夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

9月の終わり

2010-09-30 06:21:02 | つれづれなるままに
 暑い暑いと言いながらも、ここに来てめっぽう朝夕は涼しくなった。秋めいて来たと言えば、その通りだ。暑い夏の余波は秋の収穫に様々な影響を与えてきた。トウモロコシも酷暑のために早々と姿を消したばかりでなく、果実の先端に虫食いが発生したものが多かった。リンゴは暑すぎる日差しで日焼けを起こしたり、色つきが悪いと農家は嘆いている。わが法人のじゃが芋は例外ではなくひび割れたり、こぶがついてしまった。トウモロコシも虫食いが多く、商品化が難しかった。じゃが芋の悪い年は米が豊作というが、ことわざどおりだったのだろうか?いずれにしても米のほうも、収穫が例年よりもかなり早かった。
 今私が一番汗をかいているのは、栗畑での収穫と栗の木の剪定枝や栗のイガの処理である。それにしても昨日からの強い風もあって、栗の落下率が大幅に増加した。一日では栗を収穫しきれない状況で、きょうもスタッフを増やして後始末に追われるだろう。
 栗の加工品をそれぞれの部署で、女性軍が中心となって企画開発し始めている。新たな熱気を感じているところだ。実はこういう企画会議が、今後の売り上げ実績に大きく係わってくるのではないかと思う。現状維持や他人任せでは、決してそこから新たな力は湧いてこない。
 降って沸いたような話がこのところ続いて、栗畑の栗とリンゴ栽培はこれからの法人のチーム編成を余儀なくしている。この準備している状況が、実は苦しさ以上に夢膨らむ楽しさも多いのかもしれない。収穫した栗はほとんどが市場へ出されるが、残りは冷凍保存して冬の加工作業へと向けられる予定だ。来年小麦の収穫、ブルーベリー、栗、アスパラガス、トウモロコシが主力の農業班である。改善すべきところを整理して、来年には軌道に乗せたいものである。
 自閉症の青年たちの個性が、この農作業に生きていく場を開拓したい。

第8回 EPRC ビジネス講座

2010-09-28 06:47:22 | 私と福祉とであいの旅
 9月27日(月)18:00~20:00  弘前大学創立50周年記念会館 岩木

 約束していた交流昼食会をすっかり忘れて、ハンサムウーマン事務局で法人理事の田中さんからの連絡でようやく思い出している。カミサンと二人でおっとり刀で市内の大和屋という郷土料理の店に駆けつけた。このところ毎年お目にかかるようになった名古屋からの客人で、NPO法人参画プラネット代表理事 渋谷 典子さんがおいでになったからだ。
 弘前大学人文学部付属雇用政策研究センター(ERRC)は、諸分野の専門家などを招き、ビジネス講座を開催している。介護や福祉、社会教育、まちづくりといった地域社会に貢献する分野で活動しているNPOなどの社会的企業に携わっている方々に講演してもらい、新たな地域雇用創出の可能性を模索したいということが開催趣旨である。

 田中さんがはじめに講演して、その後を今回の渋谷さんにつなぎ、そして11月24日が私にその大役が回されたという次第。

 渋谷さんの講演は、自らが代表理事となっている「NPO法人参画プラネット」が主に事業としている名古屋市の「指定管理者制度」などがテーマであった。
 NPO法人には3種類のグループに分けられる(公的セクター・市民セクター・営利セクター)が、渋谷さんのNPOは共感・多様性・自発性を中核とする市民セクターである。そして女性の地位向上や女性の能力向上と仕事作り、社会に役立つ研究と実践を進めるために活動を行っている。具体的には、日本の女性のこれまでの社会の中での地位の不安定さを改善すべき課題があった。女性は学校を卒業すると就職し子育てで退職し、子どもの手が離れた段階で職に就くといったM字型就労となっている。このM字型の底にいる女性たちの地位向上が目標となっている。
 お話を伺って、最近良く耳にする公的な建物の「指定管理者制度」ですが、結構厳しい経営状況に少しがっかりしました。公的機関が指定管理者を選ぶ際に、安さだけを主眼にすると、そこに見えてくるのは大手の法人や会社が片手間に運営しなければ引き受け手がなくなるのではないかという思いです。NPO法人で経済的に自立している法人はまだ少ないのが状況です。指定管理者制度が単なる効率性だけではなく、確保すべき主眼を明確化し、その実現のためにどの団体に任せるのが適任なのかを選ぶ目を持ってほしいと思います。選択過程を可視化したり情報公開して採択根拠を明示するなど、容易に天下り団体などの手に落ちないようにすることが大切ではないかと思いました。

