夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

冬将軍来る

2010-11-30 07:21:52 | つれづれなるままに
11月30日(火)

 今日も寒い朝です。新聞屋さんが来るのが朝6時、庭先の降雪に自転車の曲線が描かれていました。数日はこの寒気が居座りそうです。きょうの最高気温も4℃。

 そろそろ除雪機も登場させる時期です。

A型・就労継続支援事業所「パン工房○○○」

2010-11-30 06:20:05 | つれづれなるままに
11月29日(月)朝から継続的に雪が降って寒い一日です。
 
 きょうは就労継続支援事業所のリフォーム工事と什器備品関連の入札の日です。法人理事4名、評議員1名、監事1名、それに事務局がパン工房・ゆいまある2階に集まりました。
 第一部はリフォーム工事入札で、第二部は備品什器関連の入札です。粛々と入札事務は進行して、午前11:30には終了しました。

 さあ、いよいよ12月1日からリフォーム工事が進み、来年2月には竣工予定です。
 今回の工事のほかに、店構えならびに内装関係の設計を新進気鋭のA氏に依頼しました。A氏は若手ではありますが(30代前半)、今年の夏にモデルハウスを竣工し拝見しています。低廉ながらも住人の希望に沿った、シンプルかつ統一感のある建物に仕上げていました。Aさんのお父さんは私が老人ホーム職員時代に、数回ですがお目にかかったことがあります。そしてお兄さんは市内で洋菓子のお店を開店し、アップルパイやシフォンケーキの評判のよいお店を出しています。今回のA氏との出会いはハンサムウーマンですが、無理してそばに行ったわけではなく、ふと気づくとそばにいるという感じです。
 広島にご家族がいるということですが、広島時代の建築設計作品を見せてもらいましたが、とても目を引く作品群でした。
 さあ、今回のお店の設計はどうなるのやら、期待しています。
 ちなみに今回のパン屋さんには、新たな洋菓子コーナーも予定されていて、こちらもご縁のあったKさんが現在新商品の開発をスタートしてくれています。語学に堪能なAさんで、ご主人の話ではフランス語でお店の名前をいくつも考えてくださっているとか・・。
 今日の夜は第4回目のプロジェクト会議が開催され、A型店の販売パンメニューなどの概要がまた一歩具体化される予定です。
 「一歩前へ!」

活動報告祭終わる

2010-11-29 07:08:07 | 私と福祉とであいの旅
 11月28日(日)

 昨日と打って変わって、朝からみぞれが混じる寒い朝です。「活動報告祭」もきょうが最終日ですが、この天候で市民の出足が鈍くなるのが気になりました。

 今回の活動報告祭で、考えるべき事柄がいくつかありました。それは会場のメリットデメリットであり、保護者の関心の薄さです。
 私たちが市内の会場開催を計画したのは、施設内に招く方式での文化祭では本来のノーマライゼーションがムーブメント(運動)に効果が薄いという点でした。また他の障害者総合福祉展などの参加は、私たちの総合的な活動報告が制限されるということもあって単独開催を継続しています。弘前文化センターでの開催を2年間ほど実施した後、以後可能な限りこの展示館での開催を継続してきました。「文化祭」という呼び方ではなく、近年は「活動報告祭」と名称を変えて行ってきました。

 今回のこのイベントでは、マスコミのPRが遅かったっこと。保護者会への協力依頼がなかったことも含めて、来場者数の少なさに響いています。その一方で新しい考え方も今回は功を奏したものもあります。それは作家さんを招いてのワークショップの新鮮さです。今回は地元岩木町在住の、ささやすゆきさんとのコラボレーションでしたし、押し花活動などのように、来場者に体験していただける機会をもてたことです。養護学校等へのポスター掲示依頼も、関心のある学校関係者の来場につながっています。
 今回の新たな催しは、コラージュコント(なりたの造語です)「自閉症のスーさん物語」は来場者の好評を得ました。障害特性をネガティブに見るのではなく、ポジティブな見方をするとそこに共生の道が開けるのだという主張です。コラージュのような組み合わせによって、全体で自閉症や発達障害者の特徴理解ができたと思います。
 単に展示だけではないこういう活動が来場者への動的な臨場感があったと思います。
 ただ現在の会場での制約である、飲食ができないことが少し来場者の楽しみも制限している感じもあります。また事業所やケアホームなどの活動場所のエリアでのこうしたイベント開催を今後実現することで、地域住民の共感と理解が得られるのではないかと思い始めています。今年の活動報告祭をもう一度見つめなおして、もう一歩ステップアップしていく必要を感じています。
 

