夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

1月(睦月)の終わり~如月(きさらぎ)へ

2011-01-31 07:27:14 | つれづれなるままに
1月31日(月)

 2011年が始まり、そして早くも今日一日で一月が終える。新暦2月4日は「立春」である。冬と春の分かれ目、節分の翌日である。この日を年越しとする風習もあるらしい。八十八夜、二百十日、などはこの立春の日から起算している。しかし津軽はまだまだ冬はこれからというか、二月が一番厳しい寒さと降雪期である。私と次女は同じ2月8日が誕生日。慎んで心を改め日々を大切に生きて行こう。

・まずまずの始動をキープ如月へ

・立春は厳寒の中閉じこもる


書字ということ

2011-01-31 06:57:52 | つれづれなるままに
 昨日久しぶりに文房具屋に出かけて、ペン選びをした。Gペンと呼ばれるぺんと、筆ぺん、そして数本のボールペンを選んだ。
 自分はいつから書くことが好きになったのだろう。おそらく母の書体が羨ましかったのかもしれない。小学校の教員をしていた両親、その影響もあってか小学校から中学校まで字の下手さを気にしていた時代があった。そのことから、いつかしらひたすら独学での書字訓練を行って来たような気がする。高等学校時代には、書道の先生に大学で書道をやったらどうかと言われた。その気持ちがあれば推薦してやると言われて、すっかりその気になっていた。そして大学は文学部日本文学科を選んだ。しかし自分は結局、推薦入学だけは拒み、何とか自力で入学した。
 書の世界は広く奥深いものがあることを感じた。同じクラスには全国から、書家の息子娘が目的を持って入学して来ていることを知った。自分などは本当にいい加減な思い上がりで、大学に来たことをその時ようやく恥じていた。結局私は教科でしか書道は行うこともなく、卒業した。ただ書くことだけは好きで、詩や短歌、俳句、小説などには興味もあった。
 ワープロやパソコンの時代になったが、未だに私はメールよりは手紙をかく方を選んでいる。そういう意味で、ペンは私にとっては大切なツールの一つである。
 母に中学校時代に買ってもらった「モンブラン」のペンは、未だにあのペン先の柔らかさが記憶の中の感触として残っている。二、三度買っては落として、結局今は万年筆なるものは一本もない。いつかもう一度万年筆を手にしたいと、そう思い続けている。

町会活動「雪下ろし」

2011-01-30 14:58:55 | つれづれなるままに
1月30日(日)

 きょうは朝から町会の集会所の屋根に上がって、住民総出で雪下ろしディでした。
 気温も-3℃くらいで、じっとしていると寒さが体の芯までしみとおりそうです。早速みんなではしごを上がって、屋根から雪を下ろしました。たっぷり1メートルくらいの積雪があったでしょうか、結構な寒い日が続いたせいか雪もしまって硬い感じです。
 こうして町会の人たちと一緒に汗を流していると、次第にお互いの身近な関係ができそうな雰囲気でした。タップリと汗を流して、約1時間30分で終了しました。まずは怪我もなく、よかったです。
 終了後みんなで集会所の屋根から周辺住宅の屋根を見ながらそれぞれの屋根の品評会です。今年は寒さが厳しいので、無落雪住宅では雪が解けにくくて大変だという声を聞きました。雪が溶けないために、重さで家屋の戸の開け閉めなどが渋くなるのだそうです。「あんたの家は四方に雪が落ちるので、今年は格別良かったね」という声に、さもありなんという思いでした。
 
 

POEM 「それぞれのいのち」 その1「タカシくんは一家の宝」

2011-01-29 10:06:29 | 創作(etude)
 

「モシモシ
 タカシガ
 マダ 
 カエッテコナインデスケド
 ドウシタンデスカ?」
 毎日タカシくんの
 帰宅が遅いのを
 心配して
 お姉さんから
 カエレコールが
 施設に
 かかってくる

 心配しているというのも
 本当なのだろうけど
 タカシくんは
 家族の中では
 とても大切な
 柱なのです
 というのも
 彼が帰宅しないと
 夕食の準備ができません
 おかあさんも
 お姉さんも
 だから
 たかしくんが
 帰ってくるまで
 心配が続きます

 タカシくんと
 おかあさんと
 お姉さんは
 別の施設へ
 毎日通っています
 お父さんが
 生きていたときには
 お父さんが 一家を
 切り盛りしていました
 お父さんが
 病気で
 死んでしまって
 それからは
 タカシくんが
 一家の柱です

 タカシくんは
 とても
 ユーモアあふれる
 天性の 
 道化師のような
 周囲をわかせる
 うちから湧き上がる
 何かが感じられます
 踊りや
 絵画
 陶芸なども
 タカシくんの
 自由奔放な個性は
 輝いています
 タカシくんは
 一家の
 大切な大切な
 宝物なのです
 そしてその
 宝物の輝きを
 わたしたち職員は
 まだ見る目がありません
 
 
 