 講演が終了したあと、渋谷さんを囲んでの夕食会に出かけました。

 楽しく話している中たまたま私のそばに座っていた大学の先生が、偶然にも「しらとり農場」の野菜会員であり、農場を通じて奥様が私を知っているということでした。その話は奥さんがお菓子作りが得意だという話から始まり、私の法人の栗をお菓子にして店に出してもらえないかというところから始まりました。こうして間もなく栗のお菓子作りのプロジェクトが進みそうです。
 A型事業所のオープンする来春には、製品が完成していることを今は夢見ています。
  

83歳の潮時

2010-09-27 06:42:01 | 私と福祉とであいの旅
 9月27日(月)快晴
 今朝の朝刊「東奥日報」1面に大相撲の横綱白鵬が満面に笑顔で優勝杯を抱えている写真と8度目の全勝優勝を飾った記事が掲載されていた。そして17面には郷土の相撲取・岩木山関が引退表明し、記者会見場で涙を流している写真が掲載されていた。
 岩木山関は旧岩木町出身で、青森山田高校職員から10年前に角界入りし、小結まで上がった。真っ向勝負の関取の相撲はいつ見ても気持ちよく、好きな相撲取りであった。残念ながら小脳梗塞という病気で引退を決意することになったが、まだ34歳で、新婚ほやほやでもある。今後は境川部屋の親方として後進の指導に当たるという。
 岩木山関の出身地は、岩木山のあるわが町旧岩木町である。お父さんは私と同じサイクリング協会のメンバーであり、岩木山関の弟はわが法人の前身生活リズムセンターノーム時代に、それも岩木山関が通ったことのある相撲場のある建物でスタッフの一人として関わりを持ったことがあった。
 さて、標題は「83歳の潮時」と書いたが、わが法人事業所のある「であいの家あうん」は、11年前に私が15年間勤務した老人ホームの同僚高森氏の農地を寄付いただいたことでスタートできたのである。そして先週の金曜日栗畑で作業中の私の携帯電話が鳴って、高森氏から話をしたいという申し出があった。ちょうど彼はきょうが休みで、今リンゴの袋剥ぎ作業をしている最中だという。彼の今いる畑は、私の施設の直ぐ隣の畑なのだ。
 お父さんと二人でやって来て、わが施設のウッドデッキに腰を下ろし話をした。お父さんが「もうリンゴは作れなくなった・・・。」とポツリともらし、息子の高森氏が来年4月にこの900坪のリンゴ畑も法人に寄付するという申し出であった。高森氏もわが法人の役員である。聞けばお父さんは今83歳だという。お母さんも最近姿が見えないと思ったら、腰を痛めて通院の毎日とのこと。このリンゴ畑は45年前に植えたもので、奥さんと二人三脚で栽培をしてきたらしい。さすがに一人でのリンゴ栽培は大変らしく、息子さんの職業柄片手間ではできないとのことで、今回の結論に至ったらしい。
 法人にとってはありがたい話である。駐車場が狭くなってきたことや、学童保育のスペースが狭くて、いつかはと思っていた矢先の事でもある。
 サラリーマンであれば今は定年は65歳が最高であろうが、健康であればこうして83歳まで農業を続けることができるんだなと、改めて農業のすばらしさに感動している。しばらくは駐車場を半分だけ確保し、残りの土地半分はリンゴ畑として栽培を継続したいと考えている。来年はいよいよリンゴも栽培かと思えば、このところのわが法人の方向性もかなり農業法人化してきているなと思う。本気を出してやるしかないなと岩木山を見上げながら思っている。
 