「抱民舎2010活動報告祭」きょう(27日)から明日まで

2010-11-27 07:01:47 | 私と福祉とであいの旅
 きょうから法人の「活動報告祭」が開催されます。場所は弘前市の百石町展示館全館。
 今回のイベントはきょうの初日が午前中10:15分から絵本作家ささ・やすゆきさんとの絵画ワークショップ。さささんの絵本を読み聞かせ活動を継続している工藤光子さんが開始前に読んでくださいます。メンバーさんたちと一緒にさささんのワークショップはどんな風に展開するでしょうか・・・?1F会場では、さささんの「メエメエさんシリーズ」原画も展示されています。

 11:00からスタッフによるコラージュコント「自閉症のスーさん物語」(20分)
 障碍特性によるプラス的側面を紹介します。

 午後は14:30から「れもんず」のお二人によるコンサートがあります。


 昨日は工藤さんと絵本の読み聞かせの打ち合わせをゆいまあるのパン屋でしていると、さささんもおいでになって顔合わせができました。「メエメエやぎさん」シリーズのやぎさんのように優しそうな目をしたさささんは、きょうのワークショップの展開が楽しみのようでした。工藤さんもどんな読み聞かせをしてくれるのか楽しみです。
 

起立歩行訓練機

2010-11-26 10:33:00 | つれづれなるままに
11月25日(木)

 午前中「起立・歩行訓練機」(ポーランド製)の機械があうんに到着。デモ機ではあるが赤池P・Tの紹介で、しばらくメンバーに使用してみることにした。
 車椅子ばかりでの生活は、どうしても二次障害は防げない。
 P・Tの話によれば、体重を足に負荷しない生活は・・・・
 ・骨密度が減少する・カルシウムが血液に溶けて血管をふさぐ=動脈硬化症を生じやすい・足の冷えや痛みを起こしやすい・・・などを上げられた。

 この機械のよいと思われるところは、従来の起立台(ティルトテーブル)と違って動作が加わることである。たとえば歩行の擬似体験ができる。つまり自力または他動でも、起立姿勢が保持でき、左右の下肢に体重が負荷できる。またその際に片足ずつ前に進めるのである。ただの抑制された感じではなく、歩行することで視界が変化し目的物などが具体化でき、行動へのモチベーションが向上する。
 写真は装着して実際に動作したものであるが、日ごろの視界との違いを自覚できる点で効果がありそうである。

 実際に起立させてみて初めて被験者の関節のこわばり具合が明示されるのがわかった。



 

初代理事長講話

2010-11-26 07:58:40 | 私と福祉とであいの旅
11月25日(木)19:00~

 社会福祉法人 抱民舎の十周年記念の年、もう一度法人の原点に帰るつもりで初代理事長一戸泰子さん(80歳)からお話をいただいた。
 法人にとってはこの人を語らなければ、決して法人の現在は語れない。そういう意味でも新しい職員が多い現在、もう一度原点回帰をすべき時であると考えた。

 一戸さんは自身の人生を語りながら、若い職員たちに人生の生き方を示してくれた。
 一戸さんのルーツは850数年前の、藤原鎌足まで遡るらしい。藤原氏と平氏の源平合戦により敗れた藤原氏の一族が滋賀県に落ち延びて、その子・三王丸が三歳の頃のことである。戦のショックで言葉を失っていた三王丸がこの滋賀県の現在の雨森村に来たとき、雨が降ってきた。三王丸が「アメモル」という発語をしたことがきっかけで、雨森村という地名や雨森氏の姓が生まれたといわれる。(一戸さんの結婚前は雨森姓で、平成17年に「元祖850年祭」が開催され、全国の雨森姓の方々が集まったという)

 一戸さんの生い立ちは、両親との満州での生活にあるらしい。戦争による日本への敗走の旅は、家族の豊かな財産を奪われた。当時日本人会の会長をしていたという父親の世話になった方々が、帰国後の彼らに支援してくれたという。
 それでも帰国後の彼女に、残された財産の内から学資と生活費を与えられた彼女は、社会事業大学(短期大学)の一期生として学び、青森県庁に入庁した。以後児童相談所や福祉事務所、そして県職員では異例だった障害福祉課長を女性として初めて努めた。この当時「青年の船」などに県内の若者を300人近く乗せてフイリッピンなどの国との交流活動を行ったのも彼女の企画であった。
 退職後は弘前ホスピタリティアカデミーの社会福祉学科長、秋田桂城短期大学社会福祉学科長を歴任し、2000年3月から社会福祉法人 抱民舎理事長に就任された。

 彼女の講演の中での特記事項

 1.福祉人に必要なこと
  ①人間大好きであれ
  ②プライドを持て
  ③自己主張する場を持て
  ④信念を持て
  ⑤「大きな樫の木も小さなどんぐりから」勉強の継続が大切である。

