夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

POEM「祈り」

2009-05-31 23:02:57 | 創作(etude)
 懸命に
 生きようとする
 そのいのちを
 ささえられても
 生きようとする
 いのちに
 代わることは
 だれにも
 できない
 
 そのいのちを
 讃えることはできても
 否定することは
 だれにもできない
 
 そのいのちが
 光を失おうと
 するときがあり
 その事実を
 受けとめるとき
 
 わたしには
 ついに
 そのいのちの
 復活を
 祈りの中にしか
 許されては
 いないのだ

短歌/ヤンママ

2009-05-31 13:03:33 | 創作(etude)
 
 ・乳母車押しつつきみは携帯を耳に押し当て子育て忘れ

 ・まだ若き母の美しき白い手でやわらかなる子の頬をなでたり

 ・今風のヤンママ闊歩ジーパンでサンダル指のマニュキア紅し

 ・夜更かしを子供もともにする世かな親なのかしら友なのかしら

 ・センスいい生き方してるきみを見て糠みそなぞは別世界なの

ソウルの友へ

2009-05-31 05:05:00 | 創作(etude)
 夜中の九時に
 電話が鳴った
 かみさんが
 あんたよと
 受話器を渡す

 はい
 そう答えながら
 受話器を耳に当てれば
 相手「ヨボセヨ?」
 ぼく「うん?」と思わず
 ぼく「あー!ソンさん?」

 ぼく「アンニョンハセヨ?」
 ソンさん「元気ですか?・・・」
 ぼく「元気ですよ。みんな元気・・・」
 ソンさん「韓国いつ来ますか?」
 ぼく「ベリーディフィカルト」
 ソンさん「早く来てください」
 ぼく「そんなこといっても・・・」
 ソンさん「ぼくいまビール食べてます」
 ぼく「ビールは飲むですよ。ぼくも今ビール飲んでます。」
 ぼく「乾杯しましょ!」
 ソンさん「かんぱーい」
     「メールください。ことばがわかりません」
 こうして電話が切れた。
 
 10数年前
 ソウルから視察に来て
 私の家にスティした
 そのことをきっかけに
 私もソウルへ出かけ
 以来昨年来日して
 1週間のスティが実現した
 電話だと
 隣にいるみたいに近い声
 あの晩
 通訳さんと
 友人と
 ソンさん
 わたしの四人で
 星空を見上げながら
 バーベキューを囲み
 別れの夜を惜しんで
 大いに飲んで
 語った

 ぼくたちの目は
 いつも
 アメリカ、ヨーロッパを見てきた
 でも
 ぼくは
 東南アジアを見ている
 日本の文化の
 根底でつながる
 韓国、そして中国
 私たちの遺伝子
 その世界を身近にする
 ソンさんという友

 私の祖父母は
 北朝鮮国境の村で
 母を生み育てた
 日本語学校の
 校長をしたという
 それは
 日本軍部の
 植民地化教育の
 言語統一支配
 敗走の旅が始まり
 一家は
 命だけを救われ
 日本へ帰ってきた
 その後も
 韓国の隣人友人との交流は続き
 私もいつしか
 オモニ、アボジ
 タンベカジョナラ(タバコもってこい)
 モントングリ(ばか)
 などと
 おぼつかないことばで
 遊んでいたのは3歳
 
 ソンさんの住む
 韓国ソウル市
 ぼくはかならずまた
 共通の友人たちを連れて
 ビールを食べに行こう
 豚肉のあのうまい店に
 サンチュに
 味噌と
 生にんにくを巻いて
 アー食いてえ!
 ソンさん
 待ってろよー!

