優しいという字は
にんべんに憂うと書く
優しいという意味は
思いやりがある
細やかな心遣いがある
上品でしとやかに感じられるとある
人に優しいのと
自分に優しいのとの違いは
人に厳しいのと
自分に厳しいのとの違いに
なんだか似ている気がする
ぶっきらぼうの優しさだってあるのに
優しそうに見えるのと
実際はかなり違うことだってある
厳しい人に見えて
案外気さくな優しさの人だってある
細やかではないが
荒削りの優しさだってある
言葉だけではない
やさしさ
行為の中にある
やさしさ
無言だから感じられる
やさしさ
一方通行の
やさしさ
押しつけの
やさしさ
自分だけ気持ちよい
やさしさ
度の過ぎる
やさしさ
うざいと言われるのは
やさしさというのか
踏みつぶされる
やさしさ
本当の優しさは
見返りを求めない
相手にへつらわない
自分に厳格である
相手におもねることがない
かといって芯を支えている
人に求めず、人に与う。
人は、自己の善意に反しても、時に騙し、裏切るものだから、見返りを求めた時点で、それは自己満足になるのだけれど、傷つくこと自体が、実は、相手への欲求だったりするわけで、知らないうちに、自分の道徳観で物事を考えていることを痛感します。
ときどき、人を傷つけてしまうことが怖くて、きっと、それ以上に、自分が傷つくことが怖くて、どうすれば、世の中のしがらみから開放されるのかを、水車のように考えている自分が居ます。
人が嫌いだ!という心の叫びを聞きながら、思い通りにならない我侭を聞いてもらえないゆえに駄々をこねている、その実、人にかまってもらいたい自分を見つけます。
相手を、ほかを否定するとき、自分はそうでいられるのかを突きつけられます。
考える時間がないくらい、何かで自分をぎゅうぎゅうにしておくより、…そして、今、一番、必要としている自分自身に付き添ってあげることこそが、もっとも必要なやさしさなのかも知れません。
押し付けではなく、単なる、一人言なのだけれど、こうして読ませること自体が、実は押し付けであるという現実…。