短歌 「人生の機微」~年度末に離職するNさんとMさんに捧げる~

2011-01-29 10:06:29 | 創作(etude)
 ・汝は急に吾に言いたきことありと涙浮かべて離職を告げぬ

 ・人の世は出会いと別れの繰り返し子二人持つ汝は職を離れぬ

 ・夫(つま)子ある汝は嫁す身にて明日はまた職を離れて新たな旅へ

 ・頼りにす職場のひとり去るという義父の病を看護せるため

 ・職辞すと汝は我が前に立ちにけり縁あるならばまた帰り来て

 ・法人の理念に惹かれ来たという頬あかくして汝は面接に立つ

 ・その夢は蕾のうちに冬の来てまた咲くときをしばし待つしか

 ・渓流の小魚海に下り往く帰り来る日は大魚となりて

 ・この雪のとけゆく時に君往くか幾度の雪を耐えて待つのか

 ・初々し汝は人妻になりてまだ子も4ヶ月新天地目指し

 ・口惜しと汝は瞳(め)に涙溢れさせ夢なかばにて職辞す無念

 

経営協議会主催の研修会参加「障がい者総合福祉法(案・仮称)」

2011-01-28 14:05:02 | 私と福祉とであいの旅
1月24日(月)晴れ 青森市アラスカ会館 

◎経営協議会主催の研修会参加「障がい者総合福祉法(案・仮称)」
~社会福祉法人が新報に向けて為すべきこと~

 久しぶりの研修会参加である。馴染みの顔ぶれが並んでいた。
 厚生労働省のお役人で「障がい者制度改革推進会議(内閣府)委員で、社会福祉事業大学・准教授「平野氏」の講演をまず聞いた。
 2009年8月より発足した民主党が政権を取って障害者自立支援法が廃案となって、現在改革推進会議が審議している「新総合福祉法(案)制定」までの今後の動向についての方向がまず話された。
 民主党の最近の凋落ぶりは、我々有権者を落胆させた。それはマニフェストの崩壊だからだ。どの党が政権を担っても、結局は日本の幸せだけを望むだけでは存在できないということは事実で、世界全体の流れを組みしながら進まなければ本当の日本の幸せはないのかもしれない。さらにこれまでの自民党・公明党政権が変革でき得なかったものの変革を唱えたところに、国民が信頼をして投票をしたのである。しかし今回の講演を聞くと、どうも民主党も自民党野党と何ら体質的には変わらない感じがしてきた。
 民主党政権のアキレス腱は「財源問題」にあると講師も言っていたが、そういう意味では障害者福祉の問題は金の問題だといわれんばかりでもある。何やらまた介護保険制度にむりやり押し込もうとしているのが、薄々感じられるようになってきた。

 講師の話で一番すとんと胸に落ちたことがある。それは社会情勢がどんなに変わっても、私たち障害者福祉の現場には支えるべき利用者と保護者が生活と命をかけて生きているのである。私たちの使命はその利用者や家族の方々が安心して人生を送っていけるように支え続けることである。本当のニーズを私たちは掌握し、そのニーズに応えられるようにきめ細かな仕組みを築いていけば自ずと私たちの道は開けてくるというのである。
 福祉を目指す若き人々に向けて、「障害者福祉はこんなにやりがいのある仕事なんだ」という熱いメッセージを送って欲しいという講師の言葉がやけに重たく胸に響いたのである。

ウオーキング通勤4日目

2011-01-27 10:33:54 | つれづれなるままに
1月27日(木)

 今朝も良く晴れました。でもぎりっとした寒い朝です。今日はいつも歩く道を少し変更して、遠回りのコースです。雪の道路が凍って、歩くとガリガリ、キュッキュッと音がしています。鳴き砂というのが、こんな感じなのかな?
 きょうも岩木山が、すっきりとした美しさで佇んでいました。早速写真を一枚撮りました。道路脇のさくらの木枝が凍てついた雪で凍っていました。でも朝日に輝いて、きょうは雪に埋もれた一面の水田も、宝石を蒔いたようにきらきらと輝いてとてもきれいでした。
 結局いつもよりも早足で歩いたこともありますが、自宅から45分と変わらない時間で歩ききりました。歩数はいつもの道路よりも1000歩増えていますので、6,300歩でした。
 耳と頬は冷たさで痛いくらいでしたが、職場に着くと汗をうっすらかいていました。とても気持ちよく仕事に移れて爽快でした。
 

通勤ウォーキング

2011-01-26 16:11:01 | つれづれなるままに
1月26日(水)快晴

 外気の冷たさで澄み切った青空に、岩木山の雄大な姿が栄えていました。早足で7時30分に自宅を出発しましたが、通勤のダンプや乗用車が側を通過する際は緊張します。
 雪道なので道路の幅が狭くなったり、轍(わだち)と呼ばれる雪のレールができています。そのために歩行者も車両用の道路を歩かざるを得ず、時々雪の山に駆け上っています。

 吐く息も白く、手も耳もほほも、寒さで痛むほどです。歩いていると、雪も音がきゅっきゅっとなっています。今日もほとんど45分で職場へ到着しました。歩き抜くと気分も最高です。きょうはまた新鮮な一日のスタートです。

