚、そして岩木町の花「ミチノクコザクラ」が彫られていました。いつまでも残して置いてほしいと思いながらカメラに収めました。

大寒に部屋籠もり

2008-01-22 07:24:33 | つれづれなるままに
 日めくりの暦を見ていれば、「大寒」などという二十四節気の言葉が現れて気持ちも豊になる気がしている。しかし「大寒」と言っても言葉上であって、この度はなんだか毎日が一番寒いという感じもしている。小寒と立春の間をいうと辞書には書いている。とはいうものの同じ寒さでも、この時期の寒い暑いはほんの2℃くらいでも、変化を感じてしまう。朝方冷えても最高気温が2,3℃にも上れば、室内では「きょうはちょっと暑いんじゃない?」という会話が交わされている。事務室内にはパソコンが6台あり、そのほか印刷機械が2台あることも、事務室内が余計に暑いのも原因かも知れない。
 私は朝から自室に籠もって孤独に浸った。というのも生活支援ネットワークライフという組織からの依頼で26日に研修会が開催されることになり、60分間の講話を2名で2単位行うことになっている。テーマは「一人ひとりの生命に向き合って」である。30数年間の福祉の道の中で、出会ってきた一人一人を思うとみんな素敵ないのちだなあと思えてくる。ことにしょうがい者福祉の世界に入ってこうしてある程度その人たちの傍に寄り添っていると、一人ひとりの成長の時間軸が多少あるいはかなり違っていることに気付いてくる。私の娘たちを軽々抱いて排泄習慣をつけることや楽しみの獲得、移動することを繰り返し継続して来た先の見えない日々の繰り返し。それが目の前の娘たちが自然に身につけて行っているのを見ると、彼女たちの緩やかな学びがようやく見えてくる。親のかすかな願いのようなものかも知れないが、重い制約を身につけて産まれてきても、諦めることはないんだぞと今更ながら彼女たちから教わっているのだ。そして親としてようやく彼女たちから自信をもらえるのである。言葉が話せないとか、歩けないとかの制約があっても、内在する能力は計り知れない。諦めないで語り続け、めげないで希望を持って共に生きて行くことが、10年単位の歴史の中でやがてじわりとやって来る光明があるのだ。そういうものも制約者の親の喜び方としてあることを感じている。大寒の次は春なのだから。

講話の準備も疲れます

2008-01-21 07:59:16 | つれづれなるままに
 いよいよお尻に火がついてきました。といっても本当に煙が上がっているわけではありません。今月末には二つの講話(一つはシンポジウム)が予定されていて、その内容がまだ具体化されていません。今日一日が私の正念場です。レジュメを送らなければならないのにまとまっていないからです。
 60分を語るのは並大抵のことでありません。まして相手が同じ分野の現場の皆さんですから、メッセージをどう構成するのかが定まりません。たくさんの事例の中からどれを伝えたらいいのか、きょうはその絞り込みです。
 そしてもう一つが気の重い私の書籍準備。これも全く進んでいません。つまりテーマ「障害者の親としての福祉と支援者としての福祉」なのです。
 「タイトル」は最後でも良いと思っていますが、始まりの部分がどうしても納得行かないのです。一つに集中してやれるわけではないので、こういう文章を書き上げるというのは集中力が必要ですね。区切りをつけるまで一気に書ける場合と、とりあえずは書き上げて後で推敲校正する場合です。
 自分たち両親が二つのいのちを、どのような気持ちで迎えようとしたのか迎えたのか。始まりの部分、それがまとまりません。いや「納得が行かない」と云う方が正しい言い方なのかも知れません。そういう意味で厳寒のこの時期に、真っ白な雪を眺めながら文章を遂行する作業ができるのは、私には精神的に良かったようにも思えます。初めての私の本は果たしてこの先どうなるのでしょうか。それは当事者すらわからない不安です。