ドラえもんの四次元ポケット

2009-05-30 05:27:14 | つれづれなるままに
 昨日来わたしの目の前に急に希望してもなかなか道にならなかったものが、突然のようにつながり始めた。私もスタッフも一度にこの思いもよらない形で夢が押し寄せてくると慌てている状態である。
 一つは学童の利用する放課後ディサービスへの伏線である。「日中一時支援事業」という市町村の生活援助事業の中の一つである。この事業はわが法人の利用者が地域では一番利用者が多く、一日定員20名を既に超え、利用待機者が出て困っている保護者が多くなっている。この事業は施設の利用者も月8日間の生活介護事業に利用制限があり、その代用として活用しているために土曜日などは40名を超えてしまう。こうしたことを背景に今年度の事業計画には、日中一時支援事業は成人の利用者、学童はディサービスとして分ける提案をしている。しかしそのためには学童の利用する別の建物が必要となっていた。それが今8月に市役所から公売計画があるのだという。
 二つ目は3年前から計画を進めてきた「ケアホーム・グループホーム」という、重度の要介護者も暮らせる共同住居の整備計画である。私の娘たちがこれから託されるべき住宅である。重度の障がいといっても、その支援内容もさまざまであり、いずれにしても18時間のケア体制(見守り含む)と、必要時間のホームヘルパーの活用が求められる。法人独自の居宅介護事業の立ち上げや、相談支援事業の立ち上げもこれらに付随して整備計画として盛った。そのケアホーム整備も、単純計算をしても新たに建設整備の場合は最低でも3千万円から4千万円を予想されるために二の足を踏まなければならない。既存の住宅を借り上げするにしても、バリアフリーのための改装費用がかかるためになかなかその物件が想定しづらかった。ところがである、その理想的な物件が目の前に突然提示されたのである。後援会長が私のドラえもんの一人である。「使えないか?」というのである。40坪総二階建てで、市街地でもいまや一番人の集まるエリアの住宅街にその建物があった。駐車場は玄関先に3台分。車庫には車が2台分入り、玄関先の駐車場の一つは雪を溶かせるロードヒーティング設置。部屋数は6室で、浴室1、トイレが洋式2、台所、洗面所、ダイニングである。
 近所にはあらゆる生活に必要な資源がそろっている。歯医者、小児科・内科、郵便局に、ホームセンターやスーパー、レストラン、温泉等々。
 とりあえず建物の方はトイレの拡張または裏庭の空間に増築すれば、重度の要介護者用トイレや浴室も確保が可能で、玄関先もスロープか段差解消で十分である。更には今の時代はスプリンクラーの設置が必要なので、整備補助金を申請する必要がありそうだ。
 この建物を拠点に第一回目の法人の施設整備計画が、ずんと前に進むことになるのである。
 そこで冒頭の「四次元ポケット」の話になるのである。
 私の周辺にはドラえもんに当たる人物が何人かいて、そのポケットからこうした夢の道具が出てくるのだ。10月から試行期間としてスタートさせ、来年4月からの正式スタートというシュミレーションを立て始めている。なんだかまたまた今年も忙しくなりそうな勢いである。