DVD「わたしとあなた」その4 それぞれのmy self

2010-09-25 08:52:28 | 私と福祉とであいの旅
 4つ目は神奈川県藤沢市の黒崎ホーム

 男女や障害程度、年齢など区別のないホームです。このホームの様子を見て感じたのは、入居者一人ひとりにそれぞれの楽しみがある生活が感じられることです。生活の中のそれぞれの生活スタイルが尊重され、スタッフが温かく支えている姿はほほえましさを感じました。入所施設にはこの状態はありえないなと感じられる生活でした。さらにそこにはスタッフそのものが、個々に個性的な生き方をしているなと感じ面白さを感じました。生活するということの原形がここにはありました。

 4つの個性的なケアホームは、ケアホームというその形にいくらでも個性が表現できる要素があるからだろうと思います。つまり人間対人間という「わたし+あなた」関係が存在するのです。集団が大きくなればなるほど、人と人の関係が希薄になっていきます。このような環境下では、個人の弱い電波を受け止めてくれる強力なアンテナがあるかどうかが大きく影響します。そういう意味ではケアホームやグループホームという、小規模だからこそ受け止め理解しあえる環境といえるのかも知れません。

DVD「わたしとあなた」その3「見えてきたmy way」

2010-09-25 07:46:59 | 私と福祉とであいの旅
 3つ目は北海道 石狩市の自立支援センター「ゆい」
 
 「ゆい」は施設でもなく、家庭でもない、第3の自立の道として、行動障害のある自閉症の人がケアホームで生活するための支援を行っているところです。札幌市自閉症者自立支援センター「ゆい」が運営を始めたのは2005年。この施設の特徴は入居期間を3年という有期限性にし、将来の暮らしを地域へと特定しているところです。

 現在では「ゆい」での自閉症のトレーニングを終え退所した人たちともう一つの入所施設である「厚田はまなす園」を退所した人たち、在宅から法人の各事業所をの利用者たち100人(障害程度区分5.2)がケアホーム23箇所で暮らしているそうです。

 行動障害のある自閉症の人は何故生きにくいのか?
 自閉症の人の「行動障害」は何故起きるのか。もちろん自閉症の人総てが行動障害になってしまうわけではない。しかし、自閉症の人たちは「いつどこで何をするのか」「どのくらいするのか」「どのようにするのか」「次にするのは何か」などの生活をするために本人が必要な情報を集めることができなかったり、不安や疑問を人に伝えることがうまくできなかったりすることが多く、その生きにくさが行動障害につながってしまうケースが少なくないという。その行動障害を予防するためには、本人にとってわかりやすい情報の提供、不安をうまく発散するたことや、社会的に容認する表現手段の確保が必要だそうです。

 DVDの中には不安になったとき、ジグゾーパズルや音楽などを使って安定していく姿も映っていました。そして一つ一つの行動を移すたびに、自分の行っていることの確認をするようにカードを抜いていました。
 親子関係であることから生じる不安感やストレスは、彼らを追い詰めてしまい家族自身も疲労してしまいます。
 相互に暮らしを立て直すためには、こうした配慮のいきわたる空間「グループホーム」が必要になってくるのです。