 2.老人になるまでに準備すること
  ①生活できるだけの基盤を築くこと
  ②たくさんの人脈を作ること
  ③ぼけない努力として、日記をつけること

 この講演の後は、法人認可までのノームを支えた人々について、写真を見てもらいながら親たちの願いなどを紹介し、何故現在があるのかを職員に伝えました。

 1994年4月から1999年12月までの「生活リズムセンターノーム」は、無認可施設としては画期的な青森県の在宅障害福祉の基礎の部分を切り開いたとしてもよい。それは「心身障害児学童保育=放課後デイサービス」や送迎サービスの基礎を固めた点である。それが結果的に現在の日中一時支援事業として制度化されている者につながったのだ。(現在「日中一時支援事業は、一日20人の利用で年間休みなく実施されている)
 そして重症心身障害児者を含む重度障害児者の通所施設としての「ノーマライゼーション運動」を継続してきた点である。
 一戸さんが果たした功績は、無認可だったノームを「法人化させた」という一点である。そこには彼女の両親が「リュック一つ」という原点にいつも帰ることを哲学にしており、彼女も自身の資産を法人の認可のための原資として大半を寄付されたのである。こうして設立時に必要だった土地や資金がそろって、青森県知事から2000年3月に社会福祉法人 抱民舎として認可され、2001年1月その事業所第一の「であいの家あうん」が誕生したのである。
 

熟成期間

2010-11-24 06:10:32 | 私と福祉とであいの旅
11月23日(火)
 
 Oさん夫妻がちょうど24時間ほどの弘前の滞在を終えて、また元気に車中の人となって帰っていった。最初こちらにおいでになると聞き、我が家で宿泊をしていただき何を食べていただこうかと計画をしている最中、ご主人からの電話があって「家内が余り調子よくないので・・・駅のそばのホテルに宿泊する」という。少しがっかりしたが、それでも出迎えたときには奥さんも笑顔で現れてくれたのでほっとした。どうやら時々血圧が上がるらしい。

 さて、彼らが帰った後で彼らのお子さんのことで思い起こしたこともあり、ブログに載せてみることにした。

 私の東京の職場の先輩の子どもたち三人だけで、夏休みに青森を目指してやって来たことがあった。
 どういう経緯だったのかははっきり記憶にはないが、かつて同僚だった2世帯の子どもたちは小学校6年生(女子)と4年生(男子)の3人だったような気がする。彼らは仙台まで新幹線で来て、途中下車した。そして駅で家族に電話をしている内に、お小遣いなどの入っているかばんを盗まれたらしい。それでも切符があったので何とか弘前までやって来たのだ。まだ携帯電話がない時代でもあり、子どもたちの冒険旅行は今もその当時の記憶として刻まれている様子を聞いた。ちょうど私の職場のスタッフたちとのキャンプが海であり、一緒に同行した三人である。
 今その彼らは30代に成長し、みな父母として家庭を持っている。子どもは親の背中を見て成長するというが、O氏の息子イサヤ君は今は父の運営する特別養護老人ホームに介護福祉士として勤務しているらしい。その彼がギターシンガーとしてCDを発売しているので聞いてほしいと、可愛いジャケットのCDを両親にもらった。はじめは趣味の領域かと思っていたのだが、なんと聞いてみるとボサノバ調のギターも歌声にしてもなんともいえない優しい旋律で本格的魅力であふれていた。
 これがあのおとなしく内気そうなイサヤ君?と、一瞬言葉を失いかけていた。聞けば音楽専門学校に入校し、音響などの専門コースを学び、ギターも7年以上の勉強をして来たものらしい。両親もクリスチャンであり、その勧めで聖歌的な作曲をしてくれるものと思っていたら、先に本人の夢の一枚の方ができたらしい。
 いずれにしても子どもたちは親の心配をよそに、それぞれの夢を大きく咲かせているのだった。子どもたちの心配な時期があって、親たちはその時期にどうにもならない心配をしていたのだった。
 それがこうして私たち両親も、いつのまにか60代に突入したりしているのだから・・・いつまでも若いつもりでも年をとるのも当たり前のことなのだ。
 子どもたちの心配よりも、そろそろ連れ合いの心配の方が増え始めようとしているのだ。Oさんたちと10年ぶりくらいに再会して、こうして楽しいひと時を持てたのもお互いに健康だったからに相違ない。
 「今度はみんなが元気な内に、仙台あたりで同窓会でも・・・」と言葉を交わして弘前駅で握手を交わして別れたのだった。今度はいつ逢えるものやらわからないが、元気な内にボケないうちに・・・である。

  