皐月の終わり

2009-05-28 06:03:05 | つれづれなるままに
 郭公が鳴き、燕が飛びかい、田植えが終わろうとしている。若緑の苗の植えられた水田に、逆さ富士が映るこの美しき緑の季節である。そして五月が終わろうとしいている。新型インフルエンザは、なんとなく終焉に向かいつつあるのか。しかしだからと言って、地球上が安心できる時代ではないことは確かでもある。
 北朝鮮問題はまさしく、地球上の貧困問題である。いつの時代にも「必要悪」と呼ばれるものはあるのだろうか。現にイラクのフセイン大統領が米国の猜疑心によって倒されても、何にも問題は解決しないばかりか、混沌としてしまうのである。
 北朝鮮の核実験、ならびに度重なるミサイルの発射は、駄々っ子があめがほしいからと道端で地団太を踏んでいる様にも似て哀れだ。かつては同じ国家でありながら、二分されているこの南北問題は古くて新しい問題でもある。極めて政治的な構図なのだ。アメリカとロシアと、中国というこの3つの構図が、南北問題の極限問題を暗黙裡に示している。イラクのように北朝鮮を締め上げたら、結局そのつけは中国に波及すると言う。小国とはいえ、北からの難民が一挙に中国に流入したとき、その災厄を中国は警戒しているのかもしれない。
 麻生首相の口から「首都先制攻撃」などの発言が出ることに、自分は違和感を感じている。「戦争の放棄」を憲法でうたいながら、なぜこうした発言が出るのだろうか。日本の立場はあくまでも「恒久平和」であり、「戦争放棄」であり、「世界で唯一の被爆国」でもある。このこと抜きに日本の立場などないのではないだろうか。その子々孫々にわたる災禍、凄惨かつ阿鼻叫喚をもう一度明確に提示する必要があるのだ。それ以上の武器などありえないと私は思う。忘れないことだ。忘れてならないことなのだ。平和な暮らしを一挙に奪い、一人ひとりの人生を狂わせ、人々の大切な「生命」を奪ってきた「愚かなる戦争」は愚かなる大量殺人事件なのだ。どんなに抵抗しようとも、武器弾薬、ましてやまして広島・長崎の人々を前に、核爆弾など廃絶以外の何ものでもないのだ。私たちの地球なのだ。私たちの命なのだ。失えば返してはもらえない、かけがいのない命ばかりなのだから。
 

短歌/ミョウガタケ

2009-05-28 05:58:28 | 創作(etude)
 ・大地より天に向かいて胸を張るきみ緑なる詩人というか

 ・花なればもの忘れんと人の云う忘れたきことあまりに多し

 ・夏茗荷葉を高々に空に向け疲れませんかその格好で

 ・茗荷谷駅の名前で思い出すわがふる里の茗荷田楽

 ・食すればもの忘れんと伝え聞き忘れて欲しき人に送らん

きょうの収穫は

2009-05-27 17:07:36 | 原ヶ平農場
 「原ヶ平農場」では、少しずつ前任者が植えていた野菜がとれています。まずは「アスパラガス」です。何とも太い、そして甘い。二つめはサラダ菜。少し赤というのか赤茶というのか、柔らかな葉です。三つ目は今朝から収穫し始めた「ミョウガタケ」です。(写真)昨日夜の研修会の後、入浴後のいっぱいのおかずとして食べました。生の茎に味噌をつけていただくのですが、何ともワイルドで何とも大人の味。食感がたまらない。少しアクがあるように感じますが、そこがまた良いのかな。メンバーさんとともに、大量に収穫して、早速パン工房ゆいまあるの店頭で販売開始。200グラム100円はとてもありがたいかも・・・。