DVD「わたしとあなた」その2 伊達市・野ぶどう

2010-09-25 07:10:50 | 私と福祉とであいの旅
 私たち社会福祉法人 抱民舎施設整備検討委員会で、3年前に訪問したケアホーム「野ぶどう」(2006年開設)は、北海道の重度重複障害の人たちのそれまでにはなかった新たな生活の場です。
 伊達市には「太陽の園」という日本で最初のコロニーがありました。道内の障害者が400人以上入所していました。そして現在はノーマライゼーション思想を背景にして、このコロニーでの生活ではなく市民としての暮らしができるように、100軒を越すグループホームに入居をし、企業や通所施設で働いているそうです。そこに至るまでスタッフや親たちの長い苦労があったことだろうと思います。2002年親の一人から「伊達市のノーマライゼーションは本物ですか?私たちの子供が養護学校を卒業しても通う場もなければ住まい(グループホームもない」と訴えられたそうです。
 私が旧岩木町の社会福祉計画を立てる時(1998年ごろ)に町の関係者と共に、「太陽の園」訪問したことを今新たに思い起こしています。あの頃は小林所長と大垣寮長さんの両輪が強い情熱を持って、「入所施設から地域へ」という運動を展開していた時期です。

 グループホーム「野ぶどう」は2006年に「伊達肢体不自由者父母の会」の熱い運動をきっかけに、北海道庁、伊達市行政が支援し、北海道では初めての重度重複障害者が利用できるグループホームとして誕生しました。10人の入居者に対してマンツーマンの手厚い支援を利用して暮らしていました。
 私たちが訪問したとき、訪問看護など看護師さんの派遣や、PTさんの派遣もされていました。一番驚いたのは、行政の圧倒的な支援体制でした。総工費7000万円もかけて立てられたというグループホームは、私たちにとっては雲の上の世界でもあったように感じています。

 DVDの中には利用者への尊厳がきちんと守られ感じさせられる、一人の若い支援者のケアがありました。そして保護者の方々と支援者の信頼関係がそこに展開していることにうらやましさも感じています。
 余暇支援としてのスキー場でのソリ遊びの様子なども、今後の私たち生活介護「であいの家あうん」での課題でもありそうです。
 
 

DVD「わたしとあなた」その1 西宮市・青葉寮

2010-09-25 05:46:49 | 私と福祉とであいの旅
 四国の友人「吉田の山本っちさん」からいただいたDVD「私の暮らし・わたしとあなた」を職員会議で見ました。わたしは見るのは二度目ですが、二度目を見てまた新たな思いを感じています。

 4つのケアホームのそれぞれの暮らしを紹介しています。

 その一つ目は兵庫県西宮市「わたしとあなた=立ち上がるstory」です。
 ケアホームの定義は何でしょうか?国が支援費の対象にしているのは、「共同生活介護」という名称の2人以上のケアホームです。しかしこの重症心身障害の女性をケアする環境は、マンションの1室に一人だけの暮らしがありました。重症心身障害の方にヘルパーさんである支援者が寄り添い、言葉では表現できない彼女の表現する表情や声などの感情などを受け止めて、少しずつですが理解を深めていく作業をしています。
 私が自分の娘の現在のケアホームにはここが抜けているなと思ったのはまず、ケアホームの日々の暮らしはあっても地域との接点のないところではないかと思います。毎朝、通所事業所の車に乗って出かけて、夕方再び送迎の車で帰れば、そのままま部屋の中だけの生活があるだけです。ところが青葉のケアホームの女性は一人の市民としての権利が保障される生活をしていました。買い物もコンサートへの予約も本人主体で、決して彼女抜きには行っていませんでした。街中を車椅子を押してもらいながらも歩き、様々な出来事や、電車の音、視界などを彼女は楽しむことが保障される日常生活がそこには展開されていました。
ドアツードアの送迎方法では、この生活に欠かせない日常の匂いが不足しています。
 最も重厚だったのは、個別支援計画や彼女とその両親を交えた「個人支援会議」で、本人を中心に両親に対して日常の生活と支援内容などを説明し、両親からも細部にわたる主人公への思いを確認し学ぼうとする作業を支援者がしています。
 両親が語ったのは、この5年間での娘さんの変化についてです。自宅にいたころと大きく彼女が変わってきたことの実感は、彼女の気持ちの尊重がそこにはたくさんあったからではないでしょうか。
 「権利擁護支援」「医療支援体制」「相談支援センター」などの組織化は一人の重たい命を預かるというのはこういうことだと提示されていると強い感動を覚えていました。