再会

2010-11-23 08:36:05 | 私と福祉とであいの旅
11月22日(月)


 私の人生のスタートラインの一つで、そして私や家族の現在を語るにはこの人たちを外せない。埼玉から、そのお二人が弘前に見えた。
 お互いに今は第二、第三の職場で、経営者を生業として暮らしている。
 今回のお二人の旅行動機は、たまたま私が書いた農園の記事だったらしい。奥さんが園芸を仕事でも行っていて、私の仕事に興味を持ったらしい。
 弘前駅でお二人をお迎えして、その足で私が取り組んでいる畑を見て回った。そして私たちのマロンファームのそばにある、木村秋則さんの畑に出かけた。あいにく木村さんの畑はもう収穫が終了したのか、姿は見えなかった。しかしこの畑が明らかに他の畑と違うという発見があった。それは木村さんの畑のリンゴの木の葉が散っていることだった。他の農家のリンゴ畑はどこを見てもリンゴの木の葉はしっかりとまだこの時期についているではないか。
 何故そんな違いがあるのか、その原因は推測の域を出ない。ただ私が青森に来て思っていた疑問の一つでもあった。何故リンゴの木の葉は、いつまでも散らないのか?本来針葉樹以外は(落葉松を除けば)落葉する時期というものがあるのではないだろうか。
 そんな疑問を車中で話しながら、木村さんの畑を後にした。

 この日夕食前に法人関連施設を見ていただき、中でも娘たちとの再会のためにケアホームを訪問してくれた。
 夕食会場は弘前市内にある「すずめのお宿」。二階のこじんまりとした落ち着いた部屋で、杯を交わした。
(写真はデザートのオータムキング)

11月23日(火)

 昨夜はお酒のあまり強くないお二人を宿まで送り届けて、ほろ酔い気分で帰宅した。そしてお二人との出会いの場面や、その間の出来事を思い返していた。
 長女よりも2歳上のアキちゃん、次女よりも一つしたのイサクンがまだ保育園で、家族寮に住んでいたO氏はいつも大人の雰囲気をかもし出していた。(実際今回確認したら、私よりも5歳先輩であったが・・・)
 
 翌日も風は冷たいながらも、日中は暖かな日差しがこぼれた。午後2時30分に弘前を経つことになっていたので、旅の疲れを癒してもらうために温泉に向かった。
 その後O氏の施設に入所している方が弘前市の出身ということで、その方のゆかりの施設を尋ねた。こういうところにも何かただならぬ縁が感じられ不思議な感覚であった。

 あいにく滞在期間は短かったが、何とかお天気ももってくれた。さらに目的とした場所もほぼ見ていただいたことが、今は何よりのもてなしになったかと思う。
 O氏ご夫妻の愛息イサクンは、今父上の老人ホームで働いているらしい。そのイサクンがCDを出したというので聞いてみたが、ギターもうまく何より歌もうまくてこれは将来ものになりそうな予感がする歌だった。
 今度はイサクンとの再会が待っている・・・。青森でのコンサートが実現できるように、流れてくれたらとふと思っている。

 

 
 

2010 社会福祉法人 抱民舎活動報告祭

2010-11-22 07:06:26 | 私と福祉とであいの旅
 「ゆっくりと、でも確かな歩みで、一歩また一歩、進んでゆこう!
 ひとりじゃないよ、みんないっしょ。楽しく歌い、踊り、そして夢を描こう!
 きっとみんなの未来は開いている・・・。」

 「ホップ・ステップ・・・・・」

 社会福祉法人 抱民舎の活動報告祭が間もなく開催されます。

◎開催日時
 ★1日目 2010年11月27日(土)10:00~17:30
 ★2日目 2010年11月28日(日)10:00~17:00

◎開催会場 弘前市立百石町展示館

1日目のプログラム

 10:00 オープニング
 10:30 絵画ワークショップ
     絵本作家 ささ・やすゆきさんと一緒に絵画ワークショップ
     さささんは旧岩木町高谷出身。1980年「こどものくに」7月号 出版絵本は「はらぺこがはらのメエメエさん」「やまんばと3にんのこども」など。メエメエさんシリーズは19作目。現在NHK弘前教室で「絵本を作ろう」をタイトルに指導している。
 2Fで佐々さんの作品展示

11:30 コラージュコント「自閉症のスーさん物語」
14:00 れもんずコンサート 1F(40分)
14:00 押し花体験コーナー

2日目のプログラム

10:00 開場
11:00 コラージュコント「自閉症のスーさん物語」
13:00 スヌーズレン体験コーナー2F
14:30 益田彩乃コンサート
15:30 押し花体験コーナー

ご来場の上ご観覧ください。