農場にて語る

2009-05-26 05:35:13 | つれづれなるままに
 昨日は公休日であり、家内は青森市のパン教室に行くことになっていた。私は目下のところ、農場(4箇所)の維持管理で手一杯である。姪の結婚式があり上京したことが、ひとつの複線であろうか。いまだにそのつけが、及んでいる。
 原ヶ平農場にはメイクイーンと茄子、そしてトウモロコシを植えることにしていた。朝から天気もよく、きょうは終日農場の野菜のことだけを考えることにしていた。昼食のおにぎりと、いささかの甘いもの飲み物などを準備した。作業は作業として、農場では火を起こしてお湯を沸かした。
 畑の西側には3メートルくらいの高さの自衛隊の土塁と、大きな桜の木が続いており、更に手前には有刺鉄線が張り巡らされて他人の入場を絶っている。終日自衛隊員の訓練のかけ声や大砲の操作音なのだろうか、空砲らしきものも聞こえ、この畑が異空間であることを感じている。
 ナスを植えるための畝を作り一汗をかいていると、スタッフのHさんがやって来て手伝ってくれた。きょう彼も公休日で、一緒にどうか?と誘ってみたのである。父親になりたての彼は、奥さんも働いておりきょうは子守をしなければならなかったらしい。云ってしまってからすまないことをしたと思ったが、後の祭りだ。聞けば同居のおばあちゃん(まだ年は若いが)が午後3時までは見てくれるということではあった。彼の許せる時間の範囲内で、お手伝いをお願いした。
 彼はまだわが事業所に来て間がない、いわゆる新人スタッフである。しかしこれからの次代を担うべき有能な人でもある。日ごろは通所者の支援でほとんど会話の機会もないのであるが、きょうはゆったりとした時間の流れの中で話ができた。本当はもっとスタッフと会話の時間を持つ必要があるんだなと、彼との会話をしながら感じていた。
 ハイキング気分でのテーブルに簡易の椅子を置き、火を起こして沸かしたお湯でインスタントコーヒーを飲む。これがこの農場の一番の贅沢かもしれない。
 Hさんとは私のこの農場での考え方である有機農法や、ハンディキャップを持った青年たちの支援の場としてこれからどういう方向に持っていこうとしているのかなどを話した。彼もまたスタッフリーダーとして、仕事を受身としてのみ行うのではなく、今行っていることがどういう目的を持って行っているのかを、同僚・部下と確認作業を行って話し合っていることを話してくれた。
 彼の許容時間となって戻った後、トウモロコシを植えるために畑に耕耘機をかけた。鍬を持つ作業がここに来て、ようやく手になじんできたような気がする。土が鍬に従って、美しく砕けていく様はこの土地の肥沃であることを示している気がした。
 少し痛いのも我慢してきた左肘の骨の部分が更に痛みを増して来たのを合図に、この日の作業を終えることにした。まだまだ仕上げるべき作業が明日も・・・。
 
 

サイクリングツーリングに行きたし

2009-05-25 18:37:37 | 趣味(渓流釣り・フォーク)
 9月4日、5日はサイクリング協会の全国大会が、北海道の函館市で開催予定だという。函館は坂の町ではあるが、大沼公園は1週14kmのサイクリングコースがあり、楽しめそうです。
 それとは別に、新潟の母を訪ねる旅の途中の福島県奥会津も魅力的なコースがあるようです。
 会津高原~木賊温泉、~昭和村~西山温泉~柳津~只見(3days240km)
 奥会津の栃尾股温泉は、母が一度胃腸手術をしたときに病気療養に行った温泉です。一度行ってみたいと思っていました。そして会津藩に敗走の旅をして殉死した河井継ノ助のコースでもある。

カッコーの初啼き

2009-05-25 07:39:44 | つれづれなるままに
 夏だなと思わせるのは、あの仰々しい啼き声のカッコーだ。今年も2,3日前から啼き出している。(カッコーは閑古鳥が古名で、郭公。渡り鳥で他の鳥の巣に自分の卵を産み付ける「託卵」でも知られている。)
 津軽はいまや農作業の繁忙期で、りんご農家は摘果作業、水稲農家は田植えのコンバインが水田を賑やかせている。水稲農家はいまや田植えも機械化が進み、昔よく見られたような手植えはコンバインの不具合のある水田の片隅程度である。そのことの影響で、一枚あたりの水田面積も広がっている。機械の値段そのものも高額なために、小規模農家は赤字から脱却できないのではないだろうか。この地域では営農組合という組織だった水稲作りが、なんとかその経費をまかなうのに役立っているようだ。
 今年の天候はどうなのだろうか。昨年は霜や雹が春から夏にかけて降って、更に強風が追い討ちをかけた。そのためにりんご農家は被害甚大で、散々な目にあったことだろう。数十万トンのりんごが結局埋められ廃棄されたのだった。
 今年も風の強い日々が続いて野菜の枝折れ被害がすでにあり、水稲の苗が雪の被害を受けたという。天候を相手にする農業というものを生業にすることは、本当に結果が見えない。