 少しでも向上してほしいという思いで、スタッフ全員に鑑賞してもらったのですが・・・。

ハングルメ教室=韓国のオモニの手料理

2010-09-23 16:09:34 | 私と福祉とであいの旅
 9月21日(火)18:00~
 であいの家あうんにて、ハングルメ教室を開催しました。今日のゲストはサンアさんのオモニ(お母さん)の韓国料理の手料理です。「白菜キムチ」の浅漬け(コッチョリ)とトック(韓国の餅汁)という正月料理です。

 サンアさんは小学校3年生くらいから、お母さんの手料理を手伝ってきたそうです。なのでまだ22歳でもかなり料理のメニューの種類も、そのノウハウを身につけていて手際がよいのです。
 韓国料理といえば、その代表格は「キムチ」です。目の前でオモニの手業を見ながら、その手際の良さ迫力に圧倒されました。
 前日に白菜を塩漬けしておいて、この日はその白菜に材料や出汁などを塗り込みました。

 汁物が「トック」と言われる韓国の棒状の米粉で作った棒状の餅を薄くスライスしています。正月にはこれを家庭でいただくのだそうです。

【キムチ漬けの材料】
・白菜・塩・にんじん・細いネギ・ニラ・餅米粉・水・唐辛子・オリゴ糖・鰯の魚醤
・ニンニク

【トックの材料】
・大根(スライス)・ネギ(スライス)・トック(良くだし汁で煮る)・牛肉の出汁粉・ニンニク・卵(卵白と卵黄を分けて焼く)・ごま油(できあがってから一タレ汁に垂らす程度)・海苔(火であぶった後、ビニール袋に入れてバラバラになるように

 キムチは浅漬けなので、常温で3日ほどすると味がしみこんで美味しくなるそうです。 実際いただくと、辛さの前に少し甘みを感じました。トック も菱形に卵黄や卵白を焼いたものを刻み、汁の上に飾りきれいでした。
 であいの家あうんで収穫した果物なども一緒にいただき、和やかなひとときが過ぎました。サンアさんのオモニは金曜日には帰国されると聞き、わざわざ私たちのために準備してくださったことに感謝していただきました。どこの国であろうとも、我が子のことが一番心配なんだろうなと思いました。
 

 

栗拾いの日々

2010-09-22 06:17:56 | マロン農場
 マロンとはフランス語での栗で、英語ではchestnutである。ちなみにハングルではパンという。
 法人が委託された栗畑にはこの栗の成木が100本以上もあって、このところ毎朝休みも返上で栗拾いをしている。十五夜が今日22日なのでか、まさに栗も日増しに収穫量を増してきた。それでも実を落としているのは早成種の栗が5,6本で、それも一日20キロを超える量であるから、これから残りがいっせいに落下し始めることを思うとその処理も悩みともなる。農薬はかけていないのだから、虫の食った栗も結構ある。去年までは原ヶ平農場にあった栗の木が2本で、量的にも施設内で食べるにもちょうど適量だった。しかしこの100本以上の栗は、想像をはるかに超える。虫さんにおすそ分けしても尚余りあるのである。
 栗と向き合うようになってから、栗のことが少しずつわかり始めている。やっぱりお日様が当たらないと栗も良い実をつけない。だから11月に入れば、枝の剪定も欠かせない作業となる。栗の木は放っておけばどんどん高くなって、そのうち手の届かないところまで伸びていく。三内丸山遺跡にある巨木は、その栗の木である。できるだけ管理しやすくするためには低木に抑える選定技術が必要となる。
 この枝の剪定後の枝処理も大変で、未だにその残骸が農園に山積みである。更に草刈り作業や栗の毬(いが)の処理方法なども未解決な課題で、なかなか大変な作業だ。
 栗は実り始めると毬が口を開け、実が日光に当たって白色から茶色に変色して行く。そして熟すと、風に揺られてぱらぱらと実を落とす。大きな実は直径3センチを超える。何より栗の皮は輝いていて、毬に接していた底の部分は新鮮な白色である。毬のまま落ちてくると、農園のあちこちでドス、ドスという音が聞こえてくる。この時期、こんなに栗の畑は賑やかだったのだとあらためて思うことだ。
 栗園は日陰も多く、キノコがたくさん生える。この剪定後の枝を丸太に切って、シイタケ栽培もありかと思い始める。
 結局栗の販路は、わが事業所「あんしん屋(福祉ショップ)」と「ゆいまある(パン屋)」、そして市内にあるケアホーム前での販売を行っていたが、それでも処理しきれないので2,3日前から市場に出し始めている。

