夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

昭和30年代のこどもの遊び

2008-03-27 23:12:11 | つれづれなるままに
 
 なんだかきょうの職場の午後5時は、ロートル3人プラス2人の中年が熱くなっていた。何にって、子ども時代の生活を思い出していたから・・・。60代のSさんが、学生時代は器械体操をやっていたことが話題になって、すると事務スタッフのMさんが「僕も鉄棒をやった」から、「あのころはこどもたちの遊びのひとつといえば、鉄棒だったよね」という。栄養士のYさんが「私は縄跳びだったわ」というと、僕が「あ、それってスカートがめくれないように、パンツにスカートをはさんで逆立ちしてなかった?」と聞くと、「そうそう」と続く。Sさんが「俺の所じゃパッチって言ったけど、東京じゃメンコだよね?」と言う。「僕は新潟でやっぱりパッチだった」というと、スタッフのSさんが「こっちじゃビダだな」と続く。とにかく外の遊びが多かったあのころ。どんどんみんなの記憶が子ども時代にトリップする。僕が五寸釘で陣取り合戦したな」と言うと、事務のSさんが神社が遊び場だったとのたまう。本当に神社は僕らの自由な空間だった。「ケンケンパ」っていう遊びもあったし、ビー玉での様々な遊びや、馬跳び、竹馬、チャンバラごっこ、相撲、ターザンごっこ・・・などなどどんどん広がった。騎馬戦もやったし、杉鉄砲も作ったな・・・。30分間もわいわいと話し、懐かしい時代にタイムトリップしたのだった。

「ずいずいずっころばしごまみそずい
  ちゃつぼにおわれてとっぴんしゃん
  ぬけたらどんどこしょ
  たわらのねずみがこめくって
  ちゅう ちゅうちゅうちゅう
  おっとさんがよんでもおっかさんがよんでもいきっこなしよ
  いどのまわりでおちゃわんかいたのだーれ」

 この歌も実は恐ろしい背景を持った歴史的な歌なのだという。随ととっぴんとの戦があったのだと言う説。
 江戸時代に殿様につかえていた小僧があやまって庭でお茶碗を落として割ってしまったのだそうです。それでもって、小僧はその罪を償うために、近くにあった井戸に身を投げたとか。
 場所は知りませんがお茶の生産地だったため、 お輿に乗っているお殿様を「茶壷」にたとえ、 茶壷に追われて(「茶壷」つまり大名行列がきたら) とっぴっしゃん(家に入って戸をぴしゃんと閉めて) ぬけたら(大名行列が通り過ぎたら) どんどこしょ(とさわぎましょう) おっとさんがよんでもおっかさんがよんでもいきっこなしよ (行きすぎるまでは、誰に呼ばれても家から出てはいけません) ということです。

大名行列は横切ると即切られるという話なので、 子供が飛び出したりしないように、言い聞かせるための歌だということでした。

成長する子どもたち

2008-03-27 07:09:53 | つれづれなるままに
 バッケがあちこちの畑や田圃の畦に緑の頭をそろえるころ、いよいよ学校も終業式で明日からお休み。子どもたちが授業で作成した様々な工作や絵画などの作品を詰めた紙袋を手に戻ってにぎやかさを増している。
 あの時まだ小学生だったやんちゃなT君がもう高等部の3年生で、私のそばに来てきちんと「なりたさんただいま。学校終わったよ」と挨拶ができるようになっている。私の車に思い切り石をぶつけて傷をつけたり、施設玄関のガラスを蹴飛ばして割ったり、弱い子に八つ当たりしていたT君だったが、今は落ち着いて会話が成立するようになっている。いろんな身体上の問題や社会との軋轢に向き合いながら、時間はゆっくりではあるが確実に成長している彼らである。自閉症のS子さんはよく信号の横断歩道で固まったまま動けなくなった時期があった。しかし、今はすっかり積極性が増して作業をこなしている。私が姿を見せると「お父さん、おはよう。」「お父さん、お帰り」「お父さん、行ってらっしゃい」などと声かけをしてくれるようになった。この積極性はどこから生まれてきたのであろうか。このように時間は緩やかではあるが、誰でも皆着実に生きていく過程で成長をし続けているのである。生きることの楽しみがわかれば、それをきっかけにどんどんその成長は加速されるのだ。昨年までひげそりを自分でできなかったH君だって、いまは大きな鏡の前に椅子を置いて一人でひげそりができるようになった。きれいに剃り終われば「やったよ・・・」と見せに来てくれる。「ほう、上手になったね」そうほめるとにっこり笑って、戻っていく。みんなこうして、自信をつけていくのだ。「学ぶとは変わること」と言うが、まさにその変化の中で彼らの学習成果が見えてくる気がしている。
 なかなか私たち大人は変わりにくくなっている。