最後のハングルメ教室

2011-01-26 15:51:08 | サイクリング
1月25日(火)18:00~

ハン・サンアさんとハン・ゴウンさんのお二人からご指導いただいてこれまでやってきた「ハングルメ教室」は、いよいよ最終回でした。前半のグルメ教室は、好評だった「キンパッ」と「イカチヂミ」「キムチチゲ」の再現でした。そして参加者の事務方二人で「たこ焼き」のお返しをしました。
 


キンパッは韓国風ののり巻きです。日本の巻き寿司と違うのは、お米に酢ではなく、ごま油でした。(塩も少々混ぜます)
そして海苔の中にご飯を引いて、中の材料は
 卵焼き・たくわん・にんじんの炒め物・ゴボウの炒め物・薩摩揚げやハムの炒め物・キムチの炒めたもの・ほうれん草の炒め物などが入り簀巻きで締めます。


イカチヂミ


キムチチゲ


後半はハングル教室です。最終回はパッチムの読み方でした。特に二重パッチムの読み方などを練習しました。

 お二人とも日本を去りがたいらしく、「日本に滞在するならこんな仕事もあるかな」など思いを巡らせていました。

 お二人のご指導のおかげで、なんとかハングルの構成や読み方や意味なども参加者が出来るようになっています。こうして最後の教室が閉会しました。
 テダニ カムサハムニダ!(大変感謝します!)


 

いわき心身障害児(しゃ)を守る会冬のレクリエーション

2011-01-24 07:06:34 | 私と福祉とであいの旅
1月23日(日)

 比較的晴れた良い天気。日曜日のこの朝、弘前市内ではどの家庭も雪片付けで忙しそうだ。幹線道路も除排雪業者のトラックやショベルが往来して、早くも排泄処理場に集まってきた雪は岩木河川敷の縁を席巻し始めている。

 さて、この日は岩木地区の「ボーリングレクリエーション会」が、弘前市のボーリング場で開催された。最近は会のメンバーもみな成長して、それぞれがあちこちの障がい者施設に通うようになって、会のレクリエーションを開催してもあまり参加が見られなくなった。それはそれで喜ばしいことだと思う。私が今のような通所施設整備を会の代表としてメンバー会員と共に町長に陳情した15,6年前には、地域に通所施設は一箇所しかなかった。まして我が娘のような重度重複障がいの子供たちは、通所施設は狭き門であった。それが今や通所施設は5,6箇所を数えるようになり、それぞれのニーズや好みに合わせて送迎付きで通所できているのだ。本当に親たちの安心出来る社会かどうかは別にしても、最低限の日常生活に支障は少なくなってきたのではないだろうか。
 
 さて、ボーリングに集まった家族は、当初からお互いにこの会を起こしてきた3家族である。

 それにしてもこのボーリング場ときたら、駐車場にはエレベーターが付いているとはいえ、肝心のボーリング場に移る瀬戸際が段差だらけであった。メインの会場入口にはエスカレーターと20段以上の階段が待っていた。下の娘はなんとか補助歩行が可能なので、エスカレーターで上がることができた。しかし長女ときたら車椅子なので、おんぶして二回までスカレーターで上がり、車椅子も上げてもらった。帰りはもっと悲惨で、エスカレーターは上りだけで、急な階段を今度は二人の娘をおんぶして下ろさなければならなかった。ボーリングで疲れた足腰が、こんなにもダメージを受けるものかと思うほどひどい階段である。

 

 県南・下田町のイオンショッピングセンターにあるボーリング場は、そういう意味ではすべての人が使いやすく設計されていて、排除されない社会形成がそこには出来ていた。
 ボーリング場の内部はそれでも重たいボールを持たなくても、滑り台のようなものが用意されているし、ガーターにならないように柵もできるようになっていてそれはまた皆が楽しめるようになっている。しかし一方で、車椅子の人は座席と通路幅が狭くて、レーンには車椅子のままでは移動できない設計であった。
 こういう場面で楽しさに水が刺されるのが、なんとも気の滅入る話である。

 参加した方々は久しぶりのボーリングの感触に一喜一憂し、とても楽しそうだった。我が娘たちはボーリングの何たるかも理解することはできないが、目の前を転がるボールとピンの倒れる音、スコアに様々な仕掛けがしてあるのを楽しんでいたような気がする。

 2ゲームを全員が投げ終えて、昼食会である。少し離れたH焼肉店に出かけた。するとこの店も10段の急な階段が待ち受けていた。障がい者が車椅子で出かけるということは、まさにバリアー調査でもしているような気分になる。これを誰に訴えていけば良いのか・・・宿題が残った。

 焼肉の昼食会をそれぞれにこやかに過ごし、ボーリングの成績発表と賞品授与。それぞれの家族が計画されてはいないのだが、みな一つ二つ商品をもらうことができた。我が長女と私もトップ賞だった。
 参加者が少ないと良いことは、商品の質が上がることだろうか。でも商品の質よりも、もっとみなさんに参加してもらったほうが嬉しいのは間違いない。私は満たされている人たちよりも、まだ障がいを受けて生まれてきた親と子供たちが、それからどこに進めば良いのか不安にならないような道案内ができたらということが、この会の役割ではないかと思うのみである。自分の娘の幸せはそこから始まるのだ。