 栗の食べ方は「煮る」「焼く」「栗ご飯」、そして「お菓子」などの加工方法もある。早速昨日家内が渋皮付きの甘煮に挑戦して、私も試食したがこれがまたとても美味しかった。
これからパン屋の新商品として開発できるのではないかと期待している。
 栗は洗ってから冷蔵庫で1℃~5℃で冷蔵すると、虫の発生も心配なく長期保存できると聞いている。
 来年はさしずめ観光栗園として、オープンした方が得策のような気がしている。豊かさと共にある贅沢な悩みに変わってきている。

 きょう(22日)は十五夜だが、あいにくの天候で最高気温も一気に18℃に下がって来た。雨が降ろうと風が吹こうと、栗拾いは続けなければならない。これもメンバーさんたちの給料を向上させる資源なのだから・・・。

秋の出会い

2010-09-20 06:37:07 | 私と福祉とであいの旅
 人と人との出会いを「縁は異なもの味なもの」というが、私の場合もう一つ付け加えたい言葉がある。それは「類は友を呼ぶ」だろうか?
 これまでの自分の60年近い人生で、このことをしみじみ思うこのごろである。学生時代の友達は、中学、高校、大学とそれぞれではある。しかし未だにお付き合いをしていることを思えば、そこには引き合う双方向の縁や価値観などの共通項があったからであろう。「袖触れ合うも他生の縁」ということばもあり、(多生の縁が正)この縁というものも偶然性に近いが、必然的な意味合いも感じられる。
 
 私が今弘前人として暮らし続けるのも、本当に不思議な感覚である。何故かこの津軽弘前が愛おしく思える。それは歴史や文化、そして豊かな自然、天候などがその一因である。「もし・・・だったら」という思いをするとき、一つ一つの偶然が重なり合って、進行して行くのが人生の不可思議なところである。良いこともそうでないことも、総てはそのとき・・・だったから」という結果につながっている。まさに自分だけの人生であって、自分だけの類縁がそこにある。
 私の法人にしても、一人ひとりの法人役職員は、それぞれがそれぞれの類縁を持っている。そういう中の一人が、わが法人ということになろう。

 わが法人は歴史と呼べるほどの年数を得てはいないが、16,7年間の歴史の中でその積み重ねは総て縁であるとそう思う。
 私はこの縁を、いつも不思議だと思う。事業展開を起こすたびに、いつもそこに縁ある人が出現するのだった。そしてその縁ある人が大いに私に助力をしてくれるのである。ある人は事業を成し遂げた後去っていった人もあるが、今着実に力を注いでくれている方々も多い。
 他法人の施設長クラスの人が同じ釜の飯を食い、これまで創設以来4人が働きをくれた。そしてまた今他法人から施設長を辞めて、わが法人入りを希望する方が来るのだという。とってもありがたいのだが、いかんせん貧乏法人である。給与の保障はとても施設長クラスは準備できそうもない。それでも良いといって来てくれるのは、もはや同士と呼ぶしかないのだろう。一つの共通目標を持って、それを実現するためにまい進する。今度はA型事業所の展開が彼の役割の一つとして